この作品には男同士の性行為、というほどではありませんがそれに類する印象を与える行為を描写した部分が存在します。
なのでなので男同士の性的なニュアンスを含んだ行為を描写した小説が好きではないという方は非閲覧を推奨します。



レルム村を超律者と見学
「いやー、けどまさかハヤトから聞いてたお客がマグナも助けに行ったっていうトレイユのミントの友達とはねー。世界は狭いわ、いや本当」
 ミモザがセイロンから教わった普通の人間なら火を吐きそうになるほど辛い鳥団子スープをうまそうにすすりつつ言うと、横に座った彼女の夫――ギブソンも普通の人間なら歯が抜けそうと表現するほど甘い果物の砂糖漬けを味わうように噛み締めながら穏やかにうなずく。
「確かに。これだけの力の持ち主がごく当たり前のように一堂に会するとは、正直なにかの配剤を感じずにはいられないね。いや、むしろこれこそが類は友を呼ぶ、ということなのかな」
「ひどいな、ギブソン。それじゃまるで俺たちが悪人かなにかみたいじゃないか」
「そうですよ、ギブソン先輩。俺たちはあくまで善良な一市民と一召喚師にすぎないんですから……けど、この芋グラタンうまいなぁ。アメルだってこんなにうまくは作れないよ。これも、ライが?」
 マグナに訊ねられ、ライはにっと笑んでうなずいた。どんな状況だろうと、自分の作った料理で誰かが喜んでくれることは自分にとってなによりの喜びだ。
「まぁな。そのグラタンは芋の火の通し方とか、いろいろ研究したし」
「本当に、ライさんってすっごいお料理が上手なんですよ、ご主人さま。手つきとかボクとは比べ物にならないくらい鮮やかでしたもん」
「レシィよりも!? そりゃ本当にすごいなー」
「あったりまえだよ! パパの作るお料理は世界一なんだからっ」
「ま、こいつが作るのよりうまい料理とか、俺食ったことねーしなっ」
「……身びいきを抜いても、天下一品かと」
「そー言ってくれんのは嬉しいけどな、俺はまだまだ未熟だぜ? だからこそきっちりいろんなもん見て、経験積まなきゃなんねーんだ」
「ふわぁ……ライさん、立派ですのぉ。モナティも見習いたいですのぉ」
「きゅきゅっきゅきゅー」
「あんたが見習ったってろくなことになんないわよ、っていうかそんなこと言う前にそのどろどろの口元なんとかしなさいよっ!」
「ははは、まぁライの料理はうまいからなぁ、がっついちゃうのもわかるよ。……で、ギブソン、ミモザ。ラミのことなんだけど」
 すう、と表情を真剣なものに変えてハヤトが二人の召喚師の方を見やると、ギブソンもミモザも同様に真剣な顔で見返しうなずいた。
「ラミちゃんは今、ロランジュの家に住みながら、蒼の派閥で教育を受けてるわ。本部の教室への通い弟子って形になるけど」
「まだ年が若いから、教室といっても幼年学校のようなものだけどね。召喚師としての教育はもっぱらロランジュ家の人間がやっている。呑み込みが早い、と義父さんたちも喜んでいたよ」
「ただ……ね」
 困ったような顔で言葉を濁すミモザに、ガゼルがきゅっと顔をしかめて突っ込む。
「なんだよ。なんか問題があんのか?」
「問題っていうか……」
「教室でなかなか友達ができないみたいなんだ、ラミちゃん」
「……マグナ。先輩たちの話に突然口を挟むのは失礼だろう」
 こう言ったのはマグナの兄弟子だという、導きの庭園で派手に喧嘩をしていたネスティという名の眼鏡の青年だった。いかにも堅物そうで神経質そうなこの青年は、自分たちに対しても礼儀正しくはあったもののひどく言葉少なだったのだが、マグナがなにか言うと高確率で重箱の隅をつつくような勢いで突っ込んでくる。
「いいだろう? 俺にとっても他人事じゃないんだから。……やっぱりさ、何度かのぞいてみたんだけど、召喚師って階級意識とか特権意識とか強い奴らが多くてさ。子供にもそういう教育してるみたいで。ラミちゃんが養子だとか、元平民だとかいちゃもんつけてはやしたてたり意地悪したりするんだよ。同じ蒼の派閥の召喚師として、腹立つけど」
「あのガキも気が小せぇからろくに言い返しもできねぇですーぐ涙ぐんじまうし。一応見かけた時はこいつらが他のガキどもに釘刺したりしてたけどよ、ガキっつーのはよそのオトナからなんか言われても反発すっからな、どこまで効果あることやら」
『…………』
 ハヤトとガゼルが揃って顔をしかめ黙り込む。キールも険しい顔になった。モナティがラミちゃんかわいそうですのぉと半泣きになり、エルカが怒りに顔を赤くして宙を睨む。
 それぞれにラミのことを心配しているのだろう。当然だよな、とうなずきつつ、ふと気がついたことを口にする。
「ならさ、いっそみんなでその教室に押しかけてったらどうだ? 授業参観ってことで」
『………は?』
「親のことでいちゃもんつけてんだろ、そいつら? なら、ここに親代わりがこんだけいんだからみんなで押しかけちまやいーじゃんか。ラミの親がどんだけすげぇか、がつんと一発かましてやりゃあさ」
「ちょ……あんたねっ、そんなことできるわけないでしょっ!」
「は? なんでだよ」
「なんでって……えーとねぇっ」
「……召喚師の派閥というのは閉鎖的なものだ。派閥本部には関係者以外は基本的に立ち入り禁止だし、そもそも召喚術という知識がむやみに広まることを禁じる蒼の派閥が教室に無関係な人間を入れるわけにはいかない」
 顔をしかめて言ってきたネスティに、ライはむ、と一瞬眉を寄せつつもめげずに提案を続ける。
「なら授業の前の時間とかに会いに行きゃあいいんじゃねぇの? 派閥本部が立ち入り禁止ってのは……マグナたちが派閥の偉いさんとかに頼んだら、うまく入れてもらえねぇ?」
「そんなことができるわけがない。そもそも僕たちは派閥の有力者たちには睨まれている立場だ。いくつかの特権を与えられている分、なんとか足を引っ張れないかと常に一挙手一投足を窺われているというのに――」
「……ちょっと待って。もしかしてもしかしたら、それ、なんとかできるかもしれない」
「え?」
 ミモザが考えるように口元に指を当て、それから大きくうなずく。
「うん、たぶん大丈夫、話通せるわ。話としても時機としてもちょうどいいもの。みーんなまとめて蒼の派閥本部へご招待してあげるっ!」
 笑顔で言った豪気な言葉に周囲からはおおっと歓声が上がったが、ネスティは一人「なにを言ってるんですか!?」と血相を変えた。
「ミモザ先輩、あなたのロランジュからジラールへ嫁ぐという行為も派閥幹部のお歴々は快く思っていないことはあなた自身わかっているでしょう! なのにそんなわざわざ喧嘩を売るような真似を」
「だーいじょうぶ、心配しないで。これはエクスさまの指示なんだから」
「……あの方の?」
 ネスティが(もともと相当に全力で眉間に皺が寄せられていたが)ぎゅっと顔をしかめる。その表情には、どこかきりきりと切羽詰ったものが感じられた。
「まぁエクスさまの指示っていうか、その拡大解釈かな。もともとね、ハヤトたちがやってきたら本部へ連れてくるようにって言われてたのよ。で、連れは何人いてもいいって。だからそこらへんをちょっと融通利かせれば、ラミちゃんの教室に顔を出すくらいはできるんじゃない?」
「……ですが」
「そう固いこと言うなって、ネス。ネスがみんなを心配してくれてる気持ちはわかるし、ありがたいけどさ」
「マグナ……」
「でも、俺だってラミちゃんの力になってあげたいし、ハヤトたちにラミちゃんが頑張ってるとこ見せてやりたいし。それにさ、そりゃ評判を悪くするのはよくないけど、俺としてはやっぱり派閥のそういう閉塞的なとこを変えていきたいなって思うんだよ、派閥の一員としてさ。それには、ただ縮こまって文句言われないようにしてるだけじゃ駄目だろ?」
「……まったく、君という奴は」
 ふいに、ふ、とネスティの表情が柔らかくなった。マグナがのほほんと笑いながら、けれど真摯に言った言葉に、ふぅっと顔から険が取れて雰囲気が優しくなったのだ。
 そんな顔で彼がマグナに向ける視線は、彼がどれだけマグナのことを大切に思っているかががんがん伝わってくる。あまりにつんけんした物言いにライは内心ネスティにむかっ腹を立てていたのだが、この人は本当にマグナが好きなんだな、と思うと少しばかり優しい気分になった。
「わかった。いいさ、君がそこまでいうのなら、細かい後始末は僕が引き受けよう」
「ネス……ありがとなっ!」
「ただし、言ったからにはやるべきことはやってもらおうか。人に文句を言われないだけの実績を作るためにも、今の研究を期日の十日前には形にしてもらうからな?」
「え、えぇ!? そんな殺生なっ」
「文句があるなら……」
「ないですないですっ。……あーしばらくは昼寝もできないなぁ……」
「よっし。話もまとまったようだし、明日はおねーさんの引率でみんなで蒼の派閥の本部に出発よっ!」
『おおーっ!』
「……って、あたし金の派閥の家の人間ですけど、いいんですか?」
「いいのいいの、金の派閥の子が来るのは初めてじゃないし。せっかくだから見ていきなさいよ。ま、無理強いはできないけど……ライくん、だったわよね? キミとしては、蒼の派閥がどういうものか知る機会って、見逃せないんじゃない?」
「ああ、まぁな。できれば、っつーかぜひともってくらい知りたい」
「なら、一緒に来なさい。よきにつけあしきにつけ、真実を確かめる機会っていうものは必要だわ」
「ああ。問題は、そこから現実にどう立ち向かうか、だからね」
 ミモザとギブソンがこちらを見つめる穏やかな視線に、ライはこっくりと、力を込めてうなずいた。

 蒼の派閥の本部というのは、半ば山の中にあるような森の中点々と立ち並ぶ建物だった。ライの思い描く学校とはずいぶんかけ離れた代物だが、人がぽつぽつとしか見えないところとかなんだかお喋りをしてはまずいような気になるほど静かなところとか、いかにも真面目に勉強をする場所、という雰囲気はある。
「……けど、なんか視線感じんだけど、気のせいか?」
 思わずぽつりと呟くと、マグナが苦笑する。
「気のせいじゃないよ。蒼の派閥っていうのは本当に閉鎖的な場所でさ、少しでも違う≠烽フに対しては徹底的に拒絶するんだ。俺なんかもさ、もともと孤児だったから、成り上がり≠チていつも思いきり馬鹿にされたよ」
「はぁ!? なんだそりゃ、召喚術って違う世界の奴に力借りるもんだろ? そんなんで召喚師なんてやってけんのかよ」
 目をむいて言うと、マグナは困ったように苦笑し、ネスティは小さく息を吐く。
「そうだよな。本当は、そうなのにな」
「理屈の上では君が言うことは正しいが、人間というものは理屈を常に正しく運用できるようにはできていない。むしろ悪意をもって理屈を歪める方が多い、ということだ」
「……クソッタレが」
 思わず呟く。どこか不安げに自分を見上げる子供たちを、真剣に見返してぽんぽんぽん、と頭を叩いてやった。
 大丈夫。こんな世界なんかに自分たちは負けない。自分たちが家族だということは、そんな奴らになんか絶対否定させない。
「……マグナ。ラミの通ってる教室の先生っていうのは、どういう人なんだ?」
「ん……師範自体は別に悪い人間じゃないよ。基本的に誠実だし、悪事に手を染めたりはしない人間だとは思う。ただ、自分からいいことをしようとも思わないっていうか……」
 話をするマグナたちに周囲を睨むように観察しつつライはゆっくりとついていく――と、ちらりと目の端を金の輝きがよぎった。見覚えがある感じだったような、と数歩そちらに戻り寄りまじまじと見つめてみて、おお、と手を打つ。そこを歩いていたのは間違いなく、以前に旅先で会った少女、ラミだった。
「おい、みんな、ラミが……え?」
 振り向きかけて目を見開く。視線を逸らしてからもまだほとんど時間は経っていないだろうに、いつの間にやら仲間たちが全員姿を消している。どこ行っちまったんだよ、と眉をひそめ周囲を見回し、それでも影も形も見えないので、少し先にもの思わしげにたたずんでいる自分より少し年下くらいの銀髪の少年に声をかけた。
「なぁ! ちょっと聞きたいんだけどさ、ここらへんを二十人くらいの、やたらいろんな世界の奴らがいる団体通らなかったか?」
 その少年は、ゆっくりとこちらを向いて首を傾げ、それからうなずく。
「うん、この先を通っていくのを見たよ。誰かに呼ばれて、急いでいるみたいだったね」
「そっか……」
 ライはわずかに考える。今から走ればたぶん追いつけるだろうが、目的のひとつであるラミと入れ違いになるのも困る。ラミのところまで声をかけ、担ぐなりなんなりして一緒にひとっ走り追いかけるのがいいだろう。
「ありがとな、じゃあ俺行くから……」
「あ、待って。君、派閥外の人だよね?」
「? そうだけど」
「じゃあ、道を案内してあげるよ。慣れないと、派閥本部の中って迷いやすいし」
「そっか? ありがとな、じゃあ頼む。えっと……」
「僕の名前はエクス。君は?」
「俺はライ。悪いな、エクス。それでさ、声かけたい子がいるんで、ちょっと戻るんだけど、いいか?」
「うん、かまわないよ。じゃあ行こうか。その声をかけたい子って、どんな子?」
「えっとな、十歳ちょいぐらいで、長い金髪で翠の目の、ちっちゃい感じの……」
 喋りながら足早に道を戻り、きょろきょろと周囲を見渡す。ゆっくりとした足取りだったからさして遠くへは行っていないはず、と視線を飛ばしていると、ふいにエクスが声を上げた。
「あ、もしかしてあの子じゃない?」
「え? あ、そうだ、あの子だ!」
 さっきも見たラミの後姿にライは笑んでそちらへ声をかけようと口を開ける――が、すぐに閉じた。
「声をかけるんじゃないの?」
「悪い、エクス。ちょっとここで、静かにしててくれ」
 ライは足音を殺しながらゆっくりと物陰から物陰へと移動し始めた。ライの視線の先では、ラミが同じくらいの年頃の、おそらくは同じ教室なのだろう子供たちに囲まれ、いかにも厭味ったらしい言葉を投げつけられているのが見えている。
「まったく……平民というのはどいつもこいつも恥知らずだな。たまたま運よくロランジュ家にもらわれた養子の分際で、よくもまぁぬけぬけとこの正当な血筋の召喚師の集まる蒼の派閥にやってこれるものだ」
「……っ」
「なんだよ、泣くのか? 泣いたって無駄だってまだわからないみたいだな。ここは正しい血筋を持つ召喚師の学び舎、お前の仲間の平民どもはどうしたって来れない場所なんだよ、バァカ」
「……っ、泣かない。私、間違ったこと、してないから」
「馬鹿な奴だな。平民の分際で派閥にやってくること自体間違ってるってこともわからないのか? お前みたいな奴がいると派閥の品格が下がるんだよ、とっとと自分の家に帰れよ。平民の、薄汚い家になっ」
「………っ―――」
 ラミが潤んだ瞳をうつむかせる――
 その瞬間、背後に回りこんだライはがつんがつんがつん、とガキどもに拳骨を落とした。
「いたぁっ!」
「いだぁいっ!」
「な、な、な……なにをするんだっ、お前、どこの家のものだっ!」
「どこの家のもんでもねーよ」
 ぎろり、とライは振り向いたガキどもを睨み下ろす。戦いの時と同じくらいには本気で怒りを込めて睨みつけたので、ガキどもはさすがにビビったように後ずさった。
「お前ら、偉そうにぴーちくぱーちく抜かしてるけど、相当のバカだな。ああ、自分らが相当のバカだってことにも気づいてねーから、とんでもねーバカか?」
「なっ……なにをっ!」
「げっ、下品なっ! 貴様、平民だなっ!? どうやってこんなところに」
「平民だなんだって偉そうに言ってるけどな、そういうてめーらのやってることはなんだ、あぁ!? 自分より弱い奴探して、いじめて満足してるだけじゃねーかよ!」
「なっ」
「家だぁ? 正しい血筋だぁ? 自分らの生まれが正しいっつーなら正しい生まれにふさわしいことしてみやがれ! てめぇらのやってるこたぁな、てめぇらの軽蔑する平民の中でも最低のクズしかやらねぇことだってのもわかんねーのかよ! んなしょーもねぇ頭しか持ち合わせがねぇんならな、てめぇらにまともな勉強する資格ぁねぇ! てめぇら甘やかしてくれるお家に戻ってそのバカな頭ますますバカにするおべんきょーでもしてやがれ、ボケ野郎!」
 上から全力で、気合と気迫と殺気を込めて怒鳴る――と、ガキども(全員少年だった)は「うっ……」とじんわり瞳を潤ませた。あっ、と思うやすでに遅し、揃って「うわーん!」と大泣きし始める。
「あーっ、たくもう。この程度で泣くくれーなら最初っからしょーもねぇいじめなんてすんじゃねーっての」
「ひっぐ、えっぐ、うわぁんっ」
「……ったく、しょうがねぇなぁ。おい、エクス!」
「ん? なんだい?」
 まるで興味深いものを観察するように少年たちを見ていたエクスは、声をかけられ目を瞬かせてこちらを向く。それににやり、と笑みを向けてやった。
「ここに食堂みてーなの、あるか?」
「食堂……? それは確かにあるけれど。でも正直、あまりおいしい料理は出ないよ。蒼の派閥の理念上、過度の美食はつつしむべきってことになってるから」
「はぁ? ったく、いちいちしょーもねぇ理屈持ち出すとこだな。まーいいや、案内してくれ。おいお前ら、ついてこいよ」
「ひ、っぐうっぐ」
「ラミ、お前もついてこいよ……あ、俺のこと覚えてるよな。シルターン自治区への旅行の時に会った……」
「うん、覚えてるよ。ライお兄ちゃん……なんで、ここに?」
「あー……まーその話はあとでしてやるよ。お前ら、昼飯まだだろ?」
「? まだ、だけど」
「じゃ、ちょうどいいや。うまいもん食わせてやるからさ」
 にやり、とライは少年たちと、エクスと、ラミに笑いかけてやった。

「……いい匂い……」
 ラミや、泣き止みかけた少年たち、それにエクスが鼻をうごめかせるのに満足しつつ、ライはとんとんとん、とその目の前に皿を置いてやった。
「匂いだけじゃなくて、味の方もいいぜ? 特製パンケーキと、蜂蜜入りの温めたミルク!」
「わぁ……すごく、おいしそう!」
 ラミの歓声ににやりと笑いかけてやる。派閥の食堂はどこか辛気くさく、掃除はしてあったが活気のない場所だったが、材料はきちんとあった。自分が料理をする、というと最初は拒否されかけたが、自分とエクスの説得で押し通ったのだ。
 目を輝かせるラミたちに、ライは目の前に立って告げてやる。
「手はちゃんと洗ってきたな?」
 うんうん、とうなずくラミたち。
「よっし、それじゃあ食べてよし。……お前ら三人は、ちょっと待て!」
『えぇっ!?』
 悲鳴を上げる少年たちに、ライはびしりと指を突きつける。
「これからラミを、っつか誰であろうといじめないって誓え! そうでないと食べさせてやんねぇ」
『…………』
 困ったように少年たちは目を見合わせる。その中の一人の、いかにも気位が高そうな少年が、不満そうに唇を尖らせて言う。
「だけど……そいつは、平民出身じゃないか」
「あぁ?」
 睨んでやったが、少し怯えたような顔はするものの、きっと顔を上げて怒鳴る。
「だって! 父上も母上もおっしゃってたんだ、『平民出身の召喚師が増えるなんて嘆かわしい』『召喚術は本来正当な血統の人間にしか使いこなせぬものなのに』って! だから、僕たちは」
「アホ」
 ぴしっ、と鼻を人差指で弾いてやる。「いたぁっ!」と涙目になる少年に、上からきっぱり言ってやる。
「お前ら、その年にもなってなにが正しくてなにが間違ってるか、自分の理屈で決められねぇのか? 自分がなんのためになにするか、ってくらい自分で決めろよ。親がどうだこうだ、って言い訳するんじゃねぇ」
「え……」
「だ、だって……」
「召喚術がどうのってのは俺はよく知らねぇからなんとも言えねぇけどな。だったら、よってたかって一人の女の子いじめていいのかよ」
「う……」
 言葉に詰まる少年たちを、ぎろりと睨み下ろしてやる。
「嫌味言って、嫌がらせして、仲間外れにして。そんなもんがお前らの言う正当な血筋≠フ人間のやることなのか?」
「そ、れは……」
「そうじゃ、ないけど……」
「だったら、ラミに謝って、これから絶対いじめません、って誓え」
「う……」
「そうじゃねーとこのパンケーキ食わせてやんねーぞ」
 ぎろり、と睨みつけてそう言ってやると、少年たちは気圧された様子で、「わかったよ……」と不承不承という顔でそれぞれ答えた。
「よぅし! なら全員立って、頭下げて、声揃えて! はい、ごめんなさい!」
『……ごめんなさい!』
「もう絶対いじめたりしません!」
『もう絶対、いじめたりしません!』
「よぅし、よく言った! 全員パンケーキ食ってよし!」
 言ってやると、ぱぁっと顔を輝かせて全員パンケーキにかぶりついた。それぞれわりときちんとした作法にのっとっていたが、少しばかり勢いが勝っていたのは否定できないところだろう。
「! おいしい……!」
「こんなおいしいパンケーキ、初めて食べた!」
「うちの料理人の作ったのよりずっとおいしい!」
「そーだろそーだろ。ミルクもちゃんと飲めよ」
「……おいしいね?」
 律義に少年たちが食べ始めるまで待っていたラミは、一緒に食べながら少年たちにおずおずと微笑みかける。少年たちは揃って顔を赤くし、「うん……」と同じようにおずおずとうなずいた。
「……ふふっ。あははっ」
「? なんだよ、エクス。急に笑い出したりして」
 ラミと異なり一人先にぱくぱくとパンケーキに舌鼓を打っていたエクスが急に笑い出したことに問いかけの視線を向けると、エクスはくすくす笑いながらも首を振った。
「いや、ごめん、なんでもないんだ。ただね」
「ただ?」
「……ライ。君って、とても面白い子だね」
「はぁ?」
 ライがきょとんとした声を上げる――や、ぱたぱたと食堂にどこかのウェイトレスのような派手な制服を着た女性が走りこんできた。
「ちょっとちょっとー、エクスさまってば! もうそろそろお約束の時間ですってばぁ! どこに行ってらっしゃったんですか、もー、探しちゃいましたよ!」
「ごめんね、パッフェル。少し話をしてみるだけのつもりだったんだけど、この子があんまり面白いことをするし、パンケーキもおいしかったから」
 ……エクスさま=H 名前だけ聞いた時は気付かなかったけど、どこかで聞いた響きのような。
 思わず眉根を寄せて女性を見上げると、女性はあっ、と目を見開いてぽんと手を打った。
「あなた、もしかしてライさんですか!? マグナたちと一緒にいらっしゃったっ」
「え、うん、そうだけど。あんた、誰だ?」
「私、とあるケーキ店の店長兼エクスさまの護衛及びその他もろもろを行っておりますアルバイター、パッフェルと申しますっ。もー、あなたもどこに行ってらっしゃったんですか、みなさんお待ちかねですよう?」
 そう言ってそのパッフェルという女性は、にこりとあでやかな笑みを浮かべた。

「……蒼の派閥の総帥!? エクスが!? マジで!?」
「その通りだ」
「はは……まぁ、俺も知った時は死ぬほど驚いたからなぁ」
 派閥本部の奥、総帥専用の執務室とやらに連れてこられて、厳めしいおっさんにみんなの前で告げられた言葉に、ライは心底仰天した。目を大きく開いてぱちぱちと瞬かせ、エクスとおっさんを見比べ、あんぐりと口を開ける。
「だ、だって、年が! いっくらなんでも若すぎるだろ! 俺より年下にしか見えねぇぞ!?」
「……エクスさまは秘術を用いて時を止めてらっしゃるのだ。お若いように見えても、実際には悠久の年月を生きていらっしゃる」
「はぁ……」
 あんぐりと開いた口を閉じ、まじまじとエクスを見つめて、態度を改めて声をかける。
「悪かったな、エクス。ガキ扱いしちまってさ。いや、どー見ても俺よりガキにしか見えなかったもんだから」
『っ……』
「おいっ、お前な! この状況でその台詞はねーだろ!?」
「へ? なにがだよ」
「立場が上の人間には、敬語、使うべきかと……」
「うわー……俺もエクス相手だとけっこう敬語とか無視しちゃってたけど、ここまでじゃなかったなー」
「き……貴様っ……」
 周囲に騒がれながらも、エクスはくすり、と変わらぬ笑顔を浮かべてみせる。
「気にしないでいいよ。これからも普通に話してくれてかまわないから。君の作ってくれたパンケーキは、とてもおいしかったしね」
「お、そうか? じゃあ遠慮なく」
「少しは遠慮しなさいよあんたはーっ!」
「ああっライっ、その空気を読まない男前さは、何度見ても僕の心に眩しい輝きを届けてくれるよ……!」
「はは、まぁ本人がいいって言ってるんだからいいんじゃないか? 無駄にかしこまられても話しにくいのは確かだし。……なぁ、エクス総帥?」
「そうですね、誓約者殿。あなたにそう言っていただけると嬉しいですよ」
 笑って言うハヤトに、エクスも笑って返す。……が、その間には確かに強烈な緊張感が感じられた。思わず息をひそめて二人の会話を見守る。
「誓約者っていう呼び方は好きじゃないんだ、ハヤトでいいよ。敬語もいらない。別に君が俺を敬う筋合いはないだろ?」
「いいえ、今代のエルゴの王であるあなたに、一人の召喚師として敬意を表さないわけにはいきませんよ。……まぁ、少しばかりの謝意も含んでいますけど」
「別に気にする必要ないのに。あの時は俺が魔王じゃないっていう保証もなかったんだしさ」
「ですがそれが過ちであると、今は知れているわけですし」
「……誓約者殿、貴殿を拘束するとの決定を下したのは我ら議会だ、エクスさまではない。そこのところをどうかご承知いただきたい」
「知ってますよ、心配しなくても。俺としては、蒼の派閥というものの存在に対してはむしろ感謝してるんですよ? それがあったおかげで、ギブソンやミモザや、マグナたちに会えたわけだし。その性質についてはどうあれ」
「寛大なお言葉、いたみいります」
 緊張感と物騒な言葉の飛び交う会話。ライもさすがに口を挟む気になれなかった。ハヤトとエクス、いや蒼の派閥の間には、なにやら浅からぬ因縁があるらしい。
「それよりも、聞きたいんだけど。無線機でギブソンたちに訊ねたことについて、知っていることはあるのかな。そして、答えてくれる気はあるのかな?」
 ぐっ、と一気に緊張感が高まるのを感じる。その硬質な空気は、もはや殺気と呼んでもいいほどだ。その中でエクスは平然と笑い、うなずいてみせる。
「もちろん。我々蒼の派閥としても、かの男の残した研究などを完成させるつもりはありません。全面的に協力させていただきます」
「ただ、申し上げておきますが、あなたが言った条件をただ諾々と呑むわけにはいきませぬ、誓約者殿。現在もかの男の研究を完成させようとしているかの男の子供たちに、目こぼしをしろ、とは」
「……できない、ってことかな?」
 ざわ、とさらに高まっていく殺気にも似た緊張。なんだなんださっぱり話が読めねぇ、ときょろきょろとそれぞれの顔を見やっていると、エクスがくすり、と笑んでみせた。
「いいえ。ただ、我々の願いもどうか聞いていただきたい、と思うのです。今代の誓約者であるあなたの力を、我々にお貸し願えないかと」
「ふぅん……たとえば、どんなことでかな?」
「大したことではありません。ただ、時々は蒼の派閥にいらっしゃり、そのお知恵を拝借させてはいただけないか、と思うのですが、ご迷惑でしょうか?」
「てめぇっ、ぬけぬけとっ……」
「ガゼル。……んー、別に迷惑っていうんじゃないけど、俺で役に立てるかな? 俺、はっきり言って召喚術の知識とかは普通の召喚師以下だと思うんだけどな」
「それはむろん承知しています。ですがあなたには我々にはできないことができる。あなたのお力を借りねば達成できぬこともあるでしょう。召喚術のよりよき発展のため、互いに協力しあうことはできないか、と」
「それが、君は必要だ、って思うのか?」
「ええ。召喚術が正しく使われることを、僕は僕なりに心より祈っていますので」
「……そうか」
 ふ、と小さく息をついてから、ハヤトはうなずく。
「いいよ。無線機で連絡してくれれば、俺にできることならするよ」
「! ハヤト……」
「だけど、他に用がある時には無理だし、俺には俺にできることしかできない。いいかな」
「はい、もちろん。あなたの意に染まぬことを強制させるような真似はしません」
「うん。……キール、気にするなって。別に俺は嫌々彼の言うことを聞くんじゃない。みんなにとってその方がいいと思うからだよ。蒼の派閥が正しい方向に向かう手伝いをできる範囲でやるっていうのは、確かにやる価値があることだと思うんだ。……ま、マグナたちがいるからそんなに心配はしてないけどさ」
 にっ、と笑みをマグナたちに向けると、マグナたちもそれぞれに笑みを返す。彼らはすでにそれなりの信頼関係を結んだ間柄だというのが伝わってくる視線の行き交いに、少しばかり心が和んだ。
「……で。そういうことだけど、俺たちを呼んだのは、俺がギブソンたちに頼んだことが理由なんだよな?」
「はい。そのために、ここにみなさんをお呼びしました」
 くるり、とエクスは視線を巡らせ、この場の全員――自分たちにもいちいち視線を合わせてから、朗々とした口調で言った。
「誓約者、ハヤト殿と仲間の方々。そして、帝国の宿屋の主人、ライと仲間の方々。あなた方に、蒼の派閥の総帥エクス・プリマス・ドラウニーが依頼します。どうか、金の派閥の議長ファミィ・マーン殿に、書状を届けていただきたい」
「………書状?」
「ちょっと待てよ、どういうことだ。なんで俺らがんな」
「つか……俺らも? 俺ら呼んだのって、それが理由なのか?」
「お静かに」
 重々しくエクスの背後のおっさんに告げられ、ライはとりあえず口を閉じるが、ガゼルは依然厳しい目つきを消さなかった。ハヤトの仲間たちには大なり小なり警戒の態度が見えるが、ガゼルの場合それはもはや敵意に近いものがある。
 が、エクスは平然とした顔で続けた。
「ハヤト殿。我々はあなた方のご依頼の件を果たすため、即座に調査を始めました。ですが現在に至るまで、我々の情報網に引っかかった彼らの情報は皆無です。そうだね? パッフェル」
「ええ。ご連絡をいただいてから手を尽くしてはみたんですけど、まったく。力及ばず、申し訳ありません」
「彼女はこう言っていますが、我々の情報網は確かなものと自負しています。少なくともゼラムで無色の派閥の動きを察知できないということはまず、ありえません。なので、我々は、少なくとも現在は彼らは活動していない――むしろ、息を潜めている状態ではないか、と結論付けました」
「息を潜めてる?」
「はい。おそらく彼らは計画の準備段階を終え、行動を開始する秒読みに入っている段階なのではないかと。なにかを待っているのか、それとも単に頃合を見計らっているのかはわかりませんが。しかもその準備というのは大掛かりなものではない。ゼラムでことを起こすにしても動く人間はごく少数のはずです。――かといって、その中に極めて優秀な召喚師がいる可能性がある以上、被害も些少で済む、という保証もありませんが」
 言いながらちらり、とハヤトとキールの間でひっそりと無言無表情のまま立っているクラレットを見やる――と、ハヤトがずいっとその視線を遮って言った。
「つまり、いつ活動を始めるかわからないっていうことだよな? だったらゼラムで警戒していたほうがいいんじゃないのか?」
「その方法もむろんあります。ですが相手は無色、どのような方法で我々の裏をかくかわかりません。むしろこちらから攻めるように動くべきだ、と我々は考えました」
「……そうかもな。それで?」
「なので、お願いしたいのです。あなた方に、囮をお願いできないかと」
「囮?」
 ハヤトが目を見開く。自分たちもそれぞれ驚いた。なんだそりゃ?
「はい。あなたが誓約者であるという事実は、さほど知られているわけではありませんが、少なくともセルボルト家の残党たちは知っています。そして警戒しているはず。あなた方がゼラムに来ているとすれば、なんらかの動きを示す可能性が高いのです」
「それは……そうかもしれないけど」
「なので派手に動いて彼らの目をひきつけてはいただけないか、と。金の派閥への書状を届けるという公的な役目を果たす、ということもそのひとつ。蒼の派閥と金の派閥が協力してなにかを行おうとしている、ということを知らせることで向こうを焦らせるという意図もありますね。そして、その過程のあちらこちらで向こうに警戒されない程度に派手に情報収集を行っていただければ、より向こうが動く可能性は高いかと」
「…………。それはわかるけど、なんでライたちまで?」
 その問いに、エクスはわずかに首を傾げて、微笑んだ。
「人数が多ければ気づかれやすく、より強力な囮になる、と判断しただけなのですが、無理強いする気はまったくありません。みなさんはサイジェントからずっとご一緒だったそうですし、別に一緒に行動しても不自然ではない、と思っただけですので」
「…………」
「もちろん、みなさんそれぞれ相当の腕の持ち主で、囮になったとしても問題はないほどの戦闘力はある、と聞いたからですが。それに、彼らの目的であるという、召喚術が現在リィンバウムでどのように使われているかを知るということについては有用かと思いまして。もちろん、金銭的な報酬もきちんと出させていただきますが」
「…………」
 ハヤトは大きく眉根を寄せてしばし考え、それから言った。
「即答はできない。少し、俺たちだけで考えさせてくれ」
「わかりました。グラムス、会議室へご案内して」
「は。ハヤト殿、お仲間の方々、こちらへ」
 言って歩き出すグラムスという名前らしいおっさんについて歩きながら、ライはちらりとエクスを振り返った。エクスは最初会った時と同じような、もの思わしげな瞳で少し微笑んでじっとこちらを見つめていた。

「どーいうことっ、ハヤトさんっ!」
 ずっと我慢していたのだろう、グラムスが去るなり叫んだリシェルに、ハヤトはうひゃ、と身を縮めた。そこに他の面々も揃って言い募る。
「そーだよっ、ハヤトにーちゃんっ。俺たち無色の派閥がどーとかぜんぜん聞いてないぜっ?」
「……なんで、教えて、くれなかったの?」
「そーだよそーだよっ、みずくさいよぉっ」
「ま、あなた方に悪気があったとは思いませんが……旅の連れにずっと内緒にしていたことを、ああいうやり方で明かされるというのは……正直、いかがなもんでしょうね?」
「あー……その。ごめん、みんな。実はさ」
「すまない……みんな。これはみんな、僕のせいなんだ」
 思いつめた表情で言い出したキールに、全員驚きの目を向けるよりも早くハヤトがきっとキールを睨んだ。
「そうじゃないだろ、キール。これは俺たちのことだろ? 俺たちが自分でやるって決めたことだろ?」
「けれど、ハヤト……僕がいなければ、君はあの場所で総帥にあんなことを訊ねはしなかったはずだ。僕を守ろうとしてくれたから、君は」
「いや、それはさ、だから」
「ちょっとぉっ、二人だけで話してないで」
「……我々の計画した、かつてのセルボルト家の党首、オルドレイク・セルボルトの研究結果の完遂――それを他人に話すわけにはいかない、と思ったのでしょう、誓約者ハヤト。それを言ってしまえば、私がオルドレイクの娘であり、セルボルト家の残党の一員としてサイジェントに屍人どもをけしかけたことも知られてしまいますものね」
 ぼそり、とだが全員に聞こえる声でクラレットが言った。思わず全員が彼女を注視するが、クラレットはその視線全てを跳ね返してハヤトを睨みつける。
「それとも他人を巻き込みたくない、とでも思われたのかしら? それならそもそもここまで一緒に来るべきではなかったでしょうに。自分なら守れる、とでもお思いになったのですか?」
「……別に、そういうわけじゃないよ。話した方がいいのかどうかわからなくてのろのろしてるうちに、勢いでこういうことになっちゃっただけで」
「って、ハヤトさん、それってっ」
「……また、穏やかでない話ですな」
 集まった視線をものともせず、クラレットは毅然と顔を上げて言い放った。
「私はかつて無色の派閥の最大勢力だった、セルボルト家党首オルドレイクの娘です。父の遺した研究を完成させるため、サイジェントに三万を超える数の屍人を向かわせました。そしてそれを、申し訳ないとも、間違っているとも思っていません」
「なっ……」
「これからゼラム近辺で、私の仲間たちは活動を開始します。計画の完遂のために。それに対し、私は接触があれば確実に手助けをするでしょう。計画の詳しい内容をあなた方に話す気も微塵もありません。たとえ、計画の途中でどれだけ罪のない人間の命が失われようと」
 きっぱり言い切るクラレット。ハヤトが眉を寄せ、彼女の名を呼んだ。
「クラレット……」
「なんですか? 私はただ真実を話しただけですが?」
「君は、裁かれたいのか?」
「……さぁ。あなたには関係のないことでしょう」
 わずかに目を逸らし言うクラレットに、ライはふ、と小さく息を吐いた。それからすたすたとクラレットに近寄った。
「おい、クラレット」
「……なにか?」
「ちょっと頭下げてくれよ。ほら、このへんまで」
「え?」
 クラレットはきょとんとした顔で素直に頭を下げる――そこにぴしっ、と一発額を弾いた。
「いたっ!」
「ったく、しょーがねぇなぁあんた、いい年して。わかったよ、しゃーねぇこれもなんかの縁ってやつか」
「は……は? なにを」
「要するにあんた、悪かったなぁとは思ってるけど素直にそう言いたくねぇんだろ。悪いことしたのは事実だし、それをまともに償えるかもわかんねぇし、実際また悪いことやっちまうかもしんねーから自分は悪い奴ですって言っちまった方が楽だって思ったんだろ」
「な……なにを、そんな」
「わかんだよ。……似たような奴、知ってるから」
「……パパ」
 ミルリーフが、仲間たちが気遣うようにこちらを見る。ギアンは一人「あぁっ……ライ、それはボクのことかいっ? ライがそこまでボクのことを考えていてくれたなんてっ」と悶えていたが、ギアンも当てはまらないとは言わないが自分の言っているのはギアンのことではない。
 クラウレのことなのだ。しがらみと、大切な想いにがんじがらめになって、ギアンも裏切れずけれどこれ以上妹や仲間だった者たちと敵対することもできなくて、殺されるために自分たちに向かってきたあいつ。その時の顔に、今のクラレットはそっくりだった。
 ハヤトがはは、と笑う。そしてこちらに歩み寄り、クラレットににかっと笑いかけながら言った。
「クラレット。見抜かれてるなぁ、こんな若い子に」
「っ……、なにを」
「クラレット。君が妹たち――カシスや、ソルのことがすごく大切で、彼らのことを絶対に裏切りたくないっていう気持ちはわかるつもりだ。だから俺は、君に彼らの計画を話せとも、彼らと戦えとも、彼らに協力するなとも言わない。まぁ、協力しようとしたら止めるけどさ」
「………っ」
「だから、クラレット。君に俺が言いたいことは、これだけなんだ」
 じっ、と真摯な眼差しでクラレットを見つめ、言う。
「俺は、君が俺のことをどんなに嫌いでも、君のことが好きだよ」
「……は!?」
「君は俺にはあんまり素直じゃないけど優しいし、可愛いし、弟や妹たちのことをいつも想ってるいい子だし。キールの妹ってことがなくても、大切にしたいって思う」
「な……なにを、あなたは」
「君になにかを求める気はないけど、それだけはわかってほしいんだ。俺は君が困っていたら絶対に助けに行くし、君がなにをしようと、っていうかそれ以前に困ったことはさせないように頑張るけど、君を見捨てない。……そういうことが言えるのは俺がたまたま誓約者で、いろんなことができるからなんだろうけど。君を守りたいって気持ちは、本当だよ」
「………、にを」
「約束するよ。どんなことがあったって、俺は、君を守ってみせるって」
「………っ」
 かぁっ、と顔を赤くして、クラレットはハヤトに背を向けた。
「そんなこと、信じませんっ! 信じられる、ものですか……っ」
「うん、無理して信じなくていいよ。信じられるまで、俺は勝手に君のことを守り続けるから」
「……っ………!」
 ライはこっそり顔を赤くした。こんなこっぱずかしい口説き文句、よくしれっとした顔で口にできるもんだ。周囲には同じように顔を赤くしている人間が何人もいた。
「なァに赤くなってんだよ、お前ら?」
「パパたち、顔まっかー」
「う、うるっせぇ! 黙ってろガキどもっ」
「ケケッ、ガキなのはどっちだかなァ? まァ愛人が他の奴口説いてんじゃァ腹も立つだろうがよォ」
「な……てめぇっ、なに……っていうかなに馬鹿なこと、っつーかなんでてめぇがんな……っ!?」
「ギャッハッハ! 俺らは感情を察知できんだぞ、悪魔にこの手の隠し事しようってェのがそもそも無理なんだよ」
「な……っ!?」
「ねぇねぇバルレルおにいちゃん、あいじんってなに?」
「あァ? 知りてェか? じゃあ特別に」
「ってうちの娘に妙なこと教えんじゃねぇこのスットコ悪魔ーっ!」
「ば、バルレルくんっ、駄目だよそんなぁっ」
「え、なにバルレル、お前そういうのそんなに敏感なのか? じゃあ俺たちの近辺で誰と誰ができてるかとかすぐ」
「君はバカか!? 人のそんな事情に首を突っ込むなど何度言えば」
「……なぁ、俺一応決め台詞のつもりで言ったんだけど、そこらへん気を遣ってくれたりしないかな?」

「……まったく、本当に……なぜ我々までついていく必要があるのか」
「まーだ言ってる。エクスだって言ってただろ? 蒼の派閥が金の派閥と協力しようとしていることに説得力を持たせるためにも、蒼の派閥から何人か人を出す必要があるって」
「それは、そうだが。……我々にも研究があるというのに」
「いいじゃんか、普段だってなにかと外に出る用事はあるんだしさ。研究を実地で試せると思えば」
 ゼラムを出て、数日歩いた先の山道。そこをライたち一行は歩いていた。ハヤトたちと、ライたち。そして先頭を歩いているのは、マグナとその護衛獣四人、そしてネスティだった。
 ハヤトの言葉にクラレットが真っ赤になりながら『勝手にっ……すれば、いいでしょうっ』と叫んだのち、自分たちはエクスのところに戻り、依頼を受けると言った。クラレットにも言ったように、これもなにかの縁だし、放っておくのもなんだと思ったし、それに実際エクスの言った通り、召喚術に対する意識を調べるには都合がいいかもしれない、と思ったのだ。
 それにエクスは微笑んで礼を言い、それからマグナたちに命じたのだ。
「君たちは彼らに同行し、その護衛と交渉の補佐役を勤めてもらいたい」
 目をかっ開いて反論するネスティに、エクスはにっこり笑顔でマグナの言ったようなことを説明し、そして言ったのだ。
「君たちならハヤト殿たちとも金の派閥とも親しいし、ファナンにも何人も友人がいるし、適性人材だと思うけどな。それに君たちくらい優秀なら、ハヤト殿たちの足手まといにも絶対にならないだろう?」
 それからもネスティは相当にごねたが、最後にはマグナの起こした問題をいくつか片をつけておく、という約束で渋々了承したのだ。しかもそのことを旅立ってから何度もマグナに愚痴っている。
 そしてそれは高確率でマグナに対する説教に発展するのだ。悪い奴じゃねぇんだろうけどいちいち疲れる奴だなぁ、とライは少しばかり辟易していた。
 なので、道案内ということで先頭に立っているマグナたちにさりげなく近づき、訊ねた。
「ネスティってさ、思ったんだけど、エクスのこと嫌いなのか?」
「……なぜ、そんなことを?」
「いや、なんかミモザのねーちゃんちで初めて名前が出た時もなんかすげぇ不機嫌そうだったし。実際に会った時もすっげー眉間に皺寄ってたしさ。そーなんじゃねーのかなって」
 言われ、ネスティはぎゅっと眉を寄せてから、やや硬い口調で答える。
「別に、そういうわけではないよ。……ただ、油断できない人だ、と感じてはいるかな」
「油断できない?」
「ああ。あの人は隙あらばどんな人間でも自分の目的のために利用しようとする人だ。その目的がけして間違ったものではないから責めるに責められないが、それでも油断すればいいように使われる。それを思うと、どうしても警戒はしてしまうな」
「ふぅん……」
「あ、そういやさ、エクス総帥ライになにか話してたよな。最後に、一人だけ残らせて。あれなんの話だったか聞いてもいいのかな?」
「こら、マグナ。そういう不躾な……」
「ああ、いいって別に、大した話じゃねーから。俺らの生まれのことを知ってるってことと、人に、特に召喚師に知られるようなことのないよう気をつけろって。あと、いつか機会があったらまたメシ食わせてくれってさ」
 簡単に言っているが、最後にエクスと二人きりになって言われた時は本当に驚いたのだ。
「ライ。君は、妖精との響界種だよね?」
 驚きのあまり絶句したライに、にこにこ笑顔でエクスは続けた。
「あのギアンという名の彼は幽角獣との響界種。そしてあの小さな子たちは至竜だね。しかも三位一体の、魂を同調させることで一体の竜になる。だけどまだ完全に幼生体から抜け出てはいないかな」
「なんで……」
 目を見開いたままそれだけ言うと、エクスはくすりと笑って言う。
「これでも蒼の派閥の総帥だからね。それに、あの至竜の子たちの変身術には感覚を誤認させる効果があって、普通の人間が見ても人間の子供にしか見えないけれど、魔力を感知する感覚が鋭い人間ならばなにかがおかしいとわかってしまうんだよ。金の派閥では気をつけるようにね、たとえ議長がどんな立派な人でも、召喚師の中には至竜の研究ができるならどんな罪を犯してもいい、って考えるような輩もいるのは確かなんだから。残念だけど、蒼の派閥の中にもね」
「…………」
「あの子たちと君たちがどういう関係か、なんて野暮なことは聞かないけど――」
「親子だ」
「え?」
「あいつらは俺の子だ。手出しするような奴らからは、俺が死んでもあいつらを守る」
 エクスは目を大きく見開き、まじまじとこちらを見つめ、そしてぷっと吹き出した。
「ご、ごめんね……ただ、あんまり予想外、だったから……っ」
「……笑いたきゃ笑えよ。けどな。俺は」
「いや、違うよ、そういうことじゃなくて。……ライ、君は本当に、面白い子だね、って思ってさ」
「……はぁ? 俺のどこが面白いんだよ。俺は真面目にこつこつ働いてまっとうに生きていくことだけを目標にした、ただの料理人だぞ?」
 今度はぶーっと吹き出し、笑い転げる。ぜぇはぁと息が荒くなるほど笑われ、ライはさすがにむっとした。
「おい、エクス、いい加減に笑うのやめろよ」
「ごめん、ごめんね、もうなんていうか……本当に。こんなに笑ったの、いつぶりかな……」
 まだ笑いの発作を抑えている、という顔でエクスはライに向き直る。
「ライ。……僕は大した力を持つ人間ではない。日々できることの少なさに苛立ってばかりの、無力な人間の一人でしかない。だから君のためにしてあげられることなんてほとんどないと言っていい。……でも、いつか、機会があったら。また僕に、料理を食べさせてくれるかな?」
「は? んなもん当たり前じゃねぇか。帝国の俺の宿に来てくれりゃあ、いつでも食わせてやるぜ?」
「いや……僕は、あんまりゼラムから離れることはできないから」
「あ、そっか、忙しいか。じゃあ……すぐにってわけにはいかねぇけど、またこっちに来ることがあったらな。その時は必ず、お前にとびっきりの料理ご馳走してやるよ」
 にっ、と笑うと、エクスはくすりと笑んで、嬉しげにうなずき。
「ありがとう」
 と、やけにしみじみした声で言ったのだ。
「あはは、エクスらしいや。エクスってあれで食いしん坊だしなぁ」
「食いしん坊? ……マグナ、君は総帥と食事をしたことがあるのか?」
「食事っていうか、お茶かな。パッフェルさんの店のケーキがあるから一緒にどうかって誘われて。その時ちょうどみんな俺のそばにいなかったから二人だけになっちゃったんだ、ごめんな」
「……あの人は……! マグナ、君は僕の言ったことを忘れたのか!? エクス総帥の前で隙を見せるなとあれほど言っただろうに!」
「わ! だ、だってそんなこと言ったって、いいじゃんかケーキ一緒に食べるくらい。エクスって別に悪い奴じゃないぜ?」
「悪い人間だとは言わないが、この上なく油断ならない人間だとも言ったはずだ! 一服盛られていた可能性だって充分にあるんだぞっ」
「い、いくらなんでもそんなこと……なぁライ、そうだよな?」
「ん? んー……まぁ盛る時は盛るんじゃねぇか? あいつ。悪い人間じゃねぇけど、悪巧みくらいはするだろうし」
「そんなぁ」
「ほら見たまえ。あのような人間と付き合うのは今後一切」
「つか、普通の奴だろ。あいつ」
「え」
「普通……? ライ、君はそれを本気で」
「本気でもなにも。あいつ、フツーの奴だろ。悪巧みもするしその気になったらいいこともする。迷ったり悩んだりもするフツーの奴じゃねぇの? そーいう印象しか受けなかったけどな、俺」
「…………」
「普通……かぁ。そんな風に思ったことなかったな――って、あ!」
 マグナが目を見開き、足を速めた。たたっと坂の上にまで上り、歓声を上げる。
「見えてきたぞ! レルム村だ!」

 旅立つことが決まったのち、まず向かう場所を提案したのはハヤトたちだった。
「まず、モナティたちをレルム村の学校に送り届けてやりたいんだ」
「そんなぁ! マスター、モナティたちもお役に立ちますのぉっ」
「まさか、エルカたちが足手まといだとかいうんじゃないでしょうねっ」
「そうじゃないよ。だけど、もうそろそろ休暇も終わりだろ? 俺たちについてくるかどうかは別にしても、学校に連絡はしとかないと」
「う……それは、まぁ……」
「カムラン先生心配しちゃうかもですのぉ……」
「でもレルム村に寄るのはいいんじゃないかな。そろそろリューグも戻ってきてるだろうから、旅先の噂話とか聞けるだろうし。召喚獣のみんなが気づいたこととかもあるかもしれないし。それにライの目的にも合致してるんじゃないか?」
 そういうわけなので、自分たちはまずレルムの村に向かうことにしたのだった。金の派閥の肝煎りで作られたという召喚獣たちの村。ラウスブルグに似たその村がどんなものか、リュームたちも、自分も興味津々だった。
「ほう……なかなか広い村ですな。畑も広い。これを召喚獣のみなさんが?」
「うん。レナードさんとカザミネ……俺の仲間たちがあちらこちらを巡ってはぐれになっちゃった召喚獣たちを連れてきたんだけどさ、それだけでもけっこうな数だったんだけど、噂が広まってあちらこちらから召喚獣が集まってきて、今はずいぶんな数の召喚獣がここで暮らしてるよ」
「そしてそのうちのほとんどが、君たちも会ったというマーン兄弟の三男、カムラン・マーン殿が校長を勤める学校に通っている。学問や技術を修めるためにな。それぞれが元の世界で持っていた技術と併せ、この村なりの特産物も今では少しずつでき始めている」
「へぇ……あ!」
「マっグナ―――っ!!!」
 がっしぃっ! と強烈な勢いで飛び込んできた狼の耳を持った少女がマグナに飛び着く。マグナは「おっと!」と言いながらその少女――ユエルを抱きとめた。ああマグナとユエルは傀儡戦争の時に一緒に旅とかしてたんだよな、と思い返すライをよそに、ユエルは耳をぱたぱた動かしながらすりすりとマグナに顔を擦りつけ、叫ぶ。
「マグナマグナマグナマグナぁ、会いたかったぁーっ! どうしたの、こんなに早くっ! もうけんきゅう¥Iわったのっ?」
「ちょ、ユエル、落ち着けって、こらっ、体登らないでくれって!」
「ゆ、ユエルさぁんっ! あのっ、どうかっ、落ち着いてっ……」
「あっ、レシィだぁーっ! レシィっ、レシィっ、レシィっv」
 レシィが声をかけるやマグナの体から飛び降り、今度はレシィにすりつき始める。レシィは顔を真っ赤にして必死に身をよじるが、ユエルはかまわず満面の笑みを浮かべながら全力でレシィに懐いた。
「あ、あのっ、ユエルさぁんっ! やめてくださいっ、恥ずかしいですぅっ」
「んーっ、レシィ、いい匂いっv ユエル、ずっとレシィに会いたかったんだよっ? レシィの感触、久しぶりーっ」
「あっ、やめっ、だめっ、ユエルさんっ、やめっ、お願いですからっ、あっ、あぁっ、だめですってばっそんなとこ舐めないでくださーいっ!」
「……っっっっちょっとっ! 情けないわねっ、なにいつまでもひっつかれたまんまにしてるのよっ、あんた半人前とはいえメトラルなんだからもっとしゃんとしなさいよっ!」
 エルカが顔を真っ赤にして二人の間に割って入った。レシィはぐちゃぐちゃの真っ赤な顔で「すひまへん、エルカしゃぁん……」と泣きそうな声を上げたが、ユエルはむーっと頬を膨らませてエルカを睨んだ。
「レシィは半人前じゃないよっ!」
「半人前よっ! 角は折れてるし、情けないし、誇り高いメトラルの中じゃ半人前の扱いだってもったいないくらいだわっ!」
「そんなことないもんっ! レシィは優しいし、お料理作るの上手だし、それにすっごくいい匂いといい感触してるもんっ」
「い、い、いい匂いとか感触とか妙なこと言うんじゃないわよいやらしいっ!」
 ユエルはレシィに抱きつきながらエルカを睨み、エルカは真っ赤な顔で必死にその間に割り込もうとするが果たせない。レシィは泣きそうな顔でわたわたと二人を見比べながら「お二人とも、落ち着いてくだひゃぁい……」と言っているが二人の少女はレシィの言葉など耳に入っている様子はなかった。
「……なんなんだ、この三人?」
「あはは……いやさ、ユエルはなんだかすごくレシィのことが好きみたいなんだよな。で、エルカはそれがすごく面白くないみたいでさ。なんか、素直には表せないけどレシィのことがいろいろと気になるみたいで」
「それで、お二人がレシィさんと顔を合わせるといっつも喧嘩になっちゃうんですのぉ……」
「ったく、あの牛ガキが『ボクはそんな女の人とつきあうとかそんなまだ弱虫で未熟者だしそんな』とかはっきりしねェからいつまでもぐちゃぐちゃやっかましいったらねェぜ。ま、これはこれでこいつの周りでは珍しい感情も喰えるから悪くはねェがな、ケケッ」
「はー……」
 と、その時ようやくユエルはこちらに気がついたようだった。目を輝かせてレシィを放り出し、こちらに駆け寄ってくる。
「あ! ライ!? ライだっ、それにリュームもミルリーフもコーラルもっ! リシェルにシンゲンに……えと、この人、誰?」
「……僕はギアンという。よろしく頼むよ、オルフルのお嬢さん」
「うん、よろしくねっ! で、どうしたのっ? あ、もしかしてユエルたちに会いにきてくれたの?」
「んー、それもあるんだけど、いろいろ用事があってさ。そんなに長くはいられないんだけどな。でもユエルの村を見てみたいっていうのもあるんで、案内してくれると嬉しいんだけど?」
「うん、もっちろんっ! しっかり案内してあげるっ!」
 ユエルは笑顔でうなずいて、たたっと先に立って歩き出した。
「じゃ、まずはこっちこっちっ! ユエルたちの学校に案内するねっ!」

「へぇ……立派な建物だなー」
「うんっ! ここで普段ユエルたちはお勉強してるんだよっ」
「どんなこと勉強してるの、ユエルおねえちゃん?」
「うんと……リィンバウムのこととか、えっと……いろいろっ」
「あんたはずーっと初等教育のところで足踏みしたままだもんねー。エルカはもう農業とか、医学とか、メイトルパの秘伝知識とかいろいろ学んでるわよ」
「あーっ、エルカ、バラしちゃダメぇっ」
「え、エルカさん、そんな、まるで自慢するみたいな言い方は駄目ですよぉ……」
「……なによ。エルカに逆らう気?」
「さ、逆らうとかそんな、そういうわけじゃぜんぜんないですけどぉ……」
「フンッ! ……なによ、いっつもユエルにばっかりデレデレしちゃって」
「なぁ、ユエル。カムラン、いるかな? モナティとガウムとエルカを送り届けてきたこと、報告しないと」
「うんっ、今の時間なら校長室にいると思うよっ」
 木造の、別に贅沢というのではないがかなりに大きいその建物の中を大勢で進む。この人数でも一塊になって歩けるほど、この学校の廊下は広かった。
「なぁ、カムランさんってどんな先生だ?」
「優しい先生だよっ! ……ちょっと、ヘンだけど」
「いっつもドジばっかりするモナティにも、ちゃんとできるまで教えてくれる素敵な先生ですの。……でも、ちょっと、ヘンかな? って思う時もありますの」
「いろんなことを知ってて、教え方もうまくて、嫌な奴には厳しくおしおきしてくれるいい先生よ。……ものすごくヘンだけど」
「……ふーん……」
 つまり、いい先生なんだけどヘンな奴、ということなのか。
「まぁカムランさんって教育熱心ではあるんだけど、その熱心さがなんか妙っていうか……ハサハをこの学校に預けないか、とか何度も聞いてくるし」
「……ハサハ、あのひと、こわい……」
「ケッ、要はあれだよ、あのニヤケ野郎はガキを自分好みに仕込むのが趣味なんだよ。ったくけったくそ悪ィ奴だぜ」
「レシィも何度か誘われてたよな。なんか、『これはこれで……』とかなんとか言われて」
「あ、あは、あはは……ボク、ご主人さまのおそばにいていいんですよねっ!?」
「当たり前だろ? 大丈夫だ、安心しろレシィお前を手放したりなんかしないから(ぽんぽん)」
 などと話しつつ廊下を歩いた一番奥、『校長室』と札のかかった分厚い扉をユエルはこんこんとノックした。
「カムラン先生、いるっ? お客さんいっぱい連れてきたよっ!」
「……ユエルさんですか。どうぞ、お入りなさい」
「はーいっ!」
 ユエルがそっと扉を開ける――や、ライは思わず絶句した。
 この学校は基本的に質素というか、素朴というか、こういう村の中にある建物として当然の雰囲気と内装をしているのだが、この中だけいきなり空気が違う。高そうな絨毯、カーテン、きらきらしいシャンデリア。机やらなにやらもやたら装飾過多だ。テイラーの執務室よりもさらに金をかけまくった、という感じの部屋にいきなり出現され、どう反応するべきか一瞬迷った。
 ユエルはそろそろと中に入る――や、嬉しげな歓声を上げてたたっと机の前に走り寄る。机の前には槍を持った前髪だけを青く染めた青年と、髪を短く刈った中年男性が立っていた。
「あーっ! ロッカとレナードだっ! どうしたの、なにかカムラン先生に用事?」
「……ユエルさん?」
 静かに言ったのは豪奢な机の向こうに座っている金髪を長く伸ばした男だった。貴族とか貴公子とかそういう呼び方が似合いそうな雰囲気だが、その男が声をかけるやユエルはあ、と口を開いて姿勢を正し、ぺこり、とややぎこちないながらも丁寧な礼をしてみせる。
「失礼します、カムラン先生。えっと、お客さまを、ごあんない、いたしました」
「はい、よくできましたよ、ユエルさん。……お客様というのは、また、ずいぶんと大人数でいらっしゃるようだ」
 にっこり笑顔で微笑む男――カムランに、続いてエルカとモナティが進み出て礼をした。
「ただいま戻りました、カムラン先生。カムラン先生にはお変わりはありませんでしたか?」
「えと、ただいま戻りましたですのぉ、カムラン先生。カムラン先生もお元気なようでなによりですのぉ」
「ああ、エルカさん、モナティさん。よく戻ってらっしゃいましたね。後ろに連れていらっしゃるのは、あなた方の――」
「いや、ていうか俺たちの友達なんだけどな」
「……ハヤト? あなたがなぜここに」
 笑顔だったカムランの眉があからさまにしかめられる。ああそういえばマーン三兄弟とハヤトはかつて何度も戦った相手だとか言ってたな、と思い出した。
「まぁ、それにはいろいろ事情があるんだけど……」
「ロッカとレナードさん、なにか用事があったんじゃないの? 俺たちの話は長くなると思うから……」
 マグナの言葉に、レナードというらしい中年男性は笑って首を振ってみせた。
「いや、俺はただいつもの授業を受けに来ただけさ。もう終わって帰るところだ」
「僕も巡回の途中で立ち寄っただけですから。なにか、重要な用事なんでしょう? そんなに大人数でいらしたんですから。僕たちは席を外して……」
「ああ、いや、待ってくれ。できればロッカたちにも聞いておいてほしいんだ」
 そしてハヤトは説明をした。クラレットの素性は隠して、オルドレイクという男の研究を完成させようとしているセルボルト家の残党を止めるため、自分たちはゼラムにやってきて蒼の派閥から金の派閥への書状を届けようとしているのだ、と。
 話を聞いた三人の顔は険しくなっていた。カムランが難しい顔で両手を組む。
「セルボルト家の残党……そんなものが。それは確かに放っておくわけにはいきませんが……」
「まぁ、別にお前になにかしてくれって頼みに来たわけじゃないよ。なにか妙な噂とか、動きとかなかったかなって聞きに来ただけだ」
「残念ながら、そのようなことは皆目。この村はここのところ平和そのものですし」
「俺様もそんな噂は聞いたことがないな。大掛かりな準備はしてないっつうエクス総帥の言葉は間違ってないと思うぜ」
「僕も、それらしい話は召喚獣たちからも聞いたことがありませんね……なんでしたら改めて聞き回ってみましょうか?」
「悪いけど、頼めるかな。まぁないとは思うけど、この村に手を出してこようとしてる可能性だって皆無じゃないんだし」
「そうですね……警戒を強めます。リューグにも話をしておかなければ」
「……ねぇねぇ。マグナや、ライたちもそのけんきゅう≠止めようとしてるの?」
「まぁな。放っとくわけにもいかねぇし」
「総帥から頼まれもしたし。ハヤトたちのためにも、やれるだけのことはやろうってさ」
「じゃあユエルも手伝う! ユエル、マグナたちのお手伝いするっ!」
 目を輝かせて言うユエルに、便乗するようにエルカとモナティも続けた。
「エルカたちも手伝いをしたいんです。マスターたちは、その。仲間、だし。先生、お願いします」
「お願いしますのぉ、カムラン先生。もうちょっと休暇を延長したいんですの、マスターはモナティのだいじなだいじなマスターなんですのぉっ」
「……ふむ。マスターを守りたいというあなたたちの気持ちは、とても美しいものだと思いますが……」
 両手を組んだまま、ハヤトに視線を向けて訊ねる。
「彼女たちの協力は、どうしても必要なものですか?」
「どうしても……ってわけじゃないけど。やっぱり、カムランとしては嬉しくないのか?」
「それはそうです。生徒たちが危険な目に遭うのを嬉しがる教師はいません。それに、彼女たちには教育を受ける義務と権利があります。あなた方を手伝う間どんどん教育が遅れてしまうことを考えると、やはり歓迎はできませんね」
「えーっ、どうしてぇ? ユエル、強いよっ?」
「……ユエルさん、あなたがとても強いのはわかっていますが……」
「それにっ、学校に行けない間も、マグナたちに教わって勉強も頑張るから! お願いしますっ、先生っ」
「お願いしますっ」
「お願いしますですのぉっ」
「…………」
 ふ、と息を吐き、カムランは微笑んだ。
「今日はこの村に泊まるのでしょう、ハヤト?」
「うん、そのつもりだけど?」
「……朝までに宿題を用意しておきますから、それを戻ってくるまでにきちんと片付けておくこと。危険が予想される場合は強い人間か、リィンバウムをよく知った強い召喚獣と共に行動すること。学校から離れている間起きたいろんなことや、見たもの聞いたものを、日記につけて覚えておくこと。守れますか?」
『……はいっ!』
「カムラン、それじゃあ」
「仕方ないでしょう。生徒のやる気を育てるのも教師の役割です。それに彼女たちのような美しいお嬢さんたちの瞳が、涙に曇るのは見たくない」
「……ありがとな、カムラン」
「あなたに礼を言われる必要はありませんよ」

 カムランと少し話をしたあと、ライたちは村の召喚獣たちに話を聞いて回るというハヤトたちと別れ、マグナたちと一緒にユエルに村の案内を続けてもらうことにした。この村にはマグナたちの仲間が何人もいるらしい。
「この村のある場所が、もともと俺の仲間の村だったってこともあるんだけど、まぁ召喚獣の村を作るために俺たちなりにいろいろ協力したし」
「へぇ……あ、そういやさっきのロッカって人とレナードって人。あの人たちもマグナたちの仲間なんだよな? なんで人間なのにこの村にいるんだ?」
「あはは、別に人間がこの村に来ちゃいけないってわけじゃないさ。審査はあるし、妙な人には警戒もするけど、人間の移民も受け容れてるんだよ」
「……そうなのか?」
「うん。だって人間と召喚獣の関係をよくするっていうのもこの村の目的のひとつなんだから。……まぁ、ロッカはその、前にあった村に住んでた関係でっていうのもあるし、レナードさんはああ見えても召喚獣で……」
「召喚獣、って……人間よね、あの人。シルターンの人?」
「いや、実は名もなき世界の人らしいんだ。ハヤトの同郷なんだって」
「えー!? じゃあ、パパのお父さんとも同じところから来たの?」
「こら、だからまだわかんねーんだって」
「んで、元の世界に帰りたいって思ってるんだけど、名もなき世界とリィンバウムの間にできる繋がりはすごく不安定で、強い魔力がなければ渡ることはできないんだ。だからカムランに召喚術を教えてもらってるんだよ。……まぁ、成果はあんまり芳しくないから、どっちかっていうとハヤトの研究してる送還術を頼みにしてる感じだけど」
 などと話しつつ村を歩く。ここが機織り場、ここが薬を作る場所、などと案内されていると、ふいに一人の男に声をかけられた。
「おい、マグナ。誰だ、そいつら」
 ぶっきらぼうな声。それにマグナは振り向いて笑顔で応える。
「お、リューグ! やっぱりもう帰ってたんだな」
 リューグ、というらしいその男は、髪を前髪だけ赤に染めていた。斧を持ち、いくぶん険しい目でこちらを見ている。少しばかりむっとして睨み返すように見ると、ぎゅっと眉間に皺を寄せ、ぎろりとマグナを睨んだ。
「質問に答えろ。誰だ、こいつら」
「怪しい奴らじゃないよ。帝国の、トレイユって町の宿屋の主人をやってるライと、その仲間たち」
「帝国……? 帝国の宿の主人がなんでこんなところにいる」
「いや、それはさ、いろいろ理由があって」
「おい、にーちゃん。いい年こいて、人と話す時はまず挨拶って礼儀も知らねーのか」
 ぎろり、と睨みつけ言うと、向こうもぎっとこちらを睨みつけてくる。
「なんだと、このガキ」
「人をガキ呼ばわりすんならオトナらしい態度見せてみろってんだよ。俺らの素性知りたいってのなら、まず俺たちに教えてくださいと頭を下げるのが筋ってもんだろうが。人の目の前で他の人にその人のことをどうこう訊ねるのは礼儀知らずだってことくらい知っとけよ」
「……なら教えてもらおうか。お前らはどこの誰だ。なにが目的でこの村にやってきた」
「さっきマグナが言っただろーが。俺はトレイユの『忘れじの面影亭』って宿の主人をやってるライ。こいつらは俺の子供のリュームとミルリーフとコーラル」
「な……その年で、子持ち……?」
「産みの親じゃねーよ。こっちがリシェルでそっちがシンゲン、こいつがギアン。旅の途中で依頼されて、ハヤトと一緒にファナンまで書状を届けに行く途中にこの村に立ち寄った。以上、なんか文句でもあるか」
「……それが真実だって証拠がどこにある。お前らがこの村に入り込んでなにか悪さをしようって可能性は捨てきれねぇだろうが」
「疑うんならガゼルに訊ねてみろよ。ガゼルは俺たちがトレイユにいた時会ってるからな」
「ガゼル……? おい、マグナ。あいつこっちに来てやがるのか」
「ああ、ハヤトたちと一緒に来てるよ。ハヤトたちはトレイユまでずっと一緒に旅してきたっていうから、素性については疑う必要ないと思う。それにさ、俺たちもライたちとしばらく一緒に行動してたけど、みんないい奴だよ」
「チッ……しょうがねぇ、一応お前の言葉を信じてやるさ」
 言うやこちらに背中を向けて去っていこうとするリューグに、リシェルが怒鳴った。
「ちょっとぉっ! いきなり喧嘩腰で声かけてきてなによその態度っ! ちゃんと謝りなさいよねっ!」
「やかましい。俺はこの村の自警団員だ、自分の仕事をして責められるいわれはねぇ」
「はぁ!? なによそれ、自警団員だったら偉そうにしててもいいってわけ、勘違いしないでよねっ!」
「チッ……きゃんきゃらきゃんきゃらやかましい女だな。とりあえず今はお前らを拘束しないでおいてやるってんだ、文句はねぇだろうが」
「あんたのその態度がムカつくって言ってるのっ! 初対面の人間に話しかける時はすいませんがちょっとよろしいですか、ぐらいのことは言いなさいってのよっ!」
「………うるせぇ」
 ぼそり、と殺気を込めて呟き、リューグはすたすたとその場を歩み去る。ライたちは、大なり小なり憤懣を込めてその背中を見やった。
「なぁによあいつっ! 偉そうにしちゃってさっ、ムカつく奴っ」
「……ライ、許しがあればボクがちょっとあの男をこらしめてきてもかまわないけれど?」
「やめろギアン。ムカつく奴ではあるけど、わざわざこっちから喧嘩売ることもねぇだろ」
「……ごめんな、みんな。リューグって悪い奴じゃないんだけど、口が悪くて不器用で、そのくせやたら責任感が強いから、ちょっとでも普段とは違うものを見つけるとすぐ喧嘩腰になっちゃうんだ。あいつ、この村の自警団の副団長だからさ。まぁ、しょっちゅう武者修行の旅に出るから村にはあんまりいないけど」
「……団長って、誰?」
「ロッカ。ロッカとリューグは双子の兄弟なんだ」
「マジかよ!? 似てねぇっ」
「まぁ、最近は前髪がなくても見分けがつくようになってきたけどなぁ……いつも浮かべてる表情が違うせいか、顔の形もなんか変わってきてる気がするし」
 などと話しながら先へと進んでいると、また声がかかった。今度は二人分だ。
「あら、マグナ、ネスティ。久しぶりね? どうしたの、そんなに大勢で」
「お、珍しく知らない顔を何人も連れてるじゃねぇか。どこで引っかけたんだ、そんなに大勢?」
 落ち着いた女性の声と、磊落な印象の男の声。振り向いた先には、清楚な服装の黒髪の女性と、緑の髪をしたがっしりとした男が立っていた。女性は淑やかな、男は悪童めいた笑みを口元に佩いている。
「フォルテ、ケイナ!」
 マグナが嬉しげな声を上げた。護衛獣たちやネスティ、ユエルも笑みを浮かべる。マグナはこちらを向いて、手で指し示した。
「えっと、紹介するよ。こっちはライ、リシェル、リューム、ミルリーフ、コーラル、ギアン、シンゲン。こっちがフォルテでこっちがケイナ。二人は……夫婦、なんだ」
 なぜかどこか照れくさそうに言うマグナに、フォルテもケイナもどこか気恥ずかしそうに顔を赤らめたりする。夫婦なのに照れてんのかと思うと少しばかりおかしかった。
「あの、もしかして、ケイナさんって、そのお腹……」
「ええ……もう八ヶ月、かな? 子供がいるの」
 照れくさそうに、けれど誇らしげに答えたケイナに、リシェルは歓声を上げた。
「うわぁ、おめでとうございます! 結婚して何年目なんですか?」
「そんなに経ってないわ。……この宿六が、いつまでも責任取らずに逃げ回っているうちに子供ができちゃってね」
「いででっ!」
 フォルテの尻をつねりながら夫を罵るケイナの顔は、それでも幸せそうに輝いていた。リシェルも目をきらめかせて問いかける。
「じゃあ、それでようやく責任を?」
「うーん、実は私、一度こいつから逃げ出しかけたのよね。子供ができた時に、子供ができたからって責任を取られちゃうのが嫌で、一人で産んで育てよう、って」
「うわぁ……それでそれで?」
「そうしたらこいつが必死の形相で追いかけてきて。『俺がお前を幸せにしてやれるかどうかはわからねぇが、俺はお前がいないと幸せになれないんだ』って抱きしめて……」
「わぁっ……!」
「ケイナ、お前なぁ……そういうことを誰にでも言うなって何度言ったら……」
 渋い顔をする(けれど耳は赤い)フォルテにくすりと笑い、ケイナは耳を軽く捻った。
「でっ!」
「言ったでしょ、子供が産まれるまでは言わせてもらうって。こっちをさんざん振り回してやきもきさせたお返しよ」
「だぁぁ……」
 そっぽを向いてがりがりと渋い顔で頭を掻きながらもフォルテは幸せそうだった。喧嘩しながらも仲のいい夫婦、というやつなのだろう。子供たちがわらわらとケイナを取り囲む。
「わぁ、この中に赤ちゃんがいるの? すっごいねぇ……」
「触ってみる?」
「え、いいのかっ? じゃ、じゃあ、ちょっと……わひゃっ、動いたっ!」
「お兄ちゃんに遊んでもらおうと思ったみたいね。ふふ、この子早く生まれたいってしょっちゅうお腹を蹴るのよ。きっと元気な子供に育つって、産婆さんが」
「……生命の、神秘、かと。……なんだか、ドキドキする」
 それを微笑ましく見つめつつ(ライはトレイユでは妊婦さんに会う経験は何度もあった、つわり対策用メニューを考えたこともあったので)、フォルテに軽く訊ねてみる。
「フォルテさんは、この村に移民してきたのか?」
「いんや、移民っつーか……俺らはもともと冒険者だったからな、街から街へ移る流れ者として生きてたんだ。けど子供ができて……まぁ、子供が産まれるまではひとつところに留まらなきゃならんし、生まれても一人前になるまではケイナは子供についてやってた方がいいだろう、ってことで家を持とう、ってな。だったら仲間がいる、居心地のいいこの村が一番なんじゃないか、ってことで……家を建てる金も安くつくし」
「ああ、フォルテさんたちって、マグナたちの仲間だったんだ」
「あぁ、まぁな。これでもそれなりの腕利きなんだぜ?」
「うん、そんな感じするな」
 にやりと笑んで言われた言葉にうなずくと、フォルテはなぜか少しばかり苦笑した。
「……実際には、そんな腕利きだなんだって自分を誇れるほど、大したことはやっちゃいないんだがな……」
「そうなのか?」
「親に反発して家を飛び出して。成り行きのままに気ままに生きて、あいつと出会って……あいつが好きになって。それでもあいつときちんと向き合うのを先延ばしにして、向き合ったら向き合ったであいつを俺なんかが本当に幸せにできるのか不安で。責任を取るのを先延ばしにして……それで結局またあいつを追い込んじまったりして。今でも俺はガキのまんまだって気が抜けねえくらいだしな。情けない男だろ?」
「ふーん……」
 たぶん自分のことをあまり意識せずに出た言葉なのだろう、ケイナを見つめつつぼんやりと言うフォルテに、ライは少しなんと答えるか考えた。自分はどうだろう。自分は、自分を一人前と誇れるだろうか。立派な大人と思えるだろうか。
 ライは小さく首を振った。――それは、きっと、いうなれば。
「フォルテさんがケイナさんと子供を大切にし続けるなら、なんとかなるんじゃねぇの」
「え」
 思わずといったように振り向くフォルテに、ライは淡々と続ける。
「子供とか……結婚相手とか、そういう大切な人に大好きとかさ、世界一とかそういうこと言われたら、死ぬ気でその言葉にふさわしいってくらい頑張っちまえるもんじゃんか。だからさ、フォルテさんが奥さんや子供を大切にし続けるなら、なれると思うぜ。立派な大人ってやつに」
 子供たちの自分に向ける信頼の視線。愛する人の――兄貴の『お前は大した奴だよ』という優しい言葉。自分が今少しは以前よりマシになっていられるのだとしたら、そういった気持ちに応えられるように、と必死に頑張った成果なのだから。
 フォルテは数瞬まじまじとこちらを見つめてから、にやけた笑みを浮かべてばしばしとライの肩を叩いてみせた。
「いんや〜、お前さん若いのに苦労してんなぁ! いや偉いっ、すごいっ、男前っ! まだガキだってのに子持ち親父のよーな風格だぜっ、大したもんだ!」
「それ褒めてねぇだろ……っつか、実際子持ちだし」
「……なにぃっ!?」
 フォルテが目をむく。本気で愕然とした表情に、ああこういう言い方だと誤解されるか、と口を開こうとする前におそるおそるという顔で訊ねられた。
「そ……その年で、結婚してん、のか?」
「え? まぁ、結婚みたいなことをした人はいるけど……」
 兄貴とのあれこれは、男同士だということを除けばそういうことなんだし。
「………! その年で結婚して子持ち……!」
「って、ええ、結婚っ!? ライっそれホントかっ、結婚ってその年で!? 誰だよ相手っ」
「いや、結婚っつーか、正式じゃないけどみたいなもんっつーか……」
「(聞いてない)そ、その年で妻と子供を養えてるっつーのか……!?」
「養うっつーか……まぁ、あいつらを食わせられるぐらいには繁盛してるし、うちの店」
「み、店持ち………!? しかも繁盛してる……!?」
「いやだから別にそーいうのとはちょっと違うんだってのに」
 その後しばし説明して誤解は解けたが、誤解が解けてもなぜかフォルテは一人「あの年で店持ち……俺なんぞ出産費用さえかつかつだってのに……」などと呟いて落ち込んでいた。

「おいしい……!」
 マグナの仲間だという女性、アメルが上げた歓声に、ライは笑みを浮かべた。やはり食べた人においしいと言ってもらうのは、料理人として最高の喜びだ。
 ここはレルムの村の宿泊所。宿屋というわけではないのだが、この村を訪れた人が泊まるためのそれなりに大きな建物だ。食事その他は自分でなんとかしなければならないが、野宿よりはよほどマシだ。
 そこにハヤトたち、マグナたちも全員集まったのだが、マグナたちは何人か仲間を連れていた。ロッカにレナードにリューグにフォルテとケイナといったすでに会っている仲間たちに加え、アメルという女性とアグラバインという逞しい老人。せっかくだからと一緒に食事をすることにしたのだという。
 なので、ライは全員の食事を任されるつもりで厨房に立った。レシィが「手伝います!」と立候補し、アメルも「私も一緒に作っていいですか?」と言ってくれたので、三人で一緒に作ったのだが。
「……なぁ、アメルさん」
「はい、なんですか?」
 にっこりと微笑みかけてくるアメルに、なんと言うか迷ったが、結局直截に告げる。
「なんでそんなにいっぱい芋積み上げてんだ?」
「え? だって人数がすごいですから、どうしてもこのくらいになっちゃいませんか?」
「いや、そりゃ全員が芋五個ぐらい食うってんならそのくらい積むだろうけどさ。いくらなんでもそこまで芋ばっか食いは」
「ラ、ライさんっ!」
 レシィに裾を引かれ、ようやく気付く。ごく普通の優しげな女性にしか見えなかったアメルが、微笑みながら、ごごごごご、と音が感じられるほどの覇気を発している。
「ア、アメルさん……?」
「だって、お芋さんはすごいじゃないですか。おいしいですし、痩せた土地にも育ちますし、栄養もいっぱいありますし」
「いや、そりゃそうだろうけど……」
「このレルム村でも、お芋さんはとってもたくさん育ててますし。どれもとってもおいしいお芋さんですし」
「はぁ……」
「ですからみなさんにもいっぱいお芋さんを食べてもらいたいですし。私もぜひともマグナやみなさんにいっぱいお芋さん料理を御馳走したいですし。お芋さんをぜひともいっぱい」
「……わかったよ。つまり、アメルさんは芋がすんげー好きなわけな」
 その言葉に、アメルは覇気を霧散させ、満面の笑みでうなずいた。
「はいっ!」
「……じゃあさ。どんな料理作るのか、ちょっと教えてくれよ。俺もそのかわり、いくつか芋料理のレシピ教えるからさ」
「本当ですか!? 嬉しいですっ。一緒にお芋さん料理をたくさん作りましょうね!」
「……はいよ」
 苦笑しつつも、協力して芋料理をいくつも作り上げ、みんなの前に出したのだが(もちろんそれ以外の料理も作った、ライとレシィが)。一口自分の作った芋餅を口にするや、アメルは笑顔になってくれた。
「おいしい、このお芋さん、とってもおいしいです! お芋さんなのにすごくもちもちしてて!」
「気に入ってくれてよかったよ。潰し芋からの派生料理だけどさ、けっこう目先変わるだろ?」
「はいっ! 今度さっそく作ってみますね!」
「へぇ……この芋ガレットも、ライくんが? すごいね……すごくおいしい。本当に料理人なんだ」
「いやはや、その年でまったく大したもんだぜ。さすが店を構えるだけのことはある、っつーかむしろそこらの店が裸足で逃げ出すくらいうまい! 女なのに丸焦げ料理しか作れないどっかの誰かさんとはおおちが……ぐはっ」
「お黙んなさい。……でも本当においしいわ。このスープ、いろんな具が入っていて食べ応えがあるのにすごくするっと胃に入るし」
「確かになぁ……アメルのお嬢ちゃんやレシィの料理もうまいが、こりゃまた格別な味だ」
「うむ……修練を積んだ技術に裏付けされた味だな。大したものだ」
「へへっ、そんなに褒めないでくれよ、照れちまうぜ。俺が作るのよりうまい料理は、まだまだいっぱいあるんだしな」
「……ハッ! まったくだぜ。ガキを調子に乗らせてんじゃねぇよ」
 苛立ちのこもった言葉にむ、とリューグの方を見ると、リューグはがつがつとライの作った芋とチーズと挽肉の重ね蒸しを口に運んでいた。お、と笑顔になって訊ねてみる。
「それ、気に入ったか?」
「…………」
 ふい、とそっぽを向くリューグ。アメルが食べながらたしなめるようにとリューグを見た。
「リューグ……おじいさんにも言われたでしょう? 作った人には感謝を込めて、ちゃんとお礼を言いなさいって」
「……チッ、わかったよ。……おい」
「ん?」
「………………………………………、うま、かった」
 仏頂面で、耳を赤くしながら言われた言葉に、ライはにやっと笑って言った。
「ありがとな。最高の褒め言葉だぜ」
「……クソっ。ガキのくせしやがって」
「にーちゃん、もういい年なんだからもーちょっと大人になれよな」
「……やかましい」

「……ん」
 夜中。ライはふと、喉が渇いて目が覚めた。
「水、飲みてぇ……」
 同じベッドで眠りこけている子供たちを起こさないよう、そっとベッドから下りて部屋を出る。明かりを落とした建物の中は暗かったが、幸い月が出ていたので歩く分には支障はなかった。
 この村に水道はない。なので水を汲み置きしてある水瓶に行くか、直接井戸に行くかなのだが、ライは井戸に行くことにした。その方が冷たくて気持ちのいい水が飲める。料理として使うとなるとまた別だが。
 まだ完全には覚醒していない体を動かし、のんびりと外に向かう――と、ふいになにか、呻くような声が聞こえた。
「………?」
 眉を寄せる。なんだ、この声。
 まさかとは思うが、誰かが捕まって縛られたりしてるんじゃないだろうな、とライは気配を探った。声は少し先の、確か誰も使っていないはずの部屋からするような気がする。
 足音を忍ばせてその部屋へと向かう。明かりはついていない。相手が襲ってきた時に備え身構えながら、そろそろと扉を開け、中をのぞきこむ。
 そして絶句した。
「ッ……く、ァッ……!」
 ベッドの上。素裸のマグナとバルレル。マグナに押し倒された格好で、何度も口付けられ、愛撫を受け、必死に堪えながらも耐えきれず喘ぎ声を漏らしてしまうバルレル。
 つまり、どう考えてもこれはつまりそのそっちというかそういうこととしか――
 できる限りそっと扉を閉め、足音を忍ばせて部屋から離れる。そしてもう気付かれない、というくらいまできたと思うや、全力でライは走り出した。宿泊所を出て、そこら中を全力疾走で走り回り、井戸にたどり着いてはぁはぁと荒い息をつく。
 井戸から水を汲み上げ、ざばっと頭にかぶり沸騰しそうな頭を冷やす。もう一度汲んでそれからごくごくと飲み干した。
「………っはぁ……」
 ようやく落ち着いてきて、半ば茫然と宙を見上げる。まさか、あの二人がそういう関係だなんて想像もしていなかった。見ていても、ごく普通の仲間同士というか、そんなにすごく好き合ってる感じなんて少しもなかったのに。
 しかもあの二人は男同士だというのに。ハヤトとガゼルに加え、あの二人までとは。もしかして、世の中には男同士でそういう関係になっている人間というのは、自分が考えているより多いのだろうか。
「……どっちにしろ、まずいもん見ちまったよなぁ……」
「まずいもんというのは?」
「どわっ! シ、シンゲン……?」
「はいはい、なんでござんしょ?」
 にっこり笑顔でこちらを見るシンゲンに、ライははぁ、と息をつく。こいつ、いつからいたんだろう。
「お前……起きてたのか?」
「ええ、どうも寝つけませんで。ここらで軽く一曲ぶっておりましたら、御主人が走ってこられた次第で。どうしました? 誰やらの逢引でも、うっかりのぞいちまいましたか?」
「……っ!?」
「おや……どうやら本当にのぞいちまったようですな。どなたとどなたのです? ハヤト殿とガゼル殿か、キール殿か。さもなけりゃマグナ殿とバルレル殿か、さもなけりゃ」
「お前知ってたのか!?」
 ライが愕然と叫ぶと、シンゲンはありゃ、とばかりに片眉を上げ、それから笑った。
「知ってたというか、まぁ見てりゃそのくらいはわかります。自分もこの年まで伊達に男をやってきちゃいませんからね」
「そ、そうなのか?」
 なんだかシンゲンが急にすごい男に見えてきて、ライはじっとシンゲンを見上げる。と、シンゲンがふいににやり、と笑んだ。
「なんでしたら御主人。その伊達じゃないとこ、ご自分で確かめてみます?」
「……は?」
「それ。放っておくのもつろうござんしょ?」
「え……な、な―――っ!!」
 シンゲンの指差したのがなにか気付くや、ライはカッと顔を朱に染めて走り出そうとしたが、それよりもシンゲンに腕をつかまれる方が早かった。ばたばたと手足を暴れさせて振りほどこうとするが、シンゲンは巧みな技でライの抵抗を押さえ込む。
「放せバカなに考えてんだんなことできるわけねーだろーがっいい加減にしろーっ!」
「あらら、これはまたずいぶんと手厳しい。……ですが、そんなに気にしなくてもいいんですよ」
「なっ」
 すい、とシンゲンの顔が近付いてくる。普段と違う、真剣なような、違うような、ひどく妖しい、不思議に輝く眼鏡の奥の瞳と表情。
「自分は誰にも言いませんし、御主人だって誰彼かまわず言いふらしたりはしないでしょう。なら、ないのと同じです。一回やそこら他人の手を試してみても、罰は当たらないんじゃないですかね?」
「な……ちょ、あっ……」
 シンゲンの指がライの指の股をさわっと撫で、とたん出てしまった声にライはばっと両手で口をふさいだ。なんだ今の。なんだってんだ。シンゲンが軽く指の股を触っただけで、ぞくぞくぅっ、と背筋になにかが走って――
 に、とシンゲンは笑みを深くし、するりとライを腕を絡みつかせるように撫で触る。ぞく、ぞくぞくっ、と背筋に走る感覚。必死に声が出るのを堪えているライの耳元に、ふっ、と息が吹きつけられひどく腰に震えを走らせる声で囁かれた。
「可愛いですよ。御主人」
「っ――――」
 ばっぎぃっ! と全力で叩きつけた拳に、シンゲンは「ぐぼぁっ!」と悲鳴を上げつつ吹っ飛んだ。ライは顔を真っ赤にしつつ、ぎっとシンゲンを睨みつけ怒鳴る。
「アホなこと考えてる暇があったら歌の腕でも磨きやがれこのへっぽこ眼鏡侍っ!」
 そう叫ぶやシンゲンに背中を向けて逃げ出す。シンゲンにもその馬鹿な真似にも、自分が顔を全力で真っ赤にしていることも、シンゲンがひどく楽しげな笑みを浮かべていることも、自分の腰がひどく熱く燃え盛っていることも、すべてに思いきり腹を立てつつ。
 走りながら胸を押さえる。とりあえず、心臓が落ち着くまで、子供たちのいる部屋には戻れそうもなかった。

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