体は心に付随し天を駆け空を巡る
「あ……体育の成績、ずいぶん上がってるな」
 十二月二十四日、二学期の終業式のある日に、通信簿に書かれた成績を見て思わず八十八は呟いた。陽介が「お、どれどれー?」と通信簿をのぞきこんで、うわ、と目の前を掌で覆う。
「駄目だ、見せるな、今の俺にはお前の成績眩しすぎる……」
「え……そ、そうか?」
 座学の成績は一学期もこのくらいだったのでそちらはあまり気にしていなかった八十八は、ひどく照れくさい気分になって頭を掻いた。自分がいい成績を取った時クラスの人間にすごいねーと言ってもらえるなんて、小学校低学年以来だ。もちろん、陽介はクラスの人間というだけでなく、ちゃんと絆を結んだ親友なのだけれども(ああ……親友、たまらんほどにいい響き……とか八十八は毎度ながらこっそりうっとりした)。
「なになに、どしたの」
「成績の話?」
「いやー、八十八の成績は俺ら劣等生には眩しすぎるぜって話を」
「いや、そうじゃなくてさ。体育の成績が上がったなって話」
 こちらに首を伸ばしてきた千枝と雪子に説明すると、二人は揃って笑顔で手を打った。
「あー、あたしもあたしも! あたしも体育の成績1上がったの! いやー、いつかは取りたいと思ってたけどまさか取れるとはねー、体育で10」
「おま、どんだけ肉体派なんだよ!」
「でも、私もずいぶん上がったんだ、体育の成績。一学期もちょっと上がってはいたんだけど、四月ほとんど休んじゃったせいか、そんなに目立ってなかったんだけど」
「千枝ちゃんと雪ちゃんも? へぇ……陽介は?」
「へ? 俺? 俺は体育って成績あんま意識したことなかったけど……んー、確かに上がってるなー。普段の成績が確か、6か7か、そんくらいだったけど……二学期9か。ちっと驚きだぜ」
「ふぅん……完二たちの成績も聞いてみたいな」
「へ、なんで?」
「だって、一年生の子たちも成績が上がってたら、俺たちの運動能力の上昇がテレビの中の戦いのせいって裏づけがほぼ取れるじゃないか。テレビの中でペルソナを使って戦った行為が、俺たちの身体能力をテレビの外でも引き上げさせるような経験として体に……」
「……ていうかさー。テレビの中とかそーいうの関係なしにさ、あれだけ武器ぶん回して運動しまくれば、フツー運動神経よくなるんじゃないの?」
「あ」
 千枝にあっさり告げられた言葉に、目から鱗を落として八十八は手を打った。

 それから数日、八十八はジュネスでの買い物ののち家への帰路についていた。食材が尽きたので、いつもの買出しだ。遼太郎は一応退院はできたもののまだ怪我も治りたてだし、いちいち車を出してもらうのは体に負担がかかりすぎるだろうと思ったので、一人徒歩で。
 東京にいた頃は重い荷物をもってこの距離を行き来するのは厳しかっただろうと思うが、今はさして苦ではない。このくらいコミケで買った本の通日の総量より重い鎧を背負ってシャドウと斬った張ったすることを考えれば、楽勝すぎて涙が出そうだ。
 自分の身体能力がここまで上がるとは、正直予想もしていなかった。それはペルソナを使って戦うということになった時、自身の能力のチート的レベルアップができるかも! とわくわくはしたが、それは戦ってるだけで素手でモンスター殴り倒せるようになるとか、人間コンピュータのような頭脳を手に入れるとか、そういうまさしくチートな代物だったので。
 まさかこういう風に、『部活に入って体を鍛えましょう』というのと似たような感覚で運動神経がよくなるとは思っていなかったのだ。そりゃまぁあの阿呆らしくなるほど重い剣をぶん回して(初めて持った時には腕の筋肉が悲鳴を上げた。一日戦ったあとには(ペルソナの力かテレビ内では持ち歩けることは持ち歩ける)ロープレ的に武器を剣にした自分の馬鹿とがすがす壁に頭突きをしたものだ(今から変えたら気にされるんじゃ!? と思ったので武器替えとかはできなかったのだが))、身に着けているだけで肩が痛くなってくる鎧を着けて、毎日のようにえんえん長距離(テレビ内)を走り回って、本気で命懸けの戦いをすれば強くなるのは当たり前といえば当たり前なのだが。
「結局、現実では何事も地道が一番ってことなのかな……」
 そんなことを呟きつつやっぱりそれなりに重いは重い買い物籠を吊り下げながら歩を進める。実際、体を鍛えるといいことがあるなぁというのは、八十稲羽に来て本気で始めた勉強と同じように実感している。買い物とか楽だし、体育でも活躍できるし(でもやっぱり球技は苦手だ、バスケならまだしもだが)、なにかに遅刻しそうになった時でも全速力で走っても吐きそうになったりしない。体の調子もなんだかいい感じな気がする。
 なので、これからも体をなまらせないために、ランニングでも始めてみようかな、とか思っている。筋トレはすでに始めているが。バスケ部の練習には一応参加しているが(でも正直練習量がぬるくて張り合いがない)、向こうに戻ったら剣道とか始めてみるのもいいかもしれない。やっぱり、仲間たちの前に、なまってぶよぶよになった体を晒したくはないのだ(プールとか行く機会あるかもしれないし)。
「……っめてくれよぉ!」
「……だろ、……せよぉ、あぁん?」
 唐突に聞こえてきた声に、八十八はえ、と周囲を見回した。いかにもというかお約束というかなほどステレオタイプな因縁をつける不良と被害者の声。どこからだ、と耳を澄ませて、今通っている商店街の路地裏からでは、と辺りをつけた。
 できるだけ気配を殺しつつそっとのぞきこむ。そこには予想通りに、三人ほどのいかにもな不良に小突かれている気弱そうな男子生徒の姿があった。しかも確かこの不良たち、前に千枝の幼馴染やら子供やらからカツアゲしようとした奴らではなかっただろうか。
 どうするか、と数瞬考える。東京にいた頃なら、警察に電話はかけただろうが基本的にはおろおろするしかできなかっただろう。
 だが自分は命を懸けた戦いを何度も潜り抜け、仲間たちと絆を結び、春からずっと関わってきた事件も解決した。もしかしたら世界救ってたかも、ぐらいのことはやった。人間として、確かに大きく成長できた、と思う。
 それに、ペルソナを使わない素の状態でも、体力も運動神経も相当上がった。だから戦闘能力も上がったと言っていいんじゃないだろうか。それこそ、少年漫画の主人公のように。
 そして少年漫画の主人公がこういう時取るべき行動はひとつ。よし、とうなずいて、荷物を地面にそっと置き、八十八は一歩踏み出した。
「ちょっと」
「あぁ?」
 ぎろりと睨まれる視線にやっぱり一瞬心の隅でびくつくものはあったが、こんな奴らに負けてたまるかと静かに睨み返す。
「しょうもない真似するなよ。自分たちのやってることがどれだけみっともないか、わかってるのか」
「あァ? んだコラ、関係ねーだろがてめぇにゃよぉ!」
「気取ってんじゃねーよ、そーいうこと言ってるとヤっちゃうよ〜? 地面の味味わってみっか、あァ!?」
「やれるものなら、どうぞ」
 言ってさらに一歩踏み出すと、男たちはさっと視線を交わして、ざっと自分を取り囲んだ。絡まれていた奴はとっとと逃げていく。まぁ別に期待はしてなかったからいいけど、と肩をすくめ、敵との間合いを測った。

 くぁん、と鼻の奥が熱くなる。腹の底がぐぉん、と響いて、全力疾走した時のような吐き気のような疲労感のようなものが体全体に伝わっていく。
 日常ではまったく味わわない、というか今までほとんど味わったことのない苦痛に八十八はぐぅっと必死に奥歯を噛み締めて耐えた。そうだ、忘れていた、ペルソナを着けて戦う時は体に痛みがほとんど伝わらないのだ。相当ダメージを食らった時でも、普通にばしっと叩かれて痛い、ぐらいの感覚でしかない。
 ペルソナは人格の鎧。精神世界での戦いにおける痛みも軽減してしまう。だからこそ自分たちのような素人高校生が普通に戦ってこられたのだろうが、どれだけ戦っても現実世界での戦闘経験とはだいぶ勝手が違うものになってしまうことは否めない。
 できるだけ一度に多数に囲まれないよう間合いを測りつつ、がす、がすっと顔を殴る。だが、力自体は目の前のこの不良たちよりあると思うのだが、うまく拳に力を乗せられないのか向こうが殴られ慣れているのか、不良たちはいっこうに堪えた様子がなかった。むしろ八十八の拳が痛い。
「っぉらぁ!」
「っ!」
 がすっ、と腹に足をめり込まされ、一瞬息が詰まる。足がふらつく。かろうじて倒れることなく耐えたが、うかつにも後ろに回りこまれていた奴に背中を思いきり蹴られてゴミ捨て場に突っ込んだ。
「ぐ……っ、ふ」
「あーららなーに倒れちゃってんのぉ? ヒーローっぽく飛び出してきといてもう終わりかよ、アァン?」
「心配しなくてもまだまだ終わりじゃねーからぁ。世の中そんなに甘くないってことの授業料もまだ腹ってもらってねーしぃ」
 このクソ野郎ども、と歯軋りしつつ体を起こそうとする。自分がこんなに喧嘩が弱いとは思っていなかった。曲がりなりにも世界を救っ(たぽいことし)ておいて街のチンピラに負けるってどうなんだそれ。
 ちくしょうヨシツネ使いたい。八艘飛びほしい。ルシフェルでゴッドハンドとか明けの明星とかでもいい。オーディンでブースタつき万物流転とかでもマハガルダインでも、スカアハでもコウリュウでも、この際スルトやロキでもいい。せめて刈り取るものからぶんどった十握剣でもあれば――
 と、起き上がろうとした視線の先にあるものを見つけ、八十八は目を見開き、それからにやっ、と笑みを浮かべると、それを素早く手に持って敵に向き直った。
「……んだコラ? なにやってくれちゃってんのお前?」
「ぶっは、んだそれ、プラスチックのバット? そんなもんで殴って俺らに勝てるとか思っちゃってんだ?」
 不良たちの揶揄を無視して八十八はテレビの中でいつもしていた通りに武器を構える。プラスチック製バット、攻撃25、命中98というところか。
 だが、自分は、攻撃42の武蔵の竹刀で、並み居るシャドウを殴り倒してきた男だ。
 きっ、と敵を見据えながら八十八はそろりと足を動かす。それを察し、敵がこちらに向かってくる、と思うやだっと走り出した。
 まず全速力で右端の男に走り寄り、攻撃範囲に捉えるや顔めがけ一撃。「がっ!」などと言ってのけぞったところをさらに一撃脳天に。テレビの中ならりせが歓声を上げていたところだ。
「なっ……てめぇっ!」
 ひっくり返った仲間に頭に血が上ったのだろう、残り二人がナイフを取り出した。が、八十八はふんと鼻で笑ってみせる。そんなものこれまでの戦いに比べればお笑い種だ。拳銃使った奴とかいたし。
「んならぁっ!」
「ふっ」
 ばしっ、と手を叩いてナイフを落とし、慌てて拾おうとしたところに下からすくい上げるように一撃。ひっくり返ったところをがすっと頭を踏みつけて止めを刺す。
 残り一人は旗色悪しと見たか、「くそっ!」と叫んでこちらに背を向けた――が。
「逃がすと思うかこのクズ野郎!」
 などと汚い言葉を使ってしまいつつ、背後から脳天を全力で一撃。倒れたところを、さらにがすがすと踏みつけると、敵は動かなくなった。
 反射的に眼鏡を直そうとして着けていないことに気づき、苦笑して携帯を取り出し110番……しようっかと思ったのだが、思い直して自宅にかける。
「もしもし、遼太郎さんですか? すいません、今不良に襲われたところなんですけど……いえ、大丈夫です、撃退しましたから。カツアゲしてるところを見つけて注意したら因縁をつけられて。ただ、こいつら以前にもカツアゲとかしてるところを見かけた奴なんで、なんとかきっちり罰を受けさせたいなぁと……」

 怒られるだろうなぁとは思っていたが、不良を警察に引き渡してのち(遼太郎がやってきてからしまった車出したら遼太郎さんの体に負担が、と蒼白になった)、やっぱり予想通り、八十八は遼太郎にど叱られた。
 それこそ一時間以上正座でがみがみと怒鳴られ、すいませんすいませんとひたすらぺこぺこと頭を下げて。情理の両面から自分の愚かさを思い知らされる苛烈な説教に、本気で悪いことをしたとぼたぼた泣いて。菜々子には(また病院に戻っていたので)知られずにすんだのは、不幸中の幸いだったけれども。
 けれども最後には、遼太郎はふん、と鼻を鳴らして、「まぁ、保護者としてと、警察の人間としては怒るべきところだが。……男としては、まぁ、よくやった」と口元に笑みを佩いて言ってくれたので、思わず「はいっ!」と全開笑顔でぱぁぁと花を咲かせてしまい、「なにを笑ってる」とまた怒られた。
 でも、それはやっぱり自分を大切に思ってくれているからなのだろうと思うとついつい幸せな気分になってしまい、その晩はこっそり力を入れて遼太郎にいろいろとサービスして、陽介に電話をかけ、と青春を満喫し、ああペルソナに目覚めてよかったと毎度お馴染みの不謹慎な感動をしてしまったのだった。

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