ぬいぐるみ

「あ……」
 ロマリアの目抜き通りをパーティ面子で歩いていた時、俺は店先に置いてあるものを見つけて、思わず声を上げた。ロマリアってとこは『つーしょーのよーしょ』だかなんだかで、アリアハンよりずっといろんなものがある。そこはなんだかこまこました、みょうちきりんな細工がしてある代物がいっぱい並べてある店で、アリアハンではそれなりに高級品のガラスを壁にして小さな部屋を作り、そこに値札のついた売り物を並べていた。
 俺の目についたのは、そこそこ育った赤ん坊くらいでかい、茶色でむくむくした、熊のぬいぐるみだった。
「どうかしました?」
「……別に」
「なに、お前小間物屋なんて見てんの? お前みてーなクソガキがあーいう可愛い店を見てる、ってこたー……んっだよお前お相手いたのかよ! 早く言え、っつかそーいう相手がいるなら紹介しろ! お前が浮気とかしねーように、俺がそのお嬢さまのお友達の女の子たちと仲良くなっといてやるから!」
「アホか。そんなんじゃねーよ」
「はぁ? だったらなんであんな店見てんだよ。ありゃどっからどー見ても上流階級のお嬢さま向けの店じゃねーか、フリルやレースの多さからしても。まさかお前がああいう店に興味あるってんじゃねぇだろ?」
 アルノリドにそんな風に本気で不思議そうに言われて、俺はむすっとした顔で鼻を鳴らした。このクソ女たらし、マジで俺があんな店に興味持つとかありっこねぇことだって思ってやがるんだ。
 ――ま、実際微塵も興味なんてねーんだけどさ。
「別に。アリアハンにゃあーいう店なかったけど、見てみてもちっとも欲しくなんねーなって思ってさ」
「バッカお前そりゃお前がそーいう店に近寄んなかっただけだっての。あーいう店は基本高級店だからな。貴族やら豪商やらのお嬢さまじゃねーと手が出ねぇくらいの代物しか扱ってねぇんだから、基本お客も紹介制だし一見の客なんぞマジで門限払いで……」
 それからアルノリドはしばらく女を落とすためにあの手の店で買い物したかったけどできなかった苦労話をぺらぺら喋ってたけど、俺はマジでどーでもよかったんでへーへーと適当に相槌を打った。
 本当に、俺には、あんな店にも、そこに売っている代物にも、少しも興味が湧かなかったからだ。

 いざないの洞窟を死ぬ思いをしながら越えて、ロマリアまでやってきた俺たちは、街に入る時の衛兵の審査で素性がバレたんで、いちおーロマリアの国王にゴアイサツってやつをしに行った。まー別になんかしてくれるって期待はしてねーけど、偉そうな顔してる奴らって基本こっちがゴマすってやんねーとなんだかんだとこっちの足引っ張ってくっかんな。
 で、俺が必殺勇者ぶりっ子でゴアイサツしてやると、ロマリアの国王ってデブいおっさんは調子に乗って、『盗賊カンダタに盗まれた宝冠を取り返してこないと勇者とは認めてやらん!』とかクッソめんどくせぇこと抜かしてきやがった。このデブマジ殺してぇ、とは思ったもののロマリア国王に喧嘩売るわけにもいかず、仕方なく俺はその依頼を受けたんだ。
 他のパーティ面子も、めんどくせーとかぶーたれた奴もいたけど、まぁロマリア国王がやれって言うならやらないわけにもいかないだろうって意見が一致したし。アリアハンに悪印象持たれて、世界各国の軍を動かして魔王倒そうとしてるレヴォリ先輩の足引っ張るわけにもいかねーしな。
 なんで、ロマリア王都でしばらく(安宿ではあったけど)英気を養いつつ、武器新調したり消耗品買い込んだりとかしてたんだけど――
「………ふん」
 宿に戻って(宿代節約のために四人部屋で全員同室だ)、酒飲みに行ったり教会に祈りに行ったりする奴らをよそに、俺はベッドに寝っ転がって鼻を鳴らす。あの時見つけた店先の熊のぬいぐるみが、なぜかどーにも頭から離れなかったんだ。
 俺が今まで見たことのあるぬいぐるみって代物は、みんなその家のおばちゃんなりばーちゃんなりが孫子のために作った代物だった。まぁたまに手先の器用な子供が作ってた時もあったけど。どっちにしろおもちゃみてーな出来栄えの、子供が好き勝手に扱っていい、それこそ壊しちまったって問題ないようなもんでしかなかった。
 でも、今日見たあのぬいぐるみは、誰が見ても、それこそ貴族だのなんだのって目の肥えた大人から見ても、見事な出来だと褒められるような代物だった。一流の職人が作ったゲージュツヒンってやつだった。ふわふわむくむくの具合といい、手足や体のつり合いといい、可愛いって言葉を形にしたらああなるんじゃないかってくらい、誰が見ても可愛いって思われるだろうぬいぐるみだった。――俺ですら、正直、可愛いって思っちまうぐらいに。
 でも、俺は、そんな可愛いぬいぐるみを、これっぽっちも『ほしい』とは思わなかった。
 ふん、ともう一度鼻を鳴らす。当たり前だ。俺は女じゃないんだから。女の形をしているだけの、男みてーな素振りしてるけど男にもなれていない、歪んだイキモノなんだから。
 女の心なんぞ俺は持ち合わせちゃいない。べちゃべちゃ鬱陶しいお喋りだの噂話だので恋だなんだってくっだらねーことで盛り上がってる奴らとかマジ反吐が出る。そんな奴らと一緒にされんのなんて死んでもごめんだ。
 ――そして、ナターリヤみたいに、当然みたいに周りを気遣って、人を優しい気持ちにさせることだって、俺はできないんだ。
 ふん、とまた鼻を鳴らす。いまさらの話だ。そんなの俺は、旅に出るずっと前から知っている。俺はそういうイキモノだって。男でもないくせに、身体だけ女の形をしてるいびつな代物だって。
『オルテガの息子』と俺を呼ぶ、世界のすべてをぶっ殺したくてしかたない、世界よ滅べと呪う醜い存在なんだって。
 だから、俺があんな代物を抱く日が来るなんてことは、絶対に、ないんだ。
 枕に顔を押しつけてそんなことを考えていると、唐突にがちゃりと部屋の扉が開いて、俺は慌てて跳ね起きる。
「んっだよ、もう帰ってきたのかよ。酒飲みに行くとか言ってたくせに早すぎんだろ」
「……俺の主目的は情報収集だからな。充分に情報が仕入れられたなら、戻ってくるのは当然だろう」
「げ……」
 足音も立てずに無造作に部屋に入ってきたバコタに、俺はいかにも忌々しげというように顔をしかめてみせた。実際この野郎は相変わらず、いっちいち一言多いし偉そうだしでなんやかやとムカつくことが多いんだ、遠慮する気はねぇ。
 けどバコタは、いつもとおんなじしれーっとした顔で肩をすくめて当然みてーに隣のベッドに腰かけやがる。いっつもいっつも余裕ぶっててんっとにいちいちムカつく奴だなー、と思いながら俺はふんっと鼻を鳴らして体を起こし、じろっとバコタを睨んでやった。
「……で? じゅーぶんなじょーほーってのがなんなのか、聞かせてもらおうじゃねぇか」
「アルノリドとナターリヤが戻ってきたら話す。今話しても二度手間だ」
「ちっ、もったいぶりやがって。そんなに上等なネタだってのかよ」
「別に。単に、俺が無駄を嫌っているだけだ。少しの時間も待てないほど暇を持て余しているというのなら、今後そういう事態に出くわした時のために一人で暇をつぶす方法でも考えておくことだな。その程度の孤独に対処する能力もないのなら、旅に出るなぞそれこそ時間と人生の浪費だ」
「ぬぐっ……」
 だーもうっ、こいつっとにっとにマジムカつくーっ! なんでこんなに偉そーな顔されなきゃなんねぇんだてめぇっ、いちいちいちいち上から目線でぇっ!
 でも言ってることに反論できないのは確かなので、くそー覚えてやがれよ、と思いながらふんっと鼻を鳴らしてベッドから飛び降り、部屋を出かけ――ると、バコタが低く声をかけてきた。
「おい」
「なんだよっ」
「お前には、ぬいぐるみになにか嫌な思い出でもあるのか」
「は?」
 思わずぽっかーんと口を開けると、バコタはただでさえ険しい顔だってのにさらに眉根をぎゅっと寄せ、首を振ってみせる。
「ないのならいい。つまらないことを聞いた」
「え、いや、つまらないっつーか、その、なんでだよ?」
「商店街を歩いていた時、お前が陳列された熊のぬいぐるみを見て、ひどく……」
「ひどく?」
 バコタはここでしばらく黙り込んだ。でも俺はほんとにわけがわかんなかったんで、ほけっと口を開けてじーっとバコタを見つめる。それにバコタはますます顔を険しくして、吐き捨てるみてーに言ってきた。
「悲しそうな顔をしている、と思ったからだ。勘違いならいい」
「っ………」
 俺は一瞬、息のしかたを忘れた気がした。
 でも次の瞬間には顔をかーっと熱くして、ほとんどぶち切れ状態で怒鳴ってたんだ。
「ばっ、なっ、なにっ、なに言ってんだよバッカじゃねーのっ!? おっ、俺っ、別に、そんな、そんなんねーしっ! 別に悲しくも悔しくもねーしっ! 辛いとか別に今更だしっ、気にしてたりも全然ねーしっ!」
「………そうか」
「そーだよっ! ばっばっ、バッカじゃねーのマジでっ! 俺は別にそんなの、全然、これっぽっちも思ってねーんだからなっ!」
 怒鳴って駆け出して、部屋の扉をばんっと閉める。安宿の扉なんで蝶番が思いきり悲鳴を上げ、埃も少し巻き上がったけど、俺はそんなの気にしてる余裕これっぽっちもなかった。
 俺はほんっとに、気にしてるつもりなんか全然なかったんだけど――バコタの言った『悲しそうな顔をしてる』って言葉が、なんかすごく、すごく恥ずかしくて、いたたまれない気持ちが暴走しそうなくらいどこどこ湧き上がってきちゃったからだ。

「……なー。お前らさー、今度はなんで喧嘩したわけ?」
 アルノリドの面倒くさそうな問いに、俺はがーっと顔まで熱くしながら噛みついた。
「はぁ!? 別に喧嘩なんてしてねーんだけどっ!」
「喧嘩してんじゃなかったらお前らだいぶ頭おかしいぞ。視線が合うや顔真っ赤にして勢いよく逸らすわ、相手が自分見てない時はじーっと睨んでるわ。付き合い始めの初々しい恋人同士かよ」
「はぁ!? なに言ってんだよお前、気っ持ちわりーなっ!」
「だからお前らだいぶ気持ち悪ぃことやってんぞっつってんだよ。そーいうことやってんのは主にてめーだけどな」
「なっ………!」
「別によー、お前らが喧嘩しようと殺し合おうとどーでもいいけどよ。曲がりなりにもパーティで、魔物の出る野外を歩いてるんだからよ。こっちに迷惑かけるようなこたーしねぇでくんねー? 前衛同士が喧嘩してまともに連携取れねーようじゃ後衛の命に係わるんだよマジで。お前らだってそんくれーいざないの洞窟で骨身にしみただろーがよ」
 ぬぐっ、と俺は言葉に詰まる。てめーにゃ言われたくねーよとも思ったが(いざないの洞窟で一番足引っ張ったのたぶんこいつだし)、言ってることは確かに正論だ。
 俺だってそんなことしたくてしてるわけじゃねーし、とっとと普段通りの、相手にムカつきはするけど一応は連携取れるぐらいの関係には戻っときたいとも思ってる、ん、だけど………
「………っ!」
 ちらっとバコタの方を見て、目が合うや俺は考えるより先に全力でぷいっとそっぽを向いていた。あーくそもームカつくなっ、けどなんつーか、もー、こう、なんかわかんねーけどめっちゃくちゃ恥ずかしいんだよーっ!!
 バコタがふぅ、と小さくため息をつく音が聞こえた。俺はぬぐぐぐっ、と内心ほぞを噛む。くっそこの野郎俺をこんな目に合わせといてしれっとした顔しやがって、と筋違いは承知で腹が立つ。
 だって、この野郎は、俺がこんな風になった理由なんて全然わかってねぇくせに、本当の俺のことなんて全然知らないくせに、知った風な口利きやがって――
 ――俺の気持ちをわかってくれた、みたいな気持ちにさせるから―――
「―――! 右上空! 構えろっ!」
「え、っ! っのっ!」
 俺は上空からすげぇ速さで突っ込んできた魔物の攻撃を、かろうじて青銅の盾で受け止めた。魔物の鋭い爪がぎりぃんっ、と金属を斬り裂く音を響かせる。その鮮烈な音と、きっちり攻撃受け止めたのに数歩分吹っ飛ばされちまうほどの勢いに、俺はぐっと奥歯を噛み締めた。こいつ、強敵だ。
 その猫と蝙蝠のあいのこみたいな空飛ぶ魔物は二匹いた。二匹で宙を滑るように飛びながら、シャーッ、シャーッとこちらを威嚇する。完全に狙いをつけられた、空を飛んでる奴が相手じゃ逃げるのは無理だ。その上剣なんぞ向こうがこっちに襲いかかってきた時の反撃を狙うしかないから、こっちから仕掛けるのも難しい。俺は舌打ちしながら剣を抜き、アルノリドを怒鳴りつけた。
「おい、魔法使い! こういう相手こそてめぇの出番だろうが、とっとと働きやがれ!」
「てめぇに指図されなくても働いてやるっつーの! 燃えよ閃光、放て赤刃―――=v
「ギジャアアァァァ!!=v
 魔物が奇妙な響きの叫び声を上げた、と思うやアルノリドが「ひぇっ?」としゃっくりのような声を上げる。訝しみながらも「おいっ!」と怒鳴りつけるも、返ってきたのは呪文ではなく悲鳴だった。
「じゅっ、呪文が、封じられちまった!」
「はぁ!? なんだそりゃ、呪文ってんなほいほい封じられるもんなのかよ!?」
「マホトーンっつぅ呪文封じの呪文があるんだよ! 魔物が使ってきたの見るのは初めてだけど……」
「くっそ、肝心な時に役に立たねぇ奴……」
「はぁ!? てめぇふざけんなよ普段俺が魔物の掃討にどんだけ貢献してやってると思って――」
「いいから下がってろ、こいつらに狙われたらてめぇら一撃で首折られかねねぇぞっ!」
「っ………」
 アルノリドとナターリヤが魔物を刺激しないようじりじりと退いてくのを目の端で見ながら、俺はどうするか、と歯噛みする。向こうが飛んでる以上、襲いかかって来た時に反撃するしかねぇんだが、こいつらの動きの速さは尋常じゃねぇ。正直捉えきれる自信はなかった。かといって仲間の呪文が封じ込まれちまった以上、それ以外に手の打ちようはねぇし……どうす
「ユーリー」
 低く囁かれた声に、俺は思わずびっくーんっ、と体を跳ねさせた。そんな風に反応しちまったこと自体がなんかめちゃくちゃ恥ずかしくって、いつの間にかすぐそばにまで忍び寄って来ていたバコタに小さな声で怒鳴り返す。
「てっめぇ、いきなり声かけてくんなよっ、びっくりすんだろっ」
「……お前、キャットフライの動きを捉えられる自信はあるか」
「へ? キャットフライって……」
「……この魔物どものことだ。こいつらは普通アッサラーム辺りに生息している種だ。縄張り争いに負けたか、風に乗ってこの辺りまで飛んできたんだろうが、この辺の魔物よりははるかに強い。捉えられる自信はあるのか」
「っ………」
 俺はちょっと悩んだけど、結局正直に「ねぇよ」と吐き捨てた。すっげー悔しかったけど、それでも戦ってる時に仲間に嘘やごまかしを言うのは、本気で命取りになることぐらいもうわかってたからだ。
「そうか。なら、俺が囮になる」
「……どうやって?」
「投げナイフを当てて挑発する。せいぜい引き付けてやるから背後から斬りかかれ。相手は魔物、猫の形をしているからといって猫と同じ能力を持っているとは限らんが、普通に考えて耳はいいだろう。だが、頭に血を昇らせていれば少しは不意打ちもしやすくなるはずだ」
「………できんのかよ」
「俺はできんことをできるとは言わん。俺も襲いかかって来た時に喉を掻き切れるよう試みる」
 ぐっと奥歯を噛み締める。ちくしょうこいつやっぱり今の俺より相当強ぇなとかあいっかわらず偉そうで上から目線でやんのムカつくとか、そういう悔しい気持ちもあったけど、一番最初に全身に奔り抜けたのは――
 このムカつく、俺より強い野郎に仕事を任されたっていう、弾け出しそうな爽快感だった。
「――やってやらぁ!」
「よし」
 言ってバコタはだっと駆け出し俺から距離を取りながら、しゅしゅしゅっ、とナイフをキャットフライとかいう魔物に投げつけた。正確無比なその投擲は、狙い過たず魔物の頭のある場所を貫いたが、やっぱり向こうも感覚は相当鋭いようで、どちらもすいっと宙を滑りそのナイフを避ける。
 が、その避けるところもバコタは読んでいたらしく、最初の投擲に隠れるように投げていた二発目が見事に頭に激突する。聖別してあるわけでも魔法がかかってるわけでもないナイフだ、魔物にゃ薄皮一枚削り取る程度の効果しかなかったようだが、それでも痛かったからか動きを読まれたせいか余裕綽々に冷笑するバコタがムカついたのか、キャットフライはどちらも叫喚しながらバコタに向けて飛びかかる。
「ギャシャアァァッ!!」
「ギシュオォアァ!!」
 空中から突っ込んでくるその動きは、たぶん俺にやられたら受けきれなかっただろうほどに素早く鋭い。だがバコタは二匹どちらの攻撃も、しっかり見切って捌いていた。上空からの捉えにくい攻撃をぎりぎりまで引き寄せ、懐に踏み込むようにしてかわし――懐から抜き放った対魔物用の短剣で、大きく喉を斬り裂いてみせる。
 その動き。そのクソ度胸。その冷静さ。どれもクッソムカつくことに――思わず見惚れそうになるほど、見事だった。
「―――ぁっ!」
「ギィゥッ!?」
 俺も思いっきり気合い入れて、できる限り気配殺しつつ後ろからもう一匹の方に襲いかかる。ロマリアで新調した(っつーかバコタが裏の道から手に入れてきた)鋼の剣は切れ味鋭く、キャットフライの翼を傷つける。
 翼が傷つけられれば魔物だろうが普通は飛べない。バコタに斬り裂かれたあいつも、まだ死んじゃいなかったが動きが鈍って、まともに飛び上がれないようだ。ここは一気に……!
「ユーリー!」
「シャフゥッ!」
「っがっ!」
 俺の斬った方のキャットフライの暴れた爪が、ざっくり俺の頭に突き刺さる。俺の頭部の護りは(主に資金の都合で)革の帽子程度、あっさり斬り裂かれて俺の頭の肉が貫かれた。
 ぶしゅぅっ、と血が噴き出す。右目が血で塞がれて見えなくなった。ぐらぁ、と頭が揺れて力が抜ける。まともに立つ力も失われて、倒れそうになる――
「―――っがぁぁっ!!!」
「ギッ!?」
 俺は、思いきり唇と舌を噛み締めて、意識を取り戻した。一瞬舌がちぎれたんじゃないかと思うほどの痛みに、曇りかけていた頭の中がわずかに晴れる。
 冗談じゃねぇ。負けてたまるか。倒れてたまるか死んでたまるか。俺は醜くて、歪んで、みっともないイキモノだけど。この世のどこにも居場所なんてない存在だけど。だから、絶対、俺をこんな風にした奴らの思う通りに、死んでなんて、やらない。
 剣を振るう。まともに体に力が入らない。それがどうした、たぶん頭蓋は貫かれてない。ちっと肉が切られたくらいで負けてたまるか。俺は、絶対に。
「ギッ、ギャグッ!!」
「が、は、あぁっ!!!」
 何度も、何度も、剣を振るう。負けない。絶対。死ぬまで。殺してやる。絶対。あいつらの。思い通りになんて。
「グゥッ………」
「は、ぁ、ぐ、ぉおっ………!!!」
「ユーリーっ!!」
 がし、と突然体を抱き留められた。俺は暴れる。負けてたまるか。殺されてなんてやるもんか。絶対、絶対―――
「もういい。大丈夫だ、敵は死んでる」
「ぇ………」
 わけがわからなくてぼんやりと上を見上げる。見下ろしてくるのは、きれいな銀の輝きと、鋭くて背筋が震えるくらい厳しいのに、体が温かくなるくらい優しい黄色。わけがわからなくて、頭がまともに働かなくて、理由なんて全然わからないのに――
(こいつが大丈夫って言うなら、大丈夫か)
 なんだかすげー安心した気分になって、俺は目を閉じた。
「っ………! ナターリヤっ!!」

「はい、もう大丈夫ですよ」
 ナターリヤがにっこり笑ってぽん、と俺の頭を叩く。俺はむすっとした仏頂面でそれを受け止め、ついぷいっとそっぽを向いてしまった。
「おいてめぇこのクソガキ、ナターリヤちゃんがせっかく傷きれいに治してくれたってのになんだその態度は」
「別に俺治してくれなんて頼んでねーしっ」
「んっだとこの」
「あら? ユーリーさん、私、治さない方がよかったですか?」
 笑顔で可愛らしく小首を傾げられて、俺はうぐっと言葉に詰まる。勢い任せに「はい」だなんぞと言ったら、次回本気で傷負った時に治されねぇなんてお返しされるかもと思っちまったからだ(この女けっこうそういう風にやられたことはやり返す方な気がする)。
「べ、つに、そういうわけじゃ……その、助かった、よ」
「はい、どういたしまして」
 にっこり笑うナターリヤと今にもこっちを囃し立てだしそうな顔で笑うアルノリドにまたイラッとするが、それ以上なにか言う気にはなれずにまたそっぽを向く。だって腹立つことに、ムカつくんだけど、敵を倒しきれずに逆襲されて、死にそうになりながら我を失って敵を殺そうと暴走したのは、間違いなく俺のせいだったからだ。
 それもアッサラーム近辺にはいくらでもいるフツーの魔物相手に(アルノリドがご丁寧に教えてくださりやがった)。別にこいつらがなんか言ったとかいうんじゃないんだけど(しょっぱなに魔法封じられてちーとも敵倒す役に立たなかった奴らになんか言われたら俺はフツーにキレる)、話聞いた奴にこの程度の敵に死ぬ思いしてたら魔王殺すなんて夢のまた夢なんじゃねーのー、みたいなこと言われそうなしくじりしちまったことが、すっげーめちゃくちゃムカつくし、悔しい。
 また今回も一人でも魔物倒せそうな技の冴えを見せつけやがったバコタの野郎は、いつものよーにしれっとした顔して魔物の死骸を漁ってやがるし。くっそー恩着せる気配すら見せねぇでやがんのムッカつく奴、と俺は膨らみそうになる頬に力を入れながらそっちを睨んでいると、ふいにバコタが「おい」と手招きしてくる。
「……んっだよ」
「見てみろ」
 なんの用だかさっさと言えよ、と言ってやりて―けどさすがに今回は立場が弱いので素直に近づいてバコタの示す先をのぞき込む。と、バコタが持ち上げたキャットフライの翼の先から、ふいにごとん、と宝箱が落っこちて俺は(他の二人も少しは)仰天した。
「は!? んだそれ、宝箱!? なんでこんなとこにいきなり!?」
「魔物というものは、時々こんな風に死骸から宝箱を落とす。理由はまるで解明されていないが、魔物という存在が自然ならざるもの、神に創られた世界とは異なる存在、という主張を補強する事実のひとつではあるらしいな」
「いやいやいや! っつか普通に考えておかしいだろ! 生き物の死骸からころんと宝箱が転がり出るとか異常すぎるわ!」
「おいアルノリド、お前この話知らなかったのかよ? 魔法使いギルドは知識の殿堂なんだろ?」
「いや知らねぇって! っつかギルドじゃ魔物っつーのは基本死んだら塵に帰るもんだって教わったぞ! そりゃ旅始めてからバコタが魔物の死骸から使える部分剥ぎ取ってるの見て、その話が嘘っぱちだってのはわかったけどよ……」
「塵に帰るというのも嘘というわけじゃない。俺も詳しいわけじゃないが……魔物という代物は、死んだ後放っておけば塵に帰っていくが、時によりそうならない場合もあるんだそうだ。特に、その魔物に対し、『まだ塵に帰らないでほしい』と考えている奴がいる時には、そうならないことの方が多いらしい。そして、魔物の死骸から剥ぎ取ったものはきちんと処置をすれば、そうでなくともきちんと魔物の死骸から分離させておけば、塵に帰るようなことはなくなる。そういうものは店に持っていけばそれなりの値段で引き取らせることができる。……まぁ、アリアハン国府から渡された無限の袋がなければ、出会う魔物から剥ぎ取ったものすべてを持ち歩くというのは無理だっただろうがな」
「………ふーん」
 そう言われるとアリアハンのクソ国王に感謝しなきゃならないことができたみたいでイラッとするけど、確かに袋があって助かったのは否定できねぇ。
「へぇ〜……盗賊ってそういう知識も教わるもんなのか?」
「……少なくとも、俺は教わったな」
「宝物を逃さないという盗賊の本分から考えれば、正しい在り方なのかもしれませんわね。いつもありがとうございます、助かっていますわ、バコタさん」
「この手の技術はどちらかというと商人の方が得意だろうがな。……盗賊は、どちらかというと、宝箱を見つける方が専門だ」
「は!? 死骸から宝箱見つける方法とか、マジで習うのかよ!?」
「……正確には違う。盗賊が習うのは、『生物を一撃で殺せるほどの急所を突く方法』だ」
「はぁ!? 盗賊が!? んなやり方使いこなせんだったら戦士より強くなんじゃねーか!」
「別に盗賊ならいつでもその方法を使いこなせる、なんぞとは言っていない。単純に、盗賊の多くは都市内で活動することが多いから、戦うといっても装備に制限がある時がほとんどだし、目立つ戦い方は歓迎されない。だから、できる限り素早く生物の急所を狙い打つ、というのが盗賊に叩き込まれる戦闘技術の基本となる。一撃で殺せるかどうかはまた別の話だが、狙うところ、目指すところはそこだ。――そして、魔物というのは、急所を突くと宝箱を落とす確率が多い。んだ、そうだ」
『…………』
「……魔物って、んなトンチキな生態してんのかよ? 生物としておかしいだろそれ」
「うーん……生物ではないのかもしれませんよ? たいていの神話では、魔物というものは世界に落とされた混沌の欠片、ということになっています。本来この世に在らざる生命が、神に創られた世界と混じり合った時、そういった形で神の恵みが現れる、ということもあるのかもしれません」
「本気で言ってんのかんな寝言」
 イラッときて睨みつけたけど、ナターリヤはにっこり笑って答えやがる。
「ええ。だって死骸から宝箱を落とす生物なんてものがいるんですから、むしろそういった超常的な存在の介入を考えに入れた方がまともな答えになる気がしませんか?」
「む……そりゃ、まぁ、そうだけどよ」
「……とにかくよ。魔物は時々宝箱を落とす。訓練を受けた盗賊はそれを見つけられる確率が上がる。ってことでいいんだろ?」
 頭をぽりぽり掻きながら言ってから、アルノリドは目を輝かせて宝箱をのぞき込む。
「で? その宝箱の中には何が入ってんだ? 魔物が落とした宝箱なんてとんでもない代物なんだから、それなりにいいもんなんだろ?」
「待ってろ、今開ける。ちょうど罠と鍵を調べ終えたところだ……、………?」
「え、は………?」
「? なんだこりゃ………?」
 中に入っていたのは、人間大ほどの大きさの、見るからにふわふわとした感触を持った毛布のような代物、と俺には見えた。何に使うものなのかさっぱりわからず、バコタが眉を寄せながら慎重に調べていくのを揃って首を傾げて見守る。と、ナターリヤがぽん、と手を叩いた。
「これは………もしかして、人が着用できるぬいぐるみではないですか? 猫の」
『………はぁっ!?』
 思わず声を揃えて叫んじまった。そんくらい意味不明な言葉だったんだけど、バコタが顔をしかめてばさっとその毛布みたいなものを広げるのを見たところ、確かにそれは紛うことなきぬいぐるみだった。背中になんか開け閉めできそうな隙間があって、人間が軽く入れそうなくらいでかくて、顔のところに穴が開いてて、頭にはでっかい猫の耳がついてる。
 手足も肉球まで猫の足みてぇに、微妙に戯画っぽく誇張された形で再現されてる。まー二本足の猫っつーどー見てもへんちくりんなもんにしかなんねぇけど………確かに、これはたぶん、猫のぬいぐるみだ。
「なぁんだよー、魔物が落とした宝物なんつー珍品宝箱のくせして、中身ぬいぐるみかよ? しかも別に高そうでもねぇへんちくりんな、人が着るぬいぐるみって……」
「どうでしょう。こういった特殊な品物は、作るのが大変ですからお金もかかるでしょうし。それはもちろん、売る時に値がつくかどうかは別問題でしょうけれど……」
 アルノリドとナターリヤがそんなことを喋ってる横で、俺はなんか、イラッと心がささくれ立つのを感じていた。別に魔物が落とした宝箱なんぞに期待しちゃいないけど、それがぬいぐるみ、って。昨日の今日で。しかもその話でバコタともやり合ったばっかだっつーのに。なんてーか、お前喧嘩売ってんのかって気分になる。
 別にたまたまの偶然なんだろうけど、それでもやっぱりイラッとくる。だから仏頂面で、忌々しげに言い捨てた。
「そんなもん捨てていこうぜ。店に売るったって大した値もつかねぇだろそんなん。邪魔臭いだけだぜ」
「…………」
「まー、その方が荷物にゃならねぇよな……」
「あら、せっかく手に入れたものを捨てるなんて、もったいないですよ。無限の袋があるんですし、持っていっても悪いことはないと思いますけど?」
「邪魔くせぇっつってんだよ、他のもん引っ張り出す時に邪魔になるかもだろ、役に立たねぇもんをしょっちゅう使う袋に入れとくのは鬱陶しいじゃねぇか」
 まぁ、俺もアリアハンのクソ王からもらっただけだから、無限の袋のそこら辺の仕組みがどういう風になってんのかはよくわかんねーけど。
「そうですか? それなら……そうですね、私が着てみるのはいかがでしょう?」
『は!?』
 またアルノリドの野郎を声を揃えて叫んじまった。いやだってんな、だって、なぁ!?
「いやお前、そんなもん着てどうすんだよ!? 意味ねぇし意味わかんねぇしやる必要全然ねぇだろ!?」
「いえ、魔物が落としたぬいぐるみなら、なにか特別な力があるのかもしれませんし。着れるようになっているんですから、力が発揮されるとしたら着た時なのでは、と考えたのですけれど……おかしいでしょうか?」
 いつものにっこり笑顔でそう言われ、俺たちも思わず言葉に詰まる。いや、そりゃまぁそうなのかもしんねぇけど……。
「いや、つか、あれだ、呪われてるもんとかだったらどうすんだよ。ああいうのっていったん装備しちまったら外れねぇんだろ?」
「その時はその時です。ロマリア王都を出たばかりですからすぐ教会に取って返せば被害も少ないと思いますし、僧侶としては呪われている装備を放置するよりはマシだ、とも思えますもの。商人の方々のように鑑定の専門家というわけでもないのに、ぱっと見ただけで役に立たないものだと決めつけて、後から実は高い魔力を秘めた品物だとわかって悔やむ、なんてことにもなりたくないですし」
「や、まぁ商人とかがいれば商人魔法で一発だっただろうけど……なにもナタちゃんがそんな危険冒さなくてもさ。それだったらそこのクソガキとか鉄面皮野郎とかに着せりゃいいじゃんよ」
「はぁ!? ふざけんなてめぇ、自分で着る根性もねぇくせに人に押しつけてんじゃねぇよ!」
「肉体労働はてめぇらの仕事だろーが、脳筋職ども」
「まともに頭脳労働してっとこ見たことねぇ魔法使いに言われたくねーなっ!」
「あっ、てめぇ言っちゃなんねぇこと言ったなこのクソガキ! てめぇだって頭脳労働どころか、役に立つような仕事したことほとんどねぇくせにっ!」
「………! な、んだとぉっ………!」
「ならば、俺が着よう」
『……………、へっ?』
 唐突に響いた冷静冷徹無感情な声に、俺たちはまたも揃って素っ頓狂な声を上げてしまった。いや、でも、だって。
「着るって……バコタ、お前が? このぬいぐるみを? マジで?」
「俺には無意味な冗談を言う趣味はない。今のうちにこの装備がどういう代物なのかを確かめた方がいいのも、肉体労働が俺の仕事なのも確かだ。ナターリヤではなく俺が着たところで、特に問題はないだろう」
『………………』
 バコタ以外のパーティ面子は揃って沈黙したが、その表情は各々まるで違った。ナターリヤはいつものにこにこ顔を(さっきからずっと)まるで変えず、アルノリドは仏頂面のくせに、なんかほっとした顔をしてやがる。そして、俺は――思いっきり奥歯を噛み締めて、視線で射殺すぐらいの勢いで、バコタをぎっ、と睨みつけていた。
 それでもバコタはそのしれっとした表情をまるで変えず、淡々と、かつ偉そうっつーか俺らの言うこと屁とも思ってなさそうな顔で、俺たちを眺めまわして告げる。
「文句がないのなら、まず俺が装備するぞ。問題はないな?」
「お、おう。まぁな。いいんじゃねぇの?」
「はい、私も、バコタさんが装備されるとおっしゃるなら……」
「……ざけんな」
「なに?」
 口の中で小さくつぶやいた言葉を聞きとがめて、俺に鋭い視線を向けてくるバコタ。その視線に乗ってる殺気っつーか迫力に、俺の身体が勝手に半歩後ろに退ったんだけど、俺はそれでも大きく胸をそらし、思いっきり偉そうに言ってやった。
「文句あるっつってんだよ。てめぇの勝手でなんでもかんでも思い通りにできるとか思ってんじゃねーぞ。いっつも偉そうな顔してふんぞり返ってられると思ったら大間違いだっつーんだよ!」
「なにが言いたい」
「お前がこんなもん着ても問題ない、なんぞと抜かすのがそもそもの勘違いだってんだよ。もし装備したとたん混乱して周りを攻撃する、みてーな呪いがかかってたらどうするつもりだってんだ、お前対多人数用の武器も持ってるし、一応俺たちパーティの最強戦力なんだからどう転んだって悲惨なことになるだろ」
「あ……」
 アルノリドがそういえば、みてーな顔して間抜けな声を上げ、バコタは眉を寄せるも、俺の言葉に理を認めたからだろう、反論しようとはせずにこう言った。
「ならば、誰が着ればいいというんだ。袋の肥やしにでもするつもりか、それともロマリアに戻って売り飛ばせとでも?」
 俺は眉を吊り上げ、バコタを睨み続けながら、口を開く。不本意だけど、普通なら冗談じゃねぇって断固拒否するとこだけど――それ以上に、俺は、こいつに、バコタに、負けたくないんだ。
 アリアハンを旅立ってからずっと、しれっとした顔してなんのかんのと偉そうなこと言いながら、俺たちを、俺を的確に助けてくれるこいつに、当たり前みたいな顔して俺と真っ向から向き合ってくるこいつに、いっつもいっつも俺がただ黙って助けられてる奴だなんて、絶対思われたくない。こんな奴に借り作りっぱなしだなんて、死んでもごめんだ。
 俺は、歪んだ醜いイキモノだ。世界を恨んでる人間の敵だ。――だけど、それでも、意地を張り通したいと思う奴くらいいるんだ。俺は、こいつに、バコタに、助けられっぱなしのまま雑魚扱いされるなんて、絶対に嫌だ………!
「………っ、俺が着りゃあ、いいんだろっ!!」
 腹の底から声を出して怒鳴ると、バコタは目を見開いて、何度か瞬かせる。もしかしてこいつなりに驚いてんのかとも思ったけど、それにいちいち突っ込む余裕なんてなかった。
「俺が装備して呪われて暴れたって、お前なら俺を叩きのめせんだろ。動けなくしてさっき出てきた街に逆戻りすりゃいいんだ、少なくともお前が暴れた時よりよっぽど楽だろ」
「…………」
「俺のことアリアハンであんだけ叩きのめしといて、できねぇなんぞとは言わねぇよな。それに俺だって曲がりなりにも勇者って職業やってんだ、魔法の類についちゃお前より少しは知ってら。魔法にしろ呪いにしろ、身に着けたもんからかけられたんなら、どんな型の代物かはだいたいわかる。それに、俺まだ対多数用の呪文使えねぇし……実験台にすんのには一番いいだろ」
「……それは、そうかもしれんが」
「なんだよ。文句あんのかよっ」
「………。お前は、いいのか?」
「へ?」
 意味がわからずぱかっと口を開けると、バコタはぎゅっと顔をしかめ、首を振る。
「いや、なんでもない。――確かにお前の言うことは筋が通っているが、いいんだな? 呪いをかけられる危険を冒したとしても」
「ああ。じゃなきゃてめぇからこんなこと言い出すかよ」
「わかった。なら、とっとと着替えろ」
「へ? 着替えるって……」
「お前の今装備してる鎖帷子の上からは、このぬいぐるみは入らないだろう。多少の伸縮性はありそうだが、装備した際の効能を十全に把握するためなら、きちんとした状態で装備したほうがいい」
「お………おう」
 そ、そうか……このぬいぐるみを装備するってことは、こいつらの前で着替えるってことになるわけか。いや、別にこいつらの前で着替えなくても、他人の前で着替えるの嫌な奴とかフツーだし、これまでの旅の間でも俺こいつらの前で服脱いだことないし(身体拭く時も自然と時間がずれた。……別に隠そうって意識してたわけじゃねぇけど……)、ちょっと物陰行って着替えてくりゃいいんだけど……
「アルノリド、お前も見張っていろ。奇妙な魔力でも発動した時に、一番気づきやすいのは専門家のお前だろう」
「ちっ、わぁったよ。ったく、男の着替えなんて見たくねぇってのになぁ……」
「では、私もできる限り注意を払って観察させていただきますね。私も一応魔法を使える職業に就いている身ですし……」
「いや……お前は」
「ちょ、なぁに言ってんだよナタちゃん、君がそんなことする必要ないって! 男の着替えなんて女の子がまじまじ見るもんじゃないよ」
「いえ、でも……非常時にそんなことを言い出すのもおかしな話ですし」
「……それは確かにそうだが。お前は万一の時の救護役として控えていてもらいたい」
「救護役、ですか?」
「周囲の人間に悪影響を及ぼす魔力を持っている、なんてこともないとは言えんからな。俺たちがおかしくなった時には即座に距離を取って、状況に応じて対応してくれ。俺たちが大怪我をした時に頼れるのはお前以外にいないからな、お前の機転に期待する」
「そうですか……そういうことでしたら、私も、自分の役割に全力を尽くさせていただきますわ」
「………………」
 これ……ちょっと物陰行って着替えてくるー、なんぞと言い出せる空気じゃねぇよな、どう考えても………。
 いや、別にいいよな。いまさら知られたって。俺の身体の性別をひた隠しにしてたのは、単純にアリアハンのクソ王だのその周りの貴族だのなんだのって連中に知られて、文句つけられるのが嫌だったからなわけだし。もう俺は旅に出ちまってんだから、アリアハンにまで俺の身体の性別が知られようが、困るのはババアとジジイだけだし。
 こいつらが、俺の身体の性別知ったって、文句つけてこられなけりゃどうだっていいし。文句つけるくらいなら俺一人で旅続けりゃいいわけだし。わざわざそんな、気ぃ使う必要なんてねーし。そーだよ、こんな奴らにわざわざ気なんて使ってたまるか、気にせず堂々としてりゃいいんだよ、別にこいつらには頑張って隠してたってわけでもねーんだし!
 そう自分に言い聞かせ、俺はナターリヤが少し離れたあと、バコタとアルノリドの前で、無言で鎖帷子を脱ぎ始めた。

 そして何事もなくぬいぐるみを装備し終えた。
「ぶっは、おっま、その恰好普通に笑えるわ! 可愛い女の子ならともかく、ガキでも男がんなカッコしてるとか、お笑い以外の何物でもねーな!」
「……ふむ、俺の見たところでは、特に奇妙な効果は出ていないようだが……ユーリー、お前の体感としてはどうだ? ……おい、ユーリー。どうした?」
「………別に。なんっでもねーよ」
 俺は渾身の力を込めて男どもを睨みつけながらそう答える。………別に、気付かれたかったわけじゃねーけど。俺が男だと思われてようが女だと思われてようがどーだっていいんだけど。隠してたわけじゃなくても知らせようとしてたわけでもねーしどーでもいいんだけど。マジで、ほんっとにどーでもいーんだけどっ!!
 あークソあークソあーこのクソ野郎ども、マジで殺してぇぇぇぇっ!!!
「なんだよ、お前が着るっつったんだろーが、本当のこと言ったくらいでんな睨まれる筋合いねぇっての」
「怒るのは勝手だが、それより先に具合を報告してもらおうか。魔物がいつ出てきてもおかしくない街の外で、無駄に時間を使う愚かしさをお前も少しは知っているはずだが?」
「………………」
 ぎぬっ、と思いっきり殺気を籠めて睨みつけながら、俺はぶんぶんと剣の素振りをし始めた。
「あーこれすっげー動きやすいわー普通の鎧よりも軽くて楽に動けるわー、人の頭ぐれー簡単にカチ割れそうだわー」
「なっ、てめっ、なにマジ切れしてんだよっ、落ち着けっての! 魔法使いはインテリなんだからなっ、暴力で脅すみてーな野蛮なこと慣れてねーんだからなっ!」
「……動きやすいのか。呪いの類もかかっていなさそうだな」
「あーそーいうの全然感じねーわマジでー、いい装備だわこれー、うまい具合にちょろっと手ぇ滑らせてクソ野郎どものドタマぶち割るくれーのことはしてくれそーだわー」
「だっ、だから怖ぇっつってんだろっ、落ち着けよっ! おま、マジでんなことしたら犯罪だからなっ、呪いかかってても訴えるからなっ!」
 俺は据わった目でクソボケどもを睨み、くっくっくと笑い声を立てながらぶんぶん剣を振り回す――と、バコタがすっと俺の懐に踏み込み、ぽん、と俺の腹を叩いてきた。
「なっ……てめっ、なにすんだよっ!!」
「……どうやら打撃を吸収する仕組みになっているようだな。並みの魔物の攻撃くらいならば防いでしまいかねんほどだ。おそらくはなんらかの魔法もかかっているのだろうが」
 小さく呟いて、バコタは俺の顔を間近から見つめてくる。俺はなんか焦って、慌てて、離れようと後ずさったんだけど、バコタはそれを引き留めるようにぬいぐるみの腕部分をつかみ、静かな面持ちで告げる。
「ユーリー」
「な………なんだよっ」
「このぬいぐるみ、俺が装備してもいいか?」
『……………』
「は、はいぃぃぃぃぃっ!!?」
 アルノリドが叫ぶ声が聞こえた。俺も思わずぽっかーんと口を開け、ぼーぜんとバコタを見つめる。だがバコタはいつものしれっとした顔で、当たり前みたいに言ってきた。
「このぬいぐるみは、どうやら相当優秀な防具として使えそうだ。見たところ、あちらこちらに相当な緩みたるみがあるのにお前の動きには全くと言っていいほど悪影響がない。動きが鈍ることは考えなくてよさそうだし、俺程度の体の大きさなら十分入れるだろう」
「や……そ、そりゃ、そーかもしんねーけどさ……」
「後衛に着せる手もあるが、それよりは普通に前で切った張ったをする役目の人間に着せた方がいいだろう。お前が着てもいい、とも思うが……」
 一瞬俺と視線を合わせ、すぐに肩をすくめる。
「そんな風に着るたびに逆上されても困るしな」
「い、いやつかさ、お前、本っ気で、これ着るの? これ着てマジで魔物と戦うわけ? しかもその、これからカンダタとかいう盗賊と戦う予定なのに?」
 俺は相当驚き慌てながら言ったんだけど、バコタはやっぱりいつものしれっとした顔で、ごくあっさりとうなずいてみせた。
「ああ」
『……………』
 ぶふーっ。俺は思いっきり噴き出した。
 そしてそれから腹を抱えて笑い出す。遠慮会釈なく思いっきり笑う。いやだってこれフツー笑うだろマジで!
「ぶははははははっ! おま、んな、当たり前の顔して、てめ、ぶははははっ! おま、正気かマジでっ、ぎゃはははっ!!」
「いたって正気のつもりだが?」
「んなことマジな顔して言ってるとこからしておかしーってのっ! ぶははっ、ひーっ、やべぇ、腹痛ぇマジ、ぎゃははっ!!」
 さんざん笑ってやってから、俺は立ち上がって、満面の笑顔で言ってやる。
「よーっしっ、ならこれお前に譲ってやるぜっ、ありがたく思えよなっ」
「ああ」
「ぶふっ……ひひひっ」
 笑いながら俺はとっととぬいぐるみを脱ぎ、鎖帷子を着る。実はずーっと近くでにこにこ笑ってたナターリヤが慌てて後ろを向き、アルノリドが「てめぇ女の子にはもっと気ぃ使えっつーのっ!」とクッソ勘違いした台詞抜かしてきやがったんだけど、そんなことも気にならなかった。
 昨日、型はまるで違うにしろ、大きく分ければ同じぬいぐるみのことで、バコタとやり合ったことも、気まずくなったことも――その後も変わらずぬいぐるみに持ってたわだかまりも、全部丸ごと吹っ飛ぶくらいおかしかったんだ。
 ――だから、俺は、気づかなかった。バコタの突然の珍妙発言に、どんな想いが込められていたかなんて。
 バコタがこっそり笑い転げる俺を見て安堵の息をついたことも、それから小さく肩をすくめて『……まぁ、あんな顔をされるよりはマシか』と呟いたことも、それから気持ちを切り替え無表情を作って淡々とぬいぐるみに着替えたことも――バコタがなにを考えてそんなことをしたのか、バコタがどれだけ俺を気遣っていたか、バコタにとって俺の存在がどれだけ大きく重いか、そんなもろもろ全てに、まったく気がつかなかったんだ。
 それも当たり前っちゃ当たり前だろう。だって、バコタ本人だって、この時には自分のそんな気持ちには、まるっきり気づいてなかったんだから。
 俺をどう思ってるかも、俺の心をどれだけはっきり感じ取っているかについても――俺が本当は女だってことにも、まるっきり気づいてなかったんだから、そりゃ、俺が気づくわけがない。
 でも、それでもこの時俺は、見事なくらいバコタの思う通りに、願った通りに、しょーもねぇしがらみをきれいに忘れて、心の底からの満面の笑顔をバコタに向けたんだ。

 ちなみに、このぬいぐるみは後々まで防具として活用された。だってこのぬいぐるみ、なんでか知んねーけど鋼の鎧より防御力高ぇんだもん。バコタも着たけど俺も着せられたしナターリヤも着せられたし、最終的にはアルノリドの装備になって、サマンオサで魔法の鎧を手に入れるまでえんえんパーティ内に猫のぬいぐるみ着込んだ男の姿を常駐させられる羽目になった。

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