月華
「……なるほど。つまり、山奥に妖しが住みついて、山に入った者を食い殺すわけですね?」
「はあ……そんです」
 常陸の国、信州は諏訪の山間の小村。
 そこの村長の屋敷の座敷で、龍斗と風祭は村長と向かい合っていた。
「ほんに困っとるとです。狩りに出たもんがそりゃもう無惨な姿で見つかってからっちゅうもの、村のもんは怯えて外にも出たがりませんです。お役人にすがろうにも、今のご時世じゃ取り合ってもくれません。どうすりゃええかわからんくなっとったときに、あなた様方が来て下さったとです。どうか、なにとぞ! なにとぞ山のバケモンを追い出して、村を救って下せえまし!」
 初老の村長はがばとその場にひれ伏して、頭を床の間にこすり付けた。風祭はそっぽを向いて知らん顔をしているが、耳がぴくぴくと動くほど神経を集中してこちらの話に耳をすませている。
 龍斗は安心させるように微笑んで、うなずいた。
「わかりました。まずその妖しと話し合ってみて、話が通じないようなら実力行使してでもこの村に危害を加えられないようにしましょう」
「ははーっ! ありがとうございますだ」
 さらにぐりぐりと頭を擦りつける村長に、龍斗はにっこり笑って言った。
「ところで、報酬はいかほどいただけるんでしょうか?」

「……なんで俺がこんなことしなきゃならねえんだよ」
 山道を歩きながら不服そうに言う風祭に、龍斗は肩をすくめた。
「まさか放っておくわけにもいかんだろうが」
 風祭と龍斗はあいもかわらず修業の旅の空の下である。越後の飯処を出立して(別れ際常連客や店の主人にいたく別れを惜しまれたが)南に下り、この村に辿りついた。
 一夜の宿を借りようと一番大きい屋敷を訪ねて素性を告げたら、いきなり奥に通されて妖怪退治を頼まれたというわけだ。身上も知れぬ旅の武術家に頼らねばならぬほど、この村は切羽詰まっているらしい。
「弱ぇ奴が死ぬのは当然のことだろうが。てめェがやるのは勝手だが、何で俺まであんな奴らを助けなきゃなんねえんだよ、このお節介焼き」
 不機嫌な顔でまくしたてる風祭に、龍斗は噛んで含めるように言った。
「澳継。いつも言ってるだろう? この世は様々な事象が絡み合ってできている。その事象が織り成す綾は複雑で、どの事象を動かせばどこに影響が出るかそうそうわかるもんじゃない。と、なれば生きている限り何かと関わり続けなければならない以上、出会った者にはできるだけよい方向に向かうよう接する方がいい。それが巡り巡っていつ自分に返ってくるかわからんからな」
「『情けは人のためならず』ってんだろ? 聞き飽きたぜッ」
「世の理っていうのはそうそう変わるもんじゃないからな。何度も聞くことになるのは当然だ」
 ふんッ、と歩きながらそっぽを向く風祭に、龍斗は辛抱強く言った。
 実際、この手の話は既に両手に余るほど繰り返して風祭に言っていることではあった。
 しばし無言で歩いた後、また風祭がボソッと言う。
「……大体、それならなんで妖怪退治に報酬貰おうとしやがんだよッ。こんなとこで村人相手に悪さしてる雑魚妖怪、倒すのだって大した手間じゃねェだろうがッ」
 龍斗は思わず口の中で笑った。
 どうやらこの潔癖で意地っ張りな少年は、無償で人助けをするのも恥ずかしいが、最初から報酬をよこせと言い出すのも気にくわないらしい。
「それも、『情けは人のためならず』の側面の一つだな。無償の善意が人を救うこともあるが、なんにもしていないのにただ与えられるだけの情けっていうのは、人の持っている矜持を壊してしまうものなんだ。与えられることに慣れて与えることを簡単に忘れてしまう。だが、報酬が必要ということになれば、当たり前のように人に頼ることはなくなるし、こっちも与えてやってるんだからと必要以上に相手を伏し拝むということもなくなる。お互いやれることをしてるだけ、五分と五分の対等な関係だ」
 報酬といってもほとんどが現物支給(食物)なのだが、この際それは関係ない。
 風祭はぶすっとした顔で黙って歩いている。龍斗は話を続けた。
「お前はよく『弱いやつは死んで当然』と言うが、強さ弱さって言うのはおおむね相対的なもんだ。上には上がいるし、下には下がいる。どんなに強い奴でもふとした不注意であっさり死ぬこともある。どんな技の達人でも食い物を見つけることが出来なければあっさり飢えて死ぬ。要は、今自分の持っている能力をどう使うかということだ。赤子は弱いといえばこれほど弱い存在もないが、親や周囲の保護欲を買って生き延びる。農民は食い物を作るから、偉い奴が馬鹿じゃなければいつの世も保護される。職人も商人も、みんな自分にできることをやって、互いに互いをうまく使ってそれでこの世は動いてる。俺たちも、自分にできることをして、それで生きていくというだけのことさ」
「……お前の話、いつ聞いてもワケがわかんねェ」
「そうか」
 龍斗は苦笑した。まあ今はわからなくてもいい。こいつは頭より体でわからないと駄目な奴だから。
 数年後、風祭が成長して、ああこういうことだったのかと悟ってくれれば嬉しいというだけのことだ。
 ―――と。
 龍斗と風祭はその場で素早く構えを取った。
 どちらからともなく背中合わせになる。
「――八……いや、九体か」
 龍斗が言うと、風祭は戦意に昂揚した声で応じる。
「お前が四体、俺が五体の割りだぞ」
「はいはい」
「この程度の氣じゃ、どうせ大した敵じゃねェ。憂さ晴らしにゃちょうどいいぜッ」
「油断するなよ」
「誰に言ってやがる。――来るぞッ!」
 風祭が言うやいなや、木々をなぎ倒して四方から敵が襲いかかってきた。

 一瞬だけ周囲を見まわして陣営を確認する。
 鬼が六体、狐狸の類が三匹。どれもさほど強い氣は発していない。
 ただ、鬼の性質が気になった。この鬼はおそらく、陰気が凝ってできたものだ。
 鬼には様々な生まれ方があるが、一番起こりやすいのは人の持つ陰気が人を変じさせるというものだ。
 しかしこれは人を核にしている様子はない。純粋な陰気だけの集合体だ。
 術を使って作ったにしては無駄が多い。使われている陰気に対して力が弱すぎる。
 となると陰気が自然に集まって凝ったもの、としか考えられないのだが、これだけの量の陰気が自然に発生するわけがない。
 これはなにか裏があるな、と思いながらも龍斗の体は目の前の鬼が繰り出してくる拳を紙一重でかわし、踏みこんでいた。
「はッ!」
 頭と胴体に素早く連撃を叩きこむ。それだけで鬼は気を散らされ、体を維持できなくなって絶叫しながら雲散霧消した。
 龍斗や風祭の強さはそんじょそこらの妖怪に負けるようなものではない。技の切れが桁外れだし、常人と体の造りからして違う二人は力も妖怪に勝るとも劣らない。
 さらに二人は自らの発する強烈な氣を自在に操って他者への攻撃に使えるのだ。氣を載せた拳は普通に打ちこんだものとは威力が桁違いに違う。
「四霊・亀聖ッ!」
 風祭の気持ちよさそうに叫ぶ声が聞こえて、龍斗はそちらにちらりと目をやった。
 風祭に鬼が勢いよく拳を振り下ろす――それに風祭が触れた、と思うやいなや、鬼の体は宙を舞っていた。
 氣の流れを読み制御すること――それが龍斗と風祭の武術の真骨頂である。相手の氣の流れを完全に読み取り、弱点を突いて操ることができれば、どんなに大きい相手でも投げるのはたやすいことだ。二人の武術においては、氣を使わない技などほんの余技にすぎない。
 ならばなぜ手合わせに氣を使わないのかというと、理由は簡単。どう手加減しても殺し合いになるからである。
 自分の傷を癒せる龍斗はともかく、風祭は深刻な状態に陥る危険がある。
 たまに氣で押し合いをしてみたりもするが、全力で技を繰り出せる気持ちよさはまた格別らしい。風祭は実に楽しそうに宙に舞った鬼に空中で連撃を加えた。たちまち鬼は絶叫と共に掻き消える。
 むろん龍斗が風祭に目をやっていたのはほんの一瞬のことだ。すぐに目の前の敵に意識を戻し、地を這うような炎氣を放つ。
「ヤッ!」
 足元から立ち上る炎氣に焼かれ、鬼がニ体まとめて消えた。
「四霊・龍王ッ!」
 声と共に風祭が技を繰り出す気配。と同時に後ろから何か飛んでくると感じた龍斗は横っ飛びに身をかわした。
 その横を、風祭の攻撃を食らったらしい鬼が一体吹っ飛んでいく。
 あいつまさかわざとこっちに向けて蹴ったんじゃなかろうな、とちらりと思ったが、ともかく今は敵を倒すのが先だ。
 少し離れたところから狐火を放ってくる妖しに対し、龍斗は一気に間合いをつめて額の点穴を突いた。
 人間と体の造りは違うが要領は同じ。要は氣の経絡を突けばいいのだ。
 気の流れを断たれて妖しは意識を失う。これでこっちにきた敵は片付いた。
「四霊・鳳凰ッ!」
 風祭の方も片付くところのようだった。宙を翔けるように見えるほどの早さで繰り出される足が放つ炎氣に焼き払われ、風祭の周囲に集まっていた三体が同時に消える。
「ヘッ、雑魚がッ!」
 勝ち誇る風祭に、龍斗は笑った。
「そんなに威張るなよ。本当に雑魚だったんだから」
「う、うるせェなッ! ……ん? なんだよ、そいつ、殺してねェのか?」
「ああ。ちょっと聞きたいことがあってな」
 そう言うと龍斗はその妖しの体の関節を極めつつ(獣に対する関節技も龍斗は学んでいるのだ)妖しに喝を入れた。
「は!」
 気合をぶつけられ、妖しは跳ね起きた。しかし関節を決められているせいで動くことすらできない。
「ケーン、ケーン!」
「我が名は緋勇龍斗、緋に燃ゆる勇持つ者の末なり」
 暴れる妖しに耳元でそうささやくと、妖しはぴたりと動きを止めた。
「何辺に属する者かは知らねども、我、緋勇の名の威によりて汝に問う。汝の主は誰か。疾く答えるべし」
 ほとんど祝詞か呪文のように粛々と言うと、妖しはガタガタと小刻みに震えだす。
「疾く答えるべし」
 わずかに腕に力をこめると、妖しはしばらく必死にばたばたと暴れて、ようやく無駄なことを悟り、怖々と口を開いた。
「タ……タケミナカタノオンカタ」
「何?」
 思わず素になって問い返す龍斗に、妖しは繰り返す。
「タケミナカタノオンカタ、タケミナカタノオンカタ」
「………」
 龍斗はしばらく考えて、腕の力を緩めた。
 脱力する妖しの耳元で小さく囁く。
「もう人は食うなよ。もしまた人を食ったら、俺たちみたいなのがお前を殺しにくるぞ」
 こくこく、と必死にうなずく妖しに、龍斗は手を放した。
「行け」
 とたんに妖しは凄まじい勢いで山道を逃げ去っていく。龍斗はもはやそれにかまわず、考え込む。
「タケミナカタノオンカタ……武御名方神。いくらなんでもそれは、いかに諏訪とはいえ……しかし嘘や偶然にしては、あまりにも……」
「おいッ、たんたん! なんであの狐殺さなかったんだよッ」
「ん? ……ああ、あれか。殺すまでもなかろうと思ってな」
 さらりと答える。実際、龍斗自身は妙なことをしたというつもりはない。
 しかし、風祭はそうは思わないようで、腹立たしげに龍斗に突っかかってくる。
「あのバケモンは人食ってたんだぞ? ぶっ殺すのが当たり前だろうがよッ」
「……確かに、お前の言うことは間違ってないさ。ただ、俺には当たり前だとは思えない」
「なんだよ、それァ……」
 顔をしかめてやや困惑したような顔をする風祭に、龍斗はどちらかと言うと独白するように言った。
「俺は人だから、基本的に人の立場からものを考える。だから人の肉の味を覚えたあの妖しをここで殺しておく、というのも間違ってないとは思う。だがちょっとばかり別の視点に立ってみると、それはちょっとばかし理不尽だ。あいつはおそらく年経た野狐が変化したものだろう。それが背後にいた奴の威を借って悪さをしてただけだ。野狐にしてみれば、いつも狩られていた相手に意趣返しもしたかったんだろうさ。あいつらにしてみりゃ人間は敵なんだからな。……人の敵ならば俺にとっても敵になる。だが、あいつは損得ぐらいは勘定できる頭を持ってるようだったし、軽くおどしておけば威を借っていた奴がいなくなりゃそう悪さはしないだろう、と踏んだ。……あいつがこれから人に危害を加える危険性とあいつの命の重さを秤にかけて、殺さないほうに針が振れたってだけさ。覆水盆に返らず。殺しちまったらそいつの生はそこで終わりなんだからな。妖怪はどうか知らんけど」
「その『覆水…』ってのも聞き飽きたぜ」
 吐き捨てる風祭にかまわず、龍斗はまたちょっと考えてから歩き出した。
「おっ、おいッ!」
 慌てて後を追ってくる風祭。龍斗はその気配に半ば独り言のように言った。
「……風祭。もしかすると、今度の相手はとんでもない大物かもしれんぞ」
「大物ッ? なんだよ、それァ」
「神様だ」

「……なんだよ、神様って。確かさっきの奴、たけみなかたのおんかたとか言ってなかったか?」
 歩きながら言う風祭を、龍斗はちらっと見た。
「それだけ聞いてたんならわかるだろう。武御名方神だよ」
「はァ? わかるわけねェだろッ、俺は神さんの名前なんていちいち覚えてねェよ」
「……お前な。字は読めるんだろう? 記紀ぐらい読めよ。有名だぞ。国譲りの神話……」
「面倒くせェ。お前、知ってんだったら説明しろよ」
「はいはい……じゃ、ざっとな」
 龍斗は溜め息をつくと、昔話を語るような口調で言った。
「昔々この日本にもともと住んでいた国津神に、天から降りてきた天津神が取って代わろうとしたとき、最後まで抵抗した国津神がいた。それが武御名方神。武御名方神も結局は武御雷神に打ち負かされて、国譲りはつつがなく終了するんだけどな」
「なんだ、結局ただの御伽噺じゃねェか」
 風祭が馬鹿にしたように言う。龍斗は苦笑した。
「まあ、そうなんだけどな。……でも、そういったことが広く信じられているのは事実だ。そしてその念は力になる。もともといたものを信じてたのか、信じる人がいるから生まれたのかはわからんが、神の力っていうのは良くも悪くもこの世に存在しているんだぞ」
「嘘くせェ」
「……まあ、実際本当に神様が出てくると決まったわけじゃないからな。……一応、ひとつ教えておいてやろうか」
「なんだよ」
「武御雷神が武御名方神を打ち負かしたのはこの諏訪――諏訪湖のほとりだって言われてる。この山からも近い。――少しは信憑性が出てきたろ?」
 風祭は一瞬ぴくりと眉をうごめかしたものの、すぐにふんと鼻を鳴らした。
「偶然だな」
「そうかもしれないけどな。とんでもないのが出てくるかもしれない覚悟はしておけよ。くれぐれも、油断は禁物だ」
「誰に言ってんだよ」
 話しつつ二人は尾根を越えて、谷間にさしかかっていた。そちらの方から氣のわだかまりが感じられたからだ。
 道は険しかったが、二人にしてみればどうということはない。常人の数倍の速度で谷間に向かっていると――
「あ」
「お前も気付いたか」
 二人ともに声を上げた。わずかな違和感。ずっと座りこんでいて立ち上がった時の眩暈のような感覚。
 これは、結界を通り抜けたときに感じられるものだ。
「常人ならこの結界で追い返せたんだろうが……」
 龍斗が呟くと、風祭が苛立たしげにその言葉を遮った。
「注目するところはそこじゃねェだろッ! この陰気……!」
「……確かにな」
 風祭の言う通り。結界を越えたとたん、尋常でない量の陰気がこちらに向かって押し寄せてきた。
 柳生の変じた邪龍に勝るとも劣らぬ陰気の強さ。これになぜ今まで気付かなかったのか不思議なくらいだ。
「……どうやら、こりゃ本物だな」
「本物って……」
「……来るぞ」
 陰気の源が少しずつこちらに近づいてくるのを感じたのだろう、龍斗に続き風祭も慌てて構える。
 きっ、と苛烈な眼差しで陰気の源の方向を見つめていた風祭――ふいにその目がまん丸になった。
「……なんだありゃあ!?」
 そちらを見ていた龍斗も、確かにこれは驚くべきものだと認めざるをえなかった。
 それは全体の姿としては、差し渡し十尺の巨大な球のように見えた。ただ、ちょっと見ればあちこちに大きく亀裂が入っているのがわかるだろう。
 それは、巨大な腕と足の集まりだった。あまりにも本数が多すぎて腕と足の核がどうなっているのかは見えないが、とにかく一見しただけだと球のように見えるほどおびただしい数の長大な腕や足が根元から生えている――それが宙に浮いているのだ。
 そしてそこから強烈な思念を周囲に撒き散らしている。
『勝ツ』
『今度ハ勝ツ』
『オノレ、タケミカヅチ』
『此度勝ツハ我ゾ』
『勝ツハ我ゾ――』
 胸が悪くなりそうな陰気に満ちた思念が、頭の中にガンガンと響いてきた。
「……なんなんだ、コイツ?」
 眉をひそめて風祭が問う。
「……多分、武御名方神の妄執だ」
「妄執?」
「できてからそう時間は経ってないと思うが、普段は神として祭られ、鎮められて雲散している武御名方神の武御雷神に勝ちたいという執念がこんなところで凝結してたんだ。結界を張って氣が外に漏れないようにし、力を蓄えて――武御雷神に戦いを挑むつもりだったんだろう。神様の負の感情の結晶だけに、半端じゃない陰気だな……自然に鬼ができるわけだ」
「……要するに、ぶっ殺すしかないってことだな?」
「まあ、な。ほっとけば神様同士の大喧嘩が始まるし、そうでなくともこれだけの陰気となれば周囲に害をもたらす。消すしか――」
 龍斗の言葉の途中で、ごうっ、と球の腕が動いた。
「くっ!」
「こいつッ!」
 何本もの腕が一斉に動いて、強烈な気圧を放ってくる。
 尋常じゃない氣の量だ、と龍斗は内心舌打ちした。氣の量が大きすぎて氣の流れが読みにくくなっている。
 だが風祭はその気圧を正面から受けとめて、にやりと壮絶な笑みを浮かべた。
「ちったあ手応えがありそうだな」
「澳継。油断するな!」
「うるせえッ!」
 そう言うとすうっと息を吸い込み、相手に負けないほどの凄まじい氣を一瞬で練り上げ、それをどんどんと極限にまで高めていく。あれは――
「くらえッ! 秘拳・五龍殺!」
 叫び声とともに拳撃と凄まじい量の氣を放つ。
 風祭の最終奥義、秘拳・五龍殺――最初に最強の技を出すというのは間違ってはいないが、この相手にそれが通じるか。それにあの技は使った後完全に無防備になってしまう。
 とにかく援護のため、龍斗も一瞬で氣を練り上げて技を放った。
「いやあッ!」
 大鳳。氣を利用して大きく飛翔し、天から強力な炎氣をまとった一撃を放つ大技だ。その強烈な炎氣は放った拳の軌跡のままかなり遠くまで貫通するため、遠距離の敵にも使いやすい。
 技を放った後即座に間合いを詰める。注意をこちらに引きつけるためだ。
 二つの大技を食らってもうもうと立ち上った埃が収まり、見えてきた相手の姿は――
「……効いてねェ!?」
「いや、効いてる。そうは見えないだけだ」
 確かに外見上は全くの無傷に見える。だが、氣は確かに減衰している。この手の純粋精神体に近い妖物は、受けた損害が体に現れにくいのだ。
 しかしそれでも自分の技の効果が見えないことが猛烈に不満らしく、風祭はぎゅっと唇を噛んだ。
「上等じゃねェかッ……」
 一気に間合いを詰め、次々と技を放つ。
「四霊・鳳凰! 四霊・龍王! 四霊・亀聖!」
 無謀な、と龍斗は内心舌打ちしたが、注意している暇はない。龍斗も風祭の横から、次々と技を繰り出す。
「てやっ! せいっ! うおぉぉぉっ!」
 龍斗と風祭の放った技は確実に相手に当たっている。だが、目立った損害を受けた様子はない。
 何しろ有する氣の量が膨大なので、少しずつ生気を削ぎとっていくしかないのだ。
「おっと!」
 ふいに強烈な氣を帯びた腕を繰り出され、龍斗は慌てて身をかわした。
 体がないので動きを読みにくいといえば読みにくいが、この程度の鋭さの打ち込みなら感覚を研ぎ澄ましておけば避けるのは難しくない。乗っている氣の量からして、当たればかなりの損害を受けることは確かだろうが。
 しばし無言の闘いが続いた。二人はすさまじい勢いで繰り出される腕や足をかわしつつ次々と技を打ち込むが、相手の外見は一向に損害を負った様子はない。
「この……ッ!」
 業を煮やした風祭が、ばっと間合いを取って五龍殺の構えを取った。全身の氣を一気に凄まじい量に膨れあがらせようとする。
 と。その瞬間球の腕の一本が目にも止まらぬ早さでぐいんと伸びた。凄まじい量の氣を載せ、無防備になった風祭めがけて襲いかかる。
 しまった。こいつは、これが狙いだったのか。最初の一撃でこちらを警戒し、甘い打ち込みで油断させて大技を誘い無防備になったところを全力で仕留める作戦だったのか! まずい、風祭が危ない!
 ―――などと思うより先に体が動いていた。

 ――ぞぶっ。
 ひどく気味の悪い音がした。
「え……?」
 呆気にとられたような風祭の声。
 龍斗は、自分の胸に突き刺さった腕をがっしと掴んだ。これは体を貫通しているな、と頭のどこかでちらりと思ったが、それよりも――
「ふっ」
 ゴキリ、と音がして龍斗に突き刺さっている腕が折れた。龍斗が関節を壊したのだ。
 いかに膨大な氣でもこうして密着していれば読むことはたやすい。
 球は慌てたように腕を引き戻そうとするが、それこそが龍斗の狙いだった。
 胸の筋肉を収縮させ、しっかり腕をつかんで抜けなくし、戻る動きに乗って球に顔がくっつくほどに接近する。
 そして球の中に腕を突っ込み、全身の氣を球の核に向けて放出した。
「でりゃあぁぁぁぁぁっ!!!」
 球はジタバタともがき暴れ、龍斗を攻撃してくるが、龍斗は離れなかった。ここまで懐に飛びこんでしまえば攻撃の威力も半減する。
 滅せよ! 滅せよ! 滅せよ!
 それだけを念じてありったけの氣を球に注ぎこむ。その氣のあまりの凄まじさに、大気が、大地がびりびりと震えた。
 長い時間が経ったような気がしたが、実際は一番小さい砂時計が半分落ちるほどの時間もかからなかっただろう。
 球は、全く音も立てずに宙に溶け消えた。

 球が消えたとたん、龍斗はその場にがくりとくずおれた。
「たんたんッ!」
 風祭の声がする。全身の力を振り絞って顔を上げて、声の方を見た。
 風祭は息をつめたような顔をしていた。何がなんだかわからないといったような、何勝手なことしやがんだと怒っているような、その他あれこれの感情が入り混じったひどく緊張した表情を。
 それをじっと見つめて、龍斗は言った。
「すまん、澳継。俺は死ぬ」
「――――!?」
 愕然とした顔。そしてすぐ顔を真っ赤にしてがなり出した。
「てめェ、何急に言い出すんだよッ!」
「見えるだろ、おれの体に穴が開いてるの。これじゃ生きてはいられない」
「なッ――」
 一瞬絶句。そしてすぐまたがなり出す。
「てめェ自分の傷治せんだからとっとと治しゃいいだろッ!」
「無茶言うな。心臓が半分抉れてるんだぞ。氣がどんどん外に漏れ出していく。こうして喋ってられるのが不思議なくらいだ」
「―――………」
 言っていることがよくわからない、という顔。龍斗には風祭が理解するまで待っていられるだけの余裕はなかった。
「これだけの傷じゃ医者を呼んでも無駄だ。美里でもいれば少しは違ったかもしれんが、諏訪と江戸じゃな。つまり、どうあがいても間違いなく俺は死ぬ、ってことだ」
 風祭は呆然とした顔をしていた。突然降って湧いた事態に、どう対処すればいいかわからない顔。全然納得いってない顔。受け入れることもできていない顔。
 龍斗は決死の思いで唇の両端を吊り上げた。少しは笑っているように見えるだろうか。
「すまんな、澳継。俺としても、もう少しお前を見守っていたかったんだが。もう少し、傍にいたかったな」
 その言葉が耳に入っているのかいないのか、風祭はひたすら呆然と龍斗を凝視していた。
 龍斗は風祭に似合わない顔にひどく風祭が哀れになったが、今の状態では頭を撫でてやることもできない。
「でもそんな―――そんな………」
「澳継――澳継、すまん、聞いてくれ……」
 龍斗はできるだけはっきり喋れるよう必死に口を動かす。風祭からどうしても聞きたいことがあるのだ。
「俺の最後の願いだ。お前が俺をどう思ってるか――本当の気持ちを、聞かせてくれ……」
「え………」
 風祭はまだ呆然とした顔で、それでも反射的にという感じで口を動かした。
「何言ってやがんだ。前にも言っただろうが、俺はお前が大っ嫌いだって……」
「それは知ってる。もう一つの気持ちの方だ」
「な………」
 口を開けてこちらを見つめる風祭。龍斗は息が苦しくなってきたのを感じながらも喋り続けた。
「俺は、お前が俺にどんな感情を抱いているか、ほぼ正確に把握してると思ってる。だから本当は聞かなくてもわかってる。だけど――ちゃんと、お前の口から、お前の本当の気持ちを、聞きたい―――」
「………」
 なんといえばいいかわからない、という顔。
「本当は急がないつもりだった。お前の気持ちはわかってたし、お前が自分の気持ちを受け入れるまで待つ自信はあった。それこそ何年かかっても、一生かかっても一言聞ければいいやって思ってたんだ………けど、俺、今、死ぬから………」
「…………」
「俺への大っ嫌いだって気持ちの横にある気持ちを、お前の口から言ってくれ。俺に対するもう一つの気持ちを。俺のこととか、俺への気持ちなんか俺が死んだら忘れてくれていいから。俺のことなんか忘れて幸せになってくれたほうがずっとずっと嬉しいから……だから最後にわがまま聞いてくれ。俺の最後の願い、最後のわがままだ……ああもうお前の顔が見えなくなってきた……」
 本当に風祭の顔が見えなくなってきていた。輪郭は分かるが、表情まではぼやけて見えない。
 それでもなんとか風祭の方を向いて、もうどうしようもなく苦しい呼吸の下から言った。
「頼むよ。澳継」
「…………」
 無言の、龍斗にとってはこのうえなく長い時間が過ぎ、風祭は口を開いた。
「俺……」
 残った全ての力を耳に注ぎ込んで、次の言葉を待つ。
「俺は……」
 次の言葉を待つ。
 …………
 バキッ。
 龍斗は自分の体が吹っ飛ぶのを感じた。
 この感触。風祭に殴られたのだ。死にかけた人間に対して、手加減なしの攻撃である。さすがに氣は乗せていなかったが。
 吹っ飛んだ龍斗に、風祭はつかつかと歩いてきて胸倉を掴み上げて大声で怒鳴った。
「ふざけんなッ! このクソ馬鹿野郎ッ! 勝手なコト抜かしてんじゃねェ、てめェが死ぬからってなんで俺がなんかしなきゃならねェんだよッ!」
 ぐいっと引き寄せられて顔が近くに見える。どんな顔をしているかまでは見えなかったが、はっきり想像できた。目に涙をいっぱい溜めて、こちらを睨みつけている表情が。
「甘えたことばっか言ってんじゃねェッ! 死にかけた奴の言うことなんか誰が聞いてやるか! 俺の気持ちが聞きたいっていうんだったら、きっちり生きて、いつものお前みてェに俺が死ぬまでしつこくつきまとって――自分の力で、言わせてみやがれ!」
 ああ。
 龍斗は苦笑した。
 こいつは本当に意地っ張りだな。死んでも直らないくらいの意地っ張りだ。そんなに意地ばっかり張ってたら、いつか大切なものを無くしちまうことにもなりかねないってのに。
 でも、俺はそんなこいつに惚れたんだ。
 意地っ張りで素直じゃなくて負けず嫌いでまっすぐで。素直には表さないけど優しくて、実は曲がったことが大嫌いで。強くて弱くて、この世の何より可愛いと思える存在。
 まあ、いいや。
 こいつは助かったんだし。気持ちは聞けなかったけど、それを匂わすようなことは言ってくれたし。
 むしろ、こういうのの方がこいつらしくていいかもしれない。
 澳継を守って死ぬなんて、俺にしては上等の死に様だな。
 澳継……聞こえるかどうか分からないけど、最後に……哀しませて、ごめんな……。
 その思考を最後に、龍斗は目を閉じた。

 次に龍斗が目覚めた時見たのは、風祭の泣き顔だった。
 それもいつものような、目に涙を溜めているけれど表情はしっかりこちらを睨んでいる、というのじゃない。
 目から涙をボロボロこぼしながら、悲しさと悔しさとやるせなさと怒りをまぜこぜにして、恥も外聞もなく泣きじゃくっている顔だった。
 龍斗はもうたまらなくなって、腕を伸ばして風祭の頭を抱き寄せた。
「……澳継。泣くなよ」
 風祭の息を呑む気配が伝わってくる。
「泣いてもいいけど、一人で泣くなよ。お前の傍に誰もいなくても――俺がいることを思い出せよ。お前は一人じゃないって――俺は死んでもお前の周りをうろついてるから。俺のしつこさは筋金入りだって、お前も知ってるだろ?」
 ぎゅっと両腕で風祭の頭を抱きしめる。
「……だから、安心しろ。何があっても、俺はお前のそばにいるから」
「………!」
 げしっ、と蹴られた。そのまま龍斗は地面を転がる。
「………あれ?」
 龍斗ははたと我に返った。俺、死んだんじゃなかったっけ。
「てッ、てッ、てめェ、生きてんじゃねぇか――――ッ!!!」
 げしげしげしと蹴りまくる風祭。それを巧みにかわしながら、龍斗は唸った。
「本当だよ。俺、生きてるよ。なんで?」
「知るかッ! このクソボケ野郎ッ!」
 顔を真っ赤にして、蹴って蹴って蹴りまくる風祭。
 ふいに、何につまずいたのかグラリとその体がよろけた。
「うわッ!」
「おっと」
 慌てて地面から風祭を受けとめる龍斗。
 風祭は龍斗の胸元に顔をうずめる格好になった―――そしてそのまま顔を上げない。
「……澳継?」
「―――……ッ……!!」
 風祭は龍斗の胸に顔をうずめたまま、肩を震わせていた。ぐりぐりと思いきり龍斗の胸に顔をこすりつける。
「澳継……」
「……バカ野郎ッ……!」
「……うん。ごめんな」
 ぽんぽん、と龍斗は風祭の背中を叩いた。なだめるように優しく背中を撫でる。
 風祭は龍斗の胸を引っつかんで、ぐいぐいと顔を押しつけていた。
 龍斗は無言で風祭を抱きしめていた。

「……結局、なんでお前は死ななかったんだよ」
 村への帰り道、風祭がボソリと言った。
 風祭が一応落ちついてから、二人は依頼も果たしたことだし一度村に帰ることにしようと決めたのだ。
 風祭は断固として龍斗と顔をあわせようとしなかったので、龍斗が先に歩いて風祭が後ろからついていく格好になっている。
「はて、俺にもなにがなんでやら。もしかしてお前の思いが天に通じたかな?」
「……ッ! 何言ってやがんだよッ!」
 後ろから蹴ってくるのを見もしないでかわす。
 風祭にはああ言ったが、龍斗は大体の予想はついていた。
 おそらくこの地を流れる龍脈が、自分をまだ殺したがらなかったのだろう。武御名方神の力もなにか関係しているかもしれない。
 でも、もしかしたら本当に風祭の思いが天に通じたのかもしれない。
 子供のようだが、その想像は妙に楽しかった。
 ――しかし……
「俺は、もしかしたらものすごく一人よがりなやり方でお前に惚れてたのかもしれんなあ」
「……なんだよ、急に」
「いや、自分勝手だったなあと思って反省してるんだよ。悪かったな、澳継」
「……何殊勝なこと言ってんだよ。お前にそんなこと言われたら気味悪いぜ」
「そうか」
 龍斗は苦笑した。
 だが、龍斗は本当に反省していたのだ。
 龍斗は今まで、風祭のことはなにより大切にしていた。そのつもりだった。
 風祭のためなら自分の何を犠牲にしてもかまわないという気でいた。それこそ命まで投げ出してもいいと思っていた。少しでも風祭に本当に迷惑になるなら、自分を殺しても平気だという風に考えていた。
 だが、それはひどく身勝手な考え方なのではないかと、自分の腕の中で泣く風祭を見て思ったのだ。
 どんなに表面上意地悪をしていても、四六時中一緒にいて世話を焼かれていれば少しは気持ちが通じる、想いが届くのである。想われれば想い返したくなるのである。
 それなのに、龍斗が自分のために自らを損なうのを見て、風祭は嬉しいと思うだろうか。
 自分のことなど放っておいて幸せになってくれといわれて、はいそうですかと幸せになれるだろうか。
 風祭の気持ちはわかっていたつもりだったのに、本当はちっともわかっていなかったのだと目の前で泣く風祭を見て心底思い知らされた。
 相手の気持ちをおもんばかる、という惚れたはれたの基本中の基本を自分は忘れていたような気がする。
 これじゃ気持ちを言ってもらえなかったのも当たり前だ。
 自分もまだまだ修業が足りない、精進しよう、とうーんと伸びをし――
「好きだ」
 ぴたりと龍斗は動きを止めた。
 耳を疑いながらも、たまらず振り向いて風祭に聞く。
「今、なんて?」
「別に何も言ってねェよ」
 風祭はそっぽを向いていた。その顔は耳からあごからおでこから、全部真っ赤だ。
「嘘だ! 今、『好きだ』って言った! 間違いなく言った!」
「さあなッ! 空耳じゃねェのか?」
 ふんッ、と風祭は後ろを向いてしまう。
 龍斗はもうたまらなくなって、後ろから風祭に抱きついた。
「ギャッ! 何しやがる!」
「なあ澳継! もう一回! もう一回言ってくれ!」
「空耳だっつってんだろうが! 触んじゃねェ!」
「嘘言うなよ〜、一回も二回も同じだろ? なあ言ってくれよ〜」
「死んでもごめんだねッ!」
「俺は何度でも言えるぞ。澳継ーっ、好きだーっ! 澳継ーっ……」
「てめェこのタコぶっ殺すぞ! 馬鹿なことやってんじゃねェ!」
 そうしてじゃれあいながら、龍斗はたまらない幸福感に笑み崩れた。
 俺、やっぱり、この世で一番こいつが好きだ。
 だからもう少し、こいつに心の底から嫌だと言われるまでは、こいつの傍にいよう。い続けよう。
 いてもいいよな? 澳継。
 風祭に抱きつきながら、龍斗は笑った。

戻る   次へ