拍手ネタ小説『全然関係ない二人を適当な状況にぶっ込んでみました』
〜『近現代、情勢不穏な某危険地域の孤児院で働く少年と軽犯罪者』

騎一「こんにちは。テニプリS&T(1)の主人公、天野騎一です」
フォルデ「DQ3・1stのパーティの一人、銀星のフォルデだ」
騎一「えーと、これからしばらくの拍手小話は『全然関係ない二人を適当な状況にぶっこんでみました』と題して、異なる作品の二人のキャラクターを使ってまったく違うシチュエーションで小説を書いてみる予定です」
フォルデ「ま、要はいつもの管理人の気まぐれだ、読みたくなきゃ読まないで全然困んねー話だぜ」
騎一「あはは……まぁ、ちょっと目先を変えるというか、パラレルネタとして読んでいただけるとありがたいです。全然関係ないキャラ同士を組ませるのは……その、うちの管理人さんってクロスオーバーがすごく好きなので……」
フォルデ「それなりにガチで小説なんで、拍手小話としてはふさわしくねーかもしんねーが、まー気が向いた時にでも読んでくれ。今回のシチュは、『近現代、情勢不穏な某危険地域の孤児院で働く少年と軽犯罪者』だ」
二人『では、どうぞ!』


 銀星のフォルデはぎっしりと金の詰まった財布を手の中でぽんぽんと跳ねさせた。今日の仕事は幸先がいい。始めて早々でかい獲物が引っかかった。
 フォルデはこの街で生まれ育った男だ。分類としては戦災孤児、ということになるのだろうが、フォルデはそんな呼ばれ方は好まなかった。昔も今も、自分をそんな風に呼ぶ人間には相応の報いを与えてやることにしているくらいには。
 フォルデは親の顔も知らない。物心ついた時にはこの街の戦災孤児キャンプで生活していた。衣食は充分とはいえないが一応保障されており、一応教育らしきものが受けられ、うまく取り入ればこの国を出られるかもしれない場所。フォルデはそこを、十一歳の時に飛び出した。
 フォルデは同情されるのが嫌いだった。偉そうにされるのも嫌いだったが、へつらわれるのも反吐が出るほど嫌いだった。金持ちの国に生まれ、余るほど金があるからわざわざよその国に来てまで施しをしてくださる奴らなんぞ、そばにいられるだけで我慢がならなかったのだ。
 だから自分一人で生きていくことに決めた。スリの技を磨き、まずほとんどの相手に気付かれないまま財布を盗むほどの技術を身につけた。空き巣の経験も積み、自分の口を糊するだけの稼ぎを得られるようになった。
 そして、それに罪悪感を感じたことは一度もない。むしろ誇りにすら思っていた。自分はなにもないところから自力で技を磨き、今の一人前といわれるほどの自分を築き上げたのだ。この国で。明日命があるかどうかもわからないゴミ溜めだらけのこの国で。
 なのにカモから金を奪い取ってなにが悪いというのだ。この冷たく容赦のない世界で、奪われることを想像すらしたことのない奴らから、世の中というものの教え賃を徴集してなにが悪いと。自分は命を張っているのだ、安全な場所からおためごかしを言うしかできない奴らに遠慮する気はさらさらない。
 さて、次はどいつにするか、とフォルデは注意深く、かつ何気なく周囲を探った。欲張りすぎるのは禁物だが、仕事をすると決めた日にはある程度一気に稼いだ方が効率がいい。
 しばらく走査を続け、通りの向こう側からこちらに向けて歩いてくる一人の日本人の少年を見つけてにやりと笑う。フォルデは日本人が嫌いだった。人種的に顔やら肌やらに違和感を感じるというのもあったが、あんな極東の小さな国のくせに金持ちというのが気に食わないし、なにより金持ちのくせにケチなところが気に入らない。金を持っているのだからこちらを助けたいというのならさっさと金を撒けばいいものを、ボランティアだなんだとくだらない自己満足でお茶を濁すことしかしないところなど苛立たしいことこの上ない。
 狙いを定めて、フォルデはさりげなくその少年に近寄った。せいぜい焦って大使館に泣きつきやがれ、日本人。


 と――唐突にその少年がフォルデの方を向いた。心臓がどきりとはしたが、当然少しも表情を変えることなく歩を進める。が、その少年はたたっとフォルデの方に駆け寄り、明るい笑顔でこんなことを言ってきたのだ。
「フォルデさん? あなた、銀星のフォルデさんですよね?」
「………誰だ、あんた」
 フォルデは思わず眉根を寄せる。自分は日本人に知り合いなどいない。
 が、フォルデのそんな表情になど気を留めた様子もなく、その少年はにこっと笑って言ってきた。
「あ、ごめんなさい。俺、天野騎一っていいます。今、聖イオリア孤児院でお世話になっているんですけど、そこの方からあなたのお話をよくうかがうので……」
「聖イオリア孤児院、だぁ……?」
 思わずフォルデは顔をしかめる。そこはフォルデが一時期世話になっていた、教会付属の孤児院だった。一応国に認可はされているものの、金がまともに下りてきたことはほとんどない類の場所だ。
「なんでお前みたいな日本人があんなとこにいるんだよ。っつか、言葉……」
 この日本人はこの国の言葉を話している。普通の外国人はこの国の言葉を話すことはほとんどなく、英語でことを済ませているのに。
「ええと、それを話すと長いことになってしまうんですが……フォルデさんは、今からお仕事ですか?」
「は? や……」
 一瞬口ごもる。今から仕事というか、仕事の真っ最中だったのだが。いやそもそもこいつのいう仕事とは相当かけ離れている代物なのだが、というかなぜそんなことをこいつに話さなくてはならないのだ。
「おい、お前な」
「お仕事ないんでしたら、すいませんけど、ちょっと手伝っていただけませんか?」
「………は?」
「僕、朝市での買い物のお供をしてたところなんですけど、ずいぶん荷物が多くなっちゃって、一度車を出さないと持ち帰れないぐらいになっちゃって。でも、ガソリン代がないからなんとか自力で持ち帰るように、って言われてきたところなんです。大人の男の人の手があるんでしたら、ずいぶん助かるんですけど」
「はぁぁ!? おい待ててめぇなんで俺がそんなこと」
「嫌だということでしたらしょうがないんですけど、できれば助けていただけると嬉しいなぁって思ったので。お手伝いいただけるなら、朝食ごちそうしますよ」
「な……そーいうことじゃねーだろっ、だからなんで俺が」
「……やっぱり、お嫌ですか?」
 じっ、と困ったように自分を見上げる少年。フォルデは苦りきった顔でそれを見つめ、どう言ってこいつにものの道理をわからせてやろうか考えた。


『いっただっきまーすっ!』
 歓声を上げてメシに飛びつくガキどもを、仏頂面で見やる。久しぶりに来たが、まったく代わり映えのしない場所だ。ガキどもはうるさいし、どこもかしこも貧乏ったらしいし、どいつもこいつも腹を空かせている。弱いものが寄り集まった、貧困の塊。阿呆らしいことこの上ない。
「おや、どうしたのです、フォルデ? せっかくの朝食なのです、温かいうちに食べないと損をしますよ?」
 にこにこ微笑んで言う院長先生に(客ということで一応大人たちの席に着かせられたのだ)、「はぁ……」と我ながら気の抜けた返事をしてスプーンを取る。朝食を取っていなかったのは確かだが、それなりに自炊をするフォルデとしては、自分がいた頃と同じように、削れるところを限りなく削ったクズ肉とクズ野菜のスープを食べるよりは、自宅で食事をした方がマシな気もするのだが。
 そんなことを思いつつスープを口にして、思わず目を見開いた。
「………!」
「おいしいでしょう?」
「………はい」
 答える暇も惜しいくらいこのスープはうまかった。匙ですくっては口に運び、すくっては啜る。焼きたてのパンもふんわりと柔らかく、スープとの相性が抜群だ。なんだこの味、見かけは自分がいた頃と同じごく普通のパンとスープなのに。
「これはね、あの子が作ってくれたのです」
 言って院長先生が示したのは、向こうのテーブルでガキどもに懐かれながら笑って食事をしている日本人の少年――アマノキイチだった。思わず眉根を寄せて疑問を表明したが、院長先生の微笑は崩れない。
「あの子は本当に料理が上手でね、しかもやりくりもとてもうまいの。安い小麦粉を使ってこんなにおいしいパンを毎朝焼いてくれるし、クズ肉とクズ野菜を使ったごく普通のスープを、こんなにおいしく作ってくれるのですよ」
「……はぁ」
「まだ十三歳だというのにね、本当に働き者のいい子で。よければあなたもまた来るといいわ、手伝いをしてくれれば食事をご馳走しますよ」
「はぁ……っつか、なんなんですかあいつ。あいつ日本人でしょ? 日本人のガキがなんでこんなとこにいるんですか」
 その問いに、院長先生は困ったように笑った。
「そうね……本当なら、こんなところにいる必要はない子なのだけれど」
 それから、彼がなぜここにいるかという理由を説明した。


「おい」
「はい?」
 フォルデが声をかけると、片付けを終え台所から出てきたアマノキイチはこちらを振り向いて笑った。
「ああ、フォルデさん。朝食の味の方、どうでした? お口に合いました?」
「お前、馬鹿か」
 思いっきり憎憎しげに言ってやったのに、アマノキイチはきょとんと首を傾げるだけだ。
「はい?」
「……てめぇの頭ん中には蜘蛛の巣でも巣食ってんのか! 親が死のうが天涯孤独だろうが、大使館に行きゃあ国に帰れるだろうが。金持ちの国に帰りゃあどうとでも生きる方法あんだろ!? 今のこの国の状況わかってんのか、明日には死ぬかもわかんねぇんだぞ、ちったぁ頭働かせたらどうなんだ、あぁ!?」
 そうだ――親の仕事でこの国に連れてこられ、テロリストに両親を殺されて、行く場所がなくなってうろついているところを院長先生に声をかけられ、それからずっとこの孤児院にいるなんぞ、馬鹿と言うのももったいない。うまく立ち回る気が少しもないとしか思えない。そんな奴なんぞに、この孤児院にいられたくはないのだ。
 きょとんとした顔でフォルデに怒鳴られていたアマノキイチは、そこまで聞いてにこっ、と優しく嬉しげな笑顔を浮かべ、言った。
「ありがとうございます、フォルデさん。心配してくださってるんですね」
「……っはぁ!? なに言ってんだお前脳味噌湧いてんのか!」
「あはは、一応正気のつもりですけど。でも……大丈夫ですよ、僕は僕なりに考えて、ここにいるつもりですから」
 にこにこしながら、アマノキイチはそんな阿呆にもほどがあることを抜かす。
「て……っめぇなぁ!」
「日本という国は……確かに、この国に比べれば豊かかもしれませんけど。貧乏人にはそれなりに厳しい国でもあると思うんです、生きるだけでもとてもお金がかかりますから。きちんと教育を受けようと思えば、さらにその数倍……弱いところを見せれば、よってたかってお金とか尊厳とかを奪ってこようとする人たちも、やっぱりそれなりにいますし」
「なっ……けどなっ」
「それに、向こうに行ったところで、特に喜んでくれる人もいないですし。親はもう死にましたし、兄弟姉妹もいません。親戚も、ちゃんと付き合いのあるような人たちはいませんし……世間体だけで引き取られてさんざん嫌な思いをさせられて、人生を食い物にされるよりも、自分の意思で人生を決めた方がいいかな、って」
「阿呆かてめぇっ、んなもんただの」
「僕はこの孤児院が好きですし、ここなら僕でも役に立てることがありますし。院長先生に助けられたご恩もお返ししたいですし。……それに、フォルデさんみたいな優しい人にも、会えたりしますしね」
「なっ……」
 フォルデは怒りのあまりカッと顔を赤くし、腹の底から怒鳴った。
「阿呆かてめぇいっぺん死んでそのおめでたい頭なんとかしてこい!」
 そしてきょとんとしているアマノキイチに背を向けて、足早にその場を立ち去った。


 ……だというのに、なんで自分はこんなところでこんなことをしているのか。
「すいません、フォルデさん、こっちのじゃがいもの皮剥いてもらえます? ぴったり三十個入ってると思いますけど、一応数えてくださいね」
「……ああ」
 仏頂面で答えて、イライラムカムカしながら包丁を動かす。まったく、なんで、自分が、こんなことを。
「フォルデさん、終わったら、それそこの麺棒使って潰してください。潰し終わったら塩を三振り胡椒を五振り。お団子にしますからできるだけ熱いうちにお願いします」
「……ああ」
 違う、別にそういうわけじゃない、自分はただ今日は暇だったから街をうろうろしていて、たまたま足が向いてこの孤児院に来てしまっただけで、そうしたら昨日聞いたこいつの話を思い出してつい苛々してしまっただけで、そうしたらたまたま出てきたこいつが声をかけてきて、もちろん無視しようと思ったのだがその後ろに院長先生がいたので無碍にもできず渋々対応していたらいつの間にか料理を手伝うことになってしまっていただけで。
「フォルデさん、トマトスープは甘いのと塩っぱめなの、どちらがいいですか? 手伝ってくれたお礼に、リクエストに答えますよ」
「……塩っぱいの」
 まったく、なんで自分がこんなところでこんなことをしていなければならないのか、自分だって別に暇なわけではないのに、やることは山ほどあるのだ、自分だって貧乏なのだから稼ぐ算段をしなければならないし、そのための空き巣の計画やら警察の情報の入手やらクズども――テロリストどもの動きの目星をつけることやら、本当にやることは山ほどあるのに、なんで、こんなところで、こんなことを。
「はい、フォルデさん」
「あ?」
 わずかに声の方を向く、や口の中に温かいトマトスープが飛び込んできた。スプーンを口の中に差し込まれたのだ、と一瞬遅れて気づく。思わず眉を寄せたが、相手――アマノキイチは気にした様子もなく、にっこり微笑んで言ってきやがる。
「味見してもらえますか? 一応、リクエスト通りに塩を利かせてみたんですけど。まぁ、あんまりたくさん使うわけにもいかないんで、薄めの味付けですけどね」
 フォルデは顔をしかめながら口内のトマトスープを飲み下し、ぎろりとアマノキイチを睨みつけ、怒鳴ろうと口を開け、なんと怒鳴るか迷い、しばらく逡巡して、結局こんなことを言ってしまった。
「……うめぇよ」
 すると、アマノキイチはにっこり嬉しげに笑って、こう言いやがるのだ。
「よかった。食事の時はもっとおいしくできるように頑張りますね」
「…………」
 フォルデはむすっ、と顔中をしかめて、仕事に戻った。なんなんだ。本当になんなんだこいつ。なんでこんな奴がこんなところにいやがるんだ。
 明日には、隣にいる人間の命が失われているかもしれないこの国で。

『いっただっきまーっす!』
 昨日と同じ、おそろしく元気なガキどもの声。その中の何人かに、怪我をしている者がいるのを認め、フォルデは顔をしかめた。テロに巻き込まれたか馬鹿どもに因縁をつけられたか。貧しく、常に争いを続けているこの国では、子供がひどい扱いを受けるのは日常茶飯事だった。貧困や荒廃による被害は、常に弱い者を最初に、かつもっとも多く直撃する。
「またあなたが、こんなに早く来てくれるとは思わなかった。嬉しいわ、フォルデ」
「……はぁ」
 院長先生がにこにこと話しかけてくるのに、ぶっきらぼうに答える。だが院長先生は気にした風もなく、あれこれと自分に話しかけてくる。この人は本当に変わらない。よくこの国で、こんなにもまともに優しい人間でいられるものだ。
 深い信仰を持っているから、などという理由などではないだろう。フォルデは聖書に書かれているたわごとを信じるほどおめでたくはない。苦難は善人にではなく悪人にこそ優しい。貧困は貪欲さを、荒廃は猜疑心を、苦難は周囲への憎悪をこそ育てるのだ。自分のように。
「あなたはちょくちょくお金を預けてくれるから、私たちのことを覚えてくれていたのだろうとは思っていたけれど」
「! ……ご存知、だったんですか」
 思わず顔を熱くしながら、視線を逸らしつつ言う。別に、善意でやったわけではない。金が余っていた時に、なんとなくの気まぐれでやったことだ。昔ずいぶん世話になったから、今も同じように孤児院を運営しているのだとしたら金がいるだろうし、だったら金を余らせるよりは必要なところに渡した方がより経済も活発になって金持ちが多くなり、見入りも多くなるだろうと思ったからというだけの、ただの。
「もちろんですとも、気づかないわけがないでしょう? あなたは昔からとても優しい子でしたからね」
「……俺は、そんなんじゃ、ないです」
「なにを言っているの、あなたは昔から、意地っ張りではあるけれど、とても優しい子よ。目の前に困っている人がいたら、助けずにはいられないような。キイチと同じね」
「あいつと同じ?」
 思わず目を見開いて言うと、院長先生はにっこり微笑んでうなずいた。
「ええ。あの子もいろいろ言ってはいるけれど、結局は私たちを放っておけないから国に帰らないのよ。豊かな国に帰ってしまったら、私たちのことが見えなくなってしまうから、だから帰らないのだわ」


「あれ? フォルデさん。こんなところでなにやってらっしゃるんですか?」
 礼拝堂を入ってすぐの通路で、きょとん、とした声にフォルデは顔をしかめた。声の主であるアマノキイチは、とことこと自分の隣まで歩み寄り、気遣わしげに顔を見上げる。
「……てめぇこそ、なにやってんだ」
「俺は洗濯が終わったのでとりあえず自由時間です。なにをしようかな、と思ってここまで来たら、フォルデさんがいらっしゃったので」
「……あっそ」
 ぶっきらぼうに答えて顔を見ようともしない自分に、アマノキイチはなぜか微笑んで、ひょい、と椅子に座った。そして同様に、その通路を挟んで反対側の椅子に座るよう示す。フォルデはそれを無視したが、気にもせずにこにこと喋った。
「フォルデさんって、すごくこの教会の方たちに人気があるんですね。俺、いつもフォルデさんのお話聞かされてたんですよ。だからどんな人なのかなぁって、いつも考えてたんです」
「……だからなんだよ」
「だから、ってわけでもありませんけど。フォルデさんが本当に優しい人なんだなってわかって、嬉しかったです」
「なっ」
 思わず目を見開いて睨むが、アマノキイチは気にした風もなく、礼拝堂奥の十字架を見上げて言ってくる。
「優しさって、難しいですよね。自分が幸せだから発揮できる優しさも、苦しいからこそ発揮できる優しさもある。相手にしてみれば不本意でしかなかったり、拒絶されたり、腹を立てさせてしまったり。……それで、フォルデさんのは、俺のと似てるんじゃないかな、って思ったので」
「はぁ!?」
 驚きのあまり睨むのも忘れて目と口をかっ開くと、アマノキイチはこちらを向いて、にこっと優しく笑んでみせた。
「『優しい人に優しくしたい優しさ』なんじゃないかな、って」
「っ……」
「世界には嫌なことがいっぱいあって、ひどい人もいっぱいいて。それでも確かに、その中にも頑張って人に優しくしようとしている人はいる。そういう人に、ひどい扱いをされた時に怒ったり、誰かを救おうとする時に手伝ったり、辛い時に励ましたり、そういうことをしたい、って思う人なんじゃないかな、って思ったんです、お話を聞いてて。だから、勝手に親近感持っちゃったんですよね。お気に障ったらごめんなさい」
「……阿呆か。俺がそんなお人よしに見えんのか」
「お人よしではないかもしれませんけど、優しい人を放っておけない人だとは思います」
「っ……」
 ぎっ、とフォルデは睨むが、アマノキイチはにこにこと穏やかな笑みを浮かべながらこちらを見ている。院長先生に似ているような、けれど確かに違うその笑みに気圧されて、フォルデはぷいとそっぽを向いた。

 そんなことが、何回かあった。別に習慣づくほど頻々とではなく、そう何度もあったわけではなかったが、確かに何回かは、そういうことが。
 一緒に料理を作り、孤児院の手伝いをし。たまたま礼拝堂で顔を合わせて、少し話す。だから別にどう、ということではないのだが、確かに、何回かは。
「フォルデさんって、好きな料理とかありますか?」
 ある時にこんなことを聞かれて、フォルデは顔をしかめた。
「なんでんなことお前に言わなきゃなんねーんだよ」
「あはは、だって俺料理担当者ですから。必ず作れるかどうかはわかりませんけど、言っといたらたまたまそういう材料が手に入った時に作ってあげられるかもしれませんよ?」
「余計な世話だ。別にてめぇになんざ作ってほしかねぇ」
「ああ、作ってほしい人がいるんですか」
「なっ、んなんじゃねーよっ! 食いたい時には自分で作んだからいーだろが」
「へぇ、自宅で作れるくらい簡単な料理なんですか?」
「たりめーだ。牛スジの煮込みなんざ根気がありゃ誰にでも作れんだろーが」
「牛スジの煮込みかぁ……確かに数日火を一箇所占拠しちゃうから、ここでは難しいかもしれませんね」
「っ……(ようやく問いに白状してしまったことに気がついた)……ってめぇは、どーなんだよ」
「え? 俺ですか? うーん、豚の角煮……は醤油やらなにやらこっちでは手に入らない調味料が必要になりますからねー」
「ふん。だったらとっとと国に帰りゃいーだろが」
「あはは、心配しなくても、帰りませんよ」
「っ、別に心配なんてしてねぇ!」
「じゃあ、フォルデさんは、趣味とかあります? 好きなこと。やってて楽しいと思うこと」
「そんなもんを持てるほど余裕のある人生は送ってねぇよ。てめぇはさぞいっぱいあったんだろーな」
「あはは、別にいっぱいってほどじゃありませんけど。一応、テニスが好きでした」
「……テニス? 球遊びかよ」
「ええ、ただの球遊びと言えば球遊びなんですけどね。俺としては、一応人生懸けてやってたつもりでした」
「………そうかよ」
「でも、試合の時にミスして。試合相手に球をぶつけちゃったんです。試合相手は死にはしませんでしたけど気絶して、病院に運ばれました。俺、それがショックで、テニスができなくなっちゃって」
「……ふーん」
「そんな時にこっちに来る話が出て、やってきて。テニスをする場所もなくなって。両親が死んで……なんだか、ラケットを振ってたのがすごく前のことみたいな気がします。ラケットやボールの感触は、すごくはっきり思い出せるのに」
 そう十字架を見上げて微笑むアマノキイチの顔に、フォルデはムッとした。ひどく、心底から腹が立った。
「やりてーんなら、やりゃいいだろ」
「え……でも、ここではそんな暇は。ラケットもボールもコートもないですし」
「っぜぇな! ぐだぐだくだんねーこと抜かしてんじゃねぇ、てめぇがやりてぇことをやんねぇのに言い訳すんなボケッ!」
 怒鳴ったフォルデにアマノキイチは目を見開いてぽかんとし、それからふふっと笑った。
「そうですね――本当に、そうです。やりたいことをやるのにも、やりたくないことをやらないのにも……やりたいことをやらないのにも、言い訳とかしちゃいけないですよね」
「……たりめーだ、タコ」
 言ってぷい、とフォルデはそっぽを向いた。こいつのあんな顔、絶対に手に入らないものに憧れるような顔、自分は絶対に許してなんかおかない。


「……んだ、そりゃ。どういうことだ」
 低く言うフォルデに、相手の情報屋は苦りきった声を出した。
「どういうこともなにも、言ったままとしか言いようがない。聖イオリア孤児院を襲撃するべく、テロリストどもが動いてる」
「なんであんなとこにテロが来る! よそ者に媚びてるわけでも金を稼いでるわけでもない、ただの孤児院だぞ!」
「テロリストどもにゃそんなことは関係ない、ただ大義名分が立てばどこだって襲うさ。あいつらの目的はこの国を混乱させて出てきたよそ者の軍を一人でも多く殺すことなんだからな」
「だからその大義名分が立たねぇだろっつってんだ! 国の孤児院だぞ!? 戦災孤児のガキどもがうじゃうじゃしてるあんなとこ襲って、いったいどんな大義名分が」
 情報屋は、顔をしかめてぼそりと告げた。
「あそこに、日本人のガキがいるらしいって噂になっててな。アメリカに媚びる国に媚びる誇りなき場所を誅する、って馬鹿馬鹿しい声明が、政府に出されたらしい」
「――――」
 フォルデはぐるり、と情報屋に背を向けて走り出す。情報屋も止めはしなかった。
 銃はいつも持ち歩いている。ねぐらに寄ってそれ以上の武装を持ち出す暇はない、そもそもこれ以上にろくな武装をフォルデは持っていない。
 早く行かなければ。早く、早く。早くあの人たちのところへ。
 一瞬ちらりとアマノキイチの顔が脳裏をよぎったが、フォルデはそれを無理やりねじ伏せるように消した。今は、よけいなことを考えている暇はない。

 だが、全速力で向かっても、フォルデは間に合わなかった。
 爆弾が爆発した跡にいつもあるような、粉々に粉砕され、あちらこちらが熱で溶けた建物。すでにそこには何十という死体が積み上げられ、血と死臭を撒き散らしている。フォルデは呆然と、それを見つめた。
 間に合わなかった。なにもできなかった。彼らが死ぬのを、ただ放っておくことしかできなかった。
 なぜ。なぜ。なぜなぜなぜなぜ。そんなことはわかりきっている。この世界はそもそもが、最低にクソッタレな代物だ。人は死ぬし期待は裏切られるし希望なんてものは端っから存在さえしやしない。優しい人は、善人は、クソどもによってたかって嬲り殺されるようにできているのだ。
「……クソ、ったれが」
 低く、呻く。殴られ、傷つけられ、体のあちこちを失いさえしながらもひたすら元気にメシに群がっていたガキどもは、もう絶対に動くことすらできない。
「ど畜生、が……」
 どんな時も笑顔で、誰にも優しく振舞い、こんな国でひたすらに人を愛し続けた院長先生は、もう二度と笑うことはない。
「……クソ、がぁっ……!」
 恵まれた国に生まれ、死ぬほどの体験をしたのに、笑顔で優しく振舞った、フォルデの優しさが自分に似ていると、そう言った少年は、もう、どこにもいない。
「……まったく、ひどい話だ。これだけの子供が死んで、生存者が一人だけとは」
 ふいに耳に、そんな言葉が入ってきた。
 と思うや、フォルデはそれを発した男へ駆け寄り胸倉をつかんでいた。男がひっ、と呻いて固まるのに、低く問う。
「生存者が一人、っつったな、お前」
「は……い」
「いるのか。この孤児院の、生存者」
「は、い……一人。ひどい、怪我は、ありました、が」
「誰だ。そいつはどこにいる」
「ひ! な、名前は知りません、が東洋人の少年で……今は、市立救急病院に……」
 最後まで聞かないまま、フォルデは走り出した。

 病院なんてものに馴染みはなかったし、馴染みたいとも思っていなかった。医者なんてものは貧乏人からあるだけ金をこそげ取る権力者の寄生虫の一匹だ。
 だが、フォルデは医者にも、看護士にも必死に頭を下げて時には賄賂を払い、何十人もの金のない人間が押し込められている病室の一角で、まだ包帯に血のついているアマノキイチを見つけた。
「…………、…………」
「あなた、この子のお知り合い? だったらこの子の親御さんがどちらにいらっしゃるかご存じないかしら。親戚でもいいんだけれど。本当に、この病院に来るのは毎日毎日治療費を払うこともできない人ばっかり! 私たちがこんなに一生懸命働いているのに、お上ときたら予算をろくに下ろしもしないんだから! 薬代だってまともに出ないっていうのにねぇ……」
「…………、…………」
 フォルデを案内してきた看護士は、それからもしばらくやかましく喋っていたが、フォルデがまるで反応しないので諦めたのか、その場を立ち去った。フォルデはじっと、無言のままベッドに横たわるアマノキイチを見つめる。
 頭には何重にも包帯が巻かれ、まだ完全には縫合されていないのだろう、じんわり血がにじみ出ていた。腕にも、手にも、体にも、深く傷がついているし、足は折れ、血がにじみ出て、まともに歩けるようになるかどうかもおぼつかない。
 けれど、生きている。まだ、息をしている。
 フォルデは、うつむいてアマノキイチの顔を見つめた。だらんと放り出された傷のない方の手を、そっと握った。
 それから、声を殺してしばらく泣いて、顔を上げ、その場を立ち去った。

 騎一が目を覚ました時、最初に感じたのは花の香りだった。それから、体中に鋭く走る傷の痛み。
 そろそろと目を開ける。そこは清潔な病室だった。どこもかしこも掃き清められ、枕元にある花瓶には花が生けられている。広々とした室内の中央にひとつだけ置かれている大きなベッド。その上にたった一人、騎一は横たえられていた。
 状況がつかめず呆然としていると、病室の扉ががらりと開いて看護士らしき女性が入ってきた。とたん、目を輝かせて話しかけてくる。
「あら! お目覚め? よかったわ、うちの病院でも一番の先生の治療を受けたんだから心配はしてなかったけど」
「あの……ここは。俺は、いったい?」
「ああ、そうね……あなたのいた孤児院? だったかしら? そこがテロリストの襲撃を受けたそうで、あなたはこの病院に運ばれたの。ああでも心配しなくていいわよ、治療費は全額すでにもらってるし、あなたが動かせるようになったら日本へ運べるように、手配もされてるそうだから」
「ち……治療費って、誰が、ですか?」
「さぁ……顔を見せたのは一度きりだから、私は顔は知らないけど、なんでも銀髪の男性だそうよ」
「銀、髪……」
「ああそう、その人からメッセージカードが届いてるの。いつでも見れるように、あとお守りになるように、枕元のサイドボードの小物入れに入れてあるから、今出してあげるわね」
 そうして看護士に手渡されたカードには、右肩上がりの文字で、そっけない一文が書かれていた。
『お前がやりたいことをやれる場所に帰れ』
 差出人も、詳しい事情も書かれていない、ぶっきらぼうなその文章を、騎一は呆然と見つめた。


 この国、どころか周囲数国の暗黒面を取り仕切るといわれている銀星の<tォルデには、何人であろうとも決して邪魔させない日課のひとつとして、『テニス情報のチェック』というものがある。新聞やニュースのみならず、外国の雑誌まで取り寄せて、テニス選手やらなにやらの情報を調べる。そんな習慣を、彼はずっと続けていた。
 その情報を得た者が、彼がテニスが好きなのかと思い込み、ウィンブルドンの観戦チケットを贈ったことがあったのだが、その際わざわざ出向かれた上で『俺は、球遊びは嫌いだ』と苛烈な瞳で睨まれ言われたということがある。かつてこの国にうごめいていたテロリストたちを、周到な作戦と恐るべき熱意を持って一掃したと言われる老人の怒気に、その者は真っ青になって平謝りしたとも。
 実際、彼はスポーツ観戦の類にはまったく興味を持たず、特にテニスはテレビで流れているのを見るだけですら罵声を飛ばして消させずにはおかないというのに、なぜテニス情報をそこまで熱心に調べるのか。
 彼のかつての恋人がテニス選手だっただの、いいや彼の恋人を奪ったのがテニス選手だっただの、いやむしろテニスが嫌いだから憎悪を奮い立たせるためにテニス情報を調べずにはいられないんじゃないかだのと様々な憶測が流れたが、銀星の<tォルデ本人は決して真実を他者に語ることはなかった。もとより彼はおそろしく気難しく、かつ用意に人を寄せ付けない老人だったので、そのようなことをわざわざ訊ねる者もほぼ皆無だったけれど。

 ある朝、いつものように自宅に届けられていたテニス情報を読んでいた銀星の<tォルデは、唐突に声を上げた。
「退がれ」
「は」
 いつものように数人態勢で警護に当たっていた護衛たちは、わずかに身じろぎをした。自分たち以外に声の向けられる人間はいないが、かといってはいそうですかと退がるわけにもいかない(この老人はこの国の、それどころか世界の暗黒面すらも支えるほどの人間の一人なのだ、敵も数多い)。
「ですが」
「聞こえなかったのか。退がれ」
「しかし、万一ということがあります」
「こんなところで襲ってくるようなふざけた輩に遅れをとるほど耄碌してはいない。そもそも襲われた時は襲われた時のこと、老人一人が死んだところで屋台骨がぐらつくような組織ならそもそも存在する価値はない」
「……しかし」
「これ以上は言わんぞ。――全員、退がれ」
 百戦錬磨の護衛たちすら気圧されるほどの覇気で命ぜられ、護衛たちは全員首肯して部屋の外へ出た。たとえ妥当な判断であろうとも、主の意志に逆らった人間はこの主の下で働くことはできない。それに、周囲にどんなに無謀な判断と諌められようと、この老人が下した判断はこれまで常に正しかったのだから。
 部屋から誰もいなくなって、銀星の<tォルデは雑誌に向き直った。日本のテニス雑誌だ。その中の、特集とはとても呼べない、わずか数ページ程度しか割かれていない記事を、震える指で読み進める。
 そこには、『日本障害者テニスの父』と大仰な見出しで、ある一人の男のことが讃えてあった。五十代半ばの穏やかな面差しのその男は、車椅子に座り、ラケットを握って、写真の向こうから優しげな瞳でこちらを見つめている。
『天野騎一さん(55)は、十代前半の頃、某国でテロに遭い両親を失い、日本に帰れずにいる間に二度目のテロに遭い健常な歩行能力を失った。通常であれば運命を呪いかねなかった惨事を、天野さんは『幸運だった』と話す』
『『私はその前に日本にいた頃、テニスの試合中に相手に怪我をさせてしまったことがありました。そのせいでラケットも持てなくなって、テニスから遠ざかっていたんです』』
『『けれどあの国に行って、テロに遭い。両親を失って。それ自体はやはり悲しいことでしたが、そこでようやく私は、この世界がそもそもいかに多くの悲劇に満ちているかに気づいたんです。衣食住が満たされ、教育が受けられる。日本国憲法のいう健康で文化的な生活≠ナすら、富裕さとしっかりした法制度のある場所でなければ実現しえないものなんですね』』
『『世界は悲劇に満ちている。そして悪意に満ちている。傷ついた人を蔑んだり、疎んだり。弱い者から奪ったり。そういった悲しい事実がこの世界には蔓延しています。良識者と呼ばれる方々がなんと言おうと、絶対的に確かに。けれど同時に、これも絶対的に確かに、どんなに貧しく救いのない場所でも、他者に対する優しさを持った人はいる、と私は知っています』』
『『テロで両親を失って途方に暮れる私を救ってくれた、孤児院の院長先生がいました。自分も貧しいのに食料を分け与えてくれる市場のおばさんがいました。テロに遭って怪我を負った、何回か会っただけの相手でしかない私の居場所を突き止めて、治療費を払い日本まで運ぶ手続きを取ってくれた人がいました』』
『『その人の言ってくれた言葉を、私は今でも覚えています。『やりたいことをやらないのに言い訳をするな』と、その人は言いました。私は怪我を負って二度とまともに走ることはできない、けれど『だからテニスができない』わけではない。『テニスをしない』と決めたのは私であり、同様に『テニスをやる』と決めるのもまた、私の意志なのです』――』
 指が震え、まぶたが熱くなる。目の中からこの数十年、浮かべたことすらなかった涙がこぼれる。
「アマノ………キイチ」
 フォルデはこぼれる涙を押さえるように、右手で顔を覆った。


騎一「はい、『近現代、情勢不穏な某危険地域の孤児院で働く少年と軽犯罪者』でしたっ。どうでしょう、みなさん楽しんでいただけましたでしょうか?」
フォルデ「………………」
騎一「フォルデさん、そんなに顔しかめなくても……いいじゃないですか、いいお話だったでしょ?」
フォルデ「………っ知るかっ、なんで俺があんな……っつか俺はな、別に……だークソッ……がーっ!」
騎一「そんなに怒らなくても……そりゃ、俺が相手じゃご不満だったでしょうけど」
フォルデ「べっ、別にんなこと一言も言ってねーだろっ! てめぇがどうこうじゃなくてなぁ」
騎一「あ、本当ですか? 俺、ちゃんとフォルデさんの相手役、演れてました?」
フォルデ「う……まぁ、その。よかった……んじゃ、ねぇの?(顔赤らめてそっぽ向き)」
騎一「よかった。フォルデさんもすごくよかったです。一緒にやれて楽しかったです、また機会があったらご一緒しましょうね?」
フォルデ「……おう。……あークソッっとになんで俺があんな、っつか俺は別にんなこと考えてるわけじゃ」
騎一「あはは。まぁこんな感じの拍手小話がしばらく続くと思いますので、みなさん気が向いた時に見てくださると嬉しいです!」

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