葉が開くまで
「善行警部殿は戻れと言っていた」
「僕には僕のやることがあるの。捜査会議には舞が出席してるんだからいいじゃない。第一部外者が警察の捜査会議に出席するなんてよくないしv」
 これほど説得力のない言葉もそうないだろうなぁ、と遠い目をしながら若宮は歩く速水を追った。自分は善行警部に速水を連れ戻すよう任されたのだ、引き下がるわけにはいかない。
「本件の捜査においては警部殿が責任者だ。命令には従ってもらいたい」
「えー、だって僕たちは遠坂家に雇われた探偵であって警察関係者じゃないもん。だったら警察責任者の命令に従う義理はないでしょ?」
「捜査に首を突っ込む以上民間人は警察の命令に従うのが当然だろう!」
「でもさー、僕たちは警察のために捜査してるわけじゃなくて遠坂家のために捜査してるんだよ? 目的が違うんだから命令系統も別にしといた方が有効だと思わない?」
「警察情報を渡しただろうっ!」
「あれは善行さんの『ご厚意』ってやつでしょ? お礼はいつかするけどそれを盾に取られても、ねぇ」
 にっこり笑って言われ、若宮は脱力した。駄目だ、俺では太刀打ちできん。もともと口は得意ではないのだ。
 一緒にいる滝川はこちらの話などちーとも聞きもせず頭の後ろで腕を組んでとことこ速水の隣を歩いている。なにか面白いものはないかときょろきょろ周囲を見回しながら。
 気楽な奴だ羨ましい、と一瞬思いかけ、慌てて首を振った。あんな境遇の奴を羨ましがってどうする。
 速水は狩谷の部屋の前に立つと、コンコン、とドアをノックした。
 返事はない。
「……いないのかなぁ?」
 滝川が首を傾げる。速水はにこにこと笑いながら言った。
「いないんだったらしょうがないね。無断で侵入しよう」
「おいちょっと待てっ! それは法律上……」
「どこも問題ないよ? ここは遠坂家の屋敷で、僕らはその賓客だ。今や居候の身分となった狩谷には、岩田執事の後ろ盾を得た僕らに逆らう権利はないじゃない」
「いや、しかし、良識的にだなぁ……」
「良識なんて時代と場所でどんどん変わるものでしょうに」
 くすっと笑うと速水は鍵穴に取り出した鍵を差し込んで回した。
「……どこで手に入れたんだ鍵なんて」
「それは秘密です」
 ふふっと笑って速水は扉を開けた。

 扉の向こうには広く、豪奢な部屋が広がっていた。奥行きはざっと10m、幅は20m近くあるだろう。その広大なスペースにこれでもかと言わんばかりに高そうな家具・調度が詰め込まれていて、あまりのきらびやかさに目がちかちかする。
 そんなただの相談役の部屋とは思えないほど豪奢な部屋の奥の窓際で、車椅子の眼鏡の青年――狩谷夏樹がぼんやりと外を見ていた。
 そして速水が入ってきたのにはっとしてこちらを振り向き、顔をしかめる。
「……刑事さん。また新顔の方ですか? いい加減無駄に人を増やすのはやめてもらえませんかね。騒々しくてしょうがない。あなた方は烏合の衆という言葉を知らないんですか?」
 若宮は思わずむっとした。横の滝川も唇を尖らせる。こいつの態度は(尋問の時もそうだったが)悪すぎる。若宮としては罪を犯していなくても数日ぐらいぶち込んでやりたいところだ。
 だが、速水はにっこり笑った。
「いいえ、僕たちは探偵です」
 狩谷はますます顔をしかめる。
「探偵? 薄汚い野良犬がなにをしにこんなところへ。圭吾氏が死んだからって金を拾おうというのか、どこにでも鼻を突っ込んで嗅ぎ回るなんて豚のようだな」
「なっ、お前なぁっ! 俺たちのこと馬鹿にしてんの……ぐほっ!」
 素早く滝川のストマックに肘打ちを入れて、速水はにっこり微笑む。
「この馬鹿の言葉は犬が吠えていると思って無視してください。……いいお部屋ですね?」
 その言葉に、狩谷はますます顔をしかめた。
「皮肉が言いたいのか。僕も遠坂家の富にすがるハイエナだとでも?」
「まさか! 純粋な感想です。広々としているし、日当たりもいいし、やや調度を詰め込みすぎの感はありますがそれらがちゃんとインテリアとして調和している――調度はどなたが?」
「……圭吾氏が。あの人は甘やかされて育った坊ちゃんだから物を選ぶセンスだけは発達してたからな」
「いやいや世の中のなんの取り得もない人の多さをかんがみればなにかひとつでもできることがあるというのは充分立派ですよ―――圭吾さんと仲がおよろしかったんですね?」
 その言葉に狩谷はは、と哄笑と嘲笑の中間ぐらいの笑いを漏らした。
「は、仲がいい? 最悪のジョークだな! 僕はあの男は大嫌いだったよ! いいだけ甘やかされて育った坊ちゃん、それも最低の部類! 頭が悪くて押しつけがましい善意に満ち溢れてておまけに――」
「おまけに?」
「……そんなことはどうでもいいだろう。早く用件を済ませて出て行ってくれ」
「いやぁ用件なんていうほど大したものがあるわけじゃないんですけどねぇ――圭吾さんとは普段どのようなお話を?」
「……なんでそんなことをあんたに言わなくちゃならないんだ。関係ないだろう」
「いやぁそうかもしれないんですがなんであれ聞ける話は聞いておくのが探偵の仕事でしてねぇ――まぁもちろんあなたがどうしても話したくない話せないとおっしゃるならそれでもかまいませんが?」
「………っ」
 狩谷はぎりっと奥歯を噛んで、吐き捨てるように言った。
「……別に話せないなんてことはないさ。普通の話だよ。株式市場がどうの社交界の誰やらがどうのっていう」
「なるほど〜。ですが妙ですねぇ、圭吾さんはすでにお家の商売を手伝っておられたということなんですが、そちらについてのご相談は全然なさらなかったんですか? それこそ相談役の方に相談するべき事柄だと思うんですけれども」
 狩谷は一瞬言葉に詰まった。だが、すぐにふんと鼻で笑って言ってくる。
「したさ。そういう相談もね。たださっきはすぐには思いつかなかっただけだ」
「ははぁ。つまりすぐには思いつかない程度の頻度でしか相談されなかったということですね?」
「……っ」
「いやぁ、奇妙な話ですねぇ。岩田さんからお聞きしたところによりますとあなたが遠坂家、いや圭吾さんの相談役となられたのは二年前。圭吾さんがお家の商売を手伝い始める前のことです。考えることといえば社交界や退屈しのぎの狩やらなにやら、それこそ生まれた時からやってこられたようなことしかなかった頃に、なにを思って圭吾さんはあなたを相談役にされたんでしょうねぇ?」
「……っ、あんたなんなんだ。なにが言いたいんだ?」
 狩谷に憎悪をこめて睨まれても、速水は当然びくともせず微笑む。
「いやいや、なにが言いたいというわけでもないですけどね。……あなたは圭吾さんとはどこでお知り合いに?」
「……まだ学校にいた頃、遠坂家が主体となって立ち上げられた奨学金に申し込んだら、あいつがわざわざ会いに来たんだ。これほど優秀な成績を取っている方はどんな方かと思いまして、とか言って」
「それからすぐ相談役に?」
「いや……学校を卒業してからだけど」
「なるほどなるほど。学校はどちらでしたっけ?」
「……オックスフォードだ」
「オックスフォード! 優秀でいらっしゃるんですねぇ。奨学金をもらえたということはその中でもかなり成績がおよろしかったのでしょう?」
「……まぁね」
「お顔を見ているだけでもわかりますよ、いかにも聡明そうだ。怜悧というのはあなたのような人のことを言うのでしょうね。名家の相談役になるのもうなずける」
「そう持ち上げるなよ」
「―――で、あなたはなぜ圭吾さんを嫌うようになったのですか?」
 笑顔すら浮かびかけていた狩谷の顔は、再び固まった。
「奇妙な話ですよねぇ、奨学金を通じてわざわざ会いに来てくれたお金持ちの家に学校を卒業されてそのまま就職して。二年でその相手が死んでもまったく関心を持たないほどに嫌う理由というのはいったいなんなんでしょうねぇ? あなたの証言からは雇い主が死んで困るという感想すらうかがえなかった。岩田さんから聞いた限りではこの先十年はなにもしないでも充分暮らせるほどのお手当てが振り込まれているそうですね。そこまで自分を厚遇している相手を憎むのは、いえそもそもそこまであなた、失礼を承知で申し上げればいかに優秀とはいえ一介の相談役を厚遇する理由とはなんでしょう?」
「……………………っ」
「狩谷さん。思い当たることはないでしょうか?」
 速水がにこにこ笑顔をすぅっと狩谷に近づける――
 ジリリリリリリリリリリリリ!!!
 突然目覚ましがけたたましく喚き散らしだした。ばっとそちらの方を見ると、滝川があわあわとうろたえながら手をぱたぱた振っている。
「お、俺じゃないぞっ!? 俺触ってないもん! ただどんな仕組みになってんのかなーって、そっと……かどうかはわかんないけど、いろんなとこのぞいただけで……!」
「言い訳するな、駄犬!」
 そう叫んだのは――狩谷だった。目はらんらんと輝き、顔つきはひどく苛立たしげに滝川を睨む。
「その時計は骨董品なんだ! ちょっとした振動でネジが緩む! このまま壊れたらどうしてくれるんだっ、この時計はお前みたいな駄犬の稼ぎじゃ何十年かかっても買えないくらいの値段なんだぞ!」
「え、え、え? そうなの………?」
「『そうなの………?』だと? 駄犬なんて言葉じゃ足りないな、低脳だ、いやそれどころか頭がからっぽだ! お前のせいで時計が壊れたらどうするって話をしている時にいう言葉かそれが! もし時計が壊れていたら弁償してもらうぞ、一生かかっても働いて返せ!」
「そ、そそ、そんなぁ」
「鬱陶しい声をあげるな屑犬! そうして同情を買おうって腹か? そうして周りのお情けで生き延びてきたわけだ君は? は! まったく楽で幸せでけっこうなことだな、能無しどころかいるだけで邪魔だよお前は!」
「……う……」
 滝川があまりの言われように思わず涙ぐみながら狩谷を睨みつけるが、狩谷はふんと鼻を鳴らして怒鳴る。
「泣けば許してもらえるとでも思っているのか君は!? 不愉快だ、全員出て行ってくれ!」
「ちょ……待ってくれよ! 俺のせいでなんだから、俺が出て行けばいいだけだろ!? なんで速水たちまで!」
「君みたいな奴を僕のそばに寄らせたんだから連帯責任だ。出て行ってくれ!」
「そんな、頼むよ! 謝るから、時計も直すから、だから……速水は……」
「断る。僕は君のおかげですごく不愉快な気分にさせられたんだ、これ以上付き合う義理はどこにもない」
「そんな………!」
 滝川がひどくショックを受けた顔になる。狩谷がふとく、と笑んだ。
「そうだな、どうしてもって言うなら……そこで三回回ってワンと叫んでお願いしますと土下座してみろ。そうすれば考えてやってもいい」
「………………」
 滝川はくっと唇を噛んだ。その顔に覚悟の色が浮かぶのを見て若宮は驚く。
 こいつ、そんなに速水の仕事を大切に思ってたのか?
 滝川はぐるぐるとその場で回り始め――
 速水の手で止められた。
「滝川。やめろ」
「だ、だって速水!」
「君は僕の一応仮にも暫定的ながらも海のように広い心をもって君の行状を寛恕すればそういうことにしてあげられなくもないかもしれない程度の存在ではあるけれども僕の助手なんだから。君がほいほい頭を下げたら僕の評判に関わるだろう?」
「け、けど速水―――」
「――滝川。僕が言ってるんだよ? ―――『やめろ』」
 速水が低くそう言ったとたん、滝川は完全に硬直した。恐怖から来るものかどうかはわからないが、目はあからさまに虚ろになり体から動作という動作が消え失せる。
 それを少しも気にはせずに速水は狩谷に向け微笑んだ。
「おっしゃる通り、ここは退散させていただきます。お邪魔様でした」
「…………」
「ああ、そうだ、ひとつ予言をしてさしあげましょう」
「予言?」
 速水は動かない滝川を引きずって部屋の出口に立ち、狩谷の方を向いて微笑みながら言った。
「あなたは近い将来、僕に許しを請います。どうか許してください速水様、と泣きながら懇願してくるでしょう」
「……は。君は妄想家か? 頭に蛆でも沸いてるのか」
「いいえ、僕はただの計画を立てるのがうまい探偵ですよ。――そして僕はそれにこう答えます。『三回回ってワン、と叫んで土下座したら考えてあげなくもないですよ』と」
 そうにっこり笑い、速水は優雅な礼をして扉を閉めた。

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