古いドラマじゃあるまいしラブストーリーは突然になんて
 全てが終わって。遺跡もなくなって。
 ――俺はうっかり恋を手に入れてしまった。

「ハローッ」
 ふいにかけられた鴉室洋介(俺はアムさんって呼んでる)の声に、俺は辺りを見回した。予想通り、すぐに数m先の曲がり角から見慣れたヒゲと煙草が姿を現す。
「アムさん。一日ぶり」
「正確には十八時間と四十三分ぶりってとこだな。相変わらず元気そうでなによりだ」
 煙草をくゆらせてにやりと笑うアムさんに、俺も笑顔を返す。
「アムさんもちゃんとメシ食ったみたいじゃん。飢えてた時とは肌の艶が違うもん」
「だぁっ。古い話をいつまでも持ち出すなよ」
「一ヶ月も経ってないぜ? 古いってほどじゃないだろ」
 二週間ぐらい前、俺はアムさんに手料理を振舞ったことがあった。
 なんでも財布を落としたとかでメシが食えなくて行き倒れかかっているアムさんに、余っている食材で適当な食事を作ってあげたのだ。
 アムさんはカツ丼がいいと主張したのだが、俺はむろん鉄拳と共にその主張を却下した。霜降り肉なんてレア食材をそう簡単に使えるか。
「ところでさ。俺と昨日――っていうか今日の夜中別れた時からちゃんと時間計ってたわけ?」
「あ、いや別にそういうわけじゃないぜ。たまたま君と別れた後に確認した時刻がなんとなく頭に残ってて、さっきも時間を確認したからなんとなく計算しちまっただけで」
「なんだ。俺に早く会いたくて何度も時間確認したのかと思って嬉しかったのに」
 俺がちょっと唇を尖らせてそう言うと、アムさんは「あー……」などと言いつつ煙草を上向きにして空を見上げ、半ば呟くようにして言った。
「俺を好いてくれるのは嬉しいが……そういうことをさらっと言われるとリアクションに困るな」
「なんで?」
「いや……」
 アムさんは小さく苦笑した。たぶん俺に聞かせるつもりはないんだろうけど、口の中で「どこまで本気なんだか……つうか、大人なんだか子供なんだか、かァ?」などと呟いていたところをみると、俺の言葉がいまいち信用できないらしい。
 俺はいつでも本気で言ってるのになー。
「――九龍。これから暇か?」
「んー、まあ部屋では一人馬鹿を拷問してる途中だけど、あと三十分ぐらい放っておいても死にはしないだろうから大丈夫だけど?」
「おいおい……犯罪は犯さないでくれよ。誰だその不幸な奴は」
「だから馬鹿。『俺もお前のことが……』だの『愛に生きるのも悪くないさ』だの言っておきながら俺の言葉にちーとも耳を貸さず心中しようとするような奴」
「ふーん……まあ、それならいいか。ちょっと俺の話につきあってくれよ」
「うん、いいよ」
 アムさんは俺を連れて、物陰に場所を移した。言い忘れてたけどここは男子寮とマミーズの間の道、夕食時のことなので人通りは結構多い。あんまり長々話してたら警備員を呼ばれる可能性もなきにしもあらずなわけだ。アムさん基本的にこの学園では不法侵入者だからな。
 誰もいないところまでやってきて、アムさんはいつもの口には咥え煙草、手はコートのポケットの中という姿勢で俺に向き直る。珍しいことになぜか黙ってこちらを見つめてきたので、俺も黙ってアムさんを見返す。
 アムさんはそんな俺を見てふっと笑って、ようやく口を開いた。
「今日は、君にお別れを言いにきたんだ」
「――お別れ?」
 俺は思わず、ぽかんと口を開けてしまった。
「ああ。この学園を霊的発現地点にしていた要因は消え去った。行方不明者たちも帰ってきたしな。事後の調査はルイちゃんに任せればいいことだし、俺がここにいる理由はなにもなくなったわけだ」
「…………」
「ま、これも宮仕えの悲しい定めってな。一つの仕事が終わればすぐまた次の仕事がやってくる。ま、なんだ。俺は有能だからあちこちから引っ張りだこにされてるわけだな、これが」
「………………そっか」
 俺はぽつん、と呟いた。全然予想してなかった台詞だった。
 俺はこの学園でできた仲間たちが好きだ。この学園で過ごしてきた時間は、今までの人生で一番楽しかった。
 いずれはそんなみんなとも別れて、一人でトレジャーハンターとして生きることを決めていたのは確かだけど、卒業までは――この学園を卒業生としてまっとうに去るまでは、今みたいな時間が続くと思ってたんだ。
 だから、アムさんとも別れるとか、そういうことを考えたりしてなかった。――この幸せな時間に浸っていたくて、無意識に避けていたのかもしれない。
 アムさんはあからさまに落ち込んだ俺に、大きく手を広げて呆れたようなポーズを取ってみせた。
「おいおい、なにを落ち込んでるんだ? 俺がM+M機関の異端審問官だって知った時から、いずれこうなることはわかってたはずだろう?」
「……そうだけど、考えてなかった」
「おやおや、もしかして俺と別れるのが寂しくて考えるのが嫌だったとか?」
「―――うん。そうだな………」
「――――」
 素直にうなずいた俺に、アムさんは一瞬目を見開いて、困惑げに空を見上げて頭をばりばりと掻き、それから小さく困ったように笑った。
「そういう風に、素直に口に出しちまうんだから参るよなァ……」
「……アムさんは、俺と別れるの寂しくない?」
「――君は寂しいのか?」
「……うん。かなり、寂しい」
「…………」
 アムさんは一瞬だけ真剣な顔をしてじっと俺を見つめ、それから急ににやりといつもの飄々とした笑みを浮かべて俺に顔を近づける。
「それなら考え直して俺と一緒にM+M機関の異端審問官になっちまうか!」
「それはしないってもう言っただろ。十八時間前に」
「………だ、な」
 ふっと笑って、アムさんは俺から顔を離した。もうすっかりいつものにやにや笑いに表情を戻して、軽い口調で言う。
「ま、君にもいろいろと世話になったが、こちらもそれなりにお世話したからプラマイゼロってことで勘弁してくれ。体に気をつけて、元気でな。それじゃ――」
 そう言ってあっさり踵を返したアムさんのコートのすそを、俺は握った。アムさんが驚いて振り返る。
「………なんだ?」
「アムさん。また会おうね」
「――――」
 目を見開いたアムさんに、俺は真剣な声と表情で心の底から懸命に言う。
「アムさんと俺の道が交差することもあるって言っただろ? 俺もそう思う。組織にいなくても、俺とアムさんはきっとまたどこかで出会うって、出会いたいって俺思ってる。だから、アムさん――」
 八cm差のアムさんの目を、少し潤んでるかもと思える目で見つめながら。
「俺のこと、忘れないでね」
「――――…………」
 アムさんの目が、ふっと和んだ。「まったく君は……」と言いながら、すっとアムさんの手が持ち上がり、俺の頬に触れる。
 人に触れられるのは嫌いじゃない。俺が小さく笑みを浮かべると、アムさんの口元がふっと、見ようによっては苦く思える感じに上がった。そしてアムさんの大きな指が俺の顎をつかんで持ち上げ、アムさんの顔が近づいてきて――
「―――――」
 俺の唇の上に、アムさんの唇が重なった。
「―――………」
 舌は入れられなかった。どころか唇にも触れなかった。ただ唇と唇を合わせるだけの子供のようなキス。
 だけど、俺はなぜか硬直して、目を見開いたまま目の前のアムさんの顔を見つめていた。アムさんの唇は熱いと暖かいの中間ぐらいの温度で、ぎこちなさは感じなかったけど、ただ触れているだけだから技巧的な感じはしなかった。
 でも、俺にはなんだか、気持ちいいと感じられた。
「………………」
 数十秒唇を合わせると、アムさんはすっと俺から離れた。八cm上から俺の目を見つめ、今まで見たことないぐらい優しい目で、ふっと笑って言った。
「またな、ベイビー」
 そして踵を返し、今度こそ振り返りもせず俺のそばから去っていく。
 俺はその姿を、なんとなく呆然として見送った。

 俺は寮の自分の部屋に戻ってくると、本気で泣きが入っていた皆守を解放し、自分の部屋に返してやった。本当ならもうちょっといたぶってやる予定だったんだけど、強烈にその気が失せてしまったのだ。
 ポスターを貼っていない方の窓を開けて、窓の桟に両肘をついて外を見た。そして、アムさんのことを考えた。
 今頃はもう学園を出ているだろうか。あの人はなんのかんの言いつつ有能だから(頭は悪いけど)仕事を終えた場所にいつまでも居残ってはいないはず。
 この学園に来てから、キスされたのは初めてだな。もちろんキスされたのが初めてなんてことはないけど、あんな触れるだけのキスはずいぶん久しぶりだった気がする。
 あのキスはなんだったんだろう。今までありがとう? 親愛の情の証? 愛の証明? そのどれもが正解で、どれもが微妙に違う気がする。
 あれはたぶん、そういういろいろごちゃごちゃした感情全部込みで、それら全部にケリをつけるための――別れのキスだ。
 そうか、アムさんは俺のことが好きだったのか。いや、好きっていうほど純粋なものじゃないかもしれない。けど、広い意味での愛情だけじゃなく、恋愛感情を色濃く滲ませて俺のことを思ってくれたのは確かだと、俺は思った。
 あのキスは、そういうキスだったから。舌を絡めもしない触れるだけのキスだったけれど。
 心臓の鼓動が普段より少し早かった。久々にキスされて興奮してるんだろうか? 欲求不満の猿じゃあるまいし。
 というか……これは、もしかして、胸が痛いって感覚じゃないだろうか。
 それに思い当たって、俺はちょっと愕然とした。おいおいなんだよそれは。キスされて胸が痛いって、それじゃまるで俺がアムさんのことを恋愛感情で好きみたいじゃないか。
 少なくとも最後の戦いの前、M+M機関に誘われた時までは、俺はアムさんのことをそういう意味で好きだったことは欠片もない。それははっきり断言できる。
 今は? 今は―――
 今やはっきりと刺すような痛みを訴えている胸を押さえ、俺はうつむいて頭を抱えた。知らなかった、心が痛いと本当に胸が痛くなるんだ。
 参った。どうやら俺は、さっきのあれで、あの短い会話でアムさんに惚れてしまったらしい。
 遺跡に潜っていた時間を合わせると、アムさんと一緒にいた時間はそれなりにはなるけど。その間に高まっていた恋情がさっきのをきっかけに爆発したとか?
 いや違う、その時間で高まっていたのは親愛の情だ。他のみんなと同じ、大切だという感情。
 だがさっきのあれは明らかに違う。身体の底から湧き上がってきて、胸を痛くさせ体を熱くさせ、顔を見ると心がうわーっと幸せに溢れて去っていくのを見るとしゅーんとしぼむ、あれは。
 つまり俺はあの人にときめいてしまったのだろう。うっかりと。
 俺ははーっ、と息をついてまた頭を抱えた。知らなかった、俺ってこんなにちょろかったんだ。あんなキスと言葉だけで簡単に人に惚れちゃうような奴だったんだ。
 人生は驚きの連続だなぁ、と俺は一人うなずく。それぐらいしかすることがなかった。
 だって、この恋は初めっからかなわないことが決まっている。なにせ全部終わってから始まった恋だもん。
 俺はアムさんの誘いをきっぱり断った。アムさん的にはプロポーズぐらいの気持ちだったんじゃないかって思われる誘いを。
 誘われたあとで恋するなんて俺もつくづく因果な奴だよなー、と思うが、今誘われても俺はたぶん断ったと思う。俺にとって宝探し屋というのは単なる仕事じゃない、生涯の居場所だ。恋し始めの、顔を思い出しただけで胸が高鳴る今の状態ですら、俺はアムさんと一緒に行こうとは思わない。
 その程度の思い、と言えば言ってしまえるかもしれない。アムさんともう会えないかもしれないと思うとむしょうに胸が痛くなるとはいえ。今もアムさんに会いたくて会いたくて、会ったら話したくてキスしたくてもしアムさんがいいならもっと先まで進みたいとか感じてるとはいえ。
 何度も似たようなこと言ってるけど――知らなかった、恋って胸が苦しいんだ。体中が引き絞られるみたいに苦しいんだ。
 そのくせ胸の奥ではほわぁんと一部が解放されていて、気持ちをぶつけたいと跳ね回っている。楽しげに、嬉しげに。幸せで幸せでしょうがないって言っているみたいに。
 俺ってやっぱりちゃんと恋とかしてこなかったんだなぁ。まー我ながら情緒に欠けた育ち方してるから無理もないが。
 しっかし、他にも魅力的な存在はうんとこさいるのになんでまたアムさんに行くかね、俺は。今でも正直言ってどっちが大切? って言われたら他の仲間の方を取っちゃう気がしてるんだけど――ときめいちゃうのはアムさんの方なんだよなぁ。
 そんなことを思いつつ俺はくすくすと笑い、そのあとちょっと声を殺して泣いた。

 二十五日、夜。今日は終業式だった。
 俺は普段と同じ顔をして学校に向かい、みんなをかまって遊んで騒いで、普段と同じように学園生活を送って寮に帰ってきた。
 一人になって、俺はぼうっとアムさんのことを考えた。遺跡がなくなっちゃったから夜は考え事ぐらいしかやることがない。
 今更勉強するのもなんだしロゼッタ協会への報告書もとっくに片づけちゃったし。
 アムさん、今なにしてんのかな。今日は寒かったからな、いつものあの格好じゃ風邪引くんじゃないだろうか。風邪引いたら看病してくれる人とかいるのかな。一人暮らしだとは言ってたけど。
 俺が看病してくれーっていう連絡貰ったらどうするだろう。そりゃ看病はするよな、好きな人の面倒を見れるのは嬉しいし。けど学校と行ったり来たりすんの面倒だからこっちに連れてきちゃいそうな気もする。病人に対してひどい仕打ちすんな、俺。
 ちょっと笑って、またアムさんのことを思う。アムさんの顔、体、匂い、声。そんなものを繰り返し思い返して反芻する。
 あーくそう、会いたい。阿呆なこと考えてるなってのはわかってるけど会いたい。
 ちくしょー、なんでアムさんは今ここにいないんだ。会いたい会いたい会いたい会いたい。胸が痛いじゃないかばかやろう。責任取れって言っても困るのはわかってるけど、言うつもりなんかないけど、それでも惚れさせた責任ぐらい取れとか心の中でぐらい言いたい!
「あーもうっ、アムさんのバカバカバカバカっ………!」
 隣に聞こえないように小声で言った時――窓がこんこんとノックされた。
「!」
 俺は瞬時に窓に走り、そこにいた人間が予想通りの人物であることを確認して窓を開ける。ここは三階なんだけど、さすがというべきかうまいことバランスを取って窓の外にぶら下がっていたその人物はひょいと中に入ってきた。
「ふー……やっと落ち着いた。なんだ暖房つけてないのか? もう年も終わるんだぜ、コタツないんだから暖房くらいつけろよ」
「……アムさん……どうしたんだよ?」
 そこにいたのは、やっぱりアムさんだった。昨日と変わらないヒゲに煙草にグラサン。寒そうに手足を擦り合わせている姿は、思い描いていたアムさんそっくりそのままだった。
 俺が妙に感動して、小刻みに震えていることなんか気づきもしないで、アムさんは気楽に笑う。
「いやなー、実はちょっと今夜泊めてもらいたいと思ってさ」
「え……」
 思わず硬直してしまう俺にかまわず、アムさんはへらへら笑いつつ言う。
「まあ情けない話なんだが恥を忍んで言うとな、この調査で長い間借りてた部屋留守にしてて、うっかり家賃払い忘れててな。今日久しぶりに帰ってみたら家賃滞納で荷物ごと追い出されちまってたんだよ。まあもともと大してものを持ってるわけじゃないから荷物のほうは構わないんだが、とりあえず今日寝る場所がなくてさ。仕事の方もしばらくは休暇をもらえるって話だし、急いで部屋探しするから、数日……せめて一日だけでも泊めてくんないか? 頼む!」
 へらへらしながら両手を合わせて拝むアムさん――
 それが本当だとしたら確かに情けない。けど、俺は、心底嬉しかった。
 アムさんとまた会えて嬉しい。一緒にいられるのが嬉しい。どこかに泊めてもらうって時に、最初に俺のところに来てくれたことが嬉しい。
 俺は思わずにっこーっと満面の笑みを浮かべて、大きくうなずいていた。
「いいよ。とりあえず俺が卒業するまではこの部屋、好きに使っていい」
「おぉ!? ホントか!? 気前いいなァ、冗談だったとか言うのはなしだぜ!?」
「言わないよ。その代わり――」
「その代わり?」
「五分の間だけ、じっとしててくれるかな? 俺が何しても動かないで」
「…………ほう。面白いじゃないか、俺は構わないぜ」
「ありがとう」
 俺はすっとアムさんに近寄り、目を見上げてにこりと笑って言う。
「今から、五分」
 言うなり、俺はアムさんに抱きついた。
「!」
 びくりと震えるアムさんに、「動かないで」と小さく囁く。
 俺は五分の間、たっぷりとアムさんを堪能した。ぎゅっと背中に腕を回して抱きしめて、顔を胸に摺り寄せて、顎におでこをくっつけて。
 顔をのぞきこんで、思う存分その表情を堪能して――
 固まったまま俺をじっと見ているアムさんの顔を見て、俺はふーっと「キスしたいな」と思い、それを実行に移してしまった。
「……ん……」
「…………!」
 ちゅ、と唇を合わせて。我慢できなくて舌もちょっと入れてしまった。アムさんの煙草臭い舌と口の中を、軽くではあるけど舌で舐め、ねぶる。
 いっそのことこのまま押し倒しちゃいたいな、とも思ったけど、いきなりそんなことをするのははしたないと思われそうな気がしてやめておいた。
 五分のタイムリミットぎりぎりで口を離して、俺はなんともいわく言い難い顔をしているアムさんを見上げ、嬉しさをまんま表した表情で笑った。
「えへへ。幸せー」
「………………」
 そう言ってまたすりすりと顔を胸に摺り寄せる。
「? アムさん? もう動いてもいいんだぞ?」
 相変わらず硬直しているアムさんを不審に思って見上げると、アムさんはぎゅっと顔をしかめてこっちを見下ろしていた。
 やっぱりいきなりあんな行動してはしたないって思われちゃったのかな、と不安になった瞬間、今度はアムさんがいきなり俺をがばっと抱きしめてキスをしてきた。
 それもこれでもかってばかりにねちっこいキス。唇を吸い、舌で口中を舐め回し、脚の間に脚を割りこませて押し付け、れろれろじゅぷくちゅじゅるじゅぱ、とかすごい音を立てながらアムさんは俺にキスをした。
 俺もうわ、アムさん俺にキスしてくれてるしつこいキスだけど嬉しーい、とか思いつつ舌を絡め返し――たぷり数分間キスしてから、アムさんは唇を離した。
 俺はぼうっとして(別に感じてぼうっとなったってほどうまいキスじゃないんだけど、気持ちが篭ってるとやっぱり違う)アムさんの顔を見上げる。アムさんはちょっと得意そうに笑って言った。
「これが大人のキスだ」
 ぷっと俺は思わず吹き出した。あれはむしろ親父臭いって言った方がいいキスじゃないかな。それに大人って胸を張れるほどテクニックがあるわけでもないのに。
 俺は「こら、なにがおかしい」とか睨まれながらもくすくすと笑っていたんだけど、ふいにぽろっと涙をこぼしてしまった。
「!? おい、どうしたんだ……?」
「え。あれ、これは」
 などと言いつつ涙は止まらない。本格的に泣けてきた。うわー俺馬鹿みたい、と思いつつもアムさんを見上げて笑ってみせた。
「ごめん……なんだか、幸せで………」
「…………」
 アムさんは一瞬固まったんだけど、すぐにすっと腕を伸ばして黙って俺を抱きしめてくれた。俺は幸福感を感じつつ抱き返し、アムさんの胸の中で笑みながら涙をこぼす。
 涙がだんだん落ち着いてきた頃、アムさんが思わずといったように言った。
「参ったな」
「……なにが?」
 顔を見上げて訊ねる。アムさんは苦笑気味に答えた。
「……君、可愛いな」
「え……」
 そういうことを言われたのは、ずいぶん久しぶりのような気がした。
 思わずちょっと照れてしまう俺に、アムさんはにっといつもの飄々とした笑みを浮かべると、俺をひょいと担ぎ上げてベッドに放り投げる。
 え。これは、まさか、もしかして。
 などと思う間もあらばこそ、俺の上にコートを脱ぎ捨てたアムさんがのしかかってくる。うわ、いきなりこんなことになっていいのかな、とちょっと慌てる俺をよそに、アムさんは俺の耳たぶをちょっと甘噛みして囁いた。
「九龍。愛してるぜ」
 後半は聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で。俺はうわ、とかなり照れたが、アムさんも平気な顔してるけどかなり照れてると感じられた。
 だからってわけじゃないけど、俺は俺の服を脱がそうとしてるアムさんの耳にちょっと口を近づけて、小さな声で「俺も」と囁いたのだった。

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