滝川〜ヒーロー・2
 滝川はわけがわからなかった。ただ、しなくちゃならないことだけは伝わってきた。

 士翼号が自分を呼んでいるのがわかった。戦う時だと、最後の戦いの時だと、士翼号が言っていた。

 士翼号を一人で起動させて、グランドに向かった。狩谷がそこにいるのは、わかっていたからだ。

 避難が完了するのを待って、戦いが始まった。

 戦いが始まると、いつものように考えるより先に体のほうが動いた。狩谷の攻撃を学習し、読み、かわし、体に大太刀を突き入れる。

 狩谷は強かった。今までのどんな幻獣よりも。でも、それでも生きている存在である以上、倒し方はすぐにわかった。それまでにかなりやられてしまったけれど。

 だけど、それでも滝川にはわけがわからなかった。なぜ狩谷が幻獣になっているのか? なぜ自分と戦っているのか? さっぱりわからなかった。

 体は勝手に動く。敵とみなしたものを殲滅するまで勝手に動く。狩谷の攻撃をかわし、大太刀を突き入れようとして――

 加藤の声が聞こえた。

 殺さないで。そう、言っていた。

 滝川は一瞬衝撃を受けて固まった。自分はなにをしているんだ?

 狩谷は――同じ小隊で戦っている、仲間なのに。

 俺は人殺しだ。人を殺したくなんかないけど、でも人を殺してきた。だからって――同じ小隊の仲間を殺すなんて、それじゃあんまりひどすぎる。

 滝川は強烈な自己嫌悪に硬直し――攻撃をもろに食らった。

 痛かった。へこんだコクピットの装甲が自分の体を押し潰していた。肋骨の一本や二本は折れている気がしたし、それが内臓に刺さっているような感覚もあった。飛び出した金属に貫かれ、体から血もだらだら流れた。

 でも、それよりもなによりも、自分が絶対にしちゃいけないことをしようとしていたのが一番痛かった。

 苦しかった。こんな自分に芝村に気持ちを伝える資格があるんだろうかと思ったりした。

 でも、その時、速水の声が聞こえた。

 言っていることはよくわからない。でも、昨日言われたことを思い出した。

 自分のことが、好きだって。

 そう言ってくれる人がいる。自分を愛してくれる人がいる。なら、自分は絶対に死ぬわけにはいかない。死にたくない。

 立ち止まってちゃいけない。こんな自分でも、好きだと言ってくれる人がいた。もしかしたら他にもいるかもしれない。なのにこの程度で死んだりしてどうする? 自分はそんなことのために生まれてきたんじゃない。

 初めて、狩谷をちゃんと見た。

 ものすごく大きな、赤い球。滝川には今の狩谷はそんな風に見えた。

 こうしているだけでも辛い想いが伝わってくる。自分まで辛い気持ちになってくる。

 でも。殺したくない。自分は変わろうって決めた。ちゃんと気持ちを伝えられるようになろうって。だから今までの人殺しだった自分から、変わりたい。

 ――東原が叫んでいるのが聞こえる。

 立てって。立って狩谷を助けろって言ってる。

 うん、立つよ。だって、すぐ目の前に辛い辛い辛いって言ってる奴がいるんだもん。

 助けたいよ。俺にできることなんかごくわずかでも、本当はなにもできないかもしれなくても。

 俺は苦しい時は誰かに助けてほしいって思った。そんなこと思えないくらい辛い時に、手を差し伸べてもらったこともあった。

 だから、俺だって、自分にできることなら、世界のみんな幸せになれるくらい、みんなを助けたい。

 そう思って、めいっぱい心の中で叫んで、力を振り絞って立ち上がった。

 本当に辛いっていうのは、こんなもんじゃない。この程度の体の痛み、俺は今まで何度だって味わってきた。

 もちろんそれはそれで辛かったりもしたけど。でも、今はそうでもない。自分には、大好きな人がいるから。

 ―――え?

 みんなが俺にがんばれって言ってる。俺に、がんばれって。負けるなって。

 本当に? 俺に言ってくれてるの?

 ―――みんな、俺に死んでほしくないって、そう思っても、いいの?

 ――力が湧いてきた。

 どんなことでもできそうな気がする。だって俺は一人じゃないから。

 暗い狭い場所でたった一人で泣いていた、あの時の俺じゃないから。

 辛い想いでいっぱいのクラスメイトを助けるくらい、きっとできるはず。

 みんな、世界中のみんなとはいかないまでも、きっといっぱい。

 俺にも、狩谷にも、死んでほしくない人はいるはずだから。

 ――そう思ったとたん、世界が広がった。

 前にも味わったこの感覚。自分の感じられる範囲が極端に広がっていく。

 熊本。九州。日本。世界。そこにはいろんな人がいて、いろんな生活をしていた。みんな生きるために、自分のために、あるいは誰かのために、自分の全てをかけて戦っている。

 前にそれを感じた時は辛かった。守れ、戦えと言われているようで。

 でも、今は少し違う。

 守るのも戦うのも、自分の意思で、自分で決めてやればいい。だってみんなも戦ってるんだから。みんな自分で決めて、自分の、誰かのために戦ってるんだから。

 だから、俺も自分の意思で決めて、戦う。

 そう思ったらなんだか心の奥がほっこりした。自分もみんなと同じように、自分で決めて戦っている。こんなに弱い俺だけど、みんなと一緒に戦っている!

 どんなに狭くて暗いところにいても、俺は、俺たちは一人じゃないんだ!

「狩谷ぁぁぁっ!」

 狩谷を見た。

 狩谷の絶望が、辛い気持ちが伝わってくる。

 それを感じると、なんだか泣きたくなって、本当にちょっと泣きそうになったけど、ちょっと無理してへへへっと笑った。赤い球に向けて、すっと手を差し伸べる。

「帰ろう、狩谷」

 狩谷は周りを赤い壁に囲んで、一人ひたすらに恨み嫉みを呟いていた。その赤い壁に、そっと触れる。

「行こうよ、狩谷」

「……僕はどこにも行けない」

「そんなことないよ。だって、お前は生きてるじゃないか」

「僕はもう死にたい」

「嘘つくなよ。お前の心伝わってくるよ。一人はいやだって」

「………………」

「お前、辛かったんだよな? 寂しくてたまんなかったんだよな? ごめんな、気づいてやれなくて」

「黙れ……黙れ黙れ」

 力ない狩谷の声に、滝川はほろほろと涙を流してしまった。狩谷の辛い辛い辛いという気持ちが伝わってきて。苦しい、寂しい、誰か助けてという、自分が狭いところに閉じ込められた時のような感情がたまらなくて。

 滝川は泣きながら、むりやり微笑んだ。

「でもさ。お前には死んでほしくないって思う人がいるんだぜ。お前が辛かったら辛いっていう人がいるんだぜ」

「黙れ……黙れ……」

「俺だって、お前が死ぬの嫌だし、お前が辛かったら、なんか辛い」

 赤い球が震えた。

「う……あ、あ………!」

 震える球に、そっと想いを伝える。

「お前は、一人じゃないよ」

 赤い壁を突き抜けてそっと狩谷に触れ――

 ぱあんと世界がはじけた。

『……気がついたかい?』
 滝川はぽか、と目を見開いた。あいつの――ずっと自分のそばにいた、士翼号の中にいた奴の声だ。
『よくがんばったね。本当に、よくがんばった。大したものだよ。君は――本当に、すごい。ヒーローに……なったね』
 お前に褒められてもなぁ。つか、俺別にヒーローなんかじゃないよ。俺はただ、自分や誰かが辛かったり苦しかったり悲しかったりするのがいやで、がむしゃらにやってきただけだもん。
『そこが君らしくてすごいところなのさ。他の誰でもない、君にしかなれないヒーローだ。泣きながら戦う、絢爛舞踏さ』
 ……俺、嫌味言われてんのか?
『いやいや』
 滝川はしばし無言で宙を見つめたあと、訊ねた。
 お前、本当に一体何者なんだよ。
『君にとっては誰でもいい者だけど……あえて言うなら君を愛し、君たちの悲しみが終わることを願う者、かな。OVERS――あえて名乗るならそんな風になるか』
 滝川は目をぱちくりさせた。まともな返事が返ってくるとは思っていなかったからだ。
 初めてだな。お前が自分のことまともに話すなんて。
『これが最後だからね』
 え?
『……これでお別れだ。滝川陽平』
 ……そうか。
『寂しいな、それだけかい?』
 だってお前意地悪だし。助けてもらったんだろうなぁとは思うけど、なんか素直に感謝する気になれないんだよな。
 でも、まぁ……うん、やっぱり、ちょっと……会えなくなっちゃうと思うと、かなり、寂しいかな……。
 わずかに笑う気配。
『可愛いことを言ってくれる。君のそういうところが、私は好きだよ。……さようなら。君の人生に幸運があるように。そして、君の伝えたい人に言葉を伝えられますように』
 ………ありがとう。
 小さく微笑むような気配。
『ところで、滝川陽平君? 君はやっぱり、まだ暗くて狭いところが怖いのかな?』
 滝川は意表を突かれて一瞬きょとんとした。そんなこと、実際にやってみなくちゃわからないけど。
 でも、たぶん―――

「いきてまーす!」
 ハッチが開けられ、光が注ぎ込まれてきた。
 よく見えないが、ハッチの向こうで、何人もの人が騒いでいる。
「びょ、病院だ、病院!」
「止血します」
 みんなの声が聞こえる。コクピットの外に引きずり出されてなにかされている。
 ――俺はこんなことしてる場合じゃないんだよ。あいつのところへ行かなくちゃ、大事な話があるって言ったんだから―――
「滝川!」
 ――舞の声だ。
「舞」
 滝川は微笑んで、名前を呼んだ。硬直する舞に気づかず、微笑みながら言う。
「舞……俺――」
 俺はこれを君に言いたかった。
 俺は、ずっと、この気持ちを君に伝えたかったんだよ。
「俺、舞が好きだ。世界中の誰より、一番好きだ」
 一瞬空気の流れが止まる気配。
 そして、少しだけ涙に濡れた笑い声がして、体を起こされた。
「……たわけ」
 優しく抱きしめられて、顔がゆっくり近づいてくる――
「もっと台詞を選ぶがいい。――陽平」

「いいのかい?」
「いいんだよ」
 二人を少し離れた場所で眺めながら、瀬戸口と速水がそんな話をしていた。
「お前あんなにあの二人の邪魔してきたくせに、いいのか? あの二人に、あんなことさせといて」
「いいんだよ」
 速水の顔は微笑んでいた。瀬戸口も今まで見たことがないくらい、優しく。
「自分のものにするのもいいけど。今僕はそれより好きな人が幸せに笑ってくれる方が嬉しいって思ってるんだ。いつ変わるかしれたものじゃないけど、今は、ね。僕がこんなこと言うようになるなんて思ってもみなかったけど」
 くすりと笑う速水に、瀬戸口は微笑んだ。
「そういうのも、悪くないだろ?」
「まあ、ね――それにののみちゃんが言っていたしね」
「なんて?」
「これからはいいことしかおこらないの、ってね」
 速水は離れない滝川と舞を見つめ、小さく笑った。

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