陽光
「祇園祭ィ?」
 風祭は訝しげな声を上げた。
「ああ。知ってるだろ? 京の都の大祭。八坂神社の祭礼で――と言ってもその実はほとんど町衆の祭りだが。山鉾が巡行して、夜店も出るぞ。せっかくちょうどの時期に京の近くに来たんだ、見ていかない手はないと思わないか?」
「……まあ、いいけどよ……」
「よし。それじゃ、決まり」
 そう言うと龍斗は嬉しそうに笑った。

「なんなんだよ、この人の群れはァッ!」
 四条大通り。辺りは人で埋め尽くされていた。
 もうどっちを向いても人・人・人。まだ昼だというのに、どこから来るのかどんどん人が湧き出してくる。
 京の町に入った時からやけに人が多いな、と思ってはいたものの、龍斗に連れられるまま歩いているうちにみるみるうちに人が増え、今ではほとんど歩くこともままならなくなっていた。
「んー、ちょっと町に入る時間が遅かったかな。まあ今日は宵山だから、このくらい人も出るだろう」
「宵山? なんだよそれ」
「祭礼を明日に控えた夜を宵宮って言うだろ? 祇園祭ではそれを宵山って言うんだよ。夜の本番に向けて今から盛り上がろうと繰り出してきた奴らなんだろうな、みんな」
「チッ、浮かれやがって。なんでこんな時にこんなところへ連れてきやがんだよッ。うっとうしいったらねェぜ」
「……でも、お前こういう雰囲気好きだろ?」
「うッ……」
 風祭は一瞬言葉に詰まった。確かに風祭はこういう祭りの雰囲気が大好きなのだ。
 そこら中からコンチキチンとお囃子の音が聞こえ、街角には派手やかな飾りをつけた鉾が立ち並び、人々が浮かれさざめくのもいやおうなしに祭り気分を盛り上げる。実を言うとさっきからずっとわくわくしていたのだ。
 だがそれを正直に言うことなどできるはずもなく、風祭はすぐ不機嫌そうに怒鳴った。
「勝手に決めてんじゃねェッ! 俺はうっとうしいのは大ッ嫌いなんだよッ!」
「はいはい。まあどっちでもいいけど、せっかくの祭りなんだから楽しんだ方が得だぞ。この近くにうまい鰻の屋台があるんだ、行こうぜ」
「俺に指図すんじゃねェッ!」
 などと言いつつ風祭は龍斗の後を追った。龍斗は人込みなどまるで存在しないかのようにすいすいと人の間を通り抜けていく。風祭はそう簡単にはいかず、人込みに引き離されてあっという間に龍斗の姿を見失ってしまった。
「おいッ、こら、たんたんッ! 待ちやがれッ!」
 必死に人の間を通り抜けようとするも、基本的に小柄な風祭は人の流れに逆らえずどうしてもあちらこちらへと流されてしまう。
「こらッ、このッ、どきやがれッ……」
 どんっ。何とか前へ進もうと四苦八苦している風祭に、正面から何か大きなものがぶつかった。
 ちょうど力を抜いていたところだったため少しばかり押された風祭に、その大きなもの――いかにも柄の悪そうな大柄な男どもは上から吐き捨てる。
「気ぃつけェや、わっぱ」
「…………」
 びしっ、と風祭の眉間に皺が寄った。
「よく聞こえねェなァ。誰がわっぱだって?」
「アァン? なんやこの餓鬼、俺らに文句付けよる気ィかァ?」
「ええ度胸しとるやないか。坊主、俺らが誰かわかっとんのんか?」
「知るかよ。どいつもこいつも馬鹿面さらしてやがるからどうしようもねェクズどもだってことはわかるけどな」
 風祭がそう嘲ると、予想通り男どもは一気に殺気だった。
「この餓鬼……舐めくさりよって……!」
「ちーと世の中ってもんを教えたろやないか。岩瀬組の恐ろしさ、味あわせたる!」
 やっぱり街の破落戸どもか、と風祭はふんと鼻を鳴らした。たんたんもどっか行っちまったし、ちょうどいい憂さ晴らしだ。祭りの景気づけに、ちょっと暴れてやるか。
 ふいに自分のその思考が龍斗がいる時は暴れられない、ということを前提にしているように思えて、風祭は慌ててかぶりを振った。冗談じゃねェ。あいつと俺は、そんな関係じゃねェ。
 じゃあどういう関係なんだ、と聞かれると……風祭はどう答えればいいのかわからなくなってしまうのだが――
「聞いとんのかコラァ!」
 考え事をしている隙に胸倉をつかまれた。風祭はきゅっと顔をしかめ、即座にその腕を砕くべく拳を打ちつけようとして――
 ぱあん。
 胸倉をつかんでいた腕が叩き落とされて風祭の拳は空を切った。
 きっと脇を見ると、予想通りそこには龍斗が立っている。風祭は龍斗を睨みつつ即座に怒鳴った。
「邪魔すんじゃねェッ! 俺が売られた喧嘩だ、てめェには関係ねェだろッ!」
「そういうわけにもいかん。言っとくが、俺にも大いに関係あることだと思うぞ。せっかくの一日をつけまわされて台無しにされちゃかなわん」
 そう言うと龍斗は急の闖入者、すなわち龍斗自身を胡乱な眼差しでねめつける破落戸どもに向き直った。
「岩瀬組とか言ったか。確か、水澤組の傘下の、三位だか四位辺りにいる連中だな?」
「……おい兄ちゃんよ。俺らの事情によう通じとるようやが、その偉そうな口の聞き方は気にいらんなぁ」
「どこで聞きかじったか知らんが、岩瀬組舐めとるとあの世で後悔することになるでぇ。伊達に組の看板掲げとるわけちゃうねんぞ!」
「舐めちゃいないがね。あんたたちに水澤組の組長を怒らせるのは得策じゃないってことを思い出してほしかっただけさ。俺は水澤組の組長に昔可愛がってもらったことがあってね、あの人の耳に龍斗に因縁つけたなんてことが入ったらただじゃすまんと思うが?」
「けっ! 白々しい嘘つきよって!」
「……水澤組組長、黒羽の陣吉。右頬から顎にかけて刀傷。左耳にいぼになった黒子。身の丈は五尺三寸。横に広くがっちりとした蟹のような顔……」
 龍斗が淡々と言葉を連ねると、破落戸どもの一人から血の気がさーっと引いていった。ぶるぶる震える手で龍斗を指さして、恐る恐る言う。
「あんた……いや、兄さん、まさか本当に……?」
 動揺してざわめく破落戸どもに龍斗はにっこりと笑いかけ――次の瞬間、風祭が気圧されるほどの猛烈な殺気を破落戸どもに叩きつけて、一言言った。
「失せろ」
「………! す、すんませんでしたぁっ!」
 破落戸どもは一瞬硬直してから、いっさんに逃げ去っていく。それを見てから、龍斗はふう、と溜め息をついて風祭に向き直った。
「すまなかったな、澳継。久しぶりの祭りだったせいか人込みの中での感覚がずれていたらしい。いきなりはぐれたかとちょっと心配しちまった」
 屈託なく笑う龍斗に、風祭はちっと舌打ちする。
「こっちの方を見もしねェで勝手に進んでいった奴がよく言うぜ。それより! なんで止めやがったんだよッ。せっかくいい憂さ晴らしができると思ったのによッ。大体なんであんな虎の……なんだったっけか、ともかくそんな他の奴の力を借りて脅すクズみてェなやり方で止めなきゃならねェんだよッ!」
「憂さ晴らしってなぁ、お前……こんな人込みで喧嘩なんかしたら確実に巻き添えが出るだろう。それにああいう手合いはやたら面子に敏感だからな、一度叩きのめしたら再起不能にでもしない限りしつこく追ってくるぞ。だから穏便にお引取り願ったんだよ」
「上等じゃねェか。その度に叩きのめしてやりゃすむことだろッ」
「あー……だからなぁ……」
 龍斗はばりばりと頭をかくと、風祭の耳元に口を寄せて囁いた。
「今日は邪魔されたくなかったんだよ」
「…………はァ?」
 何を言っているのかわからず、眉を寄せる風祭に龍斗は苦笑してみせる。
「だからな。今日はせっかくお前と二人きりで祭りを見物できる機会なんだから、できるだけ二人水入らずで過ごしたかったんだ。誰にも邪魔されずに」
「な……なななな、何言ってんだてめェはッ! 脳味噌沸いてんのかッ!」
 しゅっ、と突き出された風祭の拳を軽くかわし、龍斗は笑いながら風祭に右手を差し出した。
「………? なんだよ、この手」
「手、繋ごうぜ。はぐれないように」
「な―――ッ!? 阿呆かてめェはッ! 俺をいくつだと思ってやがんだッ!」
 足を思いきり踏みつけてやろうとしたがかわされた。殴ってやろうと拳を突き出すと、手の平で受け止められる。
 微妙に体を反らしてうまい具合に拳の勢いを殺され、しっかり握りこまれてしまった。風祭は慌てて拳を引こうとしたが、その前に龍斗に顔を近づけられ囁かれる。
「繋がさせてくれよ。……俺は、お前と一緒に祭りが見たいんだ。万が一にもはぐれたりするのは嫌だ」
「……………」
 一瞬気を削がれて風祭が龍斗の顔を見つめると、龍斗は小さく笑って後ろを向き、握りこんだ風祭の手を引っ張った。
「お、おいッ!」
「あそこの鰻は本気でうまいからな、楽しみにしとけよ?」
 楽しげに言って人込みの中風祭をぐいぐいと引っ張る。風祭は人に押されながら、龍斗について人の中を歩いた。人の群れで辺りになにがあるかさっぱりわからない、見えるのは龍斗の背中だけだ。
 引っ張られながらちょっと考えて、渋々拳を握られた形になっていた繋がれた手をきちんと握り直した。はぐれたら困るからだからな! それだけなんだからな! と誰に言っているのかわからない言い訳を心の中で繰り返しつつ。
 龍斗は風祭の握った手を優しく握り返してきた。それだけのことなのに、なんでかそれがひどく気恥ずかしく、顔の赤らむのを誤魔化すようにぎゅっと思いきり手に力を込めた。

「ここだ、ここ。やっぱり同じ場所に屋台出してたな」
 歩くのも困難なほどだった大通りから裏通りに入り、幾分か楽に歩けるようになってしばらくした頃、龍斗がそう声を上げた。
 見ると、なるほど鰻の匂いのする煙をあげている屋台がある。だがずいぶんとしょぼくれた感じのする屋台だ。のぼりも揚げていないし、全体的になんだかみすぼらしい。
「しけたとこだな。ほんとにうまいのかよ?」
「俺はここの親父に鰻のさばき方から教わったんだぞ。ここは京でも一番だ。信用しろ。……おっちゃん、鰻二つ」
 龍斗が声をかけると、屋台の陰に隠れて仕込みをしていた人影がばっと立ち上がって叫んだ。
「ひーちゃん! ひーちゃんちゃうのん!?」
「章坊!?」
 そこにいたのは大体龍斗と同年代ほどに見える若い男だった。驚いた顔の龍斗を見てひどく嬉しそうな顔をした男は、体を乗り出しつつ龍斗にまくし立てるように話しかける。
「帰ってきたんかひーちゃん! もう三、四……五年ぶりちゃうか!? お前がいいひんようになってそらえらい騒ぎやったんやで! 一体どこ行ってたんや、家の方にはもう帰ったんか?」
「待った。ちょっと待ってくれや、章坊」
 落ち着かせるように手で男を制しながら、龍斗は少しばかり慌てた口ぶりで言う。
「なんでお前がそこにいるねん? おっちゃんは?」
「おとうちゃんは一月前腰わるしてしもて、まだ起きられへんねん。それで俺が代わりやれ言われてん」
「そうかいな……」
「それより、なあ! ここにおらんかった間のこと教えてくれや! お前どこ行ってたんや? 何やってたんや? ちゃんと飯食うてたか?」
「章。章坊、悪いけどちょっと待ってくれや」
 龍斗は冷静な口調に戻ると、男をなだめるようにしつつ言った。
「そんな積もる話は近いうち喋りいくし。今は鰻を二人分売ってほしいねんけどなぁ」
「へ? 二人分?」
 その時初めて男は風祭に気づいたようだった。驚いた目でこちらを見つめ、すぐ龍斗に視線を戻す。
「おい、ひーちゃん。誰やこいつ? お前の何?」
「風祭や。風祭澳継。俺の――そやなぁ、陳腐な言葉になるけどな、いっちゃん大事な奴――っちゅうとこかな?」
 それまで二人の京訛りの会話になんとなく言葉を挟めずにいた風祭だったが、これにはカッと顔を赤らめて龍斗に蹴りを入れた。
「こっぱずかしいこと言ってんじゃねェッ! 俺はてめェに大切にされる覚えはねェぞッ!」
「冷たいこと言うなよ〜。何度も何度も言ってるだろ? 俺がお前を大切にしたいんだって。態度でもいつも示してるじゃないか〜」
「嘘つきやがれッ! いっつもいっつも俺がやるなって言ってることばっかやりやがるくせしやがって!」
「しょうがないだろー? お前ってとことん素直じゃないんだから。その分俺が素直に気持ちを表さんことにはどうにもならんだろ?」
「勝手なこと言うなァ――ッ!」
 風祭はまた蹴りを入れようとしたが、今度はあっさりかわされた。めげずに素早く拳、肘、頭突き、踵と次々に流れるような攻撃を仕掛けるが、その全てを軽くさばかれてしまう。
 二人のじゃれあいを呆然と眺めていた男が、おずおずと手を上げて発言した。
「あのなー……ひーちゃん、聞きたいねんけど」
「なんや?」
「これってまあゆうたら……本気≠チちゅうこと?」
 龍斗はその言葉に、微笑んでうなずく。
「ああ」
「………そうかー」
 男はばりばりと頭をかくと、にっと笑みを浮かべた。
「よっしゃ! そしたら、ひーちゃんが本気の相手見つけられた記念や! 一世一代のうまい鰻を焼いたるわ!」

 どこに行ってもそんな調子だった。二人はそれからも寿司やら蕎麦やら甘味やら、あちこちの屋台や店を巡って買い食いしまくったが、どこに行っても龍斗は大騒ぎと共に迎え入れられ、驚かれながらも歓迎された。
 それを見ていると、風祭はなんとなく、だんだんむしゃくしゃしてきた。別に龍斗が自分と出会う前どこでどう暮らしていたかなんて自分は興味ないし知りたくもないが(自分だってそんなこと話してないわけだし)、龍斗の京訛りの喋り方を聞いていると腹が立ってきた。
 これは自分の知らない龍斗だ。
 龍斗は自分の知らないところでも生きてて、人気者で、楽しくやってたんだってことをこんな風に見せ付けられると、なんだか――
 苛々する。
 怒りをそのまま直截に表すのもなんだか癪で、歩きながらやたらにがつがつと買ったものを貪り食っていると(苛々してはいたがそんな時でも食い物は龍斗のお墨付きだけあってどれもうまかった)、ふいに龍斗が風祭の顔をひょいと覗きこんできた。
「……なんだよッ」
「すまんな、澳継。お前にうまいものを食べさせてやろうと思ったんだが……落ち着かなくてすまん。俺もこうもみんなが俺の顔がわかるとは思わなかった。お前にとっちゃ、かえって面白くないことになっちまったな」
「……………」
 風祭はぶすっとした顔でそっぽを向いた。
「別に。みんなに歓迎されて結構なこっちゃねェか。久しぶりに会ったんだろ? 話に付き合ってやりゃいいだろうが」
「俺が嫌なんだ。俺はお前と一緒に祭りを楽しみたかったんだ。そうでなきゃこんな街に近寄ったりしなかったさ」
「……………」
 風祭はしつこくそっぽを向きつつ、歯を噛み締めた。どうしてこいつは、こうもあっさりと手札をさらせるんだろう。
 しかもどんなに手札を見せ付けられても、まだ奥がありそうな気がするところがさらにムカつく。
「なあ、澳継。こっち向いてくれないか? 初めて二人っきりで遊ぶんだ、ちゃんと顔を見ながら歩きたいよ」
「……………」
 初めて。二人っきりで。
 これって遊びなのか? 餓鬼みてェなことばっか言いやがる。
 第一お前と二人っきりで遊ぶのの何が楽しいんだよ。旅の間は始終二人っきりだっただろうが。なんの違いがあるってんだ。
 そんな風にいろいろ言いたいことはあったが、龍斗の声があんまり真剣で、龍斗が必死な時と同じ響きを持っていたので、騒ぐのも気が引けて渋々風祭は龍斗のほうに向き直った。
 とたん、満面の笑顔の龍斗にぎゅっと抱きすくめられる。
「やっとこっち向いてくれたな、澳継」
「ぶわっ! 何しやがるッ! 離しやがれッ!」
「ちょっとだけだって。つい嬉しくってさ。お前もちょっとでも俺と祭り見物するの楽しみにしててくれたのかなーと思うと」
「……………」
 ンなわけねェだろッ、と即座に返してもよかった。むしろそう言うべき場面だっただろう。
 ただ、龍斗があんまり嬉しそうに笑うものだから、なんというか、気の迷いというか――とにかくぶすっとした顔のまま、大人しく抱きつかれてしまった。
 龍斗がまた風祭の手を握って、楽しげに笑いながら引っ張る。
「行こうぜ、澳継! 山鉾見物の穴場に案内してやるよ!」
「……………」
 風祭はぶすっとした顔のままついていく。何浮かれてやがんだボケ野郎、だのいちいち鬱陶しいってんだよッ、だの頭に思い浮かぶ言葉はあったがなぜか口から出なかった。
 そんな風に心の中で龍斗を罵っているうちに、いつの間にか風祭の苛々は、消えてなくなっていた。

「うおッ! でっけぇッ! すんげえ派手だなッ!」
「だろ? 和蘭渡来の織物やら西陣やら綴錦やら、京都人が貯め込んだ織物やなんかをここぞとばかりに大放出してるからな」
 お囃子の響く人込みの中を歩きながら、山鉾を見て回る。
 龍斗の話す祭りのこぼれ話や解説なんかを聞きながら、祭り真っ盛りの街を歩くのは楽しかった。珍しいものを見るのは好きだ。
 手を握られている気恥ずかしさや腹立たしさをいつの間にか忘れて、風祭は龍斗の手をしっかり握りながら街の中を歩いた。
 話しながら歩いていると、ふと、ある大きな店先で見事な蘇芳に染められた布が広げられているのが目に止まった。
 なんとなく、風呂敷にちょうどよさそうだな、と思った。今使っている奴は穴が開いていて、穴をかがって騙し騙し使っている状態なのだ。
 だがこんな高そうな店でほいほい買い物ができるほど路銀に余裕があるわけではない。さっさと視線を逸らそうとしたが、急に龍斗が足を止めたのでやむなく風祭も立ち止まる。
「なんだよ、たんたん。突然」
「ちょっと待ってろ」
 言うやすたすたと風祭の見ていた店に入り、店頭の番頭らしき男となにやら二言三言話をしたかと思うと、銭を渡して引き換えに風祭の見ていた布を受け取る龍斗。
 風祭がぎょっとするのにもかまわず、すっと風祭に掌大に折りこまれた蘇芳の布を手渡す。
「ほれ」
「な……なんなんだよッ! 俺は別にほしいなんて言ってねェぞッ!」
「まあな。でもちょっとだけ欲しそうな顔してたから、つい贈りたくなっちまったんだ。今日の記念ってことで、受け取ってくれ」
「………なんだよ、記念って………」
「俺とお前が初めて一緒に祭りを見た記念とか、遊んだ記念とか。ま、そのへんだ」
「なにがそのへんだよッ! 馬鹿にすんじゃねェッ! 俺は餓鬼じゃねェんだぞッ、物もらや喜ぶとでも思って……」
「んなわけないだろ。俺が贈りたかったんだよ。いうなれば俺のわがままだ、捨てたきゃ捨ててくれ。けど、受け取ってくれたほうがやっぱり嬉しいな。一応、俺それに気持ち込めたつもりだからさ。もし使って大切にしてくれたりしようもんなら、それこそ天にも昇る心地ってなもんだ」
「………………」
 風祭は無意識のうちに布をぎゅっと握り締めていた。
 どうしろってんだよ。
 龍斗は最近よくこんな真似をするようになった。――そう、諏訪の一件から。
 なんの見返りも求めず、風祭がいくら冷たくしてもめげず、ひたすらに風祭に優しくする。甲斐甲斐しく、けれど押し付けがましくなく世話を焼き、優しい言葉をかけ、適度に距離を置いて見守りながら風祭にどうしても助けが必要になった時にはひょいと手を差し伸べるのだ。
 困る。そんなことされたって困る。今までずっと、いやずっとってわけでもないが、ほとんどからかわれて喧嘩して、っていうやり方でしか話をしてこなかったのに。
 こんな風にまっすぐに優しくされたって――どうしていいかわからない。
 なんと言えばいいのかもわからないままじっと龍斗を見上げると、龍斗はぽりぽりと頭をかいて、「あー……」と珍しくはっきりしない声を上げた。
「ちょっと、どっかで茶でも飲むか」

 そこは裏通りの、うらぶれた茶店だった。祭りの喧騒も、店の中まではほとんど聞こえてこないような静かな――と言うより活気のない店だ。
「ここは初めて入る店だから、ゆっくり話ができるぞ」
 その言葉に、風祭は聞きたかったことを聞いていなかったことを思い出した。
「……お前、京の出身だったんだな」
「ああ、この街で生まれて十七の年までここで育った。緋勇の本家がある街だからな」
「……そうなのか」
「ああ……あんまりいい思い出のある街じゃないけどな」
「……そうか」
 しばしの沈黙があってから、今度は風祭から話しかけた。
「……何か話があるんじゃないのかよ」
「ああ、うん。それなんだがな」
 龍斗はしばしあーとかうーとか唸った後、深呼吸を一つしてから一息に言った。
「嫌になったら言ってくれ」
「……なにが」
「俺のことが」
「はぁぁぁ?」
 何を言い出すんだこいつは。
 龍斗はためらいためらい、言葉を探すように間をおきながら言葉を重ねる。
「俺はな、澳継。お前のことを大切にしたいと思ってる。大切にしたいっていうのは守りたいとかそういうことじゃなくて、いやもちろんそれも含んではいるんだが、なんというか……お前の気持ちを大切にしたいと思ってるんだ。勝手な言い草だと思うかもしれんが、お前が気持ちを曲げることのないよう、お前がいつでもお前であれるようできることをしたいと思ってる。だから、もし俺の存在がお前にとって嫌なものになるようだったらいつでも言ってほしいんだ。そうしたら……」
 ばしゃっ。
「あちっ!」
 風祭は中身をぶっかけた湯飲みを置いて、龍斗の胸倉を掴んだ。
 頭にきていた。心底頭にきていた。こんなに頭にきたのは数ヶ月ぶりというくらい。
 胸倉をつかんだまま、今どこにいるかなど頭からすっ飛ばして大声で怒鳴る。
「ざけんなよ、てめェ……俺がいくら嫌だ嫌いだって言ってもしつこくつきまとってきやがったのはどこのどいつだ? さんざんつきまとって俺のこと引っ掻き回して……そんで挙句の果てに俺が嫌だって言ったらはいさよなら、か? てめェは一体何を考えてんだよッ!」
「へ? おい、澳継……」
「ふざけんなッ! 俺はそんなの絶対ェ許さねェぞ! 引っ掻き回すだけ引っ掻き回して逃げられてたまるかッ! 俺から逃げられると思うなよ、そんな素振りでも見せようもんなら地の果てまで追いかけてでもぶっ殺してやるッ!」
「……………………」
 龍斗は胸倉を掴まれたまま無言で立ち上がった。来るか、と風祭は身構えるが、龍斗は茶の代金を卓の上に置くと、ひょいっと流れるような動きに風祭が反応するより早く横抱きに抱き上げてしまう。
「なッ、なッ、何しやがる―――ッ! 降ろせ、降ろせ、降ろしやがれ―――ッ!」
 必死に暴れるが、龍斗はそれを巧みに押さえ込んだまま店を出た。方々から視線が投げかけられるが、龍斗はそれをまるで感じていないかのようにすたすたと歩き続ける。
 龍斗は家と家の間の裏路地に入っていった。通り抜けるのもやっとという狭い路地の奥の方までずんずん進み、一番奥でようやく風祭を降ろした。
 もはや憤死するほど怒り狂っていた風祭は、むろん即座に龍斗に鉄拳を食らわせようとしたが――その前にがばあ! と抱きつかれた。
「澳継―――――っ! 澳継、澳継、澳継―――――っ! 好きだ、好きだ、大好きだ―――――っ!」
「な、な、な………いきなり何しやがんだよッ!」
 がすっ! と顔に拳を叩き込んだ。どすっ! と腹に膝を入れた。だが龍斗はこたえた様子もなく、風祭をかいぐりしながら叫ぶ。
「ああ本当にお前はなんて可愛いんだ、頭のてっぺんから爪先まで全部可愛いっ! 大好きだ澳継―――――っ!」
「やかましいッ! いい加減に離しやがれッ、このボケ野郎―――ッ!」
 さんざん暴れて、ようやく龍斗はちょっと顔を離して風祭と顔を向かい合わせた。
「はー……いいか澳継? 俺は別にお前から逃げるなんて一言も言ってないんだぞ?」
「は……?」
 風祭ははっと我に返ってさっきの会話を思い出した。確かに逃げるとは言っていない、だが――
「あの話の流れからするとそうなるだろうがッ! 俺がお前のことを嫌になったら逃げるつもりだったんだろッ!?」
「そんなわけないだろ」
 あっさり一言。
「俺がお前を置いて自分からどこかに行くわけないだろ。ったく、これだけ一緒にいて俺のことわかってないよな。まあ俺もお前のことは言えんけど」
「………ッ、じゃああの台詞はなんなんだよッ!」
「だからさ。お前が嫌になったら嫌になったところを言ってくれたら、全力で直すからそばにいさせてくれって言いたかったんだよ」
「………………」
 なんだそりゃ。
 脱力する風祭にかまわず、龍斗はまた風祭を抱きしめて顔をすり寄せる。
「ったく、あんな可愛い告白聞かせてくれるんだもんな。理性働かせるのに苦労したぜ」
「はあ!? なんだよそりゃッ。離しやがれッ!」
「俺が逃げたらどこまでも追っかけてきてくれるんだろ? 『お前は俺のもんだ』って言ったも同じじゃないか」
「な………」
 それは、確かにそうとも取れるかもしれないが………
「俺はンな意味で言ったんじゃねェ―――ッ!」
「意識してない分真実の心が滲み出てるよなー」
「勝手なこと言うなッ!」
「……本当に、好きだな。俺、お前のこと」
「………なッ………」
 間近で瞳を覗きこまれながら囁かれ、風祭は硬直した。その隙に龍斗は風祭の尻や背中をはじめ、体中を撫でながら額に、頬に、何度も口付けを落とす。
「こッ、こらッ! なにやってんだッ!」
「お前が好きだなーって思ったら、なんか止まんなくなっちゃってさ」
「やめろ馬鹿ッ! ん、あ、ンッ」
「澳継……」
 龍斗は耳たぶを唇で愛撫した後唇を移動させて風祭の頬の線を舌でなぞり、ぺろ、と唇を舐めた後、ちゅ、と口付けてきた。
 軽い口付けを何度も繰り返し、風祭が空気を求めて口を開いた隙を狙って舌を進入させてくる。舌を絡められて引きずり出され、唇と歯で軽く挟まれ、強く吸う。
「……んッはァ……」
 唇から喉に唇を滑らせ、ときおり吸いながら舌で触れる。鎖骨に軽く歯を立て、着物をはだけて乳首を口の中で愛撫する。
「んッ……くぅ……」
 体から力が抜けてずるずるとへたり込みそうになった風祭を、龍斗は壁に押し付けて支え、そのまま口をさらに下に動かしていく。しゅるりと素早く袴の紐を解いて、褌の上から風祭の一物に軽く口付ける。
 褌をあっという間に解かれ、一物を露出させられた。半ば朦朧として龍斗を見つめると、龍斗はにっと笑いつつ風祭を見上げながら一物を口に含む。
「んぁ……!」
 先端を軽く吸われながら幹の部分をしごかれる。いったん口から出して舌先で上から下まで触れるか触れないかぎりぎりのところでなぞられる。ふぐりを口の中で転がされながら幹を撫でられる。
 そうやって一物を好き放題にいじりながら、ふいに龍斗の指が風祭の後孔に触れた。
「んッ、は、くッ……!」
 龍斗の指はいつの間に薬を塗ったのか、すでにぬめっていた。軽く後孔の周りを揉みしだきながら、後孔に一本、二本と指を侵入させる。
 龍斗によって慣らされた風祭の後孔は、すんなり指を飲み込む。風祭の弱点を的確に突きながら、指は中をかき回し孔を押し広げる。
「や、ん、はぁ、ひんっ……ふぅっ……」
 前と後ろを同時に刺激され、絶頂寸前まで高められた次の瞬間すっと一物から口を離される。後孔を広げる指も微妙に弱点からずれたところをいじくってくる。
 腰に力が入らなくなってほとんど龍斗に倒れこむようにすると、龍斗は欲情に濡れた瞳で風祭を見上げた。
「このまま、抱いていいか? すまん、本気で止まらない……」
「……これだけ好き放題やっといて、今更ぐだぐだ、言うんじゃねェッ……!」
「……それも、そうだな」
 龍斗は立ち上がると素早く袴の紐を解き、褌の横から一物を露出させる。そして風祭の腰と足を抱えてぐいっと持ち上げた。支えを失い、慌てて龍斗に抱きつく風祭をがっしと抱き返す。
 そのまま風祭の体を支えつつ、一息に挿入した。
「はぁ――――ッ………」
 体を支えられてはいるものの、やはり体重のせいで普段より深く挿入される。体内の奥深くを抉られる感覚に、風祭は呻くような声を漏らした。
 ずっ、ずちゅっ、くち、ずぬっ。
 体勢が体勢なのであまり勢いよくは動けないものの、体を少し動かすたびに最奥に龍斗の一物が触れる。体の内部を搾り取られるような、強烈な感覚があった。
「んはァ――ッ、あはぁーっ……ひうっ、ひぃ―――ッ……」
 たまらず口をだらしなく開けて声を漏らす風祭に、こちらも息を荒くして腰を動かしながら龍斗が囁く。
「好きだぞ……澳継っ。好きだ、好きだ……」
「ひっ、あふぅぅっ、くひっ、はァ―――ッ……」
「………お前は?」
「――――…………」
 ほとんど真っ白になった頭に、龍斗の問いが響く。
 風祭は切なげに龍斗の顔を見上げ、息を荒げながらゆっくりと口を開いた。
「――――俺は…………俺――――」
「にゃーご」
 びっくう! と二人は体を震わせた。一瞬経ってから猫の鳴き声だということを理解して体から力を抜いたのだが、そのすぐ後子供の声が聞こえてきて完全に硬直する。
「タマ? タマー? どこー? どこにいるのー?」
「ここの路地に入っていったみたいに見えたけどなぁ。行ってみよ」
 子供たちが路地に入ってくる。つまり、今の自分たちの姿を見られる。
 風祭は惑乱して完全に硬直してしまったのだが、龍斗の行動は素早かった。素早く一物を抜き取りひょいひょいひょいと荷物をまとめて風祭を担ぎ上げ、通常の人間には不可能な大跳躍で一気に屋根の上まで飛び上がる。
 まだ混乱から抜け切れずあわあわしている風祭を抱えながら、龍斗は屋根の上を雲のように走って郊外まで走り抜けたのだった。
 ――着物のあちこちが乱れた、あられもない格好のままで。

 辺りに誰もいない山の中まで走ってきて、ようやく息をついた。
「はー………焦ったぁ………」
 ようやく混乱から回復した風祭が、龍斗をがつんと音を立てて殴る。
「だったら最初っからあんなとこでおっぱじめるんじゃねェッ! 俺の方こそ本気で焦ったんだからなッ!? こ……のッ、恥知らずッ!」
 がつん。また風祭が龍斗を殴った。
「痛っ……わかってる、俺が悪かったよ。……でも、お前も途中からかなりその気だったよな。最終的には許可してくれたし」
 がっつん。
「てめェ……ぶっ殺されてェかッ!」
「殺されたくはないけど……久しぶりにお前の気持ちを確認できたんだ。盛り上がるのはしょうがないだろ?」
「なッ、なんだよ気持ちの確認ってッ……」
 龍斗は微笑んで、風祭の額に軽く口づけして言った。
「俺がお前を好きで、お前も俺を好きだってことだよ」
「なッ―――――!」
 真っ赤になった風祭を、龍斗はそっと叢に押し倒す。顔を近づけて、囁いた。
「抱いてもいいか? 俺の惚れてる、風祭澳継?」
「…………今日だけは、特別に許してやる」
 風祭は龍斗を睨んでふんと鼻を鳴らすと、自分から龍斗に抱きついた。
「……………!」
「祭りの礼だッ!」

 その後当然二人はまぐわったわけだが、龍斗が怒涛のように盛り上がりまくってしまい二人とも腰が立たなくなるまでヤりまくり、その結果動けなくなったところを屋根の上を爆走する龍斗の姿を見かけた緋勇家の手の者に保護されるという事態に陥ったりしちゃうのは、また別の話である。

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