癒しの光
「癒しを=v
 ダクの小さな呟きと共に、その大きな手の中にぽう、と輝きが生まれる。それと同時に掌をかざされているロゼッタの体からすぅ、と痛みが引いた。
「もう、痛いところはないな?」
 にこりと笑いかけるダクに、無言でうなずいてロゼッタは立ち上がる。実際、どこにも痛いところはない、どころか身体の調子すら相当好調と言えるほどによかった。ダクの回復呪文はいつも驚くほどに強力で、どんな傷もたちどころに癒し、体力すら強めてしまう。それほど強力な呪文を一言の聖句で行使できてしまうということは、ダクは高司祭――大都市の教会を取りまとめるほどの地位の人間に匹敵するほど深い信仰の持ち主ということになるのだが。
 ロゼッタにはその事実の意味がいまひとつつかめなかった。深い信仰とは、なんなのか。どういうものが深く、強い信仰であると認められるのか。
 戦いの技ならば実際に戦ってみればわかる。魔法使いは混沌に対する学術的な知識がどんな呪文を使えるかを決め、混沌を制する気迫の強さがその力を定める。商人であろうと盗賊であろうと、できることとできないこと、レベルの高低を導く基準ははっきりしている。
 だが、信仰の強さとは、どこをどうすれば数値化できるものなのか。神を信じる気持ち、などという具体性のないものに、どうやって僧侶呪文を使える力が宿るのか。
 なにを考えているのだ、とロゼッタは頭を振る。自分がこんなことを考えてどんな意味があるというのだ。自分はただの刃、消耗品でしかないというのに。
 と、自分の方をダクがじっと微笑みながら見つめている。それに神経がちりっとざわめき、苛立ちが持ち上がるのを感じ、そんなものを自分が感じたことにまた苛立って、ぶっきらぼうに訪ねた。
「なに」
 ダクはにこりと笑って言ってくる。
「いや、いつ見ても貴女は美人な上に可愛いから、撫でたり抱きしめたりキスしたり、他にもいろんなことをしてやりたくなるな、と思ってな」
 ロゼッタは一瞬なにをどう答えればいいものかわからなくなり硬直したが、すぐにふいと視線を逸らして「そう」とだけ返事をした。まったく、本当にこの男はわからない。なにを考えてこんな意味のないことを言ってくるのか。わからない。
 背後でティスが「ななななにを無礼なことをおぉぉっ!」と度を失った声を上げ、ロットが苦笑していたが、そんなことはただの刃には関係ない、と無視することができるのに。

 シャンパーニの塔への旅は、順調に進んでいた。魔物も少しずつ強くなってきてはいるが、この程度ならば自分が今まで戦わされてきた人間の方がはるかに強い。
 ロマリア国王の王冠を盗んだ盗賊を討伐してくれ、という依頼を受けたのはなぜか、とティスに聞かれたが、ロゼッタは「別に」とだけ答えて黙っていた。特に断る必要性を感じなかった、というのが理由だからだ。
 自分は勇者としての役割を果たすためだけに存在している。そしてその役割の中には、魔王と倒すこと以外にも、『人間を守る』『法秩序を守る』というものが含まれている。だからロマリア国王の依頼を受ける。それだけだ。
「しかし、ロマリア国王は、なんで自国の勇者を使わないんだろうな。大国ロマリアなら勇者の十人や二十人いるだろうに」
 中継地カザーブへ向かい北上する道で野営した時、ロットがそんなことを呟くと、ティスが乾し肉をしがみながら説明する。
「それは現在のロマリア国内の政治情勢のせいだろうな。今ロマリアは王党派と貴族院派に教会勢力が加わって三つ巴の争いを繰り広げている。当然国家に所属する勇者も互いに相争うことになっているわけだ。王冠の奪還、なんぞという対面上必要ではあるが瑣末事に自国の勇者を割いてはいられないということだろうさ」
「権力争いに利用されるとは、世界を救うことを目的とする勇者とは思えん所業だな」
 ダクが口を挟むと、ティスは見る間に不機嫌になって鼻を鳴らす。
「ふん、現実の見えていない宗教家らしい言い草だな。勇者もその多くはただたまたま試験に受かっただけの人の子でしかない、欲に支配され道を踏み外すのも当然ありえることだ。だからこそ抑止制度として資格奪取というものがあるんだからな」
「けど王党派と教会勢力が対立してるんじゃ、王権と律法と剣の三権能が必要になる資格奪取は使えない。抑止機構自体が腐ってるんじゃ自浄機能は期待できない、ってことだな」
「そういうことだ。まったく、実際に世界を救おうと戦うロゼッタ殿とは比べること自体愚かな代物だが……民草たちはそれでも勇者≠ニして扱う。それぞれ勝手に、自分の都合を押しつけてな……馬鹿馬鹿しい話だ」
 吐き捨てるように言うティスに、ダクはわっはっはと笑った。
「それは勇者に限ったことではあるまいよ。どんな人間もいつも勝手に相手に自分の都合を押しつけている。他者のことを真に思いやって生きようとするならば、そもそも生活自体が難しかろう」
「む……」
「どんな人間も、他者になることはできん。だから人は他の存在に時にはいくらでも冷たくすることができる。傷つけるし犯すし奪う、憎むし恨むし侮蔑するし殺す。時にはそれ以上のこともな」
「……ふん。お前がそんなことを言うとはな」
 ロゼッタは無言のまま、会話に耳を傾けていた。会話の内容に興味があるわけではないが、ダクの言葉は確かに意外だった。ダクのこれまで言ってきた言葉とはあからさまに違う。いつも愛がどうだのとよくわからないことを言っているのに。
 だがダクはわっはっはと笑ってみせた。
「そうか? わしは実にわしらしいと自負しているぞ。愛というのは、そもそもが身勝手なようにできているものだからな。それぞれの一方的な、だがだからこそ価値のある情、それが愛だ」
「なんだそれは。なにを言うかと思えば、また馬鹿馬鹿しい……」
「いやいやなにを言う。愛というのは世界をも救うぞ? ルビスさまもそうおっしゃっているだろう」
「ルビス教の聖典のどこにそんな言葉があった」
「わしの信じるルビスさまの教えの中ではそうおっしゃっていたぞ、わっはっは。愛は世界を救う! だからお前も思う存分ロゼッタに報われん愛を捧げていいのだぞ?」
「なっ……馬鹿か貴様勝手なことを抜かすなぁぁ!」
 ぎゃあぎゃあと騒ぐ周囲の中で、ロゼッタはわずかに身を固くしていた。なんというか、はっきりとした理由があるわけではないのだが、ダクの言葉に、なにかひどく太く、固いなにかを感じたのだ。それがどういうものか、きちんと理解できたわけではないのだが。
「おぉ、ロゼッタ、どうしたそんなにぼんやりとして。なんならわしと少しばかり毛布の中で遊ぶか?」
「っ」
「き……貴様っ今ロゼッタさまのどこを触ったっこの痴漢が殺してくれるぅぅ!」
「うむうむ、体が少しずつ敏感になってきているな。これも拙僧の愛の成果か」
「殺すぅぅぅ!!! 炎よ、世界に満ちたる――=v
「我封ず=v
「寝る前に力尽きるなよー、街の中じゃないんだぞ」
 そしてそれがなにかを考えることも、しようとはしなかったのだが。ダクの感覚は、いつも通りに、ロゼッタをあっという間になにも考えないまま眠りにつかせてくれたので。

「許してくれよ。な! な!」
 だらだら血を垂れ流しながらぺこぺこ頭を下げて命乞いをするカンダタに、ロゼッタは無言で剣を振り上げた。
 ロマリア王からはカンダタの身柄は必要ないと言われている。つまり、生死を問わずの賞金首と同じ扱いだ。
 ならば殺す。殺しておく。その方が後腐れがないし、また被害が出る可能性をなくすことができるのでより望ましいと自分は教わった。なにより、ただの刃がすべきことは、敵を効率よく屠ることだけなのだから。
 素早く剣を振り上げ、急所にめがけ振り下ろす――が、その刃はダクの魔法の盾で受け止められた。
「……なにをするの」
「おお、すまんな、ロゼッタ。ちと提案なのだが、このままカンダタたちを逃がしてはくれんか?」
「なっ、なにを貴様はっ!」
 ロゼッタは疑問を表すべく眉根を寄せた。
「なぜ」
「ロマリア王はカンダタの身柄は必要ないと言っていただろう? ならばこのまま逃がしても依頼は達成できる」
「けれど、敵だわ。敵は殺せる時に殺しておくべきでしょう」
「いつからカンダタが貴女の敵になったのだ?」
「ロマリア王から奪還を依頼された王冠を持っているわ」
「もう持っていない。さっきわしらが受け取っただろう?」
「…………」
 ロゼッタは眉を寄せた。ダクの行動の理由がわからない。そんなことをして、なにになるというのか。
「貴様っ、それでも聖職者か! 法を犯した人間を放置しようなどと」
「現在のロマリア政府が市民の尊崇に値しない、ということはお前自身が以前言ったことだ。そんな者たちが作った法を遵守せよと? このカンダタは、一応は義賊としてこれまで通ってきたような税を吸い上げられる地域に吸い上げた税を還元してもいる。大半は自分の懐に入れているにしろな。少なくとも、ここで殺しておくべき大悪党、というわけではないとわしは思うのだがな」
「っ……」
「……なぜ、そんなことをしなければならないの」
 ロゼッタは剣を構えたまま訊ねる。場合によってはこの男が敵≠ノなるかもしれない、そんな体の冷えるような予感を胸に抱きながら。
 が、ダクは笑顔で答えた。
「なぜ殺さなくてはならんのだ?」
「……殺さない理由はないはずだわ」
「殺す理由ならあるのか?」
 唇を噛む。ダクの言うことと自分の言うことが、うまく噛み合わない。
「敵として戦ったわ」
「一度敵と認めたものはいついつまでも敵なのか?」
「基本的にはそうでしょう。いつこちらに報復行動を取るかわからないはずよ」
「それだと戦争をした国の人間は全員殺さなくてはならなくなってしまうな。国に所属する勇者としては、それは少々まずいのではないか?」
「っ……」
 違う、それは。そういうことではない。自分は勇者で、刃だ、それだけの存在だ、けれどダクはそうではないはずだから、だから。
 そんなうまく回らない口を必死に回そうと口を開けると、ダクはわっはっはといつものように笑ってあっさりと言った。
「ま、お前さんがどうしても殺したいのなら、わしは立ちはだかってでも止めて、こう言うな。頼むから殺さないでくれ、と」
「……なぜ」
「なんとなく、その方が嬉しい気がするからさ」
「…………」
 ロゼッタはまた、眉を寄せた。なんとなく。そんなものが、理由になるのか。なんとなく嬉しい? それがいったい、なにになると?
 だがダクの表情や仕草には、確かに本気の決意の色がある。ロゼッタはしばし考えて、剣を鞘に収めた。立ちはだかるダクをどうにかしてカンダタを斬るのは、今の自分には不可能そうだという結論が出たのだ。
「おお、ありがてぇ!」
「おお、少し待て、カンダタ。……この者たちに、癒しを=v
 ふわ、と周囲の空間が輝いた、かと思うと自分たちの傷も、カンダタたちの傷も見る間に癒されていく。
「……司祭さまに癒してくれなんぞと頼んだ覚えはねぇぞ」
 なぜか低い声で言うカンダタに、ダクはわっはっはと笑って答えた。
「当たり前だ。わしが勝手にやったことだからな」
「善意の押し売りは迷惑だ」
「善意なんぞそもそも押し売りでしかないものだ。施される側ではなく施す側にこそ利がある」
「……つまり、感謝もしなけりゃ敬意も払わなくていい、ってこったな?」
「そういうことだ。恨みに思うのならばいつでも襲いに来ていいぞ、カンダタ」
「……御免だぜ。あんたを殺るのは相当面倒そうだ」
「当然だ、わしにはまだまだこの世に未練があるからな」
「ふん」
 言ってさっさと姿を消すカンダタ。ロゼッタはわずかに眉を寄せ、ダクを見上げた。ダクはいつも通りの飄々とした顔でカンダタが姿を消したほうを見ている。
 その顔がおかしいというのではないが、普段と変化があるようにも見えないが、ただ、なにか。
「さて、それでは一度ロマリアに帰るとするか。ぼんくら国王からたっぷり礼をせしめんとな」
「そりゃもう、鬼って言われるくらいね」
「ふん……まぁ、それには異論はないがな」
 ダクは笑顔でこちらを見て、手招きをしてみせた。
「おお、どうしたロゼッタ、そんな寂しげな顔をして。心配するな、拙僧の腕が貴女に天上の陶酔を与えて進ぜよう」
 ロゼッタはその姿をしばし見つめ、ティスといつものように騒ぎ始めるダクの姿に、そっとさっき斬られた部分を触った。本来なら相当大きな傷跡になっているはずなのに、もはやそんな気配すら残っていない。
 そっとその部分を撫でる。この力の強さは、絶対的に確かなのに。

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