2010.08.25.

隷属姉妹
002
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■ 第1章 悪夢の始まり1

 槇村恵美(まきむら めぐみ)は、その連絡を勤務先の病院で受けた。
 連絡して来たのは、警察官を名乗り[身元を確認して欲しい]と事務的な声で、病院名を告げた。
 恵美には何の事だか、全く理解出来なかった。
 その連絡を受けたのは、朝の5時である。
 2週間前新卒で入ったばかりの病院で、初めての夜勤を緊張しながら、終えようとした時である。
「槇村さん、どこからの電話なの?勤務中の私用電話は、原則禁止よ」
 強い口調で婦長が恵美を注意する。

 だが、婦長は恵美の顔を見て驚き
「あ、貴女どうしたの…、その顔…」
 思わず問い掛けた。
「あはっ…、婦長さん…変な事言うんです…。この電話の人…。父さんと母さんが、事故を起こしたって…。だって、今は旅行中だし…こんな時間に、車に乗ってる筈…無いのに…」
 恵美は、血の気が引いた真っ青な顔で、笑いながら涙を流して婦長に答える。
 婦長は愕然としながら、恵美の持つ受話器に注意を向けると[もしもし、もしも〜し…]と微かに男の声が漏れていた。

 婦長は直ぐに恵美から受話器を奪い
「もしもし?あ、あの槇村さんは動揺して…、は、はい…はい…分かりました。はい…直ぐに…」
 詳細を聞き、メモを取る。
 受話器を置いた婦長は、涙を流しながら放心する恵美の頬を平手で張り
「しっかりなさい、貴女ナースでしょ!どんな時でも冷静で居なきゃ駄目じゃない。仕事は良いわ、早く着替えてここに行きなさい!」
 肩を掴んで、揺さぶりメモ用紙を手渡した。
 恵美は婦長の気付けで我を取り戻した。
「は、はい。すみません。ありがとうございます」
 恵美は婦長に深々と頭を下げ、ナースセンターを飛び出した。

 着替えを済ませた恵美は、婦長が呼んでくれたタクシーに飛び乗りメモを渡した。
 タクシーは事情を聞いていたのか、タイヤを軋ませ指定された病院に急いだ。
 恵美が病院に着くと、制服を着た警察官が
「槇村さんですか?」
 問い掛けながら近寄って来る。
 恵美が頷くと、警察官が踵を返し
「こちらです」
 と言いながら待合室に連れて行く。
 恵美はてっきり処置室か病室、悪くてもICUに案内されるのだろうと思っていたので、首を傾げて訝しんだ。

 待合室には、一人のくたびれたスーツを着た中年男性が椅子に腰を掛けて居るだけだった。
「間刑事、家族の方です」
 警察官が男に声を掛けると、男は立ち上がりA4サイズの茶封筒を片手に近付いて来る。
「あの〜、遺留品を確認して頂きたいんですが…」
 そう言いながら、ナイロン袋に入った男物と女物の腕時計を恵美に見せた。
 差し出された時計は、くすんでボロボロに成っていた。
 ガラスは砕けて粉々になり、中の文字盤は真っ黒に焦げている。
 とてもでは無いが、腕時計の原型を判別する事は、出来無いと思えた。

 震える手で恵美がその時計を手に取り
「は…い…、両親の物です…」
 囁くように答えた。
 それは、間違う事無く恵美の両親の物だった。
 今年の結婚記念日に、恵美達姉妹でお金を出し合い、両親に送った物だったのだ。
 時計の裏に刻んだ結婚記念日の日付と両親の名前が[間違い無い]と物語っていた。

 恵美の身体が、ガクガクと震える。
 間は、封筒に時計を戻すと
「遺体は損傷が激しく、判別が出来無い状態なんで…。唯一判別出来そうな物が、これだけだったんですよ」
 頭を掻きながら、済まなさそうに説明した。
(遺体…?、損傷…?。何が有ったの…父さん、母さん…)
 呆然とする恵美に
「交差点でね…信号を無視したご両親がトラックと衝突して、角のパチンコ屋に突っ込んだんですよ。で、ガソリンに引火して、爆発を起こした。悪い事に夜間は人通りが少ない道で、発見が遅れましてね。消防が駆けつけ鎮火させて、初めて車から出せたんですよ」
 間が説明した。

 間の説明を聞いた恵美の膝から、カクンと力が抜け、待合室の床にへたり込む。
 間は、溜め息を一つ吐くと、恵美の前に頭を掻きながらしゃがみ込み
「目撃者も無く、相手側の証言のみですが、事故の状況から言って、過失はかなりの割合でご両親の方に有ったようです…。まぁ、こう言う事は警察官として言う事じゃ無いんですが、これから起きる事にも、気をしっかり持って下さいね…」
 そう言いながら立ち上がり、警察官に合図をして、病院を出て行った。

 警察官は間に敬礼をして見送ると、途端に態度を変え
「え〜と、この書類の此処と此処にサインして、此処に印鑑を押して。無ければ拇印でも良いや、え〜っと右手の人差し指で、ああ、そう、そう言う感じ…。で、遺体の引き取りなんかは、病院と話して決めて。あ、遺留品は手続きが終わったら連絡するから取りに来て」
 事務的な口調で、ぞんざいに言い放ち
「あ、そうそう、遺体は霊安室に置いて有る筈だから、ナースにでも聞いて。多分、下だと思うわ」
 床を指差しながら、書類に不備が無いかチェックする。
 遺族を前にあるまじき言動だが、警察官は悪びれる風も無く書類のチェックを終えると
「じゃ、本官は書類提出が有りますので、これで…」
 恵美に目も呉れず、踵を返して出口に向かう。
 警察官は出口を潜る前に大きな背伸びを一つした。

◆◆◆◆◆

 ポツンと一人待合室の床で呆然とする恵美。
 その恵美に、一人の白衣を着た男が近付き
「あ〜っと…、槇村さんですか?」
 と声を掛けて来た。
 恵美が男の方に向き直ると、男は欠伸を噛み殺し
「遺体の件何だけど、早めに引き取って貰える?心辺りが無いなら、知り合いの業者を紹介するよ?」
 面倒臭そうな声で、恵美に告げる。
 その医師の態度にも、さっきの警察官の態度にも、へたり込んでる自分自身にも、恵美は無性に腹が立って来た。
「両親の遺体は何処!今すぐ会わせて!」
 恵美は立ち上がり、医師に向かって怒鳴った。

 医師は恵美の剣幕に、一瞬面食らったが、直ぐに唇の端を歪めて
「止めた方が良いよ。あの手の死体は、素人には刺激が強すぎる…」
 見下したように、恵美に告げた。
「大丈夫よ!私はナースで、素人なんかじゃ無いわ!」
 恵美は医師にまくし立てる。
 医師は完全に馬鹿にした目で恵美を見て
「ふ〜ん…ナースなんだ…。まぁ、一応俺は止めたよ、後で文句は受け付け無いからね〜」
 嫌味タップリに告げると、クルリと背を向け歩き始めた。
 恵美は距離を置いて、医師の後ろに続き階段を下りて行った。

 地下の廊下は常夜灯だけが灯り、薄暗い。
 その廊下を突き当たり目指して、医師は真っ直ぐ歩いて行く。
 医師の背を頼りに恵美が進むと、男は突き当たりの扉を開けて中に入る。
 医師が消えたのを見て、恵美が慌て駆け出すと、暗かった扉の奥から明かりが漏れ、その明かりがスッと消える。
 恵美は扉のノブに手を掛けて手前に引くと、医師はストレッチャーの上に腰を掛け、ニヤニヤと笑っている。
 医師の尻の直ぐ横には、白いシーツを掛けられた何かが有った。
 恵美はギクリと顔をひきつらせ、入り口付近で立ち止まる。

 ストレッチャーの上に有った物は、自分の記憶に有る、どんな遺体ともその形状が違う事が、シーツ越しにも分かったからだ。
 医師は薄ら笑いを強め
「さて、父親、母親、どっちかな…?」
 ストレッチャーから立ち上がりながら、シーツを勢い良く捲る。
 恵美はそれを見て、初めて後悔した。
 ハンサムで慌てん棒の父親とも、美しく優しい母親とも違う、その遺体を見て愕然とした。
 医師が示した遺体は、誰なのか全く分からなかった。
 その形は椅子に腰掛けた状態で硬直し、全身は完全に焼けて半分以上が炭化し、人の形をした消し炭その物だった。

 医師はもう一つのシーツも剥ぎ取ると、全く同じ状態の遺体が現れる。
「この2人、即死じゃ無かったみたいだぜ。肺の中も、綺麗に黒こげだったからな」
 医師は嘲笑うように恵美に教えた。
 恵美はその医師の言葉を聞き[うっ]っと両手を口に宛てる。
 それは無理も無い反応だった。
 いくら、看護師と言えど、恵美はまだ20歳に成ったばかりで、准看の資格も取ったばかりの新米だ、此処まで損傷の激しい遺体を見るのも初めてだった。
 だが、恵美は気丈にも、口の中に溢れた吐瀉物を飲み込んだ。

 ハアハアと荒い息を吐きながら、キッと強い視線を向け、両親の遺体に近付く。
 その時医師は、チッと舌打ちをした事に、恵美は気が付かない。
 医師は素早く恵美の背後に回り、恵美の身体を抱き止めた。
(何て女だ…、絶対打ちのめされて、泣き崩れると思ったのに…、このままじゃ、やべぇ!また、親父に怒鳴られる)
 医師は焦って恵美を取り押さえる。
 恵美は突然押さえ込まれ、驚きながらももがく。

 医師の手が、恵美の身体に触れ、大きく見開かれた。
(うぉっ!何だこの女の胸…凄い張りだ…、腰も細いし…スタイル抜群じゃねぇかよ。良く見りゃ顔もかなりのモンだ)
 医師は馬乗りに成って、恵美の事をしげしげと見詰める。
 その時、入り口の扉が開き
「此処で何をしてるんです!此処は部外者の立ち入りが禁止されてる場所ですよ!」
 鋭い女の声が響きわたった。
 2人はその声でビクリと震え、声の主を見る。
 そこには30代半ばと思しい冷たい雰囲気の看護師が、腕組みをして仁王立で2人を睨み付けていた。

 看護師の帽子には、黒い縦線が2本入っている。
 医師はその看護師を見て、あたふたと立ち上がり
「あ、いや、婦長…。遺族の人が、引き取りにいらして…」
 医師は慌てて、看護師に言い訳をする。
「医師、ここに運ばれるご遺体は、遺族の方にもお見せしてはいけない規則ですよ。先ず然るべき処置をしてから、ご遺族の方にご面会頂く決まりをお忘れですか?」
 看護師は、取り付く島も無い調子で、医師を問い質す。

 医師はうなだれながら
「面目無い…」
 看護師に頭を下げた。
 恵美は看護師の迫力に圧され、言葉の一つも出ない。
「誠に申し訳御座いません。どうか一旦当院の処置にお任せ下さい。処置が済み次第、こちらからご連絡致します」
 深々と頭を下げた看護師の態度は折り目正しい物だった。
 そして、それには有無を言わせぬ圧力も備わっていた。
 恵美は看護師に押し切られ、遺体が安置している部屋から出た。

 恵美が出て扉が閉まったのを確認した看護師は
「坊ちゃん、ダメじゃ無いですか〜、ここに部外者を入れちゃ…。遺族の許可無しに解剖したのが、バレちゃうでしょ。それにこんな所で押し倒す何て…また、訴えられますよ」
 看護師は態度と口調をガラリと変え、医師にしなだれ掛かった。
「妙さん頼むよ…。親父には内緒にしててくれよ〜。また、怒鳴られる〜」
 医師は看護師に手を合わせて拝み始めるが
「ダ〜メ、医院長からきつ〜く言われてます。[トラブルのタネは、直ぐに報告しろ]って。私が怒られるんですからね〜」
 看護師はクルリと身体を回転させ、シナを作ってソッポを向いた。
「あ〜あ…あの女が[ナース]だなんて言わなきゃこんな事に成らなかったのに…」
 医師が小声でボヤくと、看護師の眉がビクリと跳ねる。
「か、看護師…、あの子が?坊ちゃん…迂闊な事言って無いでしょうね…。相手は、同業者よ!」
 看護師は、途端に鋭い口調で問い詰める。

 医師は頬をひきつらせ、記憶を弄りハッと気付く
「あっ…、死因言っちゃった…」
 ボソッと白状する。
 看護師は右手で顔を押さえながら
「あちゃー、早急に手を打たなきゃね…。取り敢えず、医院長に報告して、指示を仰がなきゃ…」
 看護師は腕組みして、美貌を歪めて考え込んだ。



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