ウルゴーラで観光
「よーやく着いたぜ、帝都ーっ!」
 帝都ウルゴーラの入り口、皇帝街道の最終地点でライが思わず握り拳で叫ぶと、リュームとミルリーフが即座にあとについて叫んできた。ミルリーフなどバンザイまでしている。
「おうっ、よーやく着いたなーっ!」
「わーい、着いたーっ!」
「……着いた」
 最後のコーラルの声は静かではあったが、しっかり小さくバンザイをしていた。思わず笑んで、三人全員の頭をくしゃくしゃと撫でてやる。
 と、がんっ、と突然頭を殴られた。
「ってぇっ!」
「恥ずかしいから大声で叫ばないの! みんな見てるわよ!」
「リシェル……お前な、そのくらいのことでいちいち殴るなよ! ったく……」
 頭を押さえていると、グラッドが笑った。
「ははっ、まぁいいじゃないか。ライはトレイユから出るのは二度目だろ? ちょっとくらい浮かれたって仕方ないさ」
「兄貴……あのなぁ、別に浮かれてたわけじゃねぇっての! ただよーやく着いたからほっとしただけだって」
「そうかぁ? けっこう田舎者丸出しって感じだったけど?」
「んっだとっ」
「ははっ、冗談冗談。実は俺も帝都ってまだ二度目なんだよな〜。軍学校卒業の時に一度来たっきりでさ。だから俺もちょっと浮かれたりするんだ」
 茶目っ気たっぷりにウインクをよこしてくるグラッド。なんだよ、可愛いことしやがって、とライは胸をときゅんとときめかせつつグラッドを睨む。こんなことで、と思いつつも顔が熱くなるのを止められない。
「ふっ、つまり帝都にはまるで不案内ということじゃないか。それでも保護者かい? 心配しなくていいよ、僕に任せてくれライ! 僕は帝都には何度も来たことがあるからねっ、どんな観光名所もばっちり案内して」
「……ギアン人が話してる時に割り込んでくんな」
 べべん。
「いやはや、仲がよろしくてけっこうなことですなぁ。しかしもうちょっとばかり状況をわきまえた方がよろしいのでは?」
「は?」
「周囲から妙な目で見られてますよ。ここらでは見つめ合ってる男同士というのはだいぶ珍しいものらしいですなぁ」
『う……』
 ライとグラッドは揃って痛いところを衝かれて黙った。トレイユではもう住民のほぼ全員に知られているが、やはり男同士で恋人というのは珍獣扱いなのだと思うと、少しばかり落ち込む。
 だがせっかくの旅なのに落ち込んではいられない。軽く首を振ってにかっとみんなに笑いかけた。
「よっし、じゃー宿行こうぜ! リシェルたちの帝都の家に泊めてくれるんだよな?」
「うん、帝都には母さんの実家があるから、それほど大きな家じゃないけどね。だから数人で一部屋ってことになるんだけど……」
「こんだけの人数が泊まれるんなら充分でかいって。じゃ、行くか!」
「おうっ」
「うんっ」
「……うん」
「よーっし、じゃー行くわよー! 荷物置いてからあたしが帝都案内したげる!」
 全員揃って歩き出しながら、ふとライは視線を感じたが、振り向きはしなかった。たぶんグラッドだろうと思ったし、グラッドだったら視線が合ったら、また変な顔になってしまうとわかっていたからだ。

 帝都は広かった。かつ、どこに行っても人が多かった。皇宮(当然外から眺めただけだが)をはじめとして名所と呼ばれる場所は多かったが、そのどこに行ってもうじゃうじゃと形容できるほどの人がいる。
 生まれてからずっと個人で旅をする旅人しか通らない宿場町トレイユで育ってきたライは(リュームたちも)、最初は正直少しばかり圧倒されていたが、リシェルたちが平気な顔をしているのに負けん気が刺激されたので平気な振りをしているうちに慣れてきた。トレイユでも最近は街の新しい建物を建てるために知らない人たちが何百人も店に来ていたのだ、知らない人に囲まれるのは初めてではない。
「さ! ここが帝都を一望できる展望台、ゲンヴィル展望台よ!」
「うおっ、すげぇ高さだなー! こんな高い建物建ててどーすんだ?」
「知らないわよ、そんなの。なんかいろいろ理由があったんじゃないの?」
「そういうことなら僕に任せてくれたまえっ! ゲンヴィル展望台は今から六十二年前、時の皇帝が天の星に最も近い場所をと求めて造り出した巨大建造物だ、十階層からなるその高さは実に」
「いやはや、ここまで大きいともうほとんど山かなにかのようですなぁ」
 そんな風に騒ぎながら入場券を買って全員で中に入る。中は中央にある螺旋階段とその周囲を取り巻く廊下でできていた。とりあえず一番高いところまで行こうと、螺旋階段を全員で登る。
「パパー……ミルリーフ、疲れたぁ……」
「よしよしもうちょっと頑張れ。もう半分以上来たんだ、一番上まで上がったらおやつ食べさせてやるから」
 そんなことを話しつつ階段を上り、最上階までやってきた。廊下の外側に張られているガラス張りの窓から一望できる帝都の街並みは、まるで人形の館のように小さく見える。人間はそれこそ蟻のようで、全員思わずほう、とため息をついてしまった。
「すっげぇ……なぁなぁ、ちょっと高いとこまで持ち上げてくれよ! もっと遠くまで見てぇ!」
「あーっ、ずるーいっ、ミルリーフが先なのっ!」
「……ボクも、見たい」
「はいはい、順番な」
 ライは苦笑しつつリュームの脇の下に手を入れようとする。実はライもちょっと街がどう見えるかを楽しみたかったのだが、やっぱり子供たちの望みをかなえてやる方が先だろう。
 と、それより先にひょい、と自分よりはるかに逞しい腕がリュームを抱え上げた。
「わわっ!」
「え……兄貴?」
 グラッドはこちらにぱちりと下手なウインクをすると、リュームの体を高々と差し上げた。
「ほーれリューム、どうだー、高いだろー」
「う……うん」
「あそこら辺りが今朝荷物を置いてきたとこだな。で、あそこのでかい建物が皇宮、と」
「あーん、ミルリーフも、ミルリーフもー!」
「よーし待ってろ。ほーれっ」
「わぁ! 本当にたかーい、遠くまでよく見えるー!」
 思わずぽかんと見ていると、ふいにくいくいと袖を引かれた。
「あ……コーラル」
「お父さん……持ち上げてもらって、いい?」
「お、おうっ! よーし、じゃーコーラルは俺が」
 ひょい、とコーラルを持ち上げて、高々と差し上げてやる。と、ふいに脇の下に体温を感じた。え、と驚いて振り向くと、その大きくてしっかりした手の持ち主はにか、と明るくて、こちらの気持ちまでほわんとするくらい暖かくて、ライの心をいつもときゅんとさせる笑みを浮かべた。
「え、兄貴……」
「ちゃんと支えてろ、な」
「な、兄貴、ちょっ!」
 ふわ、と体が浮く。ライの体が大きな手にしっかりと支えられ、視点が一気に高くなった。
「どうだー、ライ、コーラル。遠くまで見えるかー?」
「…………」
「な、おいこら兄貴っ、やめろよ、恥ずかしーって!」
 真っ赤になったがコーラルの体を支えている以上暴れることもできず、ライはわたわたと背後のグラッドの顔と目の前のコーラルの背中と眼下に広がる帝都の街並みを見比べた。脇の下のグラッドの手が熱い。ついでに頭も沸騰しそうに熱い。めちゃくちゃ恥ずかしいけど、悔しいことに、グラッドの体温が涙腺をちょっと緩めるくらいには、嬉しい(こういう接触久々だったし)。
 こっちを見ているグラッドの顔がにかっと、照れくさそうにでも優しく笑う。
「お前だって遠くまで見たいだろ。せっかくの帝都観光なんだしさ、今日はちょっとだけ俺が甘えさせてやろーかな、って」
「なっ……」
 なに言ってんだよ、兄貴のばか。いっつも俺のことめちゃくちゃ甘やかしてくるくせに……。そんな言葉はさすがに口に出せず、ライは熱い顔をうつむかせた。
「……どーでもいいけどグラッドさん、コーラル抱き上げてる状態じゃろくに前見えないってこと気付いてる? まーどーせそれが目的じゃないんだろーけどね、けっ」
「ライぃっ! 甘えるなら僕の方がいいよ僕の方が背も高いし力……はともかく帝都の風景の解説とかできるからお得だよ!」
「いやはや、そういう問題じゃあないんじゃないですかねぇ」
「……お前らちょっと黙ってろ……」
 一瞬状況を忘れてグラッドと二人っきりであるかのように思ってしまったが、現在は団体行動中。しかも人ごみの中だ。なにやってんだ俺は、あーくそ恥ずかしーっ、と思いつつライは身をよじってグラッドの腕から下りた。脇の下に残ったグラッドの体温が、なんだか泣きそうに照れくさくて子供たちのところへと駆け寄る。
 なのでそんなライの背中を、グラッドがムラムラムラムラと大書してあるような視線で見つめているのには、まるで気付かなかったのだった。

「あーっ、疲れたぁっ。でも楽しかったね、パパっ」
「そうだな。とりあえずなにも変なこと起こらないで普通に観光できたし」
「あれを普通にって言うかよ、フツー」
 夜、宿に戻ってきて、ライと子供たちの部屋。めいめいくつろいでいる中で、リュームがベッドに寝転がりながら、半分呆れた半分面白がるような口調で言ってくる。
「は? どこがつつがなくじゃないんだよ」
「……その1。シンゲンが宿代を稼ぐと歌を歌いだして周囲の顰蹙を買ったこと」
「う……それは、まぁ、ちっと困りはしたけどな……」
「その2。ギアンがお父さんがいないと騒ぎ出して召喚術使ったこと。騒ぎにならないうちにお父さんトイレから戻ってきたけど、下手したら逮捕されかねない騒ぎになってた」
「いや、確かにそれはまずかったなと思うけどな」
「その3。お父さんと……駐在さん。しょっちゅう二人で、妙な雰囲気をかもし出してた」
「う゛……いや、コーラル。それはな」
「たいていの人には、仲良しぐらいにしか思われてなかったと思うけど。何割かの人たちは、確実に引いてた。自重、重要かと」
「う゛ー……」
 あーくそやっぱりあれはまずかったかー、とライは歯噛みした。自分の顔が真っ赤になっているのがわかる。確かに行く先々でグラッドが仕掛けてくる接触に(肩を抱いたりとか耳元で囁いたりとかそういうごく普通の接触だというのに)いちいち反応してドキドキして顔を赤くしていたのはまずかったと思う。
 でも、嬉しかったのも確かだ。こういうことを考えるのは正直照れくさくってしょうがないのだが、兄貴が自分のことを好きだと表してくれるのは正直嬉しかったり、する。いい年した男が馬鹿みたいだと思いつつも。
 あーくそ俺なに考えてんだこいつらの前でっ、と思いつつうつむいていると(顔の赤い自覚はある)、リュームにぼそっと言われた。
「いー加減いつでもどこでもいちゃいちゃすんのやめろよな。もう付き合い始めてから四ヶ月経ってんだぞ」
「……わかってるよ悪かったな……」
 自分の子供にこんなことを言われるとは、とライは深くうなだれた。どーしよーもないくらい、恥ずかしい。
 と、コンコン、とドアがノックされた。
「……誰だ? こんな時間に。もう飯は外で食ったし、風呂にも入ったし……」
「ミルリーフ出てあげる!」
「いーよ、俺の方が近いだろ」
 笑って立ち上がり扉を開けると、まず目に入ったのは厚そうな胸板だった。覚えてるこの服、この一週間着まわしてきた珍しいあの人の私服だ。つまり。
「……兄貴」
「よ、ライ」
 にこ、と笑うグラッドに、ライはまた顔が熱くなるのを感じたが、勢いよく首を振って胸をそびやかした。子供たちの前でみっともない姿は見せられない。
「なんだよ、兄貴。なんか用か?」
「ああ……ちょっと話したいことがあって。ちょっと時間、取れないか?」
 笑顔で言われ、ライはう、と数瞬言葉に詰まった。いちゃいちゃするなと言われたばっかりなのに子供の前で呼び出されるというのはちょっと。
 だがすぐに首を振った。そりゃ、子供の前でいちゃつくのはよくねーと思うけど、でも好きな人が話をしたいって言ってるのに妙に気を遣って避けるのもよくない。人を好きになることに物怖じさせたり後ろめたい思いを抱かせるようなことになったら、こいつらにだって悪影響だ。
「わかった、ちょっと待っててくれよ。今準備」
「……お父さん」
「え?」
 くい、と服の裾が引っ張られる。いつもの無表情をわずかに歪めて金色の瞳が自分を見上げていた。
「コーラル。どうした?」
「……なんだか、お腹痛い」
「え、マジかよだったら早く薬もらってこないと」
「寝てれば、きっと治る。だから……先に、休んでていい?」
 じっとすがるような目で自分を見つめるコーラル。ふむ、と少し考えてグラッドを見上げた。
「兄貴、悪い。コーラルが寝付くまで待ってくれねーか? こいつについててやりてーからさ」
 グラッドは大きく目を見開いた。
「え、ちょ……待ってくれよ。ライ、コーラルが寝付くまでって、いつまで」
「それは、わかんねーけど」
「じゃあ今ちょっとぐらいなら出てきてくれてもいいだろう? この一週間ほとんど二人きりになれなかったんだぞ、ちょっとくらい」
「うん……けど悪い。コーラルが腹痛いって言ってる時に、まともに兄貴と話とかできねーしさ。悪いんだけど、駄目ならまた明日にしてくんねーかな? ちゃんと時間作るからさ」
「けどな、明日からは俺も手続きやらなにやらで忙しくなるし、お前だって二週間の修行始めるって」
 そう、みんな揃って観光ができるのは今日だけ。明日からはグラッドとルシアンは受験の準備で忙しくなるし、自分も師匠――グルメじいさんの店で二週間だけ修行させてもらう約束を取り付けている。だからまともにグラッドと話せる時間はろくになくなるだろう。でも。
「ああ、けどさ、全然時間がないってわけじゃないだろ。作ろうと思えばいくらだって話する時間ぐらい作れるさ。それとも、今じゃなきゃ駄目な話か?」
「……っ、わかった、もういい」
 くるり、と背を向けてずかずかとグラッドは去っていく。怒らせちまったかな、と思うと少しかなり気分が沈むが、そのくらいは覚悟していたことだかまいはしない。コーラルの方に向き直り、笑顔を作った。
「よし、コーラル、ベッド入れよ。寝付くまで見ててやるからさ。なんなら手ぇ握っててやろーか?」
「………うん」
「なんだよ、やけに優しいじゃんか。……コーラルには」
「なんだよリューム、もしかしてお前も手ぇ握っててほしいのか?」
「な! だ、誰がっ!」
「ミルリーフは握っててほしいっ! パパぁ、ミルリーフのおてても握って?」
「ごめんなミルリーフ、今日はまずコーラルからな。腹痛いって言ってるからさ。リュームも、次はちゃんと眠るまで手ぇ握っててやるよ」
「だから握っててくれなんて頼んでねーだろ!」
「……お父さん……ありがとう、ごめんなさい……」
「気にすんなって。けど、痛くもねー腹を痛いっつーのはもーナシだぞ。みんなに心配かけさせるような嘘はつくんじゃねぇ」
『…………!』
「わー、パパわかってたの?」
「当たり前だろ。俺はお前らの父親だぜ?」
 にっ、と笑ってやるとコーラルがわずかに震える声で呟くように問う。
「……なんで、言わなかったの? 駐在さんに、話があるって言われてたのに」
「んー」
 ライは苦笑した。正直に話すのは照れくさいことではあるのだが。
「まぁ、なんつーか。嘘ついてでも俺にそばにいてほしい気分なんだろーと思ってさ」
「え……」
「あんまりお前、わがまま言ったりしねーからな。甘えたい気分の時は甘やかしてやろーかって」
「……お父さん」
「お前らは至竜になったっつってもまだ一歳にもならねーガキなんだ、甘えられる時は甘えときゃいいんだよ。俺にできる範囲なら、甘やかしてやるからさ」
 にか、と笑ってやると、コーラルはうる、と瞳を潤ませた。いつも無表情なコーラルはいつもあまり感情を表に出さないが、辛くて辛くてしょうがないという時にはわずかに瞳に涙を浮かべる。つまりコーラルが泣く時は相当に気持ちが動いているということなのだ。しょうがねぇなったくこいつは、と苦笑しながらライはコーラルを抱き寄せてぽんぽんと背中を叩いてやった。
 まだガキのくせに重たい責任背負って精一杯頑張るこいつらを、自分は甘やかしてやりたい。可愛がってやりたい。よしよしと頭と背中を撫でてやりたい。そういう気持ちを抱くのは自分が親父にしてもらえなかったせいなのかな、とぼんやり考えたりはするが、それでもやめる気はなかった。親父がいなくて、誰もいなくて、寂しくて寂しくてしょうがない時に、兄貴が、ミントねーちゃんが、先生が、ちょっとだけ自分を甘やかしてくれて本当に救われたことを、自分は忘れてはいない。
 グラッドに皺寄せがいくのはむろん本意ではないが、このくらいは兄貴も許してくれるよな、とライは考えていた。ライとしてはグラッドは、大人で自分の面倒は自分で見られる自立した尊敬できる人間なのだから。
 なのでグラッドが今現在廊下をずかずかと歩きながら、『ちくしょおぉライのばかやろおぉせっかくギアンとシンゲンに一服盛ってまで二人の時間を確保しようとしたのにぃぃっ! なんだよなんだよあいつらばっかり甘やかしやがって俺を甘やかす気はないのかよー二人っきりでいちゃいちゃしてやることやって明日からの受験戦争を生き延びる活力をもらおうと思ったのにー!』と泣きそうになりながら本気でへそを曲げていることには気付かなかったのだった。

 ふと気付くと、そこはどこまでも続く桃色の花畑だった。そしてそういう時はいつもそうであるように、花畑の中でいつも通りの透明感のある服を着て座っている桃色の髪を結った少女を見つけ、ライは微笑んだ。
「よう、エニシア」
「ライ……また、会えたね」
 にこ、と微笑むエニシア――かつて姫と呼ばれた少女に、ライは歩み寄った。エニシアとライは時々、ここ二ヶ月はだいたい三日に一回ぐらいの割合で夢の中で話をする。普段ラウスブルグにいてろくに話もできないエニシアとの時間だ、夢から醒めるまでという不安定な一時だが、それでもライはこの時間をできるだけ大切にするようにしていた。
「ねぇ、ライ、そっちにはなにか変わったことはあった? そろそろ帝都に着いたんじゃない?」
 だって、こうして瞳をきらきらさせながら見つめてくるエニシアを、寂しい思いをしてるだろうエニシアを、笑わせてやりたい、もっと喜ばせてやりたいと思うから。
「ああ、帝都に着いた。で、今日観光してきたんだ。あちこちで珍しいもの見てさ、面白かったぜ! そんでシンゲンが途中で宿代稼ぐって歌いだしてさ、すんげー騒ぎになっちまってよ」
「ほんと? あはは、見たかったなぁ。ライ、きっとまた怒鳴ったりしたんでしょう?」
「あったりまえだろ。あいつはほんっとに、時々わざとやってんじゃねーかって思いたくなることしやがんだから」
 大げさに膨れてみせたり、おどけてみせたり。できるだけ楽しい会話を頑張って提供する。楽しんでもらえるように。嬉しい気持ちになれるように。エニシアと話す時は、いつもそういう気持ちになってしまう。
 エニシアはライにとって、そういう普通とはちょっと違う位置にいる女の子だった。普通の女の子――リシェルのような相手なら特に気を遣うということはない。ミルリーフは誰より大切な女の子だけれど、家族として、一番気楽に接することができる相手だ。
 けれどエニシアと話す時は、いつもちょっと無理をしてでもいい気持ちになってもらおうと頑張ってしまうのだ。以前グラッドにそういう話をしてすさまじく不機嫌になられてからは誰にも話したことはないが。
「そんで、兄貴が膨れちまってさ。兄貴もけっこうガキみたいなとこあるよな」
「え、喧嘩になっちゃったの?」
「違う違う、そんな深刻なもんじゃねーって。兄貴のことだから明日になればけろっとしてるよ。こんなこといちいちあとに引くほど兄貴ガキっぽくねーって。あれでちゃんと大人やってんだぜ?」
「……そっか」
 笑顔で言った言葉に、なぜかエニシアはわずかに笑顔を曇らせた。え、と驚いて思わず真剣な顔になって見つめてしまう。
「……エニシア?」
「あ、ううん、なんでもないの。ただ……ちょっと、複雑だなぁ、って」
「複雑って?」
「うん……あのね。ライは、グラッドさんのことが好きでしょう?」
「え……う、まぁ、うん」
 照れくさくて顔が熱くなるが、グラッドが好きだということは隠さない、とこっそり心の中で決めているのでたぶん顔が赤いだろうなと思いながらもライはうなずく。エニシアはくす、と少し寂しそうに笑ってからエニシア特有の柔らかいのに楽器を奏でているように澄んだ声で言った。
「だから、ね。もし私がグラッドさんがしたみたいにライと言い争ったりしたあと、ライはそんな風に楽しそうに私のことを話してくれるかしらって思ったら、ね。ちょっと寂しくなっちゃっただけ」
「エニシア……」
 思わずまじまじとエニシアを見つめてから、なんだかひどく照れくさい気持ちでライは笑った。
「そーだな。エニシアと言い争ったら……そんな光景想像できねーけど、兄貴との時みてーに話しはできねーだろうな」
「……やっぱり?」
「だって絶対、エニシアと喧嘩なんてしたら、俺落ち込むと思うからさ。落ち込んでどーやって機嫌直してもらうかってことばっか考えちまうと思う。そんな時に、にこにこ話なんてできねーだろ?」
「え……」
 エニシアは一瞬ぽかんとしてライを見つめ、それからぽうっと紅く染めた頬を両手で押さえた。おろおろと周囲を見回し、おずおずとライを問いかけるように見上げる。その仕草が妙に可愛くて、ライはぷっと吹き出してしまった。
「ライ……ひどい、笑わなくてもいいじゃない」
「悪ぃ悪ぃ。なんか……」
 言いかけて気付いた。女にこういうこと言うのって、もしかしたら、いやそんなこと思われないだろうとは思うけど、妙な受け取られ方しないか? いや他に聞いてる奴いないし、エニシアだし、大丈夫だとは思うけども、でもなんというか気付いてしまったら妙に照れくさいというかなんというか。
「ライ……?」
「いや、あのな……別に大したことじゃねーんだけど」
「……私には、言えない?」
 少し寂しそうに微笑まれて、ああくそう! と思いつつもライは口にした。少しエニシアから目を逸らしつつ、なんだかひどく恥ずかしいのでちょっとぶっきらぼうに。たぶん今自分の顔はかなり赤い。
「だから。なんか、可愛いな、って」
「え……」
 エニシアの顔がさっきよりもさらに上気する。耳まで赤くなってわずかにうつむく。なにやってんだ俺、と思いつつも妙に気恥ずかしくて同様に少しうつむいて黙った。
 そういうことをしていながらもライはそれがはたから見たら好き合ってる者同士の行動だとは全然気付いていなかったし、それが自分はグラッドのものだと当然のように思っているせいなのだとも全然自覚していなかった。
 なのでその光景をグラッドが見たら悲憤するだろうことにも、気付かない理由を言ったら喜ぶだろうことにも、当然ながら現在グラッドが一人トイレで果たせなかった行為に思いを馳せつつ自家発電に励んでいることにも、まったく考えが及ぶことはなかったのだった。

 グルメじいさん――ミュランスの店の名前はレストロ・ミュランス≠ニいうごくあっさりとしたものだった。だがそれでもミュランスの名のせいで訪れる客は後を絶たないという。そういった客とも戦うためにわざわざミュランスの名を冠したのだと手紙に書いてあった。
 ここに自分は今日から二週間、皿洗いとして入る。その間に自分の全力で勉強できることを勉強しようと思っていた。本当なら料理修行はそんな短い時間で済むものじゃないのだ、無駄にできる時間は一秒だってない。
 店で一番下っ端の皿洗いという立場。だがそんなことはライにしてみればどうでもいいことだった。師匠と一緒の店で働ける。なら自分のできることを全力でやるだけだ。
 だからライは、店で働く人全員の前で挨拶する時、厨房関係者のほとんどから睨まれながらも、元気に頭を下げたのだ。
「ライです! 今日から二週間、皿洗いさせてもらいます! よろしくお願いしますっ!」
 そういうことをしていたので、グラッドがその頃どれだけムラムラしながら鍛錬で汗を流していたかも、当然ながら知るよしはなかったのだった。

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