愛? おぼえていますか
「お?」
 いがぐり頭にじゃがいもフェイス。どんぐり眼にぶっとい眉毛。
 十年経っても彼は変わらない。彼は変わらず、嵐を呼ぶ男だった。
 そう、彼はいまや、嵐を呼ぶ高校生となったのだ――
「野原しんのすけ」は!

「ぐ〜〜すかぴ〜〜」
 さて、そんな嵐を呼ぶ高校生の朝は遅い。
 今日は4月のはじめ、春眠暁を覚えずというが、しんのすけの場合は年中無休で払暁知らずである。
 いつものごとく古式ゆかしライクないびきをかきながら、枕もとの目覚し時計は大音量で絶叫しているにも関わらず、枕を抱え込んで完全にねモードに入りっぱなしである。
 そして、これもいつものごとくそーいう朝からねモードに入っている息子をもう許せないってゆーかアッタマきちゃうゴッド・マザーが他家と同じく野原家にも存在しているのである。
 パタパタパタパタ。
 階段を駆け上がる音がして、バンとしんのすけの部屋の扉が開いた。
「しんのすけ――――っ! いいかげんに、起きなさ―――いっ!」
「ぐ――ぐおぁぁ――」
 耳元で怒鳴ってもしんのすけはそんなこと気付きもしませんって感じで寝っぷりご披露中だ。
 しかしいつものことなので起こし手であるしんのすけの母みさえもメゲない。
「まったくいつまで寝てんの! あんた今日から高校生でしょ! 入学式から遅刻するつもり!? いつまでも子供気分でいると、みんなに置いてけぼりにされちゃうわよ!」
「オラ未成年だからまだ子供だも〜ん……グースー……」
 どうでもいい反論だけは寝ながらもこなすしんのすけ。
「いいから起きなさーいっ! ほら朝ご飯できてるから! 今日はあんたの好きな納豆ご飯よ! 早くしないと冷めちゃうわよ!」
「炊飯器の保温機能使ってあったかいご飯食べる……グーカー……」
 ぶち。
 みさえが切れた。
「いいかげんに起きんかこのボケナスが―――っ!!!」
 ドバキ。

 5分後、しんのすけはぶつぶついいながらパジャマ姿で食卓についていた。しんのすけも中三になった時に部屋を貰ったため、二階で寝泊りするようになっている。
「しんのすけ、お前まーたかあちゃんに怒られたのか」
 新聞をばさり、と鳴らして言う父ヒロシ。現在四十五歳、課長補佐。
「ダメだぞ、お前ももう高校生になったんだから、いーかげん一人で起きれるようにならないとー」
「ほーい……」
 どうでもよさそうに返事を返して、しんのすけはマイペースに納豆をご飯にかける。
 みさえが食卓を整えながら言う。
「まったく! もっと言ってやってよあなた! ホントにしんのすけったら幼稚園の頃から全然変わってないんだから。朝は起こしてもなかなか起きないし、遅刻しそうになってものんきに朝ご飯食べてるし! もう高校生になったって言うのに先が思いやられるわよ、ホント!」
「……妖怪ガミガミオババ」
 ガッツン。
 拳の跡をしゅうしゅういわせながらしんのすけは机に突っ伏した。
 みさえの拳は年をとるにつれ重さを増し、いまやすっかり重量級のおもむきである。
「ほんっとに、お兄ちゃんったら情けないんだから。こんなんじゃ恥ずかしくて友達も家に呼べないわ。せめてもうちょっとまともになってよね」
 それまで会話に加わってこなかった十歳前後の美少女がつんとすまして言った。
 野原ひまわり、十歳。近所でも評判のかわいい女の子である。
 ただし、
「あっ、相葉君! んーもう、相変わらずハンサムv この振りかえりざまのうなじがたまんないのよね―v うふv」
 近所でも評判の美形好きで光り物好きで、学校ではしんのすけの妹の名に恥じぬ問題児であったが。
「ひま、あんまり高望みしてると嫁き遅れるゾ。てきれーきになっても恋人ができなくてひとり寂しい老後を送ることになっちゃうぞ」
「大丈夫。そういう時は小金持ってるじいさんをたらしこんで安楽な生活をゲットしてからゆっくり愛人開発に乗り出すから」
「子供らしくないこと話してるんじゃありません! ほら、二人とも、もう時間よ!」
「ほうほう」
「あたし班登校だから班長が迎えに来るまで待ってなきゃいけないんだもん」
「オラも今日は風間くんと約束してるもん。家に迎えに来てくれるって言ったんだもん」
 ピンポーン。
「ほら、もうどっちか来たわよ、急いで! ……はーい!」
 みさえはバタバタと玄関へ走りドアを開けた。そこに立っていたのは十五歳前後の目元涼やかなちょっといい感じの男の子である。
「おはようございます、おばさま」
「あらおはよう、風間くん。わざわざ迎えに来てくれたの? 悪いわねえ〜」
 風間トオル、十五歳。小学校から私立に通い、現在も中高一貫教育の有名私立校に通っている自らをエリートと自認している少年である。
 ただ、今は――
「お、風間くん。よ」
「よ″じゃないだろ! なんでまだパジャマなんだよ今何時だと思ってるんだよ高校生になったくせに遅刻するつもりかよ! 僕と同じ高校に入っておきながら入学式から遅刻なんてしたら友達の縁切るからな!」
 しんのすけがのんびりと姿を現すやいなや、目を吊り上げて怒鳴る風間くんであった。
 そう、しんのすけは今年風間くんと同じ高校に入学したのである。彼らは小学校・中学校は別だった。その間も何やかやで連絡は取り合っていたのだが、九年振りに同じ場所に通うことになり、今日一緒に行こうと約束したのである。
「え? あらやだもうこんな時間じゃない! しんのすけ、ほら早く着替えて!」
「え〜〜、朝のお通じもまだなのに〜〜……」
「あんたトイレ長いからダメ! ほら早く!」
 みさえに二階に引っ張り上げられるしんのすけ。風間くんはカツカツと足元を踏み鳴らしながら待っている。
 待っている間にずごめすっという音やギャーギャーいう叫び声や怒鳴り声が聞こえてきたが、しばらくすると二階から制服姿のしんのすけがよろけつつ降りてきた。
「…よ」
 ひょいと右手をあげてみせる。
「はい! 二人とも、行ってらっしゃーい!」
 顔だけはにこやかなみさえに見送られ、二人は野原家を出た。

「…ったく、いいかげんにしろよな。高校生になったってのに幼稚園の時みたいにダラダラと……」
 しんのすけと一緒に足早に歩きながら、風間くんはブツブツとグチる。
「だいたいなぁ! お前新入生代表の挨拶に選ばれたんだろ!? だったら早く行って準備とかしなきゃだめだろが!」
「準備って、何するの?」
「えっ……そりゃ、先生に挨拶したり、リハーサルしたり……」
「どっちもしたゾ。この前高校に呼び出されたもん」
「うっ……もうしてても! 直前にもう一回やっておくのが礼儀ってものだろ」
「風間くん、最後までよく考えてもの言わなきゃだめダゾ」
「お前が言うなー!」
 叫んでぜえはあと荒い息をつく風間くん。
「相変わらず怒りっぽいなあ。短気な男は出世しないゾ」
「やかましい! …それよりお前、いいかげんその口調直せよ。もう高校生になるんだから」
「その口調って、どの口調?」
「ダゾ″とかほうほう″とか自分のことオラ″って言うとかだよ」
「なんで?」
「変だろ。第一」
「だめダゾ、風間くん。そういうたんいつてきかつかくいつてきなかちかんをすべてのたにふえんしようというこーいはこのそんげんをしゅけんてき、げんだいてきせいしんこうぞうてきに――」
「お前、自分の言ってること理解して言ってるか?」
「ううん」
 はーっ、と溜め息をつく風間くん。
「…ったく、お前ほんとによくうちの学校入れたよな。おまけに新入生代表の挨拶までするって言うし……中学校のころの成績超低空飛行だったくせに、よくまあ……」
「オラ、風間くんと一緒の高校に行きたかったから頑張ったんダゾ」
「え……」
 風間くんは思わず足を止めて、まじまじとしんのすけの顔を見つめてしまった。しんのすけはいつもの如く、とぼけたような無関心のようなよくわからない表情をしている。
 と、ふいに顔だけ後ろを向いてにへらぁっと顔を笑み崩した。
「んもう、風間くんったらそんなに嬉しそうな顔しちゃって。素直なんだから」
「……へ? な、なななな、なに言ってんだよっ! 誰が嬉しいって? 冗談言うなよなっ!」
 真っ赤になって怒る風間くんに、
「んもう、て・れ・や・さんっv」
 つんっ、とほっぺをつつくしんのすけ。
「しんのすけ―――っ!!!」
 風間くん、怒り頂点。
 と、しんのすけがいつものとぼけたような無関心のような表情になって、ふいに風間くんの後ろに回り込んだ。
 そして、つい――っと風間くんの背筋に指を這わせる。
 ゾクゾクゾクゾクッ。
「……あ……」
 背筋に走るなんとも言えないむず痒いような、熱く痛いような感覚に体を震わせる風間くん。
 しんのすけはその指を首筋を撫でるように回す。
「ああんっ……」
 さっきに層倍する快感に思わず嬌声が漏れる。
 さらにしんのすけは口を風間くんの耳元に近付けて、熱い息をふーっ。
「はああああんっ……v」
 ゾクゾクゥ! と体中に快感が走り、その場にへたりこんでしまう風間くん。
「……何やってんの?」
 はっ! と正気にかえり声のしたほうを見ると、そこにはしんのすけたちと同じ型の制服に身を包んだ清純派っぽいイメージのわりにしっかりナチュラルメイクを決めている少女とやや気弱そうな少年、そしてヌボーっとした感じのやたらと背の高い少年が白い目でこっちを見ていた。
 順にネネちゃん、マサオくん、ボーちゃんである。
 彼らも今年しんのすけと同じように風間くんの通う高校に入学し、今日いっしょに行こうと約束していたのだ。
「いやっ! これはなんでもないんだっ! 不慮の事故、そう事故なんだってピーター・マッコイも言ってるし……」
「風間くんと友情の交歓をしてたの」
「お・ま・え・は、黙ってろ――っ!」
 風間くん、しんのすけの首にアタック敢行。
「もう、遊んでる場合じゃないでしょ? 早くしないと遅刻しちゃうじゃない」
 ネネちゃんのもっともな言い分に促され、5人の少年少女たちは連れだって学校に向かい歩き出した。
「でも、こうやって5人揃って歩くなんて久し振りだよねー」
 マサオくんが気弱ながらも嬉しげに言う。
「そうよね。風間くんとは小学校から別れちゃったから。5人で一緒に学校行くなんて、初めてなんじゃない?」
「風間くんはオラ達を捨てて私立の学校の女の子といちゃつくことを選んだんダゾ。かえすがえすも薄情ですなぁ」
「なんだよそれっ。しょうがないだろ、進路の問題なんだからっ」
「すぐそうやって言い訳する。わかってるわ、どうせあなたにとってアタシ達はその程度の女なのよ」
「気色悪い声を出すなーっ!」
 ぜいぜい。また息を荒くする風間くん。
 小さい声で、そっと呟く。
「僕だって……僕だってさ……本当は、みんなと……」
 ぽん、と風間くんの背中をボーちゃんが叩いた。驚いて見上げると、渋い声で言う。
「……でも、今は、みんな一緒」
「…うん! そうだね、みんな一緒だねっ!」
 マサオくんがまた嬉しげな声を上げる。風間君も照れたようにこめかみをかいた。ネネちゃんも可愛らしい感じで笑っている。しんのすけはいつものとぼけたような顔だ。
「…だけど、高校生かぁ〜。どんな生活が始まるんだろうなぁ〜」
「マサオ君はきっとイジメられるゾ。世間的にエリートって言われてる人たちって根性曲がってる人が多いから」
「ええっ、ホントに〜!?」
「しんのすけっ! いいかげんなこと言うなよっ! そんなことないよ、マサオくん。うちの学校の校風は明朗闊達で……」
「そういうこと言ってる人ほど裏に回ると何してるかわからないんだゾ」
「イヤだよぉ、そんなのっ!」
 ドスッ。
「高校生にもなってピーピー泣いてんじゃねぇよ、オニギリ……!」
「ヒィィィッ!」
「うむうむ。みんな相変わらずでけっこうなことですな」
「お前が言うな!」
 そんなことを喋りながら、高校の門はすぐそこに見えようとしていた――。


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