いえない言葉を君に捧げよう
「……あ、皆守クン」
 教室に皆守が残っているのを見つけ、八千穂はたたっと小走りに歩み寄って声をかけた。
「どうしたの? 式、もうすぐ始まっちゃうよ」
「……そういうお前はなにしてるんだ」
「えへへッ、実はちょっと教室に忘れ物しちゃって」
「卒業式に忘れ物か? 最後の最後まで粗忽な奴だな」
「んもうッ、皆守クンも最後の最後まで意地悪なんだからッ!」
 頬を膨らませつつも、八千穂は自分の机の前に近づく。皆守は窓際に立っていたが、視線を窓の外から八千穂へと移した。
 八千穂は机の中に手を入れて、中を探る。中はほとんど空っぽだったが、予想通り奥の方にいくぶん温かみのある感触があった。
「えへへッ、あったあった」
「……なんだそりゃ。手帳か?」
「寄せ書き帳だよッ! 卒業式が終わったあとにみんなに書いてもらうんだッ、えへへッ」
「……相変わらず単純な女だな。そんなことでよくまぁそんなに楽しそうにできるもんだ」
「いいじゃない、本当に楽しいんだもん。……もうみんなが集まることなんてないと思うから、ちゃんと思い出作っとかなきゃ」
 元気にしなきゃ、と思いながらも少し潤む声。皆守はいつも通りの無愛想な顔で肩をすくめた。
「別に、これで終わりってわけじゃないだろう。会おうと思えばまた会えるんじゃないのか」
「………………」
 八千穂は思わず、目を見張った。
「……なんだよ」
「皆守クン……前向きになったね……!」
 嬉しさのあまり涙ぐみながら言うと、皆守は怒りにか羞恥にか、顔を赤くしつつ怒鳴る。
「なに言ってんだお前は! 人を幼稚園児みたいに言うなッ!」
「だってー、皆守クン、あたしと初めてあった時と比べたらすっごい前向きになったよ? 以前ならアロマスパーって吹かして『馬鹿馬鹿しい』で終わりだったもん」
「…………」
 皆守はじっと八千穂を見つめて、肩をすくめた。
「そうだな。俺は、変わったと思う」
「……うん、そうだね。あたしも変わったけど、皆守クンは特に、すごく変わったと思うよ。前向きになったし、優しさがちょっと、わかりやすくなった」
「…………」
 昔を思い出しながら八千穂が語るように言うと、皆守は無言でじっと八千穂を見つめる。
「やっぱりそれって、九チャンがこの学園にやってきて、学園に……なんていうんだろ、新しい風を吹き込んでくれたからだよね。生徒会執行部や、役員のみんなの心を、どんどん救っていってさ。すごいなぁって思うよ」
「…………」
「たった半年だけど、しかもそのうち二ヶ月は九チャンどっか行ってたけど、九チャンと一緒に過ごせてよかったって、今でもすごく思う。あんなすごい体験なんて、普通に暮らしてたら絶対できないしね」
「…………」
「皆守クンも……九チャンと会えて、よかったって思うでしょ?」
「……さァな」
 皆守はまた肩をすくめると、視線を窓の外へと戻した。教室の窓から見えるのは校庭ぐらいのものだ。なにをそんなに見つめるものがあるのだろうか。
 八千穂は笑顔でぐいぐいと皆守を引っ張った。
「皆守クン、早く礼拝堂行こうよ。卒業式始まっちゃう」
 天香学園の式典はたいてい礼拝堂で行われる。立ち込める神聖な空気は、あまり親しみがない分厳粛な気持ちにさせられるので八千穂は好きだった。
 が、皆守は動かず――顔を八千穂の方に向けた。
「八千穂」
「……なに?」
 皆守の表情はいつも通りの、ぶっきらぼうで無愛想なものだ。
 けれど、初めて会った時とは。あの九月の屋上で、九龍を案内していた自分たちに声をかけてきた時とは、明らかに違う真剣味がある。
 八千穂は思わず姿勢を正した。皆守が珍しく、真剣なことを言おうとしている。
「俺は――ずっと死に場所を探していた」
「…………」
 知っている。あの時、最後の戦いの時、九龍と一緒にいたのは皆守と自分だから。
 皆守が最後の最後で、自分たちを置いて一人死んでいこうとしたことも知っている。
 さんざん泣いて、怒って、喚いて。でも夜が明けたらまた九龍と、皆守に会えた。
 だから、それでいい。それでいいのに。
「あの女教師に目の前で、勝手に死なれてからずっと――俺は死にたかった。楽になりたかった。心が乾ききって、息苦しくてたまらなかったのさ。想い出の――罪の重さに耐えかねていたんだ」
「……皆守クン」
「それを九龍に――救われた。あいつの破天荒な明るさと、ガキのように純粋なくせに現実に負けていない情熱と、そのくせ妙なところで頼りないところに俺は揺り動かされ、巻き込まれ――大切だと思うようになっていったんだ」
「うん……」
 知っている。九龍は生徒会のみんなを、学園を、この世界を救ってくれた。
 それを成し遂げたのは九龍の子供っぽいほどひたむきな、遺跡と仲間たちへの情熱だということも知っている。
 だから――自分は、ずっと。
「だが、八千穂。それは九龍だけの力じゃない」
「―――え?」
「あいつはけして、ただ強いだけの人間じゃない。心の中に孤独を抱え、ずっとそれと戦っている。だからこそ人を救うことができたというのも確かにあるだろう、だが――あいつの心を支え、力を注ぎ、幸せで満たしたのには、お前の力も確かにある、と俺は思う」
「みな……」
「俺が、生徒会のやつらが救われた要因には、お前の力もある――俺は、そう思ってる」
「………ッ!」
 八千穂はぶわ、と目から涙を流した。皆守が仰天した顔になってしばし慌てて周囲を見回し、それから困り果てた顔をしてハンカチを突き出した。
「なんで泣くんだ、お前は……」
「だって……だっ、てッ……!」
 八千穂は次から次へと流れる涙を必死にハンカチに吸わせた。たまらなかった。泣けて泣けてしょうがなかった。
「皆守クンッ、なんで、そういうこと、言うの?」
「なんでって……」
「あたし、皆守クンが、そんな優しいこと、言ってくれっこないって、思ってたんだよ? なのに、そんな、そんなこと言われたら……ッ」
「……なんだよ」
「まるで、これで最後みたいじゃない……ッ!」
 お願いだからそんなこといわないで。
 いつも通りに仏頂面で意地悪を言っていて。また会えるのだと錯覚でも思わせていて。
 もう二度と会えないんじゃないかなんて、お願いだから思わせないで。
 ――そう心の中で叫びながら言った言葉に――
 皆守は、あんぐりと口を開けた。
「……ッ、皆守クン?」
「なにを、言ってるんだお前……?」
「え……だって、皆守クン……どっか行っちゃうんじゃないの?」
 八千穂は、ずっとそれが怖かった。
 九龍はまた会えると笑ってくれたし、八千穂自身それを信じられる。だけど、皆守は。
 ずっと不安だった。九龍がいなくなったら、同じように自分の前からも姿を消してしまうのではないかと。
 ぽつぽつとそんなことを言うと、皆守はすさまじく嫌そうな顔をして肩をすくめた。
「そういう、まるで俺が生きている理由が九龍しかないみたいな言い方はよせ」
「……そうなんじゃないの?」
「違うッ!」
 絶叫されて、八千穂はきょとんとした。
「じゃあ……なんでここにいてくれるの?」
 皆守はまたすさまじく嫌そうな顔をして、気が進まなそうにぼそぼそと言った。
「いろいろだ。……阿門にも借りを返さなきゃならんし、今まで犯した罪の償いも必要だし……それに……」
「それに?」
「……黙って姿を消したらお前が泣き喚きそうで考えただけでうるさいからな」
 八千穂は一瞬ぽかんと口を開け――それからどんっ、と皆守に体当たりした。
「ッ! おま――」
 皆守の、おそらくは文句を言おうと開いた口は途中で固まった。自分が泣いているせいだろうか。それとも皆守の背中に腕を回して抱きついているせいだろうか。
 どちらでもいい。全然違う理由でもいい。今皆守は自分がここに、皆守のそばにいることを許してくれる。それだけでいい。
 だって、皆守はここにいるのは八千穂のせいもあるのだ、とわかりにくい言い方で言ってくれたのだから。
 ――皆守に抱きついて涙を皆守の制服に吸わせる八千穂の背中に、皆守の腕がすっと伸びた。そして震える手で背中を撫で下ろそうとして――
 途中でやはり、下ろされた。
「……そろそろ行くぞ。卒業式が始まりそうなんだろう?」
「…………ッ」
 八千穂は下を向きながらごしごしと涙を拭き、それから満面の笑顔を皆守に向けた。
「うんッ!」
 そして言うや皆守の袖を引っ張って走り出す。
「お、おいッ!」
「急ご急ご! 人生にたった一度しかない高校の卒業式に遅れるなんてやだもん! それに、みんなが卒業証書受け取るところこの目で見たいしッ!」
「引っ張るな! ……ッたく、卒業式ごときで盛り上がって、おめでたい女だ」
 なぜか顔を赤らめながらぼそっと言った言葉に、八千穂はたまらなく嬉しいと顔中に書いてあるのが見えるだろう笑顔で振り向いて、大声で叫ぶ。
「早く! 早く行こう!」
「……あァ」
 皆守はそう言って、ふっと、出会った時からは想像もできないような優しい笑顔で、笑った。

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