きみの運命はぼくが支配する
 一月。
 練習のため楽屋に集まった紐育星組メンバーたちは、顔を真っ赤にしたジェミニが駆け込んできたのを見て驚いた。
「どうした、ジェミニ。そんなに慌てなくても集合時間までにはまだあるだろ?」
「そうだぞー。ラチェットもまだ来てないから、怒られないぞ?」
「……なにかあったのか?」
 口々に言われ、ジェミニはダイアナの持ってきた水をぐいっと一気飲みすると、まだ荒い息の下から叫んだ。
「新次郎がっ……」
「新次郎が?」
「女の子に告白されてましたっ………!」

 一ヶ月前にめでたく正式な紐育星組隊長となった帝国海軍少尉大河新次郎は、鼻唄を歌いながらリトルリップ・シアターの入り口をくぐった。今日も一日シアターのモギリとして雑用が自分を待っている。
 まずは朝の日課となっている、売店とドリンクバーへの挨拶だ。売店に寄って杏里に声をかけた。
「おはよう、杏里くん。新しいブロマイド入荷してるかな?」
「……してません。してたとしても大河さんに売るブロマイドなんてありません」
 つん、と思いきりそっぽを向かれて言われ、大河は言葉に詰まった。なんだろう、この態度の冷たさ。
 そりゃ確かに最初の頃は杏里はつんけんした態度しか取ってくれなかったが、最近は丸くなって――というか、もしかしてけっこう自分のこと好きなのかも、とか思わせるような素振りをしてくれていたというのに。というか、最初の頃でもブロマイド売らないとは言わなかった。
「えぇと……杏里くん、なんだか……怒ってる?」
「別に」
「で、でもなんだか声が怒ってるんだけど……」
「大河さんには関係ないでしょ? 忙しいんだから用がないんならあっちへ行ってください」
 ツンドラのごとく吹き荒れる冷気に、大河は「そ、そう……」と言いつつ逃げ出すしかなかった。
 とりあえずドリンクバーに向かい、いつもと同じように「おはよう、タイガー!」と言ってきたプラムにほっとしてジュースを頼む。
 差し出されたジュースを飲んでいると、プラムが微笑みながら、だがその中に一片の怒気を滲ませつつ言う。
「タイガー、タイガーが優しい子なのは知ってるけど――あんまり方々に愛想振りまいちゃ、女の子泣かせちゃうわよ?」
「え、えぇ?」
「ほら、急がないと。今日は屋上も会場内の掃除も両方やるんでしょ?」
「は、はい……」
 なんなんだろう、と思いながらも大河は掃除道具を持ってまず楽屋に向かった。杏里もプラムもどうやら怒っているのは確からしいのだが、なんで怒っているのかがさっぱりわからない。
「失礼しまーす。掃除に来ました〜……」
「…………」
 中で台本を読んでいたサジータがこちらを一瞥する。普段なら「よう、新次郎!」と明るく挨拶してくれるというのに、なんの言葉もなしだ。
 やっぱりみんな、なんだか怒ってるみたいなんだけど………でも、なんでなんだろう?
「あの、サジータさん………」
「ああ?」
 ぎろりっ、と睨まれて新次郎はひえぇぇと震え上がった。やっぱり元ハーレムの暴走族のヘッドのガンつけは、迫力の桁が違う。
 それでも慣れもあってなんとか笑顔を保ちつつ、サジータに首を傾げて訊ねる。
「あの、なんだかサジータさん………怒ってます?」
「………別に? なんであたしが怒らなくちゃならないんだ」
 サジータは肩をすくめるが、でもやっぱり目が怖い。笑ってない。視線に怒気がこもりまくりだ。
「でも、なんだか、サジータさん……」
「うるっさいね! あたしが怒っていようといまいとどうでもいいだろ!?」
「は、はいっ、すいませんっ!」
 怒鳴られて飛び上がり慌てて掃除を始める大河をしばし苛々とした目で見つめてから、サジータは意地悪そうに唇の端を上げて冷たく言った。
「坊や。今すぐトミーの店でホットドッグとコーヒー買っといで」
「え、え? トミーさんの店って……ここから往復一時間ぐらいかかる場所ですよね……冷めちゃうんじゃ」
「あたしは今! すぐ! トミーの店のホットドッグとコーヒーが食べたいんだよ。それともなにかい、あたしの言うことが聞けないとでも……」
「今すぐ行ってきますっ!」
 そんなわけで往復四kmを、帰りは熱いホットドッグとコーヒーをこぼさないように注意しながら全力疾走して走って楽屋に戻ってくると、サジータにきっぱり「遅い」と言われ、大河は泣きそうになりながら楽屋の掃除を終えた。
 サジータさんぼくのこと嫌いになっちゃったのかな、とため息をつきながら舞台袖と舞台の掃除を始める。舞台ではリカが踊りの練習をしていた。
「おー、しんじろー! そーじしにきたのか?」
「うん……ねぇリカ、杏里くんとプラムさんとサジータさんがぼくのこと怒ってるみたいなんだけど、なんでだか知らないか?」
「えっとな、しんじろーはうわきものだって言ってた。せっそーなしだって」
「う……浮気者?」
「だめだぞ、しんじろー。うわきしたら。めっ」
 そう叱られながら掃除を終えて、大河は首を傾げていた。全然心当たりがない。
 というか、浮気者って……
「ぼく、今まで誰かとつきあった覚えなんてないんだけど……」
 がたん。
 エレベーター前で背後からそんな音がして振り向くと、そこにはダイアナが愕然とした顔でたたずんでいた。
「大河さん………」
「あ、ダイアナさん。おはようございます」
「大河さん……不潔です」
「え?」
「何人もの女性と同時におつきあいして知らん振りなんて……人として、男性として、あなたは……最低です!」
 言いたいことを言ってうっ、と涙ぐみながら走り去るダイアナ。大河はそれを呆然と見送るしかない。
「………最低って………」
 何気にけっこう傷ついた大河は、ショックでふらふらしながらエレベーターに乗る。屋上庭園に上がって、とりあえずエレベーター周りの掃除を始めると、とぼとぼと歩いてきたジェミニと目が合った。
「ジェミニ……」
 またなにか言われるんだろうか、と構える大河に、ジェミニははっとした顔を見せた。
「新次郎……」
 しばし見つめあう二人。ふいにジェミニの顔がぶわっと歪んだ。
「新次郎の……新次郎のバカーっ!」
 バキッ!
 剣の達人のグーパンチをもろに食らい一瞬みしり、と骨が軋む音が聞こえた気がした。曲がりなりにも士官学校を首席で卒業した身、その場にしりもちをつく程度でなんとかこらえたが。
「ジェミニ……拳はいくらなんでもひどいよ……」
 少し出てきてしまった鼻血を懐のハンカチで押さえ、掃除を再開する。戦闘で何度も攻撃を受けた大河新次郎は、実はけっこう殴られ慣れているのだった。
 ちょっぴり涙ぐみながら掃除を終え、寒風の吹きすさぶ屋上を歩く。あとは屋上サロンと露天風呂だ。
 と、屋上サロンに向かい歩いていると、サロンに昴が待っているのが見えた。一瞬びくりとして逃げ場を探すものの、いまさら逃げ出すわけにもいかないという結論に達しのろのろとサロンに向かう。
「お、おはようございます、昴さん………」
「おはよう。新次郎」
 新年のパーティーから昴は二人きりの時だけ大河のことを名前で呼ぶようになった。それ自体は照れくさくも嬉しいことなのだが、今の状況でにっこり笑顔でその裏に強烈な殺気を感じさせつつ言われても、めちゃくちゃ怖いとしか思えない。
「あ、あのですね、昴さん」
「なんだい、新次郎?」
 またにっこり笑う昴。やたらにこやかなのがかえってすごく怖い。
「あの……ぼく、なにか、しました、か?」
「なにかって?」
 すっと大河に近寄って笑顔のまま口元に扇子を当て、少しずつ扇子を開いていく昴。その扇子は鉄をも切り裂くと言うことを知っている大河は恐怖に震える。
「なにか、心当たりでもあるのかい?」
「いえっ、そういうわけじゃないんですけど……みんな、なんだか怒ってるみたいだから……」
「怒ってる、ねぇ」
 ぱらり、と扇子を全開にして昴は口元だけで笑う。目はじっと大河の一挙手一投足を見つめているのだ。
「昴さんも、怒って、るんでしょうか……?」
「僕、かい?」
 昴は一挙動で扇子を畳むと、下から手を伸ばしてくい、と大河の顎に扇子を当て、にっこり笑った。
「とっても怒っているよ」
『怖ぁ――――っ!!』
 ぞーっと背筋に震えを走らせながら、大河はおそるおそる聞く。
「あの、ぼく、いったいなにをした、んでしょうか………?」
「わからないのかい?」
 こくこくこく、と必死にうなずく大河。昴はくすり、と笑んでつつつと大河の顔の線を扇子でたどる。
「僕の心をこんなに乱しておいて、わからないはひどいんじゃないか? 僕はたまらなく苦しい気持ちだというのに――」
 ぴと、と喉元に扇子を突きつけて。
「――殺したいほど」
 そう言ってにっこりと微笑む昴―――
『こ………怖ぁ―――――っ!!!』
 ぞーっと体中から血の気を引かせながら、大河は必死に昴に言葉をかける。
「あのっ……昴さんがぼくを殺したいっていうならそれはそれでしょうがないですけどっ……ぼくはっ……」
「ぼくは?」
 にっこり笑って顔を近づける昴の迫力に泣きそうになりつつ、大河は必死に言った。
「ぼくは、死んじゃったら昴さんがあとできっと寂しがると思うからっ……殺されないように頑張るのでっ、その、手加減して、殺して、ください………」
「……………………」
 昴は一瞬大きく目を見開いて大河を見つめ、それからすぐに吹き出した。こらえきれないというように腹を抱えて下を向き、くっくっくっと笑う。
「す、昴さん………?」
「くくっ……いや、すまない。まさかそうくるとは思わなかった」
 笑みの気配を残しつつもようやく笑いやめて昴は髪をかきあげた。
「本気にするところまでは予測の範囲内だったが、『手加減して殺してください』とは。本当に君はいつも僕の予測を超えた答えを返してくれる」
「昴さん……」
「まぁ、本当に僕たち以外の人間に心を移したというのだったら、一回ぐらい本当に殺してしまったかもしれないけどね」
「はぁ!?」
 昴さんが笑ったー、と心底ほっとしていた大河は、口元に扇子を当てつつの昴の一言に仰天した。
「心を移したって……ぼくがですか!? そんな、そんなこと、ぼくは……」
「ああ、わかっている。別に一人や二人に告白されたぐらいで君が心を移すなんて思っていないさ」
「こ……告白ーっ!?」
 大河は思いきり目を見開いて驚愕の表情を作る。
「こ、こ、告白って……誰が、誰にですか!?」
「カフェテリアのウェイトレスの少女が君に。ジェミニがそう言っていたが?」
「は……? ち、ち、違いますよっ! あれは、その………」

 今朝、大河の冷蔵庫の中には昨日うっかり買い物をし忘れたせいで、朝食の材料がほとんど残っていなかったため、しかたなく新次郎はカフェテリアで朝食を取ることにした。
 適当に頼んで注文した品が来るのを待っていると、ウェイトレスの一人がこちらに駆け寄ってくる。
「ねぇねぇ君、リトルリップ・シアターのモギリだってホント?」
「え? そうだけど」
「ねぇだったらさぁ……スバル・クジョーのサインもらってきてくれないかな!? あたしあの人のファンなの〜!」
 モギリとして星組隊長として、一人でも多くのお客さんがリトルリップ・シアターに来てくれるといいと思っている大河は、笑ってうなずいた。
「うん、いいよ。昴さんのこと好きなんだ?」
「もう……大好き! 大好きなの!」
 じっと熱っぽい眼差しでこちらを見つめて言う少女に、大河は苦笑した―――

「……っていうわけなんですけど」
「ふむ」
 昴は少し考えるように腕を組んで、それから言った。
「その少女は名前を言ったかい?」
「え? いえ」
「ふむ……七三というところか」
「え?」
「いや、なんでもない。……さて、大河はこう言っているが、君たちはどう思う?」
「え?」
 慌てて振り向いて気づいた。そこには残りの星組隊員全員がはにかみ笑いを浮かべながら立っている。
「き、聞いてたんですか?」
「ああ……ごめんね、新次郎、ちょっと早とちりしちゃってさ」
「すいません大河さん……私、大河さんを信じるべきだったのに……」
「ジェミニがうわきものだって言うからだぞ」
「ううう、ごめんね新次郎殴ったりして……でも女の子の告白をデレデレした顔で聞いてるように見えたんだもん……」
 それぞれの謝罪に、大河は笑って首を振った。
「いいですよ、わかってくれたんなら。ぼく、みなさんがわかってくれるんなら、一発や二発殴られても平気です」
『新次郎(大河さん・しんじろー)……』
 星組隊員たちもほっとしたように笑顔を返す。そのほのぼのとした情景を微笑んで眺めつつ、昴はなにかを考えていた。

 その日の夕方、仕事を終えた大河はカフェテリアに向かった。幸い少女はまだそこで働いていた。
 目が合うと笑って手を振ってくる少女に手を振り返し、寄ってきた少女に笑いかける。
「昴さんのサインもらってきたよ。君の名前聞いてなかったから、名前はつけなくてよかったんだよね?」
「えぇー、あたし名前言ってなかった? やだぁ、せっかくだから書いてほしかったのに」
 体を突き出されて目の前で胸を揺らされ、かーっと赤くなる十代半ばにしか見えない大河新次郎二十歳。
 それを面白そうに見やって、ウェイトレスの少女はさらに体を近づけた。
「ね、君、名前なんていうの?」
「え……大河新次郎、だけど」
「タイガね、覚えた。あたしの名前は……」
 そこまで言って少女は固まった。あわあわと慌てながら大河の後ろを指差している。
 なんだろうと振り返ってみて、大河も目を見開いた。昴が店の中に入ってきていたのだ。
「大河。一緒の席でいいかい?」
「ええ、もちろんいいですけど……どうかしたんですか? 普段なら今頃はホテルに戻ってるはずじゃ」
「たまには君と一緒に夕食がとりたくなってね」
「え……」
 顔を赤くする大河に、昴はくすりと笑って隣に座る。
「昴さん……」
「ここに座ると君の顔が近くに見えるな。君の肌のきれいさがよくわかる」
「……もう、昴さんったら、へんなこと言わないでくださいよ……」
 と言いつつ顔は真っ赤、表情ははにかみ以外のなにものでもない大河新次郎星組隊長。
「あ、そうだ、昴さん。この子昴さんの大ファンなんですって。サインを頼んできたのもこの子なんですよ」
「へぇ……」
 薄く笑んで、昴は顔を真っ赤にして硬直しているその少女を見つめ。
「それはどうも、ありがとう」
 そう言ってふっ、と、見方によっては勝ち誇ったように笑ってみせた。
「…………!」
 少女はたまらずくるりとうしろを向いて駆け去る。大河は慌てて「どうしたの!?」と声をかけるが、そんな言葉で少女が止まるはずもない。
「……どうしたんだろう、あの子……昴さんのファンだって言ってたのに……」
「緊張してしまったんじゃないかい? スターを目の前にするとなにも言えなくなってしまうファンは予想以上に多いんだよ」
「なるほど、やっぱり昴さんたちはすごいんですね……あ! 注文まだ取ってもらってない!」
 慌てて立ち上がる大河を、昴は微笑んで制する。
「別にこれから用事があるわけじゃないんだ、また注文を取りに来るまで待っていてもいいだろう?」
「でも……」
「それに……その方が、君と二人きりの時間が長くなる」
 口元に扇子を当てて艶っぽく微笑む昴――それを見て大河はかーっと顔を赤くし、うつむいて、上目遣い加減に昴を見つめ照れくさそうに笑った。
「昴さん……」
「なんだい、新次郎?」
 そのあと二人は周囲の客が赤面するほど、お互いの食事を食べさせっこしたり口元の食べかすを取って食べてしまったり、とえんえんいちゃいちゃっぷりを周囲に見せつけたのだった。
 そのウェイトレスの少女が、即日店をやめたのは言うまでもない。

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