「………あんた本当に、なにを考えてはんの」 そう中年の贅沢な着物を着込んだ女に冷たい目で言われ、風祭はぐっと唇を噛んだ。 緋勇家の人間にこんなことを言われて、言い返せないとは! 「龍斗、あんた緋勇家の嫡男として自覚あらしまへんの? ほんまに情けのうおす。数年ぶりに戻ってきはったと思たら、風祭家の人間連れて、おまけにその相手と………」 「はばかりながら母上殿、俺にはそんなものはありません」 薄笑いを浮かべながらさらりと言った龍斗の言葉に、中年女はきりきりっと目尻を吊り上げた。 「本気で言うたはんの」 「本気も本気。緋勇家の存続も繁栄も、俺にとってはもう興味のないことです。それに文句があるなら放り出してくださってけっこう。俺たちは俺たちの力で生きていきますから」 「…………」 中年女はきっと龍斗を睨むと、硬い声で言った。 「あんたはんがどう思わはろうと、あんたは緋勇家の嫡男。うちらにはあんたを立派な嫡男として育てる義務がありますのんよ」 「……母上殿、本気で言っているんですか?」 「当たり前やろ」 硬い口調でそう言い放ち、龍斗が寝ている布団の横から立ち上がる。 「ご飯とお医者さんを連れてきます。今は寝といてください」 突き刺すような口調でそう言うと、龍斗の母親らしいその中年女は部屋を出て行った。それを苛々と確認してから風祭はぎっと龍斗を睨み、溜まっていた文句をぶちまける。 「てめェ……たんたんッ! よくもあんな真似しやがったな、てめェ俺をなんだと思って……」 緋勇家には、ずっと憎んでいたこの家には特に、絶対に弱味なんか見せたくなかったのに。 ――だが、龍斗は風祭の勢いに逆らうこともせず沈んだ顔で頭を下げた。 「―――すまん。澳継」 「なッ……てめェ、謝りゃすむと思ってんじゃ……」 「本当にすまん。澳継」 本当に落ち込んでいるという感じの顔と口調で、謝罪を繰り返す龍斗。 風祭はどう反応していいかわからなくなり、顔をしかめた。いつものように飄々とした顔をされても腹が立つが、こんな風に素直にしおらしく心の底から悪かったという顔で謝罪されるというのも調子が狂う。 「お前にはこの家には関わらせたくなかったんだがな。本当にすまん」 「おい……てめェ、俺を餓鬼扱いしてんじゃ――」 「違う、そういうことじゃなくて――俺がこの家が嫌いだから、お前にも関わらせたくなかったんだ」 どこか苦しげな顔でそう言われ、風祭は困惑した。龍斗がそういう言い方をするというのは、かなり珍しい。 そもそも龍斗がなにかを嫌いだと言うところなどほとんど見たことがない。龍斗はその異常なまでの余裕で全てを受け入れ流す、ぬらりひょんのように掴み所のない男なのだ。 そんな龍斗が、いつも笑って間抜け面をさらしているような男が、本当に苦しそうに、家が嫌いだと言うとは――風祭にもひどく覚えのある感情を吐露しているというのは、風祭の心を不思議に波立たせた。 「……てめェ、家が嫌いなのか」 「ああ。大嫌いだな」 苦しげにきっぱりはっきりと言う龍斗。 なんでだ? と聞こうかと思ったが、やめた。自分だって龍斗に家に対するわだかまりについては話していないのだ。 自分と龍斗の間では、なんとなくその話題は禁忌のようになっていた。名前を聞いて、会ったその夜に、御屋形さまにも九桐にも知られない場所でやりあってからは。 「澳継。これ食っとけ」 そう言って龍斗が懐から出してきたのは太清神丹だった。腰が抜けたのは怪我ではなく疲労のせいなのでこれを食っても即座に全開とはいかないだろうが、ないよりはマシだ。とりあえず素直に受け取って食う。龍斗も同じものを口に入れた。 「澳継、今は休んどけ。警戒は怠っちゃまずいけどな。出された飯は食うなよ、薬も飲むな」 「…………」 龍斗が本当に最大限の警戒をしているのを感じ、風祭は小さく眉をひそめた。緋勇家ってのは、嫡男の寝込みを襲うような奴らなのだろうか。自分たちを殺そうとでもするのだろうか。龍斗は緋勇家の嫡男だというのに。 だが、それはそれでかまわないと思った。龍斗とこの家がどんな風に関わっていたのかは知らないが、龍斗にとってここは敵地だ。自分にとってもそうだ。それなら今まで通りに、完膚なきまでにぶちのめしてやればいい。 そのためには今は動けるようになっておくことだ、と決めて、風祭は布団を引っかぶった。 「見張りは交代だからな。一刻で起こせ」 「ああ」 龍斗の答えに満足して、風祭は目を閉じた。 ――あの時の光景が見えた。 鬼哭村の結界の外れ、少しばかり派手にやっても悲鳴も人が壊れる音も村には届かなさそうな河原。 風が縹渺と木の枝を揺らす音を立てる、そんな中で風祭と龍斗は対峙していた。 「――てめェが……陽の龍≠セな?」 「ああ」 龍斗が――最初の頃は緋勇と呼んでいたのだ――平然とうなずく。 その言葉に風祭は顔を歪めて笑った。――歓喜に。 「やっと……やっとてめェをぶっ殺せる。待ってたぜ、この時を」 「そうか」 相も変らぬ一本調子な答えに苛ついて唇を噛む。この苛つき、今まで陰の龍≠ニいう枠の中に押し込められていた自分の憤懣、全てこいつにぶつけてやる。 そして証明するのだ。自分は緋勇家などには負けない、陽の龍≠ネどよりはるかに強いのだ、と。 「――行くぜッ!!」 叫ぶと同時に飛び蹴りを放つ。全速、全力、渾身の一撃だ。今までこれをかわせた奴はいない。顎の骨をぶち砕いてやる―――! だが緋勇家の陽の龍≠ヘ、眉を動かしすらせず状態を反らして避けた。 風祭は空中で目を見張ったが、ぎりっと奥歯を噛み締めて空中で二段蹴りを放つ。その攻撃もあっさり避けられた。紙一重で。 そして着地。風祭は頭にカーッと血が上るのを感じた。こいつ……絶ッ対ェぶっ殺してやる! 踏みこんで腹に掌打。体を回転させて避けられた。頭部に回し蹴り。わずかに頭を反らすだけで避けられた。一番得意な顔への掌打、肘打ち、回し蹴りの連撃――全て一分の見切りで避けられた。 ――さっきからこいつは、受けにすら手を使っていない。 遊ばれているのか。この自分が。 目の前が真っ赤になるような心地で踏み込みながら怒鳴る。 「ふざけんじゃねェッ! てめェも打ってきやがれッ!」 その言葉に、その陽の龍≠ヘくすりと笑んだ。まるで風祭が面白いことでも言ったかのように。 「もう少しお前の攻撃を堪能したかったんだが」 「ふざけんなッ! 遊びじゃねェんだぞッ!」 「まぁ、それもそうだな」 そう言って、陽の龍≠ヘにこりと笑む。――そのなんということはない笑顔から発される圧倒的な気に、風祭の体は一瞬反射的に震えた。 「それじゃあ――今度はこっちからいくぞ」 一瞬とはいえ震えた体を内心で思いきり罵って構える――だが、無駄だった。 陽の龍≠ェゆら、と動き始めたかと思った次の瞬間、そいつの指が風祭の頭頂を迅雷の速度で突き――風祭は気を失ってしまったのだ。 ――目が覚めた瞬間見えたのは、陽の龍≠フ顔だった。 「大丈夫か? 気脈を断っただけだから、痛みはないと思うが」 寝転んだ自分をのぞきこんで笑顔を浮かべる、自分の最も憎い相手の顔―― それを見た瞬間風祭は即座にその顔に蹴りを叩き込もうと足を振り上げ――あっさり受け止められた。 「元気だな。まだやる気か? それなら俺ももう少しつきあってもいいが」 に、と笑われて、風祭はぎっと相手を睨んだ。 「殺せ」 「これはまたいきなりだな」 「殺せ。さもなきゃ俺は何度だってお前を殺しに行ってやる」 「ふむ」 肩をすくめる陽の龍≠、全身全霊をこめて睨みつけながら風祭は唇を噛む。 悔しい。とてつもなく悔しい。 自分が今まで積み上げてきたもの全てが、あっさり打ち砕かれた。自分が緋勇家の人間に、よりにもよって陽の龍に負けるなんて――― そんなことを認めるくらいなら死んだ方がマシだ。 「それならそれで別にかまわないぞ?」 「………は?」 風祭は呆気に取られて口を開けた。 「おい、てめェ本気で言ってんのか? 俺は殺さなけりゃお前を殺すって言ってんだぞ?」 「まぁ殺されるのはありがたくないが、今のところ俺はお前に殺される気なんてまったくせんわけだし」 「なんだとッ!?」 「本当のことだろう。俺はお前よりはるかに強い。それはお前にもわかっただろう?」 「………ッ」 わかっている。自分よりこの陽の龍は強い、わかっている。 だけどそれを認めてしまったら、自分が自分でなくなってしまう。 認めて、たまるか―――! 「ま、今のところは、だがな」 「なに………?」 「なんだその妙なことを言われたって面は。当たり前のことだろう、将来お前がどれだけ強くなるかなんて俺にはわからん」 「…………」 「澳継といったな」 「名前で呼んでいいなんて言ってねェぞ」 「風祭という呼び名はお前の方が面白くなかろうと思うんだが?」 風祭は顔をしかめた。確かに、緋勇家の人間に風祭と呼ばれるのは面白くない。 陽の龍≠ヘにこり、と意外に邪気のない笑みを浮かべて言った。 「俺はなんとなくこの村が気に入った。九角殿もなかなかの人物のようだし、村の雰囲気もいい。しばらく留まってこの村のために働いてみようかと思っている」 それに、この村にいなければならないと、俺の中のなにかが告げるからな。 そう一瞬だけ真剣な顔になって言って、陽の龍≠ヘまた笑う。 「その間は真面目に仕事をするつもりだから、仕事中には困るがな。それ以外の時ならいつでも殺す気で襲ってこい。相手してやる」 「…………」 風祭は猜疑の心を視線に篭めて相手を見た。こいつはなにを考えているんだ? 「てめェ……そんなに自分の腕に自信があんのかよ」 「それもないではないけどな。それよりお前を受け止めてやりたいという心のほうが強い」 「はァ?」 「お前が俺を狙う理由は、理解できなくもないからな」 そう言って小さく、静かに、どこか寂しげに陽の龍≠ヘ笑う。 風祭は、困惑して、だがそれを表面に出すのは嫌で、ふんと鼻を鳴らして冷たく言った。 「陽の龍≠ネんぞに理解されるなんて冗談じゃねェぜ」 「……お前な。俺が緋勇の名を持つのを忘れろとは言わんが―――」 眉をひそめて顔を少し近づける。 「俺はもう緋勇家から離れた人間だ。緋勇の名を捨てたわけじゃないが後生大事にしてるわけでもない。しかも曲がりなりにもお前たちの仲間になろうとしてる人間だ。少しは俺を陽の龍≠ナはなく、ただの緋勇龍斗として見ようとしてくれてもいいんじゃないか?」 「誰が仲間だ、調子に乗んな。てめェはいつかぶっ殺して死体を誰も見つけられねェとこに埋めてやる」 「ほほう……」 に、とどこか不穏な顔をして笑う。 「そうかそうか、お前がそう言うなら仕方ない。それなら仲間として認めてもらうよう、少しばかり親しみをこめた行動をしてみるとするか」 「はァ? てめェなに言って――って、おいッ、なに服脱がしてんだよッ、うわ、離しやがれてめェッ、コラこの野郎……うぎゃ―――――ッ!!」 ……その後、風祭は裸に剥かれ、めったに人の来ないその河原に生える木に逆さ吊りにされたのだ。抜け出すのに小半刻近くかかった。 どうやらその様子を隠れて見ていたらしく抜け出したとたん拍手しながら服を持って現れた龍斗に殴りかかって、またあっさり負けて。 そんな風に何度も殴りかかっては殴り倒されて、ちょっかいをかけられては喧嘩を売って負けて、を繰り返しているうちに、風祭にとって龍斗が陽の龍だということは、いつの間にかどうでもよくなっていた。 このたまらなく腹の立つお調子者を、なんとしても負かしてやりたい。ぶん殴ってやりたい。ただそれだけの心持ちに変化していったのだ。 そしてある日、惚れていると告白されて、抱かれるようになって。喧嘩しながら日々を過ごしてきて。 一緒に、二人で旅をするようになって――― 「……お帰りください従兄弟殿。俺はあなたの相手をする気はありません」 龍斗の低い、耳に心地よい、けれどなんだか怒っているように聞こえる声が聞こえて風祭はうっすら目を開けた。 天井から視線を動かすと、布団から上半身を起こした龍斗とにやけた面を龍斗に近づけている男の姿が見える。 「つれないこと言うたらあかん、龍斗。昔は甲斗にいさまと慕ってくれたんとちがうのか?」 「昔の、なにも知らない子供の頃は」 「江戸言葉で喋んのはやめて。あんたの優しい京言葉が聞きたいねん」 「あなたに聞かせる義理はないでしょう」 なんだこの野郎、と風祭は寝惚けた頭で考えた。こいつ、たんたんにちょっかいかけようとしてんのか? 龍斗は御屋形様と同じくらい上背があるし筋肉も武道家らしくしっかりとついている。そんな奴にちょっかいかけるなんて酔狂な奴がいたのか。 龍斗も昔は、相手してやっていたのだろうか? それに考えが至った瞬間、風祭は胃の腑が千切れるかと思うほどムカついた。 たんたんの大ボケ野郎がッ………こんなにやけた野郎の相手してたのかよ? 冗談じゃねェ、そんな奴に触られるなんてあってたまるか。 腹が立つ。苛立たしい。龍斗を蹴ってやろうかと体を動かしかけた瞬間、自分は嫉妬しているのか? という思考が頭に浮かび、風祭は一気に頭に血が上って動きを止めた。 まさか、ンなことあるわけねェ。そりゃ、俺はこいつに抱かれてるけど。それはただ、あいつが俺に惚れてるからなし崩しのうちに。 俺は別に、たんたんに惚れてなんていねェ。そのはずだ。絶対にそうなんだ。 「なァ……俺にあんまり逆らわへん方がええよ。可愛いお前を痛めつけるのは嫌なんや。抵抗しても俺に叶わへんのはあんたもよく知ってんのと違うんか?」 「俺をどうなさるおつもりですか?」 「素直になってくれたらなにもせぇへんよ」 「俺はこの上なく自分の感情に素直にお断りしてるんですが」 「……そんな可愛げないこと言うんやったら、痛い目をみるで。馴らされずに挿れられるのは嫌だろう?」 「何度も言ったでしょう? お断りします。今の俺には惚れた相手がいますので」 「……そんなにこの餓鬼を気に入ってんのか? 冗談やろ?」 「本気です」 カッと顔を赤くする風祭に気づかず、男は笑う。 「こんな餓鬼の粗末な一物であんたを満足させられるわけないやろ。何十何百という男を蕩かしていたお前が――」 ガジャッ。 そんな音がして、男が倒れた。今の音だと顎の骨が砕けたかもしれない。 龍斗が立ち上がっていた。崑崙山の雪よりも冷たい声で、切り捨てるように言う。 「お前の薄汚い声で澳継を語るな」 風祭は驚いた。龍斗が口喧嘩で先に手を出したところなど見たことがなかったからだ。自分にちょっかいをかけてくるのをのぞいて。 部屋の中にずかずかと数人の男たちが入ってくるのが見えた。 「何事や! ! おお、甲斗様! 龍斗殿、たとえ将来緋勇家当主となるお方やというても―――」 「俺を押し倒そうとしたので殴り倒した。なにか問題があるか?」 しれっとした顔で言う龍斗。だがそれは正確ではないにしろ間違いではない。男たちは一瞬絶句したが、すぐに気を取り直して喚いた。 「あんたさんが誘われたんと違うのですか。なにせ元服前は京中の男女を――」 その男はそれ以上口にはできなかった。風祭が布団から飛び上がって頭を全力で蹴り飛ばしたからだ。 「適当なこと言ってんじゃねェ。見もしてねェくせに勝手にほざくな」 「澳継……」 驚いた顔をして見つめる龍斗と男たちを睨みまわして、風祭は言う。 「行くぞッ、たんたん。こんなとこに長々いられるか」 「……そうだな。お前も元気になったようだし、行くか」 笑って枕元の荷物を持ち上げる龍斗に、男たちはどよめいた。 「そういうわけにはいきまへん! 久方ぶりのご帰還で、龍斗殿には仕事が山ほど――」 「緋勇家の権勢を保つための仕事に興味はない」 そう言い捨てる龍斗に男たちは顔を歪め、呼ばわった。 「家人ども!」 その声にだだだっと音を立てて人が集まってくる。 「龍斗殿がまた抜け出そうとなさったはる。お止め申せ!」 「はっ」 いかにも屈強な奴らがじわじわと近づいてくる。男たちは笑った。 「これだけの人数、龍斗殿では突破できませんやろ。ましてや横にいやはんのがその子供では」 「痛い目を見やらへんうちに諦めてください」 「……たんたん。こいつら阿呆か?」 冷たく言った風祭に、龍斗も冷たく応じた。 「阿呆だ。さっさと片づけよう」 「おう」 龍斗が男を目を細めて見つめ―― 「俺がこの五年でどれだけ変わったか――思い知らせてやるよ」 炎すら凍りつかせるような闘気で、男たちを固まらせた。 「ふー、久しぶりに暴れてすっきりしたぜッ! 緋勇家の人間ってだけあってどいつも少しは歯応えあったしなッ」 「一対一で相手するには正直物足りないがな」 「当たり前のこと言ってんじゃねェよッ!」 風祭は笑った。悪くない気分だった。 あのあと二人は次から次へと出てくる緋勇家の家人たちを全員殴り倒して、悠々と緋勇家の屋敷を出てきた。龍斗はどうやらこの家を出た時は大した腕をしていなかったらしく、どいつにも驚愕の目で見られたのがなんだか面白かった。 表情を凍りつかせて自分たちを見る龍斗の母親に、龍斗はこの責任を風祭家に取らせようとしたらこんなものではすみませんから、と氷のような微笑を浮かべて言っていた。風祭は気を遣われてなんとなく面白くなかったのだが。 昔はあれだけ憎んでいた緋勇家で思いきり暴れたというのに、復讐の快感というものはなかった。あるのはクズをぶちのめしたというすっきりした感情だけ。 あれだけ憎み、消し去ろうとした陽の龍は自分に惚れたという馬鹿だった。 あれだけ憎み、滅そうとした緋勇家はクズが群れているだけのくだらない家だった。 そう思うとなんだか妙にすっきりした心持ちになって、風祭は空を見上げた。 すでに陽は落ちて、月が出ている。細い光を周囲に投げかけている三日月がつかめそうな気分で、手を伸ばした。 「――緋勇家っていうのは、遡れば帝の血筋にまでなる公家の血筋でな。家に伝わる武力を売りにしている、珍しいといえばこの上なく珍しい家だ」 突然龍斗がそんなことを言い出して、風祭は眉をひそめた。なんだ、こいつ。なにを言いたいんだ? 「江戸が開かれて徳川の御世になってからはその武力を他の公家に売ることで権勢を維持してきた。武を極めるのでも力で無理を通すのでもなく、所領のない緋勇家は公家に尻尾を振って飼い犬に成り下がることで安全と権勢を買ったのさ」 「だからなにが言いてェんだよ」 「その緋勇家本家に二十年前一人の男児が生まれた。上に二人の兄がいたためやがて家を出されることになっていたが、類まれなる容色のよさのためにその男児はみんなに可愛がられた」 「なにを―――」 「その少年を見初め、所望する人間が現れた。――その子が生まれてから九度年が巡った頃だ」 「――――」 風祭は絶句した。まさか、それは――― 「あの男の言っていたことは本当のことなんだ。俺は緋勇家の権勢を守るために、数えで十一の年からあちこちの有力者の男女に春をひさがされた。俺は餓鬼の頃はとんでもない美童だったんだぞ、今からじゃ想像もつかないだろうがな。――家のために使われる金と、権力。そのために俺は体を売らされていた。元服する十六の年までな」 「………………」 風祭はくるりと踵を返した。その先は緋勇家の屋敷だ。 「……どうした、澳継?」 「ぶっ殺してくる」 「え?」 「緋勇家の奴全員、ぶっ殺してくるっつってんだ!」 風祭は怒りに燃えた目で龍斗を睨んだ。猛烈に腹が立っていた。腹から頭まで芯が燃え上がるような怒りに、体全体が支配されていた。 「ンなことされてどうしててめェはあいつらぶっ殺さなかったんだッ。ンな餓鬼に無理矢理客取らせるなんざ、最低の蛆虫がやるこっちゃねェかッ! そんなクソ虫どもに容赦してやる必要がどこにあんだよッ!!」 冗談じゃない、そんなこと許してたまるか。龍斗に、このたまらなく強い男に、そんなことをさせていたなんて。 こいつは馬鹿だ、馬鹿だけど、たまらなくムカつく奴だけど――― こいつにそんなことをさせる奴は、絶対に全員ぶっ殺す。 「……この家を出る――というか、逃げ出す時はそうしたかったんだがな。そんな風に家のために客を取らされて、その上上二人がいなくなったから嫡男としての教育をだなんて、冗談じゃない、家を出て力をつけて絶対みんな殺してやるって思った――その時はその力がなかったからな」 「…………」 「けど、今はもうそんなことはどうでもいい。緋勇家の人間が俺にどんなことをしていようが、俺は自分の人生に満足してるんだ。この上なく幸せな人生だって思ってるんだ。――お前に会えたからな」 「なッ………」 口を開けて風祭は龍斗を見つめ――猛烈に顔が赤くなってくるのを感じて奥歯を噛み締めた。 「過去にどんな嫌なことがあろうが、どんなに苦しかろうが。今俺はお前と一緒にいて、一緒に旅をしている。この幸せのためなら、過去のどんな苦しみも憎しみも、俺にとってはどうでもいいことだ」 「ばッ……てめッ……」 「好きだ。澳継」 たまらなく優しい顔と声で、龍斗は小さく微笑んで言った。 「お前のそばにいられるなら、俺はなんだってできる。どんな嫌な過去も俺にとってはどうでもいい。今お前と一緒にいられるなら、なんだっていいんだ」 「…………」 「澳継。俺がそばにいるのは、いやか?」 「…………」 風祭はぐっと拳を握り締めた。顔がたまらなく熱い。恥ずかしさか他の感情のせいかはわからないが。 ぎっと龍斗を睨む。龍斗は静かな瞳で見返してくる。覚悟を決めて、つかつかと近寄って、手をぐいっと引っ張った。 「……どうした、澳継?」 「宿取るぞ」 「は?」 「宿取るぞっつってんだ! とっととついてきやがれ!」 「………ああ」 戸惑った顔でついてくる龍斗。 風祭はふんッとばかりに鼻を鳴らして龍斗から行き先へと顔を向けたが―― その顔は、恥ずかしさのあまり自分でもわかるほど泣きそうに歪んでいた。 「ここは――」 目を見張る龍斗を無視して、主人と話をつけ中に入る。 ここはいわゆる、連れ込み宿だった。街道筋によくある、男が女を連れ込むための宿だ。 奥の部屋を取って、龍斗を引っ張りながらずんずん奥へと進んだ。 部屋に入って、じっと自分を見つめてくる龍斗の方を振り返る。 問いかけるような目で見つめてくる龍斗を、ぎっと睨みつけて言った。 「脱げ」 「…………澳継」 「さっさと脱げ!」 「…………ああ」 龍斗は少し戸惑ったような顔で、それでも着衣を脱ぎ、褌一丁になった。 恥ずかしさのあまり凝視できず、必死に顔だけを見つめて言う。 「今日は………俺が、してやる」 「え………えぇぇ!!?」 龍斗は仰天、という顔をした。それも当然だろう、今まで自分はこんなことを言うことは愚か、素直に龍斗に抱かれることもめったになかったのだから。 だが。今回だけは。 こいつに、この阿呆に、ざまぁ見ろと言ってやりたくなったのだ。 舐めてんじゃねェと。一緒にいていいかと聞かれなくても、俺はお前から逃げるなんて絶対ごめんなのだと。 そう、思いきり言ってやりたくなったのだ。 「いやちょっと待て澳継! 気持ちは果てしなくとてつもなくこれ以上ないというほどに嬉しいんだが、なにもそんなことをしてくれなくても!」 「うるせェッ! 嫌なのかよ!」 「嫌じゃないっていうかめちゃくちゃ嬉しいんだがっ! もう死んでもいいってくらい嬉しいんだが! お前に無理させるのは、嫌なことをさせるのは――」 「いまさらなこと言ってんじゃねェッ! 俺がしてやるっつってんだから大人しくヤられてりゃいいんだよッ!」 「澳継……」 必死に、泣きそうなのを隠して、ぎっと龍斗を睨みつけて。 「別に、嫌じゃねェよ」 「…………」 固まった龍斗をぐいっと押し倒して、馬乗りになって。 初めて自分から、唇に唇を押し付けた。 「………………」 龍斗は完全に硬直している。なんか言いやがれこのボケ野郎、と泣きそうになりながら龍斗の股間を見下ろした。 股間をぴっちりと覆った六尺は明らかに通常以上に盛り上がっている。龍斗には何度も抱かれているにもかかわらず龍斗の一物などほとんど見たことがない風祭は、震える手で前布を引っ張って外した。 「…………ッ…………!」 初めて間近で見た、龍斗の一物。しっかりと固く勃ちあがったもの。 でかい。大きい。風祭のそれより、明らかに一回り以上大きい。 こんなものが、こんなでかいものが本当に、自分の中に入っているのだろうか。しかも今回は自分で挿れなければならない。こんなもんが、本当に入るのか? ――負けてたまるか! 風祭は気合を入れて立ち上がり、大急ぎで着物を脱いだ。褌も落とし、素っ裸になって龍斗の上に乗る。 そしてそのまま後孔に龍斗の一物を挿れようとしたが――うまく入らない。つるっ、つるっと滑ってしまって、孔にうまくはまらないのだ。 そういえば龍斗は必ず挿れる時自分の孔を指や舌で馴らしていた、ということを思い出し、風祭は思わず顔から血の気を引かせた。あんなことを、自分でやれというのか。龍斗の前で。 冗談じゃない、そんなことできるか。けど、やるといったのは自分だ。こいつに逃げないということを証明してやると決めたのも自分だ。 ――ちくしょうッ、たんたんのクソボケ野郎ッ! あとで絶ッ対ェぶん殴ってやるッ! 龍斗にとっては迷惑なことだろうが内心でそう叫んで、風祭は必死に涙をこらえつつ自分の指を口に含んだ。唾をたっぷりつけて、自分の後孔にそっと差し込む。 「………ッ………」 「…………………」 ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえ、風祭はカッと顔を赤くした。ちくしょうッ、なんで俺がこんなこと! 唇を噛み締めながら尻を持ち上げ、人差し指で中を拡げる。もう一本ぐらい挿れた方がいいのだろうかと思いながらぐりぐりと中をかき回す―― 龍斗に中をいじられている時とはまったく違う、ぞわぞわした感触。中腰になりながら手で尻をいじるのは、体勢的にもかなり苦しかった。 もどかしい―― そんなことを思ってしまい、風祭は全力で唇を噛み締めた。そんなこと思ってどうすんだクソッタレ! 充分かどうかはわからないが、指がさほど抵抗なく動くようになった、と感じると風祭は再度龍斗の上に乗った。龍斗の一物を手で握り――熱い体温と固い手応えの生々しさに恐怖を感じ、それを冗談じゃねェと必死に否定して後孔に導く。 馴らしたはずなのになかなか入らなかったが――何度か挑戦して、ようやく先端が風祭の主観としてはめりっという音と共に入った。 少し痛いような気もする――だがそれよりも、龍斗に挿れられる時に数倍するような気がする大きさに頭がくらくらした。龍斗に挿れられる時はもっとするりと入るのに。 必死に腰を振って少しずつ龍斗の一物を呑みこんでいく。は、は、と息を吐きながらぐっ、ぐっと体の奥へと進ませ――咥えてるみてェだ、とちらりと思ってさらに湧き起こる羞恥に必死で耐えた――気の遠くなるような時間をかけて、ようやく全部呑みこんだ。 はァ、と深い息をつき、その呼吸で中に入っている龍斗の一物をさらに締め付けて感触が伝わってしまったりもしたが――それから風祭ははっとした。 これからどうすりゃいいんだ。 龍斗は挿れたあとはいつも腰を動かしているが、いまさら龍斗に腰を動かせというのも間抜けだし――― なんで俺がこんなこと考えなきゃなんねェんだ! と顔を真っ赤にして唇を噛んでいると、下からがしっと腕をつかまれた。 「………たんたん?」 「澳継。すまん」 真剣な顔で言われて風祭は一瞬身構えたが。 「もう限界だ」 え? と思う間もなく腰をつかまれ龍斗の上に座らされて、下から思いきり突かれた。 「!」 その一突きが本当に思いきり奥まで入り、風祭は衝撃で眼前に光がちらつくのを感じた。 ああそうか、体重がかかるから奥まで入るのか、じゃあさっきのは本当に全部入ったわけじゃないんだな……と頭のどこかで思ったかどうか。 ずん、ずん、ずん、と下から力強く、何度も、腰を落とさされて深い奥まで挿れられ、風祭は声にならない声で喘いだ。 「――――ッ……ッ―――――ッ!!」 「澳継。澳継。澳継―――」 なにかに憑かれたように囁きながらぐいっと龍斗が体を起こし、風祭の背中に腕を回す。龍斗の体と風祭の体で風祭の一物を挟み擦り上げる。さらに大きくなったように感じられる一物で、後孔を奥の奥まで突かれる――― 「―――ッ!!」 「………っ!!」 龍斗が達したのは、風祭が達して、激しい口付けを交わしている最中だった。 「……………………ちくしょうッ……………………」 風祭は布団の中で芋虫のように丸くなって自分の所業を後悔していた。なんて馬鹿なことをやってしまったんだ、自分は。 あのあと、さらに盛り上がった龍斗は挿れたままのしばらくの休憩の後、自分を上から下から犯し始めた。そうなればあとはもういつもと同じ。風祭が疲労困憊するまで盛るだけ。しかも今回は特に激しかった。 その間中、そのあとも龍斗はずっと恐ろしいほどの上機嫌で、風祭は気持ち悪いとも思ったし、なにより疲れた。腰がめちゃくちゃだるい。昨日も腰が立たなくなるまでしたばかりだってのに。 「澳継〜、そんなに拗ねるなよ〜。いいじゃないかお互い気持ちよかったんだし、幸せだったんだし〜」 「幸せなのはてめェだけだろッ!」 「え〜、澳継幸せじゃなかったのか? 俺押し倒して自分からヤってくれたのに〜」 「言うなアァァァァ!」 元気になったらこいつ絶ッ対ェ殺す! と決意を新たにする風祭に、龍斗はふいにひどく優しい声で言った。 「本当に、俺は幸せだったよ、澳継」 「………………」 「澳継が自分からしてくれたのが単純に嬉しかったっていうのもあるけど。それ以上に澳継が、自分の意思で、まだ俺のそばにいてくれるっていうのがわかって、たまらなく嬉しかった。久々に我忘れちまうほど」 「………………」 そうか。自分の気持ちは、伝わっていたのか。 ……別に、だからどうというわけじゃないけれど。 「澳継。顔見せてくれよ」 ひどく優しい、幸せそうな声で言われ、風祭はさんざん迷ったが毒を食らわばの心境で少しだけ顔を出してやった。龍斗はそれに視線を合わせて言う。 「澳継。俺は、お前が世界一好きだ」 「………………」 「お前のそばにいさせてくれて、本当に、これ以上ないほど幸せだ」 「………………」 「もう少し、そばにいさせてくれるか、澳継?」 なんと答えようか迷って、澳継はぶっきらぼうにこう言った。 「俺がお前に愛想尽かすまではな」 その言葉に、龍斗は泣きそうな顔をしながら微笑んで、風祭を布団ごと抱きしめた。 |