残夢〜バーバラ・3
「さて、それではみなさん、今日はこの辺で失礼しましょう! シーユーアゲインネクストコンテスト! バイバーイ!!」
 ジャンポルテの地下劇場のベストドレッサーコンテスト、ランク3。あたしたちが参加したのはこれで三回目になるけど、今回も無事優勝することができた。二回目になる舞台の上での賞賛の嵐を、あたしは照れ笑いしながら受けて、商品のきれいな絨毯を抱えながら、方々に頭を下げつつ舞台裏に戻っていく。
 会場のざわめきが伝わってくる舞台裏、スタッフの人たちが慌ただしく行き来する中で、そんなあたしを出迎えてくれた仲間たちがそれぞれに声をかけてくる。
「お疲れ、バーバラ! すげぇなぁ、これで優勝二度目かよ?」
「バーバラの可愛らしさとセンスとやる気の勝利ね。お疲れさま」
「すごいですねー、バーバラさん。私からするとバーバラさんは美人コンテストとして採点すればだいぶ色気が足りないと思うんですけど、それでも優勝できるってホントにすごいことですよ!」
「アモスさん! 口を慎んでください。バーバラさん、お疲れさまでした。ご立派でしたよ」
「えへへー。ぶいっ」
 アモスを蹴とばしながらも勝利のサインをしてみせるあたしの頭に、ぽんとかるく掌が置かれる。大きくて、固くて、逞しい手。だけどすごく優しい手。それがあたしの頭をぽんぽんと叩いて、いつもの言葉を発してくれた。
「お疲れ。よくやった」
「えへへー、すごいでしょ。もしかしてあたしってすっごい美少女なのかな!? まぁ自信がなかったわけじゃないけど!」
「阿呆、なにを言っている。お前は疑問の余地なく充分以上に美少女だ。……ま、俺の美男子っぷりには一歩劣るにしろな」
「はぁっ!? なにそれ! ローグちょっと自信過剰なんじゃないのー!?」
「相応の自信だろう。言っておくが、ランク2のコンテストで、俺は少なくともお前よりは高い点数を取ったぞ」
「ぅぐっ……そ、それはそーだけど……もーっ、このコンテストってどーして点数の基準とかちゃんと教えといてくんないんだろーねっ! あたしのなにがローグより劣ってたのか、ちゃんと説明してくれって感じ!」
「なにをたわけたことを抜かしている。俺の美男子っぷりは相当なものだと自負してはいるが、それでも男だ。お前の美少女っぷりの方がはるかに価値があるに決まってるだろが」
「ちょっ……そ、そーいうこと言うっ!? そ、そんな風に媚売ったって、なんにも出ないんだからねっ」
「当然のことを言っただけでなにか欲しがるほど落ちぶれてはいないぞ、俺は。まぁもちろんミレーユの美女っぷりも相当に価値があるものだと考えているし、俺の単純な好みではあるもののチャモロのような可愛さもなかなかの高得点をつけたいところではあるのだが、お前が美少女であるということの価値が下がるわけでもなし」
「………そーいうこと言う!? あたし怒っていいのか喜んでいいのかわかんないんだけど!?」
「当然怒るところだ。美の基準というのはすべてがオンリーワン、他者と比べるなどそれこそ無粋の極みだろが。ま、別にそんな話を持ち出さんでも、俺の風采に見惚れて俺の口から他の奴を褒める言葉など聞きたくないという主張だとしても、俺はそこそこ受け容れるが?」
「もおぉぉー!!」
 あたしは顔を真っ赤にして相手――ローグに拳を振り上げ、ぴしぱしと軽く殴ってやる。ほんっとに、ローグってば、次から次へと、あたしをからかう言葉ばっかりすらすら出てくるんだから。……いや、もちろんローグがあたしと知り合ってからずーっと、どんな時もどんな言葉でもすらすら出てくる奴だっていうのは変わんないんだけど、こんな風にからかわれればそうも言いたくなる。
 しばらくローグに当たってから、あたしは賞品のきれいな絨毯をぐいっとローグに押しつけた。
「はい、賞品」
「おう、ありがたく受け取ろう」
「っつぅかよ、お前これを手に入れるまではコンテストで勝ち進みたいとか言ってたけど、それなんか意味あんのか? こんな、きれいではあるけどどっからどう見ても普通の絨毯もらったところで、俺たちの旅になにか役に立つわけでもねぇよな?」
 ごずっ。
「阿呆。一応論理的に頭を働かせて理屈を考えたことは褒めてやるがな、それができたならできたでもう少し頭を働かせろ」
「ぅぉおぉ……お前も毎度毎度、俺がなんか迂闊なこと言うたびに全力で攻撃してくんのやめろや! 慣れはしたが普通に死ぬほど痛ぇんだからな!」
「馬鹿にする気か? この俺が、仲間の機能が損なわれるような下手な殴り方蹴り方をするわけがないだろが。単に死ぬほど痛いだけだ、この俺の気に障ることを言った報いとして、粛々と受け容れ甘受するんだな」
「おま……っとに、なんつーかもう……」
 処置なしと言いたげに天を仰いでみせるハッサンに、さらにもう一発拳を叩き込んで再度悶絶させてから、ローグは淡々と説明を始める。
「確かにこの絨毯は、今はどこからどう見ても、美しいだけのごく普通の絨毯だ。だが、そのごく普通というところがそもそもおかしいだろが」
「えっ、おかしいって、どこが? なんで?」
「バーバラ、お前わかってるのか? お前は、俺と旅をしているんだぞ? 主人公≠スるこの俺と、『世界に潜む邪悪な力を打ち倒す』旅を。それなのに、これ見よがしに『特になんの効果もない』道具が、それなりに苦労しなければ手に入れられない賞品として用意されているんだぞ? そんなもの、『実は重要な代物』という展開が一番ありえるだろが」
「……えぇー……?」
 それ単に思い込みって言わないかな、ってあたしは思わず首を傾げてしまう。みんなもそう思ってるみたいで、口には出さないけどもの言いたげな視線をローグに投げかけた。
 でもローグはちっともうろたえないで、むしろ自信たっぷりな面持ちで重々しくうなずいてみせた。
「ま、お前らが懸念を抱くのもわかる。実はそれがすべてフェイントで、本当に単なるなんの役にも立たないアイテムだという展開もそれなりにありえるしな」
「え、自分でそう思ってるのにあそこまで自信たっぷりだったの……?」
「『実は重要な代物』という可能性が一番高いとは思っているが、『本当になんの役にも立たない』という可能性も無視できないくらいには高いと思っているだけだ。どちらにせよ、手に入れることが致命的な結果を招く代物という可能性がごく低い以上、手に入れるに決まってるだろが。手に入れられるものはすべて手にするのが俺の流儀だ。別にランク3ぐらいまでなら、バーバラの美少女ぶりをもってすればさして苦労もなく勝ち抜けるというのはわかっていたし、最終的にはスーパードレッサーの称号を得るまでコンテストに出るのは既定事項だしな」
「も、もーっ! 褒め言葉と意味わかんない話一緒にされても、反応に困るんだけど!?」
「俺は褒めたわけじゃなく事実を言っただけなんだ、気にせず流しておけばいいだろう。ま、お前のそういう褒め言葉に照れくさくなるような少女らしさも、お前の魅力を形成する一要素だと俺は考えてはいるがな」
「……もーっ!」
 あたしはますますなんて言っていいのかわからなくなって、ぺちぺちとローグのことを平手で叩く。鎧を着けていない素肌の部分を叩いたのに、ローグは平然とした顔のままだ。それがなんていうか、すっごくローグの思い通りに転がされてるって感じで、悔しいやら腹が立つやら、その……照れくさいやらで、あたしはすっごく複雑な気分だったんだけど――ローグはあくまで平然とした顔を崩さないし、他の皆もなんだか優しい笑顔であたしたちのことを見つめているしで、あたしはますます顔を真っ赤にして、ぺちぺちローグを叩くしかできなかったんだ。

 海底を探索して回る旅。その中で、あたしたちはそんなにほいほい手がかりっていうか、ちょっと重要なんじゃないかなこれ、って思えるような代物と出くわすことができたわけじゃないんだけど、それでもいくつも見つけることができたものはあった。
 地下に劇場を構えて、毎日のようにベストドレッサーコンテストなんてものを開催してる(しかも普通ならどうやったってたどり着けないような場所で。そのお屋敷に出入りする人はみんなキメラの翼を使ってるんだって。紹介してくれる人以外は屋敷に近づくことすらできないようにしてるんだろう、ってローグが言ってた)ジャンポルテさんの屋敷。とりあえず現在のあたしたちの目標になっている(そのわりには寄り道も多いけど)グラコスのことを教えてくれたポセイドン王の城。
 そして、グラコスのいる闇の神殿を探す途中で、たまたま見つけた海底の小さな祠、というか庵。
「うへっ! 俺の目がおかしいのか? そこに家があるぞ!?」
「こんなところにも家があるなんて、驚きです」
「あら? 本当ね、空気のある洞窟の中に、わざわざ地上のように家を作っている海底人の方はこれが初めてなんじゃないかしら。どんな人が住んでいるのかしらね」
「うーん、ここはとっても静かなお住まいですねー! あんまりピチピチのお姉さんが住んでる感じがしないのが残念です」
「……どうした、バーバラ。なにやら、元気がないように見えるが」
「えっ!? いや、えっと、あの……」
 ローグに気遣わしげな瞳で見つめられて、あたしはわたわたと慌てちゃったんだけど、でもさっきのあたしがあんまり元気がない感じだったのも確かだっただろうから、言い訳せず素直にさっきの心境を明かした。
「なんか……なんかね。なんだか少し懐かしい匂いがするような気が、しちゃって……なんでだろ」
「……そうか」
「え、えっと、たぶん気のせいだと思うけどね!? なんかなんとなーくそんな感じがした、ってだけだし!」
「気のせいかどうか、確かめてみればいいだろう。たまさか出くわしたとはいえ、海底なんて場所で見つけた庵なんだ、主に挨拶しない選択肢なんぞ存在しないしな」
「う、うん……そう、なんだけど」
 確かめてみればいい。それはほんとにその通りなんだけど。当たり前の話だと思うんだけど。
 だけど、あたしは、なんだかちょっと……ううん、正直言っちゃうと、だいぶ怖かった。懐かしい、なんてあたしには馴染みのない感覚だ。あたしの一番古い記憶は、ラーの鏡の塔で、ローグと出会った時の記憶なんだから。いや正確には塔に入る前、誰にも見つけてもらえなかった頃の記憶も持ってはいるんだけど、その頃の記憶なんて掠れて、ほとんど実感なんか残ってない。
 ローグたちと一緒に始めた旅の暮らしが楽しすぎて……ううん、ただ楽しいっていうんじゃなく、なんていうか、『人生』だったから。あたしにとって、人生っていうのは、ローグたちとの旅そのものなんだ。それ以外の人生なんて、あたしにはほとんどないも同然で。
 それが、こんなに急に、『それ以外』が……ローグたちとの旅に関係ないあたしの『人生』があるなんて突きつけられちゃうと、なんていうか、ほんとに……
「バーバラ。挨拶が嫌なら、船に残っているか?」
「ぅっ……うぅんっ! 行くっ!」
 あたしはぶんぶん首を振る。怖い、っていうか正直逃げ出したいって気持ちはすごく強かったんだけど、それでもあたしは首を振った。なんていうか、ローグにおいてかれちゃう、みたいな気持ちになっちゃったんだ。
 ローグに旅の仲間としていっちょまえに見てもらえないのって、あたしにはすごく悔しいし、辛いし……寂しい。一緒にいてくれって思ってもらえないのって、悲しい。そんな風にひとりぼっちな気分にさせられるより怖い気持ちの方が勝つような奴だったら、あたしはローグの旅についてきたりしてない。
 ローグは「そうか」とあっさりうなずいて、何度かノックをしたあと、(返事がなかったんで)足早に庵の中へと入っていく。あたしも心臓をばくばくいわせながらそれに続いた。他の皆も一緒に庵の中へと入ってくる。
 外でもある程度匂いがしてたんでそうかな、って思ってた通り、庵の中では大きな釜で薬草を煎じてるところだった。その奥でなにか書き物をしていた、それこそ魔女みたいに皺だらけで鼻の長いおばあさんが、くるりとこちらを振り向いて声をかけてくる。
「おや、お客さんとは珍しいのう」
「突然の訪問をお詫びします。先ほど何度かノックはしたのですが、お返事が聞こえなかったもので」
「すまんね、なにせ年寄りなものでな。耳が遠うて」
「ずっとこちらで暮らしてらっしゃるのですか?」
「ああ、いや……。そうさね、わしは伝説の魔法都市、カルベローナの生き残りじゃ。あんた、カルベローナの話を知っとるかね?」
「小耳にはさんだことはありますが……正確な話までは。よろしければ、お聞かせ願えませんでしょうか?」
「カルベローナはここから西の沖に浮かぶ小島にあった街じゃ。そこでは毎日いろんな魔法の研究がされておってのう……。マダンテなる究極の魔法も伝えられておったぞ。しかしある時、その小島ごと海の底に沈んでしまったんじゃ。それが運命だったのか……。何者かの仕業だったのか……。今となってはわからんわい」
「―――――」
「カルベローナ……。どんな街なのかしらね」
「魔法都市……非常に興味深いです。どんなところなのでしょうね」
「とにかく調べてみないことには真相はわからないよな」
「カルベローナもですが、私にはこの大きな壺の中身が気になります……」
 お婆さんが寂しそうだったからだろう、遠慮して小声で口早に囁き合う仲間たちの後ろで、あたしは一人、呆然としていた。口から「マダンテ……究極の魔法……」なんて言葉が漏れるのを、他人事のように聞きながら。
 カルベローナ。マダンテ。究極の魔法。その言葉は、あたしの中に確かに、強烈な一撃を喰らわせたんだ。『懐かしい』なんてあえかな気持ちなんかじゃない、殴りつけられた時みたいな、衝撃が強すぎて自分が痛いのか苦しいのかもよくわからなくなるみたいな、めちゃくちゃ強烈な一撃を。
 仲間たちもあたしの様子に気づいたんだろう、それぞれ気遣わしげな顔をして、「どうしたよ、バーバラ」「どこか痛いんですか?」とか心配をしてくれる。あたしは「なんでもないよ。うん、なんでも……」なんて、少しもなんでもなくなさそうな返事しかできなかったけど、仲間のみんなは(気遣わしげな顔はまだしていたけど)素直に引き下がってくれた。
 だけど、あたしはまるで気づいてなかったんだ。こういう時、真っ先に口を出してきそうな相手が、黙っていたことに。静かな面持ちで、症状を観察するお医者さんみたいに鋭く、あたしのことを見つめていたことに。

 その建物は、小さな山みたいに見えた。牙が生えた口を大きく開けた、魔物の形をした山。それが海底にどーんと鎮座ましましている、って感じ。
 だけど泡に包まれた神の船が、その大きな口の中に入っていくと、すぐに陸地――普通なら海の底にあるんだから、怒濤のように海水が流れ込んでくるはずだろうに、しっかり空気で満たされた空間の下の、乾燥した地面が広がる場所にぶつかる。ルビスさまのいた城とは比べられないけど、これまで出会った海底人さんたちの住処が、めちゃくちゃおっきくなった場所、みたいな感じはあった。
 ……ううん、そういう言い方も、海底人さんたちに失礼かも。なんていうか、この海底の建造物は、どこんもかしこもまがまがしいっていうか、邪悪としか言いようのない気配を漂わせまくってるんだもの。
「海の中にこれほどの建物があるとはな……」
「マーメイドハープがなかったら、絶対に来られなかったわね」
「敵の気配を辺りにたくさん感じます! 気をつけて進みましょう!」
「きっとここにグラコスが! ワクワクドキドキですね!」
 神の船の甲板の上で、波打ち際って言ったら変だけど、海水と陸地が分かたれてるところを目指して進みながら、洞窟探索の準備をしつつ言葉を交わし合う仲間たちを横目に、あたしはぼそっと一人、冷えた言葉を漏らす。
「海の底にこんなもの作っちゃって……ばっかみたい」
 自分でもびっくりするぐらいの、漏れた声の温度のなさに、あたしはこっそりぐっと唇を?みしめる。自分でも意識して出したわけじゃない声の温度の低さが、あたしの心が無意識に、あたしの『過去』やら『記憶』やら、そういうものにこの場所が関わっていると主張しているってことなのかって思えちゃったから。
 あの庵の、おばあちゃんの言葉。どこか懐かしさを感じるあの場所の気配。カルベローナ、マダンテ、究極の魔法。そういうものと、この闇の神殿はきっと、大きく関わっているんじゃないだろうか。
 だから、あたしは心の中で、びくびくしちゃってしょうがない。怖くて怖くてたまらない。逃げ出したい。あたしのこれまでの人生が――ローグたちと一緒に続けてきた旅が、消え去っちゃうような気がしちゃって。
「――今回の探索の、前線メンバーを発表するぞ。俺、ハッサン、ミレーユ、バーバラだ」
「へー、ミレーユさんとバーバラさんが一緒って、珍しいですね」
「まぁ、どちらも基本的には呪文をはじめとした支援要員だからな。それが二人揃うとなれば、支援能力は相当に高くなることは間違いないが、当然ながら前線が薄くなるということでもある。なんで、前線要員の能力がよほど高い時でなければ避けるべき組み合わせだったんだが……幸い、今回はミレーユとバーバラがバトルマスターにまでなっているからな」
 そうだった。海底探索と同時に、レベル上げ&熟練度上げの修行という苦行を並行してひたすらえんえん続けてきたあたしたちは、自分たちの得意分野に近しい職業は全員極めちゃっていて、自分に似つかわしくない、能力的にも正反対の職業に就くようにまでなってきてるんだ。
 これまでの職業では、どっちかっていうと本来の自分たちより体力とかが低くなってる時がほとんどだったあたしたちとしてはわりと慣れない感じなんだけど、本来のあたしたちより力も強ければ体力や耐久力なんかも今ははるかに高くなっている(具体的にどれくらい高いのかとかは、ローグじゃないとわかんないんだけど)。
 まぁあたしたちの場合、援護役の方が向いてるっていうのは変わらないんだけど、普段のあたしたちより体力や耐久力がぐんと上がってる分、後衛として全力で護らなくてもある程度安心、ってことなんだろう。
 ちなみにハッサンは賢者をマスターして、現在スーパースター。スーパースターってあんまり殴り合いに向く職業じゃないんだけど、ハッサンだから今のあたしたちよりも前線向きだし、賢者をマスターしてるから援護役としての動きもできるから、全体のバランスとしては悪くない、って判断なんじゃないかな。
 そんなことを考えてたあたしは、その時ようやくローグの言葉の内容に気づいて、思わず叫んでしまった。
「え、あたしっ!? あたしが探索メンバー!?」
「その予定だが。なにか問題でも? その問題が俺を納得させるほど説得力のあるものならば、メンバーを変えることもやぶさかではないが?」
「べ、別に、問題があるってわけじゃないんだけど……」
 そう、本当に、別に問題があるわけじゃない。ただ単に、あたしの心がびくついてるってだけ。根拠なんてろくにないのに、あたしの覚えていない過去に関わる場所なんじゃないかって、勝手に身構えて怯えてるってだけ。
「なら、一緒に来るんだな?」
「………うん。行く」
 あたしは、ちょっとためらったけど、結局そう答えちゃってた。心は勝手にびくついてしまっているけれど、これまでの旅の中で、あたしのこれまでの人生の中で、ローグと一緒に冒険するのが嫌だったことなんて、一度だってないんだから。

 魔物の口を模して造った入り口から、闇の神殿ってやつなんだろう、ばかでかい建物の中に入る。階段を上がったり下りたりしながら、曲がりくねった道を行ったり来たりしながら、あちらこちらにある仕掛けを動かしては水を引かせたり戻したりして、あたしたちは奥へと進んでいく。
「…………。おっと、びっくりしてる場合じゃないぜ。魔物どもは相変わらずうじゃうじゃ出てきてるんだ、機を抜かねぇようにしないとな」
「そうね……でも、確かにすごい仕掛けね。これは、なにに使う仕掛けなのかしら」
「え……あたしたちみたいな、侵入者を奥に通さないための仕掛け、なんじゃないの?」
「そうかもしれないけれど……それにしては簡単に解除できてしまえているから。単純に行く手を阻むにしては妙じゃないか、って思えてしまって」
「あ、そっか……」
「大軍の足止め用なんじゃないか。こんな海底の建造物に、大軍をもって攻め入る奴なんて俺にも思いつかんが。それ以外普通の用途がありそうな気もしないしな。まぁ単純に、こういうところに居を構える奴らは、たいていこういう大掛かりであまり意味のない仕掛けが大好き、ってだけなのかもしれんが」
「あはは……ほんとにそういう理由だったら、ちょっとびっくりだねー」
「俺はそこそこ信憑性のある考えだと思っているぞ。人間でも金と暇を持て余した連中は、隠し部屋やら仕掛け階段やら、この手の大仕掛けを屋敷やら別荘やらに仕込むことが多いらしいしな」
「え、本気の話なの、それ……?」
「お前よくそんなこと知ってんなー」
「貴き方々から情報を引き出そうとすれば、自然その手の裏話を耳に挟むことも多くなるってだけだ」
 そんなことを話しながら、奥へと向かう途上を塞ぐ、水没した部分から、また水を引かせる――と、水底に沈んでいたらしい、宝箱があたしたちの目の前に現れた。
 いつも通りにローグが一人で近づき、様子を探って(っていってもたとえ中に魔物が潜んでいても、ローグはきっちり魔物を倒して宝物を回収するんだけど)から宝箱を開けるのを、あたしたちは少し離れて見守る。と、宝箱を開けたローグが、少しだけ眉を寄せて手招きしてきたので、あたしたちは小走りで近寄った。
「どうした? なんかあったのか?」
「見てみろ」
 言って宝箱の中を指差すローグ。素直に中を覗き込んで――あたしは思わず息を?んだ。
「……なんだこりゃ?」
「砂の器……? なにに使うのかしら?」
 ミレーユの言う通り、宝箱の中に入っていたのは砂でできた器だった。今にも崩れそうな、細長い、真ん中が引っ込んだ器。
 普通なら、ミレーユみたいに、なにに使うのかわからなくて困惑するところだと思う。だけどあたしは、なぜか、それの『使い方』が、はっきりわかったんだ。
「……バーバラ。どうした」
「えっ……あ、の。………、なんだか、どこかで、この砂の器を見たことがあるような気が……して」
 それは、嘘じゃなかった。なんとなくどこかで見たことがあるような感じ。そんな、たいていの場合気のせいとか思い違いとかですんじゃうような、『どこかで見た感じ』っていうのを、この砂の器に感じたのもほんとのことだ。
 だけど、あたしは、頭じゃなくて、身体とか心とか、そういうものの方が勝手に、『あたしはこの砂の器を使える』って、はっきり納得しちゃってることを、口に出すことができなかった。
「へぇ、どこで見たんだ? ぐふっ……おま、いっちいち蹴んなよ! 別に変なこと言ってねぇだろ!?」
「変じゃなくとも考えなしのことは言っただろが。バーバラは『どこかで見たことがあるような気がする』と言ったんだぞ。はっきりどこで見たのか思い出せるなら、そんな言い方しねぇってことぐらい、まともに頭働かせる気があるなら考えつきやがれ」
「ぬぐっ……そ、そりゃそうだけどよぉ」
「とりあえず、これは袋に入れておくが。いいか? バーバラ」
「う、うん……」
 ローグの言葉にうなずきながらも、あたしの心臓はばくばく鳴っていた。本当は、よくない。正直な気持ちを言っちゃうと、そんなもの見たくなんかない。怖い、逃げ出したい、なかったことにしたい。そんな言葉が今にも口から溢れ出そうだ。
 でも、それを言っちゃいけない、そんなこと言ったら絶対にだめだ、って気持ちもあたしの中でぐつぐつ煮えたぎってるのも確かで。あたしは結局、なにも口に出せないまま、うつむくしかできなかったんだ。

 神殿の最奥。天井から床下へなだれ落ちる瀑布の前、灯火の連なる通廊の先の階段の上。巨大な魔物の像の口の中にある玉座。その上に、その魔物は座っていた。
 一見した印象は、半魚人って感じだった。上半身は人、下半身は魚。肌はイカとかタコとかナマコみたいにぬめぬめしてて、色合いもナマコとかと似たようなもので。不気味な感じはしたけど、魔物としてはそれほど珍しくない形っていうか、あんまり強そうな感じはしない。
 だからあたしは、ハッサンが「おい、ローグ……なんか、変な奴がいるぜ」なんて小さく呟いた時、ついぽろっと、「うわー。怖くて面白い顔した魔物がいるよー!」なーんて言ってしまっていた。
「おいおい、バーバラ……気持ちはわかるけどよぉ」
「あ、あはは、ごめん……でも、そういう顔じゃない? あいつ」
「いやまぁ、そうじゃねぇとは言えねぇけどなぁ」
「ここが一番海の底に近い場所、なのかしら……? それでは、あの魔物がグラコス?」
「ま、普通に考えてそうだろうな。見たところ、うたた寝をしているようにしか見えねぇが」
「寝込みを襲ったりしてみるか?」
「それもいいが、魔物というのは基本人の気配に敏感だから、近づくといきなり目を覚ます、なんてこともよくあるからな。あまりひとつのやり方に固執しない方がいいだろう。全員が忍び足が得意というわけでもなし」
「ま、それはそうか」
 そんなことを小声で囁き交わしたあと、あたしたちは心持ち足音を殺しながら、そのグラコスらしき半魚人魔物に近づいていく。とたん、ローグの予測が見事に当たったというか、もう少しで戦いをしかけられる間合い、というところにきた頃合いで、唐突に半魚人がその眼をぱちっと開き、忌々しげに唸り始めた。
「ブクルルルー。わしは今眠いのだ。用ならあとに……、!」
 そこまで言って、あたしたちが配下の魔物とかじゃないことに気づいたみたいで、ばっと跳ね起き、玉座の上で身構える。
「げはっ! お前、人間だな! どうして人間どもがこの海底神殿までっ! まさかこの海魔神グラコスさまを倒して、魔法都市カルベローナの封印を解くつもりなのか!?」
「そうだと言ったら?」
「いかん! それはいかんぞ! カルベローナを解放してもいまさら手遅れというものだが、万が一ということもある。なにせあの魔法都市にはマダンテというすごい魔法が伝えられているからな。だからこそ封印し……、!」
「わざわざ詳しい事情を教えてくれるとはな。一応礼を言っておこう。正直話術を駆使する張り合いがなさすぎて拍子抜けではあるが」
「げはっ! また悪い癖で喋りすぎてしまったぞ! と、とにかく! 封印を解かせるわけにはいかん! さあ来い! ブクルルルルー!」
「―――いいだろう、三下。主人公≠ニその仲間たちが相手をしてやる。俺たちの進む道を彩る贄として、せいぜい抗ってみせるがいい!」
「……っとに、どっからどう聞いても悪役の台詞だよなぁ」
「ハッサンスクルト! ミレーユフバーハ! バーバラマジックバリア!」
 ハッサンの言葉に、一瞬鋭い視線を投げかけながらも、素早く出された戦闘指示に、あたしたちはこぞって「おうよ!」「わかったわ!」「うんっ!」と応えて戦闘態勢に入る。自然に身体が一番いい形で反応して、敵を倒すために的確に動く。
 そんないつもながらの『ローグに指揮された戦闘』になだれ込みながら、あたしはさっきからずっと心の中でぐつぐつ煮えたぎっている、懐かしさと怖さとその他いろんな気持ちがごっちゃになった、叫び出したいような、泣き喚きたいような、相手を思いきり殴っちゃいたいような、そんな気持ちがぶつけどころを見つけて、すぅっと軽くなっていくのを感じていた。

「こぉっ!」
 グラコスが口から氷の息を吐き散らし、あたしたちにぶつけてくる。でもミレーユのフバーハに護られたあたしたちには、たいして傷をつけることもできなかった。
「ベホマラー!」
 ミレーユが回復呪文を飛ばすけど、これだって念には念を入れて、万が一にも誰か死ぬことのないように、ってことで使われた呪文でしかない。あたしたちの身体の傷は、そういう『念には念を入れて』の回復呪文で癒されて、ほとんど残っていなかった。
「……ぁあっ!」
 あたしが思いきり気合を込めて、グラコスに正拳突きを叩き込む。正拳突きは拳での一撃なのに、装備している武器の強さも力にすることができるっていう、ダーマ神殿で転職した職業ならではのすごい特性がある。
 あたしの装備してるグリンガムの鞭は、単純に数値だけなら他のみんなが装備できる武器の攻撃力をぶっちぎってるらしくって、パーティで一番力のないあたしでも、けっこう強力な攻撃を放つことができた。そんなあたしの正拳突きは、自分でかけたバイキルトでの強化も相まって、グラコスの肉と皮を突き破り、骨身を砕いて、内臓を貫き、グラコスに「ごおぉぉっ!」と喚き叫ぶくらいのダメージを与えることができたって、自分でもはっきりわかる。
「ふっ!」
「おぉらっ!」
 ローグとハッサンも続いて正拳突きを放ち、それぞれにダメージを与えてたけど、二人の現在の職業はスーパースター。実際どのくらいダメージ与えてるか、なんてことが数字で出るわけじゃないけど、バトルマスターで、すごい強い武器を持ってる、あたしの方が今に限ってはもしかしたら高いダメージを与えてるかもしれない。
「ぐほっ……お、おのれぇっ!」
 グラコスがやけになったみたいにばかでかい武器を振り回して薙ぎ払ってくるけど、スクルトを限界までかけてあるあたしたちの身体には、ほとんど傷ひとつつけられない。むしろ大振りの隙を衝けるから、こぞってみんなで正拳突きを叩き込むのが楽になったくらいだ。「がはっ、ぐへっ、ぐほっ、うぎぃっ!」とグラコスがのたうち回るのに、さらに追撃を放つ。
 グラコスが攻撃呪文を放とうと開いた口の中に、容赦なく、全力で、正拳突きを叩き込む。あたしのその一撃は、グラコスの口と頭の骨を叩き割り、脳の中にまで拳を突き通した。
 魔物の中には脳をぐちゃぐちゃに掻きまわされても死なない奴とかけっこういるらしいけど(前にローグが言ってた)、っていうか脳とかない奴もいっぱいいるけど、少なくともグラコスにとってはその一撃は致命的だったみたいで、「げはっ!」と叫んでから、うわごとのように血だらけの口で喚き散らす。
「いかん、いかんぞ! このグラコスさまが滅びれば、カ、カルベローナの封印が……。そ、それだけは……ぐぶっ!」
 その呻き声を最後に、グラコスは石化したみたいに固まってから、爆発して光の欠片になって飛び散った。これまでにも何度か見た、強力な魔物の死にざまだ。ふ、とあたしもみんなも一瞬息をついた時に、突然頭の中に映像が浮かんできた。
 最初に見えたのは、巨大な穴だ。海の中に空いている、巨大な穴。これ以前見たことあるな、と、びっくりしてる心をよそに、頭が勝手に思い出してくれた。夢の世界で、空飛ぶベッドで飛び回ってる時に見た、クリアベールの西北西あたりの海のど真ん中に空いてた、でっかい穴。夢の世界に空いてた大穴はみんなそうだけど、穴の中には下の世界が見えていて、石とか土とか普通に落っこちてるのに穴が広がる様子も壊れる様子もない(この穴は海の真ん中にあるから海水がだぁだぁ流れ落ちてってるんだけど、海水が減る様子なんて全然なかった)、不思議な穴だ。
 そしてその穴の中から、ずずずずずっ、となにかがせり上がってくる。
 よくよく見てみると、それは島に見えた。真ん中にそれなりの大きさの街がある、それなりの大きさの島だ。ちょうど空いた穴ぐらいの大きさのその島は、大きな地響きと共に、周囲の海に大波をまき散らしながら、見事に大穴にぴったりはまり、ずっと昔からそこにあったみたいに、動かなくなった。
 最後に巻き上げられた海水のせいか、虹が出たのを最後に、その映像は消え失せた、けど――あたしはひたすら呆然とするしかない。だって、こんな、突然、こんな――そんな言葉が頭の中でぐるぐるして。
 そんなあたしの耳に、ハッサンの陽気な声が響いた。
「やったな、ローグ! 楽勝だぜ! それに、上の世界に街が復活したみたいだぜ!」
 満面の笑顔でそう告げたハッサンに、いつものごとくローグの膝が入る。
「ぐふっ……お、おっまえなぁ……曲がりなりにもボス敵との戦闘のあとで、ここまで容赦ねぇのは勘弁しろっつぅの……」
「楽勝だっつったのはお前だろが。そもそも、あんな突然の不思議映像を見せられた上で、さっきのような反応を返す奴が、人がましい口を叩くな、っつってんだ」
「は!? なに言ってんだよローグ、あの海ん中の大穴は、夢の世界にあった大穴以外ねぇだろ? 前に見たことあったじゃんかよ。それがグラコスを倒したあとにふさがったんだぞ? 前みてぇに、夢の世界にまた街やら何やらが復活したって以外に考えられねぇじゃねぇか」
「幼児レベルの論理展開を得々とした顔で語ってんじゃねぇ。なんであんな映像が突然脳裏に、っつぅか目の前で繰り広げられてるかのごとく鮮明に浮かんできたのか、ちったぁ疑問を感じてみたらどうだっつってんだ」
「へ……?」
「そうね、確かに不思議ね……。私にも、どこかの街が復活するところが頭に浮かんで見えたわ。あれがグラコスの言っていたカルベローナ!?」
「……あ、そっか、あれがカルベローナって街なのか! 確かにグラコスの野郎、カルベローナの封印がなんだかんだと言ってやがったな!」
「………ま、確かに鶏頭脳筋にそれ以上を求めるのも酷な話か。今回は俺が悪かったな。……バーバラ、大丈夫か?」
 あたしの方を振り向いて、静かな面持ちで訊ねてきたローグに、あたしは、にぱっと笑顔を浮かべて答えた。
「ふう……なんとか倒せたね! それにしても……ねえ、ローグもさっきの見えた? きっとあれが封印されていたカルベローナよ。早く行ってみましょ!」
「………そうか。わかった」
 ローグはやっぱり静かな顔でうなずいて、玉座に残されたグラコスの槍を袋に入れてから、仲間たち全員に向けて声を上げる。
「リレミトで脱出してから、夢の世界にルーラ、それから空飛ぶベッドで移動する! さくさく動くぞ、遅れるなよ!」
「あいよっ!」
「えぇ」
「うんっ!」
 あたしは、まだ心臓をばくばく言わせながらも、満面の笑みを浮かべてうなずいてみせた。
 ―――怖いのがなくなったわけじゃない。逃げ出したい気持ちはまだ心の中に渦巻いてる。でも、だけど………『行かなくちゃ』『知らなくちゃ』って気持ちも、胸が痛くなるほど強烈にあたしの中で主張してたから。
 だから、あたしは笑ってローグにうなずいたんだ。ローグに見損なわれたく……おいてかれたく、なかったから。

 夢の世界にルーラで転移して、空飛ぶベッドを使って海を渡る。いつものようにホイミンがふよふよと楽しげにベッドの上を飛び回る中、あたしたちはすごい速さでかっ飛ぶベッドの上でおしゃべりをしていた。
「マーメイドハープが浮き島にも使えると、こっちでも海に潜れていいですよね。あ、でも上の世界の海に潜ると、下の世界に落ちちゃいますかね!? まぁでもとにかく、上の世界の大きな水漏れが直ってよかったですね!」
「ふふ、水漏れって言っていいかはわからないけれど……もしかしたら、これから上の世界でもマーメイドハープのような道具が手に入って、こちらでも海底を探索することになるっていうのはあるかもしれないわ。下の世界のように、上の世界でも海の底を調べなきゃ手に入らないものができて、地上と海の底の両方を調べて回ることになるっていうのは、妄想のようなものだけれど、ありそうな気がするわね。どちらにせよ、私たちの最終目的まで、まだまだ先は長そうだけど、頑張りましょうね」
「え、最終目的って……なんでしたっけ。ローグさんの自分探しですか? まぁその手がかり、今のところ全然見つかってませんけど……」
「ふふ、どうかしら。……そういえば、復活した島にあった街がカルベローナだろう、って推測ができてるのよね。だから行ってみましょ! って話だったと思うのだけれど……場所はちゃんと覚えている?」
「え、はい。それはもちろん」
「うーん……。そう言われてみると、あんまりはっきりとは覚えてねぇなぁ。グラコスを倒して復活した島は、海のどの辺りだったっけな? っと、空飛ぶベッドの上なんだから、暴れんなっての! 落っこちたらどうすんだよ」
「空飛ぶベッドはそこらへんの補助はきっちりやってくれてるから問題ない。いまさら阿呆なことを言い出した鶏頭マッチョに相応のしつけをしてやる方がはるかに重要だ」
「しつけってなんだよ、お前は俺の母親でもなんでもねぇだろうによ」
「母親でもなんでもないのにしつけをせざるをえんぐらいにお前の問題発言が多い、って思考はねぇのか、この脳筋鶏頭」
「いや別にそこまで問題のあること言ってねぇだろ、俺。まぁ馬鹿なことはちょくちょく言ってるかもしれねぇけどよ、そこは俺の頭が悪ぃからってことで許してもらうしか」
「ふん……自覚がないよりよほどマシではあるか。まぁ、お前に頭を良くしようと必死になられても、パーティメンバーとしては迷惑でしかねぇからな。脳筋は脳筋らしく、得意分野を伸ばしてもらった方が冒険的には生存確率が上がる」
「おう、ありがとよ。しっかし、次から次へと不思議なことが起こるよな。まったく、世界は広いぜ」
「そうですね……本当にそう思います。海の中を冒険することになるとは、私もまるで想像していませんでしたし……ですが、下の世界の海底は、もうあらかた探索できたと言えるのではないでしょうか。ポセイドン王に謁見を申し込む必要はあるかもしれませんが……もちろんそのこと自体も大変なのは間違いないのですが、しばらくは下と上の世界の地上の、まだ探索できていない場所をあちこち見て回った方がいいですよね」
「ま、確かにな。空飛ぶベッドのおかげで、夢の世界の探索できていない場所はもう少なくなってきてはいるが、皆無ではないし……現実世界ではまだ空を飛ぶ手段がないからな、どうしても探索できないという場所はまだなくなっていない」
「まだ空を飛ぶ手段がないって……下でも手に入れられるのが決まってるみたいに言うじゃねぇか」
「は? お前これだけ一緒に旅していてまだ俺のことがわかっていないのか? 俺は主人公≠セぞ。世界中をくまなく探索できる手段なんぞ、手に入らない方がおかしいだろが」
「へいへい、わかりましたっての」
「……とにかく、グラコスの封印から解かれたあの島に急ぎましょう。グラコスの言葉からすると、私たちにとっても重要ななにかが待っている可能性は高いでしょうし」
「そうだね………。カルベローナ……。早く行ってみたいよ」
 あたしがぽそりと呟いた言葉に、ちろりとローグが視線を向ける。その視線になにかもの言いたげな気配を感じ、慌てて視線を横に、っていっても海しか見えないんだけど、にずらす。
「なんだか知らないけど、海を見てると心が落ち着いてくるのよねー。ひょっとしたらあたしって、ずっと昔は人魚だったのかしら?」
「……ま、今のところ魂が転生するって学説は否定されてねぇからな。今生で人魚から人間に変生したって可能性は転生説よりも低くなるだろうが、皆無ってわけじゃねぇ。どっちにしろ、それなりにありえる可能性なんじゃねぇか?」
「え、ホントにあたし昔人魚だったのかもしれないのっ!?」
「なんだ、単に言ってみただけなのか? 否定はできねぇってぐらいの話だ。昔っからずっと人間だ、って可能性の方が普通に考えて一番高いのは確かだぞ。ま、本当に昔人魚だった、って可能性を否定することも絶対にできねぇのも確かだが」
「えー!? 絶対にできないの? あ、あたしって、ホントに人魚だったかもしれないんだ……!」
「おい待てバーバラ、お前俺の言ったことをちゃんと理解してるか?」
 そんなだいたいいつも通りの会話を交わしながらも、あたしはやっぱり、ちょっと……ううん、だいぶ緊張していた。本当のことなんて、まだ全然わからないけど。やっぱりまだ怖いし、逃げ出したいし、それと同じくらい行かなきゃ、知らなきゃって思ってる。
 そんなあたしの気持ちが、実際にカルベローナにたどり着いたらどうなるのか、なんてわからないけど――ローグにおいてかれたくない、って気持ちはたぶん、行先でどんなに心がねじれたとしても持ち続けてる気がするから。
 だから、あたしは、そっと拳を握り締めながらも、空飛ぶベッドが飛んでいく先を見つめた。どんな思いをしたって、あたしは旅の途中で、放り出したくも放り出されたくもないんだから。

 その街は、それこそ、まるでおとぎ話みたいな、っていわれそうな、不思議な街だった。
 パッと見水上都市なんじゃって思っちゃうくらい大きな池……なのか泉なのかわからない水域が街のど真ん中にあって、そのあちらこちらにおっきな結晶……水晶なのかもって思うんだけど、たぶんそれよりずっときらきら輝く宝石みたいな透明な柱が、水の中から屹立してる。その上に、これまたきらきらと、結晶の柱よりもさらにいろんな色に輝く欠片がいくつも浮かんで円環を作って、ゆっくりぐるぐると円の形を保ったまま回転してるんだ。
 街のそこかしこに見えるランタンの中からは、普通の灯火よりもずっと眩しくて明るい、たぶん魔法の光がこぼれ出て、周囲を照らし出してる。その光が結晶に反射して作る陰影は、本当に、泣きたくなるくらいきれいだ。
 それ以外の街の装飾も、これまでどんな街でもお城でも見たことがないくらい、眩しくってすごい。どう見ても黄金にしか見えない代物がたっぷりとした量感で街の門や柱を彩って、その下や街の中央にある建物に進む道は紫水晶、ううん紫水晶をそのまま布地にしたみたいなもので覆われてる。
 そこ以外の壁やなんかも白亜って言い方でもまだ足りないくらい眩しく白い建材で建てられていて、街のあちらこちらにきらきらと輝く宝石みたいな結晶が浮かんでいて、だけど普通のお城みたくゴージャスってのじゃなくて、なんていうか、この世のものじゃない、不思議な街、って言い方がぴったりはまる感じだったんだ。
 あたしたちは全員、その光景を言葉もなく見つめるしかなかった。まぁ言葉もなくっていっても、半ば独り言みたいに、ぽつぽつ呟いたりくらいはしてたんだけど。
「俺たち今まで、いろんなところを旅してきたけどよ……。ここまで不思議な場所は初めてだぜ」
「本当に……これは……まるで夢のような光景です」
「街のあちこちにある、あのキラキラしたものっていったい何なんでしょうか? つるはしで削ったら……やっぱり怒られますよね」
「まあ……本当に、びっくりするくらい、きれいな街ね……」
「なんだろう……この不思議な感じ。魔法の力を感じるよ……」
 街の入り口に立って、そんなことを言っていたあたしたちに、街の人が二人近付いてきた。長老みたいなおじいちゃんと、他の街だったら踊り子にしかいなさそうなくらい露出のすごい、でもたぶんなんか魔法的に意味や力を持ってる服を着た女の人。
 その人たちはあたしたちの前で一礼して、なんだかすごく静々と、偉い人を迎える時みたいな口調で語り出した。
「魔法都市カルベローナへようこそ。あなた方が海底神殿の魔王を滅ぼしてくださったおかげで、封印から解放されました。私たちカルベローナの民は、みなさまがいらっしゃるのをずっとお待ちしていたのです」
「おっ! やっぱこの街がカルベローナだったんだな! やったぜ! カルベローナについたぞ。グラコスめ、ざまあみろだ!」
「私たちのこと、待っててくれたらしいですよ。少し照れますね」
「私たちの日頃のよい行いが、この街を復活させたのです」
「やっぱり……そうなのね。ここがあの魔法都市カルベローナ……」
「カルベローナ……う〜ん、なんだか前から知ってるような……」
「よくぞおいでになられました。我々は封印されている時でも、心の目で世界を見渡しておりました。また、バーバラさまの成長も祈る思いで見守っていたのです。そう、ここはバーバラさまのふるさと……。かつて魔王がこの街を封じようとした時、バーバラさまの魔法力は大きく反発した……そのためバーバラさまの心は、我々のように封印されず、逃れることができたのです。ただ、あまりに大きな力がほとばしったために記憶をなくしてしまわれたのでしょう」
「????」
「なんと! ここがバーバラのふるさとだって!? 本当かよ!」
「これは驚きですね! いきなりバーバラさんのふるさとが見つかるなんて!」
「バーバラさんの謎が少し解けましたね! 仲間として嬉しいです!」
「そうなの? カルベローナはバーバラのふるさとだったのね!」
「エ? エ? エ? どういうこと?」
「もう一度申し上げましょう。魔法都市カルベローナへようこそ。この街ははるか昔、偉大なる大魔女バーバレラさまがおつくりになりました。どうぞこの街を皆さまの足でお巡りになり、皆さまの曇りなき眼でお見定めください。この街がこの世に在る意味と意義を、どうぞお確かめくださいますよう」
「大魔女バーバレラ……もし生きていらしたら、お会いしてみたいものです」
「封印が解けて本当によかったですね! ああ、なんだかすがすがしい」
「大魔女だってさ。どんな人なんだろうな」
「大魔女バーバレラ……昔、なにかの本で見た記憶があるわ」
「大魔女バーバレラ……なんだか聞いたことがあるような……」
 ―――この人たちの言っていることの意味が、あたしは、うまく呑み込めなかった。
 混乱して、意味がわからなくて、どうすればいいかまるで思いつけなくて、ひたすら呆然と立ち尽くすしかできない。なんでこんなにショックを受けてるのかわからないけど、衝撃が強すぎてまともに立っていることも難しいくらい。周りのみんなが、どんな反応をしてるのかも頭に入らなかった。
 そんなあたしの背中を、いつものように、ぽんと軽く、優しい手が押す。
「行くぞ、バーバラ。せっかく相手方が街を見物するよう願い出てくれてるんだ、無碍にするのももったいない」
 いつもと同じ、偉そうで、自信満々で、あたしたちが自分の言うことに従うって、当たり前みたいに考えてるみたいな笑顔。それを見て、あたしは一瞬だけ気持ちを繋ぎ止められたみたいな気分になって、ほっとして、反射的に、なにも考えることのないままに、なんとかいつもみたいに軽く、言葉をこぼすことができた。
「うん、行く……」

「カルベローナは魔王によって二度滅ぼされたといってもよいでしょう。一回目は現実の世界で、街ごと死の炎で焼き尽くされました。その時私たちは肉体から精神を解き放ち、魂だけの存在となって夢世界へ逃れたのです。しかし魔王はその強大な力を夢の中にまで伸ばし……私たちが夢の世界に築いた街を、今度は島ごとすべて封印してしまったのですから」
「悲しいことです。街の人々の心が痛いほど伝わってきます」
「夢の世界に逃れてきたのに、そこでも辛い目に遭うなんて……」
「少しずつカルベローナの謎が解けてきましたね」
「ま、俺たちがいる限り、三度目はありえないよな!」
「なんだか悲しい気持ちになってきちゃった……」

「わしら魔法を操る者は、魂だけの存在となって生きることができるのじゃ」
「魂だけ……と聞くと、幽霊を思い浮かべますが全然違いますよね……」
「魂だけの存在……確かにすごいけど、あまりにも悲しいぜ……」
「魂だけで生きられるなんて……魔法の力は偉大です」
「魔法を操る者といっても、私たちレベルではそんなことはできないわ。カルベローナの人々は、みなさん相当な魔法の使い手なのね」
「この街の人たちは魂だけの存在で生きてるってこと……?」

「あらっ?」
「いたたっ! 急に止まるなよ。おーっ、いてて!」
「ねえ、焚火の炎が消えそうよ。これじゃ栗の実がおいしく焼けないわ」
「しょうがないなあ。えーっと……メラッ!」
「まったく、そんなくいしんぼじゃ大魔女バーバレラさまみたいなスマートな魔女にはなれないぞ」
「なんですって!? こらーっ!! そんなこと言うならあげないわよーっ!」
「あんなに小さな時からガールフレンドがいるなんて、うらやましいです……」
「ああ……子供だけの火遊びは危ないですね。火事にならないでしょうか……」
「へえ。さすがは魔法使いの子供だな。器用なもんだぜ」
「うふふ。ほほえましい光景よね」
「あたしも昔あんなことして遊んでたような気がするけど……う〜ん……。やっぱり思い出せないや」
「わーいわーい!」
「あててて! すりむいちゃった」
「もうっ、慌ててるからよ。あらっ? 血が出てるじゃない! ホイミッ! はいっ、もう大丈夫よ」
「サンキュー! さあ、いくぞいくぞ。それーっ!」
「俺も小さな頃は、よく転んであちこち怪我をしたもんだぜ。まあ今でも相変わらずだけどな」
「本来魔法というものは、一歩使い方を間違えると危険なものです。こうして子供の頃から遊びながら覚えていくのは理想的なのかもしれませんね」

「この街のものはみな魔法の使い手だが、俺みたいに得意でない者も少しはいる。そういう奴は力仕事で人々の役に立ってるのさ」
「そりゃそうだよな。みんな得意なこともあれば不得意なこともあるぜ」
「できないことはみんなで力を合わせればいいのです」
「魔法で力仕事ができると一番いいですね!」
「魔法都市でもいろいろな人が住んでいるのね」
「あたしなにかぼんやりと思い出しそう……」

「この家には魔法力でものを作るのが得意な老夫婦が住んでおられます。でも封印から解けたばかりの今はまだお疲れのご様子。長老さまの呼びかけでもない限り、しばらくは眠り続けることでしょう」
「おいしい食べ物とかも作ってもらえるでしょうか!?」
「長老さまが呼びかけるというのはいったいいつのことなのでしょうか……」
「魔法力でものをつくるってどうやるんだろうな? ちょっと見てみたいぜ」
「残念だわね。起きていればなにかお話が聞けたかもしれないのに……」
「魔法の力でいろんな道具が作れたら楽しいだろうね!」

「おい、見たか!? 今ふわふわっと消えた奴の姿を!!」
「で…出ました! 偽物が出ましたよ!」
「私は夢でも見ていたんでしょうか。びっくりです!」
「今のは……」
「上の扉に消えちゃったよ……。って…アレは誰なの!?」

「誰かをお探しかな?」
「ええ、実は――」
「わかっとる、わかっとる、それはこんな姿じゃろう。モシャス! さあどうじゃ! 探していたのはおそらくこの姿の者じゃろう。ほっほっ! これはモシャスといってかなりレベルの高い呪文でな。わしもつい最近覚えたのじゃ。それより、はて? 婆さんを見かけなかったか? どこへ行ったのかのう……」
「モシャスですか! ピチピチギャルに会っても、これからは気をつけねば!」
「まったく、困った悪戯爺さんだぜ……」
「このようなご老人でもすごい呪文を覚えられるとは……私も頑張らなくては!」
「さすがは魔法都市のご老人ね。大したものだわ」
「モシャスって面白いねー! あたしも覚えたいかも!」

「シーッ! わしもモシャスで猫になってみたんじゃが……元に戻る呪文を忘れてしもうたんじゃ。でも猫でいればしばらくはうるさい爺さんの相手をせんでいいかららくちんじゃ。いいかい。爺さんには内緒じゃよ。にゃーん!」
「まったく、しょうがない婆さんだぜ……」
「たとえおばあさんでも、猫の姿になっていると、年齢がわかりませんねー」
「なかなかおちゃめなおばあさんです」
「あらあら。あまり困った風でもないようね」
「あー。物忘れが激しくなるといろいろ大変なんだね!」

「ぐうぐう……。ブボールさま、ムニャムニャ」
「こりゃ当分起きそうにもないな」
「大声を出しちゃだめですよ。静かに静かに」
「お二人ともお休みになってらっしゃるようです」
「お二人ともよく眠っているわ。静かにしましょうね」
「この人たちの顔を見ていると、なんだかホッとするのはなぜかな……」

「ようこそおいでくださいました。この街の長老ブボールさまは、そこの階段を下りた先にある、湖の御屋敷におわします」
「せっかく来たんだ。長老様にも会っていこうぜ!」
「ここはやはり、長老ブボールさまにご挨拶していきましょうか」
「長老ブボールさまって、私の何倍くらい生きていらっしゃるのでしょうかねー」
「長老さまにお会いすれば、いろいろお話も聞けそうね」
「湖のお屋敷って素敵だね!」

「魔法の絨毯を知っているかい?」
「話を聞いたことはあります」
「あれは昔この街のカルベ老夫婦が作ったものなんだ。昔魔王に滅ぼされた時、街の宝物と一緒にどこかへ飛ばされてしまったのさ」
「魔法の絨毯……この世にそんなものが本当にあったのですね」
「魔法の絨毯ですか。一度乗ってみたいものですね!」
「魔法の絨毯を作っちまうなんて、カルベ老夫婦ってのはすごいんだな!」
「魔法の絨毯……まだどこかにあるのかしら」
「魔法の絨毯ってアレだよね? びゅーんって空飛ぶやつ。いったいどこに飛んでっちゃったんだろうね」
「……おや、魔法の絨毯を持っているのかい。でも、今は飛ぶ力を失っているようだね。それはもともとこの街のカルベ老夫婦が作ったもの。あの二人ならきっと絨毯に魂を吹き込んでくれるよ」
「魔法の絨毯? 俺たちそんなもの持っていたっけか?」
「魔法の絨毯? ベストドレッサーコンテストで手に入れた、きれいな絨毯のことを言っているのかしら……」
「なるほど、もし私たちの持っているこの絨毯が魔法の絨毯ならば……ベストドレッサーコンテストで頑張った甲斐がありましたね!」
「私たちの持っている、このきれいな絨毯が飛べるようになるのですか!? だったら早くカルベ老夫婦のところに行ってお願いしなくては!」
「やっぱり! あたしただの絨毯とは違うと思ってたのよねー!」

「この店にあるバーバラさまのための防具は、みなカルベ老夫婦によって作られた物です」
「カルベさんたちは、バーバラさんのスリーサイズを知っていたんですね!」
「へえ! こんなの作ってもらえるバーバラって、すげーんだな!」
「カルベさんたちはいろいろな物を作り出せるすごい方たちなのですね」
「自分用に防具まで作ってもらえるなんてすごいわね。この街にとってバーバラはお姫さまみたいな存在なのかもしれないわ」
「あたしのために防具を……?」

「その女神像には、伝説の大魔女バーバレラさまの魂の亡骸が宿っておる。百年に一度、その女神像からこの街の長となる者が生まれてくるのじゃ」
「え!? この女神像から人が生まれるのですか? そりゃもうびっくりですね!」
「へえ…この中にバーバレラさまの魂ねえ。ほほお……」
「なるほど……。こちらの女神像はカルベローナの象徴なのですね」
「今度はいつがその百年目の大事な日に当たるのかしらね」
「百年に一度……」

「大魔女バーバレラさまは、究極の呪文マダンテを編み出された。じゃがあまりにも強大すぎて、使いこなせた者はほとんどおらなんだ。今では長老ブボールさまだけが、マダンテを受け継ぐただ一人のお方なのじゃよ」
「マダンテですか。私もそんな究極の呪文を唱えてみたいものです」
「使いこなすのがそんなに難しいなら、受け継ぐ方も大変でしょうね」
「究極の呪文マダンテか。それがあればこの先の戦いが楽になるかな」
「マダンテ……昔の本で見たことがあるわ。その呪文を唱えられる人が、まだ生きていたなんてびっくりね」
「マダンテ……長老ブボールさま……」

「お屋敷の入り口のキラキラした砂は、時の砂といって侵入者から長老さまを守るために作られたもの。しかし、砂の器を使って時の砂を吸い込めば、屋敷の中に入ることができるのです」
「砂の器がなくなって、誰も長老さまに会えずに困っていたんですね」
「砂の器? 確か……持ってたよな? それっぽいやつ」
「はい、確か砂でできた不思議な形の器は、海底神殿でローグさんたちが手に入れていたはずです!」
「時の砂のせいで入れなかったのね。それじゃさっそく砂の器で吸い込んじゃおうよ!」
「……なるほどね。砂の器がないとあの結界を越えることはできないみたいね」

 不思議な街の中をうろうろ歩き回り、時にはその不思議さ加減に目を丸くし、時にはあたしの過去に関わる言葉に驚いてみせて――それでも、あたしの心は変わらずに、ずっと夢を見ているみたいな気持ちだった。目の前に見えるものが、ほんとのことじゃないみたいな。見たり聞いたりするものと、あたしの間に一枚幕があって、なにもかもがあたしから遠く離れた場所で起こってることみたいな。
 あたしのことなんだから、ちゃんと見聞きしなくちゃ、ちゃんと考えなくちゃって思ってるあたしもいて、そんなあたしが必死にあたしの心を現実に繋ぎ止めようともしてるんだけど、それでもあたしの気持ちは今目の前で起こってることから、遠く離れたところをうろついていた。今起きてることは、あたしに起きたことじゃない。今見てることは聞いたことは、あたしと関係あることじゃない。そう自分で自分に言い聞かせてるみたいな。
 それでもあたしは当たり前みたいに、かけられた声に受け答えして、話を先に進めていく。なんであたしこんなことできちゃってるんだろうって、自分で自分がわからない、変な感じだった。
 それでも、遠い場所で起こってることなりに、あたしの気持ちはのろのろと、ふわふわと動いて、嬉しく思ったり悲しく思ったりする。やらなくちゃって、がんばろうって思ったりもする。なにもかもが夢の中みたいに遠いのに。自分のことじゃないって、なにもかもを当たり前みたいに見ないふりをしてるのに。
「長老さまはこの家の中におわします。しかし今はわたくしたちも、直接長老さまにお会いすることはできないのです」
「長老に会えないってどういうことだ?」
「きっと長老さまは部屋に籠って見えない悪と戦われているのでしょう」
「長老さまはいったいどんな人なのでしょう。気になりますね」
「長老さまに会えばきっとバーバラのこともわかるはず。ぜひともお会いしたいわね」
「誰も長老さまに会えないのかな……。あたし、会いたいよ……」
 ほら、今もそう。あたしのことだなんてまるで思えないのに、あたしからは遠い世界のことだって一生懸命言い聞かせてるのに、あたしは会いたいって、会わなくちゃって、会って自分のすべきことをしなくちゃって考えてしまう。その気持ちのなにもかもが、ほんとのあたしからはすごく遠いのに。
 自分で自分のこと、バカみたいだって思っちゃう。なんであたしはこんなことをやってるんだろう。なんであたしはこんな心を持ってるんだろう。こんな心なんて、こんなあたしなんて、本当だったら必要なかったのに。
「わたくしたちが魂の存在となって夢の世界へこの街を築いた時、長老さまは二百歳。身も心もかなり弱っておいででした。そこで長老さまになるべくお休みいただけるよう、扉の前に時の砂を撒いたのです。二つ目の扉の前の床を調べてみてください。キラキラ光る時の砂が落ちているはず。時の砂のことをもっと詳しく聞きたければ、この街の者に聞けばよいでしょう」
「ご心配なく。すでに詳しいお話はうかがっています」
「どこまでも続くようなあのまやかしは、時の砂の効果だったのですね」
「二百歳でこの街を……すごいパワーですね!」
「時の砂を撒くとゆっくり眠れたりするのか? よくわからないな……」
「長老さまの様子も心配だわね……」
「時の砂……なぜだかわからないけど、あたしその名前知ってるよ」
「そうですか……。砂の器が奪われて、わたくしたちも困っておりました。長老さまとは心を通じてお話することもできますが……。砂の器はわたくしたち魔法使いの神器。この街の住人にしか使うことはできません。もちろんバーバラさまなら使いこなせるでしょう」
「ってことは……砂の器はバーバラしか使えないってことだよな」
「砂の器ってそんなに大切なものだったんですね……。あやうく落として割ってしまうところでしたよ。危ない危ない」
「ここはバーバラに任せましょ!」
「バーバラさんに砂の器を使ってもらい、時の砂を吸い込みましょう!」
「………あたし、やってみる!」
 遠くにいるあたしが、当たり前みたいに砂の器を開け放ち、時の砂を器に吸い込んでいく。そんなことができるなんて当たり前だ、だってあたしはずっと前から、そんなことのやり方なんて知ってたんだから。
 受け継がれた血が、積み重ねられた想いが、あたしに教えてくれていた。生まれた時から当たり前みたいに、あたしはそんなことくらいできていた。だってあたしは大魔女バーバレラの血を受け継ぐ者。この街の長となるべくして生まれついた存在。竜となる命。そんなこと、ずっとずっと、昔から。
「おお、すごいぜ! 砂の器に時の砂が吸い込まれたぜ!」
「やったね、あたし! すごいよ、砂の器!」
「時の砂がなくなったわ。これで前に進めるわね」
「やりましたね! 辺りを包んでいた結界もなくなったようです!」
「カルベローナの住人にしか使えない砂の器……。いったい何年ぐらいここに住んだら住人として認めてもらえますかね!」
 あたしは最初からわかってた。だから、ずっと見ないふりをしていた。
 だって、本当のことをちゃんと見ちゃったら、あたしはきっと、旅を楽しむなんてできないってわかってたから。あたしのちっぽけな、持っている魔法力と運命からすれば泣きたくなるくらいか細い心では、旅を、冒険を楽しんで、仲間と絆を結ぶなんてこと、できないって知ってたから。
 あたしは仲間と絆を結ばなくちゃならなかった。そうでなければ、世界の主の心を動かすなんてできないから。あたしの喜びが、悲しみが、仲間と別れる時の慟哭が、世界に命を吹き込むってわかってたから。
 だからあたしはなにもかもに見ないふりをしなくちゃいけない。気づかないふりをして、なにもわかってないお馬鹿な小娘でいなきゃいけない。実際、あたしにとってはそれは別に難しいことじゃなかったんだ。あたしの心も、頭も、頼りなくて弱々しい、どこにでもいるお馬鹿な小娘と似たような代物でしかなかったから。
「よく戻りましたね、バーバラ。待っていましたよ。これまでのことなど、いろいろと話したいこともありますが、私には残された時間が……ゴホッ! ゴホゴホ……! 時間があまりないのです。さっそく大切なことを教えましょう。カルベローナに伝わる究極の呪文マダンテのことはもう知っていますね?」
「………はい」
「自分の持っている魔法力のすべてを解き放ち、相手のダメージとする最大の攻撃呪文です。ただし、一度唱えるだけで魔法力のすべてを使い果たしてしまいます。さあ、私には時間がありません。大魔王もおそらくあなた方の動きを心の目で追っているはず。急ぎましょう! 目をつぶって!」
 長老さまが両眼を閉じて、あたしに魔力を送ってくる。長老さまから黄金の輝きが溢れ出て、世界へと散華し、一瞬で世界の中で幾度も輪廻をくり返してから、あたしの中へと集まってくる。
 世界を感得して、輝きを虹色に変じさせた魔力が、あたしに力を与えてくれる。数えきれないくらいくり返した、魔力と知識の伝達の儀式だ。
 ―――今この瞬間も、気が遠くなるほど昔から、あたしは数えきれないくらいくり返している。
 あたしがここにたどり着くことは決まっていた。あたしがこれからたどる道筋も決まっている。あたしがどう終わるかも、ずっと昔から知っている。だって、世界はそういう風にできているんだから。
 あたしがマダンテの極意を手に入れるのとほぼ同時に、ブボール長老さまに轟雷が落ちる。人間なんて一瞬で消し炭になってしまいそうな強烈な雷。長老さまは一度大きく痙攣してから、その場にばったりと倒れた。
 雷に音を聞きつけて、部屋の外に控えていたお付きの二人が駆け込んでくる。
「しまったあ! 長老さまあ!!」
「ブボールさまっ!!」
「し、心配いりませんよ。騒がぬように……。私の役目は無事終わりました。大魔王の手も、一歩及ばなかったようですね……。新しい命よ。新しい力よ。頼みましたよ!」
「長老さまあ!」
「大げさな人だこと。大丈夫ですよ。魂が長い長い眠りにつくだけのこと……大魔女バーバレラさまとともに、いつもあなたたちのことを見守っていきますよ。おやすみなさい、バーバラ、そしてみなさん……」
 その言葉とともに、長老は息を引き取った。そしてその遺体がみるみるうちにその色合いを消していき――長老さまが存在した気配すらも残さず、この世から消え去ってしまう。
「いかん、長老が! これも大魔王の仕業なのか!?」
「くっ! 大魔王は大魔王で結界が解かれるのを待っていたのかも!」
「今の攻撃は一体どこから……」
「ローグさん、油断しないで! すぐに次の攻撃が来るかもしれません!」
「そ、そんな……何もできなかった。目の前にいたのに……」
「ど、どうかこのことは街の者には内密に……。いつかバーバラさまが修行を終えて戻られるまで、皆を不安にさせたくないのです」
「承知しました。万事しかるべく取り計らいましょう」
「そうね……。しばらくはブボールさまのことを内緒にしておきましょう」
「隠し事は苦手ですが、ここは街のみなさんのために口にチャックをあけましょう!」
「こりゃあバーバラも責任重大だな! 早いとこ大魔女にならないと!」
「うん、あたし……強くなる。誰にも負けない魔法使いになってみせるよ!」
「私たちもバーバラさんに負けてはいられませんね。みんなで頑張りましょう!」
「長老さまはすべてわかっていらしたのね。こうなることも知っていた。その上でみなさんにマダンテを託したのですね。このカルベローナに伝わる最強の呪文を、どうか平和のために役立てて下さい」
「自分の死も恐れず、長老さまはバーバラさんにすべてを託したのですね……」
「長老さまの死を無駄にしないためにも、みんなで頑張りましょう!」
「ブボールさまが命を懸けて授けてくれた、究極の呪文マダンテ……。あたしやるよ! 一日も早く、世界を平和にしてみせる!」
「大丈夫。バーバラならきっとうまく使いこなすはずよ」
「最強の呪文か……絶対大魔王を倒さないとな」
 これも知ってる。ずっと昔からわかってる。ブボール長老さまは、ここで死ぬことを、あたしにはそれをどうすることもできないことを、あたしはずっと前から知っていた。
 そして、あたしの行く先も。終わりも。この旅の最後に、あたしが迎える結末も。あたしは、ずっとずっと前から知っていたんだ。
 それが大魔女バーバレラの血を引く者の力。この世ならぬものを見て、その力を操ることができる者に課された重石。自分の運命も、未来も、なにもかもが見えてしまうっていう、人として生きるためにはあんまり重すぎる奇跡。
 だから、あたしたちカルベローナの長になる者は、先代からその力を封じられる。年を経て、次代の長老が育ち、自分のどんな悲惨な運命も結末も、そうなっているなら仕方がないと、当然のように受け容れられるだけの強い心を持てるようになるまでは。
 もしかしたらそれは、単に、いつ死んでもいいと思うほど、人生に執着がなくなったっていうだけのことなのかもしれないけれど。
 だからあたしも、赤ん坊の頃にはもうすでに、自分の人生の終わりも、そこにたどり着くまでの道筋もわかってた。だけど、ブボールさまがあたしの力を封じてくれたから、そんな力なんてなかったみたいな顔で、普通の女の子みたいに生きてこれた。
 でも、その力は封じられただけで、なくなったわけでもなんでもない。しかもあたしが生まれつき持っていた力は、ブボールさまより大きかったみたいで、ブボールさまにも完全に封じることはできなかった。
 だから、ブボールさまは、力を封じると同時に、あたしに暗示をかけた。単純な魔法じゃなくて、魔法や受け継がれてきた知識や技術を組み合わせた、あたしにはとうていどうにもできない秘術で。
 ブボールさまは、あたし≠チていう存在を何人もに分けたんだ。普段起きて、普通に喋ったりあれこれ考えたりしてるあたしは、本当のことなんてなにも知らない。それどころか、真実についてちゃんと考えることもできないように、そのくらいの頭もないんだ、って思いこまされている。
 そのあたしの下に、普段のあたしじゃ気づかれないようにされてるけど、見聞きしたいろんなことを受け取って、あれこれちゃんと考えてるあたしがいる。普段のあたしじゃ、なにか大事なことを知ったりしても、まともに考えることができないから、不測の事態ってやつに備えるために作られたんだろう。
 ……ただ、ブボールさまはたぶんそんなこと思ってもいなかったんだろうけど、あたしはそもそも地頭がそんなによくなくって、そのあたしがいてもあんまり的確に物事に対処したりとかはできなかったんだけど。
 でもそのあたしも、封印を解いて、真実を万が一にも思い出したりできないように、考える力とかに制限がかけられてる。そのあたしに許されてるのは、見聞きしたものを覚えて、対処方法を考えて、適切なタイミングで普段のあたしを動かすことだけなんだ。
 ――そして、あたし≠フ中には、本当のことを、あたしが生まれた時から知っていたことを、ちゃんと認識してるあたしもいる。だけどそれは普段深い眠りについていて、あたしが遭遇するいろんなことを、遠い夢を見るようにしか感じることができない。なにもかもが現実のことじゃないみたいで、自分のことじゃないみたいで、本当のことをなにもかも知っていても、それを普段のあたしに影響させようなんて考えもしない。ただひたすらにまどろんでいるだけの女の子だ。
 そういう風にあたし≠何人もに分けて、それぞれのあたしの心を護って、あたし≠ェ万が一にも心を壊したりしないようにしてくれた。――だけど、あたしは、大魔女バーバレラの末裔バーバラは、それほど安全装置を厳重にかけた、ブボールさまの思惑も踏み越えてしまったんだ。
 一番深層の、なにもかもを知っていて、覚えているあたしは、まどろみに沈んでいた頃からすでに、あたし≠フ未来が、怖くて怖くてしかたなかった。
『夢を見る』ように、あたし≠ニローグたちとの旅を体験して。あたし≠ェこの先体験することになる未来を、夢の中で体感して。
 怖い夢を見て泣きじゃくる子供のように、悪夢の中で泣き喚く赤ん坊のように、眠りながら恐怖に震え、未来に怖気づき、現実を拒絶した。その怖いって気持ちひとつだけで、夢の中に揺蕩いながら、ブボールさまの秘術を歪めるには充分だったんだ。
 本当なら絶対に、普段のあたしは、深層のあたしの恐怖には気づかないはずだった。分かたれたあたしは、他のあたしに影響を及ぼせないように術がかけられていたから。
 でも、深層のあたしは夢を見た。夢は、心と魂が現実を離れる世界。その中で、分かたれたあたし同士の心を繋げてしまったんだ。本来なら、そんなことをしようと考えることもできないように、術がかけられていたんだけど……あたしは、『そんなことをしたい』なんて全然思わないまま、ただ夢の中で『怖い』『逃げたい』『助けて』とうなされるように感じた想いひとつで、ほとんど身体がびくんと震える反射と似たような勢いで魔法を発動させて、秘術で禁じられたことをしてのけてしまった。
 だから、分かたれたあたしたちはみんな、心のどこかで真実を知っていた。普段のあたしも、考える役目を背負わされたあたしも。秘術をどうにかするなんてことはできなかったから、普段のあたしはまともに考えることもなにかに気づくこともできないし、考えるあたしの考える力にもちゃんと制限はかかっていたけれど(どっちにしろあたしの頭じゃあんまり的確に行動とかできなかったのも変わりないと思う)。
 夢見るように、儚いものでしかないけど。それでも、あたし≠ヘ、未来と真実を知っていた。
 ―――ただ、ブボールさまはこれも考えてなかっただろうけど、ある意味秘術にとっては都合のいいことがあった。あたし≠ヘ、どのあたしも、心の底から、『真実に気づきたくなんかない』『未来を知りたくなんかない』って思ってた、ってことだ。
あたし≠ヘ、未来を知りたくなんかなかった。現実なんか見たくなかった。あたしの、最初から決まっているどうしようもない終わりを、見つめながら生きることなんてできなかったんだ。
 だから、どのあたしも、全力で真実から目を逸らした。本当は真実をちゃんと知っているのに、まるで気づいていないふりをした。その想いは秘術の力を強めたし、なにより大魔女バーバレラの末裔バーバラの魔力からすれば、自分の心を歪めることくらい、どうってことないってくらい簡単なことだったんだ。
「わしらは魔法の力でいろいろなものを作ることを仕事としてきた。バーバラが赤ん坊の時には、羽の生えた服なども作ってやったもんじゃよ。そうそう、魔法の絨毯なんかも作ったのう」
「羽の生えた服かあ……。全然覚えてないけどどんな服だったんだろう。今でもほしいな」
「この方に空飛ぶベッドを見せたら驚きますかね!?」
「魔法の絨毯があるんなら、空飛ぶ箒があってもいいよな。へへっ」
「魔法の絨毯って、今はどこにあるのかしら……」
「魔法の絨毯があれば、まだ訪れていない場所にも行けるかもしれませんね」
「カルベ殿。もしや、その魔法の絨毯とは……」
「ん? 魔法の絨毯を知っておるのか? おや? それは……なんと、魔法の絨毯ではないか! 懐かしいのう。じゃが、長い間わしらの手を離れていたせいか、すっかり元気をなくしておるようじゃの。どれどれ……。か―――っ!! ふう、どっこらしょ。これで大丈夫じゃ。元気に飛び回ってくれるぞい」
「うわぁ……。これで本当に空を飛べるんだ! わくわくしちゃうね!」
「おっ! 気のせいか絨毯が少し軽くなった感じだぜ!」
「これが魔法の絨毯……溢れるような魔法の力を感じるわね」
「ほほう……これが魔法の絨毯。この魔法の絨毯、破れて落ちたりしないですよね?」
「さあ、それは……カルベ老人がわざわざ魔力を付加してくれたのですから、そうそうそのそのようなことはないと思いますが。お疑いなら、魔法の絨毯で空の旅でもしてみますか。アモスさんも安心することができるのでは?」
「ふふ、魔法の絨毯はどこにでも持ち運びができて、なかなか便利な乗り物じゃぞ。気軽に使ってみるとよい」
「どこにでも持っていけるってのがポイント高いよな!」
「ですよね、それに乗らない時でも、荷物を運んでおけば、軽くなって持ち運びが楽になりますね!」
「そ、そういった使い方は想定されていないと思いますが……ともあれ、カルベ老人の魔法力には、本当に驚かされますね。持ち運びのできる品物に空を飛ぶ力を籠めるとは……空飛ぶベッドも驚きましたが、これはまたさらに一歩上を行く代物かもしれませんね」
「うんうん! 今度ゆっくりカルベさんからいろんな魔法を教わりたいな!」
「うふふ、そうね……さあローグ、魔法の絨毯という新しい移動手段を手に入れることができたわけだけど……やっぱり次は、それに乗って移動するのよね。どこへ行きましょうか?」
「そうだな……思いつく場所はいくつかあるが」
「やはり、すぐ発つことになるのだねぇ、バーバラ」
「え……っと、うん……」
「寂しいけれど……これもバーバラに課せられた宿命なのだろうねぇ。亡くなられるその前に、長老さまはわしらの心へ直接語りかけてくださった。あの方を失ったのは本当に悲しいことじゃ……。しかし、バーバラ。お前がここまで成長してくれた。いつかはお前がブボール殿をしのぐ大魔女になるじゃろう」
「……はい! バーバラさんはなれます。きっと大魔女になれます!」
「バーバラさんはもう、とっくに中魔女くらいにはなってますよね!」
「……ええ。きっとそうね……お二人が目覚められたのは、やっぱりブボールさまの声が届いていたからなのね。改めて、カルベローナの魔法使いの力のほどを思い知るわ。そんなカルベローナの長老さまに見込まれたのだもの。バーバラなら、きっと大魔女になれるでしょう」
「………あたしが大魔女に? ホントになれるのかな……」
 小さく呟いたあたしには、そんな先のことなんてまるでわからないけれど、あたし≠ノはいやというほどよくわかっている。あたし≠ヘ大魔女になって、世界を治める竜に変わる。夢の世界を閉じて、幻想を終え、現実を、世界のすべてをつかさどる主となる竜に。
 それは最初から決まっていた。あたしがなにをしようと、なにを感じどう振る舞おうと、あたしがその終わりを迎えることはどうしようもなく定められていたんだ。それこそ、世界が始まった時から。
 今こんな風に考えているあたしは、ブボールさまが今わの際に秘術を解いたせいで、分かたれたあたしがぐちゃぐちゃに入り混じった時に、ぽかんと浮き上がった、深層のあたしの見る夢の欠片にすぎない。
 秘術を解かれても、すべてのあたしが現実を、未来を絶対に知りたくなんてないのは変わらない。本当はすべて知っていても、これからもあたしは目に映るものを、聞き知ったことを、現実を歪め、考える力を閉ざして、なんにも知らないふりをし続けるだろう。それこそ、あたし≠ニいう存在が終わりを迎える時まで。
 でも、それでもあたし≠ェ本当はすべて知っているっていう事実は変わらない。見ないふり、知らないふりを続けても、それはあたし≠ェ無理やり心を歪めてるだけだ。
 ぐちゃぐちゃに入り混じったあたしは、ブボールさまの秘術とは比べ物にならないくらい拙いやり方で、秘術の真似っこをするだろう。だけど、あたしなんかの技と力じゃ、たとえ表に出ているあたしの一部分にとってすら、『本当に知らない』ことになんてできない。
 これからのあたしがどんな形になるにしろ、そのすべてが『あたしは本当は知っている』ことを知るだろう。夢見るように、頼りなく儚い形で。
 ぐちゃぐちゃにされながらもあたしの一部は、全力を振り絞ってまどろみ続けようとするだろう。すべてから目を逸らして、眠ったふりを続けようとするだろう。でも、そのあたしですらも、現実から完全に目を逸らすことはできない。だってあたしは知ってしまっているんだから。幾度も夢に見てしまっているんだから。あたしの終わりを。避け得ない運命を。
あたし≠ヘ、いずれ、ローグたちと――あたしの人生のすべてと、さよならすることに、なるんだって。
「ええと……バーバラが大魔女の後継者だっていうこと、なんだな。それで合ってるよな?」
「は? いまさらなに抜かしてやがんだこの鶏頭モヒカン。お前さっきまでなにを見ていた。というか、お前さっき自分でバーバラに『早く大魔女にならないと』なぞと抜かしてただろが。あれはうわごとかなにかか?」
「い、いや、そういうわけじゃねぇけどよぉ……なんつぅか、改めてバーバラが、カルベローナの長老さまになるんだ、って思い知らされると、ちっとばかし寂しいっつぅか、なんつぅか。永遠に旅が続けられるなんぞと考えてたわけじゃねぇけど、いずれは別れ別れになって、俺なんぞじゃ気軽な口も利けねぇ相手になっちまうんだろ? そうなると俺の方にも覚悟が必要っつぅかよぉ……」
「……あっはは! なに言ってんのハッサンってば。そんなことあるわけないじゃん!」
 あたしは『心の底から』嬉しくなって、笑い声を上げる。あたしを大切にしてくれる仲間たちが、愛おしいっていう気持ちでいっぱいになって。
「そうかぁ?」
「そうそう! 長老さまになるにしたって、あたしそんな風に偉そうな長老さまになんて、絶対なる気ないし!」
「そう言ってくれんのは嬉しいけどよぉ。周りの人らに、示しがつかねぇって怒られたりしちまわねぇか?」
 どごすっ。
「阿呆。先のことは先のことだろが。今バーバラは、たとえ怒られたとしても俺たちと仲良くしたい、って気持ちを表してくれてるんだぞ? 未来で実際にどうなってるか、じゃなく今この時抱いてる気持ちを慈しみやがれ」
「ごおぉ……おっ、おま、頭への膝蹴りに全体重かけんのは、反則だろ……!」
「当然の報いだこの脳筋ハゲ。……すまん、バーバラ。この気の利かない脳軽マッチョのことは俺が存分に痛めつけておくから、どうかとどめを刺すなりなんなり好きにしてくれ」
「そ、そこは許してやってくれとか言うとこじゃねぇのかよ!?」
「あははっ」
 いつものじゃれ合いを見ながら、あたしは声を立てて笑う。いつも通りのじゃれ合い。いつも通りの会話。いつも通りに偉そうで、いつも通りに優しい眼差しをずっとあたしに向けてくれるローグ。
 なんにも心配することなんてない。なんにも怖がることなんてない。あたしは知らないし、気づかない。あたしたちを護ってくれるローグの温かい腕の中で、ただ心安らかにまどろんでいればいい。
 ずっとずっと、ローグはそうしてくれてきたんだから。あたしの不安も恐怖も、優しい眼差しで溶かして、あたしを眠らせてくれていたんだから。
 ―――それこそ、神さまみたいに優しい眼差しで。

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