暗黒世界
 あいつらが幸せになることは、自分もずっと願っていたことのはずなのに。
 それが目前になった今になって、なぜか、胸がすうすうする。

「……しっかし、まぁいろんな意味で、すげー結婚式だったよなー」
「そーねー」
 ゲットとユィーナの結婚式当日、夜。ヴェイルとディラはラダトーム城の自分たちに割り当てられた部屋で酒盛りをしていた。
 明日からはまた旅が始まる。ユィーナからはすでに自分はラダトームに残ると説明を受けていた。三人での旅は初めてだが、もはやゾーマの城の魔物たちでも一人で楽勝というくらいまで自分たちはレベルを上げているので、命の心配は特にしていない。
 だが上の世界へ、アリアハンへ戻るためのあるかどうかもわからない方法を探す、いつ終わるかの当てもない旅。手がかりらしい手がかりもなければ、パーティの頭脳となるユィーナもいない。正直、不安はあった。
 ――じゃあこれは不安なのだろうか、胸が奇妙に冷えるこの感覚は――
 何度も脳裏をよぎる埒のない思考を、ヴェイルは頭を振って追いやり杯を乾して笑った。
「つかさ、あのあとゲットぜってーユィーナに殴られてるよな。鋼の剣で。ゲットのやつホント学習ってもんしねーよなー」
「いまさらいまさら。初めて会った時からあいつは全然学習しない男だったじゃないの」
「そーだなー……」
 ぼんやりと思い出す。もう二年も前のことになる、初めてのゲットと、ユィーナとの出会い。さっぱり手応えのないパーティメンバー探しにぐったりしながらルイーダの酒場に向かうと、勇者ゲット・クランズからの呼び出しがあると言われた。驚き勇んで行ってみると、勇者情報を載せた瓦版で一応知っていたけっこう男らしくてハンサムな顔をぶっきらぼうというかむっつりというかな形に固めた勇者と、ルイーダの酒場でウェイトレスをやっていたので顔見知りのおっそろしく愛想のない冷たく整った顔をした美少女遊び人が待っていた――
 思わず笑みながら、ヴェイルは酒を舐める。
「あの時さー、俺ちょっとビビったよ。だって二人ともすんげー仏頂面なんだもん。なに、俺これから怒られんの、とかって思った」
「あーわかるわかる。喧嘩売られてんの、とかって思ったよね。そんでユィーナがつけつけと『あなた方には彼、勇者ゲット・クランズのパーティに入っていただきます。待遇等詳細はこれを読んでください。熟読ののち受諾するか拒絶するか返答を』ってずらずらなっがい文章書いてある紙渡して冷たーい口調で言ってさー」
「うんそーだったそーだった。コイツいったいナニモノ? って思ったよな」
「あの時はまさかあの二人がくっつくことになるなんて思わなかったよねー。二人並んでても微塵も色気がないんだもん」
「……そうか? 俺は……」
 思い返して、また杯を干しながらぼんやりと言う。
「あの二人できてんのかな、って思ったよ、最初」
「へ。なんでなんで、どしてよ。なんかそーいう素振りとかしたの、どっちか?」
「んー……そういうわけじゃねぇんだけど、なんつーか、すっげ雰囲気が自然でさ。どっちも相手のこと微塵も気にしてないように見えるのに、息が合ってたから。すぐ勘違いだってわかったけど」
 ユィーナは単に頭がいいから人に合わせられるだけで。ゲットは――
「そーなんだよなー……ゲットってなんにも考えてねぇのに、いや考えてねぇからかな、なんでもかんでも受け容れて流しちまうんだよな。脊髄反射で動いてるから簡単に人に合わせられるんだ」
「あー、それいえてるかも」
「だから俺、旅の最初の頃けっこうゲットにムカついてたんだよなー」
「え、マジ? 初耳ー」
「そりゃ秘密にしてたもん。パーティメンバーに腹立ててるなんて、人に言うことじゃねーだろ」
 ヴェイルは苦笑して杯に酒を注ぐ。実際、あの頃自分の内心はけっこうどろどろしていたと思う。
「なんつーかさ、あの頃のゲットって、大切なもんがなんにもない、みたいに見えたんだよな。勇者の中でも期待の新星とか言われてて、そう言われるだけの努力とか怠ってねーのに、そーいうこと、やりたいからでも大切なもののためには我慢しなきゃならないからでもなくて、大切なもんないから、みんなどうでもいいからただ周りに言われた通りにやってる、みたいな感じがしたんだよ」
「んー……まー、そーいう節はあったかもね」
「だから俺もー、なんつーかあいつがそーいうとこ見せるたびに腹立って腹立って。せっかくパーティ組んで冒険してんのに、お前にとっちゃ俺らの存在もどーでもいいことなのかよ、って思うとムカついてしょーがなかった」
 それが、いつの間にか。
「でもさ……シャンパーニの塔、ぐらいからかな。あいつ……ちょっとずつ、ユィーナのこと、見るようになってったんだよ」
「……へ? あんた、それマジ? そんな頃からあいつユィーナのこと見てたの?」
「いや、見てたっつってもピラミッド前まではホントちょっと意識してるかな、ぐらいだったんだけど。それまでとは確かに違ってた。なんていうかさ……それまでよりちょっと、気遣ったりするようになったんだよ」
 それで自分はなんだあいつも少しは仲間大切にするようになったのかいい傾向じゃん、などと一人嬉しがっていたりしたのだが。でも。
「あいつがさ、ピラミッドを攻略してからユィーナガン見するようになったじゃん? ダーマに向かう道の途中で自覚して、ユィーナしか見えないっつー今の状態になって。そんでようやく、俺も気付いたわけ。なーんだ、あいつユィーナに惚れてたのか、って」
「ふーん……」
「で、俺はさ……」
 俺は。
 その時、どう反応したんだろう。
 ゲットの猛烈な勢いに圧倒された。されながらもそのあまりのあんまりさに突っ込みを入れずにはいられなかった。ゲットの猪突猛進っぷりに流されて――
 ちらりと、『面白くない』と思ったことを忘れた。
「……楽しかったんだよな、俺。今気付いた。うん、けっこう楽しかったんだよ、ゲットの勢いに流されんの」
「うわ、あんたそれマジ発言? 酔ってない? それとも実は不幸だと嬉しくなっちゃうっつーマゾ気質?」
「ちげーよ! たださ……あんなにあいつが、一人の女のために……なんつーの、命懸けて突撃するとこ見てたらさ……」
 あのなにもかもどうでもいいと思っているかのような、仏頂面しか見せてくれなかった男が。
「なんつぅか、すげぇなって。人間ってこんなに人を好きになれんのかって思って」
 あいつこんなに馬鹿みたいになるほど人を愛せたのか、大切なものができたのかと思って。
「感動したっていうか、ある意味尊敬したっていうか」
 あいつがおっそろしく幸せそうな顔をしているのが、妙に嬉しかったっていうか。
「あいつが、ユィーナのためなら世界だって救っちゃうぞ、みたいなこと言うたびに、本当にやりかねないなってうなずいちまうくらい圧倒的な愛の大洪水に、ああ自分は今すげぇもん見てるんだって、本気で愛で世界救うかもしれねぇ奴見てるんだって、呆れながらどっかでわくわくしちまって」
 あいつが必死こいてユィーナのために努力するところを見るたびに、全身全霊をすべてユィーナに捧げて迷いもしないその一途さひたむきさに、カッコいいなって、こんなすげぇ奴ホントにいるんだって、全力で突っ込みながら思いきり呆れながら心の奥底の方でドキドキしちまって。
「だから、俺は、あいつと一緒に冒険すんの、楽しくて、そのすげぇ恋愛が成就すればいいなって、実はこっそり応援してて」
 あいつと一緒に冒険していられることがそばにいられることが嬉しくて、あんな風に想われたらどんな気持ちがするだろうって、実はちらっと考えてて。
「俺は」
 俺は。
「本当に、あいつらが幸せになれたらいいなって思ってて………」
 だから今こうして幸せになってくれて本当に嬉しいと思ってて。
 ―――だけど。
「ちょ……あんた、なに泣いてんの!? ここ泣くとこ!?」
「え……」
 ヴェイルは呆然と頬に触れた。濡れた感触。空気に触れて冷えていく熱い水の感触。自分は泣いているのか、と気付いた。
「……なんだよ、俺」
 それで、ようやく自覚した。今になって。これまでずっと気付かなかったのに。自分の常識的な思考が、彼らの幸せを願う気持ちの強さがずっと認識すらさせていなかったことを。
「馬鹿みてえ……俺」
 好きなんだ。
「ゲットのこと、好きだったんだ………」
 ディラが息を呑む音が聞こえた。ヴェイルはそれに気を回す余裕もなく(酔っているせいもあるのだろう)、笑いながら涙をこぼした。
 最初は嫌いで。でも一目見た時から気になって。
 あいつがユィーナに惚れて突っ走る姿に、気付かないまま恋に落ちて。
 あいつが幸せになってくれたら嬉しいから、ちょっとだけ恋路の手伝いをしてみたりして。そのくせそのたびに少し胸が冷たくて。
 あいつがユィーナに冷たくされるたびに、哀れに思って慰めフォローを入れながら、気付かなかったけれどああもう少しこのままでいられるんだとほっとして。
 そして今、あいつが結婚して幸せになるところを見て、勝手に胸を痛めて泣いている。
「馬鹿みてえ……」
 ゲットより。あの笑えるほどに暴走し続けた恋の突撃艦より。
「ほんと、馬鹿みてえ……」
 この二年間の自分こそが死ぬほど馬鹿みたいだ。そう思いつつ、ヴェイルは泣きじゃくりながら笑った。

 ディラはぐいっと杯を干しため息をついた。目の前にはヴェイルがテーブルに突っ伏して眠っている。
 さすがにディラも突然の告白にどう答えるべきかわからず、とりあえず飲め飲めと酒を注いで一気に酔い潰した。できればこのまま今夜の記憶をさっぱり忘れてくれていたら嬉しいのだが、ヴェイルはこれまでどれだけ飲んでも記憶を失うことはなかったためそれは正直望み薄だ。
 この唐突で救いようもなくしょーもない告白に明日からどう対応していけというのだろう。おまけに明日からの旅路にはユィーナがいない。否が応でも恋心が盛り上がってしまいそうなシチュエーションではないか。
 あーなんであたしがこんなことに頭を悩ませなきゃならんのか。大魔王を倒してバカップルが結婚するところも見届けて、あとはもうお気楽極楽にゆるーく旅ができると楽しみにしていたのに。世界はもう明るいのに、自分たちの行く道には暗黒が広がっていそうな雰囲気ぷんぷんだ。
「……あたし、実はけっこーあんたのこと好きだったりするんですけどねー……」
 小さく酔い潰れている男に告白して、はーっとため息をついた。たぶんあたしのこの告白も、負けず劣らずしょーもない。

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