ゼラムで蕎麦を食って
「よーやく着いたぜ、ゼラムーっ!」
「おうっ、ようやくだなー……ってお前言ってることが帝都着いた時と変わんねーじゃねーかよっ」
「へ、そーだったか?」
「はは、まぁ実際旅してて街に着いた時なんて似たような言葉しか出てこないよなぁ。帝都には行ったことないんだけど、どんな街なんだ? ゼラムとどっちが大きい?」
「大きさはとんとんってとこかな? 文化水準ならゼラムの方が上だろうけど、活気なら帝都の方があるわよ、たぶん」
「へー……そうなのか、ガゼル?」
「なんで俺に聞くんだよ。俺が知るわけねーだろ、路銀に余裕なくて帝都までは行けなかったんだからな」
「……ごめんな、甲斐性なくて。俺にもうちょっと稼ぎがあれば」
「俺も働いてんだぞ、嫌味かてめぇ」
 にぎやかに話しながら召喚鉄道の駅の階段を下りていく。体の節々が痛かったので、体の曲げ伸ばしをしつつになったが、まぁサイジェントからゼラムまでたった二日で移動してしまったのだ、そのくらいは甘受すべきだろう。
 ぶっちゃけると二日間ほとんど列車の中というのは、もうこれ以上経験したくないってくらいに退屈だったが。景色も早回しなので見る余裕がほとんどなかったし。
 駅前は宿屋や土産物屋が立ち並びちょっとした宿場町の様相を呈していたが、ライが今まで見てきたものとは少しばかり趣が違った。どこもかしこもやたらめったら高そうな店ばかりなのだ。普通の宿場町なら高いのから安いのまで旅する人間に合わせていろんな店が並ぶはずなのに、と言うとギアンが苦笑した。
「召喚鉄道の駅前だからね、それは仕方ないと思うよ。召喚鉄道なんてものを利用するのは貴族か、相当な金持ちがほとんどだろうし」
「あ……そっか」
「まぁ、聖王都だから、というのもあるんだろうけどね……もちろん一般市民も多く住んでいるにしろ、この街は基本的に貴族や成功した商人、あるいは召喚師のような富裕階級が住む街だから」
「そうなのか?」
「んー……まぁ聖王国の王様が住んでる街だからねー。人が多いから貧乏な人たちもそれなりにいるけど、この街の主産業って観光業だから、スラムの発生とかには相当厳しい対応してるみたいよ」
「ふーん……」
 などと話しつつ駅前を歩き人いきれを抜ける――と、ハヤトがくるりとこちらを向いた。
「さって! じゃあ、どうしようか、これから」
「へ? どうするって……」
「いや、俺たちって目的別だろ? だからここで別れるっていうのもアリだとは思うんだ。俺たちは一応行かなくちゃならないとことかあるし」
 ライは思わず目をぱちぱちとさせる。そういえば、この二日間ずっと一緒だったから忘れていたが、ハヤトたちと自分たちはたまたま旅の行き先が一緒だったから連れ立っているだけだった。なのだから目的地に着けば別れるというのが筋といえば筋だ。
「まぁ、俺たちはしばらく聖王都にいるし、ここで別れちゃうのも寂しいとは思ってるけどな。だからもうちょっと一緒にいるっていうなら、俺たちの泊まる予定の宿とか紹介するぜ?」
「お、そりゃありがたいな。どうする、みんな?」
「俺は一緒でもいいと思うぜ。……ハヤトにーちゃんのそばにいると、やっぱ気持ちいいし」
「善哉、善哉。……ボクも、同感かと」
「ミルリーフも、もうちょっとハヤトお兄ちゃんたちと一緒にいられるなら、いたいなぁ」
「う……なんというか、まぁボクもいたくないというわけではないけれど……ううむ」
 唸るギアンに苦笑する。ハヤトの誓約者としての、どんな召喚獣も魅了する王気とすら言ってよさそうな雰囲気に、ギアンはしばしば苦慮しているのだ。一応気構えができていれば初対面の時のようにめろめろにされてしまうことはないが、不意を衝かれるとぐらりと来るのでそれなりに高い矜持を持つギアンとしてはハヤトは少し苦手な相手らしい。
「リシェルとシンゲンは?」
「あたしもいいわよ。もうちょっとキールさんに聞いてみたいこととかあるし」
「手前もかまいませんよ。芸人としてはお客は多い方がありがたい理屈で」
「そうか。……そういうことだから、宿の紹介頼めるか? 一応俺たち、今日はこの街を見て回る予定だから」
「ああ、わかった。じゃ、これ聖王都の地図と、宿の場所な。俺の知り合いの召喚師の家なんだけど、客が多いからすごく部屋がいっぱいあるんだ。もし迷ったら、そうだな、みんなで声を合わせて俺の名前を呼んでくれ。君たちくらいの大きな魔力の持ち主なら、たぶん気付くと思う」
「呼ぶだけで気付くってなにそれ……っていうか街中で大声で人の名前呼ぶような恥ずかしいことしたくないわよ!」
「贅沢言うな、リシェル。わかったぜ、ありがとな、ハヤト。そっちもなんの用事か知らないけど、気をつけろよ!」
「うん、ありがとな。じゃあ、また夜に」
「みなさん、また夜にですのぉ〜」
 お互い手を振って、自分たちは別れた。一瞬、ライはハヤトたちの背中に視線を送る。
 ハヤトとすぐに別れずにすんだのは自分としても嬉しい。ライはハヤトにかなり強い好意を持っているし、他の面々についても悪感情は抱いていない。
 ただ、ハヤトたちがなにか事情を抱えているのは確かだったので、これからずっと一緒に行動するのが正しいのか、という危惧はあった。迷惑をかけられるからというのではなく、一緒にいたら耐えられず首を突っ込んでしまいそうだったからだ。
 ライは自分にできることがごくわずかであるのを知っている。なのに見境なく首を突っ込んでしまうのはかえって相手に迷惑ではないかと思う。だが黙ってつかず離れずで一緒にいる、というのは自分にできるかどうかかなり怪しい気がした。
 ……ハヤトとガゼルが、その、自分とグラッドの兄貴のような関係にあることを隠しとおせるかどうかもあまり自信がなかったし。ハヤトたちが関係を隠しているかどうかはわからなかったが、あの時うっかりその、いやらしいことをしている二人を見てしまったことを知られるのも、正直かなりばつが悪い。
 それを引きずっていたせいか、翌日にはハヤトとキールがそういうことをしている夢を見てしまったし。本当になんであんな夢を見たのだろう、あまり眠れず寝ぼけてフラット内を歩いていたような記憶もなぜかあるのだが。
 ライはそんな埒もない思考を頭を振って打ち切り、視線を戻した。そんなこと今考えてもしょうがない。道の真ん中で大人数で立ち止まっては迷惑になるので、歩きながら相談すべく話しかける。
「じゃ、どこ行く? どっか行きたいとことかあるか?」
「どーいうとこがあるんだよ?」
「んー、もらった地図だと、王城があったり蒼の派閥の本部があったりでかい公園があったり繁華街があったりするみたいだな。詳しいとこまではわかんねーけど」
「あたしもゼラムにはほとんど来たことないからなー……金の派閥の本部があるのはファナンだし」
「僕も、さすがに蒼の派閥の本部がある街に気軽に立ち寄るわけにはいかなかったからね……」
「ふぅむ、それではとりあえず、この……導きの庭園に向かってはいかがでしょう」
「なんか当てでもあんのか、シンゲン?」
「いえいえ特には。ですがこれだけ立派な公園があるのなら、手前のような弾き語りもさして珍しくはないでしょう。一曲ぶたせていただいて、寄ってきてくださったお客にこの街のことを詳しくお聞きすればよろしいんでは?」
「名案、かと」
「うんっ、みんなでシンゲンのおじちゃんの三味線も聞けるしねっ!」
「喜んでいただけるのはありがたいですが……できるならその、おじちゃんはやめてもらえませんかねぇ何度も頼んでることですが」
 意見が一致し、ライたちは導きの庭園に向け歩き出した。ときおり地図を確認しながらの街歩きだったが、さして苦心もせず足を止めることもほとんどなくてすんだ。
 たぶん、それはこの街の道が広く、歩きやすいからなのだろう。整然と敷き詰められた石畳、ちゃんと石の張られた側溝。端整に立ち並ぶ店やらなにやらに一定の間を置いて立ち並ぶ街灯やら街路樹やらからしてもわかるが、この街は構成要素のいちいちが帝都と比べても驚くぐらいきちんと整備されている。
 それを口にすると、ギアンは笑った。
「それは聖王国と帝国の歴史の違いだね」
「歴史? って、なにが?」
「帝国は新興国だからね。リィンバウムで最も由緒ある国である聖王国よりはどうしても歴史は浅くなる。そして歴史が長ければそれだけ隅々まで目が行き届く道理だ。富の積み重ね、施政の積み重ね、そういうものが衣食を満たし文化を隆盛させ国の形を整える。王都はその恩恵を一番受けやすい場所だろう?」
「……え、ええと、つまり?」
 目を白黒させながらあからさまにわかっていない顔で自分が問い返すと、ギアンはわずかに苦笑する。
「そうだな、ライにわかりやすい例えで言うと、長く店を経営して軌道に乗ってくれば店の隅々まで目が行き届くようになる、ってところかな」
「あ、それならわかるぜ。余裕がないとなかなか気付けないところってのは確かにあるよな」
「そういうことだね。人は時間の余裕があれば、自然と細かい、必需とは言いがたい部分まで整えようとするものさ。国もそれは同じ。もちろん上層部にいるのが国を傾けたりするような愚かな連中でなければだけどね」
「なるほどなぁ……ギアン、お前の説明ってけっこうわかりやすいな」
 笑顔を向けると、ギアンはぼっ、と顔を赤くして唐突にくねくねと悶えだした。
「あ、ああっ、ライ君はどうしてそんなにも純粋な眼差しを僕に向けてくれるんだいっ、君の優しい視線は魔法のように僕の心を熱く蕩かせて」
「だーっ、街中でいちいち悶えんじゃねぇっ!」
「ねぇねぇパパ、ギアンってどうして突然変なこと言い出したりするの?」
「……さーな、俺にもさっぱりわかんねーよ……」
 などとやっている間に、ライたちは導きの庭園と呼ばれる場所へたどり着いた。広々とした空間の中央には壮麗な細工の大きな噴水があり、そこから水を四方に向け川のように流れ出させる仕組みになっている。その周囲には煉瓦の敷き詰められた歩きやすい道と、芝生や花壇や植えられた木々が並んでいる、聖王都にふさわしく見事に整えられた公園だ。
「まぁ、木やら花なんかは俺らの場合ちょっと歩けばフツーにあるもんだけどな」
「街中だけで暮らしてる人には珍しいんじゃない? 自分たちの暮らしてる街から外には一歩も出ないって人も多いらしいし」
 そんなことを話しつつとりあえず人の多い場所を探してのんびりと歩く――と、ふいにリュームとミルリーフとコーラル、そしてギアンが揃って公園の奥の方向を向いた。その視線に緊張の色を感じ、ライも体を緊張状態に入れながら問う。
「どうした。なんかあったのか?」
「なんか……強い魔力感じるんだよ。抑えられてはいるけど、相当強い力」
「これは、おそらくはサプレスの悪魔のものだね。たぶん相当高位の悪魔だ」
『!』
 ギアンの言葉にさっとライは臨戦体勢に入った。悪魔と直接会ったことはないが、リビエルから話は聞いているし傀儡戦争の件もある。なによりポムニットのこともあって、ライの中では悪魔というものは基本的に敵性存在だった。
 ――だからこそ。
「その魔力の在り処って、こっちか?」
「ちょ、ちょっとライ! あんた、まさかちょっかいかけるつもり?」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねーよ。ただ、話をしにいくだけだ」
「話って……」
「まぁ、話の流れで喧嘩になることはあるかもしれねぇけどな」
「そーいうこと言ってる時点で駄目でしょーがっ!」
「ともかく、最初っから喧嘩売るつもりで行くわけじゃねぇ。言っただろ、俺は世界を見なくちゃいけない。だから悪い印象のある奴のこともきっちり知っときたいんだよ。悪魔ってののことで俺が知ってるのは今んところくなことしねぇってのだけだけど、ちゃんと本物見て話して知らねぇと、それがどんだけ本当かなんてわかんねぇだろ」
『…………』
「ま、おっしゃる通りでござんすが。向こうさんにそれに付き合うつもりがあるかどうかはわかりませんよ?」
「ああ。喧嘩売られることになるかもな。ま、そん時はそん時だろ。どんな悪魔だろうが逃げ出す隙を作れる自信はあるし、もし隙も作れねぇほど強くてやたら喧嘩売るような悪魔が街中うろついてんならそれはそれで物騒だ。話のひとつも聞いとかなきゃならねぇ、だろ?」
「……ですな」
「うーん……でも、あんまりそんなひどい喧嘩になりそうな感じはしないなぁ……」
「そうなのか?」
「うーん、なるかもしれないんだけどね、なんていうか、悪魔の、悪かったり危なかったりする雰囲気もあるんだけど、濁ってる感じがしないっていうか」
「……嵐みたいな感じ。すごい力でいろんなものを壊してしまうけれど、吹きすぎたあとには太陽が見える、ように。正しくも、清らかでもないかもしれないけれど、魂のあり方は澄んでいる、気がする」
「え……悪魔なのに、そんなことってあるの?」
「コーラル、知ってるか? 知識はお前担当だろ」
「……悪魔というのは、根源的な性質としては混沌に向かう精神生命体。混沌そのものは善でも悪でもなく、ただ拡散と解放の性質を意味するだけ。だから悪魔だけれど邪悪な存在ではない、というのは矛盾してない……けど、普通の生き物のように秩序、すなわち理性で感情を正しい方向に導こう、っていう考えは性質的に抱けないから、普通に考えられる善人、っていうのにはなれない」
「え……えーと、つまりどういうことだ?」
「……わからない?」
「いや、まぁ、その……」
「君はバカか!? 自分がいくつになったと思っている、少しは後先を考えるということをしようとは思わないのか!」
 唐突に響いた怒鳴り声に、ライは思わずばっとそちらの方を向いた。リュームたちが見ていた方向から、ずかずかと数人の団体が近付いてくる。
 じっとその様子を観察しようとして、思わず目を瞬かせる。その団体は男女取り混ぜて六人だったのだが、人間が先頭に立ってずかずかこちらにやってくる二人しかいない。
 眼鏡の青年と、ぼさぼさの紫がかった黒髪の青年。その二人が盛大に口喧嘩しながらこちらの方にやってくる。
「バカバカ言うなっ! 俺だって俺なりにちゃんと考えてるんだぞ、なにもそんな言い方しなくたって」
「バカにバカと言ってなにが悪い! 考えているというがその君の考えでどれだけこちらが迷惑をこうむったが考えたことはないのか、君は!?」
「そ、それは、悪いとは思ってるけど……だけどあの時は他にどうしようもなかったじゃないか! 別に俺だって好き好んであの人に喧嘩売ったわけじゃ」
「だったらその後その失敗を補おうとどうして考えない! 貴族を敵に回すことがどれほど厄介なことか、これほど生きてきて君にはまだ理解できていないのか!?」
 ぎゃんぎゃん喚き合いながら自分たちの前を行き過ぎる二人の男のあとを、残りの四人が通り過ぎる。その四人は、明らかにこの世界の人間ではなかった。
「………………」
 無言のまま二人のあとに付き従う鉄色の機械兵士。
「ふたりとも、けんか、やめて……」
 困ったような顔で黒髪の男を見上げる、着物を着て狐の耳を生やした水晶玉を持った少女。
「別に今に始まったこっちゃねェだろうがこんななァよ。いちいちうろたえてんじゃねェっての」
 頭の後ろで腕を組み、面倒くさげにあくびなどしている赤紫の翼を生やした少年。
「で、でもでもぉっ。ご主人様ぁっ、ネスティさぁんっ、お願いですから落ち着いてくださいぃっ!」
 おろおろと二人の間で顔を彷徨わせる緑髪の、途中で折れた角を生やした少年だか少女だかわからないメトラル。
 思わず唖然としながら見送る自分たちをよそに、二人の男の言い争いはますます加熱する。
「だけどあのままあの子を放っておくことなんてできるわけないだろ!?」
「それならそれでもう少しやりようを考えろというんだ!」
「俺だって考えたよ、けどあれしか思いつかなかったんだからしょうがないじゃないか!」
「なら他の人間に知恵を借りるなりなんなりしろ、その首の上に乗っているのは飾りなのか!?」
「だからもうっ……う、うううっ、もういいっ、ネスのバカッ! 行くぞっ、バルレル、レオルド、ハサハ、レシィ!」
「へーいへいっと」
「了解デス、あるじ殿」
「おにいちゃん……」
「ご主人様ぁ、待ってくださーいっ!」
「……ふんっ!」
 黒髪の青年は召喚獣たちを引き連れて左に曲がる。眼鏡の青年は大きく鼻を鳴らして右に曲がる。それを数瞬ぽかんと眺めてしまってから、はっとして子供たちに訊ねた。
「あのさ、もしかして、さっきの高位の悪魔ってあん中にいるのか?」
「うん……たぶん。あの翼生えてるちびっこいの、いただろ? あいつ」
「……あんななりで?」
「魔力を抑えているんだろうと思うよ。実際高位の悪魔でもサプレス以外では戦闘やなにかの非常時を除いては小さめの肉体を作ることが多いらしいし……サプレスについての知識は専門外だから詳しくはわからないけれど」
「そっか……」
「けどなんなのかしらね、あの団体。機械兵士に、悪魔に、メトラルに……」
「あの女の子はシルターンの妖怪じゃないですかね。狐の変化でしょう。さて、四界すべての召喚獣を引き連れたあの御仁、いったいどういう素性の持ち主なのやら」
「んなのは俺たちだって人のこと言えた義理じゃねーだろ。とにかく、ちょっと行って話してくる……お前らはここで」
「えーっ、ミルリーフもパパと一緒に行きたいよぉ」
「そーだそーだっ、お前みてーな危なっかしい親一人で行かせられるわけねーだろっ」
「右に同じ、かと。それに、世界を知らなくちゃならないのは、ボクたちも、同じ」
「……ついてきたいのか?」
 真剣な顔になってそう訊ねると、子供たちも揃って真剣な顔でうなずく。よし、と笑って、ライはぽんぽんぽんと子供たちの頭を叩いてやった。自分はクソ親父と同じやり方なんて死んでもしたくない。こいつらが心からしたいと思うことがあるなら、足らないところに手を貸してやりながらきっちり通させてやりたいと思うのだから。
「よっし、行くか! リシェル、お前はどうする?」
「……ったく、しょーがないわねー、ついてってあげるわよ。それに第一こんな大きな知らない街ではぐれちゃったら合流するの難しいだろうしね」
「道理ですな。では、全員であの方たちを追いかけるといたしますか」
「ああ!」
 うなずいて、ライは左の方向に曲がった男たちを追って走り出した。

「おーいっ! そこのにーちゃんたちっ、ちょっと待ったーっ!」
「え?」
 真っ先に追いついたリュームの上げた声に(リュームは直線ならばライより速く走ることができるのだ)、黒髪の男とその連れたちは揃って振り向いた。表情は様々だったが、真っ先に反応したのは翼を生やした少年悪魔だった。
「なんだァ、テメェら……どいつもこいつもうさんくせェ雰囲気ぷんぷんさせやがって」
 その言葉にぴしっ、と思わずこめかみに青筋が立った。
「……初対面の人間にうさんくせぇ、たぁずいぶんな言い草じゃねーか。曲がりなりにも普通に話しかけた相手に、お前喧嘩売ってんのかよ」
「……なんだァ? テメェ、それはこっちの台詞だぜ。ガキの分際でオレに偉そうな口の利き方してんじゃねェよ。喧嘩売ってんなら言い値で買ってやるぜェ?」
「喧嘩売ってんのはお前だろーが偉そうに言ってんじゃねぇ。つーか、お前にガキとか言われる筋合いねーぞ」
「ガキをガキっつってなにが悪ぃってんだよ、このクソガキ。言っとくがなァ、俺の売る喧嘩は高くつくぜェ?」
「上等だ……こっちこそ言い値で買ってやらぁ!」
「ケケッ、面白ェ……ッ!?」
 がつっ、ごつっ。鈍い音と共にじーんと痺れるほどの激痛が走った頭を押さえつつ、ライは後ろを振り向き怒鳴った。
「……ってぇなっ! なにすんだよリシェルっ!」
「おおおお……ンの! なにしやがるマグナっ! テメェの力で本気で殴ったら頭割れちまうだろうがよッ!」
「偉そうなこと言ってんじゃないわよ! 話聞くっつったのはあんたでしょーが、当たり前みたいに喧嘩の流れに乗ってんじゃないわよ!」
「そうだぞバルレル、ったく子供相手に。もういい年なんだから、少しは大人になれよな」
「テメェに言われたかねェってんだよ! さっきメガネにさんざ怒鳴られて拗ねて喧嘩別れしたの誰だと思ってんだ」
「うぐ……そ、そう言うけどなっ、あの時けしかけたのお前だろ!? 俺はちょっとは迷ったし考えたんだぞ、こんなことやったらまたネスに怒られるよなーって」
「ケッ! 思いついたのもテメェだしやるって決めたのもテメェだろうが、こっちのせいにしてんじゃねェよ」
「べ、別にお前のせいになんてしてないけどもーちょっと気遣いしろよ! 人が落ち込んでるところにいちいち追い討ちかけてきて、俺じゃなかったら泣いてるぞ!?」
「あァ? テメェがこのくれェで泣くタマかよ……ま、泣いたら泣いたで珍しい感情が食えて俺としちゃあ嬉しいけどな、ケケッ」
「おっまえなぁ……!」
「ば、バルレルくんっ! あ、あのっ、あのっ、ご主人様にそんなこと言うの、ダメだと思うよっ!」
「……はァ?」
 見る間に加熱していくマグナというらしい男とバルレルというらしい悪魔の口喧嘩に、割って入ったのは角の折れたメトラルだった。気が弱いのかよほど普段からひどい目に合っているのか、目を潤ませ顔を歪ませ今にも泣き出しそうな顔を必死に上げてバルレルに立ち向かう。
「んっだこの、テメェにゃ関係ねーだろすっこんでろ牛ガキ」
「ぼ、ぼ、ボクにはなんて言ったっていいけどっ! バルレルくんはご主人様の護衛獣だし、すごくいろいろお世話になってるんだしっ、そういう風にひどいこと言うのはっ」
「はァ? アホかテメェ、俺の方がしょーがねーから渋々こいつの世話をしてやってんだろォが! テメェとは違うんだよ勘違いしてんじゃねェ」
「で、で、でもぉっ」
「ああ、ほらほら泣くな、レシィ。大丈夫だから、な? バルレルが生意気なのも意地悪なのもいつものことだろ? そんな気を遣わなくていいから」
「ご主人様ぁ……」
「……ケッ! ちっと泣けばすーぐ甘やかしやがって。ンなこったからこいつが泣きゃいいとか思うんだろうがよッ」
「う……う、ううう〜っ」
「バルレル! お前なぁ、いっつも言ってるだろレシィをいじめるなって! 俺らは家事全般レシィにまかせっきりなんだぞ、お前だって世話になってるくせに」
「頼んでねーよんなこたァ!」
「おにいちゃんたち……けんか、やめて……」
『あ……』
 泣きそうな少女のか細い声に三人は声を揃える。狐耳の少女が目を潤ませ、耳を震わせながら泣くのを必死に堪えていますという顔で自分たちを見上げてくるのに、全員揃って慌てたようだった。
「ご、ごめんな、ハサハ! 大丈夫だからな、俺たち喧嘩してるわけじゃないから!」
「そ、そうそう、大丈夫ですよぉ! ねっ、ほら、ボクもう泣いてないでしょっ?」
「だーもーっ、こんなことでいちいち泣きそうになってんじゃねェよテメェは鬱陶しいな! おら、涙拭けッ」
「……ん。おにいちゃんたち……あり、がと、ね?」
 涙を拭いて、わずかに頬を緩め、嬉しげに目を細めて見上げるハサハというらしい少女。それにマグナは優しく微笑み、レシィは照れくさそうに頬を緩め、バルレルはふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
 それを見て、思わずライは小さく吹き出した。
「……ンだよ」
「いや、別になんでもねーよ」
「……ッ、ンっだぁその見透かしたよーな上から目線はァッ」
「だから別になんでもねーって」
「そーそー、ただちょっとなーんだこいつなんだかんだ言って手綱取られてんじゃん、って思ったくらいだし」
「ッだとこのガキーッ!」
「へっ、見かけはあんたと大して変わんねーだろ? せーしんてきにもあんたオレよりあんま年上って感じしねーし」
「……ッテメェッ!」
「こら、バルレル!」
「リューム! お前も挑発するんじゃねぇよ」
「へーい」
「正論、かと。お父さんが最初に挑発に乗ったりしなければ、もっと説得力があった」
「うぐ……」
「へッ、ガキに言い負かされてやん」
「たとえそれが本当のことでも、やたら挑発しちゃダメ、リューム」
「……こっのクソガキーっ!」
「お前も思いっきり挑発してんじゃねーかよコーラルっ」
「不可抗力、かと」
「ねぇねぇパパぁ、パパもミルリーフが喧嘩やめてって言ったらやめてくれる?」
「ん……ま、そうだな。やめられる時はやめるぜ。お前泣かしてもしなくちゃいけない喧嘩なんてそー多くはねーだろうしな」
「えへへ〜」
「……(ぎゅむっ)」
「お、どうした、ハサハ?」
「……(ふるふる)」
「? よしよし、大丈夫だからな」
「ご、ご主人様? あ、あの、えっと、もしボクが喧嘩をやめ……いえなんでもないですすいませんっ!」
「だーウッゼェな! 言いたいことは最後まで言えッつってんだろーがこの牛ガキッ」
「だ、だってー、だってぇぇ」
「ライ……もし僕が喧嘩をやめてと言ったら」
「子供と張り合ってんじゃねーよギアン!」
「いやはや、状況が混沌としてきましたな。ここはひとつ一曲ぶたせていただくといたしましょうか。はっぁぁ〜ん♪」
「うわっ、は、歯が浮くぅっ!?」
「ンッだこの歌ッ……頭ん中にジンジン」
「シンゲンーっ! お前なぁっ……」
「ああああーっ!」
 唐突に響いたリシェルの桁外れに大きな金切り声に、一瞬場はしーんと静まった。
「ど……どうした、リシェル?」
「お……思い出したっ! あっあなたたちっ……」
「え? 俺たちが、なにか?」
 指を差されきょとんとした顔になるマグナに、リシェルは絶叫する。
「あの時トレイユに助けにきてくれた、ユエルの友達の召喚師の人たちでしょうっ!?」
「……は?」
「……へ?」
「………え」
『えっえええええーっ!?』
「えっちょ、ちょっと待ってくれ、トレイユってユエルの友達って、もしかして君たちあそこにいた……? すごい魔力の持ち主と戦ってたっていう?」
「な、ちょ、おい待てよリシェルっ、なんで今まで思い出さねーんだよっ!?」
「だってちゃんと会ってないんだもの! あたしたちがトレイユに戻った時にはもう去ってったあとらしくてユエルに名前だけ聞いたの! あの子マグナとネスティとアメルたちが来てくれたんだよって嬉しそうに」
「あンの狼ガキ、俺らのことは無視かよ」
「ゆ、ユエルさんはただご主人様のことで頭がいっぱいになっちゃっただけだと思うよ……?」
「それが頭にくんじゃねーかよッ」
「うわ、やべ、どーすんだよ? この人ら恩人だぜ?」
「ぐうっ……! 人に恩を受けておいて返すどころか迷惑かけるなんて、クソ親父と同じじゃねぇか……! すまねぇ! 俺が悪かった! 煮るなり焼くなりどうとでもしてくれっ」
「え、いや、ちょっとま、突然そんな男らしく謝られても」
「へっへっへ、いい覚悟じゃねェか、動くんじゃねェぞ」
「悪ノリするなバルレルーっ!」
「君たちがどういう素性の者かは知らないが……ライを傷つけるというなら僕が相手になろう!」
「ギアンあんた空気読みなさいよっ! あーもーゼラムにいるって聞いてたのにすっかり忘れてたっ……!」
「……あるじ殿」
 唐突に発された音声に、周囲は一瞬静まった。今の今までずっと沈黙していた機械兵士が声を発したのだ。
「え……どうした、レオルド?」
「周囲カラ熱源ガ接近シテキマス。オソラクハ騒ギヲ聞キツケテヤッテキタ近隣ノ住民ト思ワレマス。至急退避ヲスベキカト」
「げ……やばいな、またネスにどやされる……えーっと、君たち」
 マグナはくるりとこちらを向いて、にっと笑んだ。グラッドの兄貴と同じくらいの年恰好に見えるのに、どこか子供めいた雰囲気のある笑みだった。
「よかったら、ソバでも一緒に食わないか?」

「シオンの大将! 席、いいかな? ちょっと大人数なんだけど」
 マグナたちに連れられて向かった先は、住宅街の道端のひとつの屋台だった。相当に繁盛している店らしく、周囲にはいくつもの椅子と卓が並べられている。
「おや、マグナさん、いらっしゃい。今回はまたずいぶんといろんな方々を連れてらっしゃいますね。初めてのお客さんもいらっしゃるようですが」
 そう言いながら屋台の中から姿を現したのは、シルターン風の着物に身を包んだ中年の男だった。糸のように目を細め、笑顔でこちらを見ている。
「うん、まぁいろいろあって。準備中なのに迷惑かなとも思ったんだけど、ここらへんでゆっくり話ができるとこ、俺大将の店ぐらいしか知らないからさ。ダメ……かな?」
 上目遣いで見つめられて、シオンというらしいその男は笑顔でうなずいた。
「マグナさんにそう言われては仕方ありませんね。今日の分のそばは準備してありますので、どうぞごゆっくり」
「やった! ありがとう大将、期待してたんだ! みんな、シオンの大将のソバはなんでもすごいうまいから好きなの頼みなよ!」
「ほう、夜鳴きそばですか……これはまた、懐かしい」
 シンゲンがわずかに笑み(たぶん白いご飯でないのでそれほど強烈な愛着がないのだろう)、それぞれが好きな席につく。ライはマグナ(とバルレル)の対面に座りつつも、興味深く屋台の中や品書きを観察した。
「ソバか……話には聞いたことあるけど、食べたことはなかったんだよな」
 ソバの実は雑穀としてそれなりに生産されているが、普通にそれを使う料理とは違いソバの実を挽いたものそれのみを使いながら料理として高い完成度を持つシルターンの料理、ソバ。料理人としてここは興味を持たずにはいられないところだろう。
「大将、俺いつものね」
「はい、天ぷらそばですね」
「俺もいつものな」
「はい、蕎麦掻ですね」
「ハサハ、あぶらあげがのったの……」
「えっと、じゃあボクは、山菜のおソバをお願いします」
 マグナたちは慣れているようで、てんでにさっさと注文を済ませる。ライたちは品書きを見ながらわいわいと品書きについて質問した。
「なぁなぁ、てんぷらソバってなに? どういうの? つーか、てんぷらってなに?」
「魚や野菜に小麦粉と卵の衣をつけて油で揚げたものですね。それをそばの上に載せたものが天ぷらそばです。冷やしそばの場合はそばとは別にしていますが、食べる時に一緒にしてもいけますよ」
「へぇー、おソバって温かいのと冷たいのとあるんだ。ねぇねぇ、このかもなんばんってなに? なんばんってどういう意味の言葉なの?」
「由来としては葱を入れた料理をそう呼んでいたことからきているそうです。鴨肉と葱を入れた温かいそばですねぇ」
「月見ソバってなぁに? おソバを食べながらお月見するの?」
「いえいえ、生卵を具にした温かいそばです。卵の黄身は黄色いでしょう? それを月に見立てたわけですね」
「『もり』と『ざる』と『かけ』と『つけ』ってどういうもんなんだ? 盛り付けの違いなのか?」
「そうですねぇ、店によって考え方は違うんですが。うちではもりとざるは器と、つゆのコク、それと海苔がかかっているかどうかですねぇ。ざるの方がつゆを濃くして海苔をかけているわけです。かけはそばを丼に盛って温かいつゆをかけたもの。つけは冷たいそばに温かいつゆをつけて食べるものですね。『ぬき』と呼ばれる種……具をつゆで煮たものも一緒に出します」
 それぞれめいめい騒いだのちに、全員注文を決める。
「オレ天ぷらソバってのな!」
「ミルリーフお月見するおソバが食べたーい!」
「……とろろソバ」
「あたしはかもなんばんってのね!」
「手前はかけそばと、稲荷寿司を」
「え、なに言ってんだよシンゲン、ここってソバ屋なんだろ?」
「まぁそうなんでござんすが、こういう夜鳴きそばではたいてい稲荷寿司も一緒に作っているものなんですよ。品書きにありましたんで頼んでみた次第で」
「僕はライと同じものを」
「はい、ではそちらの……ライさんは?」
 ライはじっと品書きを見つめつつ、うんとうなずいて言った。
「俺は、もり」
「……ご注文、承りました」
 とんとんとん、と素早く薄く延ばした生地を切り、沸騰した湯にくぐらせる。そしてそれを洗い氷水で締め、手早く盛っていくその腕は確かに見事だった。
 あっという間に目の前に出された器に盛られたソバ。それをまず一本口に含み、それからハシをつゆにつけてつゆの味を確かめた。それからうんとうなずいてソバをつゆにつけ、シオンに言われた通りずずっと音を立てて啜る。
 とたん、思わず目を見開いた。
「……うまい……!」
「ははっ、だろ?」
 ライは勢いよくうなずいて、ソバを勢いよく啜り始めた。他のみんなも「おいしー」「うまー」などと言いつつソバを啜っている。
 これは本当にうまい。ソバとつゆの味、風味、歯触り、香り。そういったものがすべて見事なまでに調和し、ひとつの完成された料理を作り出している。あの何気ないようなくせに流れるようになめらかな手つきからもわかってはいたが。
「……シオンさん、あんた名人だな。ソバって料理がどれだけ難しいもんなのかはわかんねーけど、あんたみたいな名人はそうそういないってのはわかるよ」
「いやいや、そんな。お褒めに預かり光栄の至りですが、そういうお客さんも相当な料理通と見ましたが?」
「! ……なんでそんなことが?」
「そばという料理をご存じないのにもりという基本となる一品を頼んだこと。そしてその食べ方。まずそばを単品で味わい、つゆの味を確かめ、そしてそれらがちょうどいい味になる分だけそばを取って啜る。そんな真似を当然のようにしてのける方は相当な料理人か料理通しかいらっしゃいませんよ」
「そっか……」
「すっごーい、よくわかったわね……シオンさん、だっけ?」
「はい。お客さんの中にはシオンの大将とお呼びになる方もいらっしゃいますが」
「ふっ……あえて言うのもなんだから黙っていたのだけれど、このライは帝国の名店評価本ミュランスの星も認めた、帝国最年少の有名料理人なのだよ! 店には毎日押すな押すなとお客が詰めかける、帝国の宮廷からも招きがあったほどのねっ!」
「ギアンどーでもいいこと偉そうに主張してんじゃねーよ!」
「へぇーっ、すごいなぁ。じゃあライたちは帝国から来たのか」
「ああ、まぁそうだな」
「……ケッ。帝国だァ? あのクソどもと同じ国から来たってか。チッ、どうりでけったくそ悪い奴らだと思ったぜ」
「……なんだよ。帝国になんか恨みでもあんのかよ?」
「ケッ……」
「あ……ごめんな。バルレルは、俺に召喚される前、帝国の人間に召喚されていたらしいんだ。そこで、その……ずいぶんひどい実験とかいろいろされてたらしくて」
『!』
 思わず立ち上がるライに、バルレルは強烈な一睨みをくれる。
「嘘だなんだって喚こうがな、オレは言ったことを取り消す気はねェぞ。テメェらの国は俺をさんざ勝手に弄くりまわしやがった。その恨みを捨てる気もねェ、オレの前にあんなことしやがった奴らが出てきたら、今度こそ確実に仕留めてやらァ」
「……バルレル」
「知ってるさ」
「……あァ?」
 き、とバルレルを睨むように見つめ、心の底から真剣に。
「俺は、俺の生まれた国がそういうことをしてたし、今もたぶんしてるっていうのを知ってる。召喚獣や、人間も、さんざ弄くりまわして生を歪めたりしてるって知ってる」
「……フン。だからなんだってんだ、あァ?」
「だから、変える」
「………」
「俺にできることで、俺にできることをして、少しずつでも変えていくって決めたんだ。仲間や、友達や、こいつらのためにも、俺自身のためにも」
 そう言い切ってから、にやっ、と悪戯めいた笑みを浮かべ。
「……ま、俺がどうこうしたところで変えられるもんなのかどうかはわかんねーけどな。それでも、やんねーよりはちょっとはマシかもしんねーし。だろ?」
「……ケッ。抜かしやがる」
 ふい、とそっぽを向いて、バルレルは最後のソバガキを口の中に放り込んだ。マグナがふ、と優しく笑む。その笑みは彼が自分よりもそれなりに年を経ているということを感じさせる、大人っぽい笑みだった。
「素直じゃない奴」
「ケッ、だーれが素直じゃないってェ? あんぐ」
「あっこらバルレルそれ俺の天ぷらだぞっ」
「取られる方が悪ィんだよ、バーカ」
「バルレルくんっ、ご主人様にそんなことしちゃ」
「うッせェこの泣き虫牛ガキ!」
「……けんか、するの?」
「ああ大丈夫だぞハサハ俺たち仲良しだからなっ!」
 そんなついさっきやったような騒ぎを繰り返してから、マグナはきょるんとした瞳でライの方を向き訊ねた。
「で、なんか俺たちに話があるんだよな? なに?」
「……う」
 なんというか、この状況で出す話題としてはいまさらというか間抜けというか、もう用事は済んでしまったようなものなのだが。
「えっと……なんつーか。マグナさんって……」
「マグナでいいよ。さん付けされるほど偉くないし」
「そっか? じゃあ遠慮なく。えっと、マグナって、どういう仕事してる人なんだ?」
「え、服でわかんないかな? 召喚師だよ、蒼の派閥の」
「え……じゃあ、ミントねーちゃんとか、ミモザのねーちゃんみたいな……」
「あ、そっか、君たちはミモザ先輩たちのこと知ってるんだっけ。うん、そう、そういう仕事。ミントさんって人とも会ったことはあるよ、数えるほどだけど」
「はぁ……」
 言われてまじまじ見つめてみる。が、どうにもマグナの姿はライの想像する召喚師というものとはそぐわなかった。
 体にぴったりした上着とズボン。腕には特徴的な籠手。おまけに背中に背負っているのは使い込まれた感じの鞘に納まった大剣。体つきも相当にがっしりしているし、服の下には鍛えられた筋肉があるのは身のこなしからでもわかった。これはむしろ。
「……召喚師って戦士やりながらでもなれんのか?」
 思わず問うと、マグナは苦笑してみせる。
「まぁ、俺はいつも戦闘訓練ばっかりしてた落ちこぼれだからなぁ。戦いの時も、回復とか憑依とかに召喚術使う時以外はいっつも前線で戦ってたし」
「まんま戦士じゃねーか」
「ケケッ、言われてやんの」
「でっ! でもでもぉっ、ご主人様はすごいんですよっ、本当はっ。四属性すべての召喚術を使えちゃうんですからっ!」
『え!?』
 思わず声が揃う。四属性全部って、それは。
「……名もなき世界の関係者、とか?」
「え……いや、それは違うんじゃないかな。たまたま俺がそういう体質だった……っていうか」
「そういう体質、って……四属性全部使える召喚師の体質ってどんなのよ?」
「いや、まぁ、いろいろあってさ。あははは」
「あ、じゃあこの四人のお兄ちゃんやお姉ちゃんたち、マグナが召喚した護衛獣なの? すごいね、四人も召喚しちゃうなんて」
「というか……普通はやらないと思うよ。護衛獣のように最低限の誓約以外は制御しない召喚獣をいくつも作るというのは、いうなれば四人の相手と同時に交際しているようなもので、関係的にどうしてもいろいろと面倒なことに……」
「よ、四人と交際って……そんなんじゃないって。みんな俺の大切な護衛獣には違いないんだけど、そういうことになったのにはいろいろ理由があるんだよ」
「理由って?」
 訊ねると、マグナはずずっとそばつゆを啜り終えて、その頃合を見計らって差し出されたお茶をふうふう吹きながら、考え考え説明してくれた。
「んー……えっと、まず俺が最初に召喚したのはバルレルなんだ。俺は最初は自分のこと霊界の召喚師だと思ってたし。派閥の試験の時に護衛獣として召喚して……そのあと一緒にあちこち旅したり、いろんなこと一緒にやって」
「ま、俺が一番の古株ってこった」
「で、いろんなことがあって……俺の故郷に行ったりとかいろいろやって……そのあとしばらく俺たちは、リィンバウムの遺跡の調査の旅に出てたんだ。派閥の仕事で。以前関わった事件で遺跡の危険性が見直されたりしたんで、リィンバウム中の遺跡を再調査して危険なものだったら封印する、そういう仕事を俺たちは任されたんだよ」
「あ、聞いたことある。何年か前蒼の派閥が熱心にそういうことやってたって」
「うん。で、俺たちはあっちこっちの遺跡を調べて回ってたんだけど……そのうちのひとつで、俺たちはレオルドと出会ったんだ。廃墟と化した機械遺跡の中で、ただ一体稼動可能な状態で眠っていた機械兵士だったレオルドとね」
「え、じゃああんたって、リィンバウム生まれなのか?」
「イエ、製作サレタノハろれいらるデス。自分ハカツテろれいらるデ起キタ大戦ノ際ニ歩兵トシテ開発サレタ機体デスノデ」
「………は?」
「ああ、つまり生まれはロレイラルなんだけど、まともに動けるようになったのはリィンバウムってこと。過去の大戦で、ロレイラルからの侵略の時にリィンバウムに築かれた砦のひとつだったんだよ、レオルドのいた遺跡は。その時に運んできた兵力の中に、レオルドがいたんだよな」
「へぇ……」
「その遺跡はもう廃墟になってて、まともに動けるのはレオルドしかいなくてさ。とりあえず起動して、状況を説明して、これからどうするか聞いてみたらさ、新たな命令が来るまで待機するとか言うんだよ。そんなの放っておくわけにはいかないだろ? だからだったら俺の護衛獣になってくれ、って頼んで誓約を交わしたわけ」
「感謝シテイマス。あるじ殿ガソウ言ッテクダサッタオカゲデ、自分ハ大切ナ存在ヲ守ルタメニ戦ウコトガデキテイルノデスカラ……」
「お互い様だって。俺たちだってレオルドがいてくれるおかげでいろいろ助かってるし……なにより俺たちにとってもレオルドは大切な仲間なんだから」
「あるじ殿……」
 微笑みを交し合う(レオルドは顔部分を向けただけだが、雰囲気的に)二人に、小さく笑む。これまであまり話に加わってはこなかったが、やはりレオルドもマグナたちとお互いに大切に思い合っているのだと思うと他人事ながら嬉しくなったのだ。
「で、次がハサハ。ハサハは、レオルドと会った少しあとに、仲間の紹介で俺が召喚したんだよな」
「……仲間の、紹介って?」
「うーん……なんていうか……仲間にさ、鬼妖界からやってきて定期的に故郷と連絡取ってる道の者がいるんだけど……」
「……どうのものってなんだ?」
「……グウジとか、ミコとか、鬼妖界の強い力を持つ、召喚獣に仕える人たち。でも、鬼妖界と定期的に連絡を取る、って……もしかして、自分から、リィンバウムに?」
「あ、うん、そうだよ。よく知ってるな、小さいのに。……その子から頼まれたんだよ。ハサハを預かってくれないか、って」
「……預かる?」
「うん。なんでも……ハサハの生まれ育ったジンジャの主だったお母さんが亡くなって、ジンジャには新しい主が来たんだそうなんだけど。結果として、まだちっちゃかったハサハは……今もちっちゃいけど……とにかく、行き場所がなくなっちゃったんだ」
『…………』
 思わず全員押し黙る。そういうことは軽々しい気持ちで聞いていいことではない。
 だがハサハは特に動じた様子もなくマグナの横ではむはむと油揚げを食べている。それだけ気持ちの整理をする時間があったということなのだろう。ライとしてもいちいち気にされた方が困るという気持ちはわかるから、気にしていない顔をすることにした。
「ハサハのお母さんは相当に力のある妖怪だったから、そのジンジャの主の跡を継ごうっていう奴も相当な数いたそうでさ。跡目争い……というか、そのジンジャの主であるという権威を手に入れようって奴は新しい主が来ても多かったそうなんだ。だから、その争いのためにハサハが利用されてしまうかもしれない。だったらほとぼりが冷めるまで信用のできる者に預ければいい。いっそ鬼妖界の者にはまず手の出せない、リィンバウムの者に預けてはどうか……って、仲間の仕える鬼神さまは考えたんだってさ」
「……それで、あなたがハサハを?」
「うん、召喚して、誓約した。もちろん嫌だったら鬼妖界に還してあげるつもりだったけど、ハサハは一緒にいてもいいって言ってくれた。だからそれからずっと一緒にいて、いろんなことを一緒にやってるんだよ」
「……(こくん)。ハサハ、おにいちゃんと、いっしょにいたいから……」
 横から自分を見上げるハサハに、マグナはぽんぽんと頭を叩いてやっている。気持ちは、なんとなくわからなくもなかった。
「で、最後がレシィな。レシィは……うーん、うちの派閥の恥をさらすようでなんなんだけど……蒼の派閥の別の召喚師のところから、俺が引き取ったんだ。そいつがレシィのことをいじめてる現場に行き当たったからさ」
「……いじめてる?」
「うん……ミモザ先輩たちから聞いてるかもしれないけど、召喚師って奴らの大半には根強い特権意識と階級意識がある。普通の人間を自分たちより下の存在って思いがちだし、召喚獣を便利な道具って考えるような奴も多いんだ。それで……」
「……ボクが、あんまりドジで、ぐずだから、あの人を怒らせてばっかりになっちゃって……いつも殴られたりとか、蹴られたりとか、されてしまって」
『!』
「レシィ? わかってるよな? そんなことをされるのはお前が悪いからじゃない。ただあいつの考え方が間違ってただけだ。お前は優しいし、よく気がつくし……今は大切なもののために戦う勇気を持ってるじゃないか」
「はい……ご主人様。今はちゃんと、わかってます。ご主人様や、みなさんのおかげで……ボクは弱虫だけど、周りのいいように扱われていい存在じゃないって、わかるように、なりました」
 にこぉ、と笑うレシィに、マグナは腕を伸ばしぽんぽんと頭を叩く。ご主人様と呼んではいるが、レシィにとってそれは隔意を表すのではないのがよくわかる光景だ。まぁ、あそこまで全力で懐かれたら誤解のしようはないが。
「……で、レシィといろいろ話をして、もう少しこっちに、俺と一緒にいたい、ってことだったから、レシィを召喚した奴に誓約を解除させて、俺が改めて誓約しなおしたんだ。それが三年と……三ヶ月くらい前かな。で、俺はみんなと一緒に仕事とか、いろいろするようになったわけ」
「なるほど……」
「四属性使える召喚師ってそういう時便利よねー。ま、四属性使えても使いこなせなきゃ意味ないけどぉ?」
「うるせーな、召喚術は召喚師に任せとけって言ったのお前だろ?」
「……え? それってもしかして」
 目を瞬かせるマグナに、ライは苦笑して言った。
「俺も四属性全部使えるんだよ。ま、俺の場合ちゃんと召喚術学んだわけでもねーし、そんな強い術は使えないんだけど」
「へぇ! なんだかレナードさんみたいだな。あ、もしかしてそれでさっき名もなき世界がどうこうって言ったのか」
「まぁ……本当にそうかはわかんねーんだけどな、俺の親父が名もなき世界の人間かも、って話が出てきてよ」
「? 話が出てきた、ってことは……」
「五歳の時からほとんど会ってねーからな。妹の病気を治すためってことで俺を放ったまま旅に出やがったんだよ。んで、その間一度か二度しか家に帰らねーし手紙のひとつもよこさねーんだ、訊ねようがねーよ」
「……そっか」
 マグナは苦笑してからずずっとお茶を啜り、それから立ち上がった。
「あのさ、ライたちは今日は、ゼラムを見て回る予定なんだよな?」
「あ? ああ、そうだけど? まぁゼラムに伝手がねーからどこをどう見て回ったもんかって考えてるとこなんだけどな」
「じゃあ、俺が案内するよ」
「! いいのか!?」
「ああ。せっかく縁があって出会ったんだし。俺もゼラムの観光名所に詳しいってわけじゃないけどさ、街歩きを楽しんでもらえるようにはできると思うんだけど。どうかな?」
 ライは仲間たちと目を見交わし、意志を確認しあってから揃って大きくうなずいた。
「じゃあ、悪いけど頼む。よろしくな!」
「ああ、任せといてくれって♪」
「……またメガネにどやされても知らねーぞォ?」
「う、うるさいなっ、いいんだよ今ネスのことはっ」

「ここがゼラムの繁華街! まだ昼だから人は少ないけど、夜になったらこの道中が人だらけになるんだよ」
「へぇ……帝都にもあったな、こういうとこ」
「でも、帝都よりちゃんとした建物が多いかも」

「ここは劇場通り。その名の通り大劇場の周りの飲み食い商売の店が並んでるんだ。ここをもうちょっと行ったら武器やら防具やらも取り扱ってる商店街になるんだぜ」
「劇場かぁ……そういや確かシンゲンは聖王都の劇場に雇ってもらえないか聞いたとか言ってなかったっけ?」
「いやはや、よく覚えてらっしゃる。ですがもう遠い昔のことでござんすよ」

「ここがハルシェ湖畔。王城の上手に湧き出る至源の泉からあふれ出た水が低地にたまってできたもの……なんだよな、レオルド?」
「ハイ、あるじ殿。ぜらむノ人々ノ貴重ナ水源デアルト同時ニ海路ヲ使ッテ運バレル物資ノ受ケ入レ口ニモナッテイマス」
「至源の泉? なんだそりゃ?」
「エルゴの王の遺産のひとつ! 四界の魔力を蓄えた不思議な泉だって話よ、聖王家以外見ることは許されてないから詳しくは知らないけど」
「へぇ……うまい魚が釣れそうだな!」
「実際いろんな魚釣れるらしいよ……俺は一度も釣ったことないけど」

「で、ここが王城! ちょっとした眺めだろ?」
「うわ、すげぇ! 城が滝を背負ってるぜ!」
「いわゆる天然の要害ってやつ。攻めるに難く守るに易いってネスが言ってたよ。門前は広場になってて、けっこういろんな人が休んでたりするんだぜ」
「へぇ……なぁ、ネスって誰だ? さっきから何度も出てるけどさ」
「え、えーっと、その……。………。俺の、大切な兄弟子、だよ」
「……そっか」

「はーっ、つっかれたーっ! 一日で観光名所全部回るとさすがに疲れるわね! でも楽しかったーっ!」
 高級住宅街の道を歩きながらうーんと伸びをするリシェルに、マグナは笑った。
「俺もこんなに隅々まで回ったの久しぶりだから楽しかったよ。そろそろ夕方だけど、君たちはもう宿は決まってるんだよな?」
「ああ。この近くにある家なんだ。人に紹介してもらったんだけど」
「そっか……じゃあ、そろそろお別れだな。俺たちもそろそろ行かなきゃならないとこあるし」
 少し寂しげに笑むマグナたちに、それぞれてんでに挨拶をする。
「じゃーなっ、にーちゃんたちっ。あんますぐ喧嘩すんじゃねーぞっ」
「てめェに言われたかねェってんだよ、このクソガキ」
「今日のこと、深く、感謝。無病息災、祈念」
「……ん。ハサハも、あり、がとね?」
「みなさん、どうか体に気をつけてくださいね」
「うんっ、レシィちゃんもねっ」
「ちゃんとメンテしてもらいなさいよ、レオルドっ」
「ゴ心配ナク。リシェル殿モドウカ、ゴ息災デ」
「まぁ、手前が言わずともマグナ殿なら下手をうつようなことはないでしょうが……」
「護衛獣たちのためにも、体には気をつけることだね」
「うん……じゃあ、みんな、今日一日ありがとう。またなっ」
 手を振って背を向けるマグナに、自分たちも手を振って見送る。角を曲がるまで見送って、地図を取り出した。
「……さてと! 今日の宿はっと……こっからあんまり離れてないじゃない」
「召喚師さんのお家なんだよね?」
「ハヤトの友達の家なんだろーな。どういう家か知らねーけど、よっぽどでかいんだろーなー……」
 そんなことを喋りながらすたすたと歩く。ライの頭の中では、さっきまで一緒にいた召喚師、マグナのことをいろいろと考えていたけれども。
 なんか、ガキっぽい感じの人だったけど、芯には強さと逞しさがあるのは話していてわかった。あの人は一見いい加減のように見えるけれど、やるべきことを間違えない、間違えたとしてもそれを正すことを怖れない尊敬できる大人だ。
 ちょっとハヤトに似てたかも、とちらりと思う。雰囲気や性格はけっこう違うんだけど、芯にあるものの印象が。
 大きな屋敷の立ち並ぶ住宅街を歩き、住所と表札の名前を確認してから呼び鈴を鳴らす。「はーい」という返事があってしばらくしてから扉が開く――と、そこにいたのはハヤトだった。
「お、ライ、みんな。やっと来たかー」
「ハヤト! ……ああそっか、部屋貸してもらうんだもんな、雑用ぐらいして当たり前か」
「そういうこと。入れよ、家主と、その他もろもろ紹介するから」
 靴の汚れを落としてから、わいわいと中に入る。中はブロンクス家ほどではないにしろ、大きくゆったりとした家主の富裕さを感じさせる作りになっていた。調度品やらなにやらのことはよくわからないが品のいいような気はしたし、掃除が隅々まで行き届いていたのでここの家主はきちんと家の中を取り回しているのだとわかった。
「その他もろもろってなんだよ。家主のほかに誰かいるのか?」
「うん、まぁ、たまたま仕事の関係でここの家主に会いに来たらしいんだけど、俺たちともそれなりに見知った仲だから、紹介しとこうと思ってさ。……おーい、ミモザにギブソン、それにマグナー。俺が紹介するって言った奴らが」
『えぇっ!?』
 思わず揃って声を上げる。ちょうど入ってきた居間で、ソファに座っていた人々と顔を見合わせる。それがさっきまで会っていた顔だということを認識し、思わず指を差したまま口をぱくぱくさせてしまう。
 先に我に返ったのはマグナだった。ははっ、と驚きの感情は残っているけれども楽しげな声で笑う。
「そっか、ハヤトが紹介するって言ったのは君たちか! 驚きっていうかなんていうか……これも縁、なのかな。……改めて自己紹介するよ。俺はマグナ・クレスメント。ミモザ先輩たちの後輩で、ハヤトたちの友達の、蒼の派閥の召喚師だよ!」
 そう言って悪戯っぽく笑い、ぴっと挨拶するように指を振った。

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