熱砂
 アッサラーム。ユーレリアン大陸の東西の境となる、世界でも随一と言われるほどの巨大商業都市。エドたちとしても、どれほど華やかな場所なのか、と楽しみに思っていなかったと言ったら嘘になる。
 だが、案に相違して訪れたアッサラームの街はどこか古ぼけた印象だった。貧乏くさい土塀に迷路のような小道、通りすがる人々もいかにも食うにも困っていそうな身なりの者たちがほとんど。正直かなりがっかりしながら宿を取ったのだが、ディアンはにやにやしながら言った。
「アッサラームってのは貧富の格差が死ぬほど激しい街なんだよ。で、地元民の大半は貧しい方に属する奴らなわけな。アッサラームに自治都市を名乗れるだけの財力を持たせてる金持ちどもはみんな商人で、大陸東西のモノとカネの動きを操ってるような連中だ。んで、そういう奴らは当然数が少なくて、自分や自分の顧客のために金を集中させてる。だからアッサラームってのは商業都市ではあるが、住民自体は山ほどの貧乏人とごく少数の金持ちから成ってるのさ」
「はぁ!? なんだよそりゃ! 貧乏な奴らは金持ちどもに謀反を起こしたりはしねぇのか!?」
「謀反って……まぁ、アッサラームが自治権を金でイシスとロマリアから買ってる面があるのは疑いようのない事実ではあるしねぇ。謀反を起こして金を奪ったところで、すぐにイシスとロマリアが軍を出して制圧にかかるだろう。後はアッサラームってパイを両国がどう切り分けるかで争いが始まるわけで、これ以上事態が悪くなる可能性の方がはるかに高いし。実際今でもその日の食うにも困るような奴らはごく少数だろうし、謀反起こして得する奴よりは損する奴の方が圧倒的に多い、ってことじゃないの?」
「ちっ、ふざけるんじゃねぇっての。民草を虐げる連中が野放しになってるってのに、なにしてやがるんだこの街の勇者連中は」
「ま、エドちんよりはいろいろ考えてる奴が多いってことでしょうよ」
「あはは……えっと、でもそういうことならアッサラームの華やかな部分っていうのには私たちはお目にかかれそうもないですね。私たちまだまだ勇者のパーティとしては中堅以下ですし、そんな贅沢な場所を使えるようなお金なんてありませんし」
 そう苦笑したリルナに、ディアンはにやにやしながら、「まぁ、ねぇ」と答える。が、その答え方から、こいつなんか呑んでやがるな、と付き合いの長いエドにはわかった。

「な、エド、レックス。もうリルナちゃんも部屋から出てこねぇだろうしよ、街に繰り出さねぇか?」
 食事のあと今日はさっさと寝ようぜと全員を部屋に誘導したディアンが、しばらく自分たちと話したのちこんなことを言い出した。
「はぁ? 街に繰り出す、ってなにしにだよ。この街はすげぇ金持ち相手以外にゃろくなもんねぇってお前が言ってたんだろ?」
「ちっちっちっ。それは昼のアッサラームの話さぁ。アッサラームの真の姿は夜だってことなんざ、どの観光案内にも周知の事実として扱われてるくらいの常識だぜ?」
「なんだよその観光案内ってなぁ」
「ったく、わかりが悪ぃなぁ。要するに、だ。遊興都市として名を馳せるアッサラームの高名は、夜の女たちから生まれたもんだ、ってことさ」
「……女ぁ?」
「そ! アッサラームってのは夜の女たちの街なの! 世界各国からやってきた野郎どもに春を売る、色事にかけちゃあ世界一と評判も高い街なんだぜ! アッサラームに来て女を買わねぇなんぞそれこそ女神さまにも失礼ってもんだろぉ!」
「女神さま、ったって……」
 言われてエドは少し考える。エドは生まれてこの方、その手の話について興味を持ったことがほとんどなかった。もちろん自分で性欲を処理したことは数えきれないほどあったが(なによりキモチイイし、適度に抜いておいた方が鍛錬に集中しやすくなるのだ)、実際に女を抱いたことはおろか抱いているところを想像したこともない。抜いている時もさしてなにも考えず、自分がいやらしいことをしているというだけで興奮し、数十度しごけばそれで達してしまうことがほとんどだった。
 だから女を抱きたい、買いたいと思ったこともない。というより、女というものはエドの人生にはほとんど関わりのない代物のように感じていた。もちろん母やリルナのように親しい女性というものはいるが、それは『母親』や『仲間』といったように、『女』という属性とはまったく関わりのないところではっきり関係性の決まっている相手で、『女』であるがゆえに自分と関わることができる相手というのは、これまでのエドの人生には存在しなかったのだ。
 だからどう、というわけではないのだが。わざわざ女を抱くために金を払う、というのもなんとなく、気が進まないというか、時間と金の無駄、という気がするのだが――
「いいんじゃないんか」
「は?」
 唐突に口を開いたレックスに、エドは目を瞬かせた。レックスはいつもの仏頂面で、淡々とエドに向け言葉をかける。
「昔から、男が戦に出る前に童貞を捨てておくというのは戦の作法のひとつだからな。なんのかんのでもう旅に出てからずいぶん経っているが、今のうちなら魔物も苦戦するほど強くない。今のうちに、捨てるべきものは捨てておいた方がいいだろう」
「捨てるべきものって……」
 エドは一瞬戸惑う。レックスの言葉と声に、わずかにエドの神経をささくれさせるような、奇妙な棘のようなものが感じられたからだ。
 なんか、怒ってんのか? とレックスを見つめるが、レックスの仏頂面と淡々とした声音には普段と変わったものは感じられない。数瞬うんうん唸りながらレックスやその他もろもろについて考えたが、すぐに『まぁいいか』と気にしないことにした。
 レックスがその方がいいと言うのなら、本当にやっておいた方がいいことなのだろう。それに正直、興味や好奇心がないと言えば嘘になるし。
「まぁ、そこまで言うならつきあってもいいけどよ、俺たち実際今金持ちってわけじゃねーし、大した女買えねぇんじゃねーの?」
「そこらへんは任せろって。蛇の道は蛇、俺も伊達に遊び人やってるわけじゃねーんでね」

 実際、ディアンの働きは、自分で言うだけのことはあるものだった。ことは遊び人の本領なのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが。
 自分とレックスをひきつれて(レックスは行かないと言い張ったのだが、『俺に行けっつっといて自分は行かないとかねーんじゃねーの』『男同士のつきあいにお前だけ爪弾きにするみたいで気分悪いからつきあえよ』と自分たちがわいのわいのと騒いで連れ出したのだ)夜の街をそぞろ歩き、次々声をかけてくる女たち(本当に道を歩いているだけでばっちり化粧をした女が次々と声をかけてくるので、正直驚き怯むものがあった)をあしらいながら店やら女やらを眺め回し。
 ここと選んだ店は外見からは想像もつかないような風格というか、気品の感じられる店構えで、そこの店の店長とあれこれ交渉したと思うや、自分たちはそれぞれ(自分よりは年上なのだろうが)可愛らしい女をつけられて、別々の部屋に送られた。『金はもう先払いしてあるから心配しなくていい』という言葉も添えて。
 なんとなく高そうな店な気がするのだが、いったいどこから金をひねり出してきたのだろう――そんなことを考えていると、ふいにそっ、とエドの手の上に柔らかい掌が触れた。思わずびくっとして飛び跳ねかけるが、その前に女の顔がすい、と近づいてくるのに気づき、動きを止める。――そうだ、自分はこれからこの女で童貞を捨てるのだ、ということがいまさらながらに思い起こされ、なぜかごくり、と喉が唾を呑み込んだ。
「勇者さまなんですってね、お客さん」
「………ああ」
 なぜか自分の声がひどく上ずって聞こえ、なんで女相手にこんな声出さなけりゃならないんだ、と心のどこかが苛立たしく吐き捨てるが、女はなにもかも見通しているかのような顔でくすくすと笑い声を立てる。
「ね、もっと近くに行っていい?」
「……ああ」
 女は自分に近寄り、さらり、とひどく軽く柔らかい掌で、エドの体をなぞる。その手馴れた手つきは妙になまめかしく、そしてなんというか女らしく、エドのこれまでの人生には存在していなかったもので、体の奥がむずむずとした。
「すごく逞しいのね、お客さん。年、まだ若いんでしょう?」
「……十六だけど」
「ふふ。そんな若いのにこんないい体の男の人なんて、私初めてよ。腹筋も、腿も、こんなに固くて……本当に毎日、すごく大変な仕事をなさってるのね」
「……っ……」
 なぜかひどく喉が渇いて、何度も唾を呑み込む。女の柔らかい手が時に触れるか触れないかというほどに軽く、時にその柔らかい肌をぴったりと密着させるほどに強く、エドの腹筋を、腿を撫でる。それだけで、なぜなのか、頭と身体がかぁっと燃えるように熱くなった。
「ふふ……自分で脱ぐ? それとも、私が脱がせてあげましょうか」
「いやっ、それはっ……」
 反射的に飛び出そうになった拒否の言葉を、普段とは比べ物にならないほど熱く煮えている理性が押し留める。拒否してどうする。自分たちは脱がなくてはできないことをするためにこんなところまで来てわざわざ金を払ったのではないか。
 だが、エドの中に『本当にこの女を抱いてしまっていいのか』という疑念が渦を巻いているのも確かだった。このままこの女の言う通りにことを進めてしまっていいのか。この女のいいようにされていいのか。この女を自分の中に受け容れて、本当にいいのか。
 しかしそれと同時に、恐ろしいほど強烈な現実感をもって、この状況が自分の本能を刺激しているのもまた、間違いのないことだった。流されるままに獣欲を解放したい。この女に自分の欲望をぶち込みたい。もう苦しいほどに切羽詰まってきている自分の情欲を、噴き出し、ぶち撒け、垂れ流したい。
 そんな相反する二つの感情が自分の中でぐるぐると回り、エドの体を硬直させ、言葉を失わせ、行動を止めさせ――
「あ、あぁん!」
 ――隣の部屋から聞こえてきた嬌声に、一気に爆発させた。
「あぁっ、やぁっ、なにこれすごいっ、あぁっ、もっとぉ! もっと奥まできてぇ! もっと深く突いてぇっ、あぁんっ、もっと欲しいのっ、もっと、もっとぉ、あぁんっ、いいっ、すごいぃっ!」
 その素面ならば赤面していたほどの卑猥な声。その声は、エドの理性も、本能も、感情も、すべてを一瞬で爆発させた。
 無言で猛獣のようにエドは女に襲いかかった。勢いを制することを知らない野獣のように。自身の衣服はおろか、女の衣服を取り去ることすらせず、飢えた獣のように女をむさぼろうと猛り狂う。なぜなら。
 ――あの声が聞こえてくる部屋は、レックスの部屋だ。
 その認識が、エドの理性と本能と感情を滾らせる。
 ――レックスが、女をあんな風によがらせてるんだ。
 その理解が、エドの体を前後を見失うほどに猛らせる。
「やぁっ! いやっ、そんなっ、乱暴にしないでっ、あぁっ、そんなっ、離してっ、やめてぇっ、あぁっ、そんないきなりっ、だめぇっ、そんな太いのっ、あぁっ、壊れちゃうぅっ」
「あぁんっ、いいっ、もっとぉっ、突いてぇっ、奥まで突いてぇっ、あぁっだめぇっ、もうだめぇっ、イく、イっちゃう、あたしもうイっちゃうぅっ」
 女の嬌声が二つ、部屋の中に響き渡る。それが自分とレックスのせいだと――レックスが女をよがらせているすぐそばで自分が女を抱いているのだという事実は、エドの脳味噌を沸騰するのではと思うほどに興奮させた。
「あぁっ、だめぇっ、こんなっ、すごいっ、乱暴にされてぇっ、あたしだめっ、変っ、だめになっちゃうぅっ」
「あんっ、いいっ、いいのぉっ、もっとぉっ、すごいぃっ、もっとしてぇっ、すごいのぉっ、またイく、またイっちゃうぅっ」
 二つの女の嬌声が脳裏に響き渡る。それ以外に聞こえるのは、自分の何十里と走っているかのような荒い息と、汗が飛び散る音だけ。
 いや、本当にそれだけだろうか。自分のすぐ近くに、男の荒い息が聞こえはしないだろうか。これまでに何度も聞いてきた、誰より親しく、強い男の。
 はっ、はっ、はっはっはっはっ。嬌声が響き渡る中で、低く、力強い呼吸音が脳裏を支配する。すぐ隣で女を抱いている男の吐息。女をよがらせる強い男の律動。心臓の音すら体の奥深くから感じ取れるような気がする。それは、ただの自分の錯覚でしかなかったのか。
 激しく体が動き、嬌声とが響き、吐息と律動と心臓の音が体の奥から沁み渡り、脳味噌が溶けるのではと思うほど暑く、熱く、篤く心身が昂ぶり、駆け上った末――
『ぅっ………!』
 そんな二つの低い声が、同時に、自分のすぐ近くで聞こえたような気がした。

「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
 深々と礼をする番頭らしき男に、ディアンは心づけらしきものを渡し、軽く手を振って店から出て行く。その後を追う自分たちとは違い、それこそ王さまかなにかのような堂々とした態度だった。
「やー、店見た時からこれはいい店だろうと思ってたけど予想以上だったな! どの子もみんな可愛いし上手いし! エドちんみたいないかにも早漏っぽい童貞くん相手でもちゃんとうまくいなして気持ちよくさせてくれたみたいだし!」
 どっぷり落ち込んでうつむいていたエドは、ディアンの言葉に仰天して胸倉をつかみ揺すり立てる。
「………! なっ、なんでお前がんなこと知ってんだよぉぉぉっ!!!」
「ってこら、離せって、苦しいって。っとにもー……なんでって、そりゃ聞こえてたからに決まってんじゃん。お前の声も、お前の相手してくれてた娘の声も」
「なっ、なんでっ!」
「なんでもなにも……お前レックスや俺の声聞こえてたの気づかなかったわけ? お前みたいな頑固な童貞くんはそーいう雰囲気に持ってくの難しかろうと、気ぃ遣って三連結の部屋取ったんだぜ?」
「さんれんけつのへや……ってなんだよっ!」
「だから、お前のいた部屋を真ん中にして、右が俺で左がレックスのいた部屋になるんだけど、その三つの部屋の間の壁は簡単に取り外しができるような仕組みになってんだよ。壁取り払って大部屋としても使えるし、他の奴らがやってる時の声聞いたり、やってる最中のぞいたりなんてこともできるようになってるってわけ。他人ののぞきする時には割高な部屋なんだけど、普通にヤる時には割安になるの。お得だろ?」
「お得、っておま………!」
「なに、聞かれんの嫌だった? 聞いた限りじゃそう悪くない感じだったみたいだけど?」
「……………!!!」
 エドは口をぱくぱくとさせて必死に自分の中の感情を言葉にしてぶち撒けようとしたが、果たせずに奥歯をぎりぎりっと噛み締めてふいっと前を向きずかずかと歩き出した。背後からディアンがすたすたと自分の後を追い、その少し後から音を立てずにレックスがついてくるのが聞こえる。
「なに、怒ってんの? せっかく童貞捨てたってのになに切れてんだよ? キモチよかっただろー?」
「………っ!」
「で、どうだったよ、感想は? お前の相手、予算内じゃ俺的に一番お勧めの娘選んだんだかんなー?」
「…………っ!!! ……俺はもう二度とお前につきあってあんなとこ行ったりしねぇ」
 この時背後でディアンは目を瞬かせて肩をすくめ、レックスは大きく目を見開いたのだが、脳味噌をかっかさせながらずかずか歩いているエドは当然気づきもしない。
「あらま。なんでよー? 全然キモチよくなかったってわけじゃねーだろー?」
「きっ、もちいいもクソもろくに覚えてねーよそんなんっ」
「……あーらら、せっかくの童貞喪失だってのにもったいない。なのになんでもう二度と行かないなんて思うわけ? 覚えてないんだったら今度はちゃんと覚えてようとか思うもんじゃね、普通?」
「ふざけんな。あんななぁ、色事を遊びにできる奴だけがやるもんだってわかったんだよ、俺ぁ。少なくとも俺ぁそんな男じゃねぇ。……あんな風にぶち切れて、女をひでぇ目に遭わせて平気でいられるようなクズ男なんぞになっちまったら、それこそ親父に申し訳が立たねぇだろうが」
「あー、まーずいぶん激しくヤってた感じはしたからねぇ……けど相手も玄人だし、暴走する男をいなす技は心得てるでしょ。ちゃんと心づけも弾んどいたし。そんなに気にすることないんじゃないの?」
「そーいう問題じゃねぇ。第一な、あんなん……少なくとも俺は、本気でヤりたいって相手とじゃねぇと楽しむもクソもねぇよ。脳味噌吹っ飛ぶほど興奮すんだぞ、完全に心許せる、命預けてもいいって奴意外とヤれるかよ」
「ふ〜〜ん、へェ〜〜〜。ま、エドちんらしいっちゃあらしいけどねェ〜〜〜」
「がぁっ、うざってぇなその口調! とにかく俺はもう女遊びなんてごめんだからな!」
 そう言ってどすどすと足音を立てて宿への帰り道を歩くエドは、当然ながら気づくことはなかった。ディアンの、苦笑のような、楽しげな微笑みのような、満足げな微笑のような表情にも、レックスの不安と熱情と苦痛に、暗く、熱く揺れる瞳にも。

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