拍手ネタ小説『全然関係ない二人を適当な状況にぶっ込んでみました』
〜『現代日本スポーツ校美術部員とサッカー部員』

セオ「えと、あの、えと、こ、こん、にちはっ。DQ3・1st『君の物語を聞かせて』で勇者をしているっ、セオ・レイリンバートル、ですっ」
アルバー「よーっす、世界樹の迷宮、ギルド『フェイタス』のソードマン、アルバーだぜっ」
セオ「えと、今回の拍手小話はっ、『全然関係ない二人を適当な状況にぶっこんでみました』というお題の一環としてっ、俺たちを使ってっ、『現代日本スポーツ校美術部員とサッカー部員』というシチュエーションを実現、するそうですっ」
アルバー「やー、今回はセオが相方かー、よろしくなっ! ……しっかし俺たちみてーなカタカナ名前が現代日本のコーコーセーって、けっこームリねーか?」
セオ「えと、それは、あの、『現代日本と同様の文化風俗を持ったカタカナ名前の国』というのが正確、なんでしょうけど、題は簡潔であるべきだろう、って管理人、さんが」
アルバー「へー……あ、そーだっ! お知らせ! 今回は拍手小話、十話じゃなくて前後の会話入れても九話になってますっ!」
セオ「これまでのような、十話構成だと、全部読んだ時に感想が送れない、というお言葉を、いただきまして、改善を試みた結果です。どうぞ、ご了承くださいませ」
二人『では、どうぞっ!』


 東銘中央高校サッカー部で、二年ながらエースストライカーを務めるアルバーは、練習に打ち込みながらも頭のどこかでちらちらと、グラウンドの隅で一人こちらを見ている少年のことを気にしていた。
 アルバーは見たことのない顔だ。遠目で細かい顔貌はよくわからないが(今は夏なこともあり学年もわからない)、どちらかといえば華奢で子供っぽく見えた。黒髪に蒼い瞳の、びっくりするくらい肌の白いその少年は、炎天下のグラウンドの隅にちょこんと体育座りで座り、じっとこちらを見つめ、一心になにかをスケッチしている。
 なにやってんだろあいつ、とアルバーは思った。自分たち(この第二グラウンドにいるのは自分たちサッカー部員だけなのだから、そのはずだ)をスケッチしているからには絵を描こうというのだろうが、なんでわざわざあんなところでスケッチしているんだろう。
 期末試験が終わり、もうすぐ夏休みが始まろうという自分たちでもぶっ倒れそうな時期。そんな時にどうしてひ弱な文化部員がわざわざあんなところで。動かなくても直射日光が当たるだろうに。普通ならどこか屋内からするものなんじゃないか? よく知らないけど、少なくともあんな風にグラウンドで絵を描いている奴は初めてだ。
 もちろん練習に集中できないほど気にしていたわけではない。ただ、なんとなくちらちら目に入ってきたので、ちょっと気になってしまっただけだ。
 が、意識的に目を逸らそうと頭を巡らせかけたとたん、はっとした。少年がふらりと首をゆらめかせた、と思うが早いか、崩れるようにばったりと倒れたのだ。明らかに意識のない人間の動きで。
 アルバーは考えるより早くばっと手を上げて叫んだ。
「部長! あそこで倒れてる奴、保健室に運んできますっ!」
 言うやパスされたボールをぽんと味方に向け跳ねさせて、駆け出した。


「日射病ね」
 保健室のおばさんは、いつも通りに愛想のない声であっさりと言った。
「日射病かぁ。ヘンなビョーキってわけじゃねーんだよな?」
「変な病気ってなによ。とにかく、他に病因があるわけじゃないわ。まったき日射病、間違いなし。……ただ、この子はもともと体が弱いみたいだからね。具合が悪そうに見えるんでしょう」
「え、こいつ体弱いの?」
「どこからどう見てもそうじゃない。肌が異常なくらい白いし、華奢だし。君みたいな体育会系とは正反対のタイプ」
「ふーん……」
「とにかく、親御さんに連絡した方がいいわね。君、ちょっとこの子の服緩めて」
「へーい」
 言われてアルバーは手を伸ばし、その少年のシャツのボタンに手をかけた。
 とたん、その少年がぴく、と動いた。そしてのろのろと目を開ける。起きたのか、じゃあ自分でさせた方がいいかな、と手を止めて見やると、少年はのろのろと手を上げようとして、そのままぱたりと落とす。
「へ? ……え、おい、どーした、大丈夫か?」
「大丈夫なわけないでしょ、日射病なんだから。いいからとっとと服緩める」
「え、でもさっき起きたじゃん」
「起きても体が動かないの! いいからさっさと緩める!」
「へーい……いいか? 開けるぞ?」
 一応確認を取ると、少年はこくりと小さくうなずいたように見えたので、気兼ねなく前を開ける。少年のシャツの下は、予想通りに真っ白だった。ときおり服の締めつけの跡か、赤い線が残っているのが鮮やかに見えた。
 それから先は保健室のおばさんの独壇場だった。素早く用意した水を少年の口に含ませ、ぱたぱたと風を送り、とやっているので、もう自分はいなくてもいいだろうと判断して手を上げて言う。
「じゃ、俺グラウンド戻りますんでー」
「はいはい、ありがとね」
 くるりと背を向ける――前にちらりと少年がこちらに視線を向けたような気がしたので、軽く笑って手を振ってからちゃんと背を向け保健室を出た。


 一学期の終業式。学校行事がある日は朝練がないので、時間ぎりぎりに校門を抜け、のんびりと昇降口に入る。今日は授業がないのだから、遅刻してもまぁいいだろうという気分だ。
 と、自分の下駄箱の前に立っている少年を見つめ、アルバーは目を見開いた。数日前グラウンドで倒れ、保健室へ運んだあの少年だ。
 思わず笑顔になり、駆け寄ってぽん、と肩を叩く。
「よっ、元気そうじゃん!」
 とたん、その少年はびっくぅっ! という感じに飛び上がった。それからおそるおそる、ひどくびくびくおどおどした雰囲気を振りまきながら、そおっとこちらを見上げてにこにこ笑っている自分と目が合い、またびくっとしてうつむいてから、またそろそろと顔を上げて言う。
「あ……の」
「ん?」
「あ、るばー……さん、です、か?」
「へ?」
 言われて初めて気がついた。そういえば自分はあの時名乗っていなかった。それに向こうは気絶していたのだから、自分の顔すら知らないかもしれない。
「あー、悪い悪い。名乗ってなかったの忘れてたぜ。俺、アルバー。お前は?」
「あ、の……セオ・レイリンバートル、です」
「へー、なんかカッコいい名前だな。学年は?」
「あの、二年……です。C組、です」
「マジで!? 下かと思った。俺も二年なんだ。A組」
「あの、はい……知って、ます。養護教諭の方に、お聞きしました」
「ようごきょうゆ……? あー、保健室のおばさんな。え、でもなんで? なんか俺に用?」
「は、い。あ、の………」
「うん?」
 少年――セオは勢いよく頭を下げ、掠れた声で叫ぶように言った。
「俺なんかに言われても本当に迷惑なだけだとは思いますけどっ、本当に、本当にありがとうございましたっ!」
「…………」
 アルバーは思わず目をぱちぱちとさせたが、すぐに笑って答えた。
「なんだよ、それでわざわざ? 気にしなくていーってのに」
「え……い、いえあの、そんなその、あの、なにかお礼をしなくちゃって思って、それでその、ご迷惑かとは思うんですが、なにか……俺にできることは、ない、でしょうか……?」
「だからいーって……」
 と言いかけて、アルバーはふと思いついた。
「んー……そーだな。今日、お前時間ある? 遅くなっても親怒んねぇ?」
「え? あ、はい」
「だったらさ。今日ウチの部活早上がりだから、夕方の五時か、五時半ぐらいにこの玄関集合な。遅れんなよ」
「は……」
 一瞬ぽかんとした顔をしてから、セオは顔をへちゃ、と崩し(これ笑ってんのか? とアルバーはこっそり首を傾げた)。
「はい」
 そう、静かにうなずいた。

「おー、悪い悪い、待ったかー?」
「え、いえっ、あの、全然待ってないですっ」
 五時半をだいぶ回った頃に昇降口に来ると、セオはすでに来て待っていた。軽く挨拶してから、靴を履き替え歩き出す。
「駅前にスポーツショップがあんだけどさ、そこにつきあってもらいてーんだよ」
「はい」
「お前スポーツする? なんか体弱いとかおばちゃん言ってたけど」
「え……いえ。これといって……」
「だよなぁ、してたらんな細っこい体してねーよな。もーちょい鍛えろよー、体弱くてもトレーニングはできんだぞ、今いろいろあるじゃんそーいうの」
「えと……はい。そうですね。やってみます」
「おー、そーしろそーしろ。つかトレーニングっつやさぁ……」
 などとしょうもないことを話しながらてろてろ歩く。セオは自分からはまったくと言っていいほど話題を振らず、ひたすら自分の言うことにうなずくだけだったが、どちらかといえば話したがりなアルバーとしては別に気にならない。
「お、ここ、ここ。いっつも俺ここ使ってんだ。ウチのガッコ御用達なんだぜ、この店」
「そうなん、ですか」
「んーで、ここの……おーあったあった、これこれ!」
 嬉しさに思わず笑んで二足のシューズを取り上げる。一週間以上前から目をつけていたやつだ。
「な、これとこれ、どっちがいいと思う?」
 ばっ、と差し出し言うと、セオは目をぱちぱちさせてから首を傾げ訊ねてきた。
「アルバーさんは、普段は確か、こちらのシューズの、前のモデルを使われて、ましたよね?」
「え、よく知ってんな。うん、普段っつーか、今はこれのいっこ前のモデル使ってんだけどさ、わりと使い心地よかったんだけど、ヴィルは、あヴィルってサッカー部の俺のダチな、こっちのモデルのがいいっつーんだよ。だからこれを機会に変えてみんのもアリかな、って思って」
「試し履きして、みました?」
「んー、してみたけどさ、やっぱこーいうのは実際に使ってみなきゃわかんねーからなー。どっちも履き心地はよかったけど」
「そう、ですか……」
 少し考えるようにまた首を傾げてから、セオはおずおずとこちらを見上げた。
「あの……俺の、参考意見でよければ、ですけど。……こちらの方が、いいんじゃないかと思い、ますけど」
 そう言ってセオが示したのは、アルバーが使っているモデルの後継の方だった。
「お、そう? なんでなんで?」
「あの、こちらももちろんいいんですけど、アルバーさんのプレイスタイルだと、FWということもあって、スパイクには全体的なグリップの効きやすさが重要、ですよね? グリップ性は、こちらの方が優れていると、聞いたので……少しでもスパイクに近い感覚で履ける方がいいんじゃないか、と。耐久性はどちらも同じぐらいですし。どちらも履き心地がよかった、ということなら、こちらの方がいいんじゃないか、と。……もちろん、最終的に決めるのはアルバーさん、ですけど」
「へー、詳しいんだな、セオ。スポーツやんないのに」
「え、いえ、そんなっ! 俺はただ、たまたま、ちょっと調べる、機会があった、だけで」
「あはは、謙遜すんなって。よっし、こっちに決めた! サンキュな、セオ!」
「い、いいいいえそんな、本当に俺はなんにも、全然」
 泡を食ってぶんぶんと首を振るセオに笑って、アルバーはとっとと薦められたシューズをレジに持っていって金を払った。
「え」
「ん? どした?」
「……あ、の。俺が、払う、んじゃ……?」
 はぁ? とアルバーは思わず眉をひそめた。
「なに言ってんだよ、これ俺のシューズじゃん。俺の使うもんに俺が金を払うのは当たり前だろ」
「あの……えと、はい。すいません、差し出がましい、ことを」
「いや、別に差し出がましかないけどさ」
 包んでもらったシューズを手に取って、店を出かけながらセオを手招きする。
「来いよ、セオ。付き合ってくれたお礼にジュースおごってやるからさ」
「え!」
「なんだよ、え! って。俺そんなにケチに見えるか?」
「いいいいえ、あのっ。そんなことはないんですけど、あの。今回は、俺の、お礼と、お詫び……」
「だから、お礼にシューズ選び付き合ってくれたじゃん」
「あの、だってあの。俺なんかが、シューズ選びに、そんなに役に立てたとは、思えま、せんし」
「別に役に立ってもらおうって思って誘ったんじゃねーって」
「え……」
 セオはぽかん、と口を開けた。それからおずおずとアルバーを見上げ、訊ねる。
「あの……じゃあ、なんで……俺を?」
「だって一人じゃつまんねーじゃん」
「……俺が、いても、面白くは、ないと」
「んなことねーって。そこそこ面白かったぜ。好きなように話せたからさ」
「…………」
 未だにぽかん、と口を開けたまま、セオはわずかに目を見開いた。


「よ、セオ!」
 それから、アルバーはセオを見つけると、そう声をかけるようになった。
「あ……こん、にちは」
 そのたびにセオはへちゃ、と顔を崩し、そうおずおずと頭を下げる。
「なー、最近グラウンドに来ねぇよな? どこで絵ぇ描いてんの?」
「えと、あの、教室とか、美術室、とかです。一応、美術部、なので」
「あー、やっぱ美術部だったんだお前! 絵完成したら見せろよなっ」
「え、と、はい……」
「じゃーなっ、俺購買行くから!」
「はい。お気をつけて」
 声をかけるだけで立ち去ることもあれば、そんな風に少し立ち話をすることもあった。認識してみれば、セオとはなぜかよく会うのだ。廊下で会う時こともあれば、エントランスで会うことも、昇降口で会うこともあった。時間も朝、休み時間、昼休み、放課後、早めに終わった部活後(基本的に東銘中央サッカー部は夜八時頃まで練習するのだ)、のみならず休日の練習日の時もあった。ただ、どんな時も一日に一回を超えることはなかったし、毎日会っているわけでもなかったが。
 美術部って熱心に活動してんだなぁ、とアルバーは内心感心したりしていた。スポーツ校である東銘中央は体育会系の部活はほとんどのところが熱心で強いが(設備も当然整っている)、文化部はどこも不熱心なことこの上ないと聞いていたのだが、セオとは休日(夏休み中にも)や部活後などに会うこともけっこう多かったのだ。
 ともあれ、アルバーにとっては会った時にちょっと話すくらいの友達が一人増えた、というだけのことだったので、当然別になんの変化もなく毎日は過ぎていった。

 晩夏。
「よ、セオ!」
 いつものようにアルバーは声をかけた。今日会ったのは昇降口だ。いつものようにスケッチブックを小脇に抱え、下駄箱に背中を預けてじっと遠くを見ていたセオは、アルバーが声をかけるとはっとした顔になってこちらを向いた。
「あ、の、こん、にちは。アルバーさん」
「おう! ……っつか、なにやってんだ、こんなとこで。もう放課後になってけっこう経つぜ」
「あ……はい。帰ろうと、思っていたところ、です。……アルバーさんは、どちらに? 今日は、サッカー部も、ミーティングだけ、ですよね……?」
「おう! けどなんか物足りなくて個人練習してたら、今日は体を休める日なんだからとっとと帰って休めって怒られちまってさー」
「アルバーさん、らしいですね」
「そっかぁ? ま、俺練習嫌いじゃねーし。んじゃーなっ、俺帰るわ!」
「あ、はい……どうぞ、お気をつけて」
「おうっ」
 言ってアルバーはさっさと靴を脱いで昇降口から降りる――が、なんとなく気になって物陰に隠れてセオの様子をうかがった。つい話の流れでスルーしてしまったが、なんでこんなところにいるのかちょっと気になったのだ。
 見られていることなど知らないセオは、アルバーの出て行った方を見て小さく息をついた。かと思うとその場にしゃがみこみ、スケッチブックを開いたかと思うとすさまじい勢いでペンを走らせ始める。
 なんだ、なにかスケッチしたかったのか、と納得して、アルバーはその場を去った。

 秋。
 部活の後、教室に忘れ物をしたのを思い出し、アルバーは慌てて教室へと向かった。陽が落ちるのが早くなっているとはいえ、サッカーはこれからがシーズンだということもありサッカー部は毎日夜遅くまで活動している。なのでこれ以上遅くなったら用務員さんに鍵を開けてもらわなければならないところだ。
 叱る人間もいないのをいいことに、どだだだだと音を立てて廊下を走る。階段を三段飛ばしで駆け上がり、教室まで数秒で到達。さっさと忘れ物を見つけ、教室の外へ――
 と、ふと人の気配を感じた。動いた音や息遣いが聞こえたわけではないのだが、もともと田舎育ちのアルバーは生き物の気配を察するのに長けている。もしや、泥棒……? と疑念を抱いたアルバーは、だっと走り出してぱぁん! と隣の教室の扉を開いた。
 そこには誰もいない。一応掃除用具入れも開けて確認する。当然教卓の下も。
 だがやはり誰もいない。む、と唇を尖らせたが、近くから気配がしたのは確かなのだ。まただっと走り出し、今度はC組の扉をぱぁん、と開ける。
 や、きぃ、と非常階段の扉が開く音が聞こえた。もしや自分が教室を探している間に!? と慌ててそちらに走り、ばぁん! と金属扉を叩き開け、カンカンカンと音を立てて階段を駆け下りていく奴めがけ、階段を手すりを使って一階ずつ飛び降りる。
「待てぇっ……え」
「……っ、は」
 階段の一番下で追いついたその相手は(アルバーにとっては思わず目を見開くほど意外だったことに)、セオだった。ぜぇはぁと息を荒げつつ、くたくたとその場に倒れるようにしゃがみこんで手を地面についている。
 アルバーはしばしぽかんとセオを見つめてから、ようやく自分なりに状況を呑みこんでぽりぽりと頭をかいた。
「や、悪ぃ。もしかして泥棒? とか思っちまってさ。つかさ、お前もわざわざ逃げることねーじゃん。俺だってことわかってたんだろ? 声かけてくれりゃあ」
 あれこれと話しかけるが、セオはこちらに応える余裕がまるでないようで、ひたすらに荒い息をついている。大丈夫かなこりゃ、と眉をひそめつつ、とりあえず落とした荷物を拾ってやろうとスケッチブックを拾った。
「……! 待……っは、げぇっ、ほ、がっは、ごほっ」
「え、おい大丈夫かよ? このスケッチブックがどうかしたのか?」
「ち……は、げはっ」
 ひたすらに咳込むセオに思わず心配になりながらも、アルバーはスケッチブックを開きぱらぱらとめくる。セオがひどく気にしているようだったので、なにか困ったことでもあるのかと思ったのだ。
 そして、思わず目を見開いた。そこには、赤毛で、褐色の、中肉中背と高身長の間くらいの大きさの男が、サッカーをしたり走ったり、なぜか鎧を着けて剣を振るったりとあれこれやっている。
 セオはげほげほと咳込みながらも、必死にこちらに手を伸ばしてくる。ということは、もしや。
「これって……俺?」
「…………」
 その問いに、セオはかーっと顔を赤らめつつも、小さくこくん、とうなずいて言った。
「はい……」
「へー……」
 さらにスケッチブックをぱらぱらとめくる。めくってもめくっても出てくるのはほとんど自分だった。サッカーウェアだったりジャージだったり鎧を着ていたり、いろんな恰好をしていろんな表情をしていろんな相手と(モンスターだったりもした)向かい合う自分。
「すげーなぁ……よくここまでいっぱい描いたな。やっぱ絵ぇうまいんだなー、セオ」
 そう言ってスケッチブックを返すと、真っ赤な顔でうつむいていたセオは大きく目を見開いてこちらをおそるおそる見上げた。
「? なんだよ?」
「あの……気持ち、悪くない、んですか」
「へ? なんで気持ち悪いってことになるんだ?」
「だって、あの。こんなに、いっぱい……許可も、得ていない、のに」
 言われて改めて考えてみる。そう言えば、確かにちょっとストーカーっぽいかもしれない。なに勝手に描いてんだと怒る奴もけっこういるような気もした。
 でもそんなことをぐだぐだ考えるのは面倒だったし、想像であれスケッチであれカッコいい自分がいっぱい描かれるというのはアルバーとしてはわりと嬉しかったので、あっさり言った。
「別に。うまいんだから、どんどん描いてっていーんじゃね?」
 その言葉に、セオは真っ赤な顔で、顔をくしゃくしゃに歪めて、というか泣きそうな顔でこちらを見上げてきた。
 
 冬。
 全国高校サッカー選手権大会、東銘中央は全国大会の第二回戦で破れた。ピッ、ピッ、ピィー、といういつものホイッスルに、アルバーはがっくりと膝をつく。いつもなら爽快感と共に味わえたその音が、今回ばかりは葬式の鐘のように聞こえた。
 挨拶を終え、チームのベンチに戻る。当然、後始末をしながらもベンチはお通夜のように静まり返っていた。アルバーも我ながら相当に落ち込んでいるな、と思えるほど落ち込んでいて、ついつい何度もため息をついてしまう。
 だが当然サッカー部としては次の大会に向け練習を始めよう、という気持ちに持っていかねばならない。負けても次の試合に向け気持ちを切り替える技術が重要になるわけなのだが、いちいちそういう意識を持たなきゃ! とやっきになるのはなんとなく違うような気がするアルバーは、ため息をつきつつたらたらと荷物をまとめた。
 そして携帯をしまおうとして、なんとなくセオに『試合負けた―! すっげー悔しい!』とだけメールを送っておいた。セオは何度も激励のメールを送ってくれたし、それに部活関係の友達でもクラスの友達でもないのでいつ会えるかわからない。なので早めに伝えておいた方がいいだろうと思ったのだ。
 そのメールに返事はこなかった。どんなメールにもいつも即レスしてくるセオにしちゃ珍しいな、とは思ったが、今はとにかくひたすら落ち込みたいアルバーは気にせずため息をつきつつチームメイトたちと学校へ向かった。
 ――そしてその途中、駅構内で、携帯に知らない番号から電話がきたのだ。
「……? もしもし?」
『すいません、アルバーさんというのは、あなたで間違いないでしょうか』
 知らない大人の男の声。訝しみながらも「はぁ」と返事をすると、相手はいくぶんほっとしたように息をついてから続ける。
『申し訳ないんですが、セオ・レイリンバートルさんのご両親の連絡先を教えていただけないでしょうか』
「え……へ? 連絡先? な、なんでですか?」
『セオ・レイリンバートルさんが倒れられたからです。国立競技場で』


 ばん! と勢いよくアルバーは病院の扉を押し開けた。人がいないのをいいことにだだだだっと受付まで走り、「今日運び込まれたセオ・レイリンバートルはどの部屋ですかっ!?」と叫ぶ。
 612号室、という返答をもらうや礼を言って再び走り出す。頭の中はとにかく「急いでセオのところに行かなければ」という考えで占められていた。
 六階まで勢いよく駆け上がり(スポーツ校の現役サッカー部だ、そのくらい屁でもない)、612号室を探す。ばっばっと周囲を見回して、奥のベッドで上体を起こして外を見ているセオを発見し、はぁ、と息をついた。
 その気配に気づいたのか、ふとこちらを向いたセオが、はっと目を見開いた。大きく身を退かせ、仰天した顔で声を震わせ言う。
「な……んで、アル、バーさん、が」
「なんで、じゃねーだろっ! ったく……もー、心配したぜ、っとによー。急に倒れたとか言うからさー」
「え……あ、の。俺、連絡、してないです、よね……?」
「あー、病院の人から連絡が来たんだよ。なんかさ、携帯に他の奴の番号が登録されてないとかでさー」
「…………!」
「お前さー、いくつ携帯持ってんのか知んねーけど、親兄弟の番号はどの携帯にも登録しとけよな? こういう時困んじゃん、緊急連絡先とかに使ったりすんだからさ」
「……ごめんなさい」
「は?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい………!!」
「え……ちょ」
 セオは唐突にベッドから滑り降り、土下座をした。ぽかんとするアルバーを前に、全力でぐりぐりぐりと頭を床に擦りつける。
「え……なに?」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい、携帯を見られるとは思ってなくて、ごめんなさい、本当に馬鹿で、愚かで、みっともなくてごめんなさい……!!」
「ちょ、落ち着けって!」
 ぐいっと抱き起して視線を合わせる。セオの顔はくしゃくしゃに歪んでいたが、目は少しも潤んでいなかった。
 看護士が駆けつけてきて、セオの体をベッドの上に戻す。それにもセオは泣きそうな、というか今にも死にそうな顔で謝った。看護士は「大丈夫ですよ」と笑顔で言いながらも、去り際にきっちり釘をさす。
「ご自分でもわかっているでしょうけれど、あまり興奮しないでくださいね。特に今は、心不全を起こしかけた直後なんですから」
「え……」
 思わずぽかん、と口を開けるアルバーに、さっと蒼褪めた顔を向けてから、おそるおそるという感じでセオは看護士にうなずいた。笑顔でうなずいてから去っていく看護士を見送り、微妙にこちらから視線を逸らすセオにこちらも少しばかりおそるおそる訊ねる。
「セオ……心不全、って」
「…………あの」
 顔は蒼かったが、セオは数度深呼吸をしてから小さな声で話を始めた。
「俺……ちょっと、心臓を患ってるんです。ただの心室中隔欠損、なんですけど。大して症状が重いわけじゃなくて、ずっと投薬で治療してきて……これまで、こんなこと、なかったんですけど。アルバーさんの、試合を見に行った時、たまたま……ごめんなさい。本当に……ごめんなさい。わざわざ、疲れてらっしゃるのに、こんなところ、まで……」
「や、そんなんは別にどうでもいいけどさ……大丈夫なのかよ? 心臓病っつーことは、手術とかした方がいーんじゃねーの?」
「……ええ。たぶん、手術することになる、でしょうね……」
「そっか……大変だな」
 ひどく芸のない言葉だとは思ったが、親戚友達どこを見渡しても全員健康な奴らばかりというアルバーにはそのくらいのことしか言えなかった。けれど、セオはへちゃ、といつものように顔を緩めて、首を振ってみせる。
「そんなこと、ないです。アルバーさんみたいに、毎日、頑張ってらっしゃる方からしたら、全然」
「なに言ってんだよ、お前だって絵頑張ってるじゃん。暑い中とか、寒い日とかにも、俺らとか他にもいろんな奴のスケッチしたりとかしてさ」
「いえ、その……そんなのは、ただ、好きでやってる、だけですから」
「俺らだって好きでやってるだけだって。そりゃ辛かったりもするけどさ、好きなことやるのに辛いの我慢しなきゃなんねーのってどんなことでもそうじゃん」
「……そう、ですね」
 小さくうつむくセオに、アルバーはぽんぽん、と肩を叩きながら言ってやる。
「頑張れよ。なんか、俺にできることあったら言ってくれよな」
「え……いえ、あの、そんなご迷惑おかけするわけにはいかない、ですから」
「なに言ってんだよ水臭い奴だなー。その口ぶりだとなんかしてほしいことあんだろ? ほら、言ってみろって」
「いえっ、あの、そんなっ」
「言ーえってば」
 そんなやり取りを数分間繰り返してから、セオはとうとう、おずおず、おそるおそる、ひどく小さな声でぽそぽそと言った。
「手術のあと……俺の、お見舞いに、来てもらえ、ますか」
「へ? なんだよ、そんなの言われなくても行くに決まってんじゃん」
 予想外の願いにアルバーは目をぱちぱちさせながら言ったが、セオは心底ほっとしたというように、嬉しそうに、ありがたそうに、泣きそうに顔を歪めながら頭を下げるのだ。
「ありがとう、ございます。本当に……ありがとうございます……」
「ったくもー、だっから水臭いんだって。気にすんなってば」
 笑ってぽんぽん頭を叩いてやると、セオは「はい」と泣きそうな顔のままうなずいてから、ちらりとベッド脇の物入れ、正確にはその中のセオの鞄を見た。
「ん? この鞄が、どうかしたのか?」
「あ、いえ、大したことじゃ、ないんです。……ただ、間に合わなかったな、って思って」
「へ? なにが」
「あの……今取りかかってる、作品が」
「ああ、絵? んなん、退院してからいくらでも描けんじゃん」
「……そうですね」
 セオは静かにうなずいた。ゆるく口の両端を吊り上げた、微笑みの表情で。


 セオの手術の日は平日だったので、アルバーはいつものように学校に行って、サッカー部の練習に励んだ。手術の日はセオの両親がついているだろうし、たまに話す程度の友達の自分が行っても邪魔なだけだろうと思ったからだ。
 手術の日の朝には『手術頑張れよ』とだけメールを送ったのだが、メールの返事は来なかった。まぁ、セオも手術の日に携帯いちいちチェックしねーかな、と思い特に気にはしなかった。
 次の日も練習。その次の日も練習。その次の日も練習。その次の日も練習で、その次の日も練習。
 その次の日はミーティングだけだったので、学校の帰りにセオの見舞いに行くことにした。友達の誘いを断って、すでに教わっていた病院へ向かう。
 病院は市内で一番大きな大学病院だったので、行き方については問題なかった。扉を開け、中の受付に「セオ・レイリンバートルの病室は、何号室ですか」と訊ねる。
 が、返ってきた答えは、アルバーにとってはまるで予想していなかったものだった。
「セオ・レイリンバートルさんは集中治療室に入っていて、現在面会謝絶です」
「………は?」
 思わずぽかん、と口を開けた。
「め……面会謝絶? って、え? な……なんで?」
「さぁ……それは担当の者に聞かなければわかりませんが。時間がかかってもよろしければ呼び出ししますけれども、どうなさいます?」
「っ……お願いします!」
 頭を下げて、待合室の椅子にふらふらと座る。頭の中にがんがんと今言われていたことが響いていた。
 集中治療室? 面会謝絶? なんだそれ。なんだそれなんだそれなんだそれ。聞いてない。セオ、そんなに具合悪かったのか? だって、あんなに、いつもと変わらなかったのに。本当に、普段と、全然。
 顔色は青白いぐらいだったけど、セオはいつもそんなもんだし。表情も、少しも苦しそうじゃなくて。そりゃ、倒れたりはしたかもしんないけど、普通に、俺と、話せたのに。なんで。
 頭がぐるぐるする。わけがわからない。呆然とした頭でひたすらうつむいていると、名前を呼ばれて、どこそこの病棟に行け、と言われた。くらくらする頭を抑えながらそこに向かうと、個室に通されて、五十がらみのおっさん医師と相対することになった。
 名前を聞かれ、答えると、その医師は「そうか、やはり、君が……」と深々とうなずくと、説明を始めた。
「セオくんには、生まれつき心臓に異常があった。君も聞いている、心室中隔欠損というやつだね。心臓の、右心室と左心室の間に穴が開いていて、血液が全身に流れていかずに、疲れやすくなったり呼吸ができなくなったりする。この欠損は決してひどく珍しいというものじゃなくて、自然にふさがってしまう程度の穴も含めれば千人に三人程度の割合で存在するんだけれども、ほとんどの場合、幼稚園に入るか入らないかぐらいの頃には手術を行うことになっている」
「セオくんの場合も例外じゃなく、四歳の時に手術を行った。……だが、その手術は失敗したんだ。原因はMRSA――ブドウ球菌という細菌への感染。その後も手術と投薬治療を繰り返したけれど、病状は一進一退でね。セオくんは何度も入退院を繰り返して……それでも、なかなか完治というわけにはいかなかった」
「そのうちに……親御さんが、疲れ果ててしまってね。セオくんのお家は、けっこう大きな会社を経営している、いわゆるいいお家なんだけども、親戚筋から養子を取って、在宅看護の人間を雇って、セオくんを別宅に住まわせて……セオくんとはほとんど顔を合わせなくなってしまった」
「それなのに……セオくんは、とても聡明で……優しい子でね。捨てられたような形になったことを恨みもしないで、自分みたいななにを生み出すこともできない奴を見捨てるのは当然だ、とあっさりとご両親を許して、ずっと一人で生活をしてきたんだ。入退院を繰り返してばかりで、お見舞いに来てくれるような友達もまるでいない中、ずっと一人で」
「そんな彼がね。去年の夏に、ものすごく嬉しそうな顔で話をしてくれたことがあるんだよ。倒れた自分を助けてくれた人がいる、って。自分なんかを助けてくれた、ものすごく優しくて格好いい人がいる、って」
「うん、アルバーくん。君だよ」
「それからね、セオくんは必死に『治ろう』とし始めたんだ。闘病生活というのは本当に辛い生活で、たいていの人は長引くと生きようという気力すらなくしてしまう。彼はそれでもきちんきちんと、こちらに言われたようにリハビリや投薬を受けてくれたけれど、それでも……なにせ彼は物心ついた頃から病気でなかったことがないからね。治そうと……生きようと、必死になってはくれなかった」
「でも、君と会って、彼は必死に『生きたい』と思うようになったんだよ。入院することがないように……君と会えなくなることがないように、必死に体調を整えて、治ろうとし始めた。私はね、彼に『友達ができてよかったね』と言った。そうしたら彼は首を振った。『俺みたいなやつと、あんな人が友達なんて、アルバーさんに失礼です。まともに話したこともほとんどないんですから』と」
「だから、君には迷惑な話かもしれないが……ほとんど話したこともない君がね、君にとってはさして重要ではない相手かもしれないセオくんには、ずっとずっと一人で、なんの楽しみもなく、話をする相手も病院関係者以外にはいないセオくんにとっては……生きる希望だったんだよ」
「正直……彼の病状は深刻だ。繰り返しの手術と長年の疾患で心臓が弱りきっている。……いつまでもつかということすら、確言はできない状態だ」
「そんな状態でも、彼のご家族は顔を見せようともしない。彼はたった一人で、訪れようとする死と闘っている」
「だから……君さえよければ、だが。これからもできるだけ、彼のお見舞いに来てくれないか」
 アルバーは呆然とした頭のまま、その医師と携帯の番号を交換して別れた。

 セオと会えたのは、それから三日後のことだった。
 集中治療室の扉を開ける。ベッドに上体を起こしていたセオの姿が目に入ってきた。そして、アルバーは思わずぞっ、とした。
 セオはげっそりと痩せていた。もともと細いセオだったが、今は明らかにやつれていた。皮膚と肉の下の骨の形がはっきりとわかるほど。
 その中で、瞳だけがぎらぎらと輝いていた。元気というのとも力があるというのとも違う、けれど熱さすら感じるほど激しく強い瞳。死に抗っている瞳だ、と思った。
 セオは自分と目が合うと、ぱっと顔を赤くし(骸骨の顔が赤くなったようで、アルバーはまたぞっと背筋を冷やした)、ひどく肉も、色も薄くなった唇をのろのろと動かして言った。
「こん、にちは」
「……おう」
「あ、の……なんで、アルバーさん、がここに」
「……見舞いに行く、って言っただろ」
「あ……はい。そう、でしたね。ごめん、なさい。あんな、図々、しいこと」
「別に……図々しくないだろ」
「だって……あの。今日……サッカー部のある、日です、よね?」
「…………」
「ごめん、なさい。お気を、遣わせて、しまって。俺のこと、なんか、本当に、気にしないでいい、ので……どうぞ、練習、へ」
 掠れた声で告げられる、地の底から聞こえてくるような暗い言葉。本能はただちに回れ右して逃げ出せと大声で告げていたが、アルバーは首を振った。
「いや。ここにいるよ」
「……本当、に、俺のことなんて、気にしないでいい、んですよ。俺のことなんて、忘れてくれて」
「いたいんだ。いさせてくれ」
 嘘だ。いたいわけじゃない。本当は今すぐ逃げ出したい。セオのことを忘れたい、セオと会ったことを最初からなかったことにしたい。
 だけど、それをしたら、絶対に、死ぬまで自分は後悔すると思った。
「あのさ……今取りかかってる作品、ってどんなのなんだ」
「え……」
「今、なにか描いてるんだろ。退院したら描け、って俺言ったじゃん」
「あ……」
 セオはくしゃ、と顔を歪めた。照れているのだ、とわかるのには、数瞬の間が必要だった。
「あれ、は……実、は。絵本、なんです」
「……絵本?」
「はい。俺、ずっと、絵本作家に、なりたくて……でも、絵が、うまく描け、なくて。だから、美術部に、入ったんです。絵を、勉強する、ために」
「……そうか」
「それで……実は、今、そこに、草稿が」
 指差された鞄を、アルバーは取り上げて開け、中から紐で綴じてある小冊子を取り出し、開けた。そこに描かれていたのは、どこかで予想していた通り、自分だった。
 アルバーが鎧をまとい、剣を振るって友を、弱い人間を守り、最終的には敵をも救ってしまう物語。それが精緻な文章と美しい絵で描かれている。
 暗さのまるでない絵本だった。どこまでも、明るく優しく、希望に満ちた。甘いと言う奴もいそうなくらいの。
 これを、セオが描いたのか。心臓がいつおかしくなるかもしれないという恐怖と闘いながら。誰一人自分を慰める人も、励ます人も、支えてくれる人もいない中で。どんな気持ちで。
 最後のページをめくる。そこには、なにも描かれていなかった。
「……最後は、まだ決まってないのか?」
「えと……はい。主人公が、家に帰っていく、場面なんです、けど。どういうものが、主人公の家なのか……どういうのが、主人公の家にふさわしいのか、どうしても、よくわから、なくて」
「…………」
「あ、の……アルバー、さん。すごく、厚かましいと、わかっては、いるんです、けど」
「……なんだ?」
「この、草稿……もらって、いただけ、ませんか。あの、ご迷惑だとは思う、んですけど、未完成なのに人に贈る、なんて本当に失礼だと、思うん、ですけど……もし、よろしければ。あの、お嫌でしたら断ってくださって全然構わないので、本当に気軽に断ってくださっていいので、いやだったら最初から言うべきじゃなかったですよね、すいません本当にこんなこと忘れてくださって全然――」
 アルバーは身体を傾け、ぐい、とセオを引き寄せ、抱きしめた。セオの薄い筋肉が硬直するのが、服の上からでもわかった。
「迷惑じゃない」
「…………」
「迷惑じゃない。嬉しい。嬉しいよ、本当に」
 嘘だ。嬉しくなんてない。こんな絵本重すぎる。もらいたくなんてない、捨ててしまいたい。
 そう思っていたけれど、アルバーはぎゅっと、優しくセオを抱いて、迷惑じゃない、嬉しいと言い続けた。何度も何度も。セオが、自分の腕の中で、初めて声を上げて泣き出すまで。

 その五日後、セオは死んだ。


 アルバーはふー、と煙草の煙を吐き出した。アトリエ内では禁煙なので、冷たい風の吹く階段口でこそこそと吸うしかない。人のアトリエを借りている身分なので、ルールを破るわけにはいかないのだ。
 別に描きたいわけでもない絵をなんで人に頭下げてまで描かなきゃなんねーんだか、と思うと阿呆らしくもあるが、曲がりなりにも恩師がわざわざ展覧会に声をかけてくださったのだ、一品は出さなければまずいだろう。
 たとえアルバーの本当に描きたいものは、あの絵本の最後のページ、ただ一枚でしかなかったとしても。
 セオの死から十五年。アルバーは、四浪の末二流程度の美大に進学し、美術の非常勤講師としてなんとか糊口をしのいでいた。
 セオの死ぬ前にサッカー部はやめていた。セオが死と必死に闘いながら自分が見舞いに来るのを待っていた時自分はサッカーをやっていたのだと思うと、サッカーをプレイすることに耐えられなくなったのだ。
 そして美術部に入部し、美大に進むと宣言した。当然ながら親も教師も驚き、考え直すよう説得したが、アルバーは意思をひるがえさなかった。
 美術にセンスがあるわけでも、器用なわけでも、美術に興味があるわけでもなかったアルバーがそんなことをした理由は、ただひとつだ。
 吸い殻を携帯灰皿に突っ込んでから、鞄から持ってきた(いつも持ち歩いている)小冊子を取り出した。これは本物ではなく、PCに保存した画像データをプリントアウトしたものだ。本物は自宅に保存してある。
 ぱらぱらとめくる。今までに何千何万何億回と読み返した絵本を、また読み返す。
 十五年前の自分が鎧をまとい、剣を振るって友を、弱い者を守り、最終的には敵をも救ってしまう、希望に満ちた優しく、美しい物語。その最後のページは、まったくの白紙だ。
「……十五年かけて、一枚も描けねぇんだよなぁ……」
 そう、十五年。十五年を、自分はこの一枚を描くために費やしてきた。
 親に怒られ、教師に呆れられ、友達に見放されながら。それでもこの一枚を描くために。ずっと。
 描きたい、と思うわけではない。まったくない。ただ、『描かなければ』と思っただけだ。
 セオの死で、自分が傷ついたとは思わない。セオの病のことを知るまで、本当に自分たちは、たまに会って少し話す程度の友人でしかなかったのだから。
 けれど、セオにとっては、そんな自分が生きる全てだった。死ぬまでの間、毎日毎日、自分に会うために学校に行き、自分とうまく会うことができるタイミングを見計らって、不自然に思われない程度の頻度で、さりげなく自分と会って。自分のことを絵本に映すために、毎日毎日自分のスケッチをして。
「だからって、お前がそいつのために人生捨てなきゃならないわけじゃないだろ」
 もちろん、そうだ。そんな義理はない。葬式に乗り込んで殴り倒して以来会っていないセオの両親も、自分にそんなことを要求してはいない。
「っていうか、その子だってあなたにそんなこと望んでないんじゃないの?」
 もちろんそうだろう。セオは自分に迷惑をかけることをなにより恐れていた。自分がこんな生き方をしていることを知れば、泣きながら土下座して謝り、そんなことをしないでくれと懇願するに違いない。
「生きてる人間が、死者に呑み込まれてどうする。お前はお前の人生を生きてかなきゃならんのだぞ」
 もちろん、それは正しい。自分は自分の責任で、自分の人生を生きていかなければならない。そうしなければセオにだって失礼というものだろう。
 だが、それでも、自分はこの一ページを描こうとせずにはいられない。そのために興味もない絵の描き方を勉強し、セオの筆致を盗み、セオのような絵を描けるようになった。
 未だ一枚も、納得のいく――セオがわからないと言っていた、自分の帰る家というものを、自分は描けていないけれども。
 それでも、描かなければ、描いてやらなければ、セオが、あいつが、あんまり。
 しばし冷たい風の吹く中、その最後のページを見つめていたが、やがてアルバーは踵を返した。たとえ死人のために生を費やしていたとしても、生きるためのもろもろの仕事はこなさなければならない。

 数ヶ月後。恩師から、携帯に電話がかかってきた。
「はい、もしもし。なんですか、先生」
『おい、やったぞ、よくやったな、アルバー!』
「……は? なにがです」
『お前の出した絵に決まっとるだろうが!』
「……ああ、展覧会の。あの絵がなにか」
『この、バカもんが! お前の出した絵が、賞を取ったんだ!』
「……は?」
『は? じゃなかろうが! いいからとにかく今すぐ大学に来い!」
 ……それからはあっという間だった。あれよあれよという間に授賞式があり、あちらこちらのお偉い先生に引き合わされ、次の作品を描くように言われ、言われる通りにうんうん唸りながら描き、こき下ろされ、ムカッときてもう一品描いてさらにこき下ろされ、怒りのパワーで死ぬ気で描いた一品が別の賞を取り、次の作品を要求され、絵が価値観おかしいと思うほどの値段で売れ、次の作品を要求され。
 気がついたら、受賞から五年の月日が流れ、アルバーは三十七になっていた。
 自分のアトリエ(二年前に買った自宅に併設してある)から外に出て、煙草を吸う。絵を描きながら煙草なんぞ吸うわけにはいかない。
 外は寒かった。風が冷たかった。白煙が風にたなびいては消えていく。半分以上吸ってから、吸殻を携帯灰皿に入れて持ってきた鞄に手を伸ばし――
 はっと、そこにはなにもないことに気づいた。
「………はは」
 苦笑する。この五年、絵本を開くこともほとんどなかったのに。
 それでも自分には、体の反射として染み付くほど、あいつのことが刻まれているのだ。
 空を見上げる。月がきれいだった。今は冬。あいつの死んだ季節だ。
「二十年、か……」
 自分の人生の半分以上。その間ずっと、自分は、自分の帰るところを見つけることができなかった。
 今、自分は家を持ち、そこに一人で暮らしている。自分の帰る場所は、そこなのだろうか。
 くるりと家の方を眺める。暗い家。明かりのない家。気楽に過ごせる自分の城だとは思うけれども、夜遅く一人で帰ってきた時などに、胸を掻き毟りたくなるほど寂しくなるそこは、自分の帰る場所だと言い切るには少しばかり抵抗がある。
 セオは、どうだったのだろう。
 今、少なくとも自分はそれなりに充実した人生を過ごせていると思っている。仕事は楽しいし、友人とも頻繁に会える。生活の中で新しい刺激に出会えることも少なくない。
 けれど、セオは。生まれてからずっと、死ぬまでずっと、たった一人で、暗い部屋に戻っていくしかなかったセオは。セオの、帰る場所は――
「……あ」
 アルバーは、目を見開いた。もしかして。それは。
 ……自分は、すさまじい勘違いをしていたのかも、しれない。
 ばっと踵を返し、アトリエに飛び込む。水彩画用の画用紙絵の具パレット等々を取り出し、心の中の溢れ出しそうなエネルギーそのままに画用紙に鉛筆を走らせた。
 自分たちの、帰るところは―――

 一ヶ月後、出版社から完成した本が届いた。
『セオ・レイリンバートル作 剣士アルバーの冒険』と表紙に描かれた絵本。それをアルバーは、ゆっくりと開く。
 二十年前に読んだ草稿と同じ世界が、そこには広がっていた。優しい世界。明るい世界。希望に満ちた世界。死に急かされていた人間が描いたとは思えないほどに。
 剣士アルバーは友を守り、弱い者を守り、最終的には敵をも救う。そしてその後どうなるのか。アルバーはページをめくった。
 そこには、ひどく痩せ細った少年が描かれていた。道端にしゃがみこみ、咳き込む少年。その隣に立っている、剣士アルバー。
『道を歩いていたアルバーは、みちばたにすわってせきこむ少年を見つけました。アルバーはそのとなりに立ち、声をかけます。
「どうしたんだ? だいじょうぶか?」
 少年はアルバーを見上げてから、かおをふせて首をふりました。
「アルバーさま、おれなどにかまわないでください。アルバーさまはこの世をすくったすばらしい勇者、せかいじゅうの人にあいされてだれより幸せになるおかたです。おれなどにかかずらっていてはいけません」
 アルバーはきょとん、とします。
「なんでだ?」
「おれはもうすぐしぬのです。あなたにいやなきもちしかあたえることはできないでしょう」』
 ページをめくる。そこに描かれているのは、少年に手を伸ばす剣士アルバーだ。
『アルバーはやっぱりふしぎそうなかおでくびをかしげます。
「なんでそんなことがわかるんだ?」
「なぜでもわかるのです。おれはこれまでずっと、しにそうになりながらひとりきりで生きてきました。もう長いことはないでしょう。みんなみんなそういいます」
 アルバーは、にっこりわらいました。
「じゃあ、今はもうちがうな」
 少年はおどろいてアルバーを見ます。
「なぜですか?」
「お前はもうおれと会ったじゃないか。もうひとりじゃないぞ」
 少年は目をまんまるにしました。』
 最後のページをめくる。
『少年は首をふります。
「あなたにそんなごめいわくをかけるわけにはいきません」
「めいわくじゃないさ」
「だって、さっき会ったばかりなのに」
 アルバーはわらって首をふります。
「もう会ってるんだ。はなしをしたんだ。おれはお前をたすけるためにここにいるんだ。だから、だいじょうぶ。ふたりでやれば、なんとかたすけられるさ」
「ふたり?」
「おれとおまえで、ふたりだろ?」
 少年は目をみひらいて、うつむいて、ゆるゆると首をふりましたが、さいごにはのろのろとアルバーに手をのばしました。アルバーはその手をぎゅっとにぎって、家へと帰っていきました。』
 そして、少年と、アルバーが手を握りあって家へと戻っていく絵――
 ぼろっ、と涙がこぼれ落ちた。え、と思わず目を押さえるが、止まらなかった。自分の描いた絵なのに、書いた文章なのに。泣けて泣けて、涙が止まらない。
「う……う、う、あ」
 その場にくずおれ、声を上げて泣く。ぼろぼろと涙を流し、嗚咽を漏らし、むせび泣きすすり泣き大声で泣き。
 そうして、アルバーは、二十年経ってようやく、セオの死を悲しんで一晩中泣いた。


セオ「えと、『現代日本スポーツ校美術部員とサッカー部員』でした。みなさん、楽しんで、いただけました、か?」
アルバー「………っ楽しめるわけねぇだろぉおぉおおぉ〜っ!?」
セオ「ア……ルバー、さん?」
アルバー「うああぁなんだよあれーなんだよそれーめちゃくちゃ可哀想じゃねーかっ、なんだよもーひでーよもーうあぁぁセオお前可哀想すぎるぞぉぉっ!?」
アルバー「あ、あのっ、えと、大丈夫ですっ、あれ、お話、ですからっ、本当に俺がどうこうなったわけじゃない、ですしっ」
アルバー「だからって可哀想すぎるだろあれぇっ! 結局セオ幸せになれなかったじゃんかよぉっ」
セオ「えと、そんなことは、ないと思います。たぶん、お話の中の俺も、幸せ、だったと思います」
アルバー「え……なんで?」
セオ「だって、生きてきて寂しかったり辛かったりしたかもしれないけど、アルバーさんっていう、大切な人と会えたん、ですから」
アルバー「……っっっセオーっお前ほんっといい奴! よし来い! 俺が幸せにしてやる!」
セオ「あ、の、アルバーさん、あれ、ほんとにお話、なんですけど……」
アルバー「あそっか。いやー悪い、なんか俺が幸せにしなきゃいけないよーな気分になってた、あはは」
セオ「あは……お気遣い、ありがとうございます。……えと、とりあえず三月の最終更新まではこういう形態を続けるので、楽しんでいただけると嬉しい、です(ぺこり)」

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