酒場
 アドリエンヌは息を呑んだ。あの人が、勇者さまがこっちに向かって歩いてくる。
 場所はルイーダの店の隅っこ、誰からも見られない物陰。いつも自分がそそくさと食事をする定位置だ。そこに、あの人が歩いてくる。
 アリアハンの勇者、ヴァレリー・カヴァルカンティ。
 オルテガの息子であり、今日、彼の誕生日に勇者の称号を国王から授かったであろう男。剣術も魔法もすこぶるつきに優秀で、彼ならばきっと世界を救ってくれるだろうとアリアハン中から期待を寄せられている少年。
 そして、なによりも、驚くほどの美男子。
 181cmの長身。芸術的なまでに均整の取れた体躯。がっしりとしているのに頭が小さいせいかスマートな印象を与える体つき。
 そしてその上に乗っている顔貌は男らしく力強いのに端麗とすら言いたくなるほど整っている。女性的な弱さは微塵も感じられないのに、女性よりも美しいと言っても誰もおかしいと思わないような美しい男性だ。
 その人が、影からこっそり見つめるしかできなかったあの人が、こちらに向かい歩いてくる。アドリエンヌは気絶しそうになりながらも必死にヴァレリーを見つめた。
 ヴァレリーはす、とアドリエンヌの座っているテーブルの反対側の席に座る。そしてにこり、と輝くような、いやそんな形容ではとても追いつかない、太陽のように眩しく美しく優しげな笑みを浮かべたのだ。
 アドリエンヌはもはやなにも考えられなくなってぽうっとヴァレリーを見つめる。と、ヴァレリーがすい、と手を伸ばした。
「!」
 やめて、と叫ぶ暇もなくアドリエンヌが深々とかぶっていたフードは取っ払われた。恐怖に硬直するアドリエンヌにヴァレリーは笑う。
「ルイーダに聞いた通り、すっげーブスだな」
「…………!」
 息が止まりそうなほどの衝撃に喘ぐ。ブス。すっげーブス。わかっている、そんなこと生まれてからずっと言われ続けているのだから誰よりもわかりきっている。なのに、なんで、なんでそんなことを、よりによってこの人に。
 衝撃のあまり泣くことも忘れ呆然とするアドリエンヌに、ヴァレリーはまたにこりと、優雅で綺麗で魅惑的な微笑みを浮かべ、こう言った。
「ついてこい。お前に世界を救わせてやる」

 アドリエンヌは、醜い少女だった。それを自分でもよくわかっていた。
 女というのはただ若いというだけで美しいという人がいるが、それは本当に醜い女というのを知らないから言えることだとアドリエンヌは思っていた。アドリエンヌは若かったが(なにせまだ十六歳だ)、笑えるほどに醜かったのだ。
 驚くほど下膨れの顔はどれだけ肉を落とそうとしてもぶくぶくした印象を変えず、目は白目がちで肉に遮られ細く気色悪い雰囲気をたたえながらだらしなく垂れている。唇は異常なほど分厚いタラコ唇で、鼻は笑えるほど末広がりで真正面から見ると汚い鼻の穴が見えるように盛り上がっている。
 プロポーションも少しも美しさを感じさせない。太っているわけでもないのにスリーサイズはどれもほぼ同じ、凹凸のまるでないずん胴体型。手も足も太く短く、なのに肉感的な美しさがあるわけでもない、それこそ腸詰のよう。裸を見ても絶対興奮しねぇと何度も馬鹿にされてきた。
 つまりアドリエンヌは醜い少女で、しかもその醜さは相手を圧するような迫力もなく、誰からも、それこそ家族からも笑われ後ろ指を差され邪魔者扱いされる存在なのだった。
 それはわかっている。だからいつも深くフードをかぶり目立つことをせず極力人と関わらず隠れるように生きているのだから。重々わかっているけれど、ヴァレリーにブス≠ニ言われたのは死にたくなるほどこたえた。世界を救わせてやるなんていう言葉もわけがわからない。アドリエンヌはふらふらしながらヴァレリーの声に従ってルイーダの店の二階へ登っていった。
「そこに座れ」
 ヴァレリーが促した席は二階でも特別の客しか座れない一番豪奢なテーブルだった。その上にはどっさりと豪華な食事の数々。商人としての本能が反射的に値段測定を開始し、すぐに青くなった。この店で最高の部類に属する高いメニューばっかりだ。
 自分とヴァレリーの他にテーブルについているのは二人だった。赤毛の女魔法使いと、背の高い遊び人の男。どちらも一方的にではあるが知った顔だった。
 魔法使いはその性格のきつさで何度も冒険者仲間と問題を起こしているから。年を気にしているのか(確か三十三歳独身恋人なしのはずだ)、いつもピリピリしていて、男とも女ともすぐに喧嘩をおっぱじめるのだとルイーダから何度も愚痴られていた(アドリエンヌは商売の関係でルイーダの愚痴の聞き役をしていたりするのだ)。
 遊び人はルイーダの店に登録はしているもののどこのパーティにも入れてもらえないということでこれまたルイーダから愚痴を聞いていた。それでも地道に酒場で芸をしたりして努力はしているらしいのだが、引っ込み思案な性格とのっぺりとした不気味な顔貌、雰囲気とで(自分よりははるかにマシな容貌をしているとアドリエンヌは思うのだが)どの冒険者からも嫌われているそうだ。
 この二人と、ただルイーダの店に酒を仕入れる店で働いている関係上登録をしているだけの自分が、なぜ、勇者――ヴァレリー・カヴァルカンティと同じテーブルに?
 アドリエンヌは深々とフードをかぶり顔を隠しながらも、おずおずとヴァレリーを見上げた。女魔法使い(確かメリザンド・ゾラとかいったと思う)も不審を前面に押し出した顔でヴァレリーをねめつけている。遊び人の男(確かフィデール・ロリオだ)はおどおどとした表情の下から気弱そうな眼差しを向けている。つまり、アリアハン中の娘の憧れの的であるヴァレリー以外の人間は、自分たちがなぜここにいるのかわからないというわけだ。
 周囲の客の視線が突き刺さってくるのにアドリエンヌは泣きそうになった。あまりに自分たちとヴァレリーとでは釣り合いが取れなさすぎる。笑われているに違いない、嫌だ、注目されたくない。
 だがそんな思いを歯牙にもかけず、ヴァレリーはワインを自分のグラスに注ぎ、高々と差し上げた。
「では、パーティの結成に」
 そう言って一人グラスを傾ける。メリザンドが尖った声を出した。
「乾杯するのは勝手だけどね、これはどういうことなのか説明してくれないかしら。突然呼び出されて馬鹿にしたことを言われて、私はかなり腹が立っているのだけれど?」
「ああ、性格も顔も悪い色気ゼロのオールドミス≠ゥ? お前をかなり的確に表した評だと思うが」
「っ!」
 ぎっとヴァレリーを睨みつけ、呪文を唱え始めるメリザンド。だがそれでもヴァレリーは冷静な態度を崩さず、にっと凛々しい笑顔を浮かべてみせた。街中の女を虜にする笑顔を間近で見せられ、カッと顔を赤くして固まるメリザンドに、ヴァレリーは笑顔のまま言う。
「説明は今からする。そう悪い話じゃない。お前らに、俺の仲間になってもらいたい。魔王を倒すパーティの一員に」
「え……」
『えぇっ!?』
 アドリエンヌとフィデールの絶叫を、ヴァレリーは涼しい顔で受け流した。
「お前らは俺がなんで勇者≠フ称号を与えられたか知っているか?」
「……勇者オルテガの息子だからでしょう」
「それもある。だが全てじゃない。……俺が勇者の称号を受けるほど国に、世界に期待されているのはダーマの神殿の神託があったからだ」
「……神託?」
「そう。『勇者オルテガの息子、ヴァレリー。彼の者こそは魔王を倒すただ一人の勇者なり。三人の仲間を従え、世界を回り、ラーミアを蘇らせ、魔王の城に乗り込まん』ってな」
『…………』
「だから俺は世界を救うための鍛錬を徹底的に積まされてきた。そのための知識も、技術も、しっかり身体と頭に叩き込まれている。アリアハン王が世界に連絡して各地の王に協力するよう根回しもしてある。俺の方の準備は万全――だが、三人いるという仲間についてはなにも情報がない」
「……だからなんだというの」
「だから、アリアハン王はじめとする世界は仲間選びを俺に任せた。勇者本人に行わせるのが一番間違いがないだろうと思ったのさ。そして、俺が選んだのがお前たち三人というわけだ」
『…………』
 アドリエンヌたちは不審の眼差しでヴァレリーを見つめた。じゃあなんでよりにもよって自分たちのようなのを?
「不審そうだな? なにか文句があるか?」
「どんな裏があるの」
「裏?」
「そうよ。私たちみたいな嫌われ者を仲間にするからにはなにか裏があるんでしょう。残りの二人はどうか知らないけれど、少なくとも私にはプライドってものがあるの。そう簡単に利用できると思ったら大間違いよ」
 メリザンドがきつい口調で言うと、ヴァレリーはふっと笑って(またこの笑顔が美しいのだ)肩をすくめた。
「お前らはそこまで自分に自信がないのか?」
「え……」
「俺はお前らが登録されている冒険者の中で一番戦力になりうると思ったから指名したんだがな」
「な……」
 口をパクパクさせる自分たちを、ヴァレリーは静かに見つめ言った。
「俺がどういう人間を指名したか聞きたいか?」
「…………」
「……あ、の」
「聞きたいわね。ぜひとも」
「この店で一番のブスと、性格も顔も悪い色気ゼロのオールドミスと、能なしで店中から後ろ指を差されている男。その三人を俺は指定したのさ」
『…………っ』
 アドリエンヌはこみ上げる涙を必死に堪えた。わかっている、そんなことは誰よりもわかっている。言われなくてもわかっている。なのに、なんで、ここまで。
 泣いちゃいけない、泣いたって無駄だ。泣いたところで自分は少しも可愛らしくも可哀想にも見えないんだから。
 ただ、馬鹿にされ、笑われるだけ。
「……じゃあ聞きましょうか。なんでそんな三人を指名したの。勇者サマのお力で可哀想な奴らにお恵みをくれようとでも思ったわけ?」
「まさか」
 ヴァレリーは一言の元に否定した。
「言っただろう。一番戦力になりうると思ったからだって」
「だから、なんで!」
「世界を憎んでるやつらだからさ」
 きっぱりと、ヴァレリーは言う。自分たち三人の顔を真剣な眼差しでのぞきこみながら。
「世界を……?」
 思わずぽろりと口にしたアドリエンヌに、ヴァレリーはうなずく。
「俺はこの世で一番強く、行動の原動力になるのは憎しみだと思っている。憎しみや恨みつらみ、そういったものは心身を、魂を、世界を狂わせ歪めるほどの力を持っている」
『…………』
「だから、強い憎しみを持つ奴ほど戦いには向いている。どこまでレベルを上げられるかなんて結局素質次第、運次第なんだ。そしてその運と素質を引き寄せるのが強い感情。辛い訓練に耐え、歯を食いしばり、石にかじりついても目的を達成させるのは強い感情だ。そして感情の中で最も強いのが憎しみ。要するに」
 ぐるり、と顔を見回してきっぱりと言う。
「憎しみを強く心に抱いている奴は強くなれる」
『…………』
 アドリエンヌは絶句していた。憎しみって。憎んだ奴が強くなれるって。それは勇者の言うことなのか? ヴァレリーは、アドリエンヌのずっと見てきた勇者は、そんなことを言うようにはとても見えなかったのに。
 けれど、この言葉は。ヴァレリーが自分を求めてくれているという、間違いのない事実を示している。
「……いいわ。私はその話に乗りましょう。あなたのパーティに加わるわ」
「!」
「よし。アドリエンヌ、フィデール。お前たちは?」
「………ぼ、僕は……」
 蚊の鳴くような声でフィデールが言う。
「じ、自信がありません」
「……ほう?」
 きろりと光る目で見つめられ、フィデールは震え上がりながら必死に言葉を紡いだ。
「ぼ、僕は、そんな、たいそうな憎しみとか持ってるわけじゃないし、持ってたとしてもそんな、魔王を倒せるぐらい強くなんてなれないと思うし、そんな、勇者のパーティに加わるなんてすごい人間には」
「クズだと呼ばれ続けたいか?」
『!』
 目を見張った。フィデールのみならず、アドリエンヌも。
「世間から邪魔者扱いされて、後ろ指を差されたままで終わりたいか? 見返してやりたいとは思わないか? 自分を見て笑った奴らを、逆に自分たちが笑って、馬鹿にして、頭を下げてくるのを踏みにじってやるような立場になりたいとは思わないか?」
『…………』
 それは、悪魔のような、人の道に外れた誘惑だったかもしれない。
 けれど、たまらなく甘美な誘惑だった。今まで自分はただのブスとしてしか扱われてこなかった。それが、自分をブスと蔑んでいた者たちの上の立場になる。ブスと馬鹿にしてきた奴らが自分の前にひれ伏して、許しを請う――
 考えただけで、それはたまらない快感だった。
 その上ヴァレリーは真剣な顔で言う。
「お前らは嫌だといっても、俺はお前らを連れていくぞ。俺にはお前らが必要なんだ。お前らがいないと俺の計画に支障が出る。それとも、俺じゃついていくのには不安だとでもいうのか?」
「――――…………」
 アドリエンヌはすぅ、と息を吸い込んで首を振った。
「いいえ。私も、あなたと行きます」
 声が震えた。心臓の鼓動が止まらない。当然だ、だって、ヴァレリーは、町中の娘が憧れる勇者さまは、自分などに目もくれるはずがないと思っていたんだから。
 こっそりその時の様子を想像しながらも、そのたびに自分みたいなブスがそんな夢を見るもんじゃないと戒めてきた。そう、それは間違いなく夢だったのだ。自分にとっては。
 それが今、形は違うけれど現実になろうとしている。自分への救いの手と共に。
「よし。フィデール、お前は?」
「ぼ……僕、も……」
「一緒に来る、と。よし」
 その時ふいにヴァレリーは悪戯が成功した子供のような会心の、ちょっと子供っぽい笑みを浮かべた。思わず心臓がドキー! と高鳴る。けれどもちろんそんなことには気付いていないのだろう、ヴァレリーはワインのボトルを高々と持ち上げた。あれは確かシャンパーニの三十二年もの、超のつく高級品だ。
「ほら、乾杯するぞ。お前らも早く自分の分を注げ」
 慌てて目の前のグラスにワインを注ぐ自分たちに、ヴァレリーは邪悪とすらいってよさそうなほど悪そうな笑顔を向け、高々とグラスを差し上げた。
「では、今度こそパーティの結成に。乾杯」
「…………」
「か、乾杯っ」
「……かん、ぱい」
 アドリエンヌは小さな声で言って、グラスを打ちつけワインを乾した。アルコールに喉と胃が焼けたが、それでもいい。かまわない。
 この人が、ずっと憧れてきた勇者ヴァレリー・カヴァルカンティが、こちらを向いて笑ってくれる。そんな夢のような心地、酒の力でも借りなければ耐えられそうになかったから。

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