――その日は、その時まではすごく楽しかった。 ことのきっかけは、遅い朝食を食ってる時のアムさんの一言だった。 「九龍。今日はお兄さんとデートしないか?」 いつものにやり笑いを浮かべながらの一言に、俺は思わず口の中のものを飲みこんだ。 「……デート?」 「そ。午後からだけどな。お兄さんの知ってるいいとこに案内してあげようと思ってさ」 「…………」 「いやかな?」 苦笑するアムさんに、俺はぶんぶか首を振る。 「そんなことない絶対ない! 行く、絶対一緒に行く!」 「……そうか」 アムさんはなんだか少しほっとしたような顔をして、それからにやりと笑ってみせた。 「まあ心配はいらない、なにもかもお兄さんに任せておきなさい。きちんとエスコートしてやるから楽しみにしてろよ?」 「うん! うわー……どーしよ、すっげー楽しみ……デートなんて生まれて初めてだよ……」 そう言うと、アムさんは目を丸くした。 「……君、デートしたことないのか?」 「うん」 「今まで誰かとつきあったことぐらいあるだろう」 「ないよ。恋人になってくれたのはアムさんが初めて」 アムさんは少し黙って、頭をかいた。なんだかずいぶん、照れくさそうに。 「……それじゃあ、責任重大だな」 「なにが?」 「今日は最高のデートにしてやるよ」 「うん、楽しみにしてる!」 待ち合わせ場所――新宿駅改札に制服姿で現れた俺に、アムさんは煙草を取り落とした。 「? どうしたの?」 「九龍……君なァ。普通デートっつったら私服だろ」 「そうなのか?」 「普通は世界共通でそうだな。……君の私服、けっこう楽しみにしてたんだがな?」 悪戯っぽくそう言って苦笑するアムさん。……この言い方だと……本気で楽しみにしてたのかも。 「ごめん……俺、学校で支給される以外の服って持ってなくて……」 俺がうなだれてそう言うと、アムさんは目を見開いた。 「って……君、三ヶ月前にこの学校に来たばかりだろう? 学校に来るまでの服は?」 「いやー、俺ここに来る直前砂漠で遭難したのを病院に担ぎこまれたとこだったからさ。着てた服は汚いってんで捨てられちゃったし、そのあとは病院服着てたんだ。パンツはさすがに買ったけど、私服って学校では使わないから……」 「…………」 アムさんは沈黙して空を仰ぐ。呆れたのかな、と心配になっていると、ふいに笑顔で俺の顔をのぞきこんできて、にっこり笑った。 「じゃ、最初はそれだな。お兄さんがセンスのいい服をプレゼントしてやろう」 俺は驚いた。 「え、いいよ。だって昨日もプレゼントもらったばっかじゃん」 「なァに、恋人に服を贈るのは男のロマンだ。気にするこたぁないさ」 男のロマンって……男は脱がせるために服を贈る、ってアレ? 「……アムさん、そーいうこと素面で言ってるとまたオヤジって言われるよ?」 「うぐ……」 言葉に詰まったアムさんに、俺は笑いをこぼした。 「嘘。嬉しいよ。恋人に服選んでもらうのって、エッチくさくてやっぱそーいうこと考えちゃうよな」 「こいつぅ……からかったな?」 にやりと笑ってお尻を触ってくる手を、微笑みながら軽くつねって。 「でもホントに買わなくていいよ。俺もちゃんと金持ってきてるんだもん、自分のものは自分で払う。その代わり、選ぶの手伝ってくれよ。どこの店がいいかなんてわかんないから案内してくれよな」 「了解」 手を上げて了承するアムさんに、俺は笑う。 「じゃ、行こっか。エスコートしてくれるんだよな?」 「イエスオフコース、お姫様」 「よろしく頼むぜ王子様。……って言うにはちょっと年食ってるけどな」 「九龍……なにも、こういう時になぁ……」 「うーそだって。怒んないで?」 俺が素早く鼻の頭にキスすると、アムさんはちょっと顔を赤らめつつ困ったような顔をした。 最初にアムさんおすすめの店で一緒に服を選んだ。アムさんの薦める服はどれもみんな派手派手しくて、俺の好みと合わなくてちょっと喧嘩しちゃったけど、そんなじゃれあいもまた楽しくて。 結局選んだ地味なシャツと派手な革ジャンを着てアムさんの隣を歩いた。革ジャンはアムさんの着てるのとそっくりで、好みには合わなかったけど、なんだか嬉しかった。 一緒に街を歩いて。お喋りしながら店をのぞいて。 映画を見て。喫茶店で映画や、他のいろんなこともお喋りして。 冬の陽はすっかり落ちて暗くなった頃。俺はデートってこーいうもんなんだ、楽しいんだなって言うと、アムさんはちょっとスケベったらしいような笑みを浮かべた。 「こういう健全なデートで満足されちまっちゃあ困るな。これからようやく大人の時間が始まるってのに」 「大人の時間、ねぇ」 俺は首を傾げた。 「アムさん、したいの? 昨日あんなにしたのに」 ぶふっ。アムさんは吹いた。 「き、君ねぇ……街中でそういうこと言うなよ」 「恥ずかしがることでもないだろ。たまには外で気分を変えてしたいのかなーって思ったんだけど、違うの?」 「君にとって大人つーのはヤることしか考えてない奴なわけか?」 「そんなこともないけど」 俺は隣を歩くアムさんを見上げて、ちょっと首を傾げ言ってみた。 「アムさん、腕組んでいい?」 ぶは。またもアムさんは吹いた。 「く、九龍……君って、本気で突拍子もないこと言うよなぁ……」 「……イヤなら、いいけど」 「いや、イヤっていうか……どうしてそんなことを思いついたんだ」 俺はアムさんの言葉にちょっと悲しくなりながら、また首を傾げる。 「俺が、腕組みたいって思っちゃ、変?」 「………いや、そういうことじゃなくて……」 「俺は、ただ。アムさんが隣にいて、デートで、一緒に歩いてるなって思ったら、ひっつきたくなっちゃっただけなんだけど。それって、変かな? こういう風に人前で近づくの、アムさん嫌い?」 「いや、そういうわけじゃ……」 俺はアムさんが困っているのを感じとり、うつむいた。 「……わかった。ごめん、俺、アムさんがそういう風に思ってるのわかんなくて。ごめんな、困らせて」 「………九龍………」 アムさんはばりばりと頭をかいて、小さく息をついて、それからおもむろに俺を抱きしめた。 「…………」 ちょっと驚いた俺の耳元に、小声で囁く。 「大人ってのはな、臆病で、どーしても周りの目を気にしちまうもんなんだよ」 「……周りの目?」 「ああ。周囲にかまわずいちゃいちゃってのはできないんだ。でもな、君のことを恥ずかしいって思ってるわけじゃないから」 「…………」 「君に辛い思いをさせるくらいなら、しょーもない恥じらいなんていつだって捨てるから。……だからそんな顔するのはやめてくれないか」 「…………」 俺は自分の顔を撫でた。 「俺、そんなに変な顔してた?」 「ああ。俺のことが好きで好きでしょうがなくて、悲しくて寂しくてたまらないって顔してたぞ」 煙草をぴこぴこ動かしてそう言うアムさんに、俺はあははと笑った。 「俺ってやっぱ正直だなー。好きな人には嘘つけないや」 「……んっとに、照れない子だな、君は」 いい店があるんだ、とアムさんに連れられてきたのは小さなバーだった。時間も早いんで、客は俺たちが最初みたいだった。 「あら鴉室さん! お久しぶり、もう忘れられたかと思ったわ」 そう言ってカウンターの向こうからウインクしてくる女性が一人。この店の女主人だろう。 「悪い悪い、ちっと仕事が長引いちまってさ。でもママのことはいつも考えてたよ〜」 「あらあら、また調子のいいこと言っちゃって、ふふ。……そちらは?」 「あ、こいつは……」 視線を向けられて、俺は微笑んだ。 「俺、葉佩九龍って言います。アムさんにはいつもお世話になってます……こっちもお世話してますけど」 「まあ。でも鴉室さんのお友達にしてはずいぶんお若いのねぇ。失礼だけど、おいくつ?」 「若い男の年を聞くのは、まずい年の取り方をした女性に聞くのと同じくらいのタブーですよ」 すましてそう答えると、その女性は笑った。 「面白い方ね、礼儀正しいのに。鴉室さんのお友達とは思えないわ」 「おいおい〜、そりゃないだろママ〜」 「ふふ」 その笑顔が可愛らしくて、俺はその女性――ママに好感を持った。 それから酒を飲みつついろいろなことを話した。ママはさすがプロというところか、話題が豊富で話していて面白かった。プロの中でも上等な部類だな。 「それでね、そのお客さんが言ったのよ。『あんな最低の女房のいる家に帰るくらいなら死んだ方がマシだー』って」 「うん、それで?」 「で、私がね、『死んだら奥さんにあの世でいびられるわよ』って言ったらもうがっくりしちゃって、やたらとお酒飲んで倒れちゃったのよ」 「はー、なるほどねー……」 「もう、感心されても困っちゃうわよ、ふふっ」 「でも、それって奥さんの問題じゃない気がするな。その人、すごく寂しいって言ってる気がする。どこにも味方がいないって。だから、なんか可哀想だな。自分の味方を作るにはまず自分が誰かを好きにならなくちゃいけないって、その人が感じられるようになれたらいいんだけどね」 「…………」 ママは無言で、大きく目を見開いた。 「どうしたの?」 「葉佩さんって……なんていうか、すごく優しい人なのね」 「俺、別に優しくないよ。幸せな人が好きなだけ。会った人には幸せになってほしいって思うだけ。だからママにも幸せになってほしいって思ってるよ」 「…………」 ママはうつむいた。 「私なんか……幸せになれるような生き方してこなかったし……」 「俺は幸せになるにはどんな生き方をしてきたかじゃなくて今どんな風に生きてるかだと思うけど」 「例えばどんな?」 「そうだな。――俺は、誰かを好きになって、その誰かが自分のしたことで幸せになってくれた時、すごく幸せだなって思うよ」 「私にそんなこと、できるかしら」 「できると思うよ? 俺はあなたと話して楽しいし。人を楽しませることができるのって、人を幸せにする一つの方法じゃないかな。さっきの俺の時間は、幸せだなって思えたしね」 「…………ありがとう」 ママは少し目を潤ませて、じっと俺を見る。俺はにこっと笑って、手を伸ばしてママの頭を撫でた。 「頑張れ。きっと幸せになれるよ」 「……もう……」 ママが泣きそうな顔で口元を押さえる――とたん、店のドアが開いて酔っ払った女性が入ってくる。 「ママ〜ぁっ! 聞いてよあたしの話!」 「あ……純ちゃん、いらっしゃい」 その女性は、ふらふらしながらカウンターに座ろうとしたんだけど、アムさんと目が合ったとたん騒ぎ始めた。 「ちょっとぉ、洋介じゃないのよぉ! なんであんたがこんなとこにいんのぉ!」 「……しょうがねぇだろ、ここは俺にも馴染みの店なんだから」 「うぅ……洋介ぇ〜〜っ!」 その人は泣き叫びながらアムさんにしがみついてくる。アムさんは泡を食いつつもそれを受け止めた。 「おい……どうしたんだよ?」 「あの野郎、あたしの他に女作ってやがったのよぉ〜っ! それもあたしよりずっと若い奴! そいつと今度結婚するって……あたしとは最初から遊びだっただろうって〜!」 「って、また振られたのかよ……」 「ちくしょ〜! あのクソ野郎〜!」 「あーもー、こんなとこで泣くんじゃねえって……」 泣き喚くその女性をアムさんは必死であやした。女性はしっかりアムさんに抱きついて、大声で喚く――ふと、その目が正気に戻った。 「洋介ぇ……」 「なんだよ?」 「あたしたち、ヨリ戻さない?」 「ぶはっ!」 アムさんが吹いた。 「お、お前なぁ……いきなりなにを……」 「アムさん、この人とつきあってたの?」 「い、いや、その、別にそういうわけじゃ……」 「なによぉ! ちょっと前まであたしが振られるたびにヨリ戻そうってしつこくつきまとってきたのアンタでしょぉ!」 「……そうなの?」 「い、いや、そのっ……」 「そんでさ、そのたびに優しく慰めてくれてさ。キスして抱きしめてくれてさ、時にはベッドまで……」 「こら! 適当なこと言うな! 俺は別に、お前に振られてからはお前とは……」 「なによぉ〜っ、洋介の馬鹿ぁ〜っ! あんたはあたしが振られるたびにこうやって……」 と、顔を近づけて熱烈なキスをして。 「……あたしのこと慰めてくれたじゃない〜! あたしなんかもう慰める価値もないってのか馬鹿やろぉ〜!」 「だ、だからなぁ……」 困ったようにアムさんが俺とその女性を見比べているので――俺はその女性に近づいた。 「……? なによぉ、あんた」 「俺は葉佩九龍っていいます。……あなたは今、すごく辛いんですね」 「はぁ……?」 「あなたがどんなに辛いのかは、俺は想像するしかできないけど。でも、大丈夫。あなたがちゃんと食べて、ちゃんと眠って、ちゃんと朝目覚めれば少し楽になってるから。それまでの時間の苦しさに耐える手伝いなら、俺がいくらでもしますよ」 だからアムさんとヨリを戻すなんて考えないでね、今アムさんとつきあってるのは俺なんだから。 という言葉を俺は飲みこんだ。さすがに振られて落ちこんでる人にかける言葉じゃない。 その女性は目を潤ませて、俺に抱きついた。 「あんたって……優しいのねぇ〜〜っ! あんたとだったらあたし、幸せになれるかも……!」 「幸せには自分の力でしかなれないけど……そのお手伝いくらいならしますから。今は好きなだけ泣いていいですよ」 「うっうっうっ……うわぁ〜〜んっ!」 その人は思いきり泣いて、そのうちにばったりと倒れて眠ってしまった。やれやれ。 「ごめんママ、この人の家どこだか知ってる? 送り届けてあげないと」 「大丈夫よ、いつものことだから。奥に寝かしていればすぐ目を覚ますわ」 「そう? それじゃ運ぶよ」 「お願いね、葉佩さん」 俺がその女性を持ち上げようとすると、アムさんが止めた。 「俺が運んでくる」 それだけ言ってさっさと奥へ運んでしまう。なんとなく所在なげにただずんでいると、アムさんはすぐ戻ってきて言った。 「ママ、今日は帰るわ。お勘定頼む」 「あら、もう? 残念、もっとお話したかったのに」 「悪いね。また来るからさ、今度は一人で」 「あら、葉佩さんもご一緒でも全然構わないのに。その方が嬉しいわ」 などと言いつつお勘定を済ませ、俺たちは店の外に出た。 そしてアムさんは、珍しく少し乱暴に俺の手を引いて路地裏に入った。俺もなんだろうと思いつつもついていく。 行き止まりで、アムさんは立ち止まり、手を離してくるりと俺の方を向いた。 「九龍」 「なに?」 「君は………」 そのまま真剣な顔をしてしばし黙りこむ。俺も黙ってアムさんが口を開くのを待った(アムさんがなにを言いたいのかさっぱりわからなかったから)。 やがてアムさんはにやりといつもの笑みを浮かべて、からかうように言った。 「妬かないでくれよ、九龍。あいつとはもうとうに終わった関係なんだからな。そりゃ、君に会うちょっと前まではあとを追いかけてたのは確かだが」 なんだ、それが言いたかったのか。俺はにっこり笑って答えた。 「妬かないよ。妬く必要、全然ないだろ?」 本当は少し妬いたけど。でも、そんなことわざわざ言うことじゃない。今のアムさんの恋人は俺なんだし。 「それより、さっきの人置いてきちゃってよかったの? ずいぶん落ちこんでたみたいだったけど」 俺がそう言うと、アムさんは、ものすごく珍しいことに、しばし無表情になった。 俺が驚いてなにか言おうとすると、その前にふっと、なんだか諦めたように笑って、言ったんだ。 「いいんだ。今日はもう、帰った方がいい。送るよ」 「………………」 俺はちょっと、絶句してしまった。 本当はもう帰らなきゃダメ? とか、もう少し一緒にいたいな、とか、アムさんは泊まってかないの? とか聞きたかった。でも、聞けなかった。 今、アムさん、俺の言葉で傷ついた。 なんでなのかはわからない。でも、アムさんが傷ついたことははっきりわかった。 なんでだろう。俺、なにかひどいことを言ったんだろうか? 俺はそんなに鈍感なほうじゃないつもりだけど、俺はそんなつもりないのに誰かを傷つけてしまうことっていうのは前にもあった。でも、その時もなんでなのかわからなかった。 俺はしばらくしてから、言ってみた。 「……俺、なにかひどいこと言った?」 「いいや」 アムさんは苦笑するだけだった。そうだ、聞いてみてもみんなそうして首を振るんだ。でも、絶対に俺の言葉で傷ついている。 俺はそれ以上なにを言えばいいのかわからず、無言のまま送られて帰ってきた。 おやすみのキスもなしでアムさんと別れ、俺は寮の部屋に帰ってきた。なんでだろう、なにがいけなかったんだろうという疑問で頭の中をいっぱいにしながら。 俺、そんなに悪いこと言っただろうか。俺はただ普通に、いつも通りに話してただけだと思うのに。 それに傷ついたなら、なんで言ってくれないんだろう。俺が悪かったなら言ってくれないと、こっちとしても直しようがないのに。 あー、なんだかすごいブルーかも。今日一日楽しかったぶん、最後のミスで、俺どどーんと落ちこんじゃった。 俺って……もしかして、馬鹿なのかなぁ……。 などと思いつつ寮の廊下を歩いていると、ふいに後ろから肩を叩かれた。 「誰だよ……あ、ナギ」 「よう、九龍。珍しいな、君が俺の足音に気づかないとは」 「あー……今、ちょっと落ちこんでてさー……」 「ほう。そりゃまた、なんで?」 「うん……そんなつもりなかったんだけど、なんでか恋人を傷つけちゃって」 俺の言葉に、ナギは眉をぴくんと動かした。 「ほう……君に恋人がいたとはな。どんな奴だい?」 「あーうん、ナギも知ってるよ。一度だけど一緒に潜っただろ? 俺がアムさんって呼んでた、ヒゲにグラサンの……」 「……あの人か」 ナギは無精ひげをしごきつつ、口の端を吊り上げる。 「君はああいう人がタイプだったのか?」 「タイプっていうか……なんか好きになっちゃったって感じ」 「それはまた、君らしい豪気な話だな。……で、どうしてあの人を傷つけることになったんだい? よければ相談に乗るぞ」 「……そう?」 それは嬉しいかもしれない。こういうことって他人から見たら自明なことってけっこうあるし。ナギはそれなりに大人だから、いいアドバイスをくれそうな気がする。 「じゃあ、聞いてもらってもいいか?」 「もちろん。俺の部屋に来いよ。茶ぐらい出そう」 ナギの部屋にお邪魔して、お茶を飲みつつ俺は今日のことを話した。朝からアムさんが傷ついた時のことまで、詳しく。 ナギは時々質問をはさみながら話を聞いて、話が終わると笑いながら、あっさりと言った。 「簡単じゃないか」 「え、ホント? わかるんなら教えてくれよ、どうしてだか」 ナギは笑いやめて肩をすくめ、きっぱり言う。 「妬いたんだろう」 「……えーと。誰が誰に?」 「鴉室氏がその女性たちに」 ……………… 「なんで?」 「わからないのか?」 「正直いまいちピンとこない」 ナギはふ、とわずかに笑んで(……面白がってんのかな? それとも、なんか、怒ってる……?)、言った。 「君はずっとママさんと話してたんだろう?」 「うん」 「鴉室氏の過去の女性が来てからはその女性に優しい言葉をかけた」 「うん。それが?」 「デートの最中に女とばかり話しているから、妬いたのさ」 ……………… 「はぁ?」 俺はちょっと呆れた。 「そんなことで? だって普通に話してただけだぜ? 俺から抱きついたわけでもキスしたわけでもない、普通のお喋りじゃん。そんなことで妬くか、普通? ナギの勘違いじゃないのか?」 「そうか? 俺には鴉室氏の気持ちは、非常によくわかるがね」 「どんな気持ちだよ」 「八方美人の恋人を持った男の気持ちさ」 「……俺って、八方美人?」 その言葉は、ちょっと、ショックだった。 「君は意識してそうしているわけじゃないから八方美人というのは当てはまらないかもしれないが。誰にでも愛想を振りまいて、優しくして、親身になる恋人を持てば少しぐらい嫉妬深くはなるさ。しかもデートの最中に、自分だけを見ていてほしい時に自分を忘れたかのように初めて会った女性と親しげに、楽しげに話して親身に相談に乗る。しかも過去に恋人と付き合っていた相手に対してだ。鴉室氏が嫉妬して、不安になるのも当然だと思うが?」 「不安、って……?」 「自分があっさり捨てられるんじゃないかという不安さ」 「な……なんでそうなるんだよ!? 俺別にそんなつもりじゃ……」 「君のつもりはそうだったかもしれないが。はたから見たらそう思えて当然だとは思わないか。君はちょっと会っただけの相手にもたやすく心を預けて愛情を注ぐからわからないんだろうが、恋人というのは基本的にただ一人の人なんだ。特別扱いするし、されたいと望むのが普通なんだよ。なのに君は恋人以外の人間にも当たり前のように、恋人のように優しく接する。おまけに目の前でキスされても悋気の欠片も見せてくれない。それじゃあ恋人も不安になるだろうと俺は思うが?」 「でも、それじゃ……人に優しくするなっていうのか? そんなの無理だよ。俺、間違ったことしてるつもりは……」 「ああ間違ってないだろうな。だが間違ってないからといって人を傷つけないわけじゃない」 「…………」 「はっきり言わせてもらうが――君の行動は、人を傷つける」 その言葉は――かなり、ざくっときた。 「君はちょっとでも好意を持てば誰にでも好きだと言う。君がどんなに真剣に言っていようと、会う人会う人に好きだと言っていれば近しい人はこう思う。『この人は自分のこともさっき会ったばかりの人間と同じ程度にしか思ってないのではないか?』ってね」 「…………」 「どんなに愛し返しても特別扱いはしてくれない。その他大勢より近づくことができない。なのに愛情はどこまでも深く注いでくれるから離れることもできない。正直、君の愛情は始末に悪い」 「……俺が人を好きになるのって、駄目なのか?」 ナギは苦笑した。 「駄目とは言ってないがね。君が新しく人を好きになるたび、傷つく人間がいることは知っておくべきだと思う。――俺個人としては、誰かを本当に特別扱いしない愛情なんぞ、なんの役にも立たんと思うがね」 「……俺にとってはみんなそれぞれに特別だよ」 「じゃあたとえば、君の目の前に崖から今にも落ちそうになっている人間がいたとしよう。そうだな、甲太郎と鴉室氏では、どちらを助ける?」 「そんなの、両方助けるに決まってるじゃん」 ナギはくっと笑う。 「君の両手は二つしかないんだよ。どちらかを助ければどちらかには遅れる。それともあえて同時に助けようとして両方落とすかい? 最後の最後の究極的な時に、誰を選ぶか。それがわからない愛情など、俺は愛情と呼ばない」 「…………」 「君はもしかしたら、本当に誰かを好きになったことなんて一度もないんじゃないか?」 「………え」 「みんなに少しずつ愛情を与えて、たくさんの人間から愛情を受け取るのが気持ちいいんじゃないか? だから一人に入れこまないんだ。一人の愛情じゃ満足できないから」 「そういう、わけじゃ……」 「そういうのを、卑怯者と言うんだと、俺は思うが?」 「卑怯者……」 うう。そうじゃないって言いたいけど、どこかでもしかしたらそうなのかもしれないって思ってる自分がいる。 だから、なにも言い返せない。 うわ、どうしよう、悲しくなってきた。本気で落ちこんできた。俺が卑怯者なせいでアムさんや、過去にもたくさんの人を傷つけてきたのかもって思えてきた。 どうしようどうしよう、泣きそうだ。ここ数年、嬉し涙をのぞけば人前で涙なんか流したことなかったのに。 ぽと、と一滴俺の目から涙がこぼれ落ちた、と思ったらもう駄目だった。ぽたぽたぽたぽた後から後から涙はこぼれ落ち、俺はうっくうっくと子供みたいにしゃくりあげながら目を擦った。 くそー、みっともない。それになんか悔しい。きついこと言われて泣くのってホントにガキそのものじゃないか。 「――鴉室氏は思わないのかな」 しばらく泣く俺を黙って見ていたナギが口を開いた。 「……なに?」 「君の泣く姿を見て」 「なんて?」 「―――もっと泣かせたくなる」 言って、ナギは俺の唇に口付けた。 「――――!」 俺は反射的に暴れようとした。だがその前に口の中にナギの熱い舌が入りこんでくる。 暴れると噛んでしまいそうで動きを止めると、いい気になってナギの舌は俺の口の中で暴れまわった。時には軽く、時には激しく、舌を絡め歯の裏をなぞり軟口蓋と硬口蓋をつつく。 頭を引こうとしてもしっかり押さえられていてできない。力自体はナギのほうが強いのだ。 そのうち、なんだか頭がぽうっとしてきた。口中を攻められ、体を密着させられ、尻やら太腿やらきわどい部分を撫でられていると、悔しいがだんだん感じてきてしまう。 ―――ナギ……キス、うまい………。 時間の感覚が失われてきた頃になってようやく唇を離すと、ナギは笑った。うさんくさい、けど妙に爽やかな笑顔で。 「感じやすいんだな? ここがもう硬くなってるぞ」 「……別に、そういうわけじゃ」 「じゃあ俺に対する愛情かな。俺のことも抱かれてもいいと思うぐらいには愛してくれているわけだ」 「違う!」 俺は立ち上がろうとしたが、ナギはしっかり抱きしめてその動きを封じた。そしてにっと笑う。 「君のことだ。俺を愛してないとは言えないだろう?」 「――それは………」 「俺は君を抱きたい」 見事な直球ストレートに、どきんと心臓が跳ねた。 「………なんで?」 「なんでだと思う?」 うさんくさく笑って、また唇が降りてくる。抵抗しなきゃ、抵抗しなきゃと思うけど、なんだか、体が動かない―― またキスされた。唇を軽く噛まれて、その跡を軽く舌がなぞり、口中に侵入してくる。 ――気持ちいい。ナギの舌は、俺の気持ちがいいところを、自分でも意識していなかった性感帯を次々と突いてくる。強く、弱く。優しく、激しく。緩急取り混ぜた俺好みのキス―― ぼんやりした頭で必死に考えた。なんで抱きたいかって、普通は好きだからだけど。こんなにくそみそ言われても、ナギは俺のことが好きだって気がするから不思議はないと言えばないんだけど。 不思議がないのか? それじゃあ俺はナギが恋愛感情で俺を好きだったと感じてたのか? なのにそれを無視して友達をやってたのか? 違う、違うはずなのに、『そうかもしれない』なんて思えてきて、自分がすごく汚い人間みたいに思えてきて、なのに体は気持ちよくて、俺は混乱の涙を一筋流した。 唇を離すと、ナギはふっと笑って手際よく俺のシャツを脱がせていく。俺は止めなくちゃと思って力の入らない腕でナギの腕をつかんだ。 ナギが手を止めて、俺を見る。俺も見返し、言った。 「……駄目だよ」 「なぜ?」 「だって……」 アムさんが傷つくから。 明確なはずのその言葉が、なぜか口から出なかった。 それを察知したのか、ナギがふ、と笑って言う。 「鴉室氏に気兼ねするか、さすがに」 「…………」 「じゃあこうしよう。鴉室氏に操立てする気なら、君は必死で抵抗しろ。君が本気で抵抗すればさすがにレイプなんてできないだろう」 「レイプ、って……」 「そして俺に対する愛情でも友情でも同情でもなんでもいい、それが俺を受け容れる方向に一瞬でも針を振れさせたなら――素直に俺に抱かれるんだな」 「…………そんな…………」 そんなむちゃくちゃな話ってない。どっちでもやめてはくれないってことじゃないか。それに一瞬でもそう思っちゃったら抵抗するななんて―― ナギはあっという間に服を脱がせていく。上半身を脱がせてすっと俺の肩にキスを落とし、体のあちこちを触りながら今度は俺のズボンを脱がせていく。その手際は相当場慣れしていることを感じさせて、そして――気持ちよかった。 どうしよう。どうしようどうしようどうしようどうしよう。 俺、流されたいって思ってる。このままナギに抱かれちゃいたいって思ってる。 俺アムさんが好きなのに。今でもそれは変わらないのに。 でも、ナギが、俺を抱きたいって言った時、心臓が跳ねたんだ。ときめいたんだ。ナギのキスが気持ちよくて、ドキドキしちゃったんだよ。 すごく、カッコいいって、心底から思っちゃったんだ。 「あ……!」 ナギの手が、パンツの上から俺のペニスに触れた。すぃー、すぃーと焦らすように撫でる。その焦らされ方に興奮して、ペニスがどんどん硬くなってくるのがわかった。 ナギの熱い舌が俺の耳を舐める。耳の中に舌を入れられて、耳たぶを口に含まれながらぴちゃぴちゃ音を立てられた。聴覚と触覚、二つからの刺激にゾクゾクする。 ぐり、とナギの指が俺のアヌスに触れた。中にまで入れはしないけど、アヌスの周辺と入り口を、力強く刺激する。中にぐりっと指を差し込まれた時、体中が震えるのがわかった。 気持ち………いい………。 俺の目から涙がまた一筋こぼれ落ちる。俺はナギの顔を見上げた。 それに気づいたナギは、ふっと、さっきまであんなに意地悪なこと言ってたとは思えないほど優しい顔で、笑って俺の目尻を拭ってくれたんだ。 「ナギ……」 言うと、ナギは優しい顔のまま、ちゅっと俺にキスをして、本格的に下半身に愛撫を始める。 俺は、それを押しのけようと手を伸ばし――ぱたんと、途中で落とした。 ごめん、アムさん。俺、本当に最低の卑怯者かもしれない。 |