■ AM8:40 登校
AM8:40 登校
「くぅ〜〜! 間に合わないよ〜!!」
光梨の漕ぐ自転車は学校に向かう坂道を疾走していた。華奢な身体をしていても、陸上部で長距離の選手をしている光梨の脚は下手な男子生徒よりも力強い。
「あと3分っ!!」
しかしながら…いくら光梨の脚力が優れていてもスタートが遅れたのでは仕方が無い。結局いつもと同じ時間に家を出た光梨は”いつものように”遅刻確定ペースなのであった。
遅刻者は生徒指導に注意を受け、厳重注意を言い渡されるのだが…今年の4月からは少々事情が変わった。それと言うのも生徒指導の担当になったのが陸上部の顧問・宇藤恭子であるがために光梨達、陸上部の生徒が遅刻をすると放課後の特訓メニューが追加されるようになってしまったのだ。
「も…もうちょっと!」
駿介に取り付けた約束を反故にしないためにも光梨は特訓を逃れて早く帰宅したかった。駿介のことだから待っていてはくれるだろうが…少しでも早く帰って小綺麗にしておきたい…光梨に自覚は無いが、その辺りが彼女の可愛いところだ。
「残念! 藤森さん! アウト!」
ガラガラガラガラ……
光梨が額に汗を光らせて校門の前に到達した瞬間、非情な音が響いた。風紀委員の喜多川が門を閉めてしまったのである。
「ええ〜〜?! 喜多川君、許してよ〜〜!」
自転車を降りた光梨は門の傍で遅刻者リストを開ける喜多川に近寄った。喜多川は光梨に背を向けて何やらリストに書き込んでいる。
「ダ〜メ! 遅刻は遅刻!」
門越しにリストを奪い取ろうとする光梨の手を振り払って喜多川は再び書き込みを始める。遅刻常習者の光梨にとって喜多川との毎朝の会話は習慣のようなものだ。が、今日だけはどうしても遅刻を許してもらわなければ…。
「今日は大事な日なの! どうしても早く帰んなくちゃいけないのよ〜!」
「ダ〜メ! 諦めて宇藤先生の特訓を受けるんだね。」
喜多川は愉快そうに笑いながら書き終えたリストを閉じた。
今日で4日連続の遅刻だ。明日は金曜日だから週明けからずっとという事になる。宇藤の説教は簡単には済みそうに無い。光梨は息を弾ませながら懸命に現状打破の方法を考えた。どうしたら喜多川は……
「ね? ね? 喜多川君! お昼ご飯奢るからさ?」
「ざ〜んねん。今日は俺、弁当なの。」
喜多川は腕を組んでクスクス笑っている。彼としても光梨との毎朝の会話は貴重な時間なのである。学校でも1,2を争う程人気のある可愛い同級生と話をする良いチャンス、増してや彼女に好意を持つ身としてはずっと話していたいというのが本当のところだ。
「じゃ…じゃあさ、帰りにジュース奢るよ。」
「俺、今日は部活休みだもん。藤森さんが帰るまで待ってられないよ。」
本音を言えば夜が明けるまででも待っていたいのだが……光梨が困る様子を見て喜多川はソッポを向く。
「じゃ…じゃあ……ん〜……」
光梨が門にしがみついたまま頻りに首を捻る。喜多川は少々優越感を覚えていた。光梨が自分を篭絡するために頭を捻っている。少々意地悪をしてやりたい気分になってしまうのは男の性だろうか。
「そろそろ職員室に行かなきゃ。じゃあね、藤森さん。」
喜多川はそう言うと門から離れるフリをした。焦った光梨は咄嗟に可愛い唇を突き出して叫ぶ。
「あっ! そうだ! キスっ! キスしてあげるっ!」
喜多川が自分に好意を持っている事は知っている。勢いで言ってしまったものの、この状況を変えるには仕方が無い。光梨は顎を少し浮かせて唇をすぼめ、目を閉じて見せた。
「……どうしようかな……」
喜多川は立ち止まると光梨の方に振り向いた。今すぐに奪ってしまいたい程魅力的な唇が目の前で光っているのだが……。
「やっぱり……」
喜多川はもう一度光梨に背を向けた。もしかしたら、もう少し良い目にあえるかも知れないという期待が意地悪く微笑む瞳に見え隠れする。
光梨は焦った。もう背に腹は代えられない。駿介との淫靡な逢瀬のためには何としても喜多川を説得しなければいけない。
「そ…そうだ、昼休みに体育館に来て! もっとイイことしてあげるからぁ!」
喜多川は光梨に背を向けたままニヤリと笑った。それから興味の無いような顔をして再び光梨の方を見る。
「本当に?」
「ホントホント! だから遅刻は無かった事にしてよ!」
喜多川はそれ以上何も言わずに静かに門を押した。自転車が入れる程度の隙間を開けて光梨を迎え入れるとリストを開いて何やら消しゴムで消し始めた。
「喜多川君、ありがとっ!」
光梨はそう言うと、喜多川の頬にチュッと軽く唇を触れさせ、校舎に向かって走っていった。
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