2007.11.03.

皮膚の壁
02
一月二十日



■ 2

私は思う。人が人を好きになるのはまるで月蝕の様だと。
好きになる瞬間は、相手の顔・身体のどこか、それも端っこに傷が出来る様なものだと。
その傷を拡げる菌は自分。
傷のどこかに気持が入り込む。
気持はどんどん相手を讃えて行く。
好きでもないものが好きになる。
傷は熱を発しながら、相手を甘い膿で侵食して行くのだ。

真美はさして美人でもない。
細い身体も年齢の恵みだろう。

最初の数日、真美は私の問いに言葉で答えることはなかった。
分かったか分からないかこちらが分からない程の小さな頷きをする程度だった。
返す表情も能面の様に変化がなく、むしろ鬱陶しがる様に映った。
私はそんな真美に一種の挑戦心を抱く様になっていた。
「必ず心を開かせる」と。

真美に微笑みかけた。
真美に励ましの言葉をかけた。
真美の手を取って仕事を教えた。
可能な限りの優しさというものを振りかけた。
しかし真美は凍ったままだった。
私は自信をなくした。
反面私はそんな真美に惹かれて行った。
それは男女の勝ち負けの世界だった。
私は負けていた。
…真美の額の辺りに傷が出来ていた。
私の気持がその傷に食い付いた…

ある日真美の靴が壊れた。
ハイヒールのピンが折れたのだ。
社の女子社員のヒールを借りた。
真美に「履いてごらん?」と渡した。
真美は無表情でヒールを脱ぎ始める。
白いストッキングの中に真美の踵の色、足裏の色、指先の色が透けている。脱ぐ姿のスローモーションの中で、それらが綻ぶ様に目に入って来る…
その薄い桃色からストッキングの白を引く時、真美の素足の色が脳裏を支配した。
健康な赤。力を込める時、黄色掛かる赤。
私は初めて真美に欲情した。
そんなある日、真美は部署を移って行った。
一瞬にして私の前から消えた。

「赤フェチなのかな? …僕は…」
真美が消えて暫く、煙草を吸う度にそう呟く様になった。

「仕方ないんだよ。人員が不足してね、ここは先ず頭数だけでも揃えなければ。」
「しかしあの子には酷ですよ。」
「いや、補充人員が入れば戻すさ。」

真美の社内出向を巡って、上司に私は食い下がった。
それは真美のためを思ってではない。
真美の足の赤への未練だ。
あの赤の正体…その色の正体、触り心地、その匂い、せめて足だけでも味わいたいという未練だけ。

この煙草が真美の踵であり土踏まずであり足指の先であったら…
はしたなくも煙草を吸う度私の股間は熱くなり、冷たい液体を滴らせる様になった。

念というものは通じるのだろうか?
知らず知らず私は、煙草を吸う唇に念を送っていたのかも知れない。
唇はやはり唇を呼ぶのだろうか?
真美と唇を合わせる日は意外にも突然やって来た。
が、そこへ至る過程はなんとも焦れったいじわじわしたものだった。

ある日私はたまらなく真美に電話をしたくなった。
出向して姿を見なくなって一ヶ月が過ぎていた。
お互いの携帯番号は仕事のために初めに教え合っていた。が、プライベートではもちろん、仕事でそれを使うこともそれまでなかった。
初めての電話は、仕事にかこつけたプライベートだった。
私は真美と話すのではなく、話しながら所在無げに動いているであろう真美の足と話したかったのだ。
正確に言えば、所在無げに動く真美の足の力の具合によって現れる赤や黄色の皮膚の色だ。そしてストッキングの中の体温と蒸れ具合とその香り…
行動を起こす前に私はもう真美の一部分に飲まれていた。飲まれる感覚…それは一部分がどんどん細微化して行く感覚だった。
足は足先になり、指になり、指紋になり、指紋の間の細かなゴミになりという風に。
まずその足から入り、腿に行き、腹に行き、胸に行き…と、勝手に想像が先走っていた。

思い切って真美の番号をダイヤルした。
「はい…」
無表情な真美の声がした。
「あ…いや…どう?」
仕事はどうだい? って気楽に聞くつもりが、ずいぶん暗く篭った話し方になってしまった。
「何がですか?」
真美の声は冷たく鬱陶し気だった。
微かに心の中で敗北感を感じた。しかしなんというのだろうか? それが妙に心地良かった。

「いや…ちょっと心配だったから…慣れた?」
「はい…まぁ、なんとか。」
「…なんか聞きたいこととかある?」
「いえ…ありませんけど。」
垂直の石垣を登る様な険しい会話だった。
でも私は少しでも引き伸ばそうとしていた。この際、良い様に思われようとか賢く見られようとかいう、真美に対した初めの頃抱いたプライドの様なものは、一切無かった。
とにかく真美の口許が綾なす音を一つでも多く耳に入れたかった。
「あの…何かご用でもあるんですか?」
真美から聞かれハッとすると同時に嬉しかった。
真美から口を開いたのはこれが初めてだったから。
「いや、別にないよ。ただ、ちょっとね、気になってただけだから、これで気が済んだ。よかったよかった。」
「…」
「あ、もう切るね。ごめんね、急に。」
「あ、いいえ、ありがとうございます。」
「じゃ…」
胸が高鳴っていた。
真美の足どころではなかった。
しかしこの時初めて思った。
声…声って重さがあるし形があるんだと。
そして胸を突き刺す鋭角も持っていると。
実は後日真美も私に言った。
「あなたのね…声が…くすぐるの…どうしようもなくね…こそばゆいの…むずむずするの…聞きたいな…また電話欲しいな…ううん…電話したいな…」
まさか真美からこんな言葉を聞くとは、この時は微塵も思わなかった。



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