あとがき。

 やっと、やっと終わりました……なんて言ってますが実際にはわずか五話なわけですが。でも数年がかりになっているので(なにせDQ3のお題パーティは総勢十パーティも存在するので順繰りにやっていくとすさまじい時間が)、なんのかんのでかなり感慨はあります。やっと終わらせることができました、ほっとしました。
 そういうわけで、DQ3お題パーティ内でめでたく初の最終話を迎えたのは、『お姫様、お手をどうぞ』になりましたー。どんどんパフパフ。
 っていってもこれちゃんと予定通りなんですけどね。この話ってわずか五話で終わる予定だったんですよ、最初から。
 っていうかお題話は全部書き始める前から最後まで予定決まってるんです。お題使わなきゃならないから、全部最初にこんな感じの話ーっていうの設定しといたの。あくまで設定レベルの話なんで、実際にお話として書くと話がズレてきてお題と合わねーって苦心することもあったわけですが。
 で、この話がなんで五話で終わることにしたのかっていうと……書きたいことが最初からはっきり決まってたから。自分は古典的な意味での女としての武器を使って安全に魔王を倒す勇者が書きたかったのね。世の中にある女勇者って、みんな女性性っていうか……普段多くの女性がそう振る舞おうとしているペルソナをぶち壊した、っていうか否定するところから話が始まってる気がしたんでそのアンチテーゼ的な意味も含めて。
 だってせっかく女に生まれたのに、みんながみんな女であることが間違ってるっていうか引け目になってしまうのってつまんなくありません? いろんな人が書いてるんだからいろんな勇者が見てみたい。この勇者は女だから勇者になれた、魔王が倒せた、女でなければ勇者たりえないような戦い方で戦う勇者だっていていいんじゃないの、っていう気持ちがこういう女の色香を使って周囲を動かして自分は安全なところから魔王を倒させる、エマっていう勇者を創り出したんですよ。
 でもねぇ、やっぱり書いてるのに時間かかると、自分の価値観にも変遷が生じてきてねぇ……いやこういう女勇者書きたいっていう気持ちは変わらないんですけど、なんていうかな、最初の案ではラダトーム王子との結婚を決めてアドルが落ち込みながらもエマが好きだと再確認するとか、最後にゾーマと必死に戦うアドルのもとへすべてを捨ててエマが向かってゾーマ倒して逃げる、みたいな展開考えてたんですけど、それだとこのエマっていうキャラにそぐわないんじゃないかと思えてきちゃいまして。
 最初から『鏡の真実』でエマがああいう存在だっていう秘密が明かされるのは決めてたんですが、そういう秘密を背負ったキャラに王子と結婚して玉の輿みたいな展開が似合うとは思えないし(当初は悪女といえば玉の輿! って単純に考えちゃったんですけど)、すべてを捨ててアドルのところへ向かう、っていうのも……自分的にエマはすさまじく強烈なツンデレだと思ってるので、実はアドルが超好きだったーっていう展開になるのはオイシイと思ったんですけど、そんな風にはっきり自分の心を明かしちゃうほどちょろい女かなーエマ、っていう気持ちも湧いてきたりして。
 それに個人的に、この勇者がそうあっさりゾーマさまを倒すというのに納得がいかず……だって相手大魔王さまですよ。いっくら強い魔力持ってるからって一介の人間が、しかもすごいレベル上げをしたわけでもないのに倒しちゃうって、なんかなー、って。
 なんでああいう展開に落ち着きました。最後の最期で自分を信じてついてきてくれた兵士たち数万人の命を生贄にして、数分の死ぬほど高い魔力を得るそのために旅の最初から周囲のすべてを動かしてきた、という。さすがだ、エマはそうでなくては。
 最後の最期でエマがアドルになんか告白っぽいことしちゃってますが、あそこはあの台詞が絶対の真実だという書き方はしてません(してないつもり、なんですが……そう受け取れなかったら書き手の未熟が原因です)。実はまるっとエマの嘘かもしれない、アドルを利用するつもりなのかもしれないと思わせる可能性は残したつもりです。アドル自身にもね。謎がなければ女じゃない、というイメージもありますが、周囲のすべてを利用し動かして戦ってきたエマはそういうどれが本当かは最後の最後までわからないキャラじゃないかなー、って。逆に言えば、アドルの思い込みがすべて真実で実際にはエマは人を騙すことにも利用することにも誰かが傷つくことにも殺すことにも深く傷つき悲しんできた、なのに重い宿命を背負うがゆえにそうせざるをえなかったこの上なく優しい女性かもしれない、とも言えるわけですが。
 アドルに対する自分の印象も、最初書き始めた時と今とではずいぶん違ってる気がします。最初はひたすらに健気で一途に女の子に恋する男の子、って感じでそんな子が最終的には高根の花の女の子の心を蕩かす、っていうお約束な美しいストーリーを描いていたんですが、どっちかっていうと今は女に対する勝手な思い込みのためにひたすらに命を懸けた哀れで愚かな男、っていうイメージになってしまってるかも。
 そしてそれは思い込みであるがゆえに愛にはならない、恋でしかない、心と心を結びつけはしない、と……なんというかひどい見方しちゃってるなぁと自分で思いますが。最後の方もね、暴走気味というか、エマに重荷を背負わせた世界の奴らみんな死んじまえーみたいなこと言わせちゃってますし。最近の自分のすさみっぷりが文章に出てしまったのでしょうか。
 でも一方的な思い込みでも心の支えになることはありますし、誰かの心に響くこともありますし、思い込まれてる側の心になにかを与えることもあるんじゃないかな、とも自分は思うわけですが。誰も彼もが健全で歪みのないまっとうな交際しかしなかったら世の中には生まれなかったものがいくつもありますし、最後まで貫き通せたものならその人にとってはそれが本物だったんだろう、みたいな。
 まぁどちらも病んでる的雰囲気を漂わせている上に最後もハッピーエンドなのか怪しい描き方してますけど、そこらへんははっきりこうだって書いちゃうのも無粋な気がするので、ご想像にお任せってことにしたいと思います。自分の中ではこうなんじゃないかな、っていうのはあるんですけど、そういうの全部書いちゃったら風情もなにもないし、なによりそれが正しいっていう絶対的な自信もないんですよね。自分エマやアドルがどういう反応してそれがどういう理由かって完璧に理解できてるわけじゃないですし。実はこんな理由かも? とか地の文でこうだって書かれてても実はそれは思い込みで本当はこういう理由かも? とかも思いますし。まぁその程度の力量か、と言われたら申し訳ありませんと言うしかないんですが。
 ちゃんと誰が見ても納得できるようなハッピーエンドにできなかったのは悔しく申し訳ないのですが、今の自分に書けるめいっぱいの真実を書きました。少ししたらそういう価値観からまたがらっと変わってる気もしますが、ともあれエマとアドル、二人の行く末を今の自分に書けるところまで書けたという点では満足しています。
 これまでありがとう二人とも、書く喜びをたっぷり味わえました。みなさんも読んでくださってありがとうございます、読んで気に入らない点やら苦情、文句、あるいは感想などおありでしたら掲示板なり拍手なりメールなりで送ってくださると嬉しいで〜す。

 ……しかし、途中まで書いて、『あっ、このまま行くとエジーディオが報われてしまう』って思った時には焦りましたよ……。この話ではホモは報われない予定だったのに。
 っていうかエジーはもんのすごいアドルのことを大切に想ってて、大好きでして、こいつのためならなんだってしてやりたいって思えるくらいでして、そこまで思った理由の源泉はエマにひたすらに滅私奉公する健気さ一途さ、+そんな中でも自分たちに対し仲間としての気遣いや優しさや信頼を向けてくれるっていうところなわけですが、なんかエマがアドルに告白とかしなさそう、っていうかゾーマ戦で散りそう、ってなったらエジー絶対全力でアドル慰めるじゃないですか! 支えようとするじゃないですか! そうしたらまだ若い二人だし(作中ラストで二十代前半〜半ば)、その心の繋がり合いが愛(広い意味で)に変わるかもー、とか思っちゃいまして……実際アドルもすごくエジーのことは信頼してるし申し訳なさも感じてるし感謝してもいるわけですし。そういう心の繋がり大事にする人間関係好きなので……。
 で、まぁああいう話に落ち着いたわけですが……あれでも実際二人の関係が愛に変わる可能性残してますよね……。あの赤ん坊がエマなのか生まれ変わりなのかエマとアドルの子供なのかははっきり書いてないわけですし。ここまで世話して世話されてってやってんだからもうくっついたところで大して変わりゃしない……と言いたいような変わってほしいような変わるのが惜しいような。ともあれみんないろんな意味で頑張ってほしい。
 それとジャスパーをちゃんと女の子とくっつけられてほっとしました……最後にはちゃんと幸せな家庭持たせてあげたいと思ってたからさー。

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