楽しいことを一緒にできるその歓喜を君に伝えたい
「もうすぐバレンタインだなー」
 珍しく、少しばかり浮かれた調子で八十八が言った言葉に、陽介はわずかに目を瞬かせた。
「そーだな。……っつか、ナニ、お前楽しみなワケ?」
「んー……まぁ」
 少しばかり照れくさそうな顔で言う八十八に(最近こいつの感情の変化はっきりしてきたよなー仲間内以外にも見破られるくらい、とひとりごちつつ)、陽介はにやりんと笑ってつんつんと肘で脇腹をつつく。
「なーんだよー、浮かれちまってー。まー、確かにお前は人気あるし、チョコもいっぱいもらえるだろーから? 浮かれちまう気持ちもわかんなくはないけどさー」
「いや……なんていうか、まぁ、そうなんだけど……」
「こんにゃろ、正直に言いやがって。モテない男の敵だな、お前っつー奴は。俺にもちょっとくらい分けろ」
「……? 陽介なら、誰かに分けてもらわなくても好きなだけ食べられるだろ? バイト先からの義理チョコもいっぱいもらえるだろうし」
「はは……聞いてくれるか相棒よぉっ!」
 がっし、と肩を組み、すがりつかんばかりの体勢で陽介は八十八に泣きついてみせる。
「……俺、去年のバレンタインチョコ義理オンリーだったんだよ……」
「え……そ、そうなのか?」
「おぉよ! それもまともにくれたのは母親とバイトのおばちゃん連中だけ! ガッコじゃ里中は『あはは、なんか店で見てたらあたしも食べたくなっちゃってさ』とか言って自分用に買ったオヤツのチョコ分けてくれただけ! 天城は『え、いるんだったの?』とか真剣な顔して言うし! バイト先の子もクラスの女子も、それなりの仲の子は全員バレンタイン当日はまともに会えもしなかったわ!」
「それは……なんというか、辛いな……」
 必死に慰めの言葉を探しているように眉間に皺を寄せる八十八に、陽介は思わず表情を笑顔に変えた。他の奴ならばっかでーと笑っておしまいにするところなのに。ノリが悪いと他の奴には言われるかもしれないが、やっぱり自分はこいつのこういうところが好きだ。
「ははっ、気にしなくていいって。だから今年はちっと期待しちゃってんだよな〜、実は! 仲間内の女子ぐらいはチョコ渡してくれるよな、ってさ!」
 別にさほど期待していたわけではなかったがそうおどけてみせると、八十八はほっとしたように微笑む。
「うん。わかる」
「え、なに、わかんのお前。お前だったら去年も鼻血出るくらいチョコもらいまくりーだったんじゃねーの?」
「まさか。俺、去年もらったチョコの数、ゼロだぞ」
「へ……ゼロ!? マジで!? ホントに!?」
「こんなことで嘘ついたってしょうがないだろ」
 少しばかり恥ずかしげに目を伏せ頬をほんのりと染める八十八からは、確かに嘘をついている様子はうかがえない。だが陽介はそれでも納得がいかず、あえて深く突っ込んだ。
「ったって、お前顔いいしさ、優しいしさ、頭いいじゃん。運動だってかなりできるしさ。向こうだって女子に人気あったんじゃねーの?」
「あるわけないだろ。向こうじゃ俺、はっきり言って女子に気持ち悪がられてたんだぞ」
「……はぁ!?」
「俺、人と話すの得意じゃなかったし。チョコを気軽に渡してくれるようなにぎやかな女子連にはよけいに気後れしちゃったしさ。暗いし面白くないし、頭だって向こうじゃ劣等生だったし。運動も……活躍できるほどじゃなかったし、そもそも活躍したって見てくれる人がろくにいなかったし……」
 微妙に視線を逸らしながらぼそぼそと言う八十八のいつもより暗い気配の漂う無表情には、確かに経験からくるずっしりとした重みが感じられた。陽介は理不尽とはわかっているものの、東京で八十八の周りにいた女子についつい怒りを覚えてしまう。八十八はいつだって真剣に人と接する、本当にいい奴だってのに、まったくもって。
「見る目ねぇなぁ……」
「え?」
「っと、いやだからさ。そりゃーきっとお前の周りの子たちが見る目なかったんだって」
「いや、自分でも実際気持ち悪がられても無理ないと」
「だっからさ! 去年はそーでも、今はもー違うんだからいーじゃねーか。去年の仇取れちまうくらい、たっぷりチョコもらっちまえって!」
「……陽介」
「少なくとも仲間内の女子はぜってーお前にはやると思うしさ。菜々子ちゃんだってくれるだろーし! あ、あと海老原ともお前仲いいみたいなこと言ってなかったか? そっちにもアピールしとけって、あーいやそれはお前には無理か」
「陽介……」
 自分でも押し付けがましいかな、と思いつつもついつい黙っていられずチョコ取得計画を練る陽介に、八十八はじっと陽介を見つめながら、小さく、どこか切なげにすら聞こえる声で「ありがとう」と囁いた。口元に、あえかな、けれど痺れるほど優しい笑みを浮かべながら。
「だから、すごく楽しみだったんだ」
「へ? だから、って」
「陽介や、みんなみたいな仲間がいて、一人じゃないって思えるから……バレンタイン、すごく楽しみにしてたんだよ」
 にこ、と小さく笑む八十八に、陽介は思わずかーっと頬を赤くして、「バッカ」と軽く八十八の肩を殴った。

 そして二月十四日、バレンタインデーの朝。
「お〜っす! おっはよーさん!」
「おはよう、陽介」
 軽く手を上げてにこり、と笑む八十八に、陽介も手を上げて走り寄った。いつものように二人並んで喋り始める。
「で、どうよ。ちょっとは女子にアピールできたか?」
「いや……なんていうか、バレンタインを前に急に声かけるのも物欲しげでみっともない気がしちゃって。普通に会った時話ぐらいはしたけどそれ以上は無理だった……」
「おっまえ、しょーがねぇなぁ。こーいうことはちょっとくらい厚かましくねーと損するぞ?」
「でもさ、俺が女子だったらバレンタイン前に急に愛想よく話しかけてくる男子とかには絶対チョコやらないだろうって思うとさ……嫌われちゃったら元も子もないというか」
「あー……そりゃあるかもなぁ。……っつか、さっきから気になってたんだけど、その荷物ナニ?」
 陽介は八十八が下げている紙袋を指す。八十八は小さく苦笑してみせた。
「ああ、これは……」
「あ、もしかしてチョコ用? もらったチョコ入れとこうってか? なんかでかいの入ってんじゃん、なにもーそんなにもらったワケ?」
「いや、そうじゃないって。これは……まぁ、弁当だよ」
「へ……そーなん?」
「ああ」
 八十八が仲間や友達に手作り弁当を渡すのは珍しいことではない。なんでも菜々子が買い物をしてきた時には誰かのために弁当を作るという験担ぎをしているらしく、陽介もたびたびご相伴に預かっていた。
 けどそれはいくらなんでもでかすぎねーかな、と陽介は首を傾げる。どう見ても数人分くらいの大きさはある。それで一袋って、なにが入って――
「先輩っ!」
 唐突に後ろからかけられた声に、八十八と揃って振り向く。そこに立っていたのは、顔を明らかに寒さのためでなく真っ赤に染めた、わりと可愛い感じの一年っぽい女子だった。手にいかにも女の子っぽくラッピングされた袋を持っている。
 うつむきながらも、その視線はまっすぐに八十八に向けられている。陽介は即座にお、これは、と思ったが、八十八は鈍いことに「俺?」と少し驚いたような声で言ってから、穏やかな微笑みをその女の子に向けた。
「なにか、用なのかな?」
「は……はいっ」
「そうか。俺で役に立てることなら、どうぞ言ってみてくれていいよ」
「はいっ……」
 女子はしばらくいかにも本当に渡していいのかどうしようか迷っていますという感じに顔を細かく上げ下げしていたが、やがてばっと顔を上げ叫んだ。
「先輩っ!」
「うん、なにかな?」
「チョコレートっ、受け取ってくださいっ!」
 ばっ、と女の子は袋を八十八へ差し出す。八十八は一瞬ぽかんとした顔をして、「え……」と呟いたが、そこは幽霊部員とはいえ演劇部、アドリブには慣れているのだろう。にこりとそのキレーな顔を微笑ませて、すっと受け取り、「ありがとう」と言葉を返す。
 その女子はかぁっと顔をこれまで以上の紅に染め、ぺこりと礼をすると背中を向け、だっとダッシュでその場から逃げ出した。そっちは学校とは反対方向なのだが、まぁ自分たちがこの場から消えたらやってくるだろう。それはともかく。
 陽介はにやり、と顔を笑ませてじっと女子の方を見ている八十八の脇腹を小突く。少しばかり羨ましいのは確かだが、それ以上にこの親友を祝福してやりたい気分だった。
「やったじゃん。さっそく一個ゲットだぜ。登校の途中でいきなりなんて、さっすが女殺し番長」
 八十八がこちらに顔を向ける。その顔は――表現するなら、呆然としている、というのが一番当たっていただろう。え、なんで、と思う間もなく、八十八は「陽介……」と震えるような声を出した。
「今の……なに?」
「へ、なにって……バレンタインのチョコレートに決まってんじゃん。チョコって言ってただろ、本人が」
「だって、俺、あの子となんの面識もないし、なにかしてあげた覚えもないし」
「だっからさー、クールでステキな八十八先輩っ、てのに憧れたカワユイ乙女の気持ちってやつじゃん。受け取ってやれって」
「う、受け取るけど、なんで、俺に、っていうかホントに俺?」
「お前以外に誰がいんだよ」
 そう額を小突いてやると、八十八はこちらを見つめていたぽかんとした表情から、ぱぁっと(陽介でもそう何度も見たわけじゃない)喜びの表情になって、「っしゃ!」とガッツポーズを取った。今時そうそうないくらいに純粋に「嬉しい!」と表すそのポーズに、陽介はよかったなこのやろ、と背中を叩いてやる。去年のチョコがゼロという案外寂しい青春を送っていたこの親友が心底嬉しそうにしているところを見るのは、陽介としても嬉しかったのだ。
 が、純粋に友の幸せを喜んでやれたのはそこらへんまでだった。

「あ……」
「うっわ、なにコレ。下駄箱からチョコがはみ出してんぞ? いつの時代の漫画だ」
「……こんな漫画みたいなことが、まさか俺の身に起こるなんて……!」
(すでに登校の途中に何度もチョコをもらっているというのにしっかり感動を噛み締めている八十八)

「あ、先輩! はい、いつも話聞いてくれてるお礼!」
「え、くれるのか? ありがとう……嬉しいよ」
「先輩、この前は相談に乗ってもらっちゃってありがとうございました。お礼って言ったらなんですけど……」
「いや、役に立てたんならなによりだよ。ありがとう、嬉しいよ。あいつと、仲良くな」
「はい、チョコどうぞ。日頃のご愛顧に感謝ってことで」
「え……まさか君にもらえるとは思ってなかった。ありがとう、すごく嬉しい。これからも、頑張ってくれ」
「……どーいたしまして。私も張り合いあったし、勉強になったし」
「はい、前から何度もお世話になってるお礼。もしよかったらまたパパの相手してやってよ。パパったら酒に酔うとしょっちゅうあなたのこと話し出すの」
「いや、どういたしまして。ありがとう、嬉しいよ。そうだな、会ったらまた棚の彩りになるものをもらっちゃうかも」
「……八十八くん。はい」
「え……先輩。これは」
「言っとくけど、別に特別な意味とかないから。受験終わって、なんていうか、気分をパッとさせたかっただけっていうか。人気のある男子にバレンタインにチョコ渡すってイベントやってみたかっただけで。だからさっさともらって食べちゃってよ、ほら」
「……はい、ありがとうございます。嬉しいです。味の感想、言いに行きますから、また学校に来て下さいね。毎日探しに行きますから」
「……ま、まぁ、暇だし。そのくらいは、いいけど」
「ちょ、ちょちょ、ちょっとあんた!」
「……君は」
「あ、あんたのこと別にどうとも思ってな……じゃなくて、その……なんていうか……ごめん、あの……」
「うん」
「……はい、これ。お礼……」
「……ありがとう。すごく嬉しい」
(2−2教室へ行くまでの道のりの間で雲霞のごとく湧いてくる女子たちにいちいちすごくにこやかに、かつタラシモード全開で対応する八十八)

「あ……あの、そのあのっ……えっと……」
「ほら、うじうじしてないで、さっさとする! ……はい、八十八! チョコレート!」
「え……」
「あ、あの、いつもいろいろお世話になっちゃって、本当にありがとうございます。だからその、なんていうか、お礼、ということで……」
「あ、あたしはまぁその、その付き合いってことで。義理だからね、ギリ。変に思ったりしないでよ」
「そうか……わざわざありがとう。嬉しい。本当に……」
「ま、まぁ……喜んでもらえたなら、いいけど」
「……はい。こちらこそ、ありがとうございます」
「はい、八十八くん。いつもいろいろ話聞いてくれてありがとうね。とりあえず、お礼」
「……うん、ありがとう、嬉しいよ。勉強、頑張ってくれ」
「あ、あの、八十八、くん」
「あ……なにかな?」
「え、えっと……その、チョコとか、作ってみたんだけど。い、いっぱいもらったみたいだし、いらない、わよね……?」
「いや、ほしい。すごくほしいよ、君のチョコ。もらえたら、すごく嬉しいって思う」
「あ……あの。じゃあ、はい……」
「……ありがとう。嬉しい」
(机の中にぎっしり詰まったチョコを取り出しつつ爽やかにタラシモード持続しつつ次々やってくる女子に対応する八十八)

「なんだ! なんなんですかこのあからさまな格差は!? 格差社会反対! 政治はこういうところにこそ目を向けるべきなんじゃないんですか!?」
 いまだチョコが(千枝たちのは放課後クマも含めたみんなで集まった時に渡してもらう予定なので)ゼロの陽介は、休み時間ごとにチョコを増やしていく八十八に向け叫んだ。八十八は少し恥ずかしそうな、申し訳なさそうな顔で困ったように眉を寄せつつ黙っていたが、雪子と千枝が即座に突っ込みを入れる。
「それを政治の力で解決するのは無理なんじゃないかって気がするけど……」
「ほっときなって、雪子。コイツひがんでるだけなんだから。モテない男の嫉妬は醜いよー、花村ー」
「うっせ! っつか……真面目にこの量普通じゃないだろ。何人かは初対面の子のもあるにしろ……なんでお前そんなに顔広いの? もう何人だ、えーと十人以上はいんじゃねーの、チョコくれるくらいの知り合い」
 チョコが鞄に入りきらず、机の脇に下げたチョコ用の事務室からもらってきた紙袋がすでに二袋を突破している八十八は、頬をわずかに染め恥じらいつつも口を開いた。
「いや……なんていうか、事件の時に……」
「……は? 事件? ってなんで」
「だからそのなんていうか、俺は基本的に、得られる情報は全力で得ておこうって思ってたから。情報の得られる可能性のある人間にはほとんど毎日話しかけて、そのうちに依頼受けたり相談受けたりいろいろしたから……そういう知り合い、かな」
「はー……八十八くんってやっぱ面倒見いいねー。話してる間にそんなにいろいろ受けるなんて。それに毎日そこまでいろんな人に話しかけるなんてなかなかできるこっちゃないよ。よっ、さっすがリーダー!」
「褒められるようなことじゃないって……ただもう意地でやってたみたいなもんで」
 本気で顔を赤くしている八十八に、思わずため息が出る。こいつ本当に、ヒキョーなくらいよくできた奴だよなぁ。美形で頭よくて運動もけっこうできて、ってスペックだけでも女の子は寄ってくると思うのに、そんな奴が毎日必死に、それこそ死に物狂いで頑張っていい奴やろうってんだから、そりゃーチョコ渡す子が二桁超えても仕方ないだろう。
 まあ、ちょっと面白くないのは確かだが。こいつに目をつけるなんて、ウチの女子もなかなかやるじゃん、という気持ちもけっこう大きかったりするし、こいつが本気で目を輝かせて嬉しそうに微笑みつつチョコを受け取るところを見ていると、よかったじゃんと思えるのは確かなので、いいということにしておこう。
 けど俺がチョコをもらえるのは放課後までお預けか、と思うと、やっぱりそれなりに面白くなかったりはするのだが。

「陽介、昼飯一緒に食べないか?」
 昼休み、そう行って今朝の袋を持ち上げる八十八に、陽介はつられて立ち上がりながら答える。
「お、そのでかい弁当? 嬉しいけどさ、さすがに俺らだけでそれ全部食うのは辛くね?」
「いや、他にも何人か呼んでるから。行こう、調理室の鍵もらってるんだ」
「へ? わざわざ? なんで?」
「それは……その。行ってから話すよ」
「うっわ、ナニソレ、胡散くせぇ〜」
 千枝と雪子に手を振って別れつつ、陽介は八十八と揃って笑い喋りながら教室を出た。調理室は実習棟の一階なので、2−2教室からはそれなりに距離がある。少しばかり浮かれさざめいた雰囲気のある教室棟二階の廊下をてろてろと歩いていると、八十八がふいに手を上げて呼んだ。
「一条! 長瀬!」
 自分たちの少し先を歩いていた一条と長瀬のコンビが揃って振り向き、笑顔になった。揃って「よう!」と手を上げて、立ち止まり自分たちを待ってくれる。
 この二人とは春からちょくちょく一緒に遊んでいる仲だ。もともと陽介自身知り合いではあったのだが、八十八がバスケ部に入部して、この二人と仲良くなったことから親しくなった。
 なので別に八十八が声をかけたことには驚かなかった、のだが、続けて二人が言った言葉には驚いた。
「よ、八十八。今日はご招待どーも」
「今日はなにを食わせてくれるんだ?」
「え、お前らも一緒にメシ食うの?」
 思わず上げてしまったすっとんきょうな声に、二人は笑って答える。
「ああ、休み時間に八十八からメールが来て。よかったら今日メシ一緒に食わないかって」
「前に何度か食わせてもらった弁当、うまかったしな。他にも何人も呼ぶってことだったから、相当な大作だろう、ってな」
「……他にも人呼んでたわけ?」
 八十八の方を向いて訊ねると、八十八はあっという顔になって小さく頭を下げた。
「ごめん、ちゃんと言ってなかったな。他にも何人か呼んでるんだ。陽介なら気にしないかと無意識に思っちゃってたみたいだ、嫌な思いさせたらごめん」
「いや……別にいいけどさ。ただ珍しいなって。お前って昼飯誘う時は、いっつも二人だけだったろ?」
 だから今回も当然二人きりだと思ってて。だから別にどうだというわけでもないけれど。ただちょっと面白くないような、当てが外れたような。いやいや別にだから責めるつもりなわけでもないんだがただちょっと、あーくそなに考えてんだ俺は。
 そんな陽介の葛藤など気付きもせず、一条と長瀬は揃って首を傾げた。
「そうか? 俺たちはいっつも三人で食ってたけど」
「ああ、俺たち二人の分用意してくれてたよな」
「や、お前らはだって二人セットじゃん」
「花村、お前そーいうこと言うか? お前らだって基本二人セットみたいなもんじゃんかよ」
「なっ、別に俺らはんな、いっつも一緒にいれねーっつの! こいつどんだけ忙しいと思ってんだ」
「いつも一緒にいたいのか? 花村」
「そーいう系の突っ込みやめてもらえます!?」
「からかうなよ、長瀬。別に一緒にいて悪いってことはないだろ?」
「別にからかったわけじゃねーんだけどな」
「そもそも最初にこの話題振ったの花村だし?」
「う、うるさいよ!」
 四人揃ってにぎやかに喋りながら実習棟の一階に下りる。と、調理室の前には二人の一年が立っていた。片方はよく知っている、もう片方も一応見知った顔であるその二人は、二人でなにやら喋っていたが気配を察したかこちらを向いた。
「うぃっス、先輩。……なんか、人数いるっスね」
「あ……ども、八十八さん」
「おいおい、完二に尚紀までかよ……いったい何人呼んでんだ」
「ええと、あとはクマくんだけだから、六人だけど?」
「クマもかよ!? ここ学校だぞ!?」
「いや、なんていうか、どうせなら全員一度の方がよさそうだと思ったし、一人だけ仲間外れっていうのも寂しいんじゃないかと……ちゃんと許可も取ったし」
「おいおい……そこまでして一緒に食わせたい弁当っていったい……」
「いや弁当っていうか……とにかく入ろう。鍵開いてるし」
 かちゃかちゃ、と鍵を開け八十八が真っ先に中に入る、やいなや「センセーイ!」とよーく知っている声がかかる。
「おいおい本気でクマだよ……どっから入ったんだお前」
「お? あいつって熊田だよな、文化祭のアリス」
「ジュネスで着ぐるみバイトしてるんじゃなかったか?」
「お? クマってば有名人! そーだクマ、クマは新世紀型ジュネスのアイドル!」
「どんだけ地域密着なんだよ! つか二十一世紀になってもー何年経ってると思ってんだ!」
 いつもながらのぎゃあぎゃあ喚き合いをおっぱじめ(ざるをえなくさせ)たのは紛うことなき熊田ことクマだ。毎度のキラキラ光線を背負いつつ、子供と同レベルのはしゃぎっぷりで八十八にひっつく。
「センセイセンセーイ、クマ、今日すっごく楽しみにしてたんだクマー! 楽しみなあまりジュネスのバイト午後休み取っちゃったクマ」
「え、そんな、わざわざごめん、そこまで大したものじゃないんだけど」
「なんのなんの、ノープロブレムだクマ! クマの愛するセンセイからの、愛のこもった手作りチョコ……とりあえず三人分はいただかせていただきますだクマ!」
「俺らの前でその台詞、喧嘩売ってんのか! って、え……?」
 今、なにか、妙な言葉が聞こえたような。
 全員から注目を受け、八十八は困ったように、どこか恥じらうように目を伏せながらも、すっと袋を調理室の机の上に置いて中身を出した。中に入っていたのはケーキの箱だ。
 それをひょい、と開けると、中に入っていたのは――
「チョコレートケーキ……」
「……ガトーショコラなんだ。昨日作って、一晩寝かせておいたやつなんだけど」
「……あのー……八十八さん? これはいったい」
 八十八は目を伏せながら、ぼそぼそと告げた。相棒的な視点から言うと、八十八の耳の赤さからしてこれはたぶん相当なレベルで恥ずかしがっている。
「……迷惑だろうとは思ったんだけど。バレンタインの、チョコレートを食べてもらいたくて」
「いやあのー、日本ではバレンタインは女子が男子にチョコを渡すイベントだと思うんですが」
「ああ、わかってる。わかってるけど……やりたかったんだ、バレンタイン」
 ここで八十八はばっと顔を上げ、真正面から自分たちを見つめた。心の底から真剣な瞳で。
「みんなには、もう何度か言ったと思うけど……俺はさ、向こうで……東京で、まともな友達とか知り合い、一人もいなかったから。だからこういうイベントも、まるで自分とは関係ないものとして生きてきたけど。でもこっちに来て、何人も友達ができてさ、初めて学校が楽しいって思えるようになって……イベントがあるごとに、もう泣きそうなくらいすごく楽しくて。だから……バレンタインも思いっきり楽しみたいなって思ったんだ」
 訥々とした語り口だが、その言葉は確実に八十八の想いを伝えてくる。思わずこちらがうっと心を揺らしてしまうほどだ。伝達力言霊使いと称するだけのことはある、こいつ俳優になれんじゃねと思うほどの語り口。
「バレンタインにチョコもらえるんじゃないか、っていうのもすごく楽しみでドキドキしてたんだけど、なんていうか……俺さ、女の子の側にもちょっと憧れてたっていうか。気持ちをチョコにこめて贈るっていうの、羨ましかったっていうか、やってみたかったっていうか」
「や、ちょ、せんぱ」
「だってそうしたら、親しい男友達に……この一年の感謝を、改めて伝えられるのに、って思って」
『…………』
「か……感謝か。感謝ね。はは、感謝か。あー、おでれーた……」
「は、はは……は、感謝、か。お、おい、なんだよー完二、お前なにビビッてんの? なに、本気の方がよかったとかそれ系?」
「シメんぞあんた! 俺よりキョドっといて自分のこと棚に上げてんじゃねぇ!」
「ふーん……なんか、お前らしいかもな、そーいうの。わざわざ調理室まで呼び出したのはそーいうわけか」
「ん? どーいうわけだ?」
「だっからさ、俺らが男にチョコ贈られたーとかって妙な噂立てられないよーにって思ったんだろ。八十八らしい気の遣い方だよな、これって」
「あー、なるほどな。別に気にすることもないと思うぞ、うまそうじゃないか」
「……ありがとう、一条、長瀬」
 一条と長瀬はさして動じた風もなく普通に言葉を返している。それに対して八十八が感に堪えないというような声で礼を言うので、陽介は慌てた。ナニナニなんなの、これって俺らが冷たい奴〜みたいな空気じゃね?
 いやけどこんな状況でちょっとくらい慌てるの普通だよな! な! という念をこめて尚紀を見やる。が、尚紀はその視線に気付きもせずじっとガトーショコラを見つめていた。そこに八十八が優しげな、だが少し困ったような声をかける。
「ごめんな、尚紀くん。知ってる奴少ないのに、呼び出しちゃって」
「……や、いいっす。こっちこそ、気ぃ遣わせちゃったみたいで、すいませんでした」
「いや……そのくらいは、こちらの都合で呼んだんだから。ごめんな、でも、なんていうか……俺のチョコ、尚紀くんに食べてほしいって思って。君に食べてもらえたら、少しでもいいものをあげられたら……すごく、嬉しいだろうって」
「……八十八さん……ほんと、わざわざすいません」
 尚紀は恥ずかしげにはんなりと笑ってから、こっくりとうなずいた。
「ありがとうございます。嬉しいっす、いただきます。八十八さんのチョコレート食わせてもらったなんて知ったら、みんな羨ましがりますよ。教えてなんか、やりませんけどね」
「……尚紀くん……」
「うっほほ〜い! センセイのクマへのキ・モ・チ、チョーおいしそうだクマ! ねぇねぇ食べてもよい?」
「もちろん、ちょっと待ってくれるか、今皿を出すから。……ありがとうな、クマくん」
「……そーだな。先輩の、気持ち、か……八十八先輩、男・巽完二、先輩の気持ち、しっかり受け取らせてもらいます! ゴチになるっス!」
「ありがとな、完二……お前は本当に、優しい奴だな」
 えぇなになんなのなんでみんなしてフツーに感謝しちゃってんの!? これってそーいうシチュ!? と慄き、混乱しつつも、まずいまずいこのままじゃ俺だけっ、と冷静になってみればなにをそこまでと思うような激情に支配され、陽介はばっと八十八の方を向きずいっと顔を突き出した。
「八十八っ!」
「え、なんだ、陽介?」
「ホワイトデーは期待しとけよっ!? お前が今までもらったことないよーなすんげーの贈っちゃうからな!」
『………………』
「……え?」
 八十八のきょとんとした顔に、陽介は一瞬ぽかんとした。え? ナニなんか俺変なこと言った?
 が、一瞬後周囲から次々送られてきた言葉に、はっとした。
「うわー、花村ー、その台詞ってちょっとホンモノっぽいぜ。お前らの関係って、女装見せられた時も思ったけど、なんつーかいちいちソレっぽいよな」
「八十八はホワイトデーには贈る方だったんじゃないか?」
「……花村さん。……や、いいっす」
「ヨースケ、ホワイトデーにセンセイに本命のお返し贈るクマ? 漂うキケンな愛のヨカンバリ三本!」
「アンタ、人にああだこうだ言っといて自分が一番ソレっぽいじゃないっスか」
「な……っ!! ちげーよ! 俺はんな、ちげーっての! 別にそんなんじゃなくてだなっ」
「ああ、そういえば聞いたことがあるな。お前ら夏前に鮫川の河原で殴りあったり泣きながら抱き合ったりしたんだっけか?」
「おおー、オトコの友情……いやむしろ愛情? ヨースケ、センセイと一線を越えてしまったクマか?」
「なーっ! ちっちっちっちげーっての! それはだなっ、なんつーかそのっ友情の証とかそーいうヤツでだなっ」
「慌てるのがいちいち怪しいんスよ。そーいや文化祭の時も合コン喫茶のサクラでアンタ、先輩に彼氏にするならアンタだっつわれてなんかそれっぽいこと言ってたっスよね。先輩がカッコいいとか頼りがいあるとかなんとか」
「うわー、お前らすごいな。濃すぎるぜその友情。越すに越されぬ大井川越しちゃってないか?」
「だっだっだっだからちげーっての! そーいうんじゃなくてっ、だからっ、なんつーかっ」
「……花村さん、だから……や、いいっす」
「視線逸らすな! 言葉濁すな! そーいうのが一番傷つくわ!」
「落ち着けよ、陽介。……みんなも頼むから、そんなにからかわないでくれ」
「へいへい」
「りょーかいっス」
「すいません」
「……へ」
 八十八の一言であっさり舌鋒を引っ込めた周りの奴らに、陽介は思わずぽかんとした。呆然と八十八を見つけると、八十八は苦笑しながら説明する。
「みんなただからかってただけだよ、陽介が過剰に反応するから。……もしかしてわかってなかったのか? 珍しいな、陽介がそういうことになるの」
「……へ」
 状況がまだ飲み込めず、ただひたすらぽかんと八十八を見つめる陽介に、八十八はすっと表情を真剣なものに変えて、小さく頭を下げた。
「っ、八十八!? なんだよ急にっ」
「ごめんな、陽介。気分悪くさせたな。そういうつもりじゃなかったんだけど、ただ自分なりに気持ちを表したかっただけで」
「なっ、んな、俺は別にそんな」
「でも、ホワイトデーにお返し贈るってくらい、気持ちに応えようって思ってくれたのは、嬉しかったよ」
「え……八十八」
 にこ、と微笑む八十八に、陽介はなんと言えばいいのかわからず言葉に詰まる。微笑む八十八を見つめて、言葉を捜して、頭をぐしゃぐしゃかき回して、なにか言おうとして――
「じゃ、どうしようか。弁当先に食べる? それともケーキが先?」
「んー、普通なら弁当が先なんだろーけど、このうまそうな匂いの中で弁当食うってーのもなー。ケーキの味が気になっちまうっつーか」
「……とりあえず、七等分していつ食うかは個人の自由ってことでいいんじゃないすか」
「え、俺も食べていいのか?」
「当たり前だろう。お前が作ったんだから」
「ありがとう……実はちょっと期待してたんだよな。どんな仕上がりか食べてみたいなってさ。まぁ、お菓子作りはあんまり経験ないから味の方には実はあんまり自信ないんだけど」
「いや、うまそうっスよ。匂いもいいし、見た目もきれいだし」
「うっほほーい、ケーキクマーセンセイのケーキクマー」
 素早く自分の反応を流されてちょっと落ち込んだ。
 なんだよなんだよあっさりスルーですか俺の反応なんてどーでもいいってかよ、とちょっと拗ねながら八十八を見やると、八十八はにこりと笑顔を返す。う、やめろよお前顔キレーだから笑うと迫力あんだよ、と気圧されていると、完二に小さく囁かれた。
「……だから、アンタそーいうとこがいちいちホンモノぽいんスよ」
「なっ」
「落ち着けって。……だから、先輩はあっさり流したんだろ。アンタがちょっとでも変な風に思われないよーに、ってよ」
「あ……」
「そこらへん汲み取ってやれよ。第一あんなん本気にしてる奴誰もいねーっての、あんたの普段に比べりゃ軽いもんだろ」
「う……」
 後輩に説教されフォローされて、さっきよりさらに少し落ち込みながらも、八十八を見る。八十八は笑顔でケーキを切り分けた皿を出してくる。
 けれどその瞳の奥が、わずかに不安に揺れているのを悟り、陽介ははっとした。そうだ、こいつは別にいつも自信満々ってわけじゃない。俺らが最初の友達っていうくらい、人間関係に臆病で、慎重で、それでも必死にめいっぱい周りに優しくしようとする奴なんだ。
 そんな奴が、不安に震えながら、それでも感謝の念を伝えようと、必死に頑張って、こんなでかいチョコレートケーキを作って、わざわざ学校に持ってきて――
 そう思うと、陽介の心の底にでーんと大きく居座っている八十八への想いが、ぎゅくんと疼いた。
「……サンキュ。八十八」
 小さく言って受け取って、真っ先に大口を開けてかぶりつく。予想通りのうまさに顔が笑み、自然に顔が笑んで言葉を放っていた。
「うんめー! さっすが八十八マジック! サンキュな、こんなうまいもんわざわざ」
「うん……ありがとう」
「なに言ってんだよ、礼言ってんのはこっちだっつーの。やー、でもヤバい、こんなうまい手作りチョコ食ったらこれからもらう女子からのチョコがかすんじまうわ」
「花村先輩、チョコもらえる当てあるんスか?」
「おま、俺を舐めんなよ? 当てはあるんだよ当ては! ……ただその当てのある女子とバレンタインに会えないだけで」
「ヨースケ……哀れクマ。避けられてることに気付いてないクマね……」
「真面目に哀れむな! 気付いてるけど目を逸らしてることにお前こそ気付け!」
「ああ、そういえばみんなは今日、どのくらいチョコもらったんだ?」
「え、ナニその話題……」
「や、俺は……一個っス。なんか、りせの奴が教室近いからさっさと渡しちゃうって朝よこしてきやがって。ま、幸い市販のいかにも義理って感じのでしたけど」
「おー、豪気だな巽。元アイドルのチョコを義理で幸いとは」
「あぁ? なんだアンタ、横から」
「完二。頼む、俺の友達と喧嘩しないでくれ。無理やり引き合わせたのは本当に悪いと思ってるんだけど」
「あ……や、すんません。そういうつもりじゃなかったんスけど」
「や、俺も自己紹介もしないうちに口挟んで悪かった。いまさらながら自己紹介しとくと、俺は一条康、2−1、バスケ部。こっちは」
「長瀬大輔、2−3、サッカー部だ」
「あ……先輩、だったんスか。すんません」
「……っつか、この二人校内でも相当有名だぞ。知らなかったのかよ」
「はぁ? 学年も違う相手とどーやって知り合いになんだよ。尚紀、オメーは知ってたのか?」
「名前は、女子の噂で。……あと、顔は、八十八さんに写真見せてもらってたからな」
「はぁ? なんで一年の女子が」
「ムム? 女子の話クマ? クマは女子の話題ならオールオッケークマ! ほれ、言ってみんしゃい」
「……や、なんつーか」
「ただ一条と長瀬が校内でも一、二を争うくらい女子に人気のある男子だって話だよ」
「なんですかそれはー! ズルイクマ、女子の愛不平等法反対クマ!」
「法ってなんだよ……」
「や、そりゃー競争相手なしで校内一人気のあるお前に言われたかねーんだけど? お前の方こそ今日すでに何個チョコもらったんだよ」
「え? えっと……十九個、かな」
「うお、スゲェ……まだ先輩たちのチョコもらってねぇのに」
「さっすがセンセイー! ヨースケは何個クマ?」
「……ゼロだよ。悪いかコラ!」
「おおー、カンジ以下……ここに男としてのヒエラルキーが完成してしまったクマ。センセイ>クマ>カンジ>ヨースケ」
「なっ、まだバレンタイン終わってねぇだろ! っつか、クマお前んな自慢できるほどもらってんのかよ!」
「ンフフ〜、とりあえず十個クマ?」
「なっ……なぜにー!?」
「クマはなんたってジュネスのアイドルクマからして。みんなからのラブコールで溺れそうだクマ」
「……あー、ジュネスの従業員とかオバチャン連中のか……つか、俺だってバイト先からもらったらそのくらいにはなるわ!」
「で、一条たちは何個?」
「俺? 十五個。四個負けだな、今んとこ」
「俺は六個負けだ。十三個」
『…………!』
「ちょ、おま、なんですかそのモテっぷりは!? や、お前らが人気あるのは知ってたけど、それでもそれってもらいすぎじゃね!?」
「はっはっは、悪いねー、モテる男でー。……ま、俺の場合はいい人止まりだけどな、どの子も気軽に話せるから騒いでるだけで」
「そうか? 女の子にいい人って思わせられる人間に、本気で想う子がいないとは思えないけど」
「八十八、こいつをこれ以上褒めんな。つか、気軽に話せるってだけの男がみんな女子から噂されるんなら俺だって噂されるわ!」
「噂されてるぞ。ジュネスのガッカリ王子、とか女子が話してるの聞いたことがある」
「……お前、そー噂されて俺が喜ぶと本気で思ってるか……?」
「まぁまぁ。で、長瀬の方は、その中に付き合いたいと思う子はいたか?」
「付き合いたいもなにも……全員顔を見てないからな。全部下駄箱やら机の中やらに突っ込んであったんだ。直接ならなんとか捕まえようもあるのに」
「はっはー、去年までの女子への冷たい対応が響いてんなー」
「はは……まぁそこから先は努力次第、だよな。尚紀くんは?」
「え……俺っすか? 俺はんな、普通っすよ。二個っす。クラスの、知り合いの女子から、ちょっと」
「……普通で俺より二個ももらってんのか……」
「まぁ、落ち着けって。……でも、そういうのってすごく尚紀くんらしい気がするな。こっそり好かれてる、見てる人はちゃんと見てる、っていう」
「な、なんすか、それ」
「あ、君、小西尚紀くんか。そっか、あの、こいつがノロケてた」
「……は? あの、すいません、ノロケってなんすかそれ」
「や、だからさ、君のことは前から何度もこいつから聞いてたんだよ。すんげーいじらしくて可愛くていい子の一年男子って」
「……八十八さん……」
「ご、ごめん……なんていうかその、君の……その、いい子さというか可愛さというかを少しでも語りたかったというか」
「すいません、嬉しくないっす」
「や、まーともかく、やっと会えて嬉しいぜ。巽もいろいろ話聞いて面白そうな奴だと思ってたしな。熊田さんまで一緒とは思ってなかったけど」
「だな。どうだ、お前らサッカー部入らないか? 鍛え甲斐のない後輩ばっかりで困ってるんだ」
「お前ね、その誰でも部活に誘う癖やめなさいよ。……ん、どした、八十八?」
 陽介は続いていた会話をぶった切って八十八に声をかけた。八十八がなにやら急にうつむいて少し震えているように思えたからだ。
 八十八は顔を上げる。やはり震えてはいたが、恥じらったような笑みを浮かべていた。その顔でなんというか、しみじみと嬉しそうに言う。
「いや、なんていうか。嬉しいな、ってさ」
「……なにが?」
「バレンタインのチョコ、個数を言えるくらいもらっちゃってさ。お前何個もらったって、聞き合える相手がいてさ。そういう俺の友達がさ、こんなにいっぱい、一緒にお喋りしながらバレンタインに俺の作ったチョコケーキ食べてて、楽しそうなのが、なんていうか……嬉しいな、って」
『…………』
 その言葉に、一条と長瀬は揃って『バーカ』と笑って八十八を小突き、尚紀は少し困ったようにだが少し嬉しそうに控えめに笑み、クマは「センセイーっ!」と抱きつき、完二は照れくさそうに頭をかきながらケーキにかぶりつき。
 陽介は沈没しながら思っていた。ちくしょう、んなこと言われたらホワイトデー、本気で気合入れて贈らにゃって気になっちまうじゃんか、バカ。

 放課後にはバレンタインの本来の姿通りに、仲間内の女子と菜々子から揃ってチョコをもらい、笑って、騒いで。
 数日後、ジュネスでのバイトしていた最中に、声をかけられた。
「ええと……花村くん」
「はい! ……と、堂島さん!」
 その相手は八十八の叔父、堂島だった。むろんもう自分たちへの疑いは晴れているはずだし、自分たちへの感謝の言葉すら聞いたが、やはりあいつといる時以外に自分に声をかけてくるのは珍しい。思わず勢い込んで聞いてしまった。
「どうしたんですか、なにかお探しですか? それともあいつになにか?」
「なにか……いや、なにかといえば、そうなんだが……」
 堂島は視線を逸らしつつ口の中でしばしもごもごと喋ってから、意を決したようにこちらを向いて真剣な面持ちで訊ねてくる。
「あのな、花村くん。在のことなんだが……あいつ、学校では、どうなんだ? なにか、その、妙なことはないか?」
「へ? どうって……今まで通りですけど。今までほどアクティブじゃなくなりましたけど、それでも優しいし、面倒見いいし。評判いいですよ。妙なこととかって、特に思い当たりませんけど」
「そうか……それなら、いいんだが。そのな、なんていうか……」
「はぁ」
「……っバレンタインとかで……妙なことしやしなかったか?」
「え……」
 一瞬ぽかんとしてから言葉の意味を悟り、思わずそろそろと聞く。
「……まさか、堂島さんも?」
「やはり、君もか」
 堂島は重々しい顔つきでうなずいた。表情は苦りきっているが、耳の辺りが少し赤かったりするのがなんだかヒジョーにいたたまれない。
「十四日に帰ったら、にっこり笑顔で『いつもありがとうございます、これ、俺の気持ちです』ってラッピングされたチョコを……なんでもトリュフとかなんとかいうやつらしいが、渡されてな。菜々子と一緒に渡してきたもんだから問いただすこともできなくて」
「……はは」
「まぁ、いつも通りうまかったが。妙に気合が入ってるというか、そんな気がするというか……まさか、本命とか……そういう馬鹿なことを思ったわけじゃないが、その、反応に困ってな。なんにもなしというわけにもいかんし……どうしたもんかと思ってるんだ。いまさら問いただすのもなんだし。君はなにか……そういうの、聞いてないのか」
「ははは……」
 陽介は思ってもみなかった同士の登場に、力なく笑ってから、「とりあえず、ホワイトデーに渡すものでも考えてみたらどうっすか?」と背後のホワイトデーコーナーを指差してみた。

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