虜囚二人
「マスターっ!」
「ランパート!」
 一段高くなっている舞台の出入り口から飛び降りて、ランパートはマスターに抱きついた。マスターも抱きかえし、そのままその場でくるくる回る。
「どうだよ、マスター! オレ、勝っただろ!?」
「ああ、よくやった、ランパート!」
 ぐしゃぐしゃとランパートの髪の毛をかきまわすマスター。
「まあこれもひとえに俺の巧みな作戦のおかげだな、うん」
「あ、なんだよそれ! 実際にやったの俺だろ? それに作戦なんかなくたって俺あんな奴楽勝で倒せたもんねーっだ!」
「お、言ったなコイツ。なまいき〜」
「わは! やめろよマスター、ヘンなトコ触るなって!」
 ひとしきりじゃれあうと、そのままマスターはそっとランパートを抱きしめた。
「よく、帰ってきてくれた。ランパート………」
「マスター………」
 ふたりは至近距離でじっと見つめ合い――
「いっいっかっげっんっにっ、せんかぁ―――っ!」
 無骨な怒号が響き渡り、マスターとランパートはきょとんとして声の方を見た。
 そこには声の通りのいかにも無骨者、というごつい顔立ちをした兵士がおり、二人の方をじっと睨みつけていた。その脇にはいささか気弱げな、それよりかなり若い兵士も立っている。
 マスターはきょとんとしたまま、その二人の兵士に話しかけた。
「なんだ、あんたら。ひょっとして混ざりたいのか?」
「違うわ―――!!」
「それならそうと早く言ってくれればいいのに……でもダメだぞ、今はランパートと俺の貴重な二人っきりのコミュニケーションタイムなんだから。遊んでほしいならもっと別の時に……」
「違うと言うとろうが人の話を聞け―――!!!」
 絶叫するごつい兵士。
「すいません。ゴーツさんはちょっと職務熱心が過ぎるだけなんです。それでついこんなふうに叫んじゃうんです。気にしないであげてください。すいませんすいません」
 気弱げな兵士は気弱げな笑みを浮かべて無意味に頭をぺこぺこ下げる。
「シフラムー! おまえは、いつもいつも俺がそう簡単に頭を下げるなと言うとろうがー!」
「ああっ、すいません、すいません!」
「だから、下げるなー!」
「すいませーん!」
「あのさ、オッサンたち、オレたちになんか用なのか?」
 面白いもののように二人を見ていたランパートが、きょとんとした口調で聞いた。
「オッサ……う、うむ。お前たちも既に聞き及んでいると思うが、一回勝利したことによりピノッチアバトルの正式参加者として登録され、個室が与えられる。そして世話役兼監視役として我々二人が配属された。私はゴーツだ」
「シフラムです。よろしくお願いします」
 そう言って二人はぺこりと頭を下げる。
「オレ、ランパート! こっちこそよろしくな!」
 ランパートはにこっと笑って元気よく挨拶した。シフラムという名のほうの兵士がつられてへらりと笑みを浮かべ、ゴーツの方に小突かれる。
「……というか、もう俺たちの名前なんて知ってるだろ?」
 苦笑気味に頭をかくマスターに、ゴーツが顔をしかめる。
「ああ、そっちのピノッチアの方はな……だがお前の書いた名前はなんだ? マスター″なんぞと、ふざけおって。ピノッチアの持ち主で男なら、誰でもマスターだろうが!」
 マスターはふっとニヒルな笑みをうかべ、肩をすくめてみせた。
「俺はただのマスター″さ。どうしても呼びたければマスター・マン″とでも呼んでくれ。本名なんて上等なもんは、とうの昔にドブに捨てちまった」
「マスター・マン(主人と執事)だと? ふざけおって……」
「マスター、そういう風に名乗る時だけはいっつもカッコつけてんのな」
「なんだとぅ? わかってないな、お前は。カッコつけてるんじゃない、これが様式美というものの究極の一つの形なんだ」
「うっそだー。この前宿の電気箱(テレビ)で時代劇見て涙ぐみながら『ああ、これこそ様式美の究極だよなぁ』って言ってたじゃん」
「あっここでそんなこと言うか!? お前だって時代劇見た後面白がってチャンバラごっこしてたじゃないか!」
「だってカッコいいもん。マスターの様式美ってのはあんま似合ってないけど」
「な、なんだとぉ!?」
「やめんか―――っ!!!」
 絶叫するゴーツ。二人はピタッと動きを止めた。
「ぺちゃくちゃぺちゃくちゃとくだらんことを喋るんじゃないっ! お前らは虜囚なんだぞ! 虜囚剣闘士なんだ! その自覚があるのか!?」
 問われて二人は顔を見合わせ、にやりと不敵な笑みを交わしてみせた。
「もちろんあるさ」
 とマスター。
「あったり前じゃん」
 とランパート。
 そう、赤毛にトパーズの瞳のいかにも元気系な男の子ピノッチアのランパートと、黒髪長身のランパートの造り主であるマスターは、現在ここビーカルダヤ帝国の虜囚剣闘士だった。

「でも、さっきの試合はすごかったですねぇ。いったいどうやって剣を折ったんですか? 僕間近で見てたのに全然わからなかったですよ」
 剣闘士たちの部屋棟へ続く狭い通路を歩きながら、シフラムが好奇心を丸出しにして聞く。
 それに対しマスターは、ややオーバーアクション気味に腕を動かして説明した。
「ああ、言ってしまえば簡単なんだがな。剣の脆くなっているところに、寸分の狂いもなく衝撃を与え続けたのさ」
「は……?」
 あっけにとられるシフラム。
「だからさ。相手の使っていた剣の力の集中している、すなわち最も壊れやすい部分を狙って何度もそこを打ったんだ。数cmのズレもなく、な。それにプラスして相手の攻撃にカウンター気味に合わせたから相手の力と勢いも完全に利用されてる」
 ここでマスターは少し肩をすくめた。
「おまけにあの相手の剣は手入れが悪くてな。見栄えは良くても強度という点ではボロボロだった。折れて当然ってわけだ」
「……あの……それって、もしかしてめちゃくちゃ難しい芸当なんじゃないですか?」
 やや青くなってたずねるシフラムに、マスターはにやりと笑った。
「まあ、それ相応の腕がないと無理だっていうのは確かだな」
「へぇ……ランパートくんって、すごいんですねぇ」
「へへっ、まあね!」
 ランパートがやや得意げに鼻の下をこする。シフラムは思わず微笑んだが、ゴーツはむっつりした表情を崩さない。
「……ところで、お二人はどうして虜囚剣闘士なんかに?」
「シフラムッ!」
 激しく遮るゴーツ。
 が、マスターはランパートとまたにやりと笑みを交わし、言った。
「この国に喧嘩を売ったのさ」
「……は?」
 マスターは大きく腕を振り、演説するように言う。
「この国は間違ってると思わないか? ピノッチアを戦わせ殺し合わせる――そしてそれに微塵の罪悪感も抱かない――間違ってると思わないか? ピノッチアだって命を持って、考えたり感じたりすることができる存在だというのに。だから俺たちはこの国に喧嘩を売ったんだ。この国を変えて、まともな国にするために。ピノッチアが殺されるなんてことがないような国にするために――」
 マスターがここでくるっとシフラムを振り向いた。
「どうだ、あんたも協力しないか? 今ならうまくすれば事後の二階級特進も夢じゃないぞ」
「黙らんか、キサマ!!」
 ゴーツがマスターの胸倉をつかんで壁に押しつけた。
 ランパートの体に一瞬ぐっと力が入ったが、マスターが視線でそれを制する。
 ゴーツは視線で射殺さんばかりの形相になってマスターを睨みつけた。
「いい加減にしておけよ……自分の立場をよくわきまえるんだな。お前らは虜囚剣闘士なんだ、罪人も同じなんだぞ!」
「ああ、よくわかってるさ――ビーカルダヤ帝国剣闘士取り扱いについての法律5のV。『虜囚剣闘士は勝ち続けるかぎりにおいてはその身分を保証され、その罪について処罰されない』――つまり今のとこ、俺たちは殺されることも牢に入れられることもないってわけだ」
 ぐぬぬぬ、と苦虫を噛み潰したような顔のゴーツとマスターの間にわってはいるようにしながらランパートが言う。
「マスターを放せよっ!」
「…ちっ!」
 ゴーツはぐい、とマスターの体を押しやると、先にたって歩き出した。
「あんたはどうだい、乗る気ないか?」
 壁に寄りかかったままそう言うマスターを、ゴーツは振り返って無表情になって見た――だが、その視線には殺意がこもっている。
「一つ言っておく。私に二度とそんなくだらない提案をするな。私はピノッチアが大嫌いなんだ」
 向き直り、先刻より数倍する速さで歩き出す。
 マスターは肩をすくめた。
「大、がつくほど嫌いなら、喧嘩を売る必要もないだろうになあ」
「なんだよ、それ?」
「いや、年寄りの独り言だよ」

 部屋の扉を開けて、ゴーツはマスターとランパートを部屋の中に押しやった。
 部屋は一応清潔に保たれていた。2m×2mの部屋に窓が一つ。中に置いてあるのは毛布が二つきり。家具の類は一切ない。
「ベッドもなしか……まあ、風呂トイレが別なだけラッキーかな。これまでは大部屋で雑魚寝だったわけだし」
「でも狭いなー。二人で寝たら部屋いっぱいになっちゃうじゃん」
「待遇を改善してほしければもっと勝ち続けることだな」
 言い放ち扉を閉めかかって、ゴーツはぴたりと手を止めた。
「言い忘れていたが、お前たちの次の試合は既に決定している」
「へえ、手回しのいいことだな。いつだ?」
「明日だ」
 陰湿な笑みを浮かべるゴーツ。
「相手は?」
「言ってもわかるまいが……アルダイ伯フィリッポス卿所有、エステル」
「ふうん……」
 そう言ってランパートはちょっと首を傾げてみせる。
「ま、いいや。よーするに明日オレが勝てばいいんだろ? 待遇が早くよくなっていいよなっ!」
 にかっと笑うランパート。
「…大した自信だな」
「いや、だめだ!」
 期日を聞いてから黙り込んでいたマスターが叫んだ。
「ほう、明日では勝つ自信がないか? 今日と違って明日の相手はこの闘技場でもベテラン格だからな。だが命乞いをしても無駄だぞ」
「そーいうことを言ってるんじゃない。いきなり明日に試合だったらバトルコスチュームが間に合わんじゃないかと言ってるんだ!」
 ――沈黙。
「……バトルコスチュームとはなんだ?」
「聞いてわからないのか。試合のためのコスチュームのことだ!」
「誰のですか?」
「ランパートのに決まってるだろう」
「なんでそんなもん作るんだよ」
「お前のかわいさをより引き出して観客を虜にするために決まってるだろうが!」
 ぶーっ。ゴーツが吹いた。
「えーっ。だってさっきの試合はこのまんまでやったじゃん。いつもの服で、別にいいじゃんか」
「何を言ってるんだ、ランパート。今日は初日だからお前の基本の姿を見せたんだ。結婚式だってことあるごとにお色直しするんだぞ? お前はそのままでも十分かわいいのは認めるが、人の目を引きつけ飽きさせず、新しい発見をさせることによってよりハマらせるためには絶え間ない変化が必要なんだ!」
「……あのさぁ……そんな、かわいいかわいい言うなよな」
「お? なんだ、照れてるのかこいつ? うりうり〜」
「わ! だからやめろってマスター!」
 ゴーツがふるふると震えだした。シフラムが慌てて耳を塞ぐやいなや、ゴーツが大声で叫ぶ。
「あほか――――っ!!!」
 驚いて目をぱちくりさせるマスターとランパート。その無邪気に見える姿が余計ゴーツの怒りを煽った。
「明日も知れぬ身だというのにのんきにそんなくだらんことを考えている場合かーっ! 少しは真面目に考えたらどうなんだこのたわけ者がーっ!」
「真面目に考えてるさ」
「どこがだ!」
「ランパートは勝つ。絶対にな」
 落ちついた調子の中ににじむ強烈な自信にゴーツは気圧され、気圧されたことにまた腹を立てた。
「…ふん! どちらにしても試合の日程は変えられん! せいぜい皮算用でもしていろ、このうつけ者!」
「あ、僕外で見張ってますんで、何かあったら声かけてくださいー」
 バタン。扉が閉まり、部屋の中はマスターとランパートの二人だけになった。
 ランパートがぽりぽりと頭をかく。
「なんか、怒りっぽい人だな」
「まあな。それだけ真面目ということなんだろうが……仕方ない、夜なべしてなんとか明日までに仕上げるか」
「……本当に作んの? そのバトルコスチュームってやつ」
「当然だ。なんとしても完成させる!」
 ランパートは肩をすくめると、マスターに近寄ってきて上目遣いで見上げた。
「ん? どうした」
「マスターって、俺のこと、信じてる?」
 マスターはふっと笑って、ランパートの髪をわしゃわしゃとかきまわした。
「ああ、信じてるよ。だから安心しろ。お前は絶対に勝てる」
「……うん」
 こくんとうなずくランパート。マスターはニヤッと笑った。
「相手の試合は一度見たことがある。まあお前なら楽勝の相手だが――作戦がある」
 ランパートも顔を上げて、ニッと笑う。
「そーだな。オレたちはただ勝つだけじゃダメなんだもんな」
「ああ、俺たちは観客を魅了して、酔わせなきゃならないんだ」
 顔を見合わせて、二人は笑った。
「だが、油断はするなよ?」
「当然じゃん。誰に言ってんだよ?」
「ようし、その意気だ。……ってことで、ちょっと耳貸せ」
「うん。なになに……」
 二人は小声になって言葉を交わし、やがて不敵な笑みを浮かべた。
「面白そうじゃん!」

「…………」
 マスターは、コスチュームに着替えたランパートを上から下まで眺めまわし、ふっとニヒルな笑みを浮かべてから雄叫びを上げた。
「ランパートぉ〜っ!!!」
 がっしとランパートを抱擁する。
「いいぞ! ナイスだ! サイコーに似合ってる! これで観客の視線はお前に釘付けだーっ!!」
「そ、そっかな……?」
 徹夜明けとは思えぬテンションのマスターに押されつつ、困惑と照れが半々くらいの表情でランパートは頭をかいた。
 マスターが宣言通り一晩で縫い上げたコスチュームは、赤を基調にした拳法着だった。
 上半身は首までを覆うゆったりとした前開きの作りになっており、前を止める数本の白い紐が鮮やかに目に映える。下半身は前後に表が赤、裏が白の垂布がついており、動くたびにそれがヒラヒラと舞うようになっていた。そしてズボンは、
「でもさ、なんで拳法着なのに半ズボンなんだよ?」
 そう、ランパートのはいているズボンは太腿を半ばまで覆うだけの半ズボンだった。
「決まってるだろうが。前後の布がヒラヒラと舞い、その裏に隠しているものが見えそで見えないチラリズム! その破壊力を倍増させるには生太腿を見せる半ズボンしかないっ!」
「……そーいうもん? なんか、よくわかんないけど……」
「そういうもんだ、安心しろ! これで新たなファンをゲットできること間違いなしだ!」
「はー……」

 完全に困惑した、というよりしょうもなげな顔になってランパートは溜め息をついた。
「……くだらんことを、いつまでも話してるんじゃない……」
 怒りを抑えた震える声でゴーツが言う。
「すいません、そろそろ時間ですんで、試合場の方へ……」
 その横でぺこぺこ頭を下げながら言うシフラム。
「もうそんな時間か。じゃ、行くか?」
「おう!」
「ところであんたら。このコスチュームをつけたランパートの感想は?」
 ゴーツの顔から一瞬血の気が引いて、かぁっと赤く染まった。
「貴様、人の話を全く聞いていないようだな……」
「ええ、似合ってると思いますよ。とても一日で作った服とは思えませんね。なかなかかっこいいですよ」
「だろ〜!? いやあやっぱり誰が見ても似合ってるって思うよな〜!」
「……いい加減にしろ―――っ! シフラム、お前もだ―――っ!」

『ホワイトゲート、アルダイ伯フィリッポス卿所有エステル。レッドゲート、民間所有、ランパート!』
 司会の声が闘技場に響き渡り、ランパートは舞台の中央に進み出る。横から照りつける陽の光が、影を横に伸ばす。
 それをマスターは開いたゲートのふちから見守った。その脇をゴーツとシフラムが固めている。
 相手のピノッチアは茶色い髪の、ランパートより少し年上の姿をした少年だった。
 ランパートの武器は今回は大きなトンファー、相手の武器は両手持ちの大剣だ。
「……この試合、どうなると思います?」
 シフラムが誰にともなく言う。
「知ったことか」
 吐き捨てるゴーツ。マスターは肩をすくめ、不敵に微笑んで言った。
「まあ、見てればすぐにわかるさ」
「そうですか?」
 問われてマスターは唇の端をつりあげる。
「ああ。すぐに見せてやるよ。人を魅せる戦いってやつをな」

『はじめっ!』
 開始の声がかかり、観客席がわあっとわく。相手のピノッチア、エステルがすり足でじりじりとランパートに近付く。
 ランパートはたたっと退って間合いを取り――くるりと後ろを向いた。
 会場がざわめく。だがランパートは気にした風も見せない。後ろを向いたまま、おいでおいでと武器でエステルを招いてみせる。

「……何を考えているんだあのピノッチアは!?」
 ゴーツが憤怒の形相で怒鳴った。
「後ろを向いたまま戦う気なんでしょうかね……? すぐにやられちゃいますよ!?」
 シフラムも興奮気味だ。
 が、マスターは笑みを崩さなかった。
「まあ、黙って見てろ」

 エステルがかあっと顔を紅潮させた。雄叫びを上げながら大剣を掲げて突進し、遠心力を利用して一気にランパートに振り下ろす。
 ――ランパートは後ろを向いたまま、頭上でそれを受けた。
 観客席がどよめいた。そのまま腕を回転させ大剣をはじき返す。そして数歩歩き、また武器でエステルを招く。
 エステルはさらに顔を赤くした。怒りの混じった声を上げ突進し、猛烈な勢いで連続攻撃を放つ。
 右から、左から、上から、下から。普通の人間がまともに受ければ骨が折れそうなその攻撃を、ランパートは次々と受けさばいてみせた。
 右からの攻撃は上にはじき上げ、左からの攻撃は受け流しつつ一歩踏み出してかわす。上からの攻撃はわずかに体をずらしつつ腕を回転させて横にはじき、下からの攻撃は体に到達する前に止めた。
 観客席のどよめきはいよいよもって高まり、いつしか喚声に変わっていた。

「どうなってるんだ!? 背中に目がついているわけでもあるまいに……!」
「すごいすごい! 本当に見えてるんじゃないですか!?」
「いいや、違う」
 マスターは満足げに腕を組んだ。
「冷静に相手を分析し、状況を判断した結果さ」
「…どういうことです?」
「あの相手…エステルって言ったか、一度戦ってるところを見たからそいつの得意武器が大剣だってことはわかっていた。大剣っていうのは基本的に振り回す武器だ。大きさと重さのせいで遠心力を利用しないと敵に当らない、少なくともあいつ程度の技量じゃな。まあ当ればでかいからあのピノッチアはその破壊力と迫力で勝ちぬいてきたんだろうが……どうしても軌道が単調になるんだよ。おまけにあいつは正規の剣術を学んじゃいるが、応用の段階まで行っていないから一定の型ができてかえって動きを読みやすくしてる。さらにあいつは激しやすい性格をしてるから、戦闘の際に後ろを向くなんてことをすれば馬鹿にされたと思いかっとなり、余計攻めがわかりやすくなる」
「なんで相手の性格まで……?」
「戦いを見たって言ったろ? 俺は人形師だ。一度ピノッチアを見ればどういう性格をしてるかくらい大体わかる」
「……そんな、ことができるんですか……?」
「当然。ま、そういう攻撃の選択肢の幅が狭い相手に対し、こちらの武器はあの大きなトンファーだ。面積が広いから、上下左右の選択だけでほぼ全ての攻撃を防げる範囲内における」
「で、でもそれだって上下左右は選ばなくちゃならないんでしょ? 勘だけじゃとても……」
 マスターは我が意を得たり、というように笑みを深くした。
「種明かしは簡単さ」
「タネがあるんですか!?」
「ああ。まあ、一つにはランパートに攻撃を予測できるだけの気配を読む腕があること。もう一つには――あれさ」
 言って舞台の中央を指差す。
「あれ?」
 言われて目を凝らしてみるが、そこには猛烈な攻撃をこともなげな顔をして受け流しているランパートと相手のエステルしかいない。
「なんなんです?」
「――影さ」
「へっ?」
「影が横に伸びているだろう? それを横目で見れば攻撃の大体の軌道が読める。あとは対処が間に合うように常に適度な間合いを取っていればいい」
「そんな……そんな、簡単に……」
「それができるだけの腕を持っているってことさ、ランパートは」
 ふ、と小さく笑い声を立てて、マスターは真剣な顔になって舞台の中央を見た。
「だが、防いでいるだけで勝てると思ってるわけじゃない。そろそろ、ランパートが攻勢に出るぞ」

 エステルは混乱していた。
 なぜ後ろを向いている相手に攻撃が当らないんだ。
 こいつは本当に、魔法でも使っているんじゃないか?
 必死に攻撃しているもののその全てが受け流されてしまう。『勝てない』という思考が抑えよう抑えようとしても頭の中を蝕む。
 それから目をそらし、全力で大剣を振り上げる――だが受け流され、その拍子に体勢が大きく前に崩れた。
 ――あっと思う間もなかった。
 目の前に赤い頭が現れる。後ろを向いたまま間合いを詰められたのだ、と気付く前に体が宙に浮いていた。

「――後ろを向いて戦うっていうのは相手の油断を誘う兵法の一種なんだ」

 景色がひっくり返ってぐわぁんと衝撃が走り――全てが暗転した。

「……それを最初に見抜けなかった時点でお前は既に負けていたのさ、エステル」

 ランパートの脳天逆落としを食らって気絶したエステルの姿を見て、観客席は一瞬静まり返ってからわぁぁっと喚声を上げて沸いた。
 ランパートは降り注ぐ歓声の中、マスターを見た。マスターもランパートを見た。お互いニッと笑って親指を立てて――
「やったぜ、マスター!」
「よくやった、ランパート!」
 ――叫んだ。


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