君の顔、ぼくたちには見えない
「―――ふぅ」
 グラッドは小さく息をついて、体から力を抜いた。持っていた愛用の槍を(といっても最近ライに買ってもらったものなのだが。襲ってくる敵やはぐれ召喚獣の身ぐるみをはいだり巣をあさったりして得た金は、ライが管理している。最初は道義上どうかと悩んでいたが、もう慣れた)壁に立てかける。
 一応駐在軍人として鍛錬は日課だ。次々襲いくる敵との戦いで、実戦経験はいやがおうにも積めるし今までとは比べ物にならないほど上達もしているのだが、それでもやはり毎日の鍛錬を怠ると体の動きが鈍くなってくる。
 今のように、振るう槍の先も鈍りがちな心境では、よけいに。
 その理由を思い出して、グラッドはずっしりと気分が沈みこむのを感じた。わかってる。自分がおかしいのはわかってる。だが自分だって問いたいのだ。
「……ホント、なんでこんなことになっちまったんだろうなぁ……」

 巡回の最後には、いつもライ(とリュームと御使いをはじめとする仲間たち)のいる『忘れじの面影亭』へ向かう。ここが町外れで最後に持ってくるにはもってこいというのが一番の理由ではあるが、最後にすると昼も夜も遅い食事にはぴったりの時間になる、というのも大きな理由だった。
「お、グラッドにーちゃんだ」
 客足も衰え始めてきた時間になったせいか、専用の椅子に座って休憩していたリュームがぴょいと立ち上がった。
「よう、リューム。今日も繁盛してるな」
 もう食事には遅い時間だというのに、店内は半分以上客で埋まっている。ライの料理を評価してくれる人は、着実に増えていっているのだ。
「まぁな! おかげで注文取りが大変だよ」
「サボってるくせして偉そうなこというなっつーの」
 ぽす、と頭を叩かれて、リュームがむうっと唇を尖らせた。そしてグラッドの心臓が、ことりと音を立てて跳ねる。
「サボってねぇよ! 仕事がなかったから休憩してたの!」
「どーだか。……よ、兄貴。今日も仕事お疲れさん」
 そう言ってにっと笑いかけるずっと面倒を見てきた(見られたというのも確かにあるが)弟分、この宿屋兼食堂の店主ライに、グラッドは気合を入れて笑みを返した。
「ああ。おかげで腹が減ってしょうがないんだ。飯頼む」
「了解。腹の減り具合どのくらい?」
「んー、激減りと普通減りの間ぐらいかな」
「うっし、そんじゃ肉野菜炒めとサーモン漬け丼、それと余りもので悪いけどアロットと卵と細切れ肉のスープでどうだ!」
「ああ、それでいい」
 グラッドがうなずくとライは嬉しげにうなずき返し、周囲の客の皿を回収しながら厨房へと向かっていく。大量の料理の注文に一人で応えるだけでもすごいのに、手が空けば注文取りやお運びもやっている、実際恐ろしいほどの働き者なのだ、ライは。
 そんな彼に「俺のところで飯食ってけよ」と言われたのは一ヶ月ほど前、若い男の客を引っ張る話になって味には嘘をつきたくないと言われた少しあとのことだった。
「兄貴さ、朝飯はまだしも昼飯や晩飯まで手抜きってのはどーかと思うぜ。栄養かたよるだろ。俺のとこで飯食ってけばいいじゃん。巡回のついでにさ。身内価格で割引するぜ?」
「うーん、けどな、俺としては仕事が忙しい分食事はできるだけ急いで済ましちまいたいんだが……」
 それにお前の料理って注文してから時間かかるの多いし腹減ってる時には辛いんだよな、という飲み込んだ言葉を知ってか知らずか、ライはにっと笑んだ。
「そー言うと思って、考えてみたんだよ、いくつか。手早く大量に作れて安くあがるメニュー」
「え……お前、この前言った時はあくまで味にこだわるって言ってたじゃないか」
 グラッドが驚いて言うと、ライは真剣な顔でうなずいた。
「ああ、俺はあくまで味にこだわる。だけど、兄貴が言ってたのと俺のこだわりは、絶対に両立できないもんじゃないと思うんだ」
「はぁ……」
「激安や大盛りとまではいかなくても、安くあがって手早く量が作れて、それでいてうまいメニュー! そーいうのが作れないかと思ってしばらく研究してたんだけどさ、とりあえず試作品がいくつかできたんだ。だからさ、兄貴、試食係やってくんねーかなって思ったんだけど」
 ちょっと照れくさそうに視線を逸らしつつ、目を輝かせてそう言うライに、グラッドはやれやれという笑顔を浮かべて言ってやった。
「しょうがないなぁ。お前がどうしてもって言うんなら、試食してやらんでもないぞ?」
「兄貴……リシェルみたいなこと言うなよ」
「冗談冗談。迷惑じゃないんなら喜んでご馳走になるぞ」
「……迷惑なわけねえって。俺だって、兄貴には世話になってるし……」
 それに、ときっと顔を上げてこちらを仰ぐように睨みつけ。
「それに、兄貴にいざって時にへたれられると困るんだよ。正式な駐在軍人だし大事な戦力だし。兄貴も大人なら自分の栄養バランスぐらいちゃんと整えろよなっ」
「なっ、お前なぁ、俺だってけっこう忙しい身で……」
「そんなのは知ってるよ! だから、ちょっとくらい頼ってくれてもいいんじゃねぇのっつってんの! 兄貴が貧相な飯食ってると俺がヤなんだよ。そーいうこと!」
 わずかに顔を赤らめながら怒鳴るように言うライに、グラッドは思わず笑ってしまった。こいつは本当に子供だ、こんなことでそんなに照れるなんて。
 そんな子供に、もういいといってやりたくなるくらい頑張っている子供にこれ以上頼るのが申し訳なくて、自然ライの店で食事をするのを避けていたというのもあったのだが、それでもライの自分への想いはやっぱり嬉しくて、自然笑顔になって「ありがとな」とぽんぽんと頭を叩いてしまっていた。
 するとライは、少し頬を朱に染めて、「へへへ」と照れくさそうに笑ったのだ。
 その笑顔を見た時、いい奴だな、可愛いな、と胸がほんのり温かくなった。
 ……その時は、それですんでいたのに。
「お待ち!」
 目の前にどんどん、と料理が置かれる。グラッドははっと顔を上げた。その形相に驚いたのか、ライがびっくりした顔で目をぱちくりさせる。
「……なんだよ、兄貴、そんな顔して?」
「……なんでもないさ。なんでもないって」
 苦笑を浮かべる。自分は今ちゃんと笑えているだろうか。
 突然のライの声はひどく心臓に悪かったが、それでもグラッドは必死に平静を装う。そうだ、なんでもないんだ。なんでもない。なんでもないんじゃなくちゃいけないんだ。
「お、今日もうまそうだな! いただきます!」
 グラッドは料理に向き直って食事を始めた。
 フォークを使ってがつがつと丼飯と肉野菜炒めを口の中に放り込み咀嚼する。まだ研究の途中だと言っていたが、出来上がる早さも量ももちろん味も、そんじょそこらの店などでは太刀打ちできないレベルにまで高められている。質量共に文句なしだ。たまらなくうまい。
 ただうまいというのではなく、なんというか、食べていて幸せな気分になる味なのだ。グラッドの顔に自然に笑みが浮かんだ。やっぱりこいつの作る料理を食っている時は、幸福な気分になる。
 そんな自分の前の席に、ライがひょいと座り込んだ。
「? なんだ。こんなところで油売ってていいのか? まだ他にお客いるだろ?」
「兄貴が来てからお客入ってねーよ。兄貴でラストオーダー。どーせだから兄貴が食べ終わってから後片付けするよ」
「……そうか」
 そこに座ってられると落ち着かないんだが、と言いたくなるのを堪えてグラッドは食事に集中した。がつがつ、がふがふ、とすきっ腹に料理を詰め込む。
「…………」
 そんな自分を、ライはなぜだかにこにこしながら見ている。
「……なんだ。俺の食べてるとこがそんなに面白いか? 見飽きてるだろ、そんなとこ」
「んなことねーよ。最近兄貴さっさと食っていっちまうから、あんま見れなくて珍しいんだぜ、俺には」
「……そうか?」
「うん」
 疑問符を顔に浮かべながらもがふがふと食べるグラッドを、ライはひどく嬉しそうに見て、にかっと笑顔を浮かべた。
 一瞬、また心臓が跳ねる。
「へへ、やっぱ兄貴って食べっぷりいいや。見てて嬉しい」
「……そっか?」
「うん。そーいう風に思いっきり食べてくれると、作り手冥利に尽きるよな」
「…………」
 そう言ってへへ、と照れたように笑うライに、グラッドは思わずごくん、と口の中のものを飲み込み、喉に詰まらせて胸を叩いた。ライが慌てて水を差し出してくれる。急いで飲み干してはぁ、と息をついてから、その水がちょうどいい温度にまで冷やされていることに気がついた。
「……お前は、どーして自然にこんなことができるんだかなぁ……」
「は?」
 わけがわからない、という顔できょとんとするライに、グラッドは苦笑する。そう、普通はできることじゃない。本当ならまだ親元で親に甘えてられる時期なのに、そんな素振り毛ほども感じさせず、宿屋兼食堂を立派に経営して、困っている奴らを助けて面倒見て、めちゃくちゃ大変だろうにそんな気配感じさせることすらなく、本来なら面倒を見てやる方の立場にいる自分の栄養状態まで考えて気を配るなんて。
 そんなことにも気付かなかった。いつの間にかそれがライの当たり前の姿のように思っていたんだ。
 十五歳の子供が、そんな風に振舞って無理していないわけがないのに。
「……ごちそうさま。うまかったぞ」
「へへっ、やっぱそー言ってもらえるのが一番嬉しいよな」
 グラッドは勘定をテーブルの上に置いて立ち上がる。
「ライ。あのな」
「? なんだよ、兄貴」
「俺は――」
 言いかけて、やはり思いとどまった。
 彼の努力を無にするようなことは、言いたくない。
「いや、なんでも。また来るよ」
「おう、またよろしくしてくれよな!」

 もう月もすっかり夜空高く上がった帰り道、考えた。やっぱり言ってしまったほうがよかったんじゃないか? 彼にこれ以上無理を重ねさせない方がよかったんじゃないか? と、もうこの一週間何度となく重ねている問いを、えんえんと。
 そしてそのたびに否定する。いいや、駄目だ。あいつはそんなところを、弱みを俺に見せたくないはずだ。
 けれどその答えに対する反問もあってグラッドは混乱するのだ。あいつは本当は誰かに見抜いてほしいと思ってるんじゃないか? 自分が強がってることを、無理してることを誰かにわかってもらいたいと、その荷物を降ろしたいと思ってるのじゃないか? そしてその荷物を少しの間でも引き受けてやれるのは、他の誰でもない、俺なんじゃないか? という言葉が浮かび上がって。
 こんなことを考えるようになったのは、一週間前のことだった。一週間前、苦戦しつつもギアンを追い払って、軍が動く前に全員で協力して騒ぎを終わらせようと誓い合って。
 ふと巡回のついでに忘月の泉に立ち寄った。ライが落ち込んだ時にいつも寄るというそこを、なんとなく見ておきたくなったのだ。
 そして、そこにライがいた。
 グラッドは当然話しかけようと声をあげかけ――そして固まった。ライの表情が、普段とは、今まで見てきたライの表情とはまるで違うものだったからだ。
 闇より暗い、虚ろ。
 それをライの顔に見て、グラッドは愕然とした。ライが、あのいつでも強気で元気な悪ガキのライが、そんな顔をするとは思っていなかったからだ。
 呆然と見つめるグラッドの視線に気付かず、ライは虚ろな表情のままじっと泉を見つめていた。汚れた泉を、ひどくどうでもよさそうに、自分もその泉のように汚れた、誰からも見向きもされない存在であるかのように。
 ライはしばしそうしてひどく虚ろな顔で泉の前にたたずみ、それからパァン! と両の頬を叩いた。
「よっし! 帰って仕事すっか!」
 いつもの元気な笑顔になって戻っていくライを見ながら、呆然と考えた。こいつはいつも、こんな風に一人でここに来てるんだろうか。
 そうしたら気付いた。ライは無理をしてるんじゃないだろうかということに。
 十五歳という年齢からは考えられないくらい一生懸命働いて。遊びたい盛りなのに周りの面倒ばかり見て自分のことは後回しで。
 しっかりしすぎるくらいしっかりしているから、周りから頼りにされて、自分も頼りにしてしまっていたけれど。初めて会った時からこいつは元気すぎるくらい元気な悪ガキだったから考えたこともなかったけれど。こいつは、まだ十五歳の子供なんだ。親がいなくて、たった一人で、寂しいって思って当然なんじゃないか。一人で一生懸命頑張って、頑張り続けて、いつか磨り減って消えてしまうんじゃないか――
 そんな風に思えてから、わかっていたはずの事実が、グラッドにはひどくいたたまれなく思えるようになった。
 ライが笑顔で頑張る姿が、たまらなくいじらしく思えるようになったのだ。
 お前、無理してないか?
 少しは自分のことを考えろよ。
 辛いことがあったらいつでも相談していいんだぞ。
 そんな風に何度も言おうとして、諦めた。無理をしていると気付かれたくないだろうと思ったのもあるが、それよりもあの虚ろな表情。あの圧倒的な絶望の前ではなにを言っても虚しいように思えたからだ。
 ――なにより。
「……抱きしめてやりたい、ぐらいはまだいいけど」
 鬱々と独り言を言う。
「俺の胸で泣かせてやりたいキスしてやりたい体で慰めてやりたい、なんつーのは、いくらなんでも普通じゃないよなぁ………」
 グラッドはそう深々とため息をつく。
 自分はミントが好きだったはずなのに。今だって好きだと思っているのに。女の人が大(いや、男としては普通に)好きだったはずなのに。
 確かに自分はあの瞬間、ライを愛しいと思った。
「試しに抜いてみたら、すっげぇ興奮しちまったもんなぁ……」
 明らかに普通じゃない気持ち。自分の中の弟分に対する醜い欲情。
 それに対する罪悪感のあまり、ライの顔がまともに見れなくなっていることを、きっとライは想像もしていないのだろう。
 可愛いと思っていた、大切だと思っていた。けれどそれだけじゃなく。
 あのたった一人で虚ろに耐えていた少年に、自分がほしいと叫ばせたいと、男としての底の部分ががつりと反応してしまったのだ。
「はぁ……こんなこと考えてること知られたら、ミントさんやリシェルに殺されるよなぁ……」
 それはわかっているのに。間違った気持ちなのはわかっているのに。
 今日もきっとライで抜いてしまうことを確信してため息をつく、グラッド二十四歳秋の宵であった。

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