拍手ネタ小説『全然関係ない二人を適当な状況にぶっ込んでみました』
〜『大帝国、征服されたばかりの国の新入り奴隷と古株奴隷』

ユルト「どもー、お久しぶりですー、DQVIIIで主人公やってるユルトでーっす」
セディシュ「……世界樹の迷宮、ギルド『フェイタス』のダークハンター、セディシュ」
ユルト「えーと、今回はー、以前リクというかちょっと見たいというご意見があったのでー、以前やってた『全然違うシチュエーションに全然関係ない二人ぶっこんでみました』で管理人の手が遅くて書ききれなかったネタのひとつ、僕とセディシュで『大帝国、征服されたばかりの国の新入り奴隷と古株奴隷』っていうのをやってみることになりましたー」
セディシュ「痛い描写とか、あるから。あと、ひどい′許魔ンたいだから、苦手な人は、気をつけて」
ユルト「ま、しょせん管理人の書く代物だから、たかがしれてるっちゃそーなんだけどね。とにかく、僕らいっしょーけんめー頑張りますんで、楽しんでくれますよーにってことで!」
セディシュ「……ちょっとでも、読んでくれたら、嬉しい」


「おーら、とっとと来いっ! ここが今日からお前らの働く場所だ」
 奴隷監督官に縄を引かれて、よろめきながらもユルトは監督官の言う『働く場所』の前に立つ。そこは、一見したところ鉱山か何かのように見えた。
 荒れ果てた道を、立錐の余地もないほどぎりぎりまで押し込められた、嵐の時の船のように揺れる馬車に乗って進むこと数日。馬車から降りて、真っ先に見えたのは暗がりの中ぽつぽつと油明かりが見えるだけの洞窟だった。説明によると、自分たちはここで動けなくなって使い物にならなくなるまで毎日毎日重い石を掘らされ運ばされることになるらしい。
 ……ま、しょーがないよね、とユルトは一人うなずいた。自分たちの国は、負けたのだから。
 ここゲーディナ帝国は、もう数十年にわたり版図を拡大し続けている巨大軍事国家だ。精強な軍隊と豊かな資金力を兼ね備え、周辺の国々を破竹の勢いで下していっている。
 そして、負かした国の国民は全員、王族も含めて奴隷の身分に落とされる。その莫大な労働力を用いてゲーディナ帝国は種々の文化を花開かせ、一般庶民でも王侯貴族のような生活をしているとか。
 まぁなんであれ、ユルトは二年前に徴兵され、近衛師団に入隊し、国を護って戦ったが、押し寄せるゲーディナの軍勢には蟻が象に立ち向かうようなもので、ごくあっさりと敗北してユルトの故国はこの世から消滅した。そして、ユルトは奴隷の身分へと落とされることになったのだが。
(しょーがないよね、負かした国を奴隷にする国に負けたんだから)
 ユルトはさして落ち込みもせず、自分が落とされた環境をごくあっさりと受け容れた。ユルトは昔から、思考の切り替えと環境への順応力がやたら高いと言われる質だったのだ。奴隷だろうがなんだろうが、自分の命を守るために働くという点ではこれまでとさして変わらないんだし。
 一緒に馬車で運ばれてきた面々はそうやすやすと受け容れられはしなかったようだが、そんなものは無視して監督官は鞭を振り回し、労働を強制する。ユルトたちも有無を言わさず過酷な労働に身を投じざるをえなかった。
 硬い岩につるはしを何度も振り下ろし、砕け落ちた石を運び出す。岩は掘るたびに腕が痺れるほど硬く、砕けた石を集めたものは運ぶ時に肩が抜けそうなほど重かったが、休むことは許されなかった。休めば即座に監督官からの鞭が飛ぶ。やってきた最初の日一日で、ユルトの背中は痣だらけになり、じんわり血がにじむほど傷つけられた。
「つ……っう」
 さんざん働かされたあとに押し込められた奴隷用の寝床――といっても岩の上に筵を敷いただけの場所で、ユルトは傷痕をそっと撫でる。痛いし、なんであんな奴らに――と悔しかったが、まぁ今はしょうがないかと気にしないことにした。奴隷は監督官のような奴らにはいくらでも替えのきく道具にすぎないんだし、それが思うように動かなければ八つ当たるのは別に奴隷監督官に限ったことじゃない。
 もっともユルトと同じようにやってきた新人奴隷たちはみな悲嘆と絶望に暮れるのに忙しかったようだし、ユルトの前からここにいた人々も絶望に慣れきってもはや自分を人間とすら思っていないような目つきだ。やーれやれ、辛気くさいなー、と周囲を見回す――と、一人の男に気がついた。
 いや、それは男というより少年と言った方が正しかっただろう。決して大きくはないユルトよりさらに頭半分ほど背が低く、筋肉も薄く乗ってはいるが逞しいとは間違っても言えない。褐色の肌に白い髪。瞳は金で、首には奴隷の証である首輪を嵌められている。
 珍しい子だな、と思った。馬車で見かけた覚えはないから自分たちより前からここにいた奴隷なのだろうが、それにしてはこの重労働の中であんな薄い体でいられるというのも珍しい。よほど栄養事情が悪いのか、筋肉がつきにくい体なのか。
 だが、その体の上には驚くほど何重にも奴隷の証が刻まれていた。体中どこも鞭の跡がついていない場所はなく、それどころか顔を殴られもしたのだろう、唇の端には血が滲み、顔からはまだ腫れが引いていない。
 なのに、その瞳には絶望の色がなかった。かといって希望に満ち溢れているというわけでもまったくない。ただ、ひどく、どこまでも透明だった。
 周囲の事物に、それどころか自分自身に対してさえもなんの感情も抱いていないことがはっきりとわかる瞳。自分が傷つけられようが、周囲がどれだけ絶望に沈もうが微塵も感情の動かない瞳だ。
 そのくせ、ひたすら無味乾燥に乾いているというのとも微妙に違う。まるで生まれたての赤ん坊のような無垢さすら感じた。なにもかもを、自分自身すらも、まだまるで知らないのではないかと思わせる、ひたすらに透明な。
(……なんか、面白い雰囲気の子だな)
 話しかけてみようかな、とちらりと思ったが、今日は奴隷労働初日でさすがにくたびれている。これから、少なくともしばらくは(ユルトはそうやすやすと死ぬ気はないし、この子もそうそう死にはしない雰囲気持ってるし)一緒にいるわけだから、別に今日でなくてもいいだろう。
 ちょっと楽しみができたな、と思いつつ、ユルトはうつぶせになって(でないと傷が痛むので)眠りについた。


「おらっ、働け働け、奴隷ども! 殺されたくなかったらなぁ!」
 鞭が舞う中を、奴隷たちは必死に働く。鞭を食らわないように、少しでも監督官の不興を買わないように、必死に。奴隷の命なんてものは紙切れよりも軽い、監督官の気分次第で命を奪われてもどこからも文句など出ないのだ。
 だからっていちいちえっらそーな奴だなー、とこっそり思いつつユルトは岩を運んだ。ユルトは別に偉くもない奴に偉そうにされるのは嫌いだったし、なにもしてないのに鞭を振るわれるのは納得いかなかったし、正直ぶん殴ってやりたい気持ちはあったが、そんなことをすれば他の場所から監督官が次々飛んできて、最終的にはあの世逝きとなるとさすがにほいほいそんなことをする気にはなれない。
「おいっ! そこの奴隷っ!」
 監督官の一人が唐突に上げた声に、なんだなんだとユルトはそちらの方を向いた。一人の奴隷を指して監督官がなにか言うなぞ、昨日はなかったことだ。
 そして驚いた。あれは、昨日の夜奴隷用寝床で見た、褐色の肌の子ではないか。
 岩を運んでいたのだろう、もっこを上手に一人で担いだその少年は、昨日と同じ感情の感じられない顔で監督官の方を向く。監督官は尊大かつ傲慢な口調で高飛車に言った。
「貴様、俺の足に石を落としたな!」
 え? と見てみると、確かにその監督官の足の上には石が乗っていた。が、石といってもごく小さな、親指の先程度の大きさの石の欠片だ。落ちたとしてもまるで痛くはなかっただろう。
 が、監督官は偉そうに少年を見下して怒鳴った。
「監督官様のおみ足に傷をつけるとは何事だ! 罰を与えてやる。そこにひざまずけぇ!」
 少年は、ためらいはしなかった。ごくごく素直にもっこを下し、その場にひざまずく。
 そして監督官はその背中に、びしぃっ! と全力で鞭を振り下ろした。
『…………!』
 こっそり様子をうかがっていた奴隷たちがいっせいに目を逸らす。監督官はそれすらも楽しんでいるかのように、嬉しげで楽しげな顔で何度も少年の体に鞭を振り下ろした。
 が、ユルトはぎゅっと眉を寄せると、そちらに向けて一歩踏み出す。その肩を、古参だと聞いた奴隷の一人がぐっとつかむ。
「なに? 放してほしいんだけど」
「おい、お前、まさか、あいつを助けに行こうとか考えてるんじゃないだろうな?」
「そのつもりだけど、それが?」
「馬鹿。お前も罰を受けるぞ。それどころか監督官の気分ひとつで殺されることだって」
「それが?」
「……っの、馬鹿が。いいか、教えてやる。あいつは生まれながらの奴隷なんだ、こんなのには慣れてるんだよ」
 ユルトはさらに眉を寄せる。言っている意味が分からなかった。
「なにそれ。どういうこと?」
「十五年前、並外れて体がでかかったせいでこっちに回されてきた女奴隷がいたんだとよ。どんなにでかかろうと女は女だ、そいつは男奴隷の公衆便所にされて、父親が誰かもしれない子を産んだ。それがあいつだ。だからあいつは生まれながらにして奴隷で、ここ以外の場所を知らねぇ。つまり、あいつにとっちゃ鞭打たれるのも殴られるのも生活の一部で、慣れきっちまってるんだよ」
「……母親は? いつまで生きてたの?」
「あいつが三つか四つくらいの時までだ。そんなろくにつるはしも持てねぇような頃からあいつはここで働いてるんだ、だから」
「ふーん」
 うなずいて、ユルトはさらに一歩を踏み出す。古参奴隷が慌てて耳打ちした。
「おい、なに考えてんだ、やめろ本気で。監督官に逆らう奴が一人でも出たら、俺らも連帯責任で」
「そう」
「な……そう、って」
「ま、そーいうことって、よくあるよね。でも僕はあいつを殴りたいんだ。それを止める理由にはならないよ、それ。命に代えても護りたい人とか、ここにはまだいないし」
「なっ……おい!」
「教えてくれて、ありがとう」
 深々と礼をしてから、その男の手を振り払ってつかつかと少年を鞭打っていた監督官に近づく。そして、事前予告もなにもなしにその顔を全力で殴り飛ばした。
「ごぼっ! げ、が……ひゃ!?」
 顎の骨が砕けたのだろう、吹っ飛んで倒れだらだら血を流しながらこちらを見上げる男に、ずかずか近づいてがすがすと追い打ちの踏み付けを行いながら話しかける。
「あなたがどれだけ弱い者いじめが大好きで、それを当然のように正しいと思い込める下劣な性格してるかは知らないけどさ、僕の前とかこの近くとか気づきそうな範囲でやるのやめてくれない? 僕そういうの嫌いだし、この子にわざわざ狙いつけていじめるっていうのさらに気に食わない」
「げ……ぼ、ぉっ」
「痛い? だったらあなたにぶたれた人も痛いんだってこと、どーしてわかんないかなぁ。ま、つぶされた牛がどんなに痛かったかなんてこと考えながらご飯食べてもおいしくないのと一緒で、気にしないよーに頭ができあがっちゃってんだろうけど。だからって無駄にいじめていいわけないってことくらいは頭の中に入れといてよ」
「おい、貴様! そこでなにをしている!」
 後ろからの叫び声に、ユルトは素早く振り向いた。そこにいるのは兵士を何人も引き連れた、監督官が二、三人。
 これを一人で突破するのは無理だな、と判断したユルトは、あっさり手を上げて降参の意を示しつつ言った。
「弱い者いじめする奴を、いじめ返してるところ」


 ビシッ! バシッ! バシィン! バヂッ!
「……今日は、このくらいに、しておくか」
 ぜぇはぁと息を荒げつつ、監督官が鞭を預けた。別の監督官が苛立たしげな声で言う。
「強情な奴だ。これだけ責めても許しを請う声も上げんとは」
「ふん……まぁいい。明日からは本気で苦しめてやる。お前がお願いですから殺してくださいと叫ぶまで責めてやるからなぁ、覚悟しておけよ」
 わっはっは、と耳障りな声を上げつつ、奴隷監督官たちは部屋を出て行った。ふ、と小さく息を吐く。背中の痛みをこらえるのにずっと奥歯を噛みしめていたので、ようやく少し息がつけた。
 たぶんあいつらは本気で言ってるんだろうな、というのはユルトにもわかった。奴隷なんてあいつらにはそれこそいくら殺しても増えてくるものでしかないし(そのためもあって帝国は周囲の国への侵略を繰り返してるんだろうし)、今回はそれこそいじめ殺せる奴隷が一匹手に入った、ぐらいの気持ちでしかないだろう。実際この部屋の中には、使ったら死亡確定の拷問器具とか、明らかに普通出るような量じゃない血の跡とか、いろいろあるし。
 が、いじめ殺される側としては、そういうのは正直嬉しくないわけで。
「………っ、ぺっ」
 血の混じった唾を吐き、考える。さて、どうするか。脱出するならば、見張りもつけずに放置されている今しかないわけだが、現在ユルトは金属輪で両手両足を縛られ、鎖で足がつくかつかないかというぎりぎりの体勢で吊り下げられている。何十度も鞭を背中に受けたせいもあり、かなり体力を消耗していた。かといって脱出しないなどという選択肢はありえないわけだが――
 などとつらつら考えていると、ふいにかしゃん、と音を立てて部屋の扉が開いた。
 目を丸くして見ていると、扉を開けた人影は内側からそっと扉を閉め、まるで足音も立てずこちらに近寄ってきた。ユルトと視線を合わせて、静かな声で問う。
「大丈夫?」
「うーんと、まぁ大丈夫だね。死にそうな感じしないし」
 鞭打たれているところに割り込んだ褐色の少年は、その言葉に小さくうなずいた。――まさか、こんなところまでやってくるとは思わなかった。
「どうしたの? なにか用事?」
 訊ねると、その少年はわずかに首を傾げた。
「用事、っていうか」
「うん」
「……文句、言いたいんじゃ、ないの?」
「へ?」
 ユルトはきょとんとする。どこから出てきたんだその発想。
「なんでそう思うわけ?」
「……今まで、俺が鞭打たれてるところに、割って入った人は、みんなそう、だったから」
「へー。そりゃまた、根性ない相手にばっかり助けられてたんだね」
「根性……?」
「だってさ、君は別に僕に助けてくれとかなにも言ってないじゃない。つまり、助けたのは僕の勝手でしょ? それなのに君に文句言うって、要は八つ当たりじゃない。鞭打たれたぐらいで好きで助けた相手に文句言うって、根性ないと思うけど」
「……そうなの?」
「僕はそう思うけど。君は?」
 その問いに少年は、さらに首を傾げた。傾げながらも少年の顔にはまるで感情が浮かばない、無表情のままだ。
「……わからない。そういう状況に、なったことないから」
「ふーん。想像してみても?」
「そう、ぞう?」
「もしこんなことがあったらなーって頭の中だけで考えること」
「…………」
 少し黙ってから、また小さく首を傾げる。
「よく、わからない。俺、人に文句言いたいとか、思ったこと、ないから」
「ふーん。根性入ってるんだね、君」
「……そう?」
「うん、僕はそう思うよ。君、名前なんて言うの? 僕はユルト」
「…………」
 少年は、またも小さく首を傾げた。どうやらこの少年は、首を傾げるという動作だけで感情表現のあらかたをすませているらしい。不思議な雰囲気の子だな、と改めて思った。
「俺、名前、つけられたこと、ない。奴隷だから、必要、ないし」
「ふーん。それは怪しいと思うけど……じゃ、自分でつけたら? ないと不便じゃん」
「別に、不便って思ったこと、ない」
「そりゃ、この鉱山の中で奴隷としてずっと生きてくっていうならね。でも、外に出たら、ないと不便なことがいろいろあるよ」
 少年はまた小さく首を傾げる。
「なんで?」
「なんでって?」
「なんで、外に、出ようって、思うの?」
「へ? だって、いつまでもここにいたってつまんないもん」
「…………」
 その言葉に、少年は小さく目を見開いた。おお新しい反応、と思っていると、少年は淡々とした(底に溢れる感情があるようなないような)声で問う。
「外に出たら、つまらなく、ないの?」
「うーん、それは場合によるけど。ここにいるのがつまんないのは確かだよ。だってやること岩を砕いて運ぶだけでしょ? でなきゃ鞭打たれるか。僕、痛いことされてもいいなって思うくらい好きだったり尊敬できたりしない相手に殴られたら、一発と半分くらいは殴り返してやりたくなるのに、ここでそれしたらすぐ捕まって死刑でしょ? こんな風に。つまんないよ」
「……なんで?」
「ん?」
 首を傾げてみせると、少年はじっ、とこちらを見て問うた。さっきと同じ、淡々としているのに底になにかを秘めているような気のする声で。
「なんで、俺が殴られただけなのに、殴り返したの?」


 ユルトはきょとんとして、問い返した。
「殴っちゃダメだった?」
「そうじゃ、ないけど。あなたには、殴り返しても、損しかないのに。なんでかな、って」
「そんなことないよ。ムカつく奴殴れたし。君があれ以上殴られるの見ないですんだし」
「……なんで?」
「なんでって?」
「なんで、そんなことが、得になるの?」
 ユルトは困惑して、眉を寄せる。この少年がなにを言いたいのかよくわからなかった。
「だって僕、ムカつく奴殴るの気持ちいいし、自分が殴られるの当たり前だとか思ってる子が殴られるの見るの嫌いだし」
 この言葉は少年をますます困惑させたらしい。眉根を寄せて、訊ねてくる。
「なんで?」
「なんでって……君は、そうじゃないの?」
 こっくりとうなずく。
「監督官に、奴隷が、殴られるの、当たり前だと思う。当たり前のことを見るの、嫌いって、わからない」
「そりゃ僕には当たり前じゃないもん。君には当たり前でも、僕は嫌だったから止めた。それだけだけど、おかしい?」
 少年は眉を寄せて、首を傾げる。
「……よく、わからない。おかしいのか、おかしくないのか」
「そう?」
「……当たり前≠チて、そんなに、たくさんあるの?」
「そりゃ人の数だけあるよ。だからここはつまんないんだよ。監督官が奴隷を鞭打って、いいように扱うのは当たり前、ってのだけしか当たり前≠ェないなんてさ。僕は鞭打たれるのも人の勝手に扱われるのも好きじゃないから、まぁここにいる間はその当たり前≠ノつきあうのもしょうがないけど隙をみてここ脱出するつもりだったし」
「…………」
 眉間に深く皺を寄せて考え込む少年。ユルトはそれをしばらく見ていたが、やがてぐいぐい、と手足の鎖を引っ張り始めた。
「……脱出しようと、してるの?」
「うん。この体勢苦しいし。なんか道具でもあれば鍵開けられたかもしれないけど、ないからとりあえず暴れてみようかと」
「外れないと、思うけど。そんなに、その鎖、造り弱く、ないし」
「そうなんだけどね。とりあえずどれくらい動けるかを確認しとけば、次に拷問吏が近くにやってきた時にうまく人質にとったり捕まえて鍵を奪えるかもしれないでしょ?」
「……無駄に終わる可能性の方が、高く、ない?」
「そりゃそうだけど、なにもしないで終わるよりいいじゃない。僕は死にたくないけど、なんにもしないでただ死ぬのを待つよりは、全力であがいてあがいてその果てに死んだ方がマシ」
「…………」
 少年は小さく首を傾げてから、部屋を出て行った。どうしたんだろう? と首を傾げる。別に腹が立ったせいじゃないっぽいけど。ていうかそもそも、あの子なにしにここに来たんだろう。見張りがいないとはいえ奴隷部屋には見張りがいるし、けっこう綱渡りな話だっただろうに。
 とにかく今は少しでも、とふんぬふんぬと鎖が壁から抜けないか試すもまったく反応がないところへ、かちゃり、と小さな音を立ててまた部屋の扉が開いた。入ってきたのは、またさっきの少年だ。
「どしたの? なんか忘れ物? っていうか、見つからなかった?」
「……俺は、ずっとここにいるから。監督官とか、兵士とかが、どういう風に動くかとか、だいたいわかる」
「へー、すごいね!」
「……そう?」
「うん、普通に考えてすごいじゃん。君はそう思わないの?」
「……よく、わからない」
 また首を傾げる少年に、ユルトも首を傾げてみせる。
「で、なに? なんか用事があるんでしょ?」
「……うん」
 少年は鍵束を取り出し、かちゃかちゃ、とユルトの両手足の金属輪の鍵穴を弄り始めた。驚いてユルトは訊ねる。
「助けてくれるの? なんで?」
「……わからない。けど」
 ややうつむき加減になりながら、小さな声で。
「あなたがここで、殺されるのは、なんだか、いやだ」
 その言葉に、ユルトはにこっと笑った。久々に、心からの嬉しさを込めて。
「そっか。ありがと!」
「……うん」
 やはり感情の感じられない顔で、それでもわずかに恥じらうように身を揺らめかせながらユルトの戒めを解いた少年に、ユルトは感謝の念を込めて抱きついた。
「あーもー、ホントにありがと、すっごい助かったよ! えっと……ああやっぱり名前ないと不便だよ、こういう時に名前呼べないもん」
「……そう?」
「そうだよー。名前呼べるのと呼べないのとじゃ気持ちの盛り上がり具合が違うもん」
 その言葉にまた小さく首を傾げ、小さくうなずいてから少年はユルトに言った。
「じゃあ、あなたがつけて」
「へ?」
「あなたしか、俺の名前呼ぶ人、いないから。あなたがつけるのが、一番いい、と思う」
「え、そーかなー……ま、名付け親になってくれって頼まれるのはけっこう光栄だけど。じゃあ、そーだなー……」
 しばらくうんうんと考えて、よしとうなずいて告げる。
「じゃあ、セディシュにしよう。僕の故郷の湖の名前をもじった感じで」
 セディシュ、とその響きを少年は小さく口の中で転がしてから、訊ねてきた。
「あなた……ユルト。その湖のこと、好き?」
「へ? 決まってるじゃん、そうじゃなかったら君の名前になんてつけないよ」
 そう言うと、少年は笑った。ふわぁ、と。世の中にある嬉しい≠ニいう気持ちを、煮詰めて純粋な結晶にした、みたいな感じに。
「うん。わかった。俺、セディシュ」
「そっか。じゃ、改めてよろしくね、セディシュ」
 ユルトも嬉しくなってにかっ、と笑うと、セディシュとなった少年は微笑んだままうなずいた。


「さて、どうやってここから脱出しようか。セディシュ、なんか計画とかある?」
 その問いに、セディシュは不思議そうに首を傾げた。
「なんで、俺に、聞くの?」
「へ? だって一緒に脱出する相手なんだから、いい考えないかくらいは聞くでしょ、普通」
 その言葉に、また目を見開く。
「なんで、俺も、一緒に脱出するの?」
「へ? 脱出したくないの?」
 セディシュは眉根を寄せ、首を傾げる。
「……わからない。考えたこと、なかった」
「俺は絶対セディシュと一緒に脱出したいな。セディシュは僕のこと助けてくれたし、せっかく名前つけた相手なんだからこれでお別れって寂しいし。そんな相手がこれからも何度も鞭打たれたりするのとかやだもん」
「…………」
「ま、セディシュがここにいたいなら、無理強いはしないけど。どうする?」
 その問いに、セディシュはなにか考えるようにずっとうつむいていたが、やがて小さくうなずいた。
「一緒に、行く」
「よし。じゃあ一緒に計画考えよう」
 うなずいて、部屋の片隅でぽそぽそと言葉を交わしあう。
「見張り台はここ、とここ。坑道の、出入口の前には宿舎があって、どこもいつも見張りが、立ってる」
「うーん、なんのかんので見張り厳重なんだなー……って、セディシュ。なら君、どこから僕の鎖の鍵持ってきたの?」
 セディシュはわずかに首を傾げてから、ぽそぽそと説明した。
「こういうところの鍵は、出入口の脇の小部屋にまとめて、入れてあるから。見張りに見つかる、危険冒さなくても、持ってこれる」
「へー……じゃあ、もしかして奴隷部屋の鍵とかも持ってこれる?」
「これる」
 こっくりとうなずくセディシュに、ユルトはうんとうなずき返した。
「だったらいっそ、他の奴隷たちを巻き込んじゃうのもいいかもね」
「? どういう、こと?」
「他の奴らと一緒に宿舎を襲撃するんだよ。奴隷から解放されるって思ったら、手伝う気になる奴いっぱいいるんじゃない?」
「……密告する奴も、出てくるんじゃ、ないの?」
「うん、それはそうだけど、今日これからすぐ襲うんだったら今回に限ってはそういうことなくてすむと思うんだ。今まで見たとこだと、戦力自体は大したことないでしょ、ここにいる奴ら? 奴隷たちの方がけっこう数多いんじゃない?」
「それは、そうだけど。武器持ってる奴に、素手で立ち向かえる奴、あんまりいないと思う」
「そこは、僕が率先して見本を見せれば少しは気合も入るんじゃないかなって思うんだけど。どう?」
「……率先して、見本、見せるの?」
「うん。それが? 普通そういうもんでしょ、言いだしっぺは一番前に立つ」
「そういう、もの?」
「うん、僕にとってはね」
「……じゃ、俺も、一緒に、前に立つ」
「え」
 思わず目をぱちくりとさせた。なにもセディシュがそんな危険を冒す必要はない――
 といえば確かにそうなのだが、曲がりなりにもこれまでの対話の中で、ユルトはそれなりにセディシュの心根を理解したつもりだった。つまり、それだけのことをする価値≠セディシュは自分に見出したのだろう。それは確かに光栄なことだし、それにちょっと嬉しい。
 うん、とうなずいてユルトはセディシュに向き合った。
「それじゃ、少なくともこれからしばらくは、僕と君は相棒だ。僕の背中は君に任せたから、よろしくね、相棒」
「……相棒」
「その代わり、君の背中は僕が守る。全力で」
 その端的な誓いの言葉に、セディシュはこくん、とひどく頑是なくうなずいた。

 ずばっ、と奪った剣で最後に残った兵士の首を薙ぎ斬り落とし、ユルトはふぅっ、と息をついた。
「よっし、これで、勝ちっ!」
 うおおおぉ、と自分の背後に続いていた奴隷たちがどよめく。何人かは滂沱の涙を流している者もいた。まぁ、このまま一生奴隷生活だと思っていたところが数百人で数十人を斬り殺しただけで救われたのだから当然といえば当然なのだろうが。
「やったなぁ! ユルトの旦那!」
「あんたのおかげだ、あんたはまさに俺たちの救世主だぜ!」
 走り寄ってきたでかい男たちにばしばしと背中を叩かれ、ユルトは背をさすりながら眉をひそめた。
「痛いってば。別に、大したことしてないよ。ほとんどはセディシュの手柄じゃん」
 そう、少しでも士官教育を受けた者ならアホでもできる簡単な仕事だった。見張りのいる場所、そいつらが気を抜く時機、兵士や監督官たちの居場所に指揮系統、武器と馬とその他もろもろの場所と数、それらすべての詳細をセディシュは知っていたのだから。自分がやったのは、奴隷部屋の見張りを騒ぎにならないように斬り殺して(寝ぼけまなこだったのでちょろかった)、奴隷たちを開放して、基本的な戦術に従い敵と最前線で戦ったくらいだ。
 が、セディシュはふるふる、と首を振る。
「俺は、たまたま知ってた、だけだから。それ、うまく使った、ユルトの方がすごい」
「えー? たまたま知れることじゃないでしょ、こんなの。知ろうとしなくっちゃ。正確な情報つかむのって大変なんだから。セディシュだって充分すごいよ。僕もけっこー頑張ったけどさ」
「がっはっは、言うなぁ、旦那!」
「さすが俺らの救世主だぜ!」
 ばしばしばしばし。
「痛いって。……で、みんなはこれからどうするの?」
「は?」
「逃亡奴隷って知られたらゲーディナ帝国の中じゃ生きてくのかなり大変だと思うけど、どーするのかなーって」
『…………』
「あの! ユルトさんっ」
 いかにも勇気を振り絞りました、という顔で前に進み出てきた男がいた。まだ年若い、ユルトともさして年の変わらないような頬の赤い青年だ。
「なに?」
「あの……この一帯には、こういう奴隷の働く鉱山がいくつもあるんです。そこはたぶん、警備体制はどこもこことさして変わらないと思うんです」
「ふーん。それが?」
「それで……あの。ここにいる人たちみんなで協力すれば、そこを落としていくことも可能だと思うんです」
「かもね。で?」
「あのっ……ですから。帝国に対する、反乱軍を結成したらどうかと、思うんです! ここにいる、僕たちの手で!」
 目をきらきらさせて語った若者の言葉に、周囲の男たちがうおおぉとどよめく。そして口々にユルトに言ってきた。
「すげぇ! やろうぜ、ユルトの旦那! うまくいきゃ、俺たちが帝国の主だ!」
「なに言ってやがる、俺らは帝国をぶっ壊すんだよ! そんで新しい国を創るんだ!」
「俺たちが、未来を創るってか……! すげぇ、たまんねぇ、やろうぜ、ユルトさん!」
 わぁわぁ騒ぐ男たちに、なんでそれを僕に言うんだろ、と思いつつも、すぱっと答える。
「結成はできるかもしれないけど。いくつか問題を乗り越えないと、すぐに潰されるんじゃない?」
「なっ!? な、なんでだよ!?」
「だって、帝国の擁する軍勢はこの地方の奴隷全部合わせたよりもまだ多いんだよ? 真正面からぶつかっても勝てるわけない。だったらなんとか相手に気づかれないうちに相手がそうそう攻め込めないようなところに軍を構えるしかないけど、そんな当て、あるの?」
「う……」
「そ……れは」
「それに、この辺は鉱山地で兵糧の集積所すらろくにない。少なくとも単純に鉱山を襲撃して奴隷を集める、なんてことをしてたら、少なくとも三つ目か四つ目には食糧が行き渡らなくなると思うんだけど」
「う……け、けど」
「えっと、そーだね、少なくともしばらく、帝国に奴隷が解放されたという情報をつかませないことができるなら、この辺りの時勢を調べてそこらへんをどうにかする情報得ることできるかもしれないけど、数日後には新しい奴隷運ぶ馬車来るだろうし、それ返さなかったら即ことが露見するでしょ? やってきた帝国の人間うまく洗脳でもできたらいいけど、それができない以上……」
 と、くいくい、と袖が引っ張られた。
「ん? なに、セディシュ」
「せんのうって、なに?」
「あ、そっかこの言葉って軍隊用語だから知らない人は知らないよね。えっと、嫌がってる相手を無理やりこちらの言うことを聞くような性格に変えちゃう、みたいなこと」
「……なら、俺、できる」
「へ?」
「その、洗脳っていうの、できる」
「へー、そーなんだ、すごいね。……でも、そんな技術どこで身につけたの?」
 興味本位で聞いてみると、セディシュは小さく小首を傾げてから、淡々とした顔で武器として持っていた鞭をピシィ! と両手で引いて鳴らした。
「人間が、どこをどういじったら、逆らえなくなるか、はよく、知ってるから」


「……なんとかなるもんだなー」
「は? ユルト閣下、なにかおっしゃいましたでしょうか」
「ううん、別にー」
 小高い丘の上から戦場を眺め、ユルトは肩をすくめた。あの鉱山での戦いから数年。自分たちの始めた戦は、どんどんと規模を大きくし、周辺諸国も巻き込んで、もはや帝国の首都近くにまで迫っていた。
 そして明日には帝国近衛軍との最後の大決戦。そしてその大軍勢を率いる頭首が自分だというのだから、世の中というのはなかなかに一筋縄ではいかない。あちらこちらの領主やら国家やらからも兵を巻き上げたりもしたのだが、その大半を解放奴隷が占めるこの軍の、主となるのは自分しかいないと(すったもんだの末に)どこの勢力も認めるようになってしまったというのだから面白いというかなんというか。
 一応兵力はほぼ万全、といえるぐらいに集めた。烏合の衆だった解放奴隷たちも、指揮系統を徹底して覚え込ませることでそれなりに組織力もつけた。あとは――
 そんなことを考えていると、ふと気配を感じ、ユルトは小さく笑みを唇に乗せた。
「ね、みんな。ちょっと一人にしてくれる?」
「いやそれは! このような場所で一人になるなど、御身が危のうございます!」
「伏兵はもうしっかり探ったでしょ? それに、暗殺者が一人や二人現れたからって、僕後れを取ったりしないって」
「は……」
 渋る部下たちを説き伏せて(なんだか知らないが自分の周りを固める部下は、やたら自分に心酔していることが多いのだ)遠ざけると、がさり、と音がして気配の主が姿を現した。数年前のあの時から、ほとんど姿を変えない褐色に白髪の少年――セディシュだ。
 ユルトは笑顔になって、数年来の相棒に声をかけた。
「お疲れさま、セディシュ。敵の陣営、どうだった?」
「予想と、変わらない。士気も、練度も、予想通り。明日の決戦で、ほぼ問題なく、潰せると思う」
「そっか、よかった。ご飯、もう食べた? 食事用意してもらったんだけど、一緒に食べない?」
「食べる」
 こっくんとうなずくその様子は、相変わらずひどく頑是ない。セディシュはこの数年で密偵としての能力をみるみる成長させ、斥候や謀略のための侵入の際にはこれ以上ないほど役に立ってくれた。
 そしてそれ以上に、なくてはならない相棒だ。この数年、ずっと自分の背中を護ってきてくれた。自分が彼に渡せたものはただ信頼だけでしかないが、彼はそれに同じだけの信頼でもって応えてくれた。
 まぁなりゆきでやってる将軍職だが、少なくとも、彼の属する軍を勝たせるために尽力できるのも、彼にひどいことをした帝国を潰すのに一役買えるというのも、実際まったく悪くない。そう微笑んで、ユルトはセディシュと連れ立って自分の天幕へと向かった。

「……はぁ?」
 その言葉を聞いて、ユルトは思わず目を見開いてしまった。
「皇帝って、誰が?」
「あなたがです、ユルト将軍」
 帝国の軍勢を再起不能になるまで叩きのめし、皇帝を処刑……というか王宮に乗り込んで首を刎ねて(奴隷帝国の皇帝らしい、ぶよぶよ太った鬱陶しい男だった)。帝国の領土をどうするか、という会議の際、それぞれに領有権を主張する援軍を出した諸国を無視し、ユルトの部下である高官の一人が高らかにそう宣言した。
「解放奴隷たちから成る精強な軍勢は、もはやあなたでなければまとめられません。国が擁する軍勢の主である以上、皇帝もあなたがなるのが自然です」
「つっても、もう剣を持ちたくないって人もいるでしょ。それに労働力として使われてた人たちが全員軍には行っちゃったらまともに国が立ち行かなくなるし、ある程度は軍縮しないとならなくなるじゃない? 他の国の人たちが帝国の領土をぜーんぶ自分のものにしちゃおうなんて欲をかかなければの話だけどさ」
 そう諸国に釘を刺しつつ指摘すると、高官はそれでも胸を張って言う。
「それでも、この新帝国の主となるのはあなた以外考えられません。これは解放軍の総意だとお考えください」
「はぁ……」
 思ってもいなかった言葉に、ユルトは思わず首を傾げた。

「なーんか妙な話になってきたよねー。僕たち別に、新しい国を創るために頑張ってたわけじゃないってのにさ」
 後宮の皇帝の寝所を寝床として与えられたユルトは、ベッドの上に寝転がりながらため息をついた。その横に、ぽすんとこちらを向いた横向きに、天地逆になって(それでも顔の位置が離れないくらいこのベッドは広いのだ)寝転がるセディシュは、少し不思議そうに首を傾げてみせた(セディシュにも与えられた部屋はあるはずなのだが、当然のようにセディシュはユルトの部屋を訪れたし、ユルトも当然それを受け容れた)。
「そうなの?」
「うん。まぁ帝国は気に入らないからぶっ潰してやりたいとは思ってたけどさ。そのあとの国創りとかそーいうのは考えてなかった。第一僕全然そーいう経験ないし、興味もないし。面倒くさそうだし。こんな僕が皇帝になったって周りの政治好きの奴らにいいようにされるのが目に見えてるじゃん」
「そうなんだ」
「まぁ、死ぬ気で頑張ればそうはならないかもしれないけど、好きでもないことをそこまで気合入れて頑張る気にはなれないなぁ、僕。そりゃ元奴隷の人たちや一般市民の人たちが幸せに生活できればいいなぁとは思うけどさ、人には向き不向きがあるよ」
「そう……」
「うん。セディシュはさぁ、どう思う? 僕が皇帝になった方がいいのか、ならない方がいいのか」
 セディシュは少し考えるように小首を傾げてから、すっぱりと答えた。
「俺は、どっちでもいい」
「そう?」
「うん。どっちでも、俺はユルトの背中、護るから」
 言ってから、少し不安そうに小首を傾げ、訊ねてくる。
「護って……いいん、だよね?」
 その問いに、ユルトは大きくうなずいた。
「あったりまえじゃん。護ってほしいよ」
「……そっか」
「うん。僕だってセディシュの背中、ちゃんと護りたいし」
「……うん」
 にこ、とセディシュは微笑んだ。この数年で何度か見た、嬉しい≠ニいう気持ちを結晶化させたような無垢な笑い。
「じゃ、ユルトの、そばにいる」
「うん、そばにいてよ。……けど、どうしようかなぁ、皇帝……」
 またうんうん悩みだすユルトに、セディシュは小さく首を傾げてから言った。
「ユルトのしたいようにしたら、いいと思う」
「したいように?」
「うん。向こうが皇帝になってくれ、って頼んでるん、だし。頼んだことを、どうやるかは、ユルトの、勝手だと思う」
「……それもそっか。じゃ、せっかくだし、いっちょ皇帝になってみよっか?」
 さらっと言うと、セディシュも同じように、さらっと答えた。
「うん。せっかくだし」
 自分の気分に沿った答えに、ユルトはにやっと笑った。セディシュもにこりと笑い返す。なんだか、不思議に悪くない気分だった。


「陛下!」
 後ろからかけられた声に、ユルトはくるりと振り向いて首を傾げる(こういう仕草をすると、皇帝としてふさわしい威厳がどうたらこうたらとかいろんな奴に言われるのだが、そんなことはどうでもよかった)。
「なに?」
「なに? ではありません! 今日の政務はどうなされたのです!? 先ほど執務室をのぞかせていただきましたが、書類が山のようにたまっているではありませんか!」
「だから、それを片付けてる途中」
「なにをおっしゃいます、こちらには厩しかありませんぞ! 皇宮の外へ出られるおつもりだったのでしょう!?」
「うん。書類の中で納得いかないことがあったから、それを聞いてこようと思って」
「なにを……」
「この治水工事の書類なんだけど。いろいろ調べたんだけど、どーにもシュペー卿が税金横領したようにしか思えないんだよね。だから、どーいうことなのか聞いてこようと思って」
「っ……ですが! そのような些事は陛下がお手を煩わせるまでもありません、我々にお命じくださればいつなりと」
「んー、でもさー、命じた奴が向こうに取り込まれたり殺されたりしても嫌でしょ?」
「っ……陛下……」
「じゃ、行ってくるから」
 行ってユルトは自分の秘書的な役割を負っているその部下をその場に残して歩き出した。実際、やれやれと言いたい気分だった。
 山のように押し寄せる仕事をそれなりに頑張ってさばいているつもりではあるが、命令を出す相手――自分の部下たちが誰も彼もあまりにも言うことを聞かないというか、余計なこと(たいがいが汚職)ばかりするので、ユルトはすぐに重要な案件は自分が動くと腹を決めてしまっていた。まぁ国の上層部が汚職をするのは今に始まったことじゃないというのは確かだが、新しい国を創るとか理想に燃えておいてこの変わり身の早さ、正直呆れる。
 始末する前には、どいつもこいつも『あなたがいけないのだ、我々譜代の臣をないがしろにするから』とか抜かしてくれるのだが、そもそもわずか数年前に始まった国なのだから、たかだか皇帝と側近の臣ぐらいの繋がりで、由緒もくそもあったもんじゃないだろうに。
 厩に入って一人で馬を選び、とっとと出発する。厩舎番が大騒ぎしたが、まぁいつものことなので気にしないことにした。というか何度話し合ってもたかだか外出するくらいでいちいちでかい馬車を用意しなければならない必要性がさっぱりわからないので、ユルトとしては彼は通じ合えない相手なのだろうと諦めている。
 シュペー卿の屋敷にたどりつき、訪問を知らせる。シュペー卿は大慌てで迎えに出て、宴席を用意しようとしたが、そんな無駄なことにつきあう気はなかったのでやめさせた。
 応接間で、召使たちが控える前で、率直に聞く。
「シュペー卿。君ってさ、公金横領してるよね?」
「―――!? な、なにをおっしゃられます!?」
 そんなことを言われるとは思ってもみなかったのか、大慌てで目を泳がせながらシュペー卿は首を振る。だが、ユルトは容赦しなかった。
「そうじゃないんだったら説明してほしいな。なんで治水工事の予算案がこうも高く組まれてるのに、募った役夫がこれしかいないのか。わずか数ヶ月前に築いた堤なのに、もう水害の報告が出てるのか」
「で、ですから、それは……」
「それに、君の部下の一人……アルゲンって言ったっけ? 彼が証言してくれてるんだけど。君が書類を操作して公金横領したって。それが間違いだっていうんなら、理論的な説明を聞かせてほしいんだけど?」
「………っ! 者ども、であえ!」
 予想通りの言葉に、やれやれ、と肩をすくめてユルトは剣を抜き、すたすたと近寄ってシュペー卿を斬った。
「が、は……!」
「なんていうかさぁ、悪事やるならもうちょい真面目にやってくれないかな。この距離で援軍呼んだって出てくる前に斬られるに決まってるじゃん。まぁ、もう殺しちゃったしどうでもいいけど」
 バンッ、と扉が開いて次々出てくる私兵たちに、ユルトは肩をすくめてみせる。
「君たちの主は公金横領してて、それを追求したら開き直ったから斬ったんだけど、それでも君たち主の命令に従うの? 従ってももうお金払ってくれる人誰もいないし、僕一応皇帝だから傷つけたら死罪なんだけど」
『っ………』
 どよめきながらも道を開ける私兵たちに、肩をすくめる。
「ま、それが賢明だね。じゃ、そーいうことで」
 すたすたその道を歩くと、後方で「うああぁぁあ!」と叫び声を上げた、と思うや一人の兵士がこちらに突撃してきた。ユルトは素早くそちらを向こうとするが、それよりも早く鞭が飛びその兵士の武器を叩き落とす。
「なっ……どこ、から」
「僕には背中を護ってくれる相棒がいるからねー。……で、皇帝を殺そうとしたそこの君。なにか言い訳とか、自己主張とか、ある?」
「……っ、呪われろ、独裁者め! 次々と忠臣を誅殺して……お前のせいで何人の主を殺された人間が泣いたことか!」
「ふーん……でもさ、こーいう風に殺したのって、僕から喧嘩を売ったわけじゃないんだけど。向こうに『こんな悪いことしてるよね?』って確かめたら、開き直って襲ってくるから身を護るために殺しただけで。それって、いけないこと?」
「っ………」
「他には? 言いたいとか、文句とかない? あ、そう。じゃ、そーいうことだから、ごめんね」
 そう言ってユルトは剣を振るい、その兵士の首を斬り落とした。

「はーっ、つっかれたぁっ」
 ユルトは自室のベッドに寝転がる。その横で、セディシュがいつものように天地逆に、けれど顔の位置は合わせて同様にゆっくりと寝転がった。
「なんていうか、みんないちいち暇だよねぇ。こっちはやれって言われたからいっしょーけんめーやってるだけなのに、わざわざ悪いことしてさ。そしたらこっちとしては否が応でも裁かないと駄目じゃん。そんくらいなら最初っから頼まなきゃいいのにさ、ねぇ?」
「うん」
 セディシュはいつものように淡々とうなずく。ユルトは体を反転させてうつぶせになり、足をぱたぱたと揺らした。
「しっかし、減ったよねぇ、解放軍にいた頃からの人材。みんなして汚職に手を染めて、責めたら開き直って攻撃してきて僕たちの反撃でぶっ殺されてって同じような流れで。なら最初からわざわざ要職につかなきゃいいと思うんだけどなー」
「うん」
「……もしかしたら、そろそろくるかもなー」
「なにが?」
「だからさー、反乱軍。こんな皇帝に仕えるのもうやだー、ってみんなして協力して軍組織して、襲ってくるんじゃないかなーって」
 その言葉に、セディシュは珍しく、小さく眉を寄せた。
「……俺たちを、殺しに?」
「うん。セディシュは存在知らない人の方が多いから殺さないかもしれないけど、少なくとも僕は殺さなきゃおさまりがつかないんじゃないかな。そんくらいなら最初っから皇帝とか頼まなきゃいいのにな、ってこれさっきも言ったか」
「…………」
「ん? どしたの、セディシュ?」
 考え込むような顔をするセディシュに首を傾げると、セディシュは眉を寄せたまま、低い声で言った。
「俺は、そんなの、嫌だ」
「…………」
「ユルトが殺されるの、嫌だ。ひどい目に合わされるの、嫌だ。……ユルトがいなくなるの、嫌だ。絶対、に」
 その言葉を、しばし目を閉じて堪能する。人が、しかも信頼する大好きな相手が、自分のことをそんな風に思ってくれているというのは、何度実感してもやっぱりすごく嬉しいし生きる気力が湧いてくる。
 だから、ユルトはにかっ、と笑ってセディシュに顔を寄せた。
「うん、僕も。セディシュが殺されるのも、僕が殺されるのもごめんこうむる――だから、作戦考えない?」
「……作戦?」
「うん。反乱軍が押し寄せても僕たち二人が生き延びられるような、作戦」
 その言葉に、セディシュはにこりと笑みを浮かべてうなずいた。嬉しいという感情と、面白がるような感情が伝わってくる、出会ってから何度か見た笑顔。
「うん。考える」
 その言葉にまた笑みを返して、ユルトはセディシュの頭をくしゃくしゃとかき回した。

「……皇帝陛下。お覚悟を願います」
 寝所に押し入り、そう言って剣を突きつけたのは、自分の近衛だった十数人だった。
 その時にはもう気配を察して目を覚ましていたユルトは、自分の武器を構えたまま肩をすくめて訊ねる。
「一応聞くけど、なんで?」
「あなたは……殺しすぎた。新たな国を創るという理想を掲げながら、同志である我らをあまりに、無慈悲に……」
「別に僕、そんな理想掲げた覚えないけど。皇帝になれって頼まれたからそれもいいかと思ってなっただけだし。それに同志っていうのも変じゃない? 僕たち別に志一緒じゃなかったと思うけど」
「………! あなたは……この期に及んで! ではあなたは、なぜ皇帝の座につき続け、独裁者として次々臣を殺していったのだ!」
「なんでって……やめる理由も見つからなかったし。で、仕事としてやる以上は頑張ってやりたいし。汚職とかしてる奴がいたら突き止めて牢獄へ送るなりなんなりしたいし。殺したのは向こうがこっちに向かってきたから、殺さないと殺されちゃうじゃん」
「………っ! ならば、今度はあなたが殺される番だ! もはやあなたの命運は尽きたのだからな!」
「それはどうか知らないけど。僕を殺したいっていうんなら、相手になるよ」
「よろしい、ならば……」
 ドグワゴォォン!!!
 強烈な爆発音が鳴り響き、元近衛たちは大きく身をすくませた。ユルトは予想していたのでさして気を逸らされず、相手が隙を見せたので素早く駆け寄って斬りつける。
「っ! 貴様……なにを!」
「まぁ君らみたいのが来るかな、っていうのは予測してたからさ。手は打っておいたんだよね。皇宮のあちこちに、発破しかけといたんだ」
『発破……!?』
「一ヶ所に火をつけたら連動して皇宮全体を焼き尽くすようにしてさ。どうせ、軍勢の大半は皇宮の中に入れちゃってるんでしょ?」
「な……! それでは、あなたも無事ではすまぬとおわかりにならないのか!」
「ああ大丈夫、抜け道は作っといたから。あとは時間を稼げばいいだけだし」
「皇宮を焼き、軍を焼き、それほどのことをしてなおあなたを国民が支持するとお思いか!」
 ユルトの剣を必死に防ぎながら元近衛の一人が言ったことに、ユルトはきょとんと小首を傾げる。
「変なこと言うね。国民もなにも、これで君たち全員が死ぬんだから、僕が皇帝でいなくちゃならない理由、ないでしょ?」
「な!?」
「僕に皇帝になれーって言ってた人たちが全員死ぬんだから、皇帝でいなくちゃならない理由はない。やめる積極的な理由があるわけじゃないけど……ぶっちゃけ、皇帝って仕事、つまんないし。予想してた通りに」
「つ……!」
「だから、今回の件はちょうどよかったんだよね。君たち全員が死ねば、もう俺を追う人もいなくなるし」
「ちょうど、いい……!? こんな、こんな真似をしでかして、ちょうどいい、とは……!」
「だって」
 またもきょとんと、ユルトは首を傾げた。
「先にこっち殺そうとしたの、君らでしょ? だったらこっちだって、身を護るためこれくらいのことはするよ。命に代えても護りたい、っていうような人は、もう僕の相棒で、僕の背中にいつもいてくれるんだから」
「――――」
 その言葉を聞いて、なにを思い出したのか。一瞬動きを止めた相手の首にどこからか素早く鞭が巻きつき、首を折る。ユルトはそれを当然のように受け容れて、隣の男の首をごくあっさりと斬り落とした。

 ゲーディナ帝国時代から使用されていた皇宮は、三日三晩燃え続けたのちに崩れ落ちた。
 同時に帝国軍上層部の多くもその炎にまきこまれ、命を落とした。

 帝国とパルーザ王国の国境にある街、ベスタの質屋を、二人組の男が訪れた。一人は黒髪をバンダナで覆い、もう一人は褐色の肌に白い髪をしていた。
 彼らの差し出したのは、それこそ王宮の宝物庫に収められているような代物で、質屋は驚きつつも数十枚の金貨を男たちに渡した。
 その際、少しばかり世間話をした。
「男二人での旅かい? そりゃまた寂しいことで」
「寂しいって、なんで?」
 黒髪の青年のきょとんと首を傾げる仕草は、質屋の主人にはひどく子供っぽく見えた。
「なんでって、そりゃあ……女なしじゃあ寂しいだろう。所帯を持って落ち着くこともできんし」
 そんな言葉に、青年はあははと笑って答える。
「そんなの言い出したらきりがないよ。っていうかさ、人生にそんなにたくさんのもの望むと、早死にするよ」
「そうかね?」
「うん。僕はかなり恵まれてる方だと思うよ。今はもう背負うものもしなくちゃならないこともないし。なにより、背中を護ってくれる相棒がそばにいるしさ」
 そう言ってにこり、と笑うと、褐色の肌の青年(いっそ少年と言いたくなるような幼い顔立ちをしていたが)はひどくあどけない表情でにこ、と笑ってうなずき、言った。
「うん。そばにいる。ずっと」
「ね?」
 そう笑い合って店を出ていく男たちの背中をなんとなく見送り、質屋の主人は一瞬、背筋に走った悪寒に身を震わせた。子供っぽい奴らのただのお喋りだ、そのはずなのに――なにかひどく、ぞっとするものを見たような気がしてしまったのだ。


ユルト「はーい、『大帝国、征服されたばかりの国の新入り奴隷と古株奴隷』でしたっ。いかがでしたでしょーかっ?」
セディシュ「……俺は、けっこう、楽しかった。普段とは違う、シチュって、やってみると、面白い」
ユルト「だよねー。なんか管理人が言うにはさ、『天然の歯車がひとつずれるとこういう状況にもなりうる』っていうのを描きたかったらしいんだけど、僕は別にそんな普段と違うことやってた気しないんだけどな? まぁ、やっててけっこう面白かったから、いーよね?」
セディシュ「(こっくり)……読んでくれた人が、少しでも楽しんでくれると、嬉しい」
ユルト「そーだねー。それじゃ、みなさん、ごきげんよー!」
セディシュ「………(ぺこり)。できれば、また、どこかで」

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