トレイユで旅立ち
 さわ、と髪を撫でる大きな手に、ライはくすぐったくなって首を縮めた。寝巻き姿のグラッドは、自分のベッドに横たわりながら優しげな表情でこちらに手を伸ばしている。
「なんだよ……兄貴。くすぐったいじゃんか」
「だってなぁ。ライの髪って触り心地いいんだもんな」
「猫みたいに言うなよ」
 膨れてみせつつもライは少し嬉しかった。グラッドが、大好きな人が自分の体を気に入っていてくれるというのはすごく嬉しくてほっとすることだ。
「猫って……まぁ、猫っ毛ではあるけど。俺としてはちょっとお前をその気にさせる意図もあったりしたんだけどな?」
「その気って……っ!?」
 言葉の意味に気付いてライがぱっと頬を染める。グラッドはくす、と笑って上体を起こし、ちゅ、と髪にキスを落とした。
「聞いた話なんだけどな。髪ってのは体の一部なんだって。それも一番最初に見られる分、一番敏感な部分なんだって。だから愛を込めて触ってみたんだけど、気持ちよかったか?」
「な……ばっ……あ」
「ま、都市伝説みたいなもんだとは思ったけどさ。……俺はお前に気持ちよくなってもらえるなら、どんなことでもしてやりたいから」
 に、と笑って今度は耳に。音が響くようにしながら耳たぶを舌と唇で弄ぶ。ぞくぞくっ、と背筋に電流が走り、「ふ、あ」と声を漏らす。そのことがたまらなく恥ずかしい。恥ずかしいのに。耳たぶをしゃぶられただけで『気持ちいい』と感じてしまう自分がひどくいやらしいように感じていたたまれないのに。
 自分の体がこんなになってしまったのはグラッドに馴らされたからだ。グラッドに愛されるように体が変わってきているんだ、とグラッドに言われたことを思い出し、体の底の部分がたまらなく疼いて潤んできてしまう。もっとグラッドに触れられたい、なんて浅ましい欲望が首をもたげてきてしまうのだ。
「……あに、きぃ……」
 情けない声。みっともない声。ねだっている子供みたいなはしたない声。なのにグラッドはいつも嬉しそうに笑んで、キスをくれる。鼻に、頬に、唇に。唇には、特に長いキスを。
 軽く唇をちゅ、と吸って。挟んでつついて軽く舐めて。グラッドは平気な顔でしているその行為に、ライはいつも頭がぽうっとしてきてしまう。グラッドにも気持ちよくなってもらいたくて、不器用に舌を出しても、グラッドの唇で挟まれ撫でられ、舌でつつかれ舐められ絡められ、ライはいつも翻弄された。
 本来ならものを食べる場所である唇と舌が、好きな人に触れられるとどうしてこんなに気持ちいいんだろう。唇を合わせる行為が、舌を絡め合わせる行為が、こんなにも体を熱くさせるんだろう。
 グラッドがぐいっとライの体を抱き寄せた。そっとベッドに押し倒す。グラッドの息が荒くなり、表情が欲情に燃えているのを見て、ライはごくりと唾を飲み込んだ。好きな人が自分に欲情してくれているというのは、嬉しく体に熱を生むことだと、グラッドとこういうことをするようになって知った。
 グラッドが腰をすりすりとライの股間に擦り付ける。ライは「あ、あ」と泣くような声を漏らしてしまった。グラッドのそこが熱い。股間のものが、猛るように固く勃ち上がっているのを体で感じる。自分のそれも、たまらなく熱く、固く大きくなってしまっているのがグラッドには伝わっただろう。知られてしまったことがひどく恥ずかしく、消え入りそうな気分で、なのに。
 たまらなく興奮した。
 グラッドが欲情に濡れた視線を向ける。自分も視線を返す。いいか? とでも言いたげに開いた口に、震えながら小さくうなずいてみせた。
 兄貴の、好きにして。
 その声にならない言葉を聞いたのだろう、グラッドは吠えるような声を上げながらライの寝巻きを引っぺがし――
「パパ――――っ!!!」
 ライに全力で蹴落とされてベッドから落っこちた。
「ミッミッミッミルリーフッ、どうした!? 怖い夢でも見たのか!?」
 竜の姿に変身して窓から乗り込み人間態に戻ってライの上に泣きながら飛び降りてきた我が子の一人至竜ミルリーフを、ライは大汗をかきながら抱きしめた。背中をぽんぽんとしたり髪を撫でたりとしながら必死に服を直すライに気付いているのかいないのか、ミルリーフは泣きじゃくりつつ顔を摺り寄せる。
「あのね、ミルリーフね、お花畑でパパやみんなと遊ぶ夢見てたの、でも途中で低い声で『パパがいなくなっちゃうよ〜どこかに行っちゃうよ〜』って声がしてね、泣きそうになって起きたら本当にパパがいなかったのぉ! それでミルリーフパパのこと呼んで泣いてたら、突然出てきたギアンが『パパのところに連れて行ってあげようか』って」
「………………そうか。ごめんな、ミルリーフ、怖い思いさせちゃって。もう大丈夫だからな」
「うんっ♪ パパぁv」
 抱きつくミルリーフを抱き返し頭を撫でてやりつつ、ベッドの下から伸ばされるグラッドの手をげしげし蹴り落としながらライは怒りで震える唇を吊り上げ笑った。
「リュームとコーラルも一緒なんだよな? じゃあちょっと一緒に部屋の外で待っててくれるか。パパはちょっと話をしなくちゃならない奴がいるからな。それが終わったらミルクあっためてやるから、それ飲んで一緒に寝ような?」
「ハチミツ入れてくれる?」
「ああ、その代わりちゃんと歯を磨くんだぞ」
「はぁい、パパ!」
 にこにこ笑顔を保ちつつ手を振ってミルリーフを見送ると、ライは笑顔を怒りに震わせながら口にする。
「……ギアァン? いるんだよな?」
「なんだい、ライ?」
 さっきまでどこにも姿が見えなかったのに突然ライの隣に座り肩を抱くギアンにライは拳を握り締めた。夜だというのに眼鏡に白コートにロングマフラーといういつもの変質者っぽい格好だ。
「俺お前に何度も何度も何度も言ったよなぁ? 俺が兄貴と一緒にいる時に邪魔したらぶっ殺すぞっつったよなぁ? それとも忘れたか?」
「ああ、もちろん覚えているとも、ボクが君の言ったことを一言でも忘れると思うのかい?」
 無意味に笑顔をきらきらさせつつ(闇夜にどうやってるのか歯がきらりと光った)すっと手を取り顔を近づけてくるギアンの胸倉を、ライは震える笑顔でつかみ上げた。
「あっ、ライそんな、痛い、苦しい、ああでも顔が近い、わかったよ君がしたいというのならそういうプレイも」
「すっとぼけたこと言ってんじゃねぇ。じゃーどーして今回もミルリーフが駐在所に来てるんだ?」
「いやだなぁライ、それとボクにどんな関わりがあるというんだい?」
 ふっと髪をかき上げてみせるギアンに、ライのこめかみの血管は思わずぶち切れた(体感的に)。
「ふざけんなボケ野郎――――っ!!!!」
 ずどがっしゃあっ!!! と駐在所が揺れるほどの渾身の右ストレートがギアンの左頬に直撃した。ギアンは「ぐっはぁっ!!」と呻いて(なぜか幸せそうな笑顔で)窓の外まで吹っ飛ぶ。
 二階から落っこちてずがどぎぐしゃー、と地面を擦る勢いで吹っ飛ばされ、頭からぴゅーと血を流しながらも笑顔を浮かべ続けるギアンに、ライは窓から飛び降りて(忍びの巻物装備)飛び蹴りを放つ。
「何回邪魔すりゃ気がすむんだこのクソタコ野郎! 何日俺が兄貴とヤってねぇと思ってんだ一ヶ月だぞ一ヶ月! お互いの仕事がやけに忙しくなってきた上にお前に邪魔されシンゲンに邪魔され、それでもお互いの都合すり合わせて必死に仕事片付けて、今日この日のために頑張ってきていざ! っつー時にてめぇはあぁぁ!」
 がすがすがすと鉄拳をめり込ませるたびにギアンは「ぐはっぐへっぐぼぁっ」と悲鳴を上げつつのけぞるが、なぜか幸せな笑顔を浮かべっぱなしなのでライの怒りは治まらない。「なにへらへら笑ってやがんだぁぁっ!」と回し蹴りを放ったところに、べべん、と三味線の音が聞こえた。
「惚れて通えば千里も一里〜、逢わで帰ればまた千里〜とぉ」
「シンゲンっ!」
 ぎっ! と殺気を込めて音の主を睨むと、いつも通りの飄々とした眼鏡面がへらりんと笑みながらまたべべんと三味線をかき鳴らす。
「こんばんはぁ御主人。いい夜ですなぁ」
「てめぇふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ……俺は言ったはずだよなぁ。俺らの邪魔すんなよって。ギアンが邪魔するの放っといても駄目だぞって。破ったら白い飯は出さねぇぞっつったよな?」
「いやはや、それは確かにそうなんですが。一応止めようとはしたんですがねぇ。ギアンさんの邪眼でそれはもうあっさりと麻痺させられてしまいまして。いやはや、お恥ずかしい」
「え、そうなのか?」
 じゃあ責めるわけにもいかないか、と納得しかけて気がついた。
「てめぇ全異常無効の大きなうろこ装備してんじゃねーかぁぁぁぁぁっ!!!」
「ああっ御主人っそんなご無体なっ、痛いです本気で痛いですからスイマセンゴメンナサイ」
「ライっ、落ち着けって!」
 後ろからがっし、とグラッドに羽交い絞めにされながらもライはぶち切れ状態全開で暴れる。
「放せ兄貴っ、こいつら本気で俺のこと舐めてやがる一回ぶっ飛ばさねぇとどうにも」
「もう夜遅いから! 近所迷惑だから! なっ、お前だってご近所に迷惑かけるのは嫌だろうっ!?」
 グラッドの必死の諭しに(内心では『俺個人としてはもっとやってくれていいくらいだけど、これ以上放っとくと帝国軍人として大人として……なによりご近所の視線がマジ痛すぎるから!』と叫んでいる)、ライは怒りはまだ治まらずはぁはぁと息を荒げながらも拳を下ろした。
 それでも激情を抑えられずうるっ、と潤んだ瞳でグラッドを見上げると、体のあちこちに痣を作ったグラッドが(ちなみにライがさっき作った)ごくり、と唾を飲み込みつつも「な? 落ち着けって」と言いつつぽんぽんと頭を叩いてくれる。
「兄貴……ごめんな、こいつらのせいで」
「いや、その……なんていうか、しょうがないだろ」
『ていうか俺だってマジ泣きてぇよ今日この日のために必死に勉強も仕事もこなしてオナニーも一週間我慢してきたんだぞ今日たっぷりとライの中に出してやるつもりだったのにぃぃ!』とグラッドが困ったような笑顔の内で慟哭していることには気付かず、ライはしょぼんとしつつグラッドの裾を握った。
「俺……兄貴すげぇ頑張ってるからさ、今日くらいは、兄貴にいっぱいいろんなことしてやりてぇなって……ちゃんと、元気になれるように、いろいろしてやりてぇなって、思ったんだけどさ……」
『い、いろんなことっスか。いろいろっスか! いろいろシてくれる予定だったのかぁっ! ちくしょうギアンとシンゲンのやろぉぉぉっ!』と滂沱の涙を流しつつも(注・心の中で)、グラッドはうつむきぽつぽつと悲しげな寂しげな声で語るライをそっと抱き寄せた。
「気にするなよ。俺はいつもお前にいろんなものをもらってるよ」
「兄貴……」
「そりゃ、できなかったのはその……すごく、残念だけどさ」
 できるだけ平静な表情を装って言ったグラッドを、ライはぎっと怒りと恥ずかしさで真っ赤になった顔で睨んだ。
「なっ……どーしてすぐそっちに結び付けるんだよ、兄貴のスケベ!」
「へっ!? だ、だってさっきいろいろって」
「だからっ、なんでいろいろがすぐそっちの方になるんだよ! 俺は、そのさ。兄貴と、一緒に、兄貴にいろいろお返ししてやりたいなって、思ってさ。そりゃ、そういうことも、ちょっとは、その、考えなかったわけじゃねーけど……」
「ライ……」
 顔を赤くして基本うつむきがちにでもちらちらグラッドを上目遣いで見上げながら恥じらいの表情で言うライの可愛さに(ライははたからどう見えるかまでは気が回っていない)、グラッドは理性の糸をぶち切った(ここは天下の公道ですよ帝国駐在武官)。
「ライっ」
「あに、き」
 唇がまさに触れ合わんとしたその瞬間、ぼそりと氷のようにクールななのにどこか茫洋としている声が聞こえた。
「お父さん」
「どわぁっ!」
「うぎゃっ!」
「あっ……兄貴ごめん大丈夫か!? 急だったからついっ」
「お父さん……邪魔だった?」
「そ、そんなことあるわけねぇだろぉっ!? なに言ってんだコーラルっ」
 我が子の一人、至竜コーラルがじっと寂しげな視線で見上げてくるのに、ライは大慌てで首を振った。衣服が乱れているはずはないのに、服の裾とかをつい気にしてみたりして。
「お父さん……まだ、用事、終わらない?」
「えっ、いや」
「ミルリーフが、寂しがってる。リュームも。……ボクも、ちょっと」
「コーラル……」
「お父さんが用事、まだあるなら……待つ」
 ぎゅ、とライの服の裾を握り締め、頼りなげな顔でこちらを見つめてくるコーラルに、ライの父性本能はぎゅくんと疼いた。ぎゅっとコーラルを抱きしめ、ひょいと抱き上げてやりながら言う。
「ないって、そんなもん! よっし、じゃーとっとと帰ってみんなで寝るか! ミルリーフにミルク温めてやらねーとなっ」
「……うん」
「リュームにはハチミツ抜きで。お前には緑茶、な?」
「うん」
 にこ、と笑顔になるコーラルにくりくりと頭をすり寄せてやると、コーラルはほんわりとした笑顔を浮かべる。それが可愛らしくてぎゅっと背中を抱きしめてやった。恋人としての盛り上がりなんぞ空の彼方に行っちゃいましたー、というとっても父親的な顔でライは手をわきわきとさせ口をぱくぱくさせるグラッドの方を向き笑いかける。
「じゃ、俺ら帰るな兄貴! また明日!」
「……ああ」
 えぇぇ帰っちゃうのおぉ俺のこの股間の昂ぶりは無視ですか、せめてもう一度キスくらい……と内心では思いっきり未練がましげに呻きつつ、年上の恋人として泣きつくわけにはいかないし子供の前でそんな姿を見せるのは、と必死に耐えて笑ってみせるグラッド。ライはそれを額面通り受け取って笑顔でうなずき、ギアンとシンゲンを叩き起こし始めた。
「ほれ、しっかりしろギアン、シンゲン。帰るぞ」
「う……ライっ! ボクを気遣ってくれるのかい、やはり君はボクのことをあい」
「ふざけたこと抜かすなとどめ刺すぞ。シンゲン……しょーがねーな、ほれ聖母プラーマ〜」
「ううん……御主人〜、白いゴハンをもう一杯おかわり〜」
「こらっシンゲンっどこ触ってんだばかっ、起きろこの! ……お、リューム、ミルリーフ、来たか。セイロンが連れてきてくれたんだな」
「うむ、怒鳴り声が静まったのでな。そろそろかと。ほれ、店主殿の外套だ」
「ったくよー、いつまで待たせんだよ、寒ぃよ」
「そっか、悪かったな。じゃあ特別に、ほれっ」
「わ! な、なにすんだよぉっ」
「こーしてコートの中でぎゅってしてやったらあったかいだろ?」
「あーっ、ミルリーフも、ミルリーフも!」
「よし、こいこい。コーラルも」
「わーい、ぎゅっ!」
「……ぎゅっ」
「よぅし、じゃー帰るか! あ、ミルリーフ、手が赤くなってるじゃねぇか、手袋してこなかったのか?」
「あ……うん」
「しょうがねぇなぁ、よし、俺と手繋いで帰るか」
「わーい! パパと一緒、パパと一緒!」
「……(ぎゅっ)」
「お? コーラルも手、繋ぐか?」
「……(こくん)」
「……オレだけハブかよ」
「こら、リューム拗ねんなって。お前は特別に、こうだ!」
「わっ!?」
「あー。パパの肩車、いいなぁ」
「…………」
「ミルリーフとコーラルはまた今度な。ほら行くぞ〜」
「……おうっ」
「はーい!」
「……(こくん)」
「はっはっは、善哉善哉」
「ライ、ボクは君の背中を抱きしめながら歩いていいかい?」
「却下」
「それでは自分は前から」
「大却下! 歩けねぇだろそれ!」
 楽しげに騒ぎながら去っていくライたちの後姿を一人ぽつんと眺めて、姿が見えなくなってからグラッドはがっくりとくずおれた。まただ。またこの展開だ。
 リュームとセイロンだけの時はまだよかったのだ。たまに横槍は入ったが、基本的にグラッドとライが二人で時間を過ごすのを邪魔しようとはしなかった。
 でもミルリーフが来て、あの無邪気な笑顔でライに甘えてがしがし時間が削られて。コーラルも来てあの寂しげな顔でがすがすライの時間を奪い取り。ギアンもやってきて「君の店で雇ってくれないか」などと抜かし、シンゲンも「いやぁやっぱり自治区に住むには金が足りませんでしたそれにやっぱり御主人の炊いたゴハンが恋しくて」などと戻ってきて。そうなるとリビエルとかアロエリとか、おまけにリシェルやポムニットまでしょっちゅう顔を出すようになったりして。
 で、ここのところグラッドはろくにライとの二人の時間が持てていない。寂しい。寂しすぎる。もう本気で一ヶ月もライを抱いていない。一ヶ月前のだって急ぎすぎて楽しめなかったというか、ほとんど突っ込んでお互いにイった、というだけの行為だったし。
 だから今回はたっぷりと時間をかけて朝まで、と思ったのに。思ったのに。
「あああ……最初の二ヶ月の蜜月が懐かしい……」
 あのエッチとかエッチとか痴話喧嘩とかエッチとかしまくっていた二ヶ月を、グラッドは懐かしく思い出すのだった。

『いっただっきまーすっ!』
「ライ、オムレツ用のデミグラスソース取って」
「ほいよ」
「ライさん、自分の分のお水注いでないじゃないですか。はい、どうぞ」
「あ、ありがと、ポムニットさん」
「あ、ライ、これこの前出してくれたフルーツヨーグルトですわね? うん、やっぱりおいしい♪」
「ああ、今回仕込んだ分はそれで終わりだから味わって食えよ。ほら、アロエリ、慌てて食うなって。誰も取りゃしねーから。喉に詰まらせるぞ」
「むぐっ、ひ、人を子供のように言うなっ!」
「ライ……君の作る食事はいつもボクの心を蕩けさせてくれる、君の瞳にボクが映る、それがきっとなにより食事をおいしくする調味料なんだね」
「ギアンテーブルの反対にいるのに顔近づけてくんな」
「御主人〜、ゴハンおかわりお願いいたします!」
「しょうがねぇなぁ……ちょっと待ってろ」
「いーよ、オレがやってやる」
「だめぇ、ミルリーフがパパのお手伝いするのぉ!」
「……ボクが」
「こら、喧嘩すんなって。手伝ってくれるのは嬉しいけど、喧嘩になっちゃ駄目だろが?」
『……うぅ』
「ははっ、落ち込むことねーって。お前らの気持ちはよーくわかってるからさ。じゃ、リュームが飯盛って、コーラルがお茶淹れてやってくれるか? ミルリーフは俺にミルク、な」
「はーい!」
「しょうがねぇなぁ」
「……(こくん)」
「はっはっは、善哉善哉」
「あはは……すいません、グラッドさん」
「私まで一緒になっていただいちゃってよかったのかしら?」
「いーんだって、気にすんなよルシアンもミントねーちゃんも! なー兄貴?」
「……ああ」
 いや気にしろよ! 気にすべきところだろうここは! 新婚の朝の食卓にここまで多くの邪魔者が入るっておかしいだろ!? という言葉をグラッドはホットサンドイッチと一緒に噛み砕き飲み下した。中途半端に理性の残った自分が憎い。
「あ、そうだ兄貴。今日だったよな、駐在軍人の引継ぎの人が来るの? で、三日後に出発なんだよな」
「ああ」
 確かに、グラッドの上級科試験、そして合格した場合その後の駐在軍人としての任務を引き継ぐ人が今日やってくる予定になっていた。三日後に試験のため帝都に旅立つまで、寝起きを共にし任務の引継ぎを行う。
 そしてそれは、三日後の出発までずっと駐在所に人がいるということを意味する。つまり、エッチができない。
 だからこそ昨日の夜に俺はすべてを賭けていたのに! くそぉライの奴そんなことちーとも気にしてませんみたいな顔して笑いやがって可愛いじゃないかちくしょう、などと思っていると、ライがふいに少し照れたように笑って爆弾発言をした。
「あのさ。その出発に、俺もついてって、いいかな」
『……………………』
『ええぇっ!?』
 思わず叫んだのは、グラッドとギアンだけだった。他の面々は平然とした顔で朝食を続けている。
「つ、ついてくって」
「どういうことだいライっ! まさかボクを置いていってしまうのかい!? ボクを見捨ててしま」
「ちょっと黙れギアン! ついてくって店は」
「そうだよお店はどうするんだいライっ、せっかくボクを雇って一緒に仲良く仕事をしていたというの」
「黙れって言ってるだろ! テイラーさんの了承は」
「そうだよライボクと君との愛の巣を閉めようだなんて世間が容赦しな」
 がすっ、とテーブルが殴られた。
「二人とも黙れ」
 ライが睨みつけると、グラッドとギアンは速やかに黙った。静まり返った食卓にライはぽつぽつと自分の気持ちを言う。
「なんつーかさ……前から考えてはいたんだよ。ずっと休みなしでここまで働いてきたから、少し長い休み取って旅に出ようってさ」
「旅って……」
「ミュランスの爺さんにも一度店を見に来いって言われてるし。長くは無理だけど、ちょっとでも同じ店で働いて爺さんからいろいろ吸収したいしな。それに……俺、世界を見てみたいんだ」
「……世界を?」
 ライは真剣な顔でうなずく。
「ああ。俺たちの事件は一段落がついたけど、この世界が召喚術でいろんな歪みを産んでるってことはまだ全然変わっちゃいない。その全部を俺がなんとかするなんてことはできないだろうけど、それでも俺は俺なりに、できる範囲になるけどそれを正していきたいって思うんだ。そうでなきゃ、あんまり先代の守護竜さんや、犠牲になった人たちや……お前に、申し訳ないもんな」
「……ライ」
 お前に、のところでふっと優しい視線を向けられて、ギアンはうろたえたような声を漏らした。
「だから、そのためにまずは世界を知りたいって思ったんだ。今世界がどうなってるのか知らなきゃ、正すもなにもないだろ? 俺は帝国内どころか、このトレイユの街を出たこともろくにないから、ちゃんと世界を見て、知って、それで進む道を決めようってさ」
『…………』
「リシェルが派閥に属するための定例考査に出るついでに、ルシアンの軍学校試験につきあって帝都に行くっていうからさ、ちょうどいいかなって。オーナーからは二人の護衛役ってことで了承してもらってる。帰ってきたらこき使うからな、とも言われてるけどな。で、ルシアンの出発と兄貴の出発の日が近いんで、みんなで一緒に行こうか、って」
「……みんな、そのこと知ってたのか?」
 ギアンと自分をのぞく全員がこっくりうなずく。
「オレらも一緒に来いって言われたしなー」
「ミルリーフも今度は絶対行くって言ったもん」
「一蓮托生、一家団欒」
「我々は守護竜殿からお伺いした」
「旅費がないので私たちは一緒に行けませんけど……」
「我はここで店をしっかり守るのでな、はっはっは」
「その分あたしたちがしっかり面倒見てやるわよ」
「ううう、こういう時は宮仕えの身が恨めしいです」
「まぁまぁ、ポムニットさんには父さんのことをお願いするから」
「私は野菜をもらいに来た時に、しばらく野菜をもらいに来れないから、って」
「自分は偶然漏れ聞きまして。旅費をかき集めるのには苦労しましたよ〜」
 ……なんだ、そりゃ。恋人が一番最後って、それはちょっとひどくないか、ライ。
 いやいやきっと行けるかどうかわからないからぬか喜びさせたくなかったんだよな! それだけだよな、な! と一人(無理やり)納得し、グラッドは苦笑してうなずいた。
「断る理由はないだろう? 一緒に行こう、ライ」
「兄貴……」
 ライがほっとして笑顔になると、グラッドも笑みを返す。じっと視線が交わされ、空気に甘い色が混じり、お互いがお互いしか見えなくなってきて――
「ライぃぃ! ボクもボクも一緒に行っていいかい!? いやむしろ行く!」
「はいはいあーおいしかったごちそうさま! さー今日も忙しくなるわよー!」
「パパぁ、お片付け手伝うー」
「オレたちも手伝おう」
「それでは自分は軽く朝の唄の稽古を」
「そっそーだなっよーし今日も頑張るかっ!」
 互いに素早く目を逸らして立ち上がりながら、ライは思っていた。なにやってんだ俺、兄貴は全然フツーなのに、バカか俺。
 グラッドは思っていた。ようしようし、チャンスができた。まだ機会はある。なんとしても旅の間にライと一発以上ヤる!

「いい天気だな……旅にはちょうどいいぜ」
「シルターン自治区に旅行した時を思い出すわねぇ。あの時もいい天気だったし」
「俺らは行けなかったんだよな。旅費がかさむからって」
「むぅ、なんか悔しいな、ミルリーフたちがパパと持ってない思い出があるのって」
「もう起きちまったことを気にしたってしょーがねぇだろ? それより今はせっかく一緒に旅してるんだから、この状況を楽しもうぜ」
「うんっ、そうだねっ!」
「へへっ、せっかく旅してんだしな」
「……(こくん)」
「あはは、三人とも嬉しそうだね。やっぱりライさんとの初めての旅行だもんね」
 楽しげにじゃれ合う子供陣を、グラッドは暗い情熱のにじんだ目で見ながら笑った。はたから見れば微笑ましい光景を眺めて微笑む兄貴分、というところだが、グラッドの心の声は『はっはっはお前らがどんなに昼間ライを独占しようとも夜は俺が独占なんだもんね! ライを上から下から可愛がるのは俺だけの権利なんだもんね!』とはなはだ大人気なかった。
 一応グラッドは保護者として全員の面倒を見る役を仰せつかっているのだが、三日前から溜め込んだ性欲は(ライと一ヶ月ぶりの夜v をぶち壊された当夜はさすがに放出せずにはいられなかったので)グラッドの頭の中をライとのめくるめく行為への期待一色に染めている。
「鼻の下が伸びているよ。もう少し世間の目というものを気にしたらどうだい」
「いやはや、若いですなぁ」
 そんなグラッドに冷たい視線(一人は面白がっているような部分もあるが)を向けるのは大人組、ギアンとシンゲンだった。グラッドは慌てて顔を引き締め二人を睨む。いわばライについては競争相手であるこの二人に対しては(邪魔な存在なら山ほどいるが他の人々は一応自分たちが愛し合っていると納得はしてくれている、はずだ)、隙を見せるわけには絶対にいかない。
「ああ俺は若いからな、恋人の(ここ強調)可愛い姿見てれば少しくらい鼻だって伸びるさ。俺たちはお前らの邪魔があろうがなんだろうが、心の底から愛し合っている恋人同士(さらに強調)なんだからな」
「っ……ライのいとけない心につけこんだだけの分際で言ってくれるね。言っておくけどライはまだ若いんだ。これからいくらだって他の人間とつきあえる。今はまだちょっと目が眩んでいるだけで、すぐに正気に立ち返ってくれるさ」
「まぁ、駐在さんはこれから長くトレイユを空けることになるわけですからねぇ。そういう機会も多いでしょうな」
「ぐ……お、俺たちの間には距離や時間に負けない固い……その、愛の絆(自分で言っててちょっと恥)があるんだっ!」
「ふっ! 愚かだね。ボクはこれからいつでも一緒に同じ店で働けるんだよ? 寝起きも一緒食事も一緒お風呂も……い、一緒……(ぶふっ)」
「おい待てギアンそれめちゃくちゃ聞き捨てならんぞ!」
「いやはや、まだ妄想の段階でムキになるとはお二人とも元気ですなぁ。もう少し落ち着かれたらいかがです?」
「だってなぁっ!」
「うろたえるなら自分のように、本当に御主人の背中を流してからにされたらどうですかねぇ」
『な……なにーっ!?』
「おっおまっシンゲンおいお前まさか本気でっ!」
「きっ、君はライの肌身を垣間見たというのかいボクにだってまだ見せてくれたことがないのにっ許すわけにはいかないよライの肌はどんな感じだった!?」
 ばしゅんっ。足元に唐突に撃ち込まれた光線に、大人組三人は思わず固まった。
 おそるおそる振り向くと、ライが愛用の銃、プラズマブラストを右手にステキな笑顔でこちらを見つめている。
「あ、あの〜……ライ……?」
「楽しそうだなぁ、お前ら?」
 えっ恋人の俺もこいつらとひとまとめ!? と愕然とするグラッドを無視し、ライはにっこり宣言した。
「召竜連撃ぶちかまされたくなけりゃ黙って歩け」
『はい……』
 全員思わずうなだれながらうなずいてしまった。

 てこてこてこてこひたすら歩いて、ライの作った弁当を食べまたひたすらてこてこ歩いて。とりあえず旅行初日予定の宿には無事たどり着いた。ライと竜の子たちは護衛役ということでリシェルたちと一緒にテイラーが金を出してくれているそうだが、大人組は自費だ。なのでグラッドとシンゲンは庶民向けの安宿の大部屋で雑魚寝だったりする。
 そしてこういう時は大人気なくクラストフ家の金をばんばん使うギアンは、一人しっかりライ(と、竜の子たち)の隣の部屋を一人で使用している。
「朝顔に〜つるべとられずわしゃ密男に〜かかをとられてもらい乳〜」
 調子っ外れの唄を三味線を静かにかき鳴らしながら歌うシンゲンを、周囲の同じ部屋の連中(安宿に泊まっているのだから当然どちらかといえば下層階級の、筋のよろしくない奴らが主だ)が取り囲んで囃している。シンゲンは三味線の腕は実際大したものだが、音痴なせいで弾き語りとなると一気に雰囲気が下世話になる。
 グラッドはもうとっぷりと日が暮れた外を見ながらぼんやりしつつため息をついた。ああ、結局今日はろくにライといちゃいちゃできなかった。
 ライに会いたいな、とグラッドはぼんやりしながら思った。ライに対する自分の思いは、保護欲やら性欲やら頼らせたいという義侠心と男心やら、様々なものが入り乱れているが、結局最後の最後は好きで、可愛くて、大切だというごく単純な情愛に立ち戻る。
 ライに対する思いは当然ながら(できあがって数ヶ月の恋人だということを差し引いても)グラッドの根本にしっかりと根を張っている。あの戦いに身を投じたのも、始末書を書いてでも減棒どころか懲戒免職すらありうるような上への背信行為を行ってでも庇ったのも、結局あいつ(ら)が可愛くて大切でその思いを大切にしてやりたいからだったのだから(少しずつグラッドなりの信条と竜の子たちに対する気持ちが育っていったことからも戦うようになっていったのだが。ちなみに戦いの当初はライに対する気持ちはあくまで健全な弟分に対するものだった、はずだ)。
 だからライのそばにいたいという気持ちは当然ながら強い。あいつのそばにいてあいつが寂しい時抱きしめてやりたい、泣いていたらその涙を拭いてやりたいという気持ちもグラッドの中には切ないほどにしっかりと存在している。
 だが、グラッドはそれだけでは嫌なのだ。
 最初のきっかけはライを胸の中で泣かせてやりたい、それができるくらいの男になりたいということだった。今でもその気持ちは変わらないし、それと同時にそれ以上に、グラッドは男として、今のまま、街の駐在さんのままライと付き合っていくのは嫌なのだ。
 ライは男として、人間として大した奴だと思う。あの年で独立し自分の食い扶持を稼ぎ、戦いに際しては自分たちの中心になって、それに慢心せず甘えずやるべきことをこなす地に足のついた性格で、のみならず才能に恵まれたせいももちろんあるのだろうが今やミュランスの星で最年少の帝国で最優秀の料理人、と認められるほどの評判を勝ち得た。
 そのライの努力と心のありようを、グラッドは心から尊敬する。大した奴だと思う。それは間違いない、疑心や嫉妬の入る余地はない。ライに対する恋情とは別のところでの、人間としての(比較的)客観的な評価だ。
 だが、だからこそ、グラッドはライに『負けたくない』と思うのだ。
 グラッドにもグラッドなりに男としての名誉欲や権勢欲はある。男としての矜持というものがある。ライのことが好きだから、一生付き合っていきたいと思っているからこそ、グラッドはライと対峙する時下を向いてしまうような人間にはなりたくない。毅然と顔を上げて胸を張れる人間でいたい。
 だからグラッドはライに負けたくない。収入やら社会的地位やらを細かく比べるようなせこい男にはなりたくないが、男として人間としてライに劣らない、自分と自分の仕事を誇れる奴でいたい。全力を振り絞って今の自分を培ったと言える人間でいたいのだ。兄貴分として年上の恋人として、そのくらいの矜持は持っていてしかるべきだと思う。
 そのためにライに寂しい思いをさせるのか、と言われると非常に辛くはあるのだが。それでも一人前と自らを自負する男として、これはどうしても譲れない。
 そんなことをぼんやりと考えていると、ふと、「兄貴!」と声変わりは終わっているのにどこか澄んだ、最愛の少年の声が聞こえた。
 思わず驚きの表情を浮かべ勢いよく声のした方を向く。そこには紛うことなき自分の最愛の恋人、ライが立っていた。
「ライ! どうしたんだ、宿にいたんじゃなかったのか?」
「まーな。けど兄貴たちの宿って食事自分たちで作らなきゃ駄目なんだろ? だったら俺の出番じゃんか。材料買ってきたから遅くなっちまったけどさ」
「そうなのか……ありがとな」
 自分のためにライがなにかしてくれるというのは、たとえいつものことでもやはり嬉しい。思わず笑むとなぜかライは少し顔を赤くしてすたすたと厨房というにはあまりに簡素な調理場に進みながら早口に言う。
「兄貴、米の飯でいいか? シンゲンは米にしてくれってねだるだろうし、米ってある程度の量炊かないとうまくねぇんだよな。パンがいいなら焼くけど?」
「いや、俺は米でかまわ」
「いやぁ、さすが御主人。その気遣いには自分への愛を感じますなぁ」
「どわっ、シンゲンっ!」
 いつの間にかライの横に忍び寄っていたシンゲンに、グラッドは思わず一歩退いた。そしていつの間にか素早くその手が肩を抱いていることに、あああと思わず叫びそうになる。
「なんでしたらついでに寝間に忍んでいらっしゃいます? 一人寝はやっぱり寂しいですから、自分としては大歓迎なんですが」
「しししシンゲンっおまそーいうことを」
 第一そういうことを言える権利は俺のもんだろ! と主張したかったが、それより先に包丁がぎらりと輝いた。
「飯作ってもらいたいならわがまま言うな」
「はい、すいません」
 ぱっと手を上げてにっこり笑顔で降参するシンゲン。それを見てふんと鼻を鳴らし、ライは調理に取り掛かった。
 シンゲンはそれを見てくすりと笑い、ライの調理をする背中を見ながらべべん、とまた三味線をかき鳴らす。その視線がすでにいやらしい、とグラッドは睨みつけた。
 グラッドは、当然ながらライの貞操の危機についてもそれなりに思案した。ライが浮気しないでいてくれるということは疑っていない……いない。たぶんきっとそうだと思う、いや絶対そうだ。でもライも若いからうっかり誘われてよろめくことも……いやいやライはそんな奴じゃ、などとぐじぐじ悩んだりもしてしまうが、基本的にはライは自分のために操を守ってくれると思っている。
 だがやっぱり恋人に不埒な思いを抱く男が二人も一つ屋根の下にいるというのは死ぬほど心配だ。特にシンゲン。ギアンは基本的に迂闊な言動が多すぎてライを押し倒す前に自爆しそうだが(ライが本気で抵抗すれば押し倒せる奴はたぶん仲間内にはいない)、シンゲンは妙にうさんくさいというか、その飄々とした言動ですいすいとライを押し倒してしまいそうな雰囲気があるのだ。
 なのできりきりと警戒しまくった目つきで何度目かになる釘を刺した(周りをはばかって小声で)。
「おい、シンゲン。もう何度も言ってるけどな、俺とライは恋人同士なんだからな。手ぇ出したら承知しないぞ、本気決闘だからな」
「いやいや、そこらへんは御主人の自由意志でこれからどうとでも変わるんじゃないですかねぇ。御主人は貞操ってもんについての考え方は古風なお方ですが、懐に入った相手にはめっぽう甘いですし、一度肌身を交わしたら情が移ってずるずるといきそうなこの手のことには流されやすそうなお方ですからなぁ」
「うぐ」
 一瞬反論できず言葉につまるグラッド。確かにライにはそういう懐に入られると弱いところがある。
「けっけどなっ、だからって今俺たちが恋人同士なのには変わりないだろ、倫理的に人の恋人に手を出すのは」
「惚れた腫れたに倫理だなんだって持ち出したところでろくなことありませんよ。こういうことは人の気持ち次第。そうでござんしょ?」
「そ、そりゃそうかもしれないけどな! 今はライは俺のことを好きなんだから、っておいシンゲンお前本気でライが、その、好きなのか?」
 惚れた腫れたなどと初めて言い出したシンゲンを思わず凝視してしまう。今までこいつは真剣に訊ねてものらくらとかわしてばかりで、まともにそういうことを言ったことがなかったのだが。
 シンゲンはふ、と笑むと、べべん、と三味線を弾いてみせた。
「惚れて悪けりゃ見せずにおくれ〜、ぬしのやさしい心意気〜、とぉ」
「唄でごまかすな! どうなんだよ!」
「いやそりゃもちろん好きですよ。御主人は人として男として大したお方だと思いますし。それに」
「それに……?」
「ゴハンを炊くのが上手ですから♪」
「あのなーっ!!」
 思わず顔を赤くして怒鳴ると、シンゲンはくっくっく、と心底おかしそうに笑ってみせた。
「お、お前な、馬鹿にしてるのか!?」
「いやいや、初々しいなぁと微笑ましく思ってるんですよ。自分はそういう初心な心なんてとうに忘れちまいましたからねぇ」
「う、初心って……」
 やっぱり凄まじく馬鹿にされてる気がする。だが反論しきれずうぐぐと唸っていると、シンゲンはまだくすくす笑いながらも優しげな声音で言った。
「心配なさらずとも、自分は御主人がしてほしいと思わなけりゃなにもしませんよ。心底惚れあってる同士にひび入れて楽しむほど、自分は悪趣味じゃないつもりなんでね」
「……本当だろうな」
「本当ですって。なにより駐在さんは御主人に心底好かれてるじゃありませんか。あんな惚れ切ってる目つきで見られて、信じてやることもできないってんですか?」
「まっまさかっ! んなわけないだろ、信じてるさ! ……ただ、やっぱりあいつの周りに不埒な男がいるのは、面白くないっていうかなんていうか」
「連れ合いを一人残して行っちまう男が言えた義理じゃない気がしますがねぇ」
「うぐ」
 反論できないグラッドに、シンゲンはまたくすっと笑った。
「冗談ですって。男として惚れた相手に誇れる自分でいたいって気持ちは、わかるつもりでいますしね」
「…………」
「ま、なんにせよ相手の気持ちが信じられるなら、不安だのなんだのは飲み込んでどーんと構えるのも男の甲斐性ってやつじゃないですかねぇ。男を上げるために旅立つってんなら、そのくらいでうろたえてちゃ駄目でしょう」
「う……」
 シンゲンはまた三味線をべべんと鳴らす。
「愚痴もいうまい悋気もせまい、人の好く人持つ苦労〜ってね。御主人には前に言いましたが、自分はあんた方のことけっこう気に入ってるんです。どうせなら末永く仲良く幸せになってくださいな」
「シンゲン……」
 またべべん、と三味線を鳴らすシンゲンをグラッドは思わず感謝の視線で見詰め掛けたが、気付いた。
「じゃあなんで俺とライの逢瀬を邪魔するんだよぉぉぉ!」
「はっはっは、まぁそれとこれとはまた別の話ということで」
「なに喧嘩してんだよ兄貴、シンゲン?」
 攻撃を軽々といなされていたグラッドは(シンゲンと戦いの技の巧みさで張れるのは仲間内でももう帰ってしまったアカネぐらいだ)、慌ててばっと姿勢を正して怪訝そうに料理をよそった食器を持っているライに向き直る。
「なんでもないなんでもない! わーいつもながらうまそうだな、さー食べようか!」
「おお〜、今日のゴハンもしっかり米が立ってますなぁ〜、さすが御主人! お、これはセイロン殿から教わったという、肉野菜のうま煮ですな?」
「ああ、ちょっと肉と塩を大目で作ってみた、一日みっちり歩いたからな。けどちゃんと胃にも優しくできてるはずだぜ。デザートもあるからな」
「おお、それは豪勢な」
「たまたま材料が揃ったからな。あんに……なんとか豆腐、ってやつ。あ、兄貴、お茶いる?」
「ああ、もらう、ありがとな」
 などと和やかに食事を楽しみんでいる間、グラッドはシンゲンを極力無視してライをじーっと見つめていたので、食事中ライがこっそりと、少し顔を赤らめながらもちらちらとこちらに視線を投げかけているのに気付いた。
 お、これは、とグラッドは内心ほくそ笑む。欲情というほど強烈なものではないにせよ、ライが自分といちゃいちゃしたいなー、と思ってくれているサインだ。伊達に四ヶ月恋人をやっているわけではない。
 考えてみれば食事を作りに来るのに竜の子たちを置いてきたということ自体それっぽいではないか。さっそくやってきたいちゃつき&愛を交わすチャーンス! とグラッドは一気に食べる勢いを増した。もちろんしっかり味わいはしたが、いつもより少しばかり噛む速度が増していたことは否定できない。
 シンゲンも(これはいつも通りに)旺盛な食欲を見せたのでほどなく料理は平らげられ、ライはなにか言いたげにグラッドを見つめてから、結局なにも言わず料理用の鍋と釜を持って立ち上がった。
「じゃ、俺帰るぜ。そろそろミルリーフがむずかり出す頃だし」
「送るよ」
 できるだけさりげなく、すっと立ち上がって笑いかけるとライはさっと顔を赤くして首を振る。
「い、いいって! 兄貴疲れてるんだから早く休めよ」
「このくらいでへこたれるほどやわじゃないぞ、俺は。それに、旅行先に来てまでお前のうまい飯が食えるとは思わなかったんだ、嬉しい贈り物のお返しぐらいさせてくれ」
「兄貴……」
 ほんわりと頬を染めてグラッドを見つめるライ。グラッドは優しい笑顔で見つめ返しながらしっかり確認しておいた連れ込み宿までどうライを誘導するか頭の中で試行錯誤する(どこでライの手を握って、どこの路地裏でキスをしてライをエロい気分にさせて、どう口説いて宿に連れ込むか等々)。シンゲンのやたら優しい笑顔が気には障るがそんなものはこの際無視だ。
 シンゲンは幸い路銀を稼がなくてはならないので、と宿に留まり、グラッドとライは二人きりでライの泊まる宿まで歩いていくことになった。
「持つよ」
 さりげなく近づいて肩に触れつつ、ひょいと鍋釜を取り上げる。
「い、いいよ。兄貴、俺がそのくらい持てないとでも思ってんのかよ、女じゃねーんだぞ」
「そんなこと思ってるわけないだろ。単に少しでもお返しがしたいだけだって。ただライを送るだけじゃ、あんまり俺にとって得すぎるもんな」
「なんだよそれ」
「ライと二人っきりになれて嬉しいってこと」
「なっ……」
 ライはさっと顔を真っ赤にしたが、やがてうつむいてぽそぽそと「それは、俺だって、さ」と答えてくれた。
 よーしよしよしいい感じ、と思いつつそっと左手で手を握る。当然恋人繋ぎでさりげなく指と指の股を愛撫してやるおまけつきだ。ライは(自分が馴らしたせいもあるんだろうが)けっこうこの指の愛撫に弱い。
 はっとした顔になりつつも振り払いはしないライにほっとしつつ(一応人目を気にして明かりの少ない道を選んでいたおかげもあったのだろうと思うが。ちなみにそちらの方が連れ込み宿に近い)、静かな声で語りかける。ここからどうそっちの方向に話を持っていくかが腕の見せ所だ。
「なぁ、ライ? 俺な、お前がついてくるって知った時は驚いたけどさ……でもすごく嬉しかったよ」
「……うん」
「お前ともう少し長く一緒にいられるって思って嬉しくてたまらなかったし、なんていうか……もっと、ちゃんと恋人同士の時間っての、ほしかったしさ」
「………うん」
 消え入るような声だったが、確かにライはそう言ってうなずいてくれた。ううっその耳の赤さがたまらん可愛いっ、と燃え上がりつつも落ち着け落ち着け焦っちゃ元も子もないと言い聞かせながらさりげなくライの体を引き寄せる。折りよく真っ暗い路地裏が近づいてきていた、ここが気合の入れどころだ。
 というところで、ライがふっと顔を上げて真剣な視線を向けた。
「兄貴」
「ん、なんだ?」
 ライの真剣な眼差しに、グラッドは少し意識を切り換えた。どうやらライは真面目な話をしたいらしい(これからいちゃいちゃしようとしてるのにー、と残念がる気持ちはなくもなかったが、年上の恋人としてライが話をしたい時にはいつでもちゃんと聞いてやりたいのだ)。
「俺、旅をすることに決めた理由、なんつったか覚えてるか?」
「ああ、そりゃもちろん。召喚術の生み出した歪みを正すためにも、世界を知ろうと思ったんだろ?」
「……うん。俺にとってそれって、必要なことじゃねーかなって思ったんだ」
 ライはゆっくりと視線を下げ、うつむくようにしながら言葉を紡ぐ。
「料理人としても響界種としても、あの事件に携わった存在としても。トレイユしか知らないままでいいのかって思ったし。兄貴の、上を目指す頑張りに、負けてらんねーなって思ったし、さ」
「……ライ」
 グラッドとしてもそういう気持ちがあることを言うべきか、と考えながら繋いだ手にそっと力を込めると(もちろんまだ繋いでいる)、ライはうつむいたままぼそりと言った。
「それに、実は、さ。も一個、理由、あったから」
「え」
 それはちょっと不意討ちで、グラッドは目を瞬かせる。ライはぽそぽそと、小さな声で呟くように続けた。
「待てるかどうか、確かめたかったんだ。俺」
「……は?」
「兄貴をさ。いつまでも、ちゃんと、待てるかって確かめたかったんだ」
「ラ―――」
 ライはグラッドと視線を合わせようとしない。あくまでうつむきながら、こぼすように言葉を落としてくる。
「俺は、さ。いつまでも、あの場所で、あの店を切り盛りしていきたいって思ってる。クソ親父との約束もあるし、母さんのいるあの場所、ちゃんと守っていきたいし。だけど、もしそれが終わったらって、思ったんだ」
「…………」
「クソ親父が帰ってきて、母さんが解放されて。エリカの病気も治ったら。みんなあそこに帰ってきたら。俺があそこに、必要じゃなくなったら……それでも、俺はあの場所で待っていられるのかって。これ以上待っていられるのか、って。親父を待っていたように、何年も何年も、兄貴を待つことに、耐えられるのかって」
「…………」
「別に、寂しいとか……そんなこと言う年でもねぇけどさ。ただ……やっぱさ、何年も離れるわけだろ? 兄貴にも、その……いろいろ、あるだろうし。都合とかさ。紫電に入ったらやっぱすげぇ忙しくなるだろ? そういう時に俺のこといちいち気にしてもらいたくねーしさ。だから、ちゃんと、なにがあっても……兄貴に迷惑かけないような心構え、っつーの、持てるようになっときたかったんだよ」
「…………」
「だから、世界を知りたかったんだ。あの場所以外の、トレイユ以外の世界を見て、知って。きれいなものも汚いものも見て。問題をちゃんと考えて。それでも、やっぱり、俺が、あそこで、トレイユの店で、兄貴を待っていたいって思えたら……きっと、俺は、兄貴を、いつまでも、待って、いられるって」
 ぐいっとグラッドはライを路地裏に引っ張り込んだ。ライは驚いた顔でグラッドの胸の中に飛び込んでくる。
 頭ひとつ以上ある身長差を無理やり縮めて、グラッドはライに口付けた。思いきり。
 普段と違い、手加減はしなかった。欲望をそのままぶつけた。唇を痛くなるほど吸ってまだ口を開いてもいないのに舌を口内に侵入させた。角度を変えながら何度も何度も、舌を突っ込みながら唇を食みながら口を舐めて吸う。
 ライは苦しい体勢だろうにただ体を硬直させてその口付けを受け入れていたが、瞳には怯えたような色があった。涙は浮かんでいなかったけれど。お互いの息が荒くなってきた辺りでグラッドが唇を離すと、どこか呆然とした口調で言ってきた。
「兄貴、怒ってんのか……?」
「怒ってる」
 低く言ってやると、ライの体は確かにびくり、と震えた。
「なん、で」
「お前、今なに言ったかわかってんのか」
「わか、ってるに決まってんだろ」
「じゃあ俺にどう聞こえたかわかってんのか」
「……わか、ってるよ」
「俺には、お前が俺が心変わりしても追いかけないような覚悟をしよう、って言ってるように聞こえたんだぞ。本当にわかってるのか」
「……っ」
 びくん、とライの体が震えた。グラッドは間近から無表情な瞳でライを見つめる。ライの唇がぎゅっと、固く固く引き結ばれてから、声が爆発した。
「わかってるに決まってんだろ!」
 ライがぎっとこちらを睨む。いっぱいに潤んだ、けれど涙を落とすのを懸命に堪えている大きな瞳で。
「俺だってめちゃくちゃ兄貴に失礼なこと言ってるってわかってるよ! だけどしょうがねーだろそう思っちまうんだから! 俺は兄貴のそばにいなかったら役に立つことなんにもしてやれねぇ。料理も作ってやれねーし洗濯とかもできねぇ! そういう時間が長く続いて、そばに優しい人がいてくれたらさ、もしかしたらって、ちらっとだけど、ちょっとだけど思っちまうんだよ!」
 ぽた、と一粒涙が落ちた。だがそれ以上は落ちない。ライがこちらを泣き出しそうな顔で睨みながら、まぶたに懸命に力を込めて瞬くのを止めているのだ。
「ガキで弱くて情けなくて悪かったな! 自分だってそう思ってるよ! 思ってるけど、止められ、ねーんだよっ……! 兄貴が、帰ってこなかったらって、たとえ帰ってくるにしてもずっとずっと先のことになるのは絶対だし、その間中ずっと、何年も何年も、親父待ってた時みてぇに、怖くて怖くてたまんない夜を何度も味わって、もしかしたら帰ってきてくれたんじゃねーかって期待して裏切られてってやるんだろうなってことを想像したら、こわくて、こわ、くてぇ……っ!」
 ぎゅっと奥歯を噛み締める。泣き言と泣き声が漏れそうなのを必死に抑えているのだろう。そこにグラッドは静かな声で言った。
「じゃあ、なんで言わなかったんだ? 不安だって。俺に寂しいって、行かないでって、そばにいてってなんで頼まなかったんだ?」
「そんなこと言えるわけねーじゃねーかっ!」
 ついに堪えきれずぼろろっと涙がこぼれ落ちた。堰を切ったようにぼたぼたぼたぼたと落ちる涙を必死に両手で拭い、しゃくりあげながらライは言う。
「だって兄貴、言ってたじゃねーかっ! 紫電に、入るんだって、それが俺の、夢なんだって、すっげー頑張ってきたじゃねーかっ! それ邪魔なんて、死んでもしたくねーしっ、兄貴に夢諦めてなんて、ほしくねーしっ、それにっ、情けないって、自分でも、わかってるけど、それでも俺、兄貴に、嫌われたくなくて、鬱陶しいって、いらないって、思われたく、なくて、いいカッコ、したくて、少しでも、兄貴に俺のこと好きだなって、思っててほしくて、ちょっとでもいいから、俺のとこに帰りたいなって、思って、ほしく、てぇっ……」
 グラッドはそのたまらなく切なげな泣き声を、再度のキスで遮った。
 ただし今度は、とても優しく。唇に数十秒、触れさせるだけの、体温を伝えるだけのキスを。ライが目をぱちぱちさせてきた頃を見計らって、まぶたに、こめかみに、耳に、頬に、鼻に、頭に、何度も何度も優しいキスを送る。
 ライが呆然とこちらを見上げてくるのに、うんとこさ優しい目をして、最後にもう一度唇にちゅっと軽いキス。ただし今度はちょっとだけ吸った。
「言いたいこと、全部言ったか? まだなら言っとけよ。いい機会だから俺にぶつけたい気持ち全部ぶつけちまえ」
「あに、き」
「なーんだよー、その顔は。もしかして言ったら俺に嫌われるんじゃないかとか不安になってたのか?」
「だ、って」
「嫌うわけないだろ。ていうか、俺のことでいっぱいになって、嫌われたくないって思ってるお前は、可愛いよ」
 そしてもう一度ちゅっとキス。今度は額だ。ライは少しずつほわんとした顔になってきた。ぽうっとこちらを見上げるのに、ぎゅっと抱きしめてもう一度キスをしてやる。
 実際のところ、別にグラッドは怒ってはいなかった。そりゃちょっとは俺を信じてないのかよとムッとしたが、それ以上に、ライが可愛くって可愛くってしょーがなかった。泣き叫ぶライを見ながら実は顔がでれでれに笑み崩れそうなのを必死に堪えていたのだ。だってあんなに熱烈な愛の言葉そうそう聞けるもんじゃない。
 それに、グラッドは(大人として大声で言えることじゃないとは承知しつつも)ライのそういう愛されてないんじゃないかとびくびくしてしまうところやそれでも必死に健気にその恐怖に耐えて表面上は笑顔を装うところにかっわいいなぁぁぁ〜とにやにやしてしまうので実は問題は全然ない。
 そういう少しいびつな、でも一途で健気な心を、自分の愛情でいっぱいに満たして、自分に、自分だけに(というのは大人としてどうかと思うので理性としては他のみんなにも)頼らせるようにしていくというのは、ちょっと恋する男としては他にないくらいの快感だ。
 だがもちろんライが悲しむのを放置しておく気は全然ないので、ひょいとライを抱き上げて視線を近づけさせる。「わ!」とか声を上げるのもおかまいなしだ。
「ライ。俺はお前のことが好きだよ。世界の誰より、一番好きだ」
 瞳を見つめて真剣な顔で言うと、ライはぽっと顔を赤らめてうなずく。
「うん」
「だけど、そう言われても心変わりしちゃうんじゃないかと不安になったりとかいつまで待たなくちゃいけないのかって怖くなったりする気持ちもわかる」
「ほんとかよ?」
 驚きと不安を等分に混ぜ込んだような顔でライが訊ねる。グラッドは優しい顔でうなずいた。
「当たり前だろ。俺もそうなんだから」
「え」
「お前が俺のことを好きでいてくれるのは疑ってないし信じてる。でもそれでもやっぱり不安になるし怖いよ。特にお前のそばには、二人もお前を狙ってる男がいるわけだし」
「え……いや、あの二人は別にふざけてるだけっつーか……」
 グラッドはそれにはあえて触れず続けた。
「それになにより、俺はお前にいつだって会いたい。お前が寂しい時、悲しい時いつだって抱きしめてやりたい話を聞いてやりたいって思う。それができないのかって考えたら、正直何度も試験受けるのはやめようかって考えた」
「そんな!」
 告白に予想通り驚愕の声を上げ暴れるライに、わずかに苦笑して抱きしめ囁く。
「ああ、今はそんなことは考えてない。揺れる気持ちは、まだあるけどな。夢を叶えたいって思うし、なにより……お前に誇れる俺でいたいって気持ちは、めちゃくちゃ強いから」
「は」
 ライはぽかんとした顔をした。
「なんだよそれ」
「え? 言ってなかったっけ? 確か言ったと思うんだけど」
「聞いてるわけないだろ。なんだよそれ」
「だからな、俺が上級科を目指すのは、なによりも恋人であるお前に負けない、っていうか……しゃんと顔を上げてお前が見れるくらい、自分に誇りを持ちたいって気持ちがあるからだ、ってこと。絶対言ったと思うんだけどな、最初に話した時とか」
「聞いてな……だって、そんな、あれがそんななんて、フツー、思わねぇ、じゃん……」
 後半になると思い当たる節があったのか声がかすかになっていく。グラッドはくすりと笑ってもう一度キスをし、言った。
「だからな、ライ。俺は絶対にお前を迎えに行くから」
「……え」
「夢は捨てない。夢を捨てちまったら、お前の好きな俺でなくなっちまうと思うから捨てない。……自惚れかもしんないけどな。だけど俺は絶対お前を迎えにいく。紫電に入って、落ち着ける家ができたら、絶対に」
 正直な気持ちを告白すると、ライは少し呆然とした感じに口を開けた。
「んな……だって、店が」
「ああ。でも迎えに行く」
「クソ親父との約束……母さんのいる場所を、守らなきゃ、って」
「うん、ごめんわかってるけどそれでも迎えに行く」
「兄貴……言ってること、めちゃくちゃだぞ」
「そうだな」
 それはわかってはいる。でも。
 言わなければ、そもそも物事は始まりすらしない。
「……正直、どうすれば問題なく俺とライが一緒にいられるか俺はまだよくわからない。問題は山積みだと思う。親父さんが無事帰ってきたとしてもこれだけ有名になった店を放り出すのはテイラーさんも許さないだろうし、お前も嫌だろうし、純粋にもったいないとも思うし。けどな」
 ちょっと間を置いた。ここは(あらかじめ考えていた。今使うとは思っていなかったが)グラッドなりの決めの口説き文句なのだ、外すわけにはいかない。
「俺は、お前の帰る場所を、俺の隣にしてほしいんだ」
「……な」
「俺の帰る場所は、もうとっくにお前の隣だから、さ」
 に、と鏡を見て研究した男らしくも優しい微笑みで決め。決まれよー外れるなよ俺ー! と内心必死に祈りながらの微笑みだったため、ライがぶわ、と涙を浮かべ顔をくしゃくしゃにした時は心臓が一瞬痙攣した。
 だが、ライは泣き出さず逃げ出しもしなかった。代わりに、グラッドの腕の中へ勢いよく飛び込んできたので、グラッドは心底ほっとし、内心でよっしゃあぁぁぁっ!!! と快哉を叫んだ。
「兄貴の、馬鹿野郎っ……!」
「うん、そうだな」
「わがままで、意地悪で、むちゃくちゃで、そのくせむちゃくちゃ、優しいこと、言ってっ」
「ん……そうか?」
「兄貴……」
「ん?」
 涙声での呼びかけに、グラッドはちょっと体を離して顔をのぞきこむ。するとライは潤んだ瞳で、泣くのを我慢しているような歪んだ顔でグラッドを睨み、言った。
「大好きだ」
「……うん。俺も」
 じんわりぷわーっと心が幸せになって、つい抑えきれず抱き寄せてキスをした。あーよかったこれでぐっときてくれなかったら泣くとこだった、と心の一部ではちょっと安堵したりもしていたが(心理的には二度目のプロポーズだったのだから)、それでも熱意とありったけの愛情を込めて。ライもぽうっとした顔でそれに応える。応えていたんだが、途中ではっとした顔になってグラッドを突き飛ばした。
「てっ」
「あ、ごめ……じゃねぇだろ兄貴! さっきから何度も何度も、ここ外だぞ外! 人に見られたらどうすんだよ!」
 あ、気付いちまったか、と内心舌打ちしたが、そこは大人の男としてこずるく表面上は笑顔で押してやる。
「俺の可愛い恋人を見せびらかす……と言いたいとこだけど、キスして気持ちよくなってるライなんてもったいなくて他人に見せられないよなぁ」
「な……なにこっぱずかしいことさらっと」
「いやーライが大好きって言ってくれたからうっれしくてさー。恥じらいも消えるよ」
「ばっ……」
「だからさ。二人っきりになれるところに行かないか?」
 顔を近づけて、低めの声で、おねだりなんかしてみたり。経験から学んだ方法のひとつわずかに優しい笑みを乗せる≠煢チえている。
 ライはただでさえ顔を赤くしていたが、その言葉にはもうかーっと茹蛸のように赤くなってしまった。ぎっと殺気すら込めてグラッドを睨む。
「兄貴のすけべ」
「はいはい俺はすけべですよー」
「へんたい。たらし」
「へんた……はちょっとひどくないか? 俺はただ恋人と普通に」
「うるせえ」
 ていうか俺にたらしなんて台詞言うのライぐらいのもんだろうなー、好きこそものの上手なれってすげーな、ぶっちゃけ素人童貞だった俺がそんな言葉吐かれるくらいになれるなんてなぁ、なんかちょっと嬉しい……などと感慨に浸りつつ、キスしてそーいう雰囲気に持ち込めないかな、と唇を近づけるとライの方からも唇を押し付けてきた。
 年齢の差か、ちょっと不器用だけど一生懸命なキス。お互いちゅっちゅと音を立てて唇を吸い、食み、舌を舐めあい絡めあって気持ちを昂ぶらせていく。は、とライが合わせた唇の隙間から小さく息を漏らすのに、何度か角度を変えて口内をしゃぶってやってからそっと唇を離した。
 荒い息。欲情に濡れた瞳。よしよしよしよしこれならいける! と確信して、そっと微笑んで訊ねてやる。
「行くか? 二人っきりになれるとこ」
「…………」
 こくん、と顔を赤らめながらうなずくライ。っしゃぁっ! と内心快哉を叫び、そっと肩を抱いて歩き出す。
「お父さん」
 そして後ろから聞こえてきたコーラルの声に固まった。
「ど……どうしたんだ、コーラル? 先に寝てろって、言っただろ? なんかあったのか?」
 たぶん心境としては親に見られたような気持ちなのだろう、ひきつりまくりながら振り返って笑顔を作るライに(ちなみにグラッドもひきつりまくって固まっている)コーラルはいつもの茫洋とした表情でうなずいた。
「うん。ギアンが、お父さんがいないって、お父さんを探すって言い出して大騒ぎしてて。ボク、それをお父さんに知らせようとして追ってきたんだ」
「……あんにゃろ……んっとにどこに行っても……」
 ふるふるふる、と数秒拳を震わせて、ライは深々とため息をつきグラッドの方を向いた。
「兄貴……ごめん、俺、ギアンのとこ行ってくる。あいつ本気で召喚獣呼んででも俺探し出しかねないから……」
「……ああ」
 グラッドは無表情で呟いたが、内心では荒れまくっていた。『ギアンのやろおぉぉぉ殺す! 絶対殺す! どちくしょう今夜こそ、今夜こそライとできると思ったのにぃぃぃ!!』などと絶叫しのた打ち回っている。
 だがそれをライに見せられるわけがない(元兄貴分としても年上の恋人としても大人としても)。けれど笑顔を作るほどの気力も湧かなくて、無表情であらぬ方向を見つめるしかなかった。
 ライはしばしうつむいたが、すぐに顔を上げて「行くぞ、コーラル」と言い歩き出した。その背中を名残惜しげにグラッドは見つめる。ちくしょう可愛いなうなじ舐めたい触りたい突っ込みたいよぉ、と心の中で泣き言を言いまくりながら。
 と、ライが唐突に振り向き、そんなグラッドの情けない顔を見た。
 思わず固まるグラッドに、ライはどこか切なげな、したいと思っている時の顔でこちらを見つめ、小さく口を動かした。
 すきだよ。
 それから自分で恥ずかしくなったのかさっと顔を戻してすたすた歩き出す。コーラルがちらっとこちらを見たが、グラッドはそんなこと気にもならないほど顔を緩ませまくっていた。
 うおぉちくしょう可愛いなぁ、あれって俺もしたいんだよって表してんだよなちくしょうかわえぇーっ! 絶対ヤる、この旅行中に絶対ライと一発以上ヤってやる! などと思いながら。
 ……ちなみにこれからも同様の流れで毎回邪魔されまくり、どんなにいいところまでいっても結局旅行中はヤれるところまではいけなかったりするのだが、グラッドはまだそれは知らない。

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