最後の一人との出会い方sideK
(――絵に描いたような安全パイ)
 それがあいつの第一印象だった。まあ整ってるって言っても間違いじゃないだろう、ぐらいの顔とずいぶん細い印象を受ける体。裾の長い質素な服に身を包み、ガキっぽい顔をぼーっとさせてこっちを見ている。
 こういうのは童貞のまんまで親に勧められるままになんの疑問も持たずに結婚するタイプだ。一応誠実だからそれなりに幸せな家庭を築いたりするが、不幸に耐性がないからちょっとつまづいたらそのまま怒涛のように崩れていくタイプ。
 俺にとって基本的に男はカモか敵かの二種類しかない。こいつは当然カモの方だ。
 なので、今の相手から巻き上げたあとでこいつとも遊んでやるか、と話しかけてきたこいつに誘うような笑みを浮かべてみせた。
「今真剣勝負の最中でね。悪いが後にしてくれないか」
 そう言うと、そいつはにこっと笑って言った。
「うん。待ってるよ」
 その時へえ、と思った。こいつ、面白い表情をする。おかしいとかいうんじゃなく、なんとなく人を惹きつける雰囲気のある笑顔だ。
 あどけなく無防備で、いかにも女の母性本能をくすぐりそうな表情。そのどこか頼りなげな雰囲気に、放っておけないと感じる奴も多かろう。
 それに、声がいい。ほとんどアルトに近いんじゃないかってくらい男としては高い声で、普通の男にない澄んだ響きがあった。
 なのにどこか柔らかく、優しい。艶があるって言ってもいい、聖歌隊にいたらさぞ重宝されただろうって声だ。
 磨けば光るタイプ。俺はそう最終判断を下す。
 こいつは男にも女にもモテるだろうな、俺と違って、とも思ったりして、少しばかり興味を引かれた。
 乱闘が始まった時、普段なら男なんぞ放っておくんだが、抜群のプロポーションの絶世の美女と一緒にぼーっと立っているそいつ――ユルトの手を引っ張ってきてしまったのは、だいたいそんな理由だ。

「ありがとう。君たちのおかげで助かった」
 そう言いつつ俺はさりげなく自己紹介したそいつ――ユルトの手を握った。当然好意のためじゃない、俺はユルトの手がどんな手か知りたかったんだ。
 思った通り、ユルトの手はごつごつしていて力強かった。思ったより小さかったが、剣の練習でできたであろうタコがしっかりついている。
 手の皮の分厚さ、タコの感触、ついでに身のこなしやなんかから判断して、こいつなかなかやる方だな、と判断した。
 まあそれはそれとして当然絶世の美女とお近づきになっておくチャンスは逃さない。俺はゼシカに指輪を渡し、印象に残るように計算しつつ身を翻した。
 彼女は絶対に修道院に来る、と俺は確信していた。一見して気も我も強い、プライドの高いタイプだが、そういうタイプだからこそ挑戦を無視はできない。たぶん突き返すつもりで指輪を持ってくるはずだ。
 時間さえあれば落としようはいくらでもある。俺は久々に楽しいことになりそうな予感に、帰途を急ぎながらにやりと笑んだ。
 あのユルトという奴も来るだろうか。ちらりと考えて、まあ来るんだったら少し相手してやってもいいかもな、と決めた。
 なんだか妙な奴だから、なんとなく好奇心をそそられる。退屈を紛らわせてくれるものは、基本的になんでも大歓迎だ。

 そのあといろいろあって、結果的に退屈を紛らわせるどころじゃなくなった。
 オディロ院長を助けるための苦肉の策として祈るような思いで院長室に向かわせたユルトたちは無事敵を追い払ってくれたが、そいつらを助けているうちにオディロ院長が敵――ドルマゲスに襲われ、結局助けることもできずオディロ院長は殺された。
 新しい院長になった兄貴――マルチェロは、おそらくは俺を追放するつもりで俺にドルマゲスを負うことを命じ、俺はそれを受けた。
 抵抗したくとも名実ともに修道院のトップとなったマルチェロには逆らえなかったろうし、逆らう気もなかった。オディロ院長がいなくなった以上修道院にいつまでも居座っている必要はないし、マルチェロがそこまで俺の顔を見たくないってんなら、こっちから出てってやるつもりだった。
 せいせいする。その時は本気でそう思っていたつもりだった。そこまで俺が嫌いか、と燃え立つような感情もないではなかったが、傷ついたりひどく腹を立てているつもりなんて、本当に自分ではこれっぽっちもなかったんだ。

 とにかく、予想以上にあっさりとユルトたちは俺のパーティ参入を受け入れた。まあユルトとトロデ王とかいう妙なおっさん以外にはあんまり歓迎されてないな、とは思っていたが、ゼシカはぷりぷりしてはいたものの表立って反対はしなかったし、ヤンガスは肩をすくめて「ま、しょうがないでがんしょう」とうなずいた。
 ま、俺みたいな奴をそう簡単に信用してくれるとは思ってないさ。それに無理に信用してもらおうとも思ってない。どうせドルマゲスを倒すまでのつきあいなんだ、和気藹々と仲良しゴッコされるよりはビジネスライクなつきあいの方がよっぽどいい。
 そう思って俺はいつも通りの飄々としたポーズを取った。ゼシカをじっくり落とすという楽しみもあったが、簡単に落としちまったら、四六時中一緒にいることになるんだから、そのあとがいろいろと面倒くさい。
 これからよろしくね。そう言って笑ったユルトは、修道院を出ると、地図を取り出して説明した。
「ここにアスカンタって城があるから、とりあえずはここを目指すことにしよう。で、しばらくは修道院跡地でレベル上げね。ククールの実力も見てみたいし」
 このパーティで一番態度がでかいのはトロデ王だったが、リーダーはユルトらしかった。どう見てもユルトより年上のヤンガスはユルトを兄貴兄貴と慕っているし、ゼシカもユルトの言うことには基本的に逆らわない。
 俺もリーダーなんて面倒くさいことはごめんだったから、それを受け入れた。
「わかった」
 レベル上げったってそんなに簡単にレベルが上がったら苦労しねえよ、と思いつつもうなずく。ゼシカとヤンガスもうなずいた。
「ククールがどれだけ使えるかが問題でがすな」
 そう言うヤンガスに、俺は内心肩をすくめた。言っとくが、俺もあんたらがどれだけ使えるか疑問に思ってるんだぜ。
 自慢じゃないが、腕のほうには自信があった。呪文だけ、剣技だけなら俺より優れた人間は騎士団の中にもいたが、それを組み合わせた総合力で俺に勝てる奴はマルチェロぐらいのもんだった。
 こいつらがけっして弱くないのは知っていたが、あんまり使えなかったら切り捨てるつもりでいた。俺は本気でオディロ院長の仇を討つつもりだった、足手まといはいらない。
 ――が、歩き出してすぐに魔物に襲われ、そんな考えは頭の中から消え去った。
「デスファレーナ……!」
 しかも四匹。
 俺はちっと舌打ちした。こいつらは修道院近辺では最強の魔物で、集団で出てこられると俺でもきつい。
 とにかく呪文を唱えようとすると、ユルトが素早く叫んだ。
「ククール! 『呪文使うな』!」
 俺は反射的に口を動かすのをやめた。ユルトはリーダーだ逆らうのはまずい、と思ったせいもなくはないが、それよりユルトの声には妙に迫力があって、逆らおうという気が起こらなかったんだ。
 だがそれじゃ下手したら死人が出かねないぞ、と思いつつ武器に手をかけようとし――その時にはもう戦闘は終わっていた。
 まずゼシカが鞭で敵全員にダメージを与え、それからユルトがブーメランを投げて累積したダメージで敵のほとんどを一掃する。そしてヤンガスが残った端っこの奴にとどめを刺す――見事なコンビネーションだ。
 こいつら、強い。個々の実力も高いしチームワークもいい。特にユルト。こいつは俺より背も頭一つ分ほども低いし腕だって女子供みたいに細いのに、俺よりはるかに力が強い。
 ゼシカならともかく、ユルトやヤンガスと一対一で戦ったら、俺はたぶん勝てない――そう俺の戦士としての部分が判断した。
「……大したもんだな」
 俺がいくぶん嫉妬を感じながらそう言うと(むろん表面には出さないが)、ユルトは嬉しげに笑った。
「えへへ。そう?」
「ああ。これじゃ俺なんか必要ないんじゃないか?」
 皮肉のつもりでそう言うと、ユルトはぽやっとした顔でふるふると首を振った。
「そんなことないよ。ククールホイミ使えるんでしょ? 回復役今まで僕しかいなかったから助かるよ」
「……そうですか」
 俺は肩をすくめる。俺にはホイミしか能がないってか、こいつなにげに失礼だよな。
 だが、確かに今現在、このパーティ内で一番弱いのは俺だろう。ならなにも反論する資格はない。俺はぎりっと奥歯を噛み締めた。
 ――それから修道院跡地に行くまで、何度も魔物に襲われた。もうあとからあとから、これでもかってくらい。
 なんでこんなに魔物が出てくるんだ、ほとんど十分間隔じゃないか。俺が前に行った時は一度も魔物が出てくるなんてことなかったぞ。
 俺がそんな意味のことをこぼすと、ユルトは照れ笑いをして、ゼシカとヤンガスは苦笑した。
「それ、僕のせいだよ」
「……はぁ?」
「あのね、トロデ王が言うにはね、時々魔物とかトラブルとかにすごく襲われやすい人がいるんだって。特異点っていうらしいけど。僕はその特異点なんじゃないかって、僕がいる時だけめちゃくちゃ魔物に襲われるから。調べたわけじゃないからはっきりとはわからないけど」
「……なるほどね……」
 だからレベル上げが気軽にできるわけか。そりゃレベルを上げる時には便利だけど、それ以外の時はめちゃくちゃ面倒な体質だよな。
 とにかく俺たちは半日かけて修道院跡地に向かい、中で死ぬほど魔物と戦ってレベルを上げた。実際に死んだのは魔物たちだけだったが。

「ここで別れよう。俺はちょっと寄るところがあるから」
 ふらふらになりながらドニの町に帰ってきた(ふらふらになってたのは俺と女性のゼシカぐらいで、ユルトとヤンガスはピンシャンしていたが)とたんそう言った俺に、ユルトたちは目を丸くした。
「寄るところって、どこなの?」
「おや、俺に興味を持ってくれるとは嬉しいな。少しは悪印象を払拭できたということかい?」
「ったくもうっ、勝手に言ってなさいっ」
「ははは、じゃあ宿屋で待っててくれ。朝までには帰るよ」
「ってククール。あんたあっしらがどこに泊まるか知ってるんでがすか?」
「マリーの宿屋だろう? あそこがこの町で一番いい宿屋だからな」
 最高級というわけじゃないが、リーズナブルな価格のわりに料理もサービスもいい。コストパフォーマンスとしては最高だ。
「はぁ、まぁ、そうでがすが……」
「俺の分の部屋も忘れずに取っておいてくれよ」
「でもククール。ホントにどこ行くの?」
 俺はふふん、と笑ってユルトに耳打ちした。
「この町には俺の訪れを待ってる女性たちが山ほどいるんでね。男として応えないわけにはいかないだろ?」
「ふぅん……?」
 ユルトは首を傾げたが、俺はかまわず歩き出した。曲がり角を曲がってユルトたちが見えなくなると、いくぶん足を速める。
 向かった先は、町外れのめったに人の来ない空き地。早足でそこに着くと、周囲を見回して人がいないのを確認してから剣を抜いた。
 まず基本の型を一通り。それからフェイントやら連突きやら、一段階上の技を頭の中で想定した相手に向けて繰り出す。
 それからさらに頭の中で想定した相手と、レイピアを駆使して突き合う。繰り出される突きを受け流し、そこから剣を突き返し、相手の攻撃を跳ね上げて目めがけて思いきり突く――
 要するに俺は、剣の訓練をしていたのだ。一応普段から日課の訓練は欠かさずこなしていたが、目標に向けて必死で特訓するようなことはついぞなかった。
 だが、腹の立つことに今まさにそれが必要になっているわけだ。
 今日の戦闘では、俺ははっきり言っていてもいなくても同じ程度のことしかできなかった。そんなこと我慢できるか。足手まといを抱えこむのもごめんだが、自分が足手まといになるのはもっとごめんだ。
 だから俺は、久々に体中が痛みを訴えるまで訓練を行った。

 俺の顔馴染みでもあるマリーの宿屋でユルトたちの特徴を告げそいつらの部屋を教えてもらうと、俺はまっすぐその部屋へ向かった。どうやら部屋がなくて、全員で一つの部屋を使うことにしたらしい。マリーの宿はわりと客が入ってるから、そういうこともままある。
 体中の筋肉が動かすと痛んだが、意地でも平然とした顔は崩さずに、背筋を伸ばしてすたすた歩く。寝ていてくれると嬉しいんだが、という思いも虚しく、部屋の扉を開けると全員起きていた。
「おかえり!」
 全員でなにやら話していたらしく、楽しげな笑い声も収まらぬままにユルトが笑ってそう言った。
「……ああ、ただいま」
「食事はしたでがすか? 一応あんたの分はとっといてあるでがすが」
 俺はちょっと驚いた。いかにもお人好しという面のユルトならともかく、山賊顔の、俺を嫌っているであろうヤンガスにそんなことを言われるとは思ってもみなかったからだ。
「いや、まだ……くれるんだったら、もらっとく」
「ほいでがす」
 ヤンガスは食事のトレイの置いてあるテーブルを、俺の前に引き出してきてくれた。戸惑いつつもベッドに腰かけそれを口にしようとすると、ゼシカが止めた。
「ちょっと待って。食事もう冷めてるでしょ。今温めてあげるから」
 俺は今度こそ仰天した。あからさまに俺に反感を持っていた、まだ落としてもいないゼシカが、こんなことを言い出すなんて。
「……なんでだい?」
「なんでって……シチューとパンは冷たいより温かい方がおいしいじゃない。あ、言っておくけど失敗の心配なんてしないでよ。私もうメラの呪文のコントロールは完璧なんだから。炎を出さずにものを加熱するぐらい楽勝なんだからね」
「そういうことじゃなくて……なんで君たちが頼んでもないのにそんなことするんだ」
 俺の言葉に、ゼシカとヤンガスはきょとんとした。
「だって、仲間じゃない」
「旅の仲間にだったらこれぐらい当たり前でがしょう?」
 俺の方の常識がおかしいみたいな不思議そうな顔で聞かれ、俺は言葉に詰まった。
 俺には、仲間≠ネんて存在は縁遠いものだった。聖堂騎士団の同僚たちは全員俺の敵で、町の人間もカモか敵だった。女性は味方で愛し愛される関係ではあったが、同じ目線で物事を見る相手ではない。
 だからそんな風に、当然のように仲間扱いされると、俺はひどく居心地が悪い。
 ゼシカに温めてもらったシチューをすすりつつパンをちぎる。どちらも温かくうまかったが、疲れた体にはいくぶん重かった。
 俺が食べ終える頃、ユルトが口調を変えず言った。
「ねえ、ククール」
「なんだよ」
「剣の訓練の調子、どうだった?」
 ぶは。俺は口の中に入っていたものを吹いた。
「うわ、汚いなあ」
「……っ、なんのことだよ」
「え? だって。剣の訓練してきたんでしょ? ずいぶん汗かいてたし、筋肉痛むみたいだったし」
 ――気づいてたのか。
「へぇ、ククール自分一人で訓練してたんだ。案外真面目なのね」
「足手まといにならないように頑張ってたんでがすなぁ。感心するでがす」
 言葉に詰まった俺に、ユルトはあ、と口に手を当てた。
「ごめん、ククール隠してた? ごめんね、陰の努力だったのに、無にするようなこと言っちゃって」
 俺は頭に血が上るのを感じた。恥ずかしいとかいうレベルではない強烈な羞恥が俺を襲う。
 そりゃ今までにこっそり努力していたことが他人にバレたことがないとは言わない。だがそれでもそれはそれなりに格好のつくバレかたで、こういう風に自分が格好をつけていたことをあからさまに指摘されるようなことは、なかった。
「――お前には関係のないことだろう」
 怒りを抑えて、思いきり冷たく言う。ここらでしっかり線引きをして、ユルトに意趣返しをしてやるつもりだった。
 ユルトはきょとんと首を傾げる。
「なんで? 仲間なのに」
「悪いが俺をお前の仲良しゴッコに巻きこむのはやめてくれ。どうせドルマゲスを倒すまでのつきあいなんだ。仲間だなんだってべたべたしたつきあいになるのは、真っ平ごめんなんだよ」
 しん、と空気が冷えた。俺はわずかに胸が冷えるのを小気味よいという感情にすりかえて、風呂の準備をする。
 俺が立ち上がろうとすると、ユルトがすたすたとこっちに近づいてきた。俺は座りなおして、冷たい微笑を浮かべつつユルトを見やる。
 殴るか、怒鳴るか。そんな感じの反応を予想していた俺は、目の前に立ったユルトの行動にぎょっとした。
 ユルトは、ひどく優しい、慈母のような微笑みを浮かべつつ俺の頭を抱きしめたのだ。
「お、おいっ!」
「しょうがないなー、ククールは。うんわかった、いいよ、おいでよ。トロデーン城にもきっと働き口ぐらいあるから、紹介してあげるよ」
「は?」
 なんだそりゃ。なんで話がそう飛ぶんだ。わけわからんこと言うな。
 俺がそう言うと、ユルトはにっこり微笑んで優しく言う。……だからその聖母のような微笑みをやめろってんだよ!
「大丈夫だよ、わかってるから」
「なにが!」
「だから、ククールはずっと僕たちと一緒にいたかったんでしょ? ドルマゲスを倒すまでじゃなくて。親しくなっちゃうと別れが辛いから、だから冷たい素振りしたんだよね?」
「…………」
 確かに、聞きようによってはそう取れなくもないが………
 なんでそうなるんだよ、この天然野郎!
「そうだったの……ククールって意外と繊細だったのね」
「寂しがりやなシャイボーイだったんでがすなあ」
 こいつらも納得して涙ぐんでるし!
「違う! 断じて違う! 俺は素直に言葉通りに――」
「うん、言葉通りに寂しかったんだよね。大丈夫だよ、わかってるから」
「そうそう、大丈夫よわかってるから」
「大丈夫でがすよわかってるでがすから」
 こ……この天然軍団が………!
「一生言ってろ!」
 俺はユルトを振り払って勢いよく立ち上がり、部屋を出ていった。

「ククール、待って待って」
「あア!?」
 後ろからぱたぱたと駆けてきたユルトを俺はぎろりとねめつけた――が、ユルトはそんなこと少しも気にせずにこにこと俺に宿屋の室内着と下着の替えを差し出した。
「お風呂行くんでしょ? 忘れてったから」
「………………」
 にこにこにこ。能天気に笑うユルトの顔を見ていると、なんだか俺の中から覇気とか憤りとかいうものがどんどん抜け出ていくのを感じた。
 要するに怒ってるのが馬鹿馬鹿しくなってきたのだ。俺は着替えを受け取ると、ユルトに皮肉っぽく言った。
「お前は小さい頃から本当に愛されて育ってきたんだろうな。羨ましいよ」
 怒るかな、と期待して言ったんだが、ユルトは逆にぱあっと顔を輝かせると、勢いよくうなずいた。
「うん! 僕、すごく愛されて育ったんだ!」
「……さいですか」
 ここまであっけらかんと幸せオーラを撒き散らされると、こっちが馬鹿に思えてくる。
「大丈夫だよ、ククールが寂しいんなら、僕や僕たちが愛してあげるから。僕が幸せにしたげる」
 にこにこにこにこ。ったく、こいつどこまで本気で言ってんだか。
「遠慮しとく。俺もまったく愛されなかったってわけじゃねえし」
 小さい頃は両親にそれなり愛されてたと思うし、修道院に来てからはオディロ院長に親切にしてもらった。会う女性たちみんなに一夜の愛をもらい、俺も一夜の愛を返した。
 ……こんな風に、自分は愛されたと、幸せだと、胸を張ることはできないけれど。
「気遣わなくていいのに」
「遣ってねえ。いいからお前はお仲間のところへ帰ってろ」
「ククールも仲間じゃない。変な言い方するんだね」
「………そりゃ、どうもすいませんね」
 じゃあね、とにっこり手を振ってユルトが部屋に戻っていく。俺はその背中を見送り、ため息をついた。
 愛情を注がれることを疑うことなく生きてきた幸せな奴ってのは、虫唾が走るほど嫌いだったはずなんだが――あいつと接してると、なんか調子が狂う。
 本気であいつを羨ましいと感じたり、そんな自分に反吐が出そうになったり、仲間だと当然のように懐に入れてもらっていることにくすぐったさを感じたり――そういうややこしい感情に俺は見ない振りをした。そういうことを考えれば、面白くない結論に達しそうだったからだ。
「……幸せな奴」
 嘲るつもりで口に出した言葉は、思ったよりずっと重く、暗かった。

 その後トロデ王との話を聞いて、ユルトが両親も兄弟もなく一人きりで城のみんなに育てられてきて、だからこそ愛された子供と見られることが本当に嬉しかったのだ、と知り俺はショックを受けるのだが――それはまた、別の話。

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