2008.10.16.

鬼の飼い方
03
鬼畜ヒスイ



■ 檻ノ壱・首輪をつけよう1

 翌日、目を覚ましたのは午前九時。
 微かな肌寒さに毛布を羽織ったまま起き上がり、ベッドの上を見る。そこには、昨夜のことが幻であったかのようにあるべき姿はない。
 ただ、彼女――クイナとの邂逅を示すように二つのカップ麺が覚めたスープを残して置かれていた。
「出て行ったのか……。ちゃんと家に帰ったのかねぇ」
 寝癖の付いた髪を掻き乱し、ノッソリと立ち上がって洗面所へ向かう。
 顔を洗って歯を磨き、一度欠伸を噛み締めれば朝の目覚めは終了。
 朝食は、食パンをトーストしたものにバターを塗り、インスタント珈琲を用意すれば十分だ。もう少しまともな朝食を作りたいところだが、この借家には肝心な台所というものがない。正しくは、無くなった。
 まあ、最近は電気だけでお湯を沸かしたりできるので困りはしない。ちなみに、台所があった場所はこの部屋の直ぐ後ろ、ベッド際の壁の向こうである。
「さて、今日はどうしようかね」
 テレビで天気の確認をしつつ、特にこれといってない予定を空想し始めた。
 昨日の二の舞にならぬよう、もう少し体を動かしに外へ出るのも良し。そろそろ買い溜めしてあった食料も底を尽き掛けているので、近所のコンビニに出かけるか。
 と諸々を考えてみて、軽く着替えを済ませる。ワッチ帽に革ジャン、ジーパンという相変わらずの格好だが。
 今日の予定で決まったのは、とりあえずレンタル期間が終わったビデオを返しに行くことと、適当に新しいビデオを見繕ってくることだった。
 決まれば尚のこと、愛車のDIOちゃんに跨って走り出す。
「盗んだバイクで走り出す、行く先も、分からぬまま〜略、十五の夜〜」
 などと口ずさむ懐かしい音程の外れた歌声が、通り過ぎる人々を少なからず振り向かせる。

 新宿までとはいかないが、俺がたどり着いたのはそれなりに人で混み合う街中。目的のレンタルビデオ屋は街の入り口近くにあり、ビデオだけではなくCDなども置いてある。DVDプレイヤーのない俺は、もっぱらビデオを借りることの方が多い。CDも、使い古しのミニコンポでたまに聴くぐらいか。
 それからビデオを選ぶこと小一時間。気付けば、選び終えた頃には腹の虫が騒ぎ始めていた。
「ありゃ、もう十二時前ですか。う〜ん、最近は新しいビデオが出るのも早くなったものだね。目移りしちゃうよ」
 独り言などを言いながら、店を出る俺。
 どこかで空腹を満たそうかと思えば、近くにあるのはMがトレードマークのファーストフード店だけ。
「十分か……最近、まともな飯も食ってないな」
 健康のことなんか最近になって考え始めた。数年前までは、食べることは考えずに済んだというのに。
 フッと脳裏に過ぎる誰かの姿を、俺は頭から振り払う。
「今更、何だって言うんだよ。俺を理解できもしないのに、俺に言い寄ったあいつのことなんか……クソッ」
 腹の虫が空腹の相乗効果で暴徒となりかける。
 俺は原付を走らせ、近くのファーストフード店へと赴く。昼を前にした店内は多少なりとも混み合っており、十数分ほど並んでようやく注文を受け取れた。
 コーラとポテト、エビのフライを挟んだハンバーガ。普段からスポーツをしない俺なら、それだけで十分に空腹を満たせる。それらを持って、俺は店を出る。
 店内で食べるという選択肢があったにも関わらず、なぜか俺はテイクアウトを選んだ。最近の俺は、どうも理性では説明の出来ない気紛れを信じるらしい。そして、その気紛れが面白い方向へ流れるのだ。
 そう、今回のように。
「それでさ、ババアがなんて言ったと思う? 勉強はしてる? だって、ホント鬱陶しいよねぇ〜」
 どこからか聞こえてくる聞き覚えのある声に、原付に腰掛けながら租借していたハンバーガーへ向いていた視線が、自然と持ち上がった。
 そこには、水鳥水鶏なる少女が、数人の女子高生と一緒に歩いていた。時間にしてみればまだ学校がある時間だから、サボタージュということか。他の同じ制服を来た女子高生達は、親しそうな話方からしばしばつるむ仲のようだ。話題は、歳相応の高校生に多い両親への不満不平。
 クイナがどうして、昨夜家出をしたのか納得がゆく。
 声をかけるかどうか迷っていると、不意に両者の視線がぶつかってしまう。俺は久しそうに手を上げてみるが、クイナは驚いたように視線を外した。
 感づかれないようにしたのだろうけど、友人はあざとくクイナの焦りに気付いた。
「なになにぃ〜。知り合い? へぇ、鬼のクイナにも男の知り合いがいたんだ。ちょっと、紹介しなさいよ」
「るせぇッ! 知らない奴だよ。ちょっと目が合ったぐらいで、調子に乗るなつーの!」
 クイナが怒鳴って友人を黙らせる。顔を赤くしているのが、友人にもバレバレである。
 どうやら、『鬼』と形容したのは正解だったらしい。そして、恥ずかしいと粗暴な口調になる辺りは興味深い。
 外では他人――元から赤の他人だが――ということのようなので、俺は視線を外して再びハンバーガーを噛み千切る。
 昼食をとり終えた俺は、今日以降の食料を買出してしばらく時間を潰してから借家に戻った。クイナを追いかける必要はない。
 既に、彼女の首には首輪が巻かれているのだから。



 どこかを思い出してしまいそうな、六畳ほどの個室に少女は居た。
 色とりどりのライトが周囲を照らす、ガンガンと歌声の喧しい小部屋。いまやどこにでもある、カラオケボックスと呼ばれる歌を歌う空間。誰にも邪魔されず、鬱憤のままに声を張り上げることに適していた。
 無論、そんなことを説明しなくても誰もがわかっていること。
 そこで、水鳥水鶏は『コ』の字に置かれたソファーの縦線部分に座って物思いに耽る。よくつるむ友人の誰かが歌っているが、歌声はほとんど聞こえていない。
 頭を満たすのは、昨夜のあの男。確か、綱吉といったか。
 昔の武将みたいな名前をしているくせに、大して威厳もないヘタレ男だ。だからと言って、無理やりというのも気分が悪い。だからこそ、免許書を拾ってやっただけで寝泊りさせてくれたのが、余計に気分が悪かった。
 偶然、ナンパ男をぶちのめしたところを見られ、訳の分からない会話をした後に免許書を届けた。ただそれだけ、社会的にも赤の他人としか言いようのない関係なのに、どうしてあれほどまでに安心できたのだろう。
 あの男と居ると、なぜか心が安らいだ。全く別の、それでも同じ自分と一緒に居るような、心地よさ。
 もしかしたら、自分を理解してくれるのではないか、という希望的観測。
「ロンリ×ロンリ君だけの、オリジナル・ラブを貫いてぇ〜」
 友人が歌い終え、ほとんど間も空けずに次の歌が始まる。
 ここへ着てから一度も歌っていない。
 両親と喧嘩した後は、必ずと言って良いほど鬱憤晴らしにやってくる場所なのに、今日はそんな気分になれない。昼に、あの男を見つけるまでは、確かにムシャクシャしていた。それが今では、あの男のことで頭がいっぱいになっている。
「ねぇ、クイナァ〜。どうしたのよ、今日は全然走ってないじゃん。いつもは気丈な鬼のクイナが、どうしたって言うのよ?」
 自分の様子に気付いた友人が、頬を突っつきながら問いかけてくる。
 怒ることを期待しているのなら、諦めたほうがいい。自分は、彼女達が知るような人間ではないのだから。
 やはり、無理にでも隠れて彼女達の家に泊めて貰うべきだったか。そうすれば、理由も分からないことでムシャクシャする必要はなかっただろう。これまでは、両親のどちらかと喧嘩する度に泊まり歩いていたが、最近ではそれも出来なくなった。
 普通なら、隠れて泊まっているのがバレても、高校生にもなれば寛容に許可される。だが、クイナにはそれが許されない。
 クイナが通う学校の周辺では、『鬼の水鶏』という異名は有名だ。友人達の両親にその異名が届いているかは知らないが、学校での振舞いは知っているだろう。
 最初は、両親との喧嘩で苛立っていた所為で、それを知らずチョッカイをかけてきたクラスメイトの鼻頭を圧し折った。それからも、両親と喧嘩をする毎に誰かと喧嘩をして、男相手にさえ負けを知らなかったぐらいだ。故に付いた異名が『鬼の水鶏』である。
 皮肉なものだ。
 血で血を洗うように、鬱憤の当たり所を探しては鬱憤を溜める。いっそのこと、私を縛り付けて閉じ込めておいて欲しい。そうすれば、また誰かを傷つけずに済む。
(縛り付けて……ッ)
 身動きが取れず、どこかに監禁される自分を想像して、頭に血が上る。
 そう言えば、どうしてあの男は寝ている自分を襲ったりしなかったのか。別に護身用の武器を持っているわけでもなく、無防備に寝ていただけなのに。
 男が襲いたくないと思うほど、魅力がないということか。それとも、鼻を圧し折られるのが怖くて倦厭したのか。どちらにせよ、ヘタレ男だったということだ。

「おうおう、クイナ様は欲求不満ですか? 男のことで大好きな歌も歌えませんってか」
 友人は冗談めかしたつもりなのだろうが、頭の中を読んだかのように的確な嫌味を言ってくる。
 そもそも、欲求不満になるような経験などしたことはない。生まれてから十七、八年、男のことなど知らずに育ってきた。それなりに性への興味はあったものの、行為に移るほどでもない。高校に上がってからはこんな性格なってしまったが故に、近づいてくる男は人の心も理解しようとしないチャラ付いた奴ばかり。
 だから、特定の男に恋焦がれるなんてことは一度もなかった。
「ごめん、用事思い出したから今日は帰るわ」
 クイナは、それだけを言い残してカラオケボックスを出る。飛び出すように、友人達の制止を聞くよりも早く、夕暮れの街を駆け抜ける。
 駅のホームを出発しようとする電車にギリギリで飛び乗り、郊外へ向かう。電車を降りると、仕切り無く急かす気持ちを抑えながら早足で改札を潜る。その後は思いのままに全力疾走した。
 振り乱す髪が、汗で額に引っ付く。そんなこと気にせず、クイナは走った。既に釣瓶落としの夕日が地平線に消え、闇が少女を覆い尽くす。
 そして、たどり着いたのは、あの男――犬養綱吉の家の前。
 スクーターが止まっているので、綱吉は家に戻っているはずだ。クイナは、他人の家であるにも関わらず呼び鈴も鳴らさずにドアを開けた。
「ぅん? なに、また来たの?」
 まるで、昨日とは真逆のように綱吉がポテトチップスを咥えて玄関を除く。
「……ハァ、ハァ。ねぇ、私って、そんなに魅力ない?」
 息を切らせて走ってきたのに、最初に口から出たのはその台詞だった。



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