真空
「真空よ!=v
 ダグが高らかに叫ぶと同時に、ごうっ、と空気が渦巻いた。砂漠の風が瞬時に、触れる者を斬り裂く刃に変わったのがわかる。
 その刃は見る間に集まり、逆巻き、離れた場所にいるロゼッタまでも押し返すような圧倒的な圧力と肌が切れそうなほどの鋭さをもって、巨大な竜巻となって地獄の鋏の群れを巻き込み、蹂躙した。剣の刃が立たないほどの硬さとなった殻を無視して、一瞬で中身を斬り裂き、撹拌し、塵へと変える。
 それを確認してから、ダクはこちらを向いてにこりと笑いかけた。
「怪我はないかな?」
「っ……少しばかり役に立ったくらいで偉そうにっ……砂漠ではこれまでずっと俺があいつらを倒してきたんだからな!?」
「おう、わかっておるともさ。お前がこれまで全力で敵を倒してきたのはな。まぁ全力すぎたせいで魔法力が尽きてわしが出張ることになったわけだが、想い人のため一途に死力を尽くすお前の志は間違いなくルビスさまもご照覧下さっているぞ?」
「っっっっっ………!!! 貴様っ………!」
 いつものようにティスに突っかかられるのを笑顔でいなしているダクに、ロゼッタはわずかに眉を寄せた。ダクはそれを敏感に察して、笑顔で声をかけてくる。
「どうした、ロゼッタ。わしをそのような可愛らしい瞳で見つめて。なにかわしに聞きたいことでも?」
「………あなたはバギは不得手なのではなかったの」
「わしが? ふむ、まぁあまり使わん呪文だからな、得意というわけではないが」
「なぜ?」
 ロゼッタの端的な問いに、ダクはにんまりと笑ってこちらに歩み寄ってくる。一瞬わずかに身を固くするロゼッタを気にもせず、ダクはきゅっ、とロゼッタの手を手袋の上から握った。
「………っ」
「っ………貴様っ、いきなりなにをっ!」
「愛を伝えるやり方はいろいろあるが、わしはやはり相手の体温が感じられる方法が一番好きでな。人と人との距離は、やはりこのように互いの温みを分け合える距離が一番わかりやすかろう」
「……昼に焼き殺されそうな思いをした砂漠で言うことじゃないよなぁ」
「今は夜だ、かまわんだろうさ。まぁ、単純に好みの問題だな。呪文で殺すも殴り殺すも、殺される相手にとってはさして違いはなかろうが、わしとしては呪文で相手を殺すのは手応えがなさすぎて物足りん」
「ふん、貴様殺害嗜好者か。人間に手を出しでもしたら即刻パーティから叩き出す、いやそんなものじゃ生ぬるい、ロゼッタ殿の名誉を穢した罪を命で償ってもらうからな」
「こらこら、『言える悪口は全部言っておく』というのは子供の癖だぞ? 想う人に愛を囁こうという気があるなら、そこらへんは早めに卒業せんか」
「なっ……お、お前が妙なことを言うからだろうがっ! 手応えがなさすぎるとかなんとかっ」
「まぁ、事実だからな。『生き物を殺した』という手応えを体で感じることなしに殺してしまうというのは、わしとしては好かんのさ。同じ殺生ならば他殺よりも自殺……自分の手で行った方がまだしも気が楽という、しょうもないごまかしにすぎんがな」
「……ふん、聖職者というのは本当に偽善者ばかりだな」
 ティスをあしらい、ロットに笑い、ひょうひょうとした表情を崩さないダクに、真正面から見つめたまま再度問いかける。
「なぜ?」
「……ふむ」
 ダクはじっ、とロゼッタを見返し、それからにかっと笑った。身かわしの服の上からぽんぽん、と背中を叩き、撫で下ろす。
「……っ……」
「別に大した理由があるわけではない。僧職についた以上、どんな呪文も十全に扱えるようにするのは当然のことだからな。バギ系の呪文も当然それなりに修練はしておる」
「…………」
「そも、神は殺生を禁じておるわけではない。バギ系の呪文は決して単に必要以上に相手を傷つけない≠スめのものではない。さっきも言ったが、同じ殺すならばバギで殺すも殴り殺すも、ギラで殺すもヒャドで殺すもイオで殺すも同じだ。微細に呪文を調整すれば手加減はできるが、それとても素手の方が数段やりやすかろう。神の遣いが魔法使いの攻撃呪文を使ったという事例は聖典の中にすら当然のように記されている、神がバギ系をよきもの≠ニみなしているわけではないのは当然だ。それにあれやこれやと付加価値をつけるのは、人間が勝手にやっておるだけのことさ」
 背中からダクの体温が伝わってくる。勝手に呼吸が落ち着いて、心臓の鼓動がゆるやかになってしまう。ダクに毎夜毛布の中で抱きしめられている時のように、体温が穏やかになっていく。
 それに懸命に抗いながら、ダクの顔をじっと見つめた。ダクならば、自分のこの無言の問いかけを読み取ってくれるだろう。共に旅をした半年で、ロゼッタは当然のようにそう考えるようになっていた。考えるようになったというより、知ったのだ。
 ダクが相手の心理を敏感に見抜くこと、そのくせ話しているだけで自然と相手を落ち着かせてしまう能力を持っていること、体に触れるとその力がさらに増すこと。いつも心底楽しげな笑顔を浮かべていること、時々優しげな笑顔になること、自分に――ただの刃に、時々不思議なくらい愛しげに笑いかけること。そういうことを、ひとつひとつ。
 けれど、それでもやはりわからない。なぜ、そんなことができるのか。当然のように相手の心を読み取り、落ち着かせ、和らげるなどということができるのか。――自分のような、ただの刃をも、同じ毛布に入るだけで驚くほどよく眠らせるなどということができるのか。
 ロゼッタは、それが知りたかった。ダクという人物を知りたかった。自分よりも強い、自分の仲間であるダクがどんな存在なのか、知りたいと思ったのだ。そんなことは、これまで一度もなかったのに。
 ――そして、ダクはそんなロゼッタの視線ににかっと笑みを返し、いつもと同じ楽しげな顔で教えてくれる。
「神の御心と、人の思考は必ずしも添うとは限らん。神の与えし恩寵を人は人の都合で自身に沿う形にせねば受け取れん。これはどちらかに原因があるというものではなく、それぞれが違う魂を持つゆえどうしようもないことなのさ。僧侶の使う呪文は神聖であれかし、と願うがゆえにバギに必要最低限の護身のための呪文≠ニいう付加価値を与え、それがゆえに力を得られる者というのは確かにいるのだからな。自身の地位を高め、周囲を貶めようとするその高慢、不遜、傲慢――すなわち人の我欲、我執というものだ。囚われれば自身をすら損なわせる困りものではあるが、それがあるからこそ人は、他の誰でもない自らたりえようと願うことができる」
 ダクの声が、背中を撫で下ろす手から伝わってくる体温と共に、体の中に響いてくる。まるで一緒に毛布に包まっている時のように、呼吸が、鼓動が、体温が落ち着く。まるでなにも欠けたものがない、とでもいうように、奇妙なほどに心身が穏やかな状態に導かれる。
「まぁ、その自らたりえようとすら願う心もつきつめれば執着でしかないわけだが、それがあるゆえにこそ生まれるものもある。滅びるものもむろんあるがな。要するに、愛したい、と心が願っておるのにそれを無視するなぞというのは馬鹿馬鹿しい、ということだな。わしはバギで殺すより自身の手で殺す方が好みだ、というそれとまったく同じことだな、万事は」
 なぜそんな状態になるのか、ロゼッタには理解できない。自分自身のことなのにわからない。けれど、不快ではなかった。むしろ心地よいとすら言っていい気がしていた。ずっとこのままでいたいような、そんな気分にすらなった。
 そんな風に、なにかがほしい∞なにかがしたい≠ニ思うことなど、これまでまるでなかったのに。

「わしはティスの方が適任だと思うぞ?」
「なっ……」
 あっけらかんと言うダクに、ティスは絶句した。
 ここはダーマの宿屋の一室。ガルナの塔で得た悟りの書を使い、賢者に転職する人間を誰にするか、ということを相談している時に、ダクが最初にそう言い放ったのだ。
「なにを、急にっ……」
「急にもなにも、わしは最初からそう思っていたぞ。賢者にはティスがなるべきだろう、とな」
「っ、だからなんでそんなことをいきなり言い出す! 賢者は魔法を扱う職業の上級職だぞ、少しは憧れたり興味を抱いたりしないのか!」
「あいにく、わしは高みを目指すことよりも目の前の愛に生きることを選ぶ人種でな。だからそういう意味でもお前がなった方がいいと思うわけだ。お前には高い矜持と向上心がある。賢者として世の真理を探究し尽くさんとするのは、お前に合っていると思うぞ」
「っ……だ、だがっ」
「それに戦力的にもお前が賢者になった方が効率がいいだろう。回復の手は多いにこしたことはないし、どうしても身体的な能力がお留守になる魔法使いと違って賢者は殴り合いなら僧侶にも勝てるくらいの力を持てる。なにより耐久力が上がるから、パーティの全体的な死亡率をぐっと減らせるぞ」
「それは……そう、だが! っ………」
「……ティス。なにか問題があるのかい?」
「そういう、わけでは、ないが……っ」
「……もしかして、賢者にはダクの方が向いている、っていうように考えてたり、する?」
「っ!」
 ロットの穏やかな声での指摘に、ティスは言葉に詰まったと思うや見る間に顔を真っ赤にした。ロゼッタが淡々と、ダクがじっと見つめると、ティスはぎっとダクを睨みつけてまくしたてる。
「言っておくが、これは別にお前を認めたとかそういうことではまったくないからな! ただお前はどうでもいいことを無駄にこねくり回す聖職者らしく、弁が立つし理屈をこねくり回すのがうまいし、思わせぶりに効果的に感じられる一言を吐くのも上手だし、やたらめったらふてぶてしい上に飄々としているからっ……悟りを開いたなんぞと偉そうなことを抜かす職業には合っているんじゃないかと思っただけだっ!」
「ティス」
 真っ赤な顔で、羞恥からかやや呂律の回っていない口調で、感情を必死にねじ伏せてダクを睨みながら投げつけられた台詞に、ダクはただ穏やかに微笑み、礼を告げた。
「ありがとう」
「っ………」
「だが、やはりわしは賢者はお前の方が合っている、と思う。悟りを開く、というのは懊悩の中にあってこそ福音となる言葉だ。お前はまだ若く、心身はより高みを目指さんという活力にあふれている。ゆえにこそ悩みも深かろう。そんな中で自身の道を見出していくのに、賢者という職業に与えられる力は大きな助けとなるだろう」
「っ、お前はどうなんだっ! お前には悟りを開くべきことはないとでもいうのかっ!?」
 半ば泣きそうな顔で叫ぶティスに、ダクは呵呵と大笑する。
「拙僧の心身も煩悩に満ち溢れてはいるがな、わしは今の自分はそれでよいと思っているのさ。言っただろう、高みを目指すよりも目の前の愛に生きると。神の愛を語るには、悟りを開き、ただ人を越えた者よりも、神の掌で踊る愚か者の方がずっと似つかわしい。語られる方もその方が楽しかろう」
「楽しいだと……!? 貴様、人生の重大事をそんなことで」
「人生の重大事ではあるが、要はこれも万事と同じと思うのでな」
「は……?」
「『愛したい、と心が願っておるのにそれを無視するなぞというのは馬鹿馬鹿しい』――好みの問題ということさ。わしの好みを、どうか認めてはくれんか?」
 そう言ってにっかりと笑うダクを、ティスは真っ赤な顔でまた睨みつけた。

「あなたは、賢者にはならないのね」
 神殿で賢者に転職する儀式の準備を行うために先に出たティスを見送ってから、ロゼッタが小さく呟くと、ダクはいつものように楽しげに笑って軽くロゼッタの肩を叩いた。
「なんだ、ロゼッタ。わしに賢者になってほしかったのか?」
「………。いいえ」
「そうか」
 自分の答えを気にした風も見せず、ダクはぽん、ぽんと肩を叩き、撫でる。またひどく心身が落ち着いていくのを感じ、ロゼッタは小さく息を吐いた。
 本当に、なぜ自分はこんな風に感じるのだろう。自分はただの刃。感じることも想うこともない、ただの道具。敵の命を刈り取るためのものでしかないのに、こんな風に。
『ダクが神の言葉を説かなくなってしまうのは―――』
 ふいに浮かび上がってきたそんな言葉を、ロゼッタは途中で打ち切った。けれど自身の心の声は、聞かないようにしても無視しようとしても自分の中に響いてくる。
 なぜ、こんな風に感じるのだろう。なぜ、こんなことを想うのだろう。
 ダクの説く神の愛とやらが自分を変えたのだろうか。ダクがなにをしたというわけでもないのに。ただ、毎晩自分と同じ毛布の中で、背中を撫でながらいろんなことを話しただけにすぎないのに。ただの刃が、なんで。
 優しく体を撫でられながら、ロゼッタは小さく息をついた。いつものように、『この時間が永遠に続けばいい』などという、ふいに浮かび上がるわけのわからない感情にできるだけ見ないふりをしながら。

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