優等生の秘密
アサト:作

■ 39

 視聴覚室で試験を受けていた夏美は、ふいに、周囲の教師達の様子が変わった事に気がついた。皆、一様に何かに動揺している様子であった。
「……とにかく、試験はこのまま予定通り終わらせて……」
「勿論だ……ただ、当事者達が理事長室に……」
「……なら、私達はこの試験後に……」
「……あぁ、とりあえず、学校にいない教師達、それとPTAにも連絡を……」
 教師達は声をひそめてはいるが、そこは静まり返った視聴覚室だ。夏美の耳に、重要と思われる部分はしっかりと届いていた。
(……何か、あったのかな?)
 夏美の胸に、不安がよぎる。だが、学校で何かがあったとしても、今の自分には恐らく関係ない。自分のすべき事はこの編入試験を終わらせて、特進クラスに入ることだ。そう言い聞かせて、夏美は問題用紙に向き直った。

 その頃、貢太と俊樹、そして、京介は理事長室に居た。来客用のソファもあったが、勿論座ることなど許されるはずも無い。上質な木材で作られた、理事長の事務机の前に立たされたまま、壮年の理事長と真正面から向き合う形になっていた。理事長の背後には、歴代理事長の顔写真が額に入れられて飾られている。貢太にはそれが、自分達を睨みつけているように見えてならなかった。
「普通クラス2年の、中嶋俊樹と、特進クラス2年の、仲原貢太だな?」
 理事長の低い声が部屋に響いた。
「……はい。」
 返事をしたのは貢太だけだった。その事が不満だったのか、理事長は不機嫌そうに片方の眉を吊り上げた。
「君達がしでかしたことは、前代未聞だ。伝統ある我が校の生徒が、このような愚かな行いをするとは、夢にも思っていなかった。」
 そこまで言うと、理事長は椅子からゆっくりと立ち上がった。理事長の座っていた事務用の椅子も上等なものだという事が一目で分かる。高級品の威圧感なのか、貢太はすっかり萎縮して、身を強張らせていた。
 理事長はゆっくりとした足取りで、俊樹の隣へ歩み寄ると、ふてぶてしい態度のままの俊樹を見据えた。
「中嶋。特進クラスの加藤を、普通クラスの伊達と宮部に襲うよう、君が指示したそうだな。」
「……はい。」
 俊樹はけだるそうに返事をすると、小さくため息をついて理事長から顔を背けた。今まで自分より明らかに強いと分かる人間にも物怖じした事の無かった俊樹であったが、この理事長には気圧されていた。感情の感じられない冷たい目が、俊樹と貢太を交互に見据えている。
「……加藤は、重症を負って病院に運ばれて、君の手先の二人は警察に厄介になっている。まったく、とんでもないことをしでかしてくれた。」
 理事長はそこまで言うと、大きなため息をついた。だが、そのため息は教師が生徒を叱る時に発するものとは明らかに違っていた。まるで、自分の周りをうるさい小虫が飛び回っている時に発するような、そんなため息だった。
 ふいに、理事長室のドアがノックされた。入ってきたのは、貢太と俊樹の母親だった。場違いなまでに厚化粧をしている貢太の母親とは対照的に、俊樹の母親は化粧一つしていなかった。貢太が数年前に会ったときよりもやせ細り、白髪の目立つようになった髪はほとんど手入れされていないのか、ぼさぼさだった。
「……この度は、うちの息子がとんでもないことをしてしまい……申し訳ありませんでした……」
 蚊の泣くような声で俊樹の母親はそう言って、深々と頭を下げた。きっと、こうやって頭を下げるのは今回が初めてではないのだろう。憔悴しきった表情で、ひたすらに頭を下げている。
「う、うちの貢太がクラスメイトを暴行したなんて、何かの間違いじゃ……」
「残念ながら、間違いではありません。」
 そう言ったのは、梶原だった。普段の温和な表情からはかけ離れた、怒りと絶望に満ちた表情で貢太を見つめていた。勿論、貢太にそんな梶原を直視する勇気があるはずもなかった。
「そんな、それじゃ、貢太は、貢太はどうなるんですか……?」
「残念ながら、退学、という処置を取らざるを得ませんな。」
 理事長の言葉に、貢太の母親は相当のショックを受けたようだった。驚きに目を見開いたまま、何も言えずその場に立ち尽くしていた。
 それから、一通り退学についての話や、もし聡子が訴えた場合、警察沙汰になることも説明された。貢太と俊樹はそれを当然の事として受け入れ、ぼんやりと聞いていた。俊樹の母親は、生気の無い表情でその事実をありのまま受け入れているようであった。貢太の母だけが、混乱して事態を受け入れられない様子である。
 説明が終わると、理事長に半ば追い出される形で貢太たちは理事長室を後にした。そして、そのまま帰路についた。

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