出会い
 一年前、あたしは生まれて初めて男の人を心の底から『好きだ』と思った。
 半年迷って、真正面から告白した。
「す……好きですっ、付き合ってくださいっ!」
 そうしたら、その男の人は、ものすごく面倒くさそうにあたしの方を見て、吐き捨てるように言った。
「馬鹿かてめぇ、おとといきやがれこの貧乳ブス」
 好きな人にそんなことを言われて、当たり前だけどすごくすごくものすごーくショックで、三日三晩泣いて。
 それから、あたしの人生懸けたレンアイは始まったのだった。

「ステファニア・パルッチィ!」
 名前を呼ばれ、あたしは椅子から立ち上がって壇の上へと向かう。毅然と顔を上げて、堂々と。
 これも教授の方々への点数稼ぎの一環。だってただでさえ無理やり一年卒業早めてもらってるんだから(ちゃんと単位は必要な分履修してるんだからね、念のため)ちょっとでもいい印象与えとかないとマズイもん。魔法使いギルドとはたぶんこれからも長い付き合いになるんだろうし。
 壇の上で学長から卒業証書を渡される。すっと手を伸ばして受け取って、深々と、といっても下げすぎないくらいにおじぎ。そして顔を上げよう、というところで学長から声をかけられた。
「君は、勇者の仲間になることを目指すんだったね」
「……はい」
 本当は勇者≠フ仲間じゃなくてあの人≠フ仲間になることを目指すんだけど(だってそうじゃなかったら意味ないもん)、そこまで説明はしない。いちいち言うのめんどいし、なんやかやケチつけられるのやだし。
「そうか……その道はおそらく一番厳しい道だろうが、君の絶えず自己を研鑽する心があれば乗り切れるだろう」
「ありがとうございます」
「ただし、勇者といってもいろいろいるからね、そこらへんの見極めはきっちりとしなさい。間違ってもアザロ家の……勇者オルテガの息子のような、凡愚を選んだりしないように」
 あたしは、当然かっちーんときた。
「わざわざお気遣いありがとうございます、学長。……ところでその勇者オルテガの息子の名前、ご存知ですか?」
「は? ……いや」
「彼の名前はゴドフレード・アザロ。戦闘技術の評定B呪文の評定C戦術戦略の評定D、ただし秘めた潜在能力は未知数。現在十五歳で明後日が誕生日、当然明日が勇者資格試験の試験日! 勇者瓦版でも合格する可能性は低いというのが大勢、ただしこれまでの試験はギリギリながらも合格していて死ぬ気になれば合格する可能性もあり、と試験官の一人がコメント添付! 人のことを批判する時はせめて相手のことをこのくらいはきっちり知ってからにしてくださいね、学長サマ!」
 にっ! と思いっきり怒ってますよ、という感じの笑みをぶつけてからふんっ! とターン。ずかずかと床を踏み鳴らして席に戻る。
 小声だったからたぶん周りには聞こえてないと思うけど、やっぱりなにか不穏な雰囲気が漂ったのは隠せなかったんだろう、ちょっとざわざわとしたけど式は滞りなく続けられた。まぁ卒業式なんだからそうなるだろーなーとは思ったけど。
 あたしは学長の台詞にかなりムカムカしてる部分も、あーこれで好印象とかマイナスになったよねー、とか落ち込む部分もあったけど、やっぱり心の大部分は卒業式後に飛んでいた。ようやく、ようやくこの日がやってきたんだ。やった、ちゃんと間に合った。卒業証書を見つめてにへへー、とにやつく。これを見せた時あの人がどんな顔をするか想像すると、もうドキドキしてたまらない。
 待っててよ、フレード。あたしがあなたのこと好きな証、しっかり見せつけてやるんだから!

「フレード!」
「…………」
 この時間ならこのへんだろう、と思った通りフレードはストラダ通りにいた。ルイーダの酒場のある冒険者通りよりもっと柄の悪い盛り場。そこらへんで待ち伏せしてると、予想通り通りの隅っこをてろてろだるそうにやってくる。
 そこに満面の笑顔で声をかけると、フレードはいかにも面倒くさそーな、鬱陶しそーな顔でふん、って感じに鼻を鳴らして、顔を背けた。いつものことながらがんっ、って頭殴られたくらいショックだけど、このくらいで負けるもんか。にこにこっ、と馬鹿みたいかもってくらい明るい笑顔浮かべてたたっとフレードの前に回り、ばっと卒業証書を突きつける。
「じゃんっ! 魔法使いギルドの卒業証書!」
「…………」
 ちょっと目を瞠った、みたいな感じがした。よっし! 手応えあり! と拳を握り締めて、笑顔で話しかける。
「ねっ、これで明後日勇者として旅立つことになっても、あたしちゃんとついていけるからねっ!」
「……アホか。頼んでねーよ」
 ぶっきらぼうに、重低音で吐き捨てるみたいに言って背中を向けるフレード。うぐ、と一瞬言葉に詰まるけど、このくらいでめげてちゃフレードとはつきあえない。すたすた歩み去るフレードの後ろからてこてこついていってにこにこ話しかける。
「そりゃ頼んでないけどさっ、女の子がだよ? こーいう風に頑張って男の子についていこうとしてるんだよ? ちょーっとくらい『あ、頑張ってるな、可愛いな』とかって思わない?」
「思わねーよ」
「っ……けどさっ、仲間選ぶんだったらこの子しかいないなー、くらいは思うでしょ? あたし教授どころか学長にも優秀だって褒められちゃったし!」
 もっとも学長にはちょっと喧嘩売った? みたいな感じだけど。もーアリアハンの魔法使いギルドの敷居またげないかも、あはは……。
 ずーんと落ち込む心に蹴りを入れつつあくまで明るく言うと、フレードは鬱陶しげに(たぶん眉間にはふっかーい皺が寄ってるんだろうなってくらいに)怒鳴った。
「うっぜぇんだよお前は! そもそも俺は勇者になるつもりも予定もねーっつってんだろが! 付きまとうなって何度も言っただろーが、邪魔くせぇんだよ帰って寝ろブス!」
「………っ」
 いつものことだけど、フレードに怒鳴られると、胸の辺りが凍ったみたいに冷える。さーって血の気が引いて、なに言えばいいのかわかんなくなる。怒らせちゃった、どうしようどうしよう、そんな言葉が頭の中でぐるぐる回って、怖くて地獄に落っこちた時にはこんくらいじゃないかなってくらいショックでもう泣き出したくなる。
 だけどあたしはむしろすいっと胸を反らせてみせた。負けちゃダメだ、こんなことくらいで泣いちゃダメだ、そんなことじゃフレードには絶対ついていけない。
「あたしブスでも有能だもん! 頑張って今年中に卒業までの単位全部履修したもん!」
「……だからなんだよ」
「だから今度はフレードが頑張る番だー、とか思わないかな? 女の子ばっかり頑張らせてちゃ男がすたるでしょ!」
「俺は頑張ってくれなんて頼んでねーんだよ。余計なお世話だ。うぜーんだよお前はいっつもいっつも」
 こっちを見てもくれないまま苛立たしげに吐き捨てられて、ぐ、とあたしは歯を食いしばって泣くのを堪えた。ここで泣いちゃダメだ、泣いたらもっと鬱陶しいって思われる。明るくしてなくちゃ、ちょっとでもフレードの周りの空気楽にできるように。ほら笑え、あたし!
「あー、そーいうこと言う? おっとこらしくないなー。あたしと約束したでしょ? あたしが飛び級して魔法使いの修練生卒業できたら、勇者試験ちゃんと受けてあたしのこと仲間として連れてってくれるって!」
 修練生っていうのは魔法使いギルドで魔法使いの資格を得るため学んでる……まぁ、早い話が見習いのこと。これを卒業して初めて一人前の魔法使いを名乗ることが許されるっていうわけ。職業選択の儀で魔法使いを選んでからそっちの勉強を始めるって人もいるけど、魔王のせいで即戦力が求められる売り手市場の現在は、早いうちからギルドにお金を払ってそっちの勉強をさせてもらうっていう子が圧倒的多数。
 あたしもその口で、お父さんやお母さんに『魔法使いをやるなら早いうちに勉強しなきゃ』って言われてギルドで勉強してたんだけど、半年前までは十六歳、つまり来年までに卒業できればいいやってのんびり勉強してた。
 それが変わったのは、当たり前だけど。
「あたし、フレードと一緒に旅するためにもーめいっぱい頑張って勉強したんだから! ちゃんと約束守って、連れてってよねっ!」
 言った。ちゃんと言えた。明るく元気に、テンション上げて言い切れた、はず。
 喉が渇く。音を必死に噛み殺しながら唾を飲んだ。手が震える。だってやっぱり怖い、約束っていったってあたしの方から一方的にしたみたいなもんだし、断られたって怒られたって文句は言えない。
 でも、あたし頑張ったよ。ほんとにほんとに頑張ったよ。毎日研究室に残って、家でも真夜中過ぎるまで勉強して、少しでも点数稼ぐために教授のパシリになったりしたしセクハラまがいのこと言われても笑って流したよ。
 だから、お願い、神様……頼むから、こっち向いて……!
 そう祈りながら必死にフレードの背中を見つめる――けど、フレードはすぱっと、ひどく鬱陶しげに吐き捨てた。こっちの方なんか、見もしないで。
「あんな約束俺が守るわけねーだろ。勝手に期待してんな、鬱陶しいんだよドブス」
「っ、…………」
 きっぱりと、すっぱりとそう言われ、あたしは一瞬息が止まってしまった。
 ダメだってば、このくらいで諦めちゃダメ、こんなの何度も言われてることじゃない。そう必死に自分に言い聞かせるけど、頭の中ではがんがんフレードの声が鳴る。ドブス。鬱陶しいんだよ。鬱陶しいんだよドブス勝手に期待してんな。
 そうだよ、勝手に期待してたよ。だってそうしなきゃどうすればいいかわからなかったんだもん。
 あなたになに言っていいかわかんなくて。どうすればあなたの力になれるかわかんなくて。それでも必死に考えて。結局約束押しつけることになっちゃって。
 自分のことなんて馬鹿なんだろうって何度も思ったけど、あなたに証明するにはこれしか思いつかなかった。あたしはただ、本当に、あたしがあなたのこと好きだってわかってほしかったんだよ。ほんとにほんとに好きだって。
 それで、あなたが苦しいのを、ちょっとでもなんとかできたらなって、そう、思って。
「………っ」
 あたしの喉がひっく、と鳴るのをあたしは必死に抑える。泣くな、あたし。このくらいで負けてどうする。これまで何度も考えたじゃない、このくらい言われるかもって、もっとひどいこと言われるかもって。何度もシミュレーションしたじゃない、泣けばいいって思ってる子だって思われたいわけ?
 だけどだって胸がどうしようもなく痛い。ずきんずきんと全力疾走した時みたいに心臓が痛い。目がやめろやめろって言ってるのに勝手にじわぁって熱くなる。やだやだ、こんなの駄目だって、変わるってあの時に決めたくせに。
「………っ、ぅ」
 ダメだこのままじゃ泣く! と判断したあたしは、フレードに背中を向けてダッシュで逃げ出そうとして――
「ちょっと待った」
 太く低い声と、小さいけどしっかりした手に引きとめられた。
「……え」
「……んだよ、あんたら」
「俺たちの氏素性は気にしなくていいぞ、ただの通りすがりの」
「ラブラブバカップルでーっす!」
「いや、お節介焼きとその連れだから」
「むーっ、ステヴってばつれないー。あたしがせっかくこっちの女の子の腕がっしりつかんでるのにっ。これぞまさに糟糠の妻の内助の功! って思わないかなーフツー」
 あたしの腕をつかんでいるのは、あたしよりもだいぶ背の低い(あたしの身長は158cmだ、それよりも縦にした拳一つ分くらい低い)黒髪の女の子だ。なにやら謎の文字が染め抜かれた武闘着を着ているところからすると武闘家なんだろうけど(この背で? と自分で考えながらちょっと思った)、この子……なんというか……背は低いのに胸がやたらでかい。
 腕をつかまれてるからちょうど顔とかを見下ろす感じになるんだけど、胸の辺りがどーん! と思いっきり張り出してるっていうか……なにこれちょっとこのでかさ! ってくらいでかい……うう。ちくしょー悪かったねーどーせあたしAカップだもん!
 で、その背後からのっそりやってきたのがさっき声をかけてきた、背の高いがっしりとした戦士のおじさんだった。灰色の髪と灰色の目だからすごく年を取った感じに見えるけど、その印象を差っ引いてもたぶん三十代だ。
「はいはい、それは感謝してるからちょっと黙ってろ。……でだ、お二人さん」
 ずい、とあたしとフレードの間に顔を割り込ませ、その戦士のおじさんは重々しい声で言った。
「さっきから話を聞いていたんだが。ちょっと口出しさせてもらいたい」
「……え?」
「なに言ってんだ、関係ねーだろどっかいけよおっさん」
「ちょっとーステヴはおっさんじゃないわよっ、年だって三十一だし夜の方だってもうすんごい」
「いやユズ、おっさんでいいから、自分でもおっさんだと思うから。というか俺の夜の方がどうとかお前知らないだろ」
「……もう行くぞ」
「いやいや、ちょっと待った。……さっきから話を聞いていたんだが……君(とフレードを指して)が勇者試験の近い勇者候補。で君(とあたしを指して)が魔法使いギルド卒業したてほやほやの魔法使いで、勇者候補くんに勇者試験を受けて自分を旅に連れていってほしいと思ってる。間違ってないかな?」
「え……は、はい」
「だからなんだよ」
「うん、だから口出しさせてもらいたいんだ。そこの勇者候補くん……名前はフレードでいいのかな?」
「……ゴドフレード・アザロだ。妙な愛称で呼ぶな、っつか愛称で呼ぶな」
「うん、じゃあゴド」
「てめぇ人の話聞いてんのかよ!?」
「聞いてたよ。はっきり言わせてもらうが、君は意地を張りすぎだぞ」
「……はぁ!?」
 あたしは妙な成り行きに口をぽかーんと開けて目の前の状況を見ていた。なに、なんでフレードが見ず知らずの戦士のおじさんに説教されてるの? あたしの手をがっちりつかんでいる武闘家の女の子にもちらりと視線をやってみるけど、女の子はにこにこ……にやにや? にへにへ? しながら戦士のおじさんの方を見るばっかりであたしに目をくれる様子はない。
「君だってこの子のことが本当は好きなんだろう? まぁ男として好きな女の子の前じゃ素直になれない気持ちはわからなくもないが、あんまり意地を張りすぎると本当に嫌われちゃうぞ。女の子は傷つきやすいんだから」
「え……」
 あたしはさらにぽかぽかーん、と口を開けた。フレードは一瞬ぽかんと口を開け、それからみるみるうちに顔を真っ赤にしながら怒鳴った。
「な……なななななななに抜かしてんだこのクックククッククソジジイぃゃぁっ!!?」
「わーうろがきてるー」
「君だってこの子が好きなんだろう? そうじゃなきゃあんな辛そうな顔はしないよ。言いながら本当に嫌われちゃったらどうしよう、とかこんなことは本当は言いたくないのにごめんねごめんね、とか顔に書いてあったよ?」
「いいいいいいいい加減なこと抜かすなこのクソボケジジイっ、おれはおれは俺は別にステファニアのことなんてなんとも」
「え……」
「え?」
 あたしが思わず上げた声に、なぜかフレードは反応してこっちを向いてくれた。それに状況を無視してあたしはどーしようもなく嬉しくなってしまって、ぽろぽろっと思った言葉を口からこぼす。
「あたしの名前……覚えてて、くれたんだ……」
 へら、って顔が笑った時、目にいっぱい溜まってた涙がぽろりと瞳からこぼれた。あっ、ヤバい泣いちゃった、とカッと顔を赤くして反射的に隠れる場所を探していると、フレードもなぜかますます顔を赤くして、ぐっと奥歯を噛み締めて、くるっとこちらに背を向けてだーっと走っていってしまった。
「あ……」
「ごめんね、ちょっと待っててくれるかな? ユズ、こっち頼む」
「はーい。あとでご褒美よろしくねっv」
 戦士のおじさんは武闘家の女の子とそんなやり取りをしたあと、フレードを追って走り出した。女の子……ユズ、っていうのかな? はあたしの手を握ったまま、やっぱりにこにこへらへらとおじさんの背中を見ている。
 角を曲がって見えなくなるまで見続けて、それからほうっ、とため息をついた。
「あー……やっぱり誰かを助けようとしてる時のステヴはもーサイキョーサイアクサイコーにカッコいいなー……v」
「…………」
 この子、あのおじさんが好きなのかな? けっこう可愛いのに……変な趣味。
「むっ!? あんた今『変な趣味』って思ったでしょ!?」
 なにこの子心読める子ですか!?
「ご、ごめん、ただけっこう可愛いのに年離れすぎじゃないかなって思っただけで」
「んもー、年が離れてるからいいんじゃないわかってないなー。あの円熟味と大人の渋みは年が離れてなきゃ出せないわよ」
 渋みって……あの人ものすごくどこから見てもおじさーん、って感じのおじさんだったけどな。
「あのどこかうらぶれたしょぼくれた雰囲気v 剃ってもうっすら残る無精髭v ざらついた肌にうっすら薫る体臭v どこをとってもステキすぎでしょ!? あーもうステヴサイコー……v」
「…………」
 やっぱり変な趣味。
「え、えーと、ユズ……ちゃん、でいいの? は、あのステヴって人と恋人、なんだよね?」
「………っ!! あんた、いい子ねっ!!」
 いきなりがっしとあたしの手を握り上下に揺さぶるユズ。あのちょっと痛いんだけど。
「そーよあたしとステヴは運命の恋人なのっ! あ、ステヴはステルヴィオ・トロヴァヨーリっていうの、ステヴっていうのはあたしだけの愛称だからそう呼ぶのはやめてね、あたしはユズでいーから。ちなみにあたしの苗字はシドウね。ステヴとは五年前に出会ったんだけどねー、あの時のステヴはあたしがもうたまらなく飢えと渇きに苦しんでいるところにやってきて『これを飲んで、ゆっくりね』って水をすんごい渋い動作で差し出してくれてー……」
 それからユズは怒涛の勢いで喋りまくり、あたしは「ごめん、彼と少し話をしてきたから」とステルヴィオさんが戻ってくるまでに、二人の出会いから年齢から経歴から性格から胸の大きさから(Gカップらしい。なにそれおかしいでしょそのでかさ!)あの日の周期まで、つぶさに知ることになったのだった。

「さ、飲んで。疲れたあとは甘いものがいいよ」
「…………」
 にこにこしながら甘そうなココアを差し出すステルヴィオさんを、あたしはどう反応しようか迷っています、という顔で見つめた。ステルヴィオさんの隣のユズは、ステルヴィオさんにぺっとりくっつきながらパフェなんて食べてる。
 あのあと、立ち話もなんだということでカフェに連れてこられたんだけど。この人、なんでこんな店知ってるんだろう。もろ女の子用、って感じの店なのに。
「あ、もしかしてお腹空いたかな。なにか食べる? ここは軽食もおいしいよ。ケーキでもいいし。今日のおすすめは……」
「あの……ステルヴィオさん」
「ん?」
 にっこりと笑顔を向けてくるステルヴィオさんに、あたしは言おうか言うまいか迷っていた言葉をぶつけた。
「あなた、何者なんですか?」
「え、俺かい? 俺はステルヴィオ・トロヴァヨーリって言って職業は戦士で現在フリーの傭兵やってて……」
「そういうことじゃなくて……なんで、あたしたちのあんなところに現れて、口出ししてきたんですか?」
「ん? しない方がよかったかな?」
「いえ……そういうわけじゃ」
「言っただろ、通りすがりのお節介焼きだって。俺はなんていうか、もうどうにもならなくなってる状況を見てるとどうにかしようと割って入らずにはいられない性格なんだよ。ただそれだけ」
「はぁ」
「まぁこの性格でこれまでにいっぱい厄介事も背負い込んだけど、仲良くなれた人もいたし……」
「あたしみたいなかわゆい妻もできたしv」
「妻じゃないから」
「じゃあ結婚を前提に付き合ってる恋人」
「恋人でもないから」
「恋人じゃないんですか?」
「違うって。俺とこの子十四歳離れてるんだよ、どう見たって釣り合わないだろ」
 へー、この人、そこらへんの良識はちゃんとあるんだ。あたしはちょっとほっとして、ココアをくいっと飲んだ。甘くておいしい。
「で、ずばり聞くけど」
「っ、え?」
「君は、ゴドフレードくんのことが好きなわけだよね?」
「っほは!」
 あたしはむせた。げほげほと喉の奥から相当な勢いで咳を吐き出す。
「なななっ、なに言い出すんですかっ!?」
「あれ、好きじゃないの?」
「え、いやその、まぁ、えと。……すきです、けど………」
 消え入るような声になったけど、ちゃんと言った。そうしたらステルヴィオさんはにこにこーっとやたら嬉しそうに笑んで聞いてくる。
「そっかそっかー。馴れ初めとか聞いてもいい?」
「なれそめ、って……そんなたいそーなものでもないんですけどー」
 あたしは照れ照れと笑み崩れながら、ついつい話し出していた。だってあたしフレードが好きだっていうの家族にも友達にも反対されてるし、のろけ話(いやまだくっついてないけどさ……)聞いてくれる人いないんだもん。
「……フレードは、あたしを助けてくれたんです」

 一年と少し前、あたしは盛り場を歩いていた。普段はあんまりそういうところ歩かなかったんだけど、家に帰る近道だったし、友達の誕生日パーティの帰りでちょっとだけ場の雰囲気に酔って、まぁ舞い上がったりしてたんだと思う。あたし基本的に人見知りで引っ込み思案で、あんまりそういうとこ行ったことなかったから。仲よくなってくるとかなり喋るんだけど。
 それでうっかりチンピラさんに絡まれてしまった。
「ね、遊びに行こうよおじょーちゃーん」
「面白いとこ知ってるからさー」
「いぇっ、あの、いえっ」
 あたしはもう半泣きになりながら必死に首を振る。今ならチンピラたちは(なにせあたしはまだ十三のどっから見ても子供だったわけだし)単に面白がってあたしをからかってただけなんだろうとわかるが、その時のあたしはもうパニックだった。このままじゃあたしはこの人たちにいやらしいことされて店に売られて最後にはアリアハン海に沈められるんだ、と思うと怖くて怖くて仕方なかった。
 だから必死に誰か助けて、と祈りながら周囲を見回しても、自分を気に留めてくれる人は誰もいなくて。
「ほらーおじょーちゃんきょろきょろしてないでさー。俺たちちゃんと可愛がってやるからさー」
「いえ、あの、はやく、いえにかえらなきゃ……」
 怖くて怖くて泣きそうになりながら頼りない口調で必死に言って逃げようとしても、相手はしっかりあたしを取り囲んで逃がしてくれない。やだ、やだ、どうしよう、誰か助けて。ただ頭の中でそう繰り返すしかできなくて、もう泣き出しちゃいそうな状態になってると。
 ばきぃっ、と音がして目の前の男が横に吹っ飛んだ。
「……え」
「な、なにしやがるてめぇっ!」
 チンピラたちがばっと身構える。だがそれにもかまわず男を剣の鞘で殴りつけたその人は、残りのチンピラを蹴り倒し(剣の鞘で)殴り倒し、十数えもしないうちにチンピラたちを全員ノックダウンさせてしまった。
 あたしは呆然としてそれをただ見つめるしかできなくて。その人はチンピラたちを殴り倒すと、あたしの方を一瞬だけちらりと見た、かと思うとふんと鼻を鳴らしてあっさりあたしに背を向け、その場を立ち去っていってしまった。あたしはお礼も謝罪も、まだなんにもしてなかったのに。
 ただ呆然。顔もろくに見えなかったし話だって一言もしてない。なのにその人のあたしを一瞬だけ見つめた眼差しは、あたしの心に突き刺さり、斬りこんだ。
「……あんた、大丈夫かい?」
「……え……あ、はい、ありがとう、ございます……」
 この近辺に住んでるのだろうか、いかにも夜の商売をしていそうな中年の女の人(あとからわかったことなんだけど、その人こそがたまたま買出しに来ていたルイーダの酒場の主人のルイーダさんだった)に声をかけられて、あたしは少し怯えながらも頭を下げた。女の人は軽く笑む。
「あんたみたいなお嬢さんが、あんまりこんなところに来ちゃいけないよ。今日はたまたまゴドフレードが通りがかって、しかも運よく苛ついてたからよかったけどねぇ」
「……あの人、ゴドフレードっていうんですか?」
「うんそう、ゴドフレード・アザロ。勇者オルテガの息子、知らないかい?」
「え……勇者オルテガの息子!? って、盛り場をうろついて親のお金で遊びまわっているって噂の……?」
「まぁ、そいつだね。あいつもしょうがない奴だよねぇ、実際そういう噂が立つのも当然ってことしてるしさ。女遊びはするわ喧嘩騒ぎは起こすわ。まぁ悪い奴じゃないんだけどねぇ、今みたいに絡まれてる女の子を助けるみたいなこともたまにするし……」
 ルイーダさんから話を聞いて、あたしはフレードの氏素性をだいたい知ることになった。あたしよりひとつ年上の、なのにもう大人かってくらい体が大きくて、ぶっきらぼうで無愛想で喧嘩っ早くて親のお金で遊びまわっているっていうその人のことを。
 その時はただもう呆然として、強烈な印象だけが残されて。でもどうしても気になって、こっそりルイーダさんに教えてもらった家に行ってみたりして。会えなくてすごすご戻ってきたりして。
 なのにたまたまものすごく無愛想なつまらなさそうな顔で盛り場をうろついてそういう店に入ったりするの見ちゃったりして。なぜかすごく、泣いちゃうくらい胸が痛くって。
 そんなことを何度も繰り返して、ようやくあたしはあの人が、フレードが好きなんだって自覚した。
 だけど告白なんてできっこないって思ってた。あたしみたいな子供相手にしてくれるはずないし、あたしのことなんて目にも入ってないのはよくわかってたし、きっと鬱陶しがられるに決まってるって。
 でも、それでも諦めきれなくてついつい盛り場をうろついて遠くからフレードを眺めたりしてるうちに、フレードがなんだか、ひどく辛そうだって思うようになって。
 彼が助けを求めてるんじゃないかって思えてきて。周囲の無理解に苦しんでるんじゃないかって思えてきて。オルテガの息子という名前の重圧に苦しんで、誰か自分を純粋に好きになってくれる相手を求めてるんじゃないかって思えてきて。
 悩んで、迷って、それでもそういう気持ちはやたら膨れ上がって、半年前に告白した。
「す……好きですっ、付き合ってくださいっ!」
 そうしたら、フレードはものすごく面倒くさそうにあたしの方を見て、吐き捨てるように言ったのだ。
「馬鹿かてめぇ、おとといきやがれこの貧乳ブス」
 って。

「なにそれ! んなこと言ったのあいつ、サイテーね! 恋する乙女にんなこと言うなんて!」
 自分のことのように怒るユズに苦笑しながら、あたしはうつむいてココアのカップを見つめつつぽそぽそと言った。
「でもね、落ち着いて考えたらフレードの気持ちもわかったんだよ。だってあたし本当にフレードとろくに話もしないうちに、一度会った時の印象だけで勝手に好きになって、勝手に妄想膨らませたあげくに告白したんだもん。そりゃ、フレードだって鬱陶しいな、って思うと思うよ」
 それでもやっぱりショックで悲しくて三日三晩泣いたけど。
「だけどさー」
「だから、あたし、決めたの。変わろうって」
「え?」
「ちゃんとフレード自身を見つめられるあたしになって、フレードも好きになっちゃうような女の子になって、そんなあたしを知ってもらって、それから改めて告白しようって」
 それも、けっこう思い込み入った結論だなー、と時々思ったりもしちゃうけど。
「だから、立ち直ってから一週間後に改めて会いに行って、宣言したの。『あたしの気持ちを証明します、これから半年で魔法使いギルド卒業してみせますから仲間に加えてください、それから一緒に旅をしてお互いのこと知ってから改めて返事してください』って」
 フレードにはすごく鬱陶しそうな顔をして「ざけんな鬱陶しいんだよブス」って言われちゃったけど(ちょっと、泣いた)。
「それはまた……ストレートだね」
「いいじゃん、恋する乙女はそれくらいパワフルじゃないとさー。それでそれで?」
「フレードは、すごく鬱陶しがったけど……こわくて、泣きそうだったけど、一週間ごとに会いに行って、いろいろ勝手に喋りかけたの。勉強このくらい進んだとか、この前こんなことがあったとか、フレードはなにかあった? とか聞いたり。答えてくれなかったし、いっつも鬱陶しそうだったけど……あたしのこと、覚えてもらわないと始まらない、って思って。必死に明るい女の子の振りして、好印象与えられるようにして……」
「うんうん、いい手じゃん。やっぱ女は押しの一手よねー」
「いやぁ、それはどうかと思うけど。それで?」
「毎日毎日必死に勉強して。遊びに行ったりもしないで、教授にいい印象与えられるように頑張って。そうしたらどんどん時間が過ぎて、一週間ごとに頑張っておしゃれして、ってやるのも疲れてきた頃……フレードが勇者資格試験受けるの嫌がって、毎日親と大喧嘩してる、って知ったの」
 そのことを知った時には、だいぶ愕然とした。
「あたし結局自分の都合ばっか押しつけてたのかって思ったら、もう大ショックで、あたしなんか死んじゃえとか思ったりして」
「いやぁ、なにもそこまで思うことはないんじゃないかなー」
「もう全部やめちゃおうか、とも思ったけど……それでも結局、勉強続けて、フレードと会う日には、ちゃんとおしゃれして会いに行ったの」
「えー? なんでなんでー」
「…………」
 その時の気持ちは、ちょっと言葉にしづらい。
「なんていうか……自分が馬鹿だって思ったから、だからこそこれは最後までやりぬきたいって思ったっていうか、フレードの力になりたいっていうか、フレードはきっと親とかの思いのままになる自分が面白くないだけで勇者になるのはそんなに嫌じゃないんじゃって気もしたから試験受けるきっかけになれるかもっていうか、なんにも知らない女の子が変わらずにひたすら自分を慕ってるっていうの、フレードにも救いになるんじゃないかって思ったし……」
「あー、つまりそんくらいあいつが好きだった、と」
「…………うん」
 あたしは顔を赤くした。まーぶっちゃけそーいうことなんだけどさ……ストレートに言うとやっぱ恥ずかしい。
「なんでー? こー言っちゃなんだけどさ、ステファニアって胸はないけどけっこー可愛いし、一途だしいい子だし、もっといい男いくらでもいるじゃん」
 胸ないっていうのはよけい、っていうかあんたに言われるとすごく腹立つんですけど! と思ったけど、さすがにそう親しくもない子に言うのはどうかと思ったので、しぶしぶ問いに対する正直な気持ちを口にした。
「わかんない……」
「わかんないの?」
「うん。なんでフレードなのかはわかんない。でも、フレードがいいっていうか、フレードじゃなきゃ駄目なの。フレード以外の男の子に興味持てないの。あの一瞬の目つきとか、助けてくれた時の身のこなしとか、ひどい言葉言われても、そういうの思い出して、ドキドキしちゃうの……」
「……あー。そっかー。そりゃーしょーがないね」
 ユズがうんうんとうなずくのに、あたしは思わずその手をがっしと握った。
「そう!? ユズ、わかる!?」
「わかるわよー、そりゃ。だって女の部分が恋しちゃったんでしょ? ならもーしょーがないって。子宮が相手を求めてるんだもん、どこまでも追っかけるしかないじゃん」
「だよね! そうだよね!」
「子宮って……」
 ステルヴィオさんがぼそりと呟いた突っ込みにこっそり同意しながらも、あたしの恋を受け容れてくれた人がいたことに感動してあたしはぶんぶんとユズの両手を揺さぶった。
「しょうがないよね、もうお腹の底から好きー、ってなっちゃうんだもん」
「そーそー、体が勝手に動いちゃうんだもん、しょーがないよ」
「人生賭けるほどのことなの、ってわかってないよね、みんな」
「そーそー、釣り合ってないとかよけいなお世話だよねぇ、人生なんて恋して戦って押し倒してなんぼだっつーの」
「……えーと! ステファニア、ゴドのことなんだけどね!」
 唐突にステルヴィオさんが声を上げたので、あたしは驚いてそちらを向いた。
「え……はい」
「君は、やっぱりゴドに勇者資格試験を受けてもらって、魔王征伐の旅へ一緒に連れていってほしいわけだよね?」
「……はい。フレードは嫌がってるけど、でもやっぱり、受けなかったらフレード、きっと後悔するんじゃないかなって」
「うんうん」
 深々と何度かうなずいて、ステルヴィオさんは笑顔になった。
「じゃあ、明日のうちにルイーダの酒場に登録しておきなさい」
「え……」
「大丈夫。きっと君の願いは、かなうから」
 にっこり笑って告げるステルヴィオさんの言葉に、あたしは目をぱちぱちさせた。

「ステファニアさーん! ゴドフレードさんがお呼びよ!」
 ドキーン! と心臓が跳ねる。ルイーダの酒場の二階で緊張しながら待っていたあたしは、だっと一階へと向かい走った。
 一階、カウンター前で待っていてくれたその人の額には勇者のサークレット。身にまとうのは新品の武具。いかにもな新人勇者のいでたち、だけど周囲で交わされるのは悪意のある囁きがほとんど。
 だけどあたしにはそんなの関係ない。関係ないって決めた。だからえへへっと明るく、できるだけほがらかーな感じに笑って、その人――フレードに頭を下げた。
「ステファニア・パルッチィです! って、知ってるよね。改めて、これからよろしく!」
 フレードはふん、と鼻を鳴らして、無愛想に答える。
「勘違いすんな。魔法使いわざわざ探すのめんどかったからたまたま目に入った奴選んだだけだ。馴れ馴れしくすんなよ」
「……っ、いいよ、今はそれでも。あたしを一緒に旅する相手に選んでくれたっていうだけで充分」
「……ふん」
 苦虫を噛み潰したみたいな顔になってフレードは背を向け――その体が大きく飛び上がった。
「ってぇっ!! なっにしやがるこのアマ……!」
「えっらそーなこと言うんじゃないわよー、他に当てなかったくせして。あたしの親友にひどいこと言ったら基本的に即蹴りが入ると思いなさいよね」
「いつ親友になったんだよてめぇら」
「おととい! 出会ったその日に親友になった!」
「こっのアマ、もろ脛に蹴り入れやがって……おいステル! こいつお前の女だろ、しっかりしつけやがれ!」
「いや俺の女じゃないから。っていうか俺は女の子しつけるのあんまり好きじゃないから、これからもたぶん暴れると思う」
「ぬけぬけと言うんじゃねーこのヘタレお節介オヤジがっ!」
「あははっ」
 あたしは声を立てて笑ってみせる。実際けっこうおかしかったし。
 正直、あたしはフレードのことまだろくに知らない。だって話してくれなかったし。なにがそんなに苦しいのかとか、そんなに親と不仲なのかとか、いつから不良になったのかとか。フレードだってあたしのことろくに知らないと思う。話した内容覚えてくれてるとは思えないし。
 でも、いい。そんなの別にいい。一緒にいると上がる体温、その分の熱だけだって人生賭ける理由には充分だ。少なくともあたしはそう思う。だから、あたしは笑顔で、フレードの背中を、なだめるように杖でこんこんと叩いてみせた。
 頭を押しつけるなんてことは絶対できないし、手で背中触るなんて恥ずかしくて絶対ムリ。だから今はこの程度。
 でも、いつかは、こっちちゃんと振り向いてもらえるように、頑張るもん。そう決意を込めての接触に、フレードは鬱陶しげに、「ウゼェ」と吐き捨てた。

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