しんのすけ、(高校に)襲来
『新入生挨拶。新入生代表、野原しんのすけ君』
 講堂のスピーカーから響いた声に従って、しんのすけが席を立ち壇上に進み出た。
 眼下の新入生、在校生、教師連を軽く見まわしてから、マイクに向って口を開く。
「桜の花舞い散る今春、我々はこの慶光高校で新しい門出を迎えます……」
 そこで言葉を切る。
 次の言葉は何かとしんのすけの顔に視線が集中するが、しんのすけは気にもせずまた軽く眼下を見まわして、言った。
「おわり」
 ぺこりと一礼して、壇から降りた。

「こ…の…大バカヤロ―――――!!!」
 風間くんは背伸びをして、ぱこおんとしんのすけの頭を叩いた。
「いたた…風間くん、オラに何するの。もしかしてオラを気絶させて襲う気? こんな人通りの多いところで……風間くんの恥知らず!」
「誰が恥知らずだ、こっ…ばっ…のっ…」
 息を吸いこんで、
「バッカヤロ―――――!!!」
 怒声が教室内に響き渡り、視線が風間くんとしんのすけに集まった。
 既に入学式は終り、生徒は教室に入れられている。しんのすけ達のグループは偶然か天命か、全員同じ一組だった。
「ねえマサオくん、この人なにこんなに怒ってるの?」
「え…いや、それは…」
「自覚ないのかお前はっ! お前が新入生挨拶でしたことを思い出してみろ!」
「新入生挨拶? オラ何かしたっけ?」
「しただろうが! 明確に、はっきりと!」
「何を?」
「お・ま・え・な――――っ!!!」
「新入生挨拶を勝手に短くしたことよ」
 荒れ狂う風間くんを見かねて、ネネちゃんが助け舟を出した。
 がるるると臨戦体勢を崩さない風間くんをボーちゃんが押さえ、ネネちゃんはしんのすけを説き伏せようと試みる。
「入学式のしょっぱなから勝手に挨拶短くするのは、やっぱりまずいわよ」
「はて。覚えがありませんが……」
「しんのすけっ、お前は……っ!」
「だって、挨拶の文先生から渡されたんでしょ? それがあんなに短いわけないじゃない」
「でも新しく渡されたやつにはあれしか書いてなかったゾ」
「ええ?」
 ひょいと差し出されたプリントには、活字でしんのすけの言葉通りの文章が印字してある。
 そしてその後はミスプリントか、だーっと線が途切れ途切れに並んでいるだけだ。
「…先生、気づかなかったのかな?」
「教師というのもなかなか忙しい職業のようですからなぁ」
「しんのすけ、お前なあ! 気づいてたんなら言えよ!」
「そういう新しい趣向なのかなと思って」
「お前な……」
 くすくす、と笑い声が聞こえた。
 慌てて一同がそちらを振り向くと、そこに立っているのは数人の少女達である。
「笑ったりしてゴメンね? でも、あんまりおかしかったから」
「野原くん、だっけ? もうみんなの噂になってるよ、面白い人だね、キミって」
 しんのすけはいつものとぼけた表情でうなずいた。
「うむ。よく言われます」
 その答えに少女達は笑いさざめくと、しんのすけを取り巻いた。
「ねえ野原くん、野原くんって高校からでしょ? どこの中学から来たの?」
「兄弟いる?」
「家どこにあるの?」
「つきあってるコとかいる?」
 少女たちに輪の外に押し出された形になった風間くんは、半ば茫然と呟いた。
「な…なんなんだ……? 一体なんでしんのすけが女の子達に取り巻かれてるんだ……?」
「……しんちゃんって、なぜかけっこうモテるんだよね……」
 おそろしく暗い声に、風間くんはびくりとして声のした方を向いた。
 マサオくんがうつむいて、独り言を言うようにブツブツとなにか呟いている。
「普段は運動も勉強もろくにやらないのに、たまーに気まぐれみたいに体育祭とかで活躍しちゃったりしてさ、女の子にキャーキャー言われちゃって。たまにしか活躍しないとこがまたシブくていいとか言われちゃったりしてさ。あのフザけたとこも『面白ーい!』とか言われてまた女の子を集める原因になっちゃったりしてさ。そのくせ告白されたりしても『オラ18歳未満には興味ない。でもゴマキは別〜』とか言っちゃったりするんだよね。あはは……」
 暗〜い声でほとんど呪いでもかけているように言うマサオくんの背中を、ボーちゃんがポンポンと優しく叩いた。
 マサオくんの『あんた、そのことでなんか暗い過去でもあんの?』と言いたくなるような様子に思わずひきながらも、風間くんは納得がいかずに詰め寄る。
「だって、あのしんのすけだよ? あのしんのすけが女の子にモテていいのか、あのバカが……」
 そこまで言って風間くんは、幼稚園時代から幾人かの女の子には熱烈にモテていたことを思い出した。だが一般の女の子にまで人気があったワケではないはずなのに……。
「もうさすがに『ぶりぶりー』とかはやらなくなったからね……」
「………」
 だからって、いやそういう過去を持っているだけでも普通女の子達に嫌われるには十分だと思うのに、何ゆえ今はモテるのか。
 女の子にそれなり好かれはするものの、いいなと思う女の子はみんなほかの男にかっさらわれていつもいいお友達止まりな現在彼女イナイ歴更新中の風間くんは、この世の不条理に拳を握りしめた。
「しんちゃん!」
 ネネちゃんがふいに声を張り上げた。女の子達の中に割りこんで、しんのすけにほとんど抱きつくようにして体を引っ張る。
「ねえしんちゃん。あたし明日のオリエンテーションの後さっそく部活見に行こうと思うんだ〜。つきあってくれるわよね?」
 見せつけるようにしんのすけの腕に自分の腕をからめて、ふふんと女の子達に流し目を送るネネちゃん。
「あ……また、始まった……」
 ボーちゃんがぼそっと呟く。
 ネネちゃんこと桜田ネネは、別に仲間たちのことが好きというわけでもなんでもないのに仲間たちに近付く女の子にやたらと敵愾心を燃やすくせがあるのだ。
 幼なじみという立場を利用してこれでもかと親密さを見せつけ女の子との中を裂きまくる。そのくせ仲間と付き合おうとするわけでも、優しくしてあげるわけでもない。
 そんな彼女が女生徒から嫌われるのは当然の成り行きだったと言えよう。ネネちゃんにはまともな女友達は一人もいなかった。その場にいない人の悪口を言い合う仲間なら腐るほどいたが。
 しかもそれで全く寂しさを感じていないところがすごい。
 当然のことながら、しんのすけを取り囲んでいた女の子達はむっとした。
「ちょっとあんた何よ。いきなり横から割りこんできて」
「野原くんとどういう関係?」
「あたしはしんちゃんの幼なじみなの。こんなちっちゃい頃からずーっと一緒にいるのよ。ねー?」
 しんのすけの腕をつかんだままにっこりと笑いかける。
 しんのすけはとぼけた顔で肩をすくめた。
「まあ、成り行き上やむを得ず」
「なんですって?」
 ギリギリ、と腕をつねるネネちゃん。
「ちょっとあんた、やめなさいよ。野原くんいやがってるでしょ?」
「別にいやがってるんじゃないわよ。これがあたしたちの親愛の表現なの!」
「何それ、信じらんないこの女。人がいやがってるかどうかもわかんないの?」
「この女ムカつくー、立場に甘え過ぎだよね」
「迷惑だっていうの、自覚しなさいよ。バッカじゃないの?」
「うるさいわね。あんたらみたいな男とみれば尻尾振る人たちに言われたくないわよ」
「なんですって!?」
 ギラリとネネちゃんを睨みつける女の子達。ネネちゃんも一歩も退かずに睨み返す。
 一触即発の状況をハラハラしながら見守る風間くん、マサオくん、ボーちゃん。教室にいる他の生徒達もこの対決を息をのんで注視している。
 しんのすけはいつものとぼけた表情でボーっと窓の外を見つめていた。
 と、がらっと教室の戸が開いた。
「全員、席につけー」
 三十歳と少しという辺りの年頃の男性教師が入ってきた。入学式で紹介された担任の先生だ。
 ネネちゃんと女の子達は最後の一睨みをかわすと、「ふんっ!」とそっぽを向いてお互い席についた。
 他の生徒達も三々五々席をうめていく。
「よし、じゃあ出席をとるぞ……って、おい……」
 担任教師が困惑した声を出した。
 しんのすけが教卓の脇の教師用の席に座っているからだ。
 教師は頭をかき、苦笑しつつ口を開いた。
「ええと、君は……野原しんのすけくんだね?」
「ええっ、なぜオラの名前を知ってるの。もしかして先生ストーカー?」
「違う! 担任する生徒の名前を覚えていたって別に変じゃないだろう。特に君は有名だしね」
「オラいつの間にそんなに有名になったんだろ。まだ芸能界デビューはしてなかったはずなんだけど」
「芸能界は関係ない。悪い意味で有名なんだよ、入学式の挨拶で……」
「いやぁ、照れるなぁ」
「褒めてるんじゃないんだから照れなくてよろしい。…それはともかく、なんでそんな場所に座ってるんだ」
「先生が席につけって言ったから」
「そこは教師用の席だろう。生徒用の席につきなさい」
「ええっ、やだなあ。そういうことはもっと早く言ってくれなきゃあ」
「…あのね」
「で、オラの席ってどこ?」
「先生が知るわけないだろう。自分で探しなさい」
「ええっ、そんな。自分で脱がしなさいなんて、先生ってばダ・イ・タ・ン」
「あのな――っ!」
 にやにやしながらこのやり取りを見守っていた生徒たちが思わず吹き出すと同時にバコーン! という音がした。
 最前列に座っていた風間くんが、しんのすけの頭を殴ったのだ。
「すいません先生、すぐ席につかせますからっ!」
 辺りを見まわすと、空いている席は一つだけだった。
 溜め息をついて、ずりずりとしんのすけを引きずってその席…自分の隣の席に座らせる。
 これから先のことが思いやられて、風間くんははあっと重い息をついた。


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