君はどこを向いて笑う
「あ」
 セオが一瞬足を止め、小さく目を見開き声を漏らした。ラグはセオ同様に足を止めセオの方を向く。
「セオ? どうかしたのかい?」
「え、いえ、あの、ごめんなさい。なんでも、ないです」
 首を振るセオに、ラグはふむ、と少し考えてセオの視線を追ってみた。さっきセオが見ていたのはなんだろうか。
 ラグたちがいるのはポルトガでも一番大きな繁華街、グラージア通り。オクタビアの隊商に護衛のため随伴する日程が明日からと決まったので、これまでの道行きで消費した移動用の細々したものを買いに来たところだ(装備の買い替えはすでに済んでいる)。
 なので当然そこらじゅう商店だらけで、セオがなにに気を取られたのか特定するのは普通に考えれば難しい。だがラグはセオの視界内をしばらく眺め回してから、ひとつの屋台とさして変わらないくらい小さな店にすたすたと近づいた。
「あっ、あのっ、ラグさ」
「親父さん、二つ」
「あいよっ」
 じゅわー、といい音を立てて菓子が揚げられていく。チュロスというポルトガではどこにでもある揚げ菓子だ。沸騰させた水と塩に小麦粉を混ぜて、星型金具の絞り袋に入れて揚げ油に搾り出し揚がったら砂糖をかける、というだけの作りやすい菓子なので、ポルトガでは庶民の菓子として広く愛好されている。
 どちらかというと祭の時に屋台などで食べる類の菓子なので、こういう専門店を見るのはラグも初めてだ。セオがおろおろとラグと店の親父の顔を見比べているのに苦笑しながら、親父と話をした。
「親父さん、ここに店構えてどのくらいになる?」
「大して経っちゃいねぇよ。俺ぁもともと祭の時に屋台出してる香具師だったんだがよ、俺の腕を見込んで店を世話してくれる人がいてな……なぁ兄さん、うちにゃスーから輸入してる特別なソースがあるんだがよ、せっかくだ、買ってみねぇかい?」
「特別なソースねぇ……いくら?」
「二人分で十ゴールドぽっきり!」
 チュロスを揚げながらにやりと笑う親父に苦笑する。十ゴールドあれば充分二人分の昼食代になる。チュロスにつけるソースの代金としてはありえない高額だ。もしかしたらここはぼったくり店かもな、とちらりと思ったが、セオが親父の言葉に一瞬瞳をきらめかせたのだからここは買わないわけにはいくまい。
「じゃ、それもつけて」
「毎度ありっ!」
「あの、あの、ラグさ」
 ますますおろおろとするセオににこりと笑いかけてから、財布から代金を出して二人分のチュロスと黒いソース(なにが入っているんだろうか、とこっそり眉を寄せた)の入った紙の器と引き換え、セオにすっと差し出してみせる。セオは大きく目を見開いて固まったが、そのくらいの反応は予想内だったのでラグは笑顔で言ってみせた。
「早く食べよう。冷めちゃうよ。チュロスは熱いうちに食べるのがうまいんだ」
「あのっ……でもっ」
「ん? もしかして、見てたのここの店じゃなかった?」
「いえっ、ここでしたけどっ、でもっ」
 目を潤ませ、顔を歪め、ほとんど恐慌状態という顔でこちらを見つめるセオに、ラグはにこっと笑ってみせる。
「なら、食べよう。俺も久しぶりに食べたいなって思ったんだ、これ。でも、大の男が甘いもの一人で食べてるのって恥ずかしいだろ。悪いけど、つきあってくれないかな?」
「あ……」
 セオはう、と泣きそうな顔になり、今にも涙がこぼれ落ちそうな瞳でラグを見つめ、それから震える声で言った。
「ごめん、なさ……」
 ここでいつものようにふるふると首を振り。今にも泣き出しそうな顔のまま深々と頭を下げて。
「……ありがとう、ございます………」
「どういたしまして」
 やれやれ、と苦笑しつつラグはようやく器を渡すことができた。セオは泣きそうに目を潤ませていたけれど、それでも目を輝かせてそれを受け取る。
 セオは好奇心が旺盛だ。それぞれの地方の名所旧跡の類は一度は訪れたがるし、名産品のようなものは見たがるし、地方料理は食べたがる。もちろんそれを直接口に出すことはないのだが、そういう機会を与えてやると確かに瞳を輝かせるのだ。
 なので、ラグはできるだけセオのそういう気持ちに応えてやるようにしていた。セオの数少ないわがまま(というにはあまりに控えめだが)なのだ、できるだけ叶えてやりたいと思うからだ。もちろんセオはそのたびに泣きそうになるほど(あるいは泣くほど)恐縮し遠慮するが、最後にはたいていありがとうございますと言って目を輝かせてくれるので嫌ではないのだろうと思うことにしていた。
 二人並んでそぞろ歩きつつチュロスをぱくつく。ラグはこの湯気を立てている黒いソースがどうにも不気味で手を出しあぐねていたが、セオはまずチュロスの端を噛み千切り、真剣な顔で咀嚼して飲み下してから、残りのチュロスをたっぷりとそのソースに浸し、口に運んだ。
 と、セオが目を見開いた。瞳が嬉しげに輝き、口元が緩む。
「おいしいですっ、このソースっ」
「え、そうかい?」
「はいっ。チョコレートって、初めて、食べました」
「チョコレート? って、この黒いソースのことかい?」
「えと、はい。一度書物で、名前とどういうものか、だけ聞いていたんですけど……スーの特産だって聞いていたん、ですけどポルトガでも販売、されるようになったんですね」
「ああ、だから高かったのかな……どれ」
 ラグもチュロスをソースにつけて食べてみた。揚げたてのチュロスのさっくりとした歯ごたえと同時に、こってりとした甘さが舌に伝わってくる。甘いものは嫌いではないが大好きというほどではないラグは一瞬顔をしかめたが、チュロスに砂糖がかかっていなかったせいか案外食べられるな、と気付いた。
「なるほど、確かになかなかいけるね」
「はいっ」
 へにゃ、と顔を緩めるセオ。ラグも口元を緩ませ微笑みかけた。最近はセオがこんな風に顔を緩ませる回数も増えてきている。それは素直に嬉しい。一緒に旅をしてきて半年と少し、セオもようやく自分たちに慣れてきてくれたのだと思えるからだ。
 だがラグとしては実は少し物足りなかったりした。初めのころと比べれば雲泥の差だし、ようやくここまできたかと思うと達成感はあるのだが。
 ラグがセオと旅をした最初の動機を思い出す。セオを幸せにしてやりたい、笑わせてやりたい。最初はそんな単純な気持ちだった。今では他にも共に旅する理由はいろいろとあるが、やはり根源的なところにセオを幸せにしたい、笑顔にしたいという感情はある。
 だが、なんというか、こういう風に顔が緩むのはセオなりの笑顔なんだろうなぁとは思いつつも、想像していたのとちょっと違うというか。これはこれで可愛いんだけど、笑顔という感じはしないというか。セオのせっかくきれいな顔が崩れた感じが強すぎるというか。
 できればもうちょっと普通ににこって笑った顔が見たいなぁ(もちろん、今の顔は今の顔で可愛いんだけど)、と実はきれいなものが好きなラグとしてはついつい思ってしまうのだ。
 そんなことをラグが考えているとは当然気付きもせず、セオは真剣な顔で瞳を輝かせながらチュロスをぱくついている。食の好みからすると別に甘いものが大好きというほど子供ではなかったと思うが、それでもその姿はどちらかといえば子供っぽい。なんというか微笑ましいなぁ、と思いつつにこにこと見ていると、ふいに気付いた。
「セオ、ついてるよソース。口元に」
「はっ、はいっ、ごめんなさいっ」
「ああ、そっちじゃないよ、こっち。ほら」
 思わずつい、と指でソースを拭ってぺろりと舐めてしまう。やってからあ、これはセオぐらいの年の男にするには失礼な動作だったかな、と気がついたが、セオは今にも泣きそうな顔で「ごめんなさ、じゃなくて、ありがとう、ございます……」と深々と頭を下げてくるので、苦笑して汚れていない方の手で頭を撫でてしまった。
 本当に、この子はもう少し楽に生きていいと思うのに。そうすれば、もっとちゃんと、普通に笑うことができるだろうに。
 そう思いつつもラグは優しくセオの頭を撫でた。セオの身体から伝わる緊張に苦笑しつつも。耳まで真っ赤だ、この子は本当に可愛い子なんだけどなぁ、と思いつつも。

 ラグたちはここ数日セアゴビー城で寝起きしている。オクタビアが仕事の引継ぎ等を終えるのと、魔船を貰い受ける手続きをするのにある程度日数がかかるということを知り、ならば城にいた方が手間がかからなかろうとリカルド王が招待してくれたのだ。
 城に泊まるのはイシスですでに一度経験していたことではあったが、イシスとポルトガではやはりいろいろと違う。イシスでは女官たちの視線が厳しく自分たちが客であるという意識すら持てなかったが、王の性格のせいか策謀のせいか、どこにいても常に潮騒の響く、空気にすら潮の味がする、けれどさんさんと太陽の輝くセアゴビー城では、ほとんど上げ膳据え膳の贅沢な暮らしを味わわせてもらっていた。
 出てくる料理はすべて極上でありながら飽きがこないもので、広々とした風呂には入りたいと言えばいつでもお湯を準備してくれるし、部屋も広く調度も美しくベッドは柔らかく暖かく。鈴を鳴らせばすぐ侍女が飛んできて用を聞いてくれる。それでいてこちらに負担のかかるような晩餐会の類はまるで開かず、あくまでこちらの楽なようにもてなしてくれる。実際ラグのようなごく普通の傭兵には身に余るといっていい扱いではあった。
 だが当然といえば当然ながら、ラグとしてはどうしてもその裏を勘ぐってしまう。うまい話には裏がある。単に国際的な重要人物である勇者のパーティを接待しているだけといっても別におかしな扱いではないが、魔船を貸与してくれる上にこうも自分たちを甘やかしてくれるというのにはなにか企みがあるのではないか、と思ってしまうのだ。
 フォルデは(貴人に優しくされるといつもそう反応するように)ひどく不機嫌になり、めったに部屋に帰ってこない。城で盗みはするなと言い聞かせておいたのだがどこまで聞いてくれるか。ロンはいつも通りに飄々とした態度を貫き通している。城の中でカルロスをはじめとする軍籍を持つ人間とよく話をしているようだ。
 そして、セオは。ラグとしては意外なことに、厚遇にうろたえることも舞い上がることもなく淡々と、かつ懸命に日々を過ごしていた。城の書庫に篭もって調べ物をしたり、カルロスと話をしたり稽古をつけてもらったり。特にカルロスとの稽古は熱心で、ラグが何度か稽古に加わった時に見た限りでは、特訓といって差し支えないほどに激しく厳しい稽古だった。
 実は今日の買い物は、セオがあんまり頑張りすぎているので少しでも息抜きになればというつもりもあったのだ。観光したいという気持ちはあっても、セオのことだから自分一人で街をそぞろ歩いたりということはできないだろう(まず『自分のわがままでそんな時間を使うわけには……』というように考える)。なので買い物のついでという形でそういう機会を作ってみたわけだ。
 予想通りセオは真剣に必死に買い物という任務をこなそうとしていたが、それでもラグが名所旧跡へと誘導してやると目を輝かせていた。セオの舌は基本的に庶民のようだし、街を歩きながら買い食いというのも少しは楽しめたはずだ。
 少しは気分転換になったかな、と人の行き交う(シェスタが終わりまた働き始める時刻だからだろう。リカルド王は国府にはシェスタを適用しないが、城の内向きの用を行う人間たちはその限りでないと定めているのだ)城へ向かう道を歩きながらセオを見ると、セオと真正面から視線がぶつかった。セオはこちらをじっと見つめていたらしい。
「セオ? どうかしたかい?」
 首を傾げて笑いかけてやると、セオはカッと顔を赤くしてぷるぷると首を振った。
「なんでも、ないです、ごめんなさい……」
「見てたみたいだったけど。なにか理由があるなら教えてほしいな。君のことなんだから、できるだけ知っておきたいからね」
「っ……」
 さらに顔を赤くしてうつむくセオ。実際ラグもちょっと恥ずかしい台詞だよなぁとは思うが、セオにはこれくらい言わないと通じないのだからしょうがない。さもないと『気に障ってしまった!』と思って恐慌状態に陥るか、『俺のことなんて気にされてるわけない』と一人納得してしまうかなのだから。
 セオは今にも泣きそうに瞳を潤ませつつラグを見上げ、いかにもおそるおそるといった感じの顔で答えた。
「あの……なんて、いうか。やっぱり、ラグさんは、周りから視線を集める、なぁって、思って……」
「は?」
 思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。セオがびくりと震える。
「ああ、ごめん変な声出して……いや、ていうか、視線を集めるって、俺が?」
 眉をひそめて訊ねると、セオはきょとんとした顔で首を傾げる。
「え、はい。だって、周り中から見られて、ますよ?」
「いや、だって……」
 そんなことがあるわけが。自分は少しばかり体がでかいだけのどこにでもいる傭兵でしかない。どこに行っても視線を集めた経験などない地味な男だ。第一、ラグも視線が浴びせられていれば気付くだろうが、さっきからそんな気配は。それはいつでも周囲の様子に異常なほど敏感なセオよりは鈍感だろうが。
 そんなことを考えつつ周囲を見渡して、気付いた。
「……ああ」
 確かに自分たちは見られている。だが、それは自分を見ているのではなく、セオを見ているのだ。セオの額のサークレットで勇者であることはすぐわかる。城に出入りする人間ならばカルロスに稽古をつけてもらっていることも知っているだろう。ポルトガの人間としてはどんな人間か見てみたいと思うのも当然だ。
 それでそれを当然のように自分ではなくラグが見られていると考えたわけか。もし自分ひとりだったら、たぶん自分がなにかしてしまったのではと考えてうろたえるのだろう。そういう意味では俺が一緒でよかったのかな、と思いつつ説明するかどうか考えながらセオを見つめ、不安そうに(たぶんなにか失礼なことを言ってしまったのではとか考えているのだろう)見つめ返されてとりあえず苦笑してぽんぽんと頭を叩いたりした。
 セオは一瞬戸惑ったような顔をして、それからまた少し顔をへちゃっと緩める。この反応を返してくれるのもだいぶ早くなったよな、と考えつつ歩いて、ふと気付いた。城門(もちろん自分たちが出入りするのは見事な鎧戸のついた城門の脇の小さな勝手口なわけだが)の脇に、一人の少女が立っている。
 時刻はすでに夕暮れ近い。もちろん城門前には歩哨の兵士が立っているわけだが、それでも少女の年頃(まだ十五、六に見えた)ならば家に戻っているのが普通だろう。わずかに顔をしかめて、一応注意しようと歩み寄っていくと、向こうからも近づいてきた。
 服装は城の下働きのものだ。頬を紅く染めて、潤んだ瞳でこちらを見つめる姿は、美少女とは言わないが充分に可愛らしい。まぁ若い女というものはその若さだけで基本的に美人なものだとラグは考えているが。
 少女はたたっとこちらに駆け寄ってきて、セオの前に立った。セオがびくり、とするのにわずかに震え、ばっと封筒に入った手紙を勢いよく押し付けて叫ぶ。
「私、待ってますから!」
 そしてたたっと道を街の方へと駆けていく。ラグは思わず目をぱちくりさせたが、すぐに苦笑してセオを小突いた。
「やるじゃないか、セオ。なかなか可愛い子だったな?」
「え? はい……」
 セオはきょとんとした顔で首を傾げつつ封筒をためつすがめつしている。その様子がまるでわけがわからないと言っているように思えて、まさかなぁ、と思いつつ聞いてみた。
「セオ。まさか、それがなにかわからないってわけじゃないよね?」
「いえ……そういうわけじゃ、ないんですけど」
 ないんだ、そりゃそうだよな、と少しほっとしたような残念なような気分になって、いや残念ってなんだ俺、と首を振っているとセオは困ったような顔で呟く。
「でも、なんで俺に渡したのか、わからなくて……」

「そりゃ、わかってないだろう」
 セアゴビー城の最後の晩餐ということで、心を尽くした夕食をご馳走になったあと、セオが部屋に引き取るのを確認してからロンとフォルデに相談すると、ロンはあっさりきっぱりそう言った。
「そうかな、やっぱり」
「まぁ……あいつだしな。わかってねぇんじゃねぇの?」
「ほら、フォルデもこう言っている。フォルデは童貞とはいえセオ観察においては一家言持つ男だぞ」
「なっ、誰が一家言、っつか童……がーくそっ余計なお世話だっつーのっ!」
「まぁまぁ」
 フォルデをなだめつつ考える。あの少女が渡したのはどう考えても付け文だろう。たぶん今日の夜どこかに来てほしいと書いてあるはずだ。
 もしセオがなんでそんなことが書いてあるのかわからないとかいうんだったら説明してあげた方がいいのかな、いやでもな、とぐるぐる考えつつも、ロンやフォルデとその付け文について談義を重ねる。
「つかよー、その女なんでセオにンなもん渡しやがったんだよ。単に勇者だから引っかけりゃ箔がつくってんで渡したんじゃねぇだろーな?」
「いや、それはないと思う。あの子の顔はかなり本気だった。それは勇者だからっていう意識もあるだろうけど、セオと寝たいって思ったのは嘘じゃないと思うぞ」
「しかしどこでセオに目をつけたんだ。セオに目をつけたのは褒めてやってもいいが。一応俺も城の女共の俺たちに対する好感度には探りを入れておいたつもりなんだが、セオに対してはその態度が勇者としてふさわしくないとか考えて軽蔑する馬鹿どもとカルロスに師事するまだまだ未熟な可愛い勇者殿と愛玩物のように見る奴ら、このふたつに大別できたはずだぞ?」
「いつ調べたんだよ……なんでも、あの子は水汲みの子らしくって。何度か水をもらいにいって、その時話したことがあるらしいぞ」
「ふーん……じゃーまるっきり知らねー奴ってわけでもねーのか……」
「まぁ恋に落ちるには時間はいらんしな。続けるには時間等々で培われた感情と気合が必要だが。まぁ、その女もさしてセオとの恋愛を続けようという気もなさそうに思えるがな。単に一夜の思い出にしたい、もし運よく子供を授かれたら勇者と結婚できるかも、という辺りが一番ありそうな気がするが」
「うーん、まぁなぁ」
「……つか、十五、六の女からもらった付け文がなんで即、そーいう……寝るとか、抱くとか、そっちの方向にいくんだよ……」
「? それ以外のどんな方向にいくっていうんだ?」
「まぁ世のほとんどの男はそういうものだし、そういう男を見て育った女もそういうものだということだな。頑張ってお前の貞操と心意気を守りぬけよ、フォルデ」
「がああうるっせぇんだよこの変態腐れ武闘家っ!」
 などと話をしていると、部屋から(自分たちは客間の前のサロンで話をしていたのだ)セオが出てきた。一瞬思わずうろたえたが、それに気付いた様子もなくセオが少し首を傾げて言ってくる。
「あの、みなさん。俺、今夜ちょっと外出したい、んですけどいいですか?」
「外出? どこへだ」
 一人さっきまでセオのことを話していた様子など微塵も見せずいつも通りの顔でロンが問い返すと、セオは少し首を傾げて答えた。
「えと、マイヨール通りの、カーメラの店、っていう宿屋なん、ですけど」
 ラグが一瞬言葉に詰まる。使ったことがあるから知っている、そこは宿屋といっても連れ込み宿だ。街娼がよく利用するので、半ば娼館扱いされている。あの女の子そんなとこ使ってるのか。
「ほう。そんなところになんの用が?」
「あの、呼び出され、て」
「呼び出しに応じる価値のある相手なのか?」
「価値、っていうか……よくは知らないん、ですけど」
「ふむ。よく知りもしない相手に呼び出されて素直に従うのか? 呼び出し場所に行ってみたらごろつきがずらり、ということになるかもしれんのに」
「その可能性も考えたん、ですけど。呼び出した人は、城の下働きの人なので、身元は知れている、んです。どこかの国の間諜ということも、ありえますけど、今までに見ていた限りでは足運びとか、玄人のものには見えません、でしたし。特に注意して、見ていたわけじゃないです、けど……可能性としてはなにか俺に用があるから、呼び出しているというのが一番高いと、思ったので。もちろん、なんでこんな夜遅くに呼び出したのかわからないから、油断は、しませんけど……」
『…………』
 ロンの言葉もどうかと思うが、セオの答えも負けず劣らすずれている。
「そうか。ならば、俺たちも一緒についていってやろうか?」
「え」
「……っはぁ!?」
 しれっとロンが言い放った言葉に、ラグは思わず硬直しフォルデは一瞬固まってから怒鳴った。セオは目をぱちくりさせてから、ラグたちの反応を見たのだろう、おろおろとした顔になる。
「え。でも」
「なに、気にすることはない、我々は仲間なんだ。明日からまた旅に出発するという時に無神経にも夜遅く君を呼び出した奴に俺としても言っておきたいことはあるしな」
「でも、あの。ご迷惑、でしょうし……」
「少なくとも俺は全然迷惑ではないぞ」
「でも……」
 セオが瞳をうるうるに潤ませた、今にも泣きそうな表情でこちらを見つめる。ラグとフォルデはうぐ、と言葉に詰まった。
「いや、セオ、俺も別に迷惑ではないんだよ? ただ、こういう呼び出しに他の人間を連れていくのはどうかなぁと」
「っつかな、こんな呼び出しになんでいちいちついていかなきゃなんねーんだよっ、ガキじゃねーんだぞっ」
「そう、ですよね……」
 セオはあからさまに落ち込んだ顔で小さくうつむく。いやいやセオ、ここは落ち込んだ顔をするところじゃなくて、と言いたいが機がつかめない。
「ロンさん……やっぱり俺、一人で」
「なんだ冷たいな、ラグもフォルデも。セオの身に危険が迫っているかもしれんのに、助けてやろうとも思わんのか?」
「きっ、危険ってなっ、そーいう状況で危険とか考える方がおかしいだろっ!」
「なんで、ですか?」
「うぐ」
 きょとん、と首を傾げて訊ねられ、フォルデはまたも言葉に詰まった。とたんセオははっとして、ぺこぺこ頭を下げながら泣きそうな顔で叫ぶ。
「ごっ、ごめんなさいっ。俺、お話の途中なのに、厚かましく、遮るみたいなこと言ってっ。俺なんかが、本当に、偉そうにっ、フォルデさんたちの手を煩わせる資格、ないのにっ」
「だーっいちいち謝んじゃねーって何度言ったらわかんだよっ! 別に俺だってちょっと街まで行くくらい迷惑じゃねーんだっ!」
「え」
「う」
 言ってからしまった! という顔になり、どんどん顔色が紅くなっていくフォルデ。つられたのかセオも頬を紅くしていく。微妙な空気が漂う中、ロンがにっこり笑って言った。
「よしよし、二人とも仲良しで大変よろしい。そして俺たちと仲良しなラグももちろん、一緒に来てくれるな?」
「…………」
 はー、とため息をつきたい気持ちになりながらも、ラグはうなずいた。ロンって本当に話の流れを自分のいいように持っていくのがうまいよな、と思いつつ。

「夜の街って、あんまり歩かない、ですけど。なんていうか、独特の雰囲気が、ありますね」
「そうだな。夜は酒と恋の時間だ、正しい大人にとってはな。ま、謀略と密会というのもあるが」
「へっ、夜は盗賊の時間に決まってんじゃねーか。雰囲気もへったくれもあるかよ」
 明々とランプや魔法の光が店からこぼれる街の中を、楽しげにお喋りしながら歩くセオたちの後ろに数歩遅れてついていく。いいのかなぁまずいよなぁとこの期に及んでも一人考え続けているのだ。
 だって普通おかしいだろう、逢引に保護者がついてくるなんて。そりゃセオはそういう展開になるなんて考えてもいないだろうが、セオだって男なんだから、そういう欲望もあるはずだ、可愛い女の子に誘われれば乗るはず。
 ……乗るよな? あるよな、そういう欲望。セオだって男なんだから。喉仏あるし。目立たないけど。一緒に水浴びしたことあるし。ちゃんとついてたし。そりゃセオは顔立ちは驚くくらい、美しい種族のエルフの中でも特に美しかった女王に匹敵する(というか超えてるかもと思う)くらいきれいだけど、ちゃんと男の子の顔をしてる。線は細いけど。
 もう十六歳なんだから、女を抱きたいと思って当然なはずだ。ロンに対する反応からすると、男色趣味はないみたいだし。ちゃんと聞いてみたことはないけど。でも普通。
「なにを考えてるんだ?」
 すい、と近寄られ耳元で囁かれ、ラグは思わず身を引いてロンを睨んだ。本当にこいつはいちいち。
「あのな、それは俺の台詞だぞ。お前こそなにを考えてるんだ。逢引に保護者がついていってどうする気だ?」
「セオには逢引なんて意識はなさそうだが?」
「それは、そうだけど。でもな、そういうことに保護者が口を出すのはよくないってことくらいわかるだろう?」
「ほう、ヒュダ殿はそういう教育方針だったのか。立派だな」
「……そういうことを言ってるんじゃなくて」
「だが俺は別にセオを教育するつもりはないからな。互いに影響はするだろうが、いちいち教え導いてやる気はない」
「え……お前、それは、無責任ってものじゃ。というかこれまで何度もいちいち面倒をみてやってたと思うんだが」
「まぁ、な。だが俺は人を教育できるような大層な人間じゃないからな。できることはセオが悩んだり苦しんでいる時に一緒に悩んだり苦しんでやったりして一緒に幸せになろうとすることくらいだ」
「……ロン」
 きっぱりと言うロンの言葉は確かに正しい、と理性は告げる。だがどうにも納得できない。
「じゃあ、今回の行動はなんなんだよ」
「ん? お前は嫌じゃないのか? セオがどこの馬の骨とも知れぬ女に寝取られるんだぞ」
「寝取ら……ってな、俺はお前みたいな趣味持ち合わせてないぞ。妙なことを言うなよ」
「ふむ。お前は嫌じゃないのか? セオが女と寝るんだぞ? どこの馬の骨とも知れん女と。あのセオが」
「だから妙な言い方するなって……普通に考えろよ。少なくとも、セオには、いいことじゃないか。男として、一人前になれるんだし。そりゃ、ちょっとなんというか、寂しい気持ちがないとは言わないけどさ……」
 言ってからはっと口を押さえる。だが時すでに遅し、ロンはにっこりとわざとらしいほどの笑顔を浮かべてうなずいていた。
「そうだろう? あの子を嫁に出すのは、いや外泊だってまだ早いと思うだろう。なぁ母さん」
「だから母さんはやめろよ頼むからっ」
「おいお前らなにやってんだよっ! もうすぐ着くらしいぜ!」
「そうか、それはすまなかったな」
 涼しい顔で言ってセオたちの方に近づいていくロンを見て、ラグはさらに深いため息をついた。母さんをやっているつもりは、ないのに。

「……本当に、なにやってるんだろうなぁ、俺たち」
「うっせぇ泣き言言うな俺だって死ぬほど馬鹿馬鹿しいと思ってんだ」
「ほらお前たち、静かにしろ。声が聞こえんだろう」
 はぁ、とラグはまたため息をついて受信機に耳を澄ませた。実際馬鹿みたいだとは思うがここまでやったからには最後までやりとおした方がマシだ。
 最初はラグの提示した疑問だった。カーメラの店は基本的にひとつの部屋には二人までしか入れないはずなのだがどうするつもりだ、と聞くと、ロンはにっこり笑って妙な魔道具を取り出したのだ。
 その魔道具は送信機の周囲の音を拾って、受信機へと送ることができるらしい。ごく近距離にしか届かないそうだが、送信機も受信機も小さくて服や耳につけていてもまず気付かれないだろう。
 それで自分たちは店の裏手でセオとあの少女の話す会話を聞き、危険があったら踏み込む、ということになってしまった。どう考えてもこれはのぞきだと思うのだが、セオが泣きそうに申し訳ながるのをロンがにこにこ言いくるめるのにうまく口が挟めず、そうこうしているうちに断れる雰囲気ではなくなってきてしまい、いつも通りにロンの思い通りにされてしまったわけだ。
 こいつ本当にどうにかならないもんかな、とロンを横目で見ていると、フォルデが小さく声を発した。
「部屋に着いたみたいだぜ」
 は、とラグも受信機に集中する。いや別にセオのそういう場面をのぞき見たいわけではないが、なんというか心配は心配だし口を出す気はないけれどもし万一美人局だったら大変だし、と心の中でぶつぶつ言い訳しつつ。
 がちゃり、と扉が開く音。それから押し殺した、だが明らかに歓喜に満ちた少女の声が聞こえた。
『勇者様……! 来てくださったんですね!』
『え、あの、はい……でもあの、俺勇者様なんて呼ばれるほどのことはして、ないので』
『あの……でしたら、セオ様とお呼びしても、いいですか?』
『え、いえっ、あのっ、様付けなんてそんな、俺本当にそんな偉い人間じゃないので、呼び捨てでもなんでも』
『本当ですかっ!? じゃ、じゃあ……セオ、って、呼んでも、いい?』
『え、あ、はい』
「……セオのあの謙遜が口説き文句になるとはさすがに予想外だったな」
「黙ってろ」
 わずかに衣擦れの音、ぎしり、と小さく床が軋む音、それから扉を閉じる音。
『あの……なんの、ご用、でしょう?』
『うん……あのね、セオ』
「本気で呼び捨てにしたぜこの女……切り換え早ぇ……」
「黙れって」
 ぎし、ぎし、と床が軋む音。セオ以外の息遣いの音が受信機まで届いてきた。
『私と、初めて会った時のこと……覚えてる?』
『あ、はい。セアゴビー城の貯水塔に水を、もらいにいって』
『そう……あそこの貯水塔って、水の湧き出してくる魔法具を使ってるけど。設備が古いから水を汲むにはいちいち大きな弁を開け閉めしなきゃならなくて。水道の脇で、誰か来たら弁を開けるのが私の仕事で。城の下働きっていっても、誰にも見向きもされない、地味で退屈な力仕事。でも』
 ぎっぎっ。床の軋む音が二つ連続して聞こえた。
『お願い、逃げないで』
『え』
『あなたは、私に、すいません、水をいただきたいのですが、どうすればいただけるんですか、って聞いたよね』
『え、はい』
『私、逆光であなたの顔が見えなくて。その前上司にいいようにこき使われた不機嫌を引きずってて、ぶっきらぼうにそこの弁を開けば、って言った。そうしたらあなたははいってうなずいて、素直に重い弁を開けて水を汲んで。ありがとうございました、って頭を下げてくれたの』
『え、はい……』
『その時、初めてあなたの顔をちゃんと見て。……すごく、きれいだって、思ったの』
 ぎしっ、と大きく床が軋む音。それからぽすり、と大きなものを布が受け止めたような音。ラグたちは思わず動きを止めた。
『それからずっとあなたのことを見ていて。あなたがすごく一生懸命カルロスさまに稽古をつけてもらっているところも見て。すごくすごく、カッコいいって思って』
「んっだこの女あーだこーだ言っときながら結局見た目かよざけんなっ」
「というかわずか数日間でずっとなんぞと抜かすところがすでに図々しすぎると思わんのか」
「だからお前ら黙れって言ってるだろっ」
 ざ、と小さく衣擦れの音。
『そうしたらね、いつの間にか……あなたのこと、なにも知らないのに……ううん、優しくて強い勇者様だって知って……』
「勇者様だぁ!? なに抜かしてんだこの女、セオのどこ見てやがるっ」
「セオの性格描写も正確さと情緒を欠くことはなはだしいな」
「だからっ、お前ら黙れって……!」
『あなたのこと……好きに、なったの』
『…………!』
 思わず全員息を呑む。受信機の向こうのセオの反応を読むべく、全神経を聴覚に集中させた。
 少女の口説き文句は続く。
『だから……だからね。あなたがもう、ポルトガから、ここからいなくなっちゃうって知って。もう会えなくなっちゃうって知って。私……』
 息遣いが間近に聞こえてくる。さり、とまた衣擦れの音。潤んだ声が聞こえる。
『いやらしい女の子って、思わないでね。お願い……私のこと……』
 濡れた声が、決定的な台詞を囁いた。
『抱いて……』
『………………!!』
 全員固まって、その声を聞く。それから数秒の間をおいて、セオのどこかぽわんとした声が聞こえた。
『あ、はい……』
『…………………!!!』
 しゅ、とわずかに衣擦れの音。はぁ、と少女の熱い息が聞こえる。なにを聞いてるんだ、さっさと魔法具を停止させなければ、これ以上は本当にのぞきだ、と頭のどこかが喚いていたが、それでも体が動かない。ただ呆然と魔法具から聞こえる声に耳を傾け――
『こう、でしょうか……?』
『………は?』
 今度は少女と声を揃えてしまった。ロンは無言だったが。
『ちょ……セオ? あの』
『あ! あのっ、差し出がましい、ようですけどっ。ここに、お泊り、なんですか? ここ、二人じゃないと泊めてもらえない、って聞いたん、ですけど。このあと誰か来られるんじゃ、ないんでしたら、お家まで、お送りします、けど。ここらへん、夜は危ない、そうですから』
『……セ……』
『はい?』
 う、と小さく息を吸い込むような音がしてから、どんっ! と大きな音が聞こえてきた。どんっ、どすっ、どかっどがっどむっ、という感じの音も。
『っ、あの? どうされたん、ですかっ?』
『すっとぼけたこと言わないでよばかぁっ! あんたなんか嫌いっ、あっち行ってよ! もう知らないっ、あんたなんか好きでもなんでもないんだからっ!』
『あ……はい。でも、俺のこと、お嫌いでも、護衛の役に立つくらいならできると』
『うるさいあっちいけっ! あんたなんか最低っ、乙女心弄んでっ! あたしここに泊まるっ、男連れ込んで乱痴気騒ぎしてやるっ!』
『え……本当に、そうなさり、たいんです、か?』
『……っ……! 出てってよぉっ!』
『あ、はい……。ごめんなさい、俺、またなにか間違ったこと、しちゃったんですね……本当に、ごめんなさい……』
 ひどく悲しそうな、苦しそうな、世界中の痛みを味わわされているような辛そうな声。それが、最後に、一瞬ひどく優しく柔らかい、セオが嬉しいだろう時に何度か聞いたことのある声に変わった。
『俺のことを、見てくださって……本当に、ありがとう、ございます』
 そう声がしてから、扉が開き、閉じた。

「やぁお帰りセオ。無事貞操を守れたようでなによりだ」
「え? はい、ありがとうございます……」
「……つか。セオ、お前なぁ……」
「はい……?」
 フォルデは複雑そうな顔で口を開いたが、セオのきょとんとした顔を見ていたら言う気が失せたのだろう、がつっと一発拳を落としてからふんっと鼻を鳴らしセオに背を向けた。
「帰んぞっ。ったく、明日出発だってのにすんげー無駄な時間使ったっ」
「ごめん、なさい……」
「うっせ黙ってろっ」
 フォルデは不機嫌そうにというか、ひどく複雑そうに口元を歪めていた。それはそうだろう。ラグ自身自分がセオにどう反応してほしかったのかよくわからないが、あれはどうかと思うし。
 少女は遠まわしに断られたと思ったのだろうが。泣きそうな顔のセオに近づき、隣を歩きながら訊ねてみた。
「セオ。君、抱くって言葉の意味、わからなかったのかい?」
「え? わかってると思い、ますけど……?」
「どういう意味か言ってみてくれるかな」
「ええと、まず両腕を回して物を中にかかえこむ、こと。次に男性が女性と肉体関係を持つ、こと。あとは仲間に引き入れる、ことをそう言ったりも、しますけど?」
『…………』
 つまり、意味はわかってるわけか。
「じゃあ、なんでさっき、あの子に抱いてって言われた時、ただ抱きしめただけだったんだい」
「え? あの、あの状況で、他に意味、ありますか……?」
「いや、あのさ」
「だーっ! お前さっき言っただろーがっ、男と女が……その……っとかは考えなかったのかよっ! そっちのがはるかにありそーだろーがっ!」
「え? なんで、ですか? だって、あの人が俺と肉体関係を結びたいと思うはず、ないのに……」
『………はぁ?』
「……なんでだよ」
「だって、俺みたいな奴と、肉体関係を結びたいと思う女性が、いるわけない、でしょう?」
「っ前な! 好きだっつわれといてどーしてそー思うんだよ!?」
「は? 好きって、誰が、ですか?」
「だからっ、あの女が言ってただろーがっ、お前のことが好きだって! さんざんくっせぇ褒め言葉つきでよっ」
「え?」
「覚えてねぇのかよっ」
「……セオ。君、あの女が言っていたことをちゃんと覚えているか?」
「え……それが、あの。なんでかわからないんですけど……記憶に、欠損が」
「……はぁ?」
「あの人と話していた、時。途中で、ふぅっと気が遠くなって。その間のこと、覚えて、ないんです。なんでなのか、よくわからないんですけど、話の途中で聞き返すのも失礼に、思えてしまって。とりあえず言われた通りに、抱きしめて……それから唐突に時間のこと、思い出したので、大丈夫かどうかお訊ねして……話の途中で申し訳なかったん、ですけどやっぱり安全第一、ですから。そうしたら、あの方が怒り出されたので、記憶のない部分を聞けなくなって、しまって……本当に、申し訳ない、です……」
『…………』
 ラグとロンとフォルデは、全員で顔をつき合わせて小声で囁きを交わした。
「おい。もしかしてあいつ、自分のこと好きだっつわれたとこだけ忘れてんのか?」
「たぶん褒め言葉も耳に入ってないな、この分じゃ」
「……なんでだ、一体。あんなにあからさまな褒め言葉やら口説き文句を」
「ふむ。これは推測だが、脳が拒否したんじゃないか? 口説き文句を」
「は? なんで」
「受け容れられなかったんじゃないか。誰かが……まぁ俺たちはのぞいて、だと信じたいが、自分を好きになってくれることがあるということを」
『…………』
「なんで、だよ」
「さぁな。だが、今までにされたことのない扱いを受けた時、それが自分に向けられたものだと受け容れられないのは別にセオだけじゃない」
『…………』
 どこか寂しげにじっとこちらを見つめるセオをフォルデはぎっと睨み、ずかずかと歩み寄ってがつっと殴りつけた。
「っ……」
「てめぇマジいっぺん死ね!」
 そう怒鳴ってどすどすと盗賊らしからぬ足音を立てて歩み去る。セオはいつもの泣きそうな顔でそれを見送った。ロンが小さく肩をすくめ、フォルデのあとを追う。
「いやはや、久々だなこの展開。……セオは頼んだぞ、母さん」
「母さんはやめろって……」
 小さく息を吐いて、ラグはセオに向き直った。いつもの、一番よく見ているだろう泣きそうな、ごめんなさいごめんなさい世界で一番俺が悪いんです、とでも言いたそうな顔。
 きれいな顔をしているのに。あの女の子に惚れられるのも当然だってくらいきれいなのに、それを活かすような表情はほとんどしてくれない。だから女にもある程度経験を積んだ相手でなければあんまりモテない。
 この子がいつか女を抱くことがあるとしたら、それはいったいどんな女性なんだろう、とふと考えた。可愛い子だろうか。綺麗な女だろうか。この子のことだから莫連女にほだされるなんていう展開かもしれない。
 どんな女でも、その時がきたら。もしかしたらそれがこの子に俺が必要なくなる時かもしれない。その時のことを考えたら、少し胸はすうすうするけれど。
 でも、それは今じゃない。だったらきちんと保護者をやり通してやるしかないだろう。今はたぶん、この子には俺が、俺たちが必要だ。
 とりあえず別れは、今じゃない。
 柄にもないこと考えてるな、と内心で苦笑しつつ、ラグはセオに安心させるように笑いかけて口を開いた。

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