旅のよろず屋
「『お母様、先立つ不幸をお許しください…。わたしたちはエルフと人間。この世で許されぬ愛なら、せめて天国で一緒になります。アン』……!?」
「………心中後、ってわけか」
 ノアニール西の洞窟最奥の地底湖の、中央に鎮座する小島。そこに転がっていた文箱の中に収められていた手紙。それを読み上げて仰天した顔になったサンの横で、俺は思わず舌打ちした。
「ふん……周囲に迷惑を撒き散らし、一つの街を事実上壊滅させたあげくがこれか。身勝手なことだ」
「え……えと……その……こ、困った話、ですね……」
 シルヴェもゼビも眉を寄せそれぞれに憤懣や困惑を示す。それも当然だろう。エルフたちに施されたノアニールの眠りの封印を解くべく、ノアニールの西の青の森≠しらみつぶしに探しまくって、エルフたちとさんざんやりあって、それでもめげずに男と駆け落ちしたエルフの女王の娘の行方をひたすら探った結果、見つけたのが駆け落ちカップルの遺書とは。
 正直、腹の底から煮えるような怒りが湧いてきて仕方ない。なんだってんだ、ふざけるな。これだけ俺らと、ノアニールとエルフと、親兄弟を振り回しておいて、本人たちはあっさり死んでたってのか? 現実逃避にもほどがあるだろう、死ぬんならきっちり責任取ってから死にやがれクソボケどもが。
 ぐ、と拳を握り締め、再度舌打ちをしてから文箱の中を再確認する。おそらくはエルフの至宝、夢見るルビーだろう壮麗な装飾を施された紅い宝石が転がっている。これと遺書でなんとかエルフの女王を説得するしかないだろう。
「サン。とりあえずその遺書を―――、おい………?」
「っ………、っ……っ………」
 サンは泣いていた。遺書をしわくちゃにならないように握り締めながら、歯を食いしばり、目を伏せ、それでもなにかを睨みつけるように前を向きながら。
 それでも伏せた目の向こうから、ぽろぽろ、ぽろぽろと涙をこぼしている。歯を食いしばって懸命に堪えようとしながらも、果たせずにぼたぼたと瞳から水を漏らす。
 その姿に一瞬言葉を失ってから、俺はまた、今度は小さく舌打ちをして、自分のマントを外してサンの上から覆いかぶせた。
「ぶ、わっ」
「なに泣いてんだお前は。男が人に涙見せてんじゃねぇ」
「べっ、別に泣いてねーよっ」
「泣いてただろーが、誰がどう見ても。なにがそんなに悲しいってんだ」
「だっから別に悲しくて泣いてたわけじゃねーっての!」
「だったら他に理由があるってーのかよ」
 一瞬サンはマントの向こうで黙り込んでから、ぽつんと、こぼすように告げる。
「……、悔しかった、からだよ」
「……悔しい?」
「そーだよっ! 俺は勇者だってのに、勇者として旅立ったのに、この人たちを助けられなかったのが、すっげー悔しいんだよ、当たり前だろ!?」
「なにを、馬鹿な……こいつらが死んだのはおそらくお前が旅立つ前だぞ? そんな相手に助けるもなにも……」
「そ、そうですよ。それはさすがに無茶じゃ……」
「わかってるよ! 俺がどう頑張ってもこの人たちは助けられなかったってことも、その時その場にいたって今の俺じゃこの人たちを心変わりさせることができたかわかんねーってことも! でもっ……」
 ぐしっとマントの中で目を擦る音を立ててから、震えて濡れた、そのくせおっそろしく力の籠った声で言い放つ。
「それでも、悔しいよ……もっと強くならなけりゃって、なりたいって思うんだよ、悪いかっ!」
 俺はその声をしばし無言のまま聞いてから、ふふんと鼻で笑ってみせる。
「強くならなけりゃって思うってこたぁ、今の自分がまだまだ未熟者だってことはわかってるってこったな」
「ぬぐっ……」
「上等だ。お前の根性、見せてもらおうじゃねぇか」
「ああっ、見せてやら! 当ったり前だろっ!」
「おう」
 そう言って俺はふっとサンに聞こえないように笑って、マントの上からぐしぐしとサンの頭やら顔やらを掻きまわす。当然サンは「なにすんだよっ!」と怒鳴って殴りかかってくるので、それを受け止めあるいは受け流し時には殴り返してじゃれ合う。
 そんないつものやり口でサンをいじりながら、俺は内心痺れるような感覚を覚えていた。こいつは、救われなかった人間だけじゃなく、自分から不幸に突き進んでいった奴を前にしても自分の無力を悔やむのか。その底に在るのは、たぶん身勝手な動機で心中した二人に対する、身が震えるほどの哀れみだ。
 それはたぶん、世界を救う勇者として、ごく当たり前の反応で、なにより大事な心のひとつだ。そして、それに気づいて初めて、俺自身の中から絶え間なく溢れ出る怒りの感情も、それと根を同じくする――誰からも理解されず、お互い同士しか頼る者がいなかったがゆえに暴走し、互いを死に至らしめた、愚かな恋人たちに対する哀れみの念の形のひとつであることにも気がついた。
 こいつに教えられるとは、と面白くないような気分もないではなかったが、それよりも、自分でも気づかなかったような感情を共有してくれる人間がいるという、痺れるような感動にも似た想いが強かった。これまで共有できる相手など父さん――勇者サイモンしかいなかった、世界のすべてを救おうとしてしまう$l間の感情。
 それを俺と同じように、当たり前に感じてしまう人間が、俺の隣で俺の仲間として俺の旅に同行してくれている。それはたぶん、尊敬する父サイモンにも、オルテガにも与えられなかった、勇者として世界を救う旅路ではまずありえないだろう幸運のひとつだ。
 そのありがたみを初めて心の底から実感しながらも、俺はあくまで偉そうに笑ってやる。
「おら、とっとと行くぞ。少しでも早くノアニールの人たちを助けてやらにゃあならねぇんだからな」
「んなことわかってら、上から目線でもの言うなっ!」
 サンに睨まれ喚かれ、と予想通りの反応をされたものの、俺としてはこの態度を(少なくとも当分は)改めるつもりはなかった。このチビ勇者の存在にたとえ感謝にも似た感情を抱いていたって、こいつに今必要なのは甘えさせてくれる胸じゃなく導く手だ。やりあってぶつかってお互いを鍛えることのできる相手だ。俺たちはただの仲間じゃなく、世界を救う旅に出た勇者なんだから。
 ……ま、そっちの方が面白いから、っつー理由もそれなりにあるが。
「のっれぇなぁ、トロトロトロトロ歩いてんじゃねぇよ、置いてくぞ」
「ふっざけんな、人に荷物押しつけといて偉そうなこと抜かしてんじゃねぇっ!」

「ふっわぁ……すげぇ! すっげぇ数の人と馬車だなっ! ホントにこの全員でイシスまでいけんのかっ!?」
 ロマリアの城門前で、思わず正直にそんなことを大声でしゃべってしまった俺に、オルトが「コラ」と言いつつ頭をわしづかみにしてくる。
「これから出発しようって時に縁起の悪いこと抜かしてんじゃねぇ。護衛役の人間が護衛相手のテンション下げてどーすんだ」
「むぐっ……わ、わかってるよんなことっ! ただ、こんなにでかい隊商初めて見たから驚いただけだっつーのっ!」
「ほほう、ま、そりゃそうか。鎖国してるアリアハンじゃ、ここまでの規模の隊商なんぞ作っても維持ができねぇだろうしな。可哀想になぁ田舎生まれは」
「……てっめぇ、喧嘩売ってんのか売ってんだな、よし上等だその喧嘩買ってやらぁ!」
「面白ぇ、かかってきな!」
 殴りかかった拳を受け止められ、膝蹴りを捌かれ、頭突きを避けられて頭を抱え込まれ首を極められかけ――だが、俺もそれをオルトの横っ腹に肘を入れて抜け出した。そこに追撃してくるオルトの膝を掌で捌きながら姿勢を低くし、足払いをかける。
 オルトはそれを小さく飛び退いて避け(さすがに大きく飛び上がって滞空時間を延ばすような真似はしない)、俺の伸ばした足を踏みつけようとしてくる。けど俺もその動きは予想済み、払った足を素早く戻し、立ち上がりざまに足に力を込めてオルトに飛びかかる。それをオルトが肘で叩き落とそうとし、俺が飛びかかりながらその肘を取ろうと――したところで鞘に入った剣が俺たちの間に突きつけられた。
「いちいちじゃれ合うな、いい年をした男どもが。雇い主がこっちにやってきているぞ」
「おっと」
 剣と一緒に放たれたシルヴェの冷たい声に、オルトはさっと襟を正し、近づいてくる商人のおっちゃんに向き直って格好をつける。俺も(中途半端な体勢で横槍を入れられたので、こけそうになりつつも)慌てて姿勢を正してオルトの横に並んだ。
 いかにも金持ってる商人っぽい福々しい体型をしたおっちゃんは、笑顔で俺たちに頭を下げてきた。
「勇者さま方、ご準備はお済みですかな? このたびは私の隊商への護衛にわざわざご志願いただいたこと、重ねてお礼を申し上げさせていただきます。名高い勇者さまお二人が、旅の道連れに私の隊商を選んでくださったこと、一生の誇りにさせていただきますよ」
「いえ、俺たちはただ一介の旅人としての視点で護衛としての雇用条件を吟味した結果に従っただけです。勇者の道連れとして単に運よく選ばれたというわけではなく、正しくご商売を行っているがゆえのこと。その心映えこそ、真に誇られるに足ることかと」
 いつものごとく笑顔でおっちゃんと大人っぽい会話を交わすオルト。なんかこういう時のこいつってぶりっこしてる感じがしてちょっとムカつくんだけど、こいつがいっつもこーいう時前に出てくれるから助かってるっていうのもわかってるんで、俺は口を挟まず後ろで黙ってる。
「しかし、本当によろしいのですかな? 勇者さま方のお仲間についてのことですが。本来なら、いかに一般採用という形を取っているとはいえ、護衛として、その上勇者さま方のお仲間として旅に同行してくださる方なのですから、商売の手伝いをさせるというのはいささか筋が違うようにも思えるのですが」
「あなたのおっしゃりたいこともわかるつもりですが、これは本人の希望のもと、私たち全員の総意で決めたことです。商人であるあいつの仕事は、前線で戦うことよりも、パーティの財政状態を良好に保ち、兵站を整えるのが主たる役割。それに必要な能力を鍛えるためには、やはりどうしても実践が不可欠です。足手まとい、ご迷惑になるようでしたらそう言っていただきたい。ですが、あいつも職業に商人を選んだ身。まずは使い走りとしてでも使ってやってください。こき使ってくださってかまいません」
「……そこまでおっしゃるのでしたら、仰せの通りにいたしましょう。ですが、お言葉の通りに、本当にこき使わせていただきますがかまいませんね?」
「もちろん。あいつもそれを望んでいるはずです」
 にっこり笑ってオルトが言う、『あいつ』というのは俺たちの仲間、ゼビのこと。ゼビは、オルトが『イシスまでは隊商に護衛として雇ってもらって移動する』っていう提案を出すや、『自分はその隊商の中で商人として働きたい』って言いだしたんだ。
『その、俺はやっぱり、自分はただの商人でしかないって思うんです。サンさんや、オルトさんみたいに、世界を救うって言っちゃえるような気概も実力も、全然なくて。だから、俺なりに、俺にできることを増やしていきたいな、って……』
 おどおどしながらもしっかりこっちの目を見ながら言うゼビの顔は、ゼビなりの気合に満ちていた。俺たちとしてもそれに水を差すような真似はしたくなくて、全員一致でゼビの願いのため協力することにしたわけだ。
 なので今はゼビは俺たちとは別行動をとって、隊商の商人さんたちと一緒に働いている。仕事は隊商が出発する前から山ほどあるってことだったんで、本当に使い走りとして働いてるみたいだ。
 俺たちも負けてらんねぇ、ゼビがちゃんと仕事できるように気合入れて護衛しないとな、とこっそり決意している間に、オルトと商人のおっちゃんはオトナのしゃこーってやつを終えて笑顔で別れた。あのおっちゃんはいくつも隊商を持ってる大商人ってやつなんで、隊商そのものは部下たちに任せて、基本ロマリア王都で商売をしているらしい。
「さて、と。ま、それじゃせいぜい頑張ってお仕事させてもらうとするか」
「なんだよオルト、せいぜい頑張るとか腑抜けたこと言ってんじゃねーよ。この隊商の人たちのためにも、気合入れまくって仕事しなきゃなとこだろ、ここはっ」
「ターコ。護衛ってのはな、基本的に長丁場なんだよ。いつでも全力全開で気合入れまくってたら、いざって時に気が抜けて動けなくなっちまうだろーが。だから普段の気合の入れ方はそれなり程度、ってのがベストなんだ。疲れるほどには集中せず、かといって異常や敵襲を見落とすことは断じてないように警戒しつつ、ってのがな。覚えとけ」
「ふーん……そーなのか、シルヴェ?」
「……ああ、まぁな。間違ったことは言っていない」
「コラてめぇ、なんでそこでシルヴェに聞く」
「はぁ? てめぇ本気で言ってんのか? 日頃の行いってもんを省みることってのがねーのかよっ」
「は? てめぇこそなに抜かしてやがる、俺が普段どんだけてめぇのために心砕いてんのかちっともわかってねぇようだな。俺がどんだけお前を成長させるために心を鬼にして試練を与えてやっていると思ってんだ」
「あぁ? 吹かしてんじゃねぇぞ、心を鬼にしてとかぜってー嘘だろ、試練与えてるっつーのが本気だったとしてもぜってー楽しんでんだろお前!」
「ほー……てめぇにしちゃあまともに頭動かしたじゃねぇか。褒めてやるぜ、よしよし」
 にやりと笑って頭をぐしゃぐしゃにしてくるオルトの手を、俺は当然ながら笑顔で叩き落とした。
「てめぇ喧嘩売ってんだろ、売ってんだな、よっしゃ買ってやるぜぶっ殺す!」
「面白ぇ、かかってきやがれ童貞小僧!」
 そんな風に俺たちはいつものパターンで(シルヴェの呆れたような嘆息をよそに)殴り合ったんだけど、俺は殴り合ってる最中も隊商が出発するからってことで横槍を入れられたその後も、心のどこかでこっそり首を傾げていた。
 どうていってなんのことだろう? 悪口だろうとは思うけど、俺そんな悪口今まで一回も聞いたことねーんだけど。

「はいいらっしゃい、薬草セットですね、50ゴールドになります! こちらがおまけになります、焼き菓子、蒸留酒一杯、焼き立てパンの中からお好きなものをお選びください」
「当隊商の引換証はお持ちでしょうか? 引換証にすべての判子が押されているようでしたら、お好きな商品100ゴールド分と交換できますよ」
「ロマリアのガラス細工、ノアニールの木像、シャンパーニの葡萄酒、当隊商にはなんでもありますよ! ご注文いただければどんなものでもできる限り揃えさせていただきます!」
 アッサラームの中央広場にどどーんと馬車を並べて、隊商が開いた小市場(こーいういい場所を占拠するには商人ギルドに相当な金を積んだことだろう)。そこには人が溢れていた。
 アッサラームは通商の街、海路陸路双方からあちらこちらの商品が集まる場所なので、普通の隊商がやってきたぐらいじゃここまで人が集まるなんてことはない。この隊商は、アッサラームに来るまでの間にも、あちらこちらの街でこういう小市場を開いていたが、そこでも大勢人を集めていた。
 俺もそれなりにこういう小市場は見てきているが、その中でも随一ってくらいにこの隊商は人を惹きつける手管に長けていた。軽やかな音楽を鳴らし、踊り子や芸人にあちらこちらで芸を披露させ、随所に華やかな目を惹く装飾を施し、と半ば祭りのような賑わいを人為的に作り出していることに加え、商売自体にも人を惹きつけ何度も足を運ばせる仕掛けがいくつも備えられているのだ。
 一定の料金分買い上げればちょっとした、だがこの隊商以外ではあまり手に入らないおまけがつくとか、専用の引換証を作って一定の料金を買い上げるごとにそこに判子が押されるようにし、判子が一定量押されるごとに特別なおまけをつけ、すべて判子が押されれば引換証は一定額の金券と交換できるとか。そういう細かいながらも購買意欲を掻き立てるいくつもの小細工が、人を集めるのに役立っていることは疑いようがない。
 ……そして、商売のそういう小細工はすべて、ゼビが一人で考えついたのだというから、これは俺としてもちょっとした驚きだった。
「すっげぇなぁ、ゼビってば。なんかすっげぇ働いてるっつーか、八面六臂の大活躍ってやつじゃねぇ?」
「ま、確かにな。俺としてもあいつがここまで商人として有能だとは思ってなかった」
 なにせお客に何度も足を運ばせるためのアイデアをいくつも考えついたというのみならず、使い走りとして働かされていた当初から有能で、ちょっとしたお使いでも気を利かせていくつもの用事をついでに済ませてきてくれたり、任された事務処理も完璧にこなしてみせたりと、完全に実力でアッサラームまでの間に隊商の商売そのものに食い込んだというのだから、これは素直に感心するしかないだろう。
 だが俺としては、ゼビがそこまで商人として見事な働きを見せたのは、本人の才能というよりはこれまでの旅でレベルが上がったせいなんじゃないかと思っていたが。アリアハンからこっち、俺たちの勇者としての能力はずんずん成長し、四人で旅をしている時はそれこそ毎日のように、というより四六時中と言った方が正確だろうって勢いで魔物に襲われまくり、そしてそのすべてを撃退してきたのだ。隊商の護衛として移動してる時も大物をいくつも倒す羽目になった。ゼビのレベルは今や20を軽く超えているはず。
 勇者の力によって普通の職業に就いている奴がレベルを上げた場合、そいつは戦いの技術だけじゃなく、その職業の職能においても高位の力を存分に揮うことができるのだ、と俺は聞いていた。ゼビの働きっぷりは、俺にとってはその話を裏付けるものだったのだ。
 だが、まぁ。ちらりときらきらした目でゼビを見ているサンを見下ろしてから、苦笑する。
 そういう本当のところをいちいち説明する必要もないだろう。本人にしてみれば自分の働きが勇者の、他人の手柄になってしまったような理不尽さを感じるだけの話だろうから、聞いたところで意気を阻喪するだけだ。こいつも友達が頑張ってる、評価されてるってんで嬉しそうだし、真実を告げたところで喜ぶ人間なんぞ一人もいなかろうしな。
 ――そんな風に納得してしまったことを、俺はこれからそれなりの時間が経った後に、少しばかり悔やむことになるのだが、それでももう一度この時に戻ることができたらきちんと告げているか、と自分に問うても、『否』という答えしか得ることはできなかった。ゼビ本人についてももちろんだが、この自分より頭一つ下できらきら目を輝かせているチビ勇者の瞳の輝きを奪うことは、たぶん俺には絶対にできなかっただろう、と。
 それをきっちり自覚したのは、これから相当に長い時が流れたのちのことになるんだが。

 ラクダの蹄は音がしない、というのを俺は初めて知った。
 アッサラームからイシスへの旅には一ヶ月くらいかかったんだけど、まず隊商は砂漠と草原の境目当たりにある集落へと向かい、そこで馬を預かってもらう代わりにラクダを山ほど借りた。砂漠にはラクダの方が進みやすいからっていうんで、ずっと以前から『この時期に交換する』って決まってるらしい。
 オルトが言うには、『その時に集落に山ほど金を落とすことで、この地域の遊牧民たちを味方につけている』『安全な旅≠フために金を惜しまず使って損益を一定以下に抑える、ってのは大商人の基本だな』ってことらしいけど。とにかく、俺たちは隊商のみんなと一緒にラクダに乗って砂漠を横断したわけだ。
 これがまぁ、正直言っちゃうと大変だった。俺が温暖なアリアハン育ちっていうのもあるんだろうけど、昼は暑いっていうか熱いし、日差しがローブ着こんでてもその隙間から差し込んできて痛いくらいだし、夜は夜で死ぬほど寒くて防寒着があっても凍え死にそうだし。
 そんな中でも魔物はちょくちょく現れるから、昼は火傷しそうなくらい熱い、夜は凍傷にかかるかもっくらいて冷たい剣を振り回して、被害を出さないように撃退しなくちゃならない。旅するだけでこれだけ疲れた土地は他にない、ってくらいにしんどかった。
 でも、そんな旅路の間に見たものには、すごくきれいなものがいくつもあった。世界そのものが朱金に輝き、やがて黒闇に染まっていく砂漠の夕暮れ。建物も森も山もないから、本当に見渡す限りどこまでも続く青空、星空。命の恵みがほとんどない砂漠だからたまらなく眩しい、点在するオアシスに芽生えた小さな森。果てがないんじゃないかと思うほど終わりのない砂漠の景色も、時にはひどくはかない、切ないようなまばゆい感じがする。
 そんな長い一ヶ月の旅を終えてたどり着いた、巨大なオアシスの傍にそびえ立つイシスの王城と城下町――ここで、俺たちと隊商の人たちは別れた。こんな長い時間をよく知らない人と一緒に過ごすっていうのは(仲間のみんなも細かく言えばそういうことになるんだろうけど、すぐ『知らない人』じゃなくなったし)初めてだったんで、ちょっと名残惜しい気持ちもないではなかったけど、こんなにいっぱい人がいると好きになれる人となれない人っていうのが出てきちゃったんで(それが当たり前だってことを、俺はオルトに初めて教わった)、また仲間同士で気兼ねなく旅ができるっていうのを喜ぶ気持ちの方が大きかった。
 ただ、やっぱり気になっちゃうのは。
「ゼビ、いいのか? あんなに隊商の人たちにも惜しまれてたのにさ」
「え……あっあの、もしかしてやっぱり俺クビですか!? 商人なんかが勇者の旅についていくのとか分不相応って思われちゃったりしてます!?」
「え、いや俺はゼビとまた一緒に旅ができるのとか嬉しいけどさ。ゼビは隊商の中ですっごい活躍してたし。そーいうの見てると、やっぱゼビはこれからもそういうところで頑張りたいのかな、俺が邪魔したりしちゃいけないのかなーって思うじゃん。ゼビは最初、俺と一緒に旅するのとか、すっげー嫌がってたし」
「サンさん……」
 ゼビはちょっと赤らんだ顔を歪めてひっく、としゃっくりみたいな音を立ててから、ぶんぶんと首を左右に振ってみせる。
「いえっ、あのっ、俺、確かに最初はそうでしたけど、今はその、このパーティで頑張りたいと思ってますから! 俺でもお役に立てるかもしれないっていうのはここしばらくの旅で思いましたし、それにその、商人としてまともに生きていくには世界が平和じゃないとならないっていうのは本当に実感しましたし!」
「え……」
「なんていうか、本当にどんどん魔物が増えてるらしいっていうことを、隊商の皆さんからも立ち寄った町村のみなさんからも聞くんですよね。このままいったら本当に街の外に一歩も出れなくなるんじゃないかとか、結界を張れるほど大規模じゃない集落や村は滅びちゃうかもしれないとか。それじゃあ実際商売とかやってられないですよ。だから、その……世界を救う勇者さまのお手伝いができるなら、俺もその、一生懸命やらないとな、って……」
「ゼビ……」
 俺は一瞬ぽかんとして、それからぐぅっと喉の奥からせり上がってくる泣きたいような気持ちを我慢した。男が人前で簡単に涙を見せちゃいけないってのは母さんにも爺ちゃんにも耳にタコができるくらい言われてるんだ。だけど溢れ出しそうな気持ちは完全には抑えられず、ばんばんとゼビの肩を思いきり叩いて発散する。
「いた、いだっ、サンさん、痛いですからっ!」
「悪い! でも、ありがとなっ! そう思ってくれて俺、すっげー嬉しいぜっ!」
「サンさん……っ、はいっ! ありがとうございますっ!」
 なんていうか、ルイーダの酒場にいた冒険者の中で、唯一友達になれるかもって思ったゼビと本当に友達になれた感じで、顔が笑ったり泣きそうに眼が熱くなったりへんてこな感じだったけど、すごくいい気分だ。やったぜ、ひゃっほう、これから頑張ろうって気持ちがどんどこ湧いてくる。ゼビも目を潤ませてて、そんな気持ちっぽいのが伝わってきて、俺はなんていうかもうたまんない気分だったんだけど、そこになんか冷たい声がかけられた。
「おい。いつまでもじゃれてんじゃねぇよ。これからイシスの女王陛下に拝謁しようってんだ、そのだらしなく緩んだ顔なんとかしねぇと置いてくぞ」
「はぁ!? 誰がだらしない顔してるってんだよ! お前だっていっつも酒場のねーちゃんとかにだっらしねぇ顔してるくせに!」
「はっ、おこちゃまはいつもながら人を見る目ってのがまるっきり育ってねぇな。俺は単にいついかなる時も情報を集めることを怠ってねぇだけだ。できる限りあらゆる情報を集めておくのは兵法の基礎だろうがよ。そんなこともわかんねぇのか、オルテガの息子」
「はぁぁ!? んっだその言い草、てめぇだってサイモンの息子のくせにさっきすっげーぶっさいくな顔してたくせに!」
「は……はあぁっ!? ざけんなてめえ誰が不細工だ俺は生まれてこの方容姿についちゃ褒められた覚えしかねぇってんだよっ!」
 それからいつもみたいに殴り合いになって、シルヴェにつっめたーい視線付きで「いつまでじゃれている、イシスの女王に会いに行くのではないのか」とか言われるまでやりあう羽目になったんだけど、俺はちょっとほっとしていた。オルトの顔が、いつも通りに戻ってたからだ。
 いつものこいつの顔って、こいつがうぬぼれまくった台詞吐くのもしょーがねーかなってくらいに整ってて、それだけじゃなくてこれまでの人生しっかり太陽の方向いて生きてきた男って感じの、すっげーカッコいい奴って言ってもいいくらいの顔してんのに。さっきの顔はなんか、変だった。ぶっさいくっつーか、なんかうだうだしょーもねーこと考えてんじゃねーかな、って顔。
 そんな顔、こいつにさせとくなんて俺は嫌だった。だって、オルトは、いっつもくそえらそーで上から目線でああだこうだ抜かして腹立つけど、俺とおんなじ勇者で、いちおー俺の先輩で、すっげーいい男だって俺は知ってんのに。
 あんな似合わない顔させとくなんて、俺とゼビの方なんかうじゃうじゃきっもち悪ぃ女の腐ったみてーな目で睨ませとくなんて、俺は絶対嫌だったんだ。

 ロマリアのカンダタによる宝冠強奪事件、その途中で仕入れたノアニールの情報から首を突っ込んだエルフの呪い解呪事件(これだけの事件が世界を巡って勇者をやっていた俺の耳に入らないのは奇妙だと思っていたら、実は事件の起こりは俺がアリアハンに向かう船に乗った直後辺りだったと後で知った。解呪後の心身の混濁で、過去の一時期(オルテガがこの街を訪れた直後とか)まで記憶が遡っていた人もいたが)。
 それらを解決したのち俺が目的地に選んだのは、イシスだった。理由は簡単、当代のイシス女王はロマリアとポルトガの間の和平交渉の立役者だからだ。
 ロマリアとポルトガは地勢的な影響もあり、歴史的に深い関わりを持っている。王家同士での血の混交も何度も行われているし、片方の王家がもう一方の国の王を兼ねていたこともある。ロマリアの領土の広大さもあり、時代と地域によっては非常に友好的な間柄である時もあるが、その逆の場合も当然ある。十五年前はその、逆の場合の度が行き過ぎていた時代だった。
 些細な領土問題の交渉から、みるみるうちに情勢が悪化、双方大軍を擁する軍事国家である上ユーレリアン大陸を代表する国家のひとつであるという面子も手伝って、双方退くに引けず全面衝突寸前にまで陥った。そこに、勇者――俺の父さん、英雄サイモンと、その親友でありサンの父親の勇者オルテガ二人の力を借りて待ったをかけたのがイシスの今代の女王陛下ネフェルタリィ、というわけだ。
 ネフェルタリィは協力を取りつけた二人の勇者(他国の勇者なので、当然ながら二人の故国にはきっちり筋を通し、相応の金を積んでいる。世界一の宝石産出国であるイシスならば高い金ではなかっただろう)の軍事力を背景に、仲介者という大義名分を盾にしてロマリアとポルトガの国家間交渉にぐいぐい食い込み、和平条約にも地勢的にほぼ関係ない場所に位置しているにもかかわらずがっちりイシスという国を介入させた。その結果ロマリアとポルトガがぶつかり合うのは当面ほぼ不可能になり、イシスはロマリアとポルトガに政治的にも貿易的にもでかい顔ができるようになった。
 ただ、いくら国家間の私欲から生まれた戦争を勇者たちが憎んでいるとはいえ、究極的にはロマリアポルトガ間の紛争は政治的な問題だ。当然ながら勇者たちが大きく介入したわけではなく、父さんたちが貸した力というのは今にも激突しそうだった軍隊の士気を圧倒的な力で阻喪させるという、父さんたちほどのレベルの勇者ならば一日あれば済んでしまうような程度のことだったらしい。
 その程度のことだというのに、ネフェルタリィ陛下はサイモンとオルテガが自分に全面的に協力しているかのようにロマリア王家とポルトガ王家に思い込ませ、度外れた交渉技術で双王家を翻弄し、まったく関係ない国同士の和平条約に食い込んで、自国の利益を誘引してしまったわけだ。ネフェルタリィ陛下があるところでは女神のように崇められ、あるところでは魔女と恐れられるゆえんだろう。ロマリア王とポルトガ王は彼女の美貌に骨抜きにされたに違いない、イシスの女王は魔王すらひれ伏すほどの美貌の持ち主だ、なんて風聞も囁かれることになるわけだ。
 とにかく、好むと好まざるとに関わらずロマリア王家とそれなりに関係を結んでしまった俺たちとしては、ポルトガでつつがなく活動するにはイシス女王に口を利いてもらうのが一番手っ取り早い。
 そんな理由で俺たちは雇ってくれる隊商まで探し(隊商に頼らずにイシスの大砂漠を越えるのは俺でもきつい)、えっちらおっちらイシスまでやってきたわけだが――
「会えないぃぃ!? なんだそりゃ!」
 素っ頓狂な声を上げるサンにがつっと拳を落としてから(なにすんだよっと小声で怒鳴られて足を蹴られたが、蹴り返すのはさすがに堪える)、俺はイシス女王の筆頭秘書官であるといういかにも色気のない実務一辺倒という顔をしたおばさんに笑顔を向ける。
「お会いできないとは……女王陛下御自らのお言葉と受け取ってよろしいのでしょうか? 我らいまだ厳父には遠く及ばぬ未熟者なれど、勇者の名を背負い、世界の救い手たらんと日々尽力する身です。この度はその活動の一環として、伏して協力を願いに参りました。それを門前払いというのは、賢女王と名高いネフェルタリィ陛下らしからぬお振舞いとお見受けいたしますが……」
 世俗的な上下関係で言えば、俺たちは全員(故国でいかに名高かろうとも)一般庶民に過ぎず、王侯貴族が鼻であしらってもどこからも文句の出る筋合いじゃない。だが、勇者というのは世界を救う者であるという認識は、神話の時代から連綿と引き継がれ、どこの国どこの階層でも一般常識になっているのが普通だ。
 勇者に喧嘩を売ればそれがたとえ一国の軍勢でも勝てるかはおぼつかないのが普通だし(父さんたちのように高レベルの勇者ならば逆に、それこそ鼻であしらえてしまう)、他国から非難の集中砲火を浴びる可能性も高い。そして結果としてどんなひどい損害を出したとしても、『勇者に喧嘩を売ったならば仕方ない』とたいていの人間は思うだろう。それほどの名声、というより信頼を勇者≠ニいう名は受け継いでいる。
 だからネフェルタリィ陛下には似つかわしくないな、と思ったのは俺の本音だったんだが、目の前のおばさんはそれこそ木で鼻を括るような態度で言い渡してくる。
「勇者殿。今がいかなる時節かお分かりか」
「え? えっと……九月の終わりだろ?」
「然り。それがイシスにおいていかなる意味を持つかご存知か」
「い、いや、知らないけど……」
 はぁっ、とそのおばさんは深々とため息をついてみせ、サンがむっとするのも(俺が内心でイラッとするのも)無視して淡々と説明する。
「イシスにおいて、九月の終わりは雨期の終わり。最も長い乾季の始まり。すなわち、イシスのあらゆる天官地官が集まり、今後一年のイシスの進退を論ずる大会議が開かれる時節。陛下におかれては、今この時もイシス百官と眠る間もなく政務と論議に勤しんでおられる。そのような時にたとえ勇者殿といえど、先触れもなく訪れて女王陛下のお時間を奪うなど、あまりに無法な行いかと」
『…………』
「要するに、仕事が忙しいから今は会えないってことかよ?」
「有体に申さば、そういうことになるでありましょう」
『…………』
 俺たちは顔を見合わせる。まぁ、確かに手紙もよこさずいきなり訪問してきたのはこっちだし(ただ一応、本来なら礼儀知らずにもほどがある訪問方法だろうが、世界中を飛び回る勇者に関しちゃ、いちいち手紙のやり取りしてたら時間がかかりすぎる(そして勇者の時間は貴重だ)ってことでいきなり訪ねてきても許されるのが慣例になってるんだが)、『今忙しいから突然来られても困る』と言われると、こっちも文句は言えないんだが。
「……オルトっ、お前そこらへん下調べしてなかったのかよっ」
「……てめぇに言われたかねぇよそーいう細かいこと全部俺に任せてるくせしやがって!」
 まぁ、その、確かに、イシスの政治情勢っつーか慣習についてまで詳しく調べちゃいなかったのは確かだが。っつーか前に来た時はあっさり会えたんだよ! だったら今回もって思うじゃねぇか普通!
「……陛下のお時間が取れるのは、いつ頃になります?」
「会議が順調に進めば、一週間後ならば。陛下のご政務の合間を縫ってのあわただしい会見になるかとは存じますが」
『…………』
「くそー……しゃーねぇオルト、みんな、出直そうぜ」
「ああ……お時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした、ご婦人」
「いえ、突然の訪いをしかるべくお取り扱いするのも私の職務でございますゆえ。それでは、一週間後にお待ちしております」
 そう言って深々とおばさんは頭を下げたが、その表情は相変わらずの傲岸な無表情さを湛えていて、やっぱり俺はイラッとした。

「どーすっかなぁっ。一週間、時間空いちゃったな」
「確かにな。こんな落とし穴につまずくことになるとは思わなかったぜ」
「思わなかったぜ、ってさぁ。単にお前が下調べしてなかったせいじゃん?」
「ぬぐっ……」
「ま、そーいうの全部お前に任せてた俺たちのせいでもあるんだけどさっ」
「………おう」
「……………」
「ん? なんだよゼビ、なに目ぇ逸らしてんの?」
「い、いえ、別に……」
「……もしかしてお前、知ってたのか? イシスが毎年この時期に大会議開くって」
「いっ、いぇっ、あのっ!」
「……考えてみれば、商人なのだからそのくらいの情報は耳に入って当たり前だな。ここまでずっと隊商に混ざってやってきたのだから、その手の話を知らない方がおかしい」
「え、マジ!? そーなのっ!?」
「だだだだだだってオルトさんがそのこと知らないとか考えてもなかったですしっ! 勇者なんだから、それもあんなに自信たっぷりに当たり前みたいに王宮に向かうからそこらへんの厄介事は全部無視できるくらいのコネがあるんだろうなーって思ってんですよっ!」
「ぬぐっ……」
「…………」
「あー……やっぱあれだな、こーいうパーティのうちの一人だけが旅の指揮取って、他のみんなは言われたまんまについてくっつーの、よくねーわ。これから改めようぜ、みんなで。マジに」
「…………」
「で、でも改めるって言っても、俺たちは魔王征伐をどう進めていくかってことについての詳しい知識とか全然ないですよ?」
「だから、オルトに一から詳しく聞こうぜって言ってんだよ。数日やそこらですまないにしてもさ、このまま放置して今回みたいなことが起きる可能性ちょっとでも潰しておかないのとかアホだろ。今回は一週間時間空くぐらいですんだけど、下手したら命失う可能性だってあるじゃん」
「…………」
「そ、それは……そう、ですね、うん、確かに」
「しゃあねぇな……俺の知識を一から教えていくとなると気が遠くなりそうだが、まぁお前の言ってることも正論だしな」
「だっから偉そうだってんだよ、今回みてーな失敗の可能性考えてなかったくせに」
「ぬぐっ……」
 イシスの城を出て、とりあえず宿に向かって歩きながら、俺たちはそんな会話を交わし、それからめいめい考え込んだ。今後失敗しないための方策はとにかくとして、とりあえずこの後一週間どう時間を潰すかってことについちゃまだなんにも決まってない。
「無駄に使うのは、一週間というのは長すぎる。が……他の街へ向かうには、少しばかり短いな」
「つまり、このイシス近辺でやれることを捜さないと駄目ってわけか。ひたすらレベル上げ……ってのも、この辺の魔物は強さ自体は俺たちにとっちゃ楽に倒せるぐらいだから、効率が悪いよな。んー……」
「…………」
「うーん……あ、そうだ! 魔法の鍵を探す、とかどうでしょう!?」
『魔法の鍵?』
 俺とオルトは声を揃えてゼビに注目する。ゼビは嬉しそうな笑顔で、いきいきと説明を始めた。
「古代魔法帝国時代で一般的な鍵だったから魔法の鍵、って呼ばれてるらしいんですけどね。簡易なレベルで課された魔法による封印を解く魔力が付与されているんだそうで。この先踏破しなきゃならないダンジョンとかも増えてきそうですし、それがあったら便利じゃないですか?」
「へぇ、そんなのがあるんだ! 確かに便利そうだな」
「だが……俺はそんな代物のことを旅の中で一度も聞いたことがないな。その情報、どこで聞いた?」
「あはは、オルトさんが知らないのは当然ですよ。この話、各国の王侯貴族の方々が厳重に秘している話だそうですから」
「なに?」
「王宮には人に出入りされたくない場所だとか、いっぱいあるでしょうからね。万一盗賊に知られたら大変なことになる、って考えてらっしゃるんじゃないですか? ただ、魔法の鍵って言っても、現代の魔法技術のレベルでさえ、牢獄レベルの厳重な封印は解けない、本当に簡易的な魔法遺物なんだそうですけど」
「へぇ……そんなの魔法帝国の人たちはなにに使ってたんだ?」
「主に家庭内で、プライベートを守るためってくらいの気構えで使った封印の解除方法がわからなくなった時に使う万能鍵的な扱いをされてたみたいですよ。錠前師界隈の人間にしか流通してなかったそうですけど、その界隈ではそれこそ一山いくらってぐらいの代物だったとか」
「それはいいが、お前俺の質問に答えてないな。どこで聞いたんだ、そんな話」
「え、いやその。実はこの話、イシス近辺を縄張りにしている行商人や隊商の人たちにはわりと有名な話らしいんですよ。実際に手に入れた人たちもそれなりにいるそうで。イシスは魔法帝国時代の遺跡が多いそうですから、こういう話も出回るんでしょうね」
「ふん……となると、盗賊連中にはそれ以上に有名な話だろうな。そのわりにはそういう代物を使って荒稼ぎしてる盗賊の話なんて、噂程度にも聞いたことはないが」
「ああ、それはやっぱり、隠してるんでしょうねぇ。盗賊の人たちには、牢獄レベルの封印は解けないけど簡易的な封印なら解ける、って微妙に扱いに困る代物じゃないですか。手に入れられたら世界が一変するっていうほど便利なものでもないけど、個人で気軽に入手するには挑戦すら難しいっていう。一般的な鍵のレベルなら、アリアハンのバコタって盗賊が使ってたみたいな仕掛け鍵で充分でしょうし。手に入れられた商人の方々の場合は、大金をつぎ込んで冒険者たちを大量に雇った上でのことだそうですから。コストパフォーマンスに見合わないんでしょうね」
「ふーん……でも、大金をつぎ込めば手に入れられるってことは、その魔法の鍵ってどこにあるのかとかもわかってたりすんのか?」
「ああ、はい。ただ、これはイシスの人たちには不快なことでしょうから、一応口外無用ってことにしてほしいんですが……」
「今更だろ、そりゃ。鍵屋の倉庫の遺跡でも見つけたってのか? いや、違うか。商品として出回ってない以上、数を手に入れられる代物じゃないんだろうな」
「あ、はい、そうなんです。……実は、ピラミッドから見つけたそうなんです」
「は? ……ピ?」
「ピラミッド。イシス建国以前の、暴君たちが残した王墓です。魔法技術の再発見がまだそれほど進んでいない頃、王の墳墓には封印を施した鍵を添えるのが作法だったそうなんです」

 正直、面白そうだ、と思ったのは確かだった。ピラミッド――イシス建国以前に、この地に暴政を敷いていた奴らが、人と金を大量に浪費して造り上げた大墳墓。そこには王の副葬品として山ほどの宝物が納められ、同時に墓荒らし対策として数多の罠が仕掛けられているという。イシス国府は暴君たちの政治を否定し自分たちとは無関係の代物だと主張するため、それら(暴君たちの数だけピラミッドはあると言われている)に対する墓荒らしを公的に認めている。
 なんでイシスにはわりと冒険者も多いんだが、罠の苛烈さとそこに巣食う魔物(初期のイシスには古代帝国時代の技術が幾分か受け継がれていたんで、番人として造られた人造の魔物もいるし、人の死に惹かれてやってきた普通の魔物もいるらしい)のせいで死亡率も相当高い、ということも聞いていた。だが、俺たちならばなんとかなる、とイシスの魔物の強さのレベルを知っている俺は判断したのだ。
 だから俺たちパーティは全員でピラミッドに関する情報を一手に引き受けている遺跡案内人組合に赴いて情報を集め、案内人を雇って一週間かけてまだ発掘された副葬品に魔法の鍵がないピラミッドまでやってきたわけだが――
 見通しが甘かった。自分で言うのもなんだが自分大好きな俺が、馬鹿か俺は、と自分自身を罵りたくなってしまうほどに。
「――うぉおぉっ!」
「はぁっ!」
 サンと連携して刃を振るい、大王ガマを斬り捨てる。だがその後ろから次の魔物――ミイラ男が汚れた包帯の巻きついた手を伸ばしてきていた。サンが鋼鉄の剣で素早くその手を斬り落とすも、不死の生命力を持つミイラ男の手は、ずぬっ、と包帯に包まれたままの姿で斬り落とされた部分から再生する。
 さらにはその後ろから火炎ムカデが炎を吐き、怪しい影が呪文を飛ばす。そのさらに後方からは笑い袋がマヌーサだのボミオスだの、えげつない呪文をへらへらと笑いながらかけてくる。
 自分たちの後方にもそういった魔物たちが群れを成し、俺たちの喉笛を噛み千切ろうと突進してくる。そちらはゼビとシルヴェがなんとかしてくれている――と信じるしかない。後方の様子をじっくり窺うほどの時間的余裕は今の俺たちにはない。ピラミッドの通路を埋め尽くすほどの魔物たちを、斬り倒しかき分けて前へ進まなければならなかったからだ。
「や、や、やっぱりその爪、元に戻してきた方がいいんじゃないですかっ!?」
 必至に鉄の斧を振り回しながらゼビが悲鳴じみた声を漏らすが、俺は舌打ちして怒鳴り返す。
「ここまで来た以上元に戻すまでの距離の方が長いことくらいお前もわかってんだろーがっ! 必死に戦ってる最中に無駄な愚痴でかい声で抜かすなっ!」
「は、はいぃぃっ」
「……だが、このままではいずれ押し切られるのは明白だ。その爪、捨ててみるべきじゃないのか」
 シルヴェが次々魔物を斬り殺しながら怜悧な声で言う。確かに、本来ならここまで魔物が集まる前に試してみるべきだっただろう――だが。
「いやっ、無理だ! たぶんだけど、この爪、一度でも持った相手にはそいつらが死ぬまで呪いくっつけ続ける奴だ! ゼビが言ってた通り、ピラミッドの外まで逃げて呪いを解放するしかないっ!」
 サンが鋭い声で言い返す。俺は剣を振るいながら少し驚いたが、すぐにうなずいて言い放つ。
「ああ、魔力の感触からしてその手の匂いがする。ただの勘だが、勇者の勘だ、信頼しとけ」
「わっ、わかりましたっ……けど、本当に、この魔物の数、キリがないですよ!? 魔法もこの地下道じゃ使えないみたいですし!」
「………っ」
 俺は内心ほぞを噛む。今も俺の道具袋の中に収められている黄金の爪――魔法の鍵を首尾よく手に入れた帰りに、気が緩んでいたのかサンが落っこちた落とし穴の先に麗々しく奉られていた棺の中に封じられていた、半ば伝説的な武闘家専用の武器。当然ながら俺たちパーティには基本的に必要のないものだ。
 それを手に入れてしまったのは、はっきり言って勢いというか、成り行きにすぎない。サンが落ちた落とし穴では魔法が封じられている上、元の道へと引き上げるのも落とし穴に仕掛けられたロープ切断用の罠に気づいた以上難しそうだと判断し、サン一人で脱出を試みさせるよりはと同じ場所に降りようとした俺に、シルヴェもゼビも(それぞれ嫌そうな顔をしたり怖がっていたりはしたものの)ついてきたこと。出入り口を捜しているうちに、うっかり墳墓への隠し通路を見つけてしまい、もしかしたら外への出口があるかもと奥へ進んでしまったこと。盗賊がいないために仕掛けを調べることができず、『もしかしたらこの中に仕掛けが隠されているかもしれない』という理由で棺を暴かなくてはならなかったこと。そして商人の性として、ゼビがそこで見つけた黄金の爪を手に取り調べずにはいられなかったこと。黄金の爪には手に取っただけで発動する呪いが付与されているという逸話を、ゼビも俺もそれが黄金の爪だと気づくまでうっかり忘れていたこと。そういういくつもの理由が積み重なってこんな結果を招いてしまった。
 旧き王の寵愛深き武闘家に贈られた至宝、黄金の爪は無尽蔵に魔物を引き寄せる。王自身の墳墓たるピラミッドと遺骸に残る呪によってその呪いは封じられていたが、いつしか王の遺した念のゆえか、ピラミッドの中にいる限り無限に魔物を召喚し続ける呪物へと変貌してしまった。そんな話を思い出せたのも黄金の爪を手にし、魔物が雲霞のごとく湧いてきたのを斬り倒しながらのことで、確証のある話かどうかも判然としない。
 だが、今の俺たちには当てにできる話がそれしかなかった。一度手にしてしまった以上、なんとしてもこの呪物の呪いを振り切って、ピラミッドを脱出し生き延びなくてはならない。周りに迷惑をかけることなく。――それが、どれほど絶望的な挑戦かわかっていても。
「前は俺たちが切り開く! こっちの方は安心しろ、勇者が二人がかりでやってるんだ、この程度のレベルの魔物に押し負けるか! だから後方の魔物の対処は任せたぞ!」
「はっ……はいぃっ!」
「……ああ、任された」
 それでも、きっちり意地を張って言い切った言葉に、ゼビとシルヴェは気力を奮い立たせて言葉を返してくる。そう、勇者はどんな時だって、絶望してうずくまるなんてことはしちゃならないんだ。それはこれまでずっと、この世に勇者というものが生まれてからずっと、戦い続け人を護り続け、勇者≠ニいう存在への信頼を高め続けた先人たち――父さんたちに対する侮辱で、裏切りだから。
 なんとしても絶対に、負けるわけにはいかない。負けたくない。父さんたちがその命を懸けて果たしてくれてきた使命を、俺が台無しにするなんて死んでもごめんだ。その想いのみでそう言い張って、眼前の魔物へと剣を振るう。
 ――その瞬間、輝きが見えた。
 宙に流星のごとく軌跡を映す黄金色の輝き。自分のすぐ隣で空を流れ過ぎる、太陽にも似た、けれどそれよりはるかに若く幼く、眩い輝き。
 それが激戦の中、真正面から俺の中へ雪崩れ込んできたサンの黄金色の瞳だと気づいたのは、ことが済んでからのことだった。その輝きは、俺の意識を縛り、呆けさせるほど眩いその輝きは、俺の眼と刹那にわずかに足りない間光のぶつけ合いをした後――にぃっ、と歓喜に満ちた荒々しい笑みを浮かべたのだ。
「おうっ、やってやらぁっ!」
 ……それからしばらくの間、俺に記憶はない。俺ですらまともに息がつけなくなるほどの激戦を繰り広げたことと、全員かろうじて生き延びて命からがらピラミッドの外に逃げ出すことができたことは確かだが。
 ピラミッドから逃げ延びて、へたり込む仲間たちの中、俺の隣で、俺の目線よりはるか下で、荒く息をつきながらも全力を振り絞って立ちながら、満面の笑みで「やって、やったぜ……!」と言って俺に手を伸ばしてくる眩い黄金色の輝きに、頭の中が支配されてしまったからだ。

 その時のオルトは、なんつーか、ぶっちゃけ変な顔してた。
 これ言うとオルトは「はぁ!?」とか言って怒るんだけど、俺には本当に変な顔に見えたから仕方がない。普段のムカつくくらいのカッコいい男らしい顔がぐちゃってなってたっていうか、崩れてたっていうか、まぁ半ばはピラミッドをやっとのことで脱出して呆然としてたっていうのもあるんだろうけど、なんていうか、すっごいぽっかーんとした間抜け面に見えたんだ。
 俺としては死に物狂いのギリギリとはいえ全員無事で、誰も欠けることなくピラミッドを脱出できたんだから、やったぜって気持ちを分かち合いたくって手を伸ばしたのに、オルトがそーいうへんてこりんな間抜け面でぽっかーんとしてるんで、ちょっとムッとした。だからちょっと唇を尖らせてから、俺は無理やり左手でオルトの手を引っ張って、右の利き手でぱっちんと掌を叩いたんだ。
「っ」
「なにやってんだよっ。やっただろ、俺たち」
 そう言ってにっかり笑ってやる。だって本当に、少なくとも今の俺たちには大したことをやったんだから、そんな変な顔しとくなんてもったいないって思ったんだ。このたまんない嬉しい気持ちをお互いにぶつけ合いたいって。一緒にいるんだから。隣にいるんだから。
 一緒に、旅をしてるんだから。こいつと嬉しい気持ちを分け合えないとか、つまんないって。
 そんな気持ちで笑いかけた俺を、オルトはまだ変な顔でしばらくぽけっと見つめてたんだけど、ふんって鼻を鳴らすと、いつもみたいにカッコつけてそっくりかえってみせた。
「なにを言ってるんだか。ったく、しょうがねぇガキだなお前は。このくらいのことでなにをそんなに喜んでるんだか」
「あぁ!? お前だって必死だっただろーが、必死になって生き延びようとして生き延びられたってのになんで喜んじゃいけねーんだよっ」
「別に、いけねぇとは言わねぇさ。……まぁ、俺も、悪い気分じゃないとは言っとく」
「だっろぉ?」
 嬉しくて俺はまたにっこーと笑ったんだけど、オルトはまたさっきの変な顔をしてから、ぷいとそっぽを向いてごろんと地面――まだ熱を残した黄昏時の砂漠の砂の上に寝転んだ。なんなんだこいつ、と俺は思ったけど、まぁこいつも嬉しい気持ちはあるんだってのはわかったから、まぁいっかってことにして、いい気分で俺も座り込み、地平線の彼方に沈んでいく夕陽を見やった。
 きれいだと思った。誰かと一緒にいられて一番嬉しいのは、こういう風にきれいだとか嬉しいとか、いろんな気持ちを共有できるっていうか、きれいだなとか嬉しいなとか言ったらそうだなって返してもらえることだなぁ、なんてことを考えて悦に入っていた。
 ――その誰か≠チていうのが、俺にとっては、当たり前みたいにオルトのことなんだってことに気づくのには、まだそれなりに時間がかかるんだけど。

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