好きも嫌いも愛しかないそれが家族と誰かが言った
 プルルルルルッ。プルルルルルッ。プルルルルルッ。
 最初のコールで目は覚ましたけど、携帯を探すのに手間取って通話ボタンを押せたのは三度目のコールが鳴ってからだった。
 まだ外は暗い。時間を見ると午前五時だ。ったくこんな時間に、と思う気持ちもあるが、この仕事をしてるとそういう常識はなくなってくるので、俺は文句を言わず電話に話しかける。
「もしもし?」
『おう我が愛しのクソガキ、元気にしてやがったか!?』
「…………」
 俺は一瞬黙った。この脳天気かつ野蛮とか粗野とかがさつとかいう形容詞がぴったりくるような口調、時間とか周りの人の迷惑とかをまったく考えてないような声のでかさ、なにより『我が愛しのクソガキ』という呼び名――
「親父!?」
 俺は思わず叫んでしまった。隣で寝てたアムさんが「んん〜?」と寝ぼけ声を上げる。
 慌てて俺は声をひそめ、電話口の向こうにいる親父を叱りつける。
「親父、今どこにいるんだよ!? ペルーの遺跡で別れ別れになってから今まで、何してたわけ!?」
『んん〜? そーだなー、半年前はリズのとこで世話になってたな。あいつはいい女だった……まだ二十三なのに体がいい具合に熟れててよ、乳なんかもうすべすべのぷりんぷりん。アソコの締まりも上等だったし、おクチもお上手でもう……』
「いまさら親父の恋人遍歴聞く気はないっつの。そーじゃなくて、なんで今まで連絡くんなかったんだよ?」
『ったくこのバカボケタコ助はよぉ、情けねえぞ俺ぁ。てめぇはいくつだもう十九歳だろが、その年なら俺ぁもうとっくに親亡くして一人立ちしてたぞったくよぉ。いつまでも俺のあとくっついてこなきゃ生きてられねぇ息子に育てた覚えはねぇぞコラ!』
「俺はまだ十八。そうじゃなくて、心配するだろって言ってんだよ。親父のことだから生きてるだろうとは思ってたけどさ、それでも俺はそれなりに……」
 電話の向こうから大爆笑が聞こえてきた。
『バッカお前、この俺が死ぬわけねぇだろボケタコマヌケ。笑えねえ。俺ぁてめえの葬式に出て俺より先に死んでやんのバーカと大笑いしてやんのが夢なんだよ』
「思いきり笑ってんじゃん……」
 俺はため息をついた。しょせんこの男とまともに話をしようとする方が馬鹿なんだ。
「もういいよ。で? 半年以上音沙汰なしで今日いきなり電話してきた理由はなに?」
『おうそれよりよ、お前ロゼッタに正式に登録したんだってな?』
「うん。祝いにシャンパンでもあけてくれんのか?」
『だぁれがあけるかボーケ。俺ぁいい酒は自分と女のためにしかあけねぇって決めてんだよ』
「そう言うだろーと思った。親父はホント昔っから息子を労わるってことしないよな。俺に愛想尽かされても知らないぞ?」
『おえッ! キショッ! 気持ち悪ぃこと言ってんじゃねぇバカヤロ、息子なんぞに愛想もらって喜ぶ父親がどこにいるってんだ!』
「それが曲がりなりにも十七年一緒にいた親の言う台詞か? 世の中には息子とコミュニケーション取りたい父親がいっぱいいんだぞ」
『うげぇ、俺をんな玉無し野郎どもと一緒にすんじゃねぇったくタコが。てめえが娘だったらそりゃもう蝶よ花よと可愛がって毎日着替えさせてってやったってのに、男に生まれてきやがったのはてめぇだろ』
「別に俺が選んだわけじゃないけど、俺本当に自分が男でよかったと思うよ。女だったら処女は間違いなくアンタに奪われてただろーからな。初めてが親父みたいな人間だったらセックス一発で嫌いになりそう」
『バカヤロてめえ、俺がどんなに優しく女抱くか知ったら……』
「ん……九龍、電話か………?」
「あ、うん……なんでもないから寝てて」
 うるさいかと立ち上がりかけたけど、その前に抱きつかれた。振り払うのはもったいないぐらい気持ちよくて、俺はアムさんに抱きつかれたまま話を続ける。
「で、ホントにどうしたわけ、親父? ……親父?」
『……おい、てめえまた男ベッドに連れこんでんのか?』
「そういう言い方するとまるで俺が色情狂みたいじゃん。少なくともあんたよりはずっと清らかな生活してると思うけど?」
『うっそつきゃーがれ、男女かまわずで特定の相手もつくんねぇで誘われりゃほいほい寝るくせに』
「だからアンタに言われたくない。親父だって男相手にしたこと何度かあるじゃん。それに、今隣にいる人はちゃんと決まった相手なんだかんな」
 電話の向こうが一瞬沈黙した。
「親父?」
『……そりゃなにか? 恋人ってやつか?』
「そうだけど。それ以外になにがあるわけ?」
 そう言うと、親父は大声で、めちゃくちゃわくわくした、言うなれば面白いオモチャ見つけた! という感じの声で叫んだ。
『会わせろ!』
「………はぁ?」
『てめぇみてぇなバカを恋人にするよーなアホな男の面見てみてぇ! すぐ会わせろ今日会わせろぜひ会わせろ!』
「会わせろって……そもそも親父今どこにいるわけ」
『成田』
「………はぁ!?」
『久しぶりに日本に帰ってきたらよ、かーっ! こんな面白イベントが用意されてるたぁなぁ! てめぇに恋人を作るような甲斐性があったたぁ夢にも思わなかったぜ! で、タチはどっちだ? お前か、相手か』
「や、それは相手の人だけど……」
『ぎゃーっはっは、そんじゃ俺はあれか? 花嫁の父か? 娘はくれてやるその代わり一発お前を殴らせろって言うわけか? ぎゃーっはっはっは笑えねえええ! 言いたくねえけどちっと言ってみてえええ!』
「だから思いっきり笑ってんじゃん……だからそーじゃなくて俺の居場所とか」
『じゃ、またあとでな。久々に東京見物してくからよ、夕方の五時頃にな。会う場所やなんかは俺のH.A.N.Tにメールしろ。そんじゃなクソガキ』
 ぷつっ。ツー、ツー、ツー。
 俺はしばし呆然と電話を見やり、ばっと顔を上げて俺にごろごろとなついてくる洋介さんに叫んだ。
「大変だよアムさん! 親父が来る!」
「………んあ?」

「………お前の親父!?」
「うん」
 俺は十時頃だから、たぶん朝昼兼用の食事(やっぱりカレー)を食べる甲にうなずいた。
「半年ぐらい前に一緒に潜ってた遺跡の崩落で別れ別れになっちゃってから行方知れずだったんだけどさ。今日いきなり電話してきて」
「会いたいって言ったのか?」
 ナギが八千穂に習ってかハンバーガーにかぶりつきながら言う。
「うん、まあ俺に恋人ができたっていうのをからかいに来たんだろうと思うけどね。今日の十二時頃にこっちに来るって言ってた」
「会うんすか?」
 夷澤はトレーニングしてもう朝食済ませちゃったみたいで、飲んでるのはミルクだけだ。
「そりゃ、会うよ。半年振りだし、あれでも一応大切な父親だし」
「ふうん……九龍さんの親父さんか……なんか、ちょっと興味ありますね」
 好奇心でいっぱいの目でそういう夷澤に、俺はちょっと苦笑した。
「夷澤が会いたいって言うなら止めないけどさ。俺はやめといた方がいいと思うなー」
「は? なんでっすか」
「絶対夷澤は親父に気に入られるから。そんでかまい倒される。ちょっかいかけるとかセクハラとか絶対するぞ、あの人は」
「…………そういう人なんすか?」
「そういう人だよ」
「九龍、君の目から見て君のご尊父はどういう人なんだ?」
「ご尊父って、ナギ結婚式じゃないんだからさ。親父は、そうだな……」
 ちょっと考えてから、こう言った。
「俺を十倍悪辣にして下品にして女好きにしたような人だ」
『……………』
 なぜかみんな黙ってしまった。
「……つまり、九龍さんのオヤジ版?」
「そのまんまだな……」
「冗談じゃない。こんな奴がもう一人増えるなんて想像しただけで背筋が寒くなる」
「安心しろよ、甲はそれほどはかまわれないと思うから。ただ『なにカッコつけてやがるこのボケ!』って二十発ぐらい殴られるかもしれないけど」
「安心できるかッ!」
「……ところで、鴉室氏はさっきからなにを落ちこんでいるんだ?」
 アムさんは目の前のコーヒーに手もつけず、さっきから両手を組んでうなだれていた。確かに落ちこんでいるようにも見える。
「……落ちこんでるんじゃねぇよ。緊張してるんだよ」
「はァ?」
「……九龍。君は鴉室氏をお父上に恋人として紹介するつもりなのか?」
「………うん。やっぱり今の俺の恋人は洋介さんだし」
「………俺は?」
「え、と、ナギは、その………」
「俺はどう紹介してくれんすか。まさかただの後輩とか言うつもりじゃないでしょうね」
「えと、すごく可愛い後輩。じゃだめかな……」
「はァ!? このオヤジが恋人で俺が後輩すか!?」
「というか、君はまだ九龍となにかそういう関係があるわけじゃないだろう」
「うっさいっすよアンタ!」
「ちょっと黙っててくれ今俺ァ挨拶の言葉を考えてんだから!」
 アムさんの叫びに、甲とナギと夷澤は一瞬沈黙した。
 そしてそれから。
「はあァ? 挨拶だァ? アンタなにカッコつけてんすか?」
「婿が花嫁の父親に挨拶するわけでもないのに、少しばかり自意識過剰なんじゃないですか?」
「というか阿呆だなこいつは。こんな奴恋人にするのも阿呆だしそのくせ父親と会うくらいのことで緊張してるのも阿呆だ」
 いっせいにけなす三人に、アムさんは吠える。
「うるせえッ! 本気で惚れた相手の父親と会うのに緊張しない男がどこにいるッ!」
 ………しーん。
 三が日を過ぎて、寮に帰ってきた生徒もそこそこの数いて、ここマミーズにも何人か生徒がいる。
 そのざわめきが一瞬見事に途絶えた。
 くそ、とか言いつつまたうつむく洋介さんに、俺は励ましの言葉をかけた。
「大丈夫だよ、俺の親父子供は子供、俺は俺って人だから。単にからかいたいだけだから、そんなに真面目に考えると向こうの思う壺だよ?」
「……しかしなァ、曲がりなりにも一人息子を傷物にしちまった手前、男としてやっぱこう……」
「お前みたいないい加減な探偵が言う台詞にしてはやけに殊勝だな」
「だからうるせえっての」
「心配しなくてもいいよ、俺いまさら傷の一つや二つついたくらいで価値が落ちるほどきれいな人生送ってないから。それは親父も知ってるし」
『……………』
 なぜかみんな黙りこんでしまった。

 いろいろ考えて、会見場所はマミーズにした。もうすぐ夕飯って時間だから食事もできる場所の方がいいだろうと思って。
 緊張して貧乏ゆすりするアムさんに落ち着くよう声をかけつつ、俺は親父を待った。
 ………遅い。もう三十分は過ぎてるぞ。そりゃあの人が『男との約束にはいくらでも遅れてよし!』って自分ルール持ってることは知ってるけど、自分から呼び出しといて三十分の遅刻ってのはないだろ。
 まぁあの人のやることで腹を立ててもしょうがないとはいえ、やっぱり面白くないものは面白くない。催促メール送ってやろうかとH.A.N.Tを取り出してぽちぽちやっていると――
 だぁんっ! とマミーズの入り口からすごい勢いで男が一人走りこんできた。俺は即座に席から飛び出すと銃を抜き、席から出ざまの回転で床を一回転して頭の辺りを薙ぎ払った相手の銃弾をかわす。
 むろん向こうもすぐそっちの方に銃弾を向けてくるが、このために入り口から近い、けれど外からは狙えない席を取っておいたんだ。鍛えられた脚力で立ち上がりざまに即座に間合いを詰め、相手の銃を押し上げつつ喉笛に銃を突きつける。
 その男――俺の親父葉佩龍三郎は、やれやれとサブマシンガン――型のエアガンを下ろした。
「ち、予想してやがったか。可愛くねぇ」
「あんたと生まれた時から付き合ってればこのくらいの予想はつくよ。絶対なんかの方法で俺を試してくると思ったから――つーかさ、親父。腕落ちたんじゃないの?」
「バカヤロ、俺の腕が落ちるわけねぇだろ。てめぇの腕が上がったんだよ」
 俺は呆気にとられて親父を見つめた。
「………親父、熱あるの? マラリアとか? もしかしてついにエイズもらって残りの人生悔いのないようにすごそうと――」
 殴られた。かなり本気で。
「ああん? てめぇ俺なめてんか? この伊達男がそんなヘマすると思ってんかコラ?」
「五股がバレて相手の女からかなり長期間命を狙われた人間が言う台詞?」
「それはそれ、これはこれだ。恋の火遊びはちっと危険なほうが面白ぇだろうが」
 そう言ってにっと笑う親父は、半年前と少しも変わらず、悪ガキがそのまま――というより何倍も悪くなりながら育ったような悪辣な笑みを浮かべた。息子の目から見ても年のわりに精悍って言ってもいい面構えと、百八十五cmの長身が、そういう笑みを浮かべるとめちゃくちゃあくどそうに見える。
 ふう、と息をついて銃をしまうと、親父を睨んで言う。
「とにかく、散らかした弾はちゃんと片づけるんだよ。人に迷惑だけはかけるなって何度も言っただろ?」
「てめぇがやっとけ。あ、いやてめぇの恋人にやらせるって手もあんな。父親に認めてもらおうと思って必死でやるぜぇそいつ」
 キシシシ、と笑う親父を一発どつく。殴り返されそうになったけど俺もこの三ヶ月間で体術がかなり上達した、黙って殴られはしない。相手の攻撃をさばき殴り返し、としばし静かな攻防戦が続く。
 先に手を止めたのは親父だった。
「と、んなことやってる場合じゃねぇ。てめぇの恋人になったっつぅ酔狂な男はどこにいんだよ? オラ見せろ早くとっとと速やかに」
 俺はため息をついた。あんたが馬鹿なことしなけりゃもっと早くその話に移れたんだよ、という言葉は言っても無駄なので言わない。
 というわけで、やってきたウェイトレスにコーヒーを注文した親父を連れて、俺はちょっと呆然としていたアムさんのいるテーブルに戻った。
「……これが俺の親父、葉佩龍三郎四十五歳。親父、こちらが俺の恋人の鴉室洋介さん」
「はじめましてお父さん、鴉室です」
 カッコつけて見た目はかなり爽やかにアムさんが手を差し出す。さすがに修羅場を何度もくぐってるせいかハッタリはうまい。
 が、親父はじろじろと洋介さんを上から下まで眺めると、「けっ」と言った。
「けっ……?」
「おい九龍。なんだこりゃ」
「なんだって、アムさん。俺の恋人」
「はぁ――――? アホかてめぇ。俺ぁこんな情けねぇ面した野郎にてめぇをやる気はねぇぞ。ヒゲだしグラサンだし革ジャンだしよー、どっからどう見てもヘタレそのものじゃねぇか」
「………ヘタレ………」
「勝手なこと言うなよ親父。アムさんがどんな人間かも知らないくせに」
「知らなくても顔は見た。男は顔だ。顔がこれじゃあ他がどんだけよくてもしょうがねぇ」
「…………」
「親父の恋人じゃないんだからいいだろ。俺には洋介さんはすごくカッコよく見えるんだからな」
「九龍………」
「けーっ。恋すりゃあばたもえくぼってか? 俺ァそんな甘い恋のしかたをてめぇに教えた覚えはねぇぞ」
「教えられた覚えもないよ。少なくともこの手の話に関しては親父を見習う気はこれっぽっちもないから」
「けっ、真のいい男ってもんを生まれた時から見ときながらなんだその体たらくぁ。こいつと今までの男どもとなにが違うってんだ」
「男ども……?」
 アムさんがぴくりと耳を動かしたような気がした。けど俺は親父との言い争いの真っ最中でいちいち気を回している暇がない。
「全然違うよ。今度は俺が本気で恋してる」
「バーカ、本気で恋してりゃいいってもんでもねぇだろ。これまでてめぇが捨ててきた男どもだっててめぇに本気で恋はしてたが箸にも棒にもかからねえことしかやんなかったろうがよ」
「双方に恋愛感情があるんだぞ、そんなことするわけないだろ」
「九龍、捨てたって……」
「わかるかボケ。てめぇ今まで何人の男に抱かれたか覚えてるか? 五十一人だぞ五十一人。そいつら全員捨ててきたお前が今度の奴も捨てねぇって保証がどこにある」
「少なくとも今は愛があるもん」
「てめぇの愛なんざ信用できるかタコ」
「親父の愛よりは価値があります」
「バカヤロ、俺の愛はベッドでよく効く催淫剤なんだぞ」
「親父って結局それしかないんだよな。ベッド以外でやることないわけ?」
「究極的に持っていくとこはそこだろうが。てめぇだってこんな男の粗末なモンじゃ満足できなくて体が疼くんじゃねぇのか?」
「見たこともないくせに粗末とか言うなよ。そりゃアムさんはブツだって巨根とまではいかないしテクも超うまいとまでは言えないし年のせいもあって絶倫なわけでもないけど」
「ほれみろてめぇは巨根だの絶倫だの匠の技だのをさんざん味わってきたんだから普通の男じゃ満足できねぇんだよ」
「最後まで聞けよ、それでも俺はアムさんとヤるとすごく気持ちいいんだよ。巨根じゃなくても俺のアヌスにはベストフィットするしテクが巧みじゃなくても俺を気持ちよくさせてくれるし絶倫じゃなくても俺がとりあえず満足できるとこまではつきあってくれるんだからな!」
 アムさんを無視する格好になって睨みあう俺と親父――そこに、咳払いが聞こえた。
 洋介さんじゃない。声のしたのは後ろ側のテーブルからだ。
 向かい側の親父もアムさんも一緒に後ろをのぞきこみ――俺はため息をついた。
「なにしてんですかルイ先生……」
「それはこちらの台詞だ。もう少し聞いている人間の身になって話してもらいたいな。こちらにはさっきのような下品な会話には慣れていない人間がいるのだが?」
「……甲に夷澤にナギに……やっちーに幽花まで!? いつ帰ってきたんだよ」
「今朝……ルイ先生に挨拶に行ったら話聞いたから……あのさ、九チャン」
「なに?」
「九チャンって大人な付き合いしてるんだね………」
 顔を赤くしてそう言われ、俺はがっくりとうなだれた。なんつーか、やっちーに言われると自分がすごく汚れてるみたいに思えてしまう……。
 視線をやると夷澤も甲も幽花も微妙に逸らした。ナギは平然と見返してきたけど。
 ……かえって俺の汚れっぷりがあらわになったような……。
「おおっ!」
 親父がふいに立ち上がって、だだだっとルイ先生たちのいるテーブルへ走った。そしてルイ先生を上から下まで眺めてうんうんとうなずきにやけた笑いを浮かべる。
「いいね〜たまらんねチャイナに白衣。乳! 尻! 太腿! 特に太腿、くーっ日本に来てよかったなぁちくしょーめ! どうだいお嬢さん、俺とこれから朝までベッドでボディトークとしゃれこまないか?」
 ルイ先生は無表情で俺を見た。
「龍。殺っていいのか?」
「存分に。生命力はゴキブリ以上ですから」
「あ、あのッ、九龍クンのお父さん! あたし、八千穂明日香っていいます! 九龍クンのクラスメイトで、仲間で……」
 顔を赤くして親父に話しかけるやっちー。……いやだからこれまでの会話でそいつに近づくと危険だってわかんないかな……。
 案の定、親父はじっとやっちーを上から下まで眺めると、叫んだ。
「可愛い!」
「ふ、へ?」
「うおお可愛いじゃねぇか女子高生! 健康的な太腿といい何気に大きいバストといい! スポーティ&キュートってなもんだぜ。そのお団子頭も似合ってんなぁ……おいこら九龍! てめぇなんでこういう子を恋人にしねぇんだよ、こういう子に『お父さん』って呼ばれたり膝枕で耳掃除してもらいてぇー!」
「へ、え、えぇぇ!?」
「親父。純真な女子高生をあんたのエロ妄想に巻き込むな」
「バカヤロ、純真だろうが。お父さんに膝枕だぞ? そーだ今からでも遅くねぇ、今すぐこの子に恋人変えろ!」
「え、え、ちょっと、おじさ……」
「やっちーはホントに純真な子なの! 親父は存在自体がエロなんだから近寄るな!」
「けっ、気取りやがって。……お?」
 今度は幽花に目をつけた。いつものように上から下まで眺め回し、ほほうとうなずく。
「こりゃまた、なかなかのシャンだな。ちょいと触れれば切れるみてぇなとこがまた落としがいがある。お嬢さん、九龍なんぞ捨てて、俺と夜明けのコーヒーを一緒に飲まないか?」
「……え………あの……」
 幽花が困ったように俺を見る。当然だ、いきなり手を握られて肩を抱かれそうになってんだから。俺は親父と幽花の間に割りこんだ。
「いい加減にしろ、馬鹿親父。その美人とみれば口説く腐れた根性なんとかしろよ。幽花は男慣れしてないんだからな」
「アホ、だったらよけいこういういい男に口説かれる経験しとかなきゃなんねぇだろうが」
「親父の色気は玄人向けなんだよ!」
「……九龍さん、ホンットにこの人、九龍さんの親父っすか?」
「ん?」
 親父が夷澤の方を向く。じろじろと女の子たちを見た時よりいくぶん軽く眺め回す。
「んだ、九龍、このガキは」
「アンタにガキ呼ばわりされる覚えないっすよ。俺は夷澤凍也、九龍さんの後輩で、最大のライバルっす。覚えといてください」
「ふーん……」
 しばらくじろじろ見たあと、親父は素早く夷澤に近寄った。そして手を伸ばし――ってヤバ!
「………ッギャ―――――ッ!!!」
 夷澤が絶叫して、だだだっと親父から離れた。そして目を大きく見開いて口をパクパクさせる。
「なッ……そッ……なッ……」
「なーにうろたえてやがんだ男のくせしゃあがって。ちっとチンコ揉んだだけじゃねーか」
「な……なに考えてんすかアンタはァァッ! 痴漢っすかアンタは! 男に……っつうか、男でもッ……あんなとこッ………」
 途中まで言ってカーッと顔を赤らめると、夷澤は親父に殴りかかってきた。
「こ……ッの、変態オヤジッ!」
「おっと」
 夷澤の次々繰り出される拳を軽々とかわしつつ、親父はにやりとやらしい笑みを浮かべた。
「んだこいつ? 面白ぇなぁ、たかがチンコ触られたくれぇで。しかも生でもねぇのによ」
「言うなこのオヤジッ!」
「夷澤ー……腹立てても親父喜ばせるだけだぞー……」
「九龍、てめぇ男選ぶならこういう奴選べよったく。あんなヒゲかまっても面白くもなんともねぇぞ」
「俺の恋人は親父のオモチャじゃない」
「けっ、てめぇみてぇなケツの青いガキの恋人なんざオモチャにしかなんねぇだろうが。……お?」
 親父が夷澤の拳をかわしつつ、片眉を上げた。
「おい九龍。なんだそこのわかめヘアー。お前の知り合いか?」
「誰がわかめだッ!」
「あー、そいつは皆守甲太郎。俺の友達。無気力無関心だけど根っこは妙にお人好しで面倒見いい奴だよ」
「勝手に人の評価を決めるな!」
「ふーん。おいわかめ、このガキ取り押さえろ。さすがにこんなとこじゃ殴り倒すわけにもいかねぇや」
「誰が殴り倒されるかよ!」
「誰がやるか!」
「ち、使えねぇ奴ら」
「じゃあ使えるところを見せるとするか」
 ひょいとナギが動いた。夷澤の後ろから近づいて、ガキッと関節を極める。
「いでっ!」
「ほー、そこそこ使えるな、お前」
「それはどうも」
 ナギは余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
「名前は?」
「夕薙、夕薙大和。九龍の愛人です」
『……………』
 一瞬、見事に沈黙が下りた。
 それから俺に三方から声が飛んできた。
「九チャン、どういうこと!?」
「………九龍?」
「龍……つまり君は、二股をかけているのか?」
「……えー、いや、そのつまり」
「……なんでぇてめぇ、結局一人じゃ物足りなくて男咥えこんでんじゃねぇか」
「いやそうじゃないんだって! 単に二人とも別ベクトルで好きになっちゃっただけで」
「あー、九龍さんそれじゃ俺はどうなるんすか! ちっとも好きじゃないとか言うんじゃないでしょうね!」
「いやそういうわけじゃないんだけども」
「というか、こいつに節操とか誠実さとかそういうものを求めるだけ無駄だってのがわからんのかお前は」
「人聞きの悪いこと言うなわかめ!」
「誰がわかめだ! 妙なあだ名を定着させるな!」
 ぎゃあぎゃあ喚きまくる俺たちの横で、洋介さんはなぜかがっくりとうなだれていた。

 久しぶりにお前の飯を食わせろと親父が言うので、俺たちは俺の部屋に移動することにした。女子もルイ先生の力で見張りを潜り抜け一緒にやってくる。
 なので、俺は今せっせと料理を作ってるとこなわけだが、親父たちはといえば親父の持ってきた酒で酒盛りに突入していた。最初に作った水炊きを囲んで、酒を飲みつつ盛り上がっている。
「えーっ、それじゃあ九チャンそんな小さな頃から遺跡に入ってたんですか?」
「そーなんだよ、ガキのくせして『おとーさんといっしょにいく!』ってしつこくてよぉ。あいつぁこんくらいの頃から遺跡好きで一人嫌いだったんだよなぁ」
「……それは、寂しがり屋、ということではないのかしら……」
「そうともいうかもな。けどよ、あいつ昔っから周りにかまってもらうのがうまくてよ。遺跡近くの村に預けてたらその村のアイドルになってたなんてこともざらだったんだぜ。そのくせ置いてかれるの嫌がるっつーのは、あらもう病気の域だね」
「ふむ……それは私が考えるに、あなたとの分離により九龍が最初の強い寂寥感を感じたためだろう。最初の体験は感情の動きも強い、印象に残るのは当然だ。むしろ健康的な精神活動だな」
 なぜか親父は女子連に囲まれている。俺の昔の話をしてるみたいだ。
「九龍さん、おかわりまだっすか?」
 夷澤はその横でぱくぱく飯を食っている。しっかり親父の話を聞いてるらしい。
「………ふん」
 甲はさらにその横で、カレー味の料理だけをちびちびと食べている。
「………ふむ」
 ナギは後ろの方で、じっくりと盃を傾けながら飯を食っている。顔がなぜか笑ってるから、楽しんではいるみたい。
「…………」
 アムさんはその隣で、ちびちびと酒を飲みながら肩身狭そーにしている。なんだか……落ちこんでるみたい。
「はい、蒸しつくね上がり! ……つーかさ、一応部屋の主は俺なんだけど、俺は食っちゃ駄目なわけ?」
「駄目!」
 きっぱりやっちーが首を振る。
「九チャンに恋人ができたって聞いた時は祝福しなきゃって思ったけど。二股だなんて聞いてないもん。そんなことする子にはお仕置きしなきゃ駄目なんだからね!」
「………はい。すいません」
 俺はしょぼーんと頭を下げる。やっちーには知られたくなかったなぁ、個人的に。
「九龍、私の唐揚げはまだか?」
「私の海藻サラダは?」
「春巻きとパスタとリゾットもまだっすよ!」
「はいはいはいっ。ただいま持って参ります!」
 必死に台所で立ち働く俺を、親父が笑い飛ばす。
「相変わらずモテるなぁ、台所ではよ! え、おい? 感謝しろよ、これもガキん頃から俺が仕込んでやったおかげだぜ?」
「やかましいクソ親父! 包丁の持ち方も教えずに食事作らせてた奴が言う台詞か!」
「習うより慣れろ。試行錯誤の末に自分で身につけたもんが一番身につく。ちゃんと危ない時は教えてやったろうがよ?」
「ホントに危ない時だけな……」
 味付けの仕方も、魚をどうさばくかも、鱗を取るかどうかとかそういう基本的なことさえ親父は全然教えてくれなかった。
 だから最初の頃俺の料理は本当に食えたもんじゃなかったんだけど――それでも、親父は食ってくれたんだよな。
 バカヤロ不味ぃんだよヘタクソもっと勉強しろ役立たず、とかいろいろ言ったけど、絶対に自分で作ったりも他のところで食べたりもせず、俺の料理を食ってくれた。
 だから俺は親父にもっとうまい料理を食べさせてあげようと、必死になって料理を学んだんだ。
 ふぅ、と俺はため息をついて料理を再開した。そしてちらりと親父を見やる。
 親父は女の子たちとお喋りしてたけど、一瞬だけちらりとこっちを見て、目が合った瞬間ぱちりとウインクしてきた。
 俺は苦笑して料理に集中した。親父はホント、こういうとこうまいんだよな。こういうとこだけ。
 いいけどさ。半年間ほったらかされてても、俺は親父が好きだから。

「わーはははは、飲め飲め〜!」
 親父のかなりに酔った声が俺の部屋の中にこだまする。
「んうー……もう飲めねぇ………」
 夷澤はすでに沈没している。嫌がっているところを親父に(ほとんどセクハラというようなことをされながら)かぱかぱ飲まされた結果だ。
 甲はなぜか俺のベッドで眠っている。こいつ酒ほとんど飲んでなかったように思うんだけど。
 女の子たちはもう夜なので寮(ルイ先生は家)に帰り、残ってるのは男どもだけ。起きてるのは俺と親父を除けばナギと洋介さんだけだ。
 その二人は俺と一緒に鍋を囲みながら、無言で酒を飲んでいる。
 俺はえんえん数時間料理を作らされていたんだけど、女の子たちが帰ると親父たちに宴席の方へ呼ばれたのだ。そんで酔った親父にやたらと酒を勧められて、俺はガンガン飲まされている。
 ………ヤバい。酔ってきた。
 俺は酔うとすぐに眠くなる質だ。頭ははっきりしてるつもりなんだけど、カックン、カックンとしょっちゅう頭が落ちる。
「親父……もう、いい。飲めない」
 そう首を振るんだけど、親父はしっかりした手つきでグラスにどんどん酒を注ぐ。
「なぁに言ってやがる。宝探し屋ってぇのはな、どんなに酒飲んでも酔っちゃなんねぇんだ、いつなにが起こるかわからねぇからな。この程度で酔ってちゃてめぇもまだまだ半人前だぜぇ?」
 馬鹿にしたようにそう言われ、俺はムッとしてグラスを乾す。どこで買ってきたのか、上等なブランデーがカッと喉を焼いた。
 ……頭の方もかなり酔ってるかもしんない、俺。こんな挑発に乗るか普通………。
 悔しかったので、ふらふらしながら親父に言った。
「親父さぁ」
「ん? なんだよ」
「聞いた話なんだけど。父親ってのは、成人した息子と酒を酌み交わすのが楽しみなんだって」
「ほー。どこの国の話だ」
「日本だよ……でもさぁ。親父は、俺がちっちゃい頃から酒につき合わせてたよなぁ……相手してくれる女の人がいない時だけ」
「まぁな」
「さみしー奴だなぁ、親父………」
 くっくっくっと笑うとふんと鼻を鳴らされ、さらにグラスに酒を注がれる。俺はまたグラスを乾して、言った。
「俺ってさぁ……親父にとってはずっと足手まといだったんだよなぁ……それはわかってたんだ」
「…………」
「でもさぁ……俺は親父のこと好きだから、捨てられたくなくてさ……それで一生懸命料理の勉強とかしたりしてさ……」
「…………」
「けどそれでもやっぱり、俺は親父にとって邪魔でさ……だからあの時、俺に連絡しなかったんだろ?」
「…………」
「いいんだけどさ……しょうがないから。親父は家族とか好きじゃないもんな……寂しいけど。しょうがないんだけど……」
「…………」
「だから、連絡くれた時はびっくりして。少しは俺のこと、大切に思ってくれてんのかなって嬉しくなって……けど、もし一緒に来いって言われたら、困るなぁって。俺、まだここにいたいって、思うからさ……」
「…………」
 うわぁ、俺かなり酔ってる。自分でなに言ってんのかよくわかんない。結局なにが言いたいんだ俺は。
 黙って盃を乾す親父に、俺はぴとっと抱きついた。
「抱きつくんじゃねぇうっとうしい」
「親父ぃ……」
「なんだよ」
「親父にとって、俺ってなんだったの……」
「…………」
「それがわかったら、またちゃんと、親父と別れて、あげられるのに……」
 かくん、と頭が落ちた。眠気が限界を越えた。俺はまだちっちゃかった頃みたいに、親父の胸の中で眠りについた。

 眠ってるはずなのに、俺は周りで起きたことを妙にはっきり認識していた。もしかしたら夢だったのかもしれないけど。
 親父がそっと、俺を床に横たえさせて言う。苦笑するように。
「決まってんじゃねぇか。てめぇは俺の、最愛のクソガキだよ」
 そう言って優しく頭を撫でた。俺は嬉しくなって「えへへぇ……」と笑いをこぼす。
「……九龍は、本当にあなたを好いているんですね」
 ナギが静かに言った。親父が笑う。
「妬けるか、愛人」
「まあ、少しは」
 すまして言うナギ。アムさんの苦笑する声が聞こえる。
「なんつーか……まるで恋人に言うみたいな台詞ではありましたね。九龍らしいっていや、そうなんですが。親父さんに対してまで照れずに愛情注げるたぁ……」
「アホ。親父さんにまで≠カゃなくて、親父さんだから≠セ」
 親父が笑う。
「なにせ、こいつが愛情の注ぎ方を覚えたのは俺が最初だからな」
「…………」
 親父は俺を胸にもたれかけさせたまま、ナギとアムさんに向き直った。
「こいつ、バカだろ」
「………思考力はずば抜けてると思いますが?」
「タコ、わかってんだろんなこと言ってんじゃねぇ。愛情の注ぎ方の問題だよ」
「…………」
「出会って好感を持った奴みんなに愛振りまいて、しかも広く浅くじゃなくて広く深い愛を与える。助けを求められりゃあどこにでも飛んでいく。みんなに同じ愛情を、ありったけ注ぐ。……そういう始末の悪いやり方しかできなかったんだよ、こいつはな」
「……昔からそうだったんですか?」
「ああ。こいつ顔はわりと普通なのによ、妙な色気があるだろ? それもあってこいつしょっちゅう男だの女だのにつきまとわれてたぜ。だから経験もこの年にしちゃかなり豊富だしな。何度か拉致監禁されたこともあるくれぇだ」
「拉致監禁……」
 洋介さんが声をひきつらせる。親父の馬鹿、洋介さんにはそれは知られたくなかったのに、とか思う。
「――そういうこいつの根っこのとこを作ったのはこの俺なんだよな」
「…………」
「俺ぁこういう奴だからよ。昔の女があんたの子供よって赤ん坊ん時のこいつを連れてきて、目の前で死んで、しょうがねぇから育ててやってはみたけどよ。やっぱどーしてもガキを育てるにゃあ向かねぇ暮らししかできなかったんだよなァ」
「……九龍は、それでもあなたを慕ってると思いますけどね」
「そりゃまぁな。妙なことに、育ててるうちにこいつが可愛くなってきて。それなり大切にゃあ育ててやったからよ」
「…………」
「けど、それでも俺ぁ風来坊だ。ひとつところにゃ留まれねぇ。だからこいつも誰かと親しくなってもすぐに別れにゃならねぇ。だからだろうな……こいつはいつ別れてもいいような愛し方しかできなくなっちまった。今目の前にいる相手、それだけに全力投球する。あとのことや他の人間のことは考えられねぇようになっちまってんだよ、こいつぁな」
「…………」
「だから、別れた。別れなけりゃこいつぁいつまでも俺と一緒にいそうだからな……ひとつところに留まる生き方も選択肢に入れさせてやりてぇと思ったんだ」
「…………」
「そんで、こいつが俺と別れてロゼッタに登録したって聞いてよ。なんでぇ結局こいつも流れ者の生き方選んだのかよって笑えたけどよ、連絡はしなかった。もう一人立ちしたガキをかまう趣味ぁ俺にゃあねぇからな」
「…………」
「それが、仕事の関係でこいつに電話して――恋人ができたっつわれて」
「…………」
「俺ぁ嬉しかったね。こいつにもようやくたった一人の相手ができたかって。俺にゃあそんなもんできたこたなかったからよ、俺を超えてくれたかって嬉しかった。……けど、二股だったんだよなぁ………」
「………すいません。俺に甲斐性がなくて」
「バカヤロ、てめぇなんぞに謝られてもしょうがねぇ。誰が悪いかっつったらこいつが悪いに決まってんだからよ」
「…………」
 ざっ、と親父が姿勢を正す音が聞こえた。そしてすっ、と、あの傍若無人で傲岸不遜で極悪非道な親父が、頭を下げて言う。
「だが、頼む。こいつが自分で恋人なんてことをぬかすのは、初めてなんだ。もしあんたらが、こいつを好いてくれるなら――もう少し、こいつにつきあってやってくれ。このバカなクソガキが、もう少し賢くなるまで」
 しばしの沈黙のあと、二人の返事が聞こえた。
「……頼まれるまでもありませんよ」
「自信はありませんが……俺はこの子が好きですから」
「………すまん」
 もう一度だけ頭を下げて、すっと親父が立ち上がる。
「さて、それじゃ行くか」
「え……泊まらないんですか? 九龍だって寝てる間に別れたんじゃ寂しがるでしょうに」
「けっ、一人立ちした男がその程度で寂しがってどうするってんだ。……第一、そういう時に慰める奴がこいつにはいるだろうが」
 鼻で笑って、そして微笑んで。それからポケットから封筒を取り出して俺の横に放る。
「俺がここに来た本来の用事だ。こいつが起きたら読ませとけ」
「……ロゼッタからですか?」
「似たようなもんだが、違う。こいつの昔の知り合いがトラブルに巻き込まれ、ロゼッタを通じてこいつに助けてくれと依頼をした。遺跡絡みのトラブルだったからな」
「……九龍は、卒業まではここにいると言ってくれたんですが」
「そうか。だが、こいつが知り合いのトラブルを放っておける奴だと思うか?」
 わずかに苦笑する声。
「……それは、無理でしょうね」
「ああ。言った時は心の底から真実のつもりでも、他の奴が困ってたりするとふらふらとそっちに行っちまう。そういうバカなのさ、こいつは」
 くくっと親父は笑ったが、アムさんとナギは笑わなかった。
「ま、うまくいきゃ一ヶ月程度で済む仕事だ。卒業までには帰ってこれるだろ。……お前らが送り出さないのはお前らの勝手だがな」
 きぃ、と部屋のドアが開く音。親父が出て行こうとしてるんだ。そこにアムさんが声をかける。
「――龍三郎さん」
「ん?」
「今度会う時は、お父さんと呼べるようになってますから」
 くくっと親父が笑った。
「てめぇみてぇな息子はいらねぇよ。息子は――一人で充分だ」
 そしてぱたん、と扉が閉まった。
 ――親父。待ってよ、親父。俺まだ話したいことがたくさんあるのに。
 心の中ではそう思うのに、体が少しも動かない。悲しくて眠りながら涙をこぼしていると、その涙がすっと、誰かの指で拭われた。
 あたたかい………。

 準備をしていた俺に、後ろから声がかかった。
「……行くのか?」
 俺はそっちに向き直る。甲が起き上がってこっちを見ていた。
「うん。知り合いが困ってるっていうから、行かないわけにもいかなくてさ」
「……これでお別れってわけか」
「いや。一ヵ月後には帰ってくるよ。一緒に卒業するって約束したしさ」
「他のやつらにはなんて言うんだ。俺はなにも言う気はないぞ」
「心配しなくてもなにも言わずに立ち去ったりしないって。そういうことされんの、俺も嫌いだしさ」
「……大和と探偵はどうした」
「ん。ちょっと別れの挨拶をして、またねって言った」
「…………」
「甲。また、一ヵ月後にな」
「………本当に帰ってくるのか」
「え?」
「一ヵ月後に本当に帰ってこれるっていう確信があるのか?」
 俺はちょっと笑った。前にもこんな話したっけ。
「あるよ。俺、すぐに片づけて帰ってくる」
 ――だって、アムさんとナギが、二人で早く帰って来いって言ってくれたから。
 だから、帰ってくるよ。急いで。力の限り。
 そう、俺はにっこり笑った。

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