「ランパート」 赤毛の少年が、男を振り向いた。 「なに?」 「作戦通りにやれよ、そうすれば必ず勝てる」 「わかってるって。マスターそれ言うの何度目だよ」 「だが……」 「だが?」 少年が首を傾げる。 「もし、万一勝てなかったら、俺のところに逃げてこいよ。そのあとのことはおれが死んでも何とかしてやる」 「マスター……?」 「いいか、ランパート。おれにはお前よりも大事なものなんて、この世に一つもないんだからな」 男は少年をじっと見つめた。その目はひどく真剣だ。 しばらくして、少年は小さく言った。 「ありがと、マスター」 少年は向き直り、舞台に続く階段に足をかける。 「ランパート……」 「大丈夫、おれ、勝つよ!」 顔だけ振り向いて向けた笑顔は、ひどくまぶしく見えた。 「…あの、ここはどういう所なんですか?」 コロシアムの観客席の真ん中辺りで、純朴そうな青年が隣の男に訊ねた。男は訝しげな顔になって言う。 「ああ? あんたそんなことも知らねえでチケット買ったのかい?」 「はあ……街を歩いてたら、旧に押し売りされて、ここの門の前に連れてこられまして。後は人の流れにのってここまで……」 「は、はん。あんた旅の人だね?」 「え、わ、わかりますか」 顔を赤らめて頭をかく青年を、男は優越感をこめて笑った。 「そりゃわかるよ。いかにも町に慣れてないって感じだし、第一この国の人間でここを知らねえ奴はいねえからな」 「はあ……」 「まあ、あんたに押し売りした奴は質がいい方だな。場所を案内してくれた上にそこそこの席のチケット売ってくれたんだから。あんたラッキーだよ」 押し売りされて運がいいはないだろう、と青年は少し憮然としたが、気をとりなおして訊ねる。 「あの、それで、ここはいったいどういう所なんですか?」 「闘技場さ」 「闘技場……?」 しばし考え込んで、はっと気づいて言う。 「じ、じゃあここって、殺し合いを見せる場所なんですか!?」 「ああ。だが、人間の殺し合いなんてそんな野蛮なものを見せる場所じゃねえ」 「え、それじゃあ動物同士を戦わせるとか……?」 「ちちち、そんなもん見て何が面白いんだよ。見た目は人間さ」 「え……?」 「まあ見てな。じき始まる……お、司会者が出てきたぜ!」 ざわめいていた満席の会場が静まるのを待って、出てきたタキシードに蝶ネクタイというかっこうの男が大声で拡声器にしゃべりはじめた。 「さあご来場の皆様、ながらくお待たせいたしました! これより! 第263回、ピノッチア・バトルブレイクアップ″を開催いたします!」 うわあぁぁぁぁっ! 会場が沸いた。あるものは手を打ち鳴らしあるものはピーピー口笛を吹きまくり、コロシアムが興奮と狂騒で満たされる。 その騒ぎがある程度治まってから司会者が語り始めた。 「さて皆様、ピノッチア・バトルも今回で263回を数えることとなりました。今日はいかなる戦いがこのコロシアムで繰り広げられるのか? 勝つのは誰か負けるのは誰か? 何体のピノッチアが闘技場の露と消えるのでしょうか? 骨身を砕く壊し合いが今日もまた始まろうとしておりますっ!」 『話が長えぞ!』 『とっととはじめろ!』 あちこちから野次が飛ぶ。司会者は2、3度咳払いをすると、大声で叫んだ。 「それでは第一試合を開始します! ホワイトゲート、ザーン伯シュペッツェ卿所有ギリアム!」 わぁっと喚声が上がると同時にコロシアムの向こう側にある白く塗られた重々しい扉がぎぎぃっと音をたてて開いた。 扉の奥から一人の少年が進み出てくる。遠目なので細かい顔かたちまではわからないが、金髪の十五歳くらいに見える少年だ。右手に剣、左手に盾といういかにもな剣闘士スタイルで、堂々と闘技場の中央に進み出てくる。 「……あんな、子供が……?」 半ば呆然と呟く青年。が、男は青年ににやりと笑いかけた。 「子供じゃねえよ」 「だって……! まだ十五歳くらいでしょう!?」 「ありゃそもそも人間じゃねぇんだ。ピノッチアなんだよ」 「ピ……ノッチア?」 青年は狐につままれたような表情になった。 「あんたピノッチアも知らねえのかい? 姿形は人間そっくりの、動いて喋ったりする人形だよ」 「う、噂には聞いたことありますけど……でも、どう見ても人間にしか見えませんよ!?」 「だからピノッチアなんだろ? まあ間近で見れば少し人間とは違う所があるらしいがな」 「………そんな………」 青年は呆然とした。 観客の喚声が少し静まったのを見計らって、司会者が大声を張り上げる。 「レッドゲート、新人です、民間所有ランパート!」 またも喚声が上がったが、その中にはいくつかブーイングも混じっていた。 「ふん、民間所有が貴族のピノッチアに勝てるわけねえだろうに。結果のわかってる勝負なんて面白くねえよ、なあ?」 「は、はぁ……」 わけがわからないながらも一応うなずく青年。 ぎぎぃっと音がした。ここからは死角になっているが、こちら側の扉が開いたらしい。 闘技場に出てきたのは、赤毛の少年だった。棍というのだろうか、両端に金属をつけた木の棒を持ち、黒と白の二色に塗り分けられた、右足は長ズボンなのに左足は半ズボンという珍妙な服を着ている。 せっかく近いのに顔が見えないな、と青年が思っていると、赤毛の少年――ピノッチアはふいにこちら側を振り向いて、にこっ、とひどく嬉しげに笑った。 心臓が跳ね上がった。自分に笑ったのかとびっくりしたのもあるが、その笑いが――なんと言うか、ひどく無防備で、子供っぽく、あどけなく見えたのだ。 赤毛のピノッチアはいかにも元気のよさそうな男の子らしい、眼のくりくりした可愛らしい顔をしていた。 隣の男はその笑いに気づきもしなかったようで、ひたすらブーイングを飛ばしている。周囲の人々も似たような様子なので、青年は必死に心臓の鼓動を静めた。 やがて赤毛のピノッチアは向き直り、相手方の金髪のピノッチアと同じように中央に進み出た。 双方ともすっと武器を構える。場内が潮が引くように静かになると、司会者が大声で叫んだ。 「第一試合、始めっ!」 わあぁぁぁぁっ! 会場が沸き立つ、と同時に金髪のピノッチアが突進した。その勢いを利用して赤毛のピノッチアに剣を叩きつける。 ガキィィン! 鉄と鉄とがぶつかり合う音が響いた。赤毛のピノッチアが棍のはしっこで受けたのだ。 キィン、キィン、ギィン! 金髪の方は嵐のように剣を振りまわし、ひたすら攻める。赤毛のピノッチアは防戦一方だ。後ずさりしながら剣を防ぐことに専念している。金属音が響くので棍のはしっこで受けているのだとわかった。 「どうした赤いの! 受けてばっかりじゃ勝てねえぜ、ちっとは抵抗してみせろ!」 隣の男が嬉しげにわめく。周囲の人間も似たようなことを叫んでいるようで、青年は胸が悪くなるのを感じた。 『どう見たって子供が戦ってるようにしか見えないのに、なんでそんなに楽しめるんだ……』 闘技場では赤毛のピノッチアがいよいよ追いつめられようとしていた。いつのまにかコロシアムの壁際まで後ずさっていたのだ。 もう後がない。 「とどめだ! 壊せぇっ!」 隣の男が叫び、場内がわぁっと沸く。金髪は剣を大上段に振りかぶり、すさまじい勢いで振り下ろした―― ――次の一瞬に何があったのか、青年には理解ができなかった。 ただガギィィィン! とひときわ大きな音がして、何か光るものが飛んでいったかと思うと赤毛のピノッチアの姿が消え――金髪のピノッチアが倒れていたのだ。 場内が一瞬水を打ったように静まり返ったかと思うと、次の瞬間わぁぁっと沸いた。 「…今の、見ました!?」 青年はほおを紅潮させ隣の男に話しかけた。胸が運動した直後のように高鳴っている。 「…い、いやわからねえ……音がして赤いのが消えたと思ったら金髪が……」 「あ、見て下さい! 金髪の方の武器……!」 青年は倒れている金髪の方の武器を指さした。金髪が倒れながらも握り締めていた剣は、半ばからポッキリと折れていたのだ。 「……そうかっ! あの音は剣が折れた音だったのか! しかしどうやってやったんだ!? そう簡単に折れるもんじゃねえだろうに……!」 「すごい……」 青年はぼうっと呟いた。赤毛のピノッチアは倒れている金髪の足の方に立って、棍を頭の後ろに引っかけるようにして揺らしている。そのかっこうはひどく子供っぽく見え、彼が一瞬で剣を折り相手を倒したと誰かに言われてもたぶん信じられないな、と思わせた。 「……壊せ」 誰かが小さく呟く。その呟きはさざなみのように周囲に広がっていった。 「壊せ」 「壊せ!」 「壊せ! 壊せ!」 「壊せ! 壊せ! 壊せ! 壊せ!」 小声の呟きがみるみるうちにコロシアムの観客の声を合わせた叫びに変る。場内が壊せ、壊せという叫びで揺れた。 「……みんな、何を叫んでるんですか……?」 青年は恐る恐る男に訊ねる。 「わかんねえのか? 勝者に敗者を壊せって言ってるんだよ、バラバラにしろってな」 「…バラバラ!?」 「ここじゃあ勝者には敗者を好きなようにする権利があるのさ。負ければバラバラにされたって文句は言えねえんだ、たとえお貴族様だってな。…ったく、民間所有なんかに負けやがって、おかげでこっちは大損だぜ」 「だって……子供ですよ!? まだ、どっちも!」 青くなって言いたてる青年に男は吹き出した。青年はむっとしたが、くっくっと笑いながら男は言う。 「…あんた、忘れてねえか? あれはピノッチア″なんだぜ、人形なんだ。人間じゃねえんだよ」 「え……」 青年は虚を突かれた表情になった。 「生きてるわけでもねぇ人形なんぞ、壊そうがどうしようがかまやしねえだろ? あんたも見てみろよ。面白えぞ、人形が泣き叫ぶとこは」 「そんな……」 『動いて、喋ってる、人間と同じ形をしたものを壊す……?』 『そんなことしていいのか。たとえ生きていなくても壊されたくないと泣き叫ぶものを壊していいのか?』 『なんでそんなことを楽しめるんだ。この人たち、狂ってる……』 千々に乱れる思いを抱きながら、青年は赤毛のピノッチアを見た。あの少年は、この声の中でいったいどうするんだろう。 赤毛のピノッチアは、戸惑ったように会場を見渡していた。右を見て、左を見て。声は高まる一方だ。 と、急にこちらの方を振り向いた。体全体でこっちを向いて、じーっとこちらのほうを見つめている。 なんなんだろう、と緊張しながら見ていた青年の心臓が、どくんと跳ね上がった。 赤毛のピノッチアが、また笑ったのだ。やはり、ひどく嬉しげに。 少し遠かったが、笑っているのははっきりわかった。顔全体で、久しぶりに好きな人に会えたように、もう嬉しくて嬉しくてたまらないというように笑うのだ。 そしてその赤毛のピノッチアは、こだわりなく自分の出てきた門の方へ歩き出した。 相手を壊すつもりがないとわかり、観客はたちまちブーイングを飛ばした。隣の男も腹立たしげにぶーぶー言っている。 だが赤毛のピノッチアは気にした風も見せなかった。相変わらず嬉しくてたまらないというような、とろけそうな顔で小走りになってこっちに向かってくるのだ。 「……すいません、あの赤毛のピノッチア、名前、なんて言ってましたっけ?」 青年は隣の男に訊ねた。 「…なんだよ、そんなもん聞いてどうしようってんだ? …えーと、確か……ランパートだったと思うぜ」 「ランパート……」 青年は口の中だけで呟いた。心臓の鼓動は、まだ、治まりそうもなかった。 |