夜の町
「………はあぁ………」
 あたしはもう数えきれなくなってきたほどの回数くり返したため息を深々と吐き、しゅんと自分の膝の間に顔をうずめてしまう。
 視界に映るのは、自分の足と、街中なのに砂で覆われて砂漠のようになっている地面くらい。そんなものでも眺めるしかないほど、あたしは惨めな気分だったんだ。
 ここはアッサラーム。商人たちの自由都市。ユーレリアン大陸の東西を結び、品物を流通させる富裕と享楽の街。
 ――そして、富を求めてやってきた世界中の男たちに春を売る、売色都市。
 そこであたしが、たった一人でなにをやっているかというと――
「……はあぁぁ………」
 どうしてもため息が出てしまう。自分の馬鹿さと惨めさに、呆れ果てずにはいられない。
 だってあたしは今、人生懸けて追いかけてきた男の子が、女の人を買って戻ってくるのを待ってるところなんだから。

 無事カンダタを……取り逃がしはしたものの、ロマリア王家に伝わる冠はちゃんと取り戻して、ロマリア王家から公認の免状をもらったあたしたちは(もちろんフレードが勇者の資格を取ったのはアリアハンで、ロマリア王家に認められなきゃいけない筋合いはないんだけど、ロマリアという大国の中で『よそ者じゃないんだぞ』と大きな顔ができるっていうのはけっこう大きい)、東進して国境を越え、アッサラームへとやってきていた。
 とりあえずの目標としては、ポルトガで船をチャーターできるようになること。そうすれば世界中を船で行き来できるようになり、世界各国に顔と名前が売れ、名実ともに一流の勇者だっていうお墨つきがもらえる。……フレードが本当に、勇者として上を目指してるのかどうかはあたしにはわからなかったんだけど、これからの方針をみんなで話し合った時に、ステルさんから出たそういう意見に反対はしなかった(というか、『勝手にしやがれ』とそっぽを向いてろくに話し合いに参加しなかった)から、とりあえずはそういうことを目的として動くしかない。
 そのために必要なのは、資金とコネ。そして、実績だ。とりあえず『大盗賊カンダタから盗まれた宝物を取り返した』というのはそれなりに大きな実績ではあるけど、捕えることはできていないので、誰もくさしようのない大実績というわけでもない。
 なので、まず第一目標として、『イシスのピラミッドに潜って黄金の爪を手に入れる』という実績を手に入れたらどうか、とステルさんは言ったんだ。ある意味伝説の呪われた武器、黄金の爪。イシスの古王朝の王がお気に入りの武闘家に授けたものの、その魔物を招き寄せる呪われた性質によって寵愛した武闘家を失うことになってしまったといういわくつきの代物。それを古王朝の王は、自らの墳墓に副葬品としてしまい込んだという伝説は、あたしも聞いたことがあった。
 でも当然ながらそんな呪われた武器なんか使いようがないんじゃないかってあたしたちは言ったんだけど、ステルさんはその対策も考えていた。というか、ステルさんが仕入れた情報によると、黄金の爪の呪いというのは、黄金の爪そのものが自身を装備した武闘家を、使い手として認められないことが理由らしい。『自らを振るうにふさわしからず』と黄金の爪が考えたから、魔物を招き寄せて使い手を殺させ、新たな使い手を呼ぼうとしたんだそうで。
「そういう話ならユズが認められないわけがない。俺はそれなりに長いこと世界のあちらこちらを巡って、大した使い手にも山ほど出くわしたけど、ユズほどの才能と意思と闘争本能のすべてに恵まれて、日々努力を積み重ねている武闘家なんて、これまで会ったことがないからね」
「んも〜〜っ、ステヴったらぁっ! あたしのこと大好きすぎ!? あたしもステヴのこと大好きーっ!」
 そんなじゃれ合いがあったのはまぁおいといて、あたしもフレードもその案に反対できるような代案があったわけでもなかったので、とりあえずはステルさんの言葉通り、みんなでイシスを目指している。長旅になるけど、その途中でレベル上げをして、ちょっとでもあたしとフレードの強さを向上させることもできるだろう、って。
 ロマリア近辺の魔物相手でも息も絶え絶えになっていたあたしたちからすると、この辺の魔物は一人じゃとうていかなわない相手だったんだけど、ステルさんとユズの援護に徹すれば難しい相手じゃないし、そんな戦い方でもちゃんと経験値は入る。街を行き交う隊商やら行商人やらの護衛をやって、ちまちまとお金を稼ぎながらレベル上げをした結果、あたしたちのレベルはけっこう上がっていた。
 だから、もちろんフレードがあたしに気を許してくれたわけでも、あたしに優しくしてくれるようになったわけでもないんだけど、旅はそこそこうまくいってた、って言っていいと思うんだけど――
「………はぁぁ………」
 あたしはまたもため息をつく。だって仕方ない、それ以外にこの気持ちのやり過ごしようがないんだから。ずっと追いかけてきた人が、女を買いに行くのを止めることもできなかった、死ぬほど惨めな自分の気持ちを。
 ――始まりは、ステルさんの、現状とはまるで関係のない一言だった。

「あ、俺今日は別のとこに泊まるから。明日には帰ってくるけど、今日は連絡取れないと思ってくれ、よろしく」
 その発言に、当然ながらユズは「ええぇぇえ!」と絶叫した。
「なにそれなにそれどーいうことよっ、浮気? 浮気なのステヴ!? あたしという妻で恋人で愛人を宿屋に置いて、新しい女と浮気するつもりなのっ!?」
「いや、浮気もなにも、俺とお前は別につきあってるわけでもなんでもないからな? まぁ、別に新しい女ってわけでもないけど……」
「じゃあ古い女? あたしよりも古馴染みの女ってわけ!? 偶然再会した相手とやけぼっくいに火がぼうぼうってわけ!? なにそれ、なによそれ、なんなのそれ! あたしを捨てる気!? 命懸けて人生懸けて、ステヴに尽くし寄り添ってる、妻で恋人で愛人のあたしを!?」
「いや別に女じゃないって! 友達だよ、古い男友達! 久しぶりにアッサラームに来たから、一緒に飲もうってさっきたまたま会った時に話したってだけ! まったくもう……そこまで言うんだったら、一緒に来るか?」
「えっ! なにそれ、ちょっとなにそれ、これってもしかして、ひっさびさのデートの誘いっ!?」
「いや、別にそういうわけじゃ……というか久々って、俺お前とデートしたことあったっけ?」
「したじゃん! 買い物デート! あとお散歩デートとかっ、一緒に旅行とかっ!」
「いやまぁ一緒に買い物するのを全部デートに数えるんなら、そりゃ誘ったのは久々って勘定にはなるだろうけどさ……一緒に旅してる以上、連れ立って歩くことが多くなるのは当然だし、一緒に旅行っていうのもおかしいだろ?」
「ぶー、いいじゃんいいじゃん、女の子からしたら好きな人と一緒にいられるっていうのはそれだけでときめきマックスハートフルバーストなんだからっ! あたし的には充分デートだったもん! 恋する乙女のうきうきマインドくらい大目に見てよー」
「はいはい、わかったわかった……それじゃ、ゴド、ステファニア。あとはよろしくな。明日の朝には戻るから」
「じゃっあね〜」
 そう言って連れ立って部屋を出て行ってしまう二人をぽかんとしながら見送ってから、あたしははっとした。つまりこれって。もしかして。久しぶりに。
 二人っきりだ………!
 それに気づいたあたしは、一気にどっきんどっきんと心臓の鼓動が高鳴った。一緒に旅をしてるんだから、こんなこといつ起こってもおかしくないのかもしれないけど、これまではそんなこと一回も起こらなかったんだもん。偶然なのか、フレードがあたしを避けてたのかはわからないけど。
 でも、今日、この四人部屋(エキストラベッドを持ち込む予定だった二人部屋。よく気のつくステルさんのことだから、もうその注文は取り下げちゃってるだろう)をもう取っちゃったわけで。船をチャーターするために、あたしたちはお金を節約してるので、ムダ金なんて使えないわけで。つまり、あたしとフレードは、今日、ひとつの部屋で朝まで二人っきりなわけで――
 どうしようどうしようどうすればいいんだろう。そりゃあたしだってそういうこと全然考えないってわけじゃないけど、でもこんな風にまるで気持ちとか心とかが通じ合ってないのにそういうことになるのは、さすがに……でもフレードはきっとそういう経験豊富だろうし、そういうことしてから親しくなる、っていうのが普通なのかも。でもでもあたしはそんな経験全然ないのに、初めてなのに。っていうかあたしくらいのプロポーションじゃ満足されないっていうか、逆効果なんじゃ!? あーんやだもう、どうしよぅ〜〜……!
 そんな風に内心てんやわんやになってたあたしに、フレードはふんと鼻を鳴らし、冷たく言い捨てた。
「じゃ、俺も女を買ってくるとするぜ。鬱陶しいから、絶対に追っかけてくんなよ」
「―――えっ?」
 フレードのその言葉を聞いて、あたしの顔は見事に固まった。
 まともな反応を返すこともできず、フレードの顔を見つめながら硬直してしまったあたしに、フレードはさも鬱陶しげに言葉を叩きつけてくる。
「っだよ。悪ぃかよ。俺とお前は、つきあってるわけでもなんでもねぇだろうが」
「…………」
「つきあってようが、俺ぁ男が女を買うのに目くじらを立てるような女はでぇっきれぇだけどな。邪魔くさいし鬱陶しいし。女が男を欲しがるのは、要するに自分の人生を安泰にしたいからだろうが。そのためにそれなりに金を積んでる時点で充分義務は果たしてんだ、ああだこうだ偉そうに喚かれる覚えねぇわ」
「…………」
「お前のことは、別につきあってなくても俺ぁでぇっきれぇだけどな。鬱陶しく俺のあとついてきやがって。めんどくせぇったらありゃしねぇ。何様のつもりだってんだ。俺のなにがほしいのか知らねぇけどな、俺ぁてめぇにやるもんなんか一文たりともねぇんだよ」
「…………」
「……なんだってんだ。文句があるなら言ってみろよ、聞くかどうかは請け合えねぇけどな」
「…………」
 あたしは、ひたすらに、なにも言えないまま、じっとフレードの顔を見つめるしかできなかった。頭の中に、なにも言葉を浮かべられず、なにも答えられず、反応もできないまま。
 フレードが、しょっちゅう女遊びをしてた、っていうのは知ってる。そもそも出会ったのも盛り場でだったし、そういうお店にフレードが入っていくとこも、何度も見たことがある。
 でも、あたしがフレードに告白してからは――真正面から好きだって言ってからは、一度も、そういう店に入るところは、見たことがなかったから。あたしの気持ちが、ほんのちょっとでもフレードにいい方に働いて、女遊びをするのに躊躇してくれるようになったんじゃないか、ってうぬぼれてた。
 だけど、そうじゃなかったんだ。
 あたしの好きな気持ちなんてどうでもよくて、あたしに告白されたことなんてフレードには全然関係なくて、ただたまたまあたしがそういうところを見ることがなかっただけ。あたしのいないところで、フレードはそれまでと変わらず、そういう店を使ってたんだ。女の人を。あたしとはまるで違う女の人を、ものみたいに買う、そういう店を。
 そんな言葉を思いつくことができたのは、フレードが舌打ちをして、部屋を出て行ってからだった。それまで、あたしはひたすら呆然と、フレードのことを、見つめて、見つめて。
 フレードが部屋からいなくなってから、顔を覆って、声を上げて、泣いた。

 それで今、あたしは、宿屋の前、出入りの邪魔にならないぐらいに離れた辺りで、フレードを待って地べたに座り込み、ひたすらにうつむいてため息をついている。フレードのいない部屋で一人でいるのがなんていうかたまらなくて、フレードを追いかけたいけどフレードの邪魔になって嫌われちゃったらって思うと足が進まなくて、それで宿屋の外に出てすぐのところでフレードを待つ格好になってしまったのだ。
 目が腫れるくらい泣いて、とりあえず気持ちは落ち着いているけど、もちろん気分は最悪だった。寂しい、辛い、苦しい、切ない。気を抜いたらまた涙が溢れ出てきちゃいそう。それを必死にこらえながら、ため息で懸命にごまかして、フレードが帰ってくるのを待っている。
 ううん、フレードを待つって言っていいんだろうか。だってあたしは今、フレードと顔を合わせたいのか、合わせられるのかどうか、自分でも全然わかんなかったんだもん。
 フレードのことを考えるだけで胸が、それどころか体中が裂けそうに痛い。苦しくて苦しくて息もまともにできない。だから、フレードに幻滅してるかとか、もう好きじゃなくなったか、なんてことを考える余裕なんて全然ない。
 でも、フレードが帰ってきて、顔を合わせることを考えると、怖くて怖くてたまらなくなる。自分の中に、逃げ出したいっていう気持ちが湧き出してくるのがわかる。だからどうしたらいいのかわからなくて、頭の中が堂々巡りをくり返す。
 あたしは旅をやめればいいんだろうか。フレードと分かれて、アリアハンに戻ればいいんだろうか。アリアハンの魔法使いギルドの学長に、ほとんど喧嘩売っちゃったのに? アリアハンでまともに魔法使いを続けていくことなんてきっとできない。なら、このまま別の国で魔法使いを続ける? まだまだ未熟なあたしが、コネもなにもないのにそんなことできるの?
 どうすればいいんだろう、どうするのが一番いいんだろう。頭はぐるぐる回って、どこにも向かってくれない。たまらなく痛い胸の傷を抑えながら、ひたすらため息をくり返す。息をするのも苦しいのに、それ以外にどうしようもなくて。
 だから、あたしの前に、男の人が何人か立ったっていうことも、あたしはまるで意識してなかった。
「よぉ、お嬢ちゃん。こんなとこでなにしてんだい」
「座りこんじまってよぉ。きれいなおべべが汚れちまうぜ?」
 あたしは、なにを考えることもできないまま、のろのろと顔を上げる。とたん、男の人たち……っていっても二十歳をさして過ぎてないだろうって年頃なんだけど、その人たちのにやついた顔と目が合った。
「おっ、なかなか可愛い顔してんじゃねぇか。いっけねぇなぁ、そんな子がこんなとこで座り込んでちゃよ」
「男に捨てられたのかい? まぁ気にすんな、いい男なんぞ星の数ほどいるって。たとえば俺らとか、よぉ」
「なんなら俺たちと一緒に飲まねぇかい? おごってやるからよぉ」
 そういえば、ここは盛り場からそんなに離れてないんだっけ、とあたしはぼんやりと思い出す。アッサラームで安い宿屋があるのはそういうところばかりで、安全な高級な宿屋、ってなるとあたしたちの今の手持ちじゃ厳しいぐらいの値段になっちゃうんだって。だからあたしはできるだけ部屋から出ないように、って言われてたことを、今になって思い出した。
 つまりこの人たちは、あたしをナンパしてるってことなんだろう。アッサラームの男の人なんだから、当然お茶だけとか、一緒にお酒飲むだけですむわけなんてなくて、あたしをベッドに引きずり込むつもりで声をかけてるのは間違いない。本来ならあたしはとっとと宿屋に駆け戻って、部屋の中で扉の鍵を閉めて、明日の朝を待つべきなのはわかっていた。
 でも―――いいや、とあたしは力ない笑みを浮かべる。そんな元気、湧いてこない。自分を大事にしようって考えるのとか、面倒くさい。だって、あたし、振られたんだもん。ううん、ずっと振られてたどころか、最初からあたしには全然望みなんてなくて、必死に頑張ってたつもりだったけどまるで意味なんてなかったってことに気がついちゃったんだもん。
 だから、もういい。あたしの貞操とか、気持ちとか、そういうものにもう意味なんてない。どうとでも好きにすればいい。この人たちに好き放題に弄ばれて放り捨てられる、その程度があたしにはお似合いだ。
 そんな捨て鉢な気持ちを見抜いたのかどうかは知らないけれど、男の人たちは笑みを深くし、座り込んでいるあたしの手を無理やり引っ張って立たせた。足に力を入れず、まるで歩こうともしないあたしの肩を、双方から抱くようにして支え、無理やり盛り場の方へと引きずるようにして連れて行く。
 ああ。あたしはまた瞳が、じんわりと熱を持っていくのを感じ取って、まぶたを閉じた。あたしの人生って、ほんっとうに、全然意味がなかったんだなぁ―――

「ぐへぇっ!」
 と思った瞬間、唐突にあたしの身体の右側の支えがなくなって、あたしは大きくよろめいた。その場にへたり込む、というより倒れ込みそうになったところを、逞しい腕に支えられる。
 えっ、と思った瞬間、またも「ぐひっ!」「ぐほっ!」なんて男の人の悲鳴が響いた。同時に左側の支えもなくなって、あたしは逞しい腕に抱き込まれる形になる。その時になってようやく、逞しい腕の持ち主の顔を見ることができた。
 これ以上ないってくらいの仏頂面。日に焼けた、手入れなんてまるでしてない肌。だけど顔立ち自体はわりと整っていて、愛想のなさも荒れ放題の肌も、むしろ男らしいってあたしには見えてしまう。
 鍛えられた筋肉に支えられた、逞しい腕、足、身体。動きも相まって、ぱっと見の印象は獣のようにも見えてしまう。でも、あたしには、あたしにとっては、この世の誰よりも剽悍でカッコいい、男の人に見える―――
 フレードだった。初めて出会った時と同じ、どうしようもなくなったあたしの前に差し出された助けの手。あたしだけのヒーローで王子さま。あたしの大好きな、フレードが、助けに来てくれたんだ。
「失せろ」
 フレードが低く告げると、男の人たちは慌ててばたばたとあたしたちの目の前から消えていく。あたしが思わずほうっ、と息をつくと、フレードはあたしの方を向いて、舌打ちしながら言ってきた。
「バッッカじゃねぇのか。このクソ女」
「っ………」
「こんなとこで夜に一人で座り込んでるなんぞ、男に襲ってくれっつってるようなもんだろうが。それとも襲われたかったってか? ああそりゃ邪魔しちまって悪かったな、はたで見ててあんまりバカすぎて見苦しくって手ぇ出さずにゃあいられなくてよ。男まともに誘う根性もねぇくせに、こんなとこでうじうじしてんじゃねぇようざってぇ。みっともねぇったらありゃしねぇ、ちったぁまともな女らしくできねぇのか」
「―――っ………」
 あたしはフレードのその言葉に、数瞬絶句して、硬直して――それから一気にかぁっと頭の中が熱くなるのを感じた。
「……フレードにそんなこと言われる筋合いない」
「あ?」
「フレードにそんなこと言われる筋合いないって言ってるの!」
 あたしが怒鳴りつけると、フレードは驚いたように目を瞬かせた。その反応がまたあたしの怒りを煽り、あたしはずだだだだと滝のような勢いで言葉を投げつける。
「バカ? クソ女? そうだねあたしはバカだよね、だけどフレードに偉そうな口叩かれる筋合いこれっぽっちもないから! あたしがこんなところで、こんな想いで座り込まなきゃいけなくなったのは、全部フレードのせいでしょ!? フレードがあたしをほっぽらかして、女の人を買いに行ったりするからじゃない!」
「っ、て、てめぇにんな文句つけられる覚えもねぇぞ! 俺とてめぇはつきあってるわけでもなんでも……」
「そうだね、つきあってるわけじゃないね。だけどあたしがあなたに告白したの、忘れてるわけじゃないでしょ!? あたしがフレードについて、一緒に旅をしてるのは、フレードが好きだからってことくらい、わかってるはずじゃない! だったらあたしにあんなこと言って、あたしがどんな気持ちになるくらいわかるでしょ、いっくらフレードが鈍感だからって!」
「ど、鈍感ってな、俺ぁ別に……」
「鈍感じゃない! あたしがあんなこと言われてどれだけ苦しい気持ちになるか、ううんそれだけじゃなくて、普段フレードが冷たい素振りするたびに、あたしがどんなに苦しくて、辛くて、泣きたい気持ちになるか、それを必死に抑えて明るい顔してフレードに話しかけるのがどんなに辛いか、考えたこともないんでしょ!?」
「っ……」
「フレードからしたら、あたしの気持ちなんて迷惑なだけだって、わかってるけど! あたしのこと、大事にしてなんて頼めないけど! そんなことくらい、わかってるけどぉっ……!」
 鼻の奥がツンと痛む。瞳が熱くなって潤むのがわかる。いやだ、泣くのはいやだ。フレードにあたしのそんな弱いところ、本当はフレードが冷たい素振りするたびに泣き喚きたくなっちゃうところ、見せるのはいやだ。
「それでもっ……あたしは必死なんだよ。フレードと顔を合わせるたびに、ちょっとでも明るい顔見せて、ちょっとでも可愛い顔見せようって死に物狂いなんだよ。それで、少しでも、ほんのちょっとでも、あたしのこと、よく思ってくれたらって………!」
「………っ」
「そんなこと、少しもわかってないフレードにっ、あたしの辛さとか全然わかってないフレードにっ……そんな偉そうなこと、言われる筋合いないもんっ!」
 泣きたくない、泣きたくないと思いながらも、やっぱり半泣きの時のようになってしまった声でそう叫んで、あたしはその場にしゃがみ込んだ。膝を抱え込んだ上に顔を伏せ、もうなにも見たくないと主張してみせる。
 本当は、見たくないんじゃなくて、顔を見せたくなかったんだけど。あたしのこんな、可愛くない、見苦しい、ブスな顔なんて見られたくないっていうだけだったんだけど。
 しかたないじゃない、そんなの。あたしは、こんな時でも、そのことを思い起こすだけで辛くて辛くてしょうがなくて、胸が潰れそうに痛くなる時でも――フレードのことが、好きなんだから。
 しゃがみ込んだあたしの前で、フレードはしばらく無言のまま立ち尽くしていた。それから、舌打ちしたり頭を掻いたりし始めた。あたしの方に手を伸ばしたり、やめたり、ということをくり返して――つまりは、結局はなんにもしないであたしのそばに立っていた。
 あたしは膝を抱え込んだまま、声を上げることもしない。フレードは、声を上げようとしてはやめ、ということを幾度もくり返す。要するに、あたしたちはなんにもしゃべらないで、ただ、二人で、お互いのそばにいたわけだ。
 なんにもしないまま、なんにもしゃべらないまま。ただ、お互いの気配を、存在を近くに感じて、お互いのそばにいる。そんな時間を、どれだけ過ごしただろう。唐突に、あたしたちに声がかけられた。
「なにしてるんだ、二人とも? 宿の前で」
「っ……!」
「え……」
 あたしはのろのろと顔を上げて、フレードの方を見ないようにしながら声の主に視線を向ける。そこにいたのは、ステルさんだった。背中に顔を真っ赤にしたユズを背負っている。
「……明日の朝まで、戻って、こないんじゃ?」
「うん、まぁその予定だったんだけどね。今日はユズの酔いっぷりがひどくて……普段は酒豪というほどじゃなくても、そこそこ酒には強いんだけど。脱ぐわ喚くわ説教するわ、しまいには暴れ出す始末で、友人に詫びを入れて引き取ってきたんだ。だからまぁ、こっちの宿で二人と一緒に休ませてもらおうと戻ってきたんだけど……なんだか、取り込み中みたいだな?」
「っ……」
 恥ずかしくて情けなくて、顔を真っ赤にしてうつむいてしまうあたしをよそに、フレードは低い声で告げる。
「………いつから、見てた」
「いや、だから今帰ってきたところなんだから、いつからもなにも、お前さんたちが二人で黙りこくってるところしか見てないよ。なにかあったのか? あえてはっきり聞いちゃうけど」
「そう………か」
 フレードが深く深く息をついた――ところに、ステルさんがしれっと言い放つ。
「まぁ、いつものように、ゴドがステファニアにひどいことを言って、落ち込んだステファニアにゴドがおろおろしてる、って図式なのはわかってるけど」
「…………っ!!?」
 深く息をついたところに慌てて動こうとしたからうまく息継ぎができなかったんだろう、げほげほげほっとむせるフレードに、ステルさんはごく平然と続ける。
「落ち込ませるたびにそんなにおろおろするんだったら、最初からひどいことを言わなけりゃいいのにな。ま、ゴドがそういう奴だっていうのは俺はわかってるけど。だからって、お前のことを好きな女の子に、お前の性質を言いもしないのにわかってもらおう、受け容れてもらおうなんて考えは、そりゃ傲慢ってもんだろう。好かれて嬉しいなら、これからも好きでいてほしいなら、ちゃんとそれ相応に優しく誠実な態度を取らないとな」
「べっ、べっ……別に好かれて嬉しいだなんぞ、一言も言ってねぇだろぉがよっ!! おっ、俺はそもそも、別に、こんなボケ女のことなんぞどうでも」
「それこそお前の方が泣きそうになりながら、うつむいてるステファニアの前でおろおろしてるところを見られた後で言う台詞か、それ? まぁ俺は別にお前のそういうところ嫌いじゃないけどな、とりあえず今は俺の相手をするより、目の前の自分を好きでいてくれている女の子の相手をした方がいいんじゃないか?」
「っ………!」
 あたしは、半ば呆然とした顔でフレードを見上げていた。本当なんだろうか。ステルさんが言っていたことは、本当なんだろうか。
 フレードが、あたしの前で、おろおろしてた、って。あたしが泣いて、自分も泣きそうだったって。あたしに、これからも好きでいてほしいんだって。
 そんなの、信じられない。信じられないけど。もし、そうなら。本当にフレードが、あたしのことを、ほんの少しでも見ていてくれたなら。あたしは―――
 震える唇を動かして、あたしがフレードに問いかけようとした途端、フレードは朱に染まった顔をぶんっと振って、顔を背けて背中を向けた。そしてずかずかと歩を進めて、宿屋の中に入っていく。
「やってられるか、バッカバカしい! くだんねぇこと抜かしてんじゃねぇ、クソボケオヤジが! てめぇのあったかい脳味噌で勝手に俺のこと量ってんじゃねぇよっ!」
 そうわめき散らしつつ宿屋の中に入っていくフレードを眺めて、ステルさんは「あらら」とユズを背負ったまま器用に肩をすくめた。
「あいつも面倒くさい奴だなぁ……ま、それがあいつの性格ではあるんだけど。どうする、ステファニア? まだここに座ってるかい?」
「………いえ。フレードを……追っかけてみます」
 立ち上がりながら、ゆっくりと顔を上げてそう宣言するあたしに、ステルさんはからかうような笑顔になった。
「追いかけるのかい? わざわざあいつを? どんなことがあったのか詳しくは知らないけど、どうせまたあいつが君を傷つけるようなことしたんだろう? そんな奴のことなんて、わざわざ相手にしてやることなんてないと思わないのかい?」
「あはは、フレードにはまた怒られちゃうでしょうね。またひどいこと言われちゃうかも。あたしも怒って、言い返しちゃうかもしれません。……でも……ほんのちょっとでも、望みがあるんなら。フレードがあたしに、好きでいてくれてほんのちょっとでも嬉しいって思ってくれたなら……頑張れるだけ頑張っておかないと、絶対に一生後悔する、って思うから」
 自分でも馬鹿なことやってるなぁ、と思いながら苦笑して告げた宣言に、ステルさんはしばらく黙ってから、「いいんじゃないかな」と笑ってくれた。
「頑張れるだけ頑張ったらいいと思うよ。ゴドがどんな反応をしたとしても、君の心があいつの方を向いているんなら。……ただまぁ、あいつに嫌なことを言われたんならどんどん言い返しちゃっていいと思うけどね。その方があいつも気が楽だろうし」
「はい。ちょっと自信ついちゃったんで、できるだけ言い返してみます」
 そうちょろっと舌を出してから、あたしはフレードを追いかける。フレードの方を見て、フレードのことばっかり考えて――たんで、ステルさんがあたしが立ち去った後で、苦笑しながら言った言葉には、当然少しも気がついていなかった。
「……あれだけ露骨に反応されてああいう反応になるとか……恋する乙女の思考回路ってやつは、いつもながらわけがわからんな」

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