手と腕と背中と笑顔と、それから面倒をかけるところ

「兄さん!」
 現在のところ、リオスの首都ラスベートでも有名な商会を経営し、先先代は議会の議員を務めていたほどの名家であるデーニッツ家の、当主を務めているベルハルト・デーニッツは、その兄であり冒険者であるジークハルト・デーニッツに尖った声を投げつけた。
「おお、ベル? どうした」
「どうしたじゃないよ! 兄さん、ベーレント家のお茶会で令息にひどい恥をかかせたそうじゃないか!」
 平然とした顔で振り返る兄ジークハルトに、ベルハルトはぎゃんぎゃんと喚く。
 ジークハルトが家に戻ってきたのは三日ほど前のこと。冒険者の方の仕事で聞きたいことがあって家を訪れたようなのだが、なんでもその関係でしばらくこの街で人を待たなければならない、ということで仲間たちと一緒にそのまま家に滞在している。
 だがせっかく家にいるというのに、ジークハルトはデーニッツ家長男としての責務をまるっきり果たそうとしない。商売、学問知識、見識を高く保つ方法、勉強しておいてほしいことは山ほどあるのに、部屋でごろごろしたり街に遊びに出たりとだらだら過ごしてばかりいるのだ。
 それに怒っても平然とした顔でのらりくらりとかわしてしまうし。だったらせめてデーニッツ家の長男として顔を売ってきてくれ、とその時来ていたお茶会への招待にジークハルトを向かわせたのだが。
「お茶会の席で令息をさんざんにやっつけて恥をかかせたって……令息はかんかんだったそうじゃないか、顔を売るためのお茶会で評判を悪くしてどうするんだよ!」
 だがジークハルトはあくまで平然とした顔で言ってのける。
「わざわざ令息なんて堅苦しく呼ぶこともないだろ。お前だって顔も名前も知ってるだろうが、クラウディオだろ、お漏らしクラウ」
「っ、だから、そういう昔のことを大声で言うのは評判を悪くするって言ってるんだよ! 相手に喧嘩を売ってるようなものじゃないか!」
「別にわざわざあいつに喧嘩売る気もしないけどなぁ……あいつへの借りは大昔に返してるし。単にあいつが喧嘩売ってきたから買ってやっただけで」
「だからっ……!」
「あ、もしかしてあそこの家となんか商売したりしてたか? だったら謝ってなんとかしてくるけど」
 ごく当たり前のことを言っている、というような顔でジークハルトは言う。ベルハルトの瞳を、真正面から自分の瞳でのぞきこむようにして。
 ベルハルトはうぐっ、と言葉につまった。この瞳。純粋といえば聞こえはいいが、要は子供っぽい、なにも考えていない、適当な――そのくせおそろしく力強い瞳が、ベルハルトはひどく苦手だった。
 この瞳で見つめられると、どんな時も、なにを言おうとしていても、ついついいつも調子を乱してしまう。
「べっ、別に商売というほどのことはしてないよ。木材やらなにやらで取引はしていたけど、向こうは自分たちだけが利益を得ることにやっきになるところがあるからね、これから落ち目になると踏んで他の商会との取引に変えようかと考えていたところだし」
「なんだ、そうか。さすがだなベル」
「そ、そのくらい当然だよっ。僕は優秀なんだからねっ」
「うんうん、お前がしっかりしてくれてるおかげで家は安泰だよな、これからも頼むぞ。じゃ、俺は剣の稽古があるから」
 さらりと言って滑るような動きで動いた、と思うやあっという間にジークハルトは階段を下りて姿を消した。しまった、とベルハルトは唇を噛む。またやられてしまった。
「……いっつもそうだ。兄さんは、自分勝手で、適当なことばっかり言って」
 そのくせ、最後のおいしいところだけは、ちゃっかり持っていくのだ。

 幼い頃、ベルハルトにとってジークハルトは、一番身近な遊び友達であると同時に暴君だった。おやつを奪い取られたり、食事のおかずを奪い取られたり。遊んでいる時に「俺の方がお兄ちゃんなんだから言うことを聞け」などと言って自分の都合のいいように遊びのルールを変えさせられたり。
 そしてそれに対して文句を言えば殴られる。ただでさえ二歳年上なのに、ジークハルトはベルハルトよりはるかに運動神経がよく、力も強かった。喧嘩をしても当然かなうわけはなく、泣かされたのも一度や二度ではない。
 ただそのたびにジークハルトは父ザムエルにこっぴどく叱られ、仕置きされたので、あまりその恨みがあとを引くということはなかった。何度も懲りずに喧嘩はしたが、何度も懲りずにジークハルトはベルハルトを遊びに誘ったし、ベルハルトもそれに乗った。
 だってどうしたってこの広いデーニッツ家の中で一番の遊び友達は、ジークハルトしかいなかったのだから。
 だからジークハルトが学校に行く時には自分も行きたいと駄々をこねた。もちろん許されはしなかったけれど。ジークハルトはそんな自分を困ったように見ていたけれど、なんのかんの言いながら家に戻ってきたらちゃんと遊んでくれた。
 ……時には、屋敷の外に連れ出してでも。
「えっ? おやしきの、外に?」
「ああ、前に抜け道見つけたんだ。バレないようにあんまり遠くには行けなかったからあんまり使わなかったけど、俺はもう学校に行くようになったからな、屋敷の外のことももうわかるし。一緒に行こうぜ」
「で、でも、なにも言わないでおやしきの外に出たらおこられちゃう……」
「大丈夫だって。なんとかなるよ」
「ほ、ほんとに?」
「ああ。お兄ちゃんに任せとけって」
 そして任せた結果、どんな時もとんでもない目に合わされたのだが。
 ジークハルトは確かに屋敷の外について、それまでほとんど外に出たこともなかった子供にしてはひどく詳しかった。もともと好奇心旺盛で興味のあることについてはもの覚えもいいせいか、デーニッツ家の邸宅のある高級住宅街のみならず、商店街、下町、そういった場所にまで縦横無尽に歩き回ることができたのだ。
 だがそれがベルハルトにとってどれだけ強烈すぎる体験かは考えてくれなかった。
「はいそこの坊ちゃん、いい服着てるね、この首飾りで首元をより美しく彩ってみないかい!」
「ひっ!? え、え、あの」
「おばちゃん、五つの子供に商売っ気出すなよな。第一俺ら金持ってないし」
「まぁジーク、あんたは相変わらず可愛げがないねぇ。そっちの子だったらうまく言いくるめてそのいかにも上等そうな上着ぐらいは分捕れるかと思ったのに」
「ひっ!?」
「やめろって、こいつは俺の弟なんだから」
「てめぇ、ジーク! 昨日はよくもやりやがったな! また俺らのシマに来るとはいい度胸じゃねぇか!」
「なんだ、お前らか。まだそんなこと言ってんのか心狭い奴らだな」
「なんだとぉ!? いい服着たボンボンのくせしやがって!」
「お、お兄ちゃん、あの子たち、だれ……?」
「ああ、あいつらはここらのガキ大将とその取り巻きだよ。俺が昨日殴って泣かせたけど」
「なめんなてめぇ、やっちまえ!」
「くそ、数が多いな。よしベル、お前も手伝え!」
「え? え? わっ、たっ、うぎゃぁぁん!」
「……上等な服だな。なんであんなガキどもがここに……」
「どこのボンボンだ。いい機会だ、世間ってものを……」
「お、まずいぞベル。あいつら俺らのことを狙ってるみたいだ。よし、走って逃げるぞ!」
「わ、な、ちょ、お兄ちゃん、待ってぇぇぇ!」
 ぼったくり露店につかまり、下町の悪ガキどもに絡まれ、誘拐犯たちに襲われそうになり。そんな経験はこれまで蝶よ花よと育てられてきたベルハルトにしてみれば考えられないものだった。死ぬような目と言っても過言ではない。かろうじてどんな時もジークハルトに助けられてきたのだが(しかしそもそもの原因はジークハルトにあるといえばそうなのだが)。
 そういう経験はベルハルトを成長させたというか、そこらの坊ちゃんよりは土壇場の度胸を身に着けさせてくれたのだが(そしてそれが今も役に立つことも多いのだが)、思うのはなぜジークハルトはああもあっさり屋敷の外の世界に馴染めたのかということだ。
 ジークハルトも屋敷の中で乳母日傘で育てられてきたのは同じのはずなのに、どこに行っても平然とした顔でしたたかな商売人や悪ガキと渡り合い、犯罪者とやりあい、最後には彼らと友達になったり、官憲に捕まえさせたり、それどころか彼らの大将のようになって先頭に立って遊んだりもした。そのせいでジークハルトの名は下町では今でも有名だという。なぜ、そんなことができたのだろう。
 いつも、そうだった。ジークハルトは自分の及びもしないところを、及びもしないやり方で駆け抜けていく。ベルハルトは、それをいつも、遠くから眺め、泣きながら必死にあとをついていくしかできなかったのだ。

「――ベルさま? どうか、なさいましたか?」
 ふいにかけられた声に、ベルハルトははっと我に返って微笑んだ。視線の先では、自分の忠実な従者であるアイシャが心配そうな顔でこちらを見つめている。
「大丈夫だよ、アイシャ。少しぼうっとしてしまっただけだから」
「そうですか……ですが、どうかご自愛くださいませ。ベルさまはここのところ、忙しく働かれすぎです。商会の方の仕事だけでもお忙しいというのに、ジークさまのご面倒まで見られるなんて……」
 メイド服姿で(今は家の執務室で仕事をしているので)渋い顔をするアイシャに、ベルハルトは笑って首を振る。
「別に、面倒を見るというほどのことはしていないよ」
「そうでしょうか。私には、まるでジークさまが幼い子供であるかのように、一から十までご面倒を見たがってらっしゃるように思えるのですけれど」
「………、そんなこと……ないよ」
 ベルハルトはゆっくり首を振るが、そのくらいでごまかせはしないことはよくわかっていた。なにせ相手はアイシャ、七歳の時から自分に仕え、公私ともに自分を支えてくれている従者だ。こちらの表情で心中の感情が読まれるのは日常茶飯事だった。
 そういえば、最初にアイシャと出会った時も兄さんとは喧嘩になったんだよな、とふと思い返す。自分が七歳、ジークハルトが九歳の時に父ザムエルが魔動機文明時代の棺桶のようなものを家に運び込んできて、『こいつらが今日からお前らの子守をしてくれるぞ』と言ったのだ。
 自分に与えられたのがアイシャ、ジークハルトに与えられたのがメシュオーン。ジークハルトは最初『外れを引いた』とぶうぶう言い、メシュオーンも『こんなしょうもない子供が主人とは』と人生に挫折したような顔をしていたのだが、あっという間に馴染んでしじゅう一緒にいるようになった。
 自分は当初、アイシャに心から仕えられながらもなかなか打ち解けられないものがあったのだが、ちょうど学校に通い始めた頃だったので、そのごたごたを解決する過程で仲よくなることができたのだ。
 ああ、そう。思い出す。あの時は、ジークハルトも自分を助けてくれたのだ。いつもそうであるように、自分には思いもつかない方法で。

「おい、お前。ジークの弟なんだってなー」
 学校の休み時間に、ベルハルトはよく上級生たちに呼び出された。
 ベルハルトとジークハルトの通う学校は、ラスベートでも良家の子女と呼ばれるような存在だけが通う場所だったが、それでも六歳から十二歳の子供がひとところに集められている以上、子供特有の世界というものはできる。そして多くの場合、それは獣のような弱肉強食の力関係を示すのだ。
 そして、その中で自分はまさにいい鴨だった。
「お前の兄貴生意気なんだよー、お前の兄貴のせいで俺は父上に叱られたんだからなっ」
「ジークの弟だからっていい気になるなよっ、兄貴にやられた分お前に返してやる」
 そんな埒もない言いがかりをつけられて、いたぶられ、殴られる。わんわんと泣きじゃくったが、そいつらは先生たちの目の届かない場所をよく知っていたし、「先生に言いつけたらこれまでよりもっとひどいことするからな」という陳腐だが想像力の豊富な相手には効果的な脅し方も知っていたので、ベルハルトはいいようになぶられ続けたのだ。
 当然の帰結として、ベルハルトは学校に行くのが嫌になり、泣きじゃくって喚いて登校を拒否し、周囲の人間を困らせた。ジークハルトにも「なんで学校に行くの嫌なんだ?」と真正面から聞かれたが、ぷいと顔をそむけてすませた。ベルハルトとしても、現在の自分の状態がジークハルトのせいだという恨みのようなものがあったので、ジークハルトには特にかたくなになっていたのだ。
 そんな中で、自分の状態に気づき、諫言してきてくれたのがアイシャだった。
「ベルさま。ベルさまはもしや、学校で誰かにいじめられてらっしゃるのではありませんか?」
「私はベルさまの従者です。ベルさまのためでしたらなんでもします、ですからどうか、お力にならせてください」
 そう真剣な顔で言われた時には、ベルハルトもついわんわんと泣いてしまった。そうして二人で、自分をいじめてくる奴らに対する対処法を考えようと決めたのだ。
「学校側と、その生徒の家の方に連絡すべきではないでしょうか?」
 アイシャはそう言ったが、ベルハルトはそれは嫌だ、と言った。ベルハルトは子供社会に入ってまだ間もなかったが、それでもその掟のようなものは感じ取っていた。つまり、大人を介入させるのは禁じ手だ、と思ったのだ。
 それに、こうして目をつけられた以上、大人に頼ることなく自分の力でなんとかしたい、という気持ちも強かった。自分の力でなんとかしなければこの世界ではやっていかれない、という空気を、敏感に感じ取っていたのだ。
 なので、結局ベルハルトはアイシャに振舞い方のアドバイスを受けながら毎日決死の覚悟で学校に行くしかなかったのだが(そしてそのたびにいじめられたのだが)、ある日、一緒に帰る時間になってもジークハルトが戻ってこないことがあった。
 訝しく思って探しに行き、仰天した。ジークハルトが、校舎裏で、自分をいじめていた奴ら全員を樹から焼き豚のように吊り下げていたのだ。
「お、どうしたベル。なんかあったのか?」
「な、なんかって、なんかって……兄さんこそなにやってるんだよっ!」
「見りゃわかるだろ、お前いじめた奴らにヤキ入れてるんだよ」
「ヤキって……」
「ちょうどいいや、お前、こいつらの股めがけて石投げてやれよ。当たったらお前いじめたこと後悔するぜ、絶対」
「な、な……」
「ジークっ、貴様っ、覚えてろよっ、大人の力なんて借りてっ!」
 いじめっ子たちが喚くのに見てみると、ジークから少し離れた場所にはメッシュが控えていた。当然のような顔で手際よくいじめっ子たちに縄をどんどんと巻きつけ、猿轡を噛ませている。
「は? なに言ってんだ、メッシュはまだ一歳にもなんないんだぞ。第一メッシュのやってることって、お前ら縛って高く吊り上げて猿轡噛ませただけだろ、喧嘩に勝ったのも一人じゃ立てなくしたのも俺だろーが」
「……メシュオーン、あなた、なにをしているの子供相手に……」
「なにと言われても、私はジークさまの従者ですからな。ジークさまの望みとあらば実行するのが務めでしょう、そのくらいのこともわからんとはまったく呆れますな、いやはや」
「主が間違った行為をしようとすればお諫めするのも従者の務めでしょうっ! なにを偉そうにふんぞり返っているのあなたはっ」
「弟がどうなるかわかってるんだろうなっ、むぐっ」
「言っとくけど、俺の弟に先に手を出したのはお前らだ。だからお前らが先生だのなんだのに言ったら、お前らがずっとベルをいじめてたのもバレるぞ。あと俺もそのあと倍返しするからな。それを言いつけたらさらにその倍だから。メッシュに傷の残らない痛めつけ方教わったからな」
「むぐー、むぐー!」
「………お兄ちゃんっ!」
 ベルハルトが声を震わせると、ジークハルトはお? と首を傾げてみせた。
「なんで、こんなことするの!? 僕、お兄ちゃんにこんなことしてなんて頼んでないっ!」
 ベルハルトにしてみれば、筋違いなことを勝手にやられたように思えたのだ。一生懸命自分の力だけでなんとかしようと思っていたのに、それを横から邪魔されたように。
 なにより、これじゃいじめっ子をなんとかするのに兄の力を借りたようにしか思えないじゃないか。僕はそんなつもり全然なかったのに。
 そういう想いを込めて叫ぶと、ジークハルトはベルハルトがなにを言っているのかわからない、という顔で首を傾げた。
「なんでそうなるんだ? 俺はただこいつらがムカついたからヤキ入れただけだろ」
「え……」
「俺がやりたいことを勝手にやっただけなのに、ベルに怒られてもなー、困るっていうか」
「む、ムカつくって、なんで」
「だってちっちゃい奴いじめるのとかムカつくし、それが俺の弟だったらもっとムカつくさ、当たり前だろ」
「……そ、れは」
「第一、こいつら俺がぶん殴った憂さ晴らしにお前いじめてたんだろ。だったら俺が責任取るのが当たり前じゃんか」
「それは、そう、だけど……そ、そういう問題じゃなくて!」
「いいじゃん、細かいこと気にすんなよ。さって、お前がやんないなら俺が石投げよっと。うまく股の間に当たるかなー」
「お兄ちゃんっ!」

 そんなむちゃくちゃなことをするような子供なのに、兄さんは学校では人気者だったんだよな、とベルハルトは馬車の中から外を見ながら思考を巡らせた。
 ジークハルトは学校でも、いつもリーダー格だった。子供たちを率いて遊びやら悪戯やらする時はいつも先頭に立ち、教師と相対する時も生徒代表として一歩も退かず渡り合った。自分たちの階層にいる人間からは考えられないような下品さに気圧されたのか、その活発な機知と行動力に惹かれたのか――たぶん両方なのだろうが、とにかく子供たちからはいつも尊崇の眼差しで見られる対象だったのだ。
 男子からも女子からも憧れの目で見られ、男子に子分としてあとをついて回られ、女子には何人も告白された。ベルハルトはジークハルトはそこまでされるほど大した人間じゃない、と口では言いながら、本当は、誰よりもジークハルトに憧れて
「ベル、どうしたんだよ? なんかニヤニヤしてるけど」
「っ!」
 隣の席から訊ねられ、ベルハルトは一瞬飛び上がりかけたが、すぐにふいとそっぽを向いてやる。
「大したことじゃないですよ。――それより、わかってるんでしょうね、今度こそ礼儀に外れた真似はしないでくださいよ」
「わかってるわかってる、しないしない」
 言葉に全然重みがない、とベルハルトは嘆息する。今回も妙な真似をしたらなにを言いふらされるか本当にわかっているのだろうか。なにせベーレント家主宰の夜会だ、自分をいじめたとジークハルトにさんざんやっつけられて、お漏らしをしたクラウディオだってホストとしてその場にいるはずだ、これ以上恥をかかされたらなにをするかわかったものではないのに。
 それを承知でジークハルトを夜会に連れていくのは、少しでも名誉挽回をしてもらいたいからだった。兄さんは西の小さな国でとはいえ救国の英雄となったほどの人間なのにあんな奴に悪口を言われるなんて、いやそうでなければデーニッツ家の家名に傷がつくからだ。デーニッツ家の長男として、方々の人間に顔を売るくらいのことはして当然だからだ、もちろんだ。
 そんなことを一人考えながら、馬車でベーレント家の館に乗りつけ、館の中に入る。ジークハルトは先頭に立って、すたすたと中へと入っていった。
 それなりに値の張る礼服を身につけているせいか、ジークハルトの背はしゃんと伸び、立ち居振る舞いも堂々として見えた。そういうことをすると、凛とした面差しがよくわかる。
 ベーレント家の当主に堂々と挨拶をし(もちろん当主はベルハルトなのでベルハルトもきっちり挨拶をした)、方々から寄ってくる女性たちにも堂々と対応している。こういう席ではいつもそうであるように。
 そうだ、ジークハルトはいざという時には本当に堂々と、格好のいい、頼りになる姿を見せるのだ。冒険者になってもそれは変わっていない、いやむしろより強烈になったのかもしれない。
 誘拐犯たちにさらわれた自分を助けてくれた時のように、それこそ勇者のように格好よく、いろんな人を助けているのだろう。
「……本当に、まさかジークハルトさまが冒険者になるなんて思いもしませんでしたわ」
「しかも西の国への蛮族の侵攻を食い止めただなんて。本当に英雄のようですわね、かつて机を共に並べた人間として誇りに思いますわ」
「いや、まぁ別にそんなに大したことじゃないけどな」
 方々の人間と顔を合わせて会話と情報交換をする自分をよそに、ジークハルトは夜会会場をゆっくりと回る。そこにそれぞれ豪奢な服で着飾った、主に年若い女性たちが次々集まってきていた。
 それぞれに自らの美しさを磨き上げた女性たちが、笑顔で集まり、次から次へと話しかける。それも当然だろう、なにせジークハルトはかつてこの街で生き、あるいは机を並べ、あるいは悪戯小僧として眉をひそめさせた相手だ。
 それが、英雄の名を冠されている。たとえ西の果ての小国であろうとも、女神に護られた国として、あるいは将来的に大きな市場となる場所として、確固たる地位を築き始めている国の。
 女神を救い、蛮族の侵攻を退け、ひとつの国を護った英雄。勇者団のリーダーたる妖精戦士。巷では吟遊詩人たちがこぞって英雄譚を歌い、高い人気を博している。
 これで好奇心をそそられないわけがないだろうし、結婚相手としてもかなりに魅力的な相手だ。英雄としての名声、先々代はリオス議会の議員を務めた名家デーニッツ家の当主の兄。
 なにより、純粋に、男性として魅力的だ。年若い、世間的にはまだ一人前とはとてもいえないだろう年齢で、凛と背筋を伸ばして立つその姿。実用的な筋肉で鎧われた、逞しい男性的な力強さを感じさせながら、少年のようなしなやかな、若々しい魅力も失っていない。
 そのくせ若い男にありがちながっついたところが微塵もなく、ただ涼やかな瞳で相手を見つめ、どんな口説き文句もさらりと受け流し、逆に当たり前のような顔で口説くような際どい台詞を吐いて相手を翻弄する。そんな相手に、女性として惹かれる人間は、決して少なくはない。
 そうして周囲の、会常中の視線を集めながらも、ジークハルトは恬淡と、ごく当たり前のような顔をして会話を続けていた。注目されても微塵も舞い上がった風もなく、いつも通りに、ごくごく自然な口調で。
 そう、ジークハルトは、自分の兄は、そういう人間だった。ひどい扱いを受けてもめげず、厚遇を受けても舞い上がらない。ただ、いつもひたすらに、自分の調子を貫く。周囲から敵意をぶつけられても、憧れの視線を向けられても変わらずに。
 それがどれだけ難しいことか、俗人にとって眩しい生き方なのか、意識することも、まるでなく。
「……これは、ジークハルト殿。当家主催の夜会、楽しんでくださっているようでなによりです」
 近寄ってきたのは、ベーレント家の令息クラウディオだった。かつてジークハルトにいたぶられてお漏らしをした時の顔などうかがわせもせず、あくまで名家の令息としての格調を守り上から見下ろすように話しかける。
「なんでもあなたは西の果ての国で英雄と呼ばれているとか。それだけの評価を受けたというのにわざわざリオスまでやってこられたのです、典雅の風合いというものを味わって帰っていただきたいですからな。デーニッツ家の方々もお寂しいでしょうが、せっかくあなたが評価されている場所があるのだ、その場所で生きていただきたいとお望みでしょうしね」
 嫌味っぽい口調での言葉に、近くでその声を聞いたベルハルトは思わずカッと頭を熱くした。つまり、クラウディオは、ジークハルトは田舎の国がお似合いで、リオスでは評価されないだろう、と言っているのだ。
 かぁっと熱くなった頭のまま一歩を踏み出す――より早く、ジークハルトのごくごくあっけらかんとした答えが返った。
「いや、別に英雄っつってもたまたま蛮族の内部に入り込む機会があっただけってのが理由としちゃ大きいからな、そこまで自慢できることじゃないだろ」
 ごくあっさりとそんなことを言われ、クラウディオは一瞬肩すかしを受けたような顔をした。
 が、それからすぐに顔を赤くしてジークハルトの言葉に噛みついてくる。自分がうまくあしらわれている、と感じたのだろう。
「ほほう、ご自分のなされたことが大したことではないとおっしゃる? それはまたご謙遜なさるものだ、いまやリオスでもあちらこちらであなたの英雄譚が歌われているというのに」
「あー、なんかそうらしいな。けどまぁやった仕事の報酬はもらったんだし、いつまでもただ飯食っていいってもんじゃないだろ? 働かざる者食うべからず、ぐらいのモラルは俺にだってある」
 クラウディオが一瞬言葉に詰まる。自分が両親が甘やかすのをいいことに、商売の勉強をするという名目で遊び歩いているところを衝かれた、と感じたのだろう。周囲の女性たちからもくすくすくす、とからかうような笑い声が漏れる。
 それに一気に顔を赤くして、クラウディオはぎっとジークハルトを睨みまくしたてた。
「デーニッツ家の長男としての責務を果たされようともせずによくそんなことが言えたものですね! まだ幼い弟君にすべてを押しつけて家を出奔するなど、あなたの父君と比べるも愚かしい所業ではないですか、よく恥ずかしくないものだ!」
「――――!」
 ベルハルトは思わず一歩前に出た。反射的に。客観的な視点から見れば、クラウディオの言葉は反論のしようもない事実ではあるのに。
 放蕩の末に家を出た長男坊。ならず者にまで身を落とし、遊び呆ける愚か者。英雄と呼ばれるまで、リオスの上流階級ではそんな評価が当たり前だったのをベルハルトは知っている。自分はそれを、聞かないふりをして商売にだけ打ち込んできた。
 だが。けれど、本当は。こんな奴らに兄さんのことをどうこう言われたくないって。なんにもわかってないって。兄さんがどんな人だったのかも知らないくせにって。
 兄さんが、なんで僕を家に残していったのか、全然わかってないって、胸ぐらつかみ上げて怒鳴りたくて――
「なに言ってんだ、お前? 長男の責務もなにも、俺よりベルの方がうまくやれるんだから任せた方がいいに決まってんだろ」
 ――という勢いが、ジークハルトのあっけらかんとした一言で止まった。
「なっ……なにを」
「そりゃ俺より二つ年下だけど、ベルは頭切れるし気も利くしな。勉強熱心だし商売への勘もいいし。俺より向いてるんだから任せた、単なる適材適所だろうが。なんで長男の責務だなんだって話になるんだ?」
「っ……」
 ごくあっさりと、淡々と言ってのけるジークハルトに、クラウディオはなんと言えばいいかわからない様子で、苛立たしげに言葉を探している。それを見つめ、一度深呼吸してからすいっと笑顔で進み出た。
「お久しぶりです、クラウディオ殿」
「っ……これは」
「お、ベル」
 笑顔で会釈してくる女性たちに微笑みを返し、クラウディオにもあくまで笑顔で、ただし好意や温度が一切ないとあからさまに匂わせた笑顔で告げる。
「あなたの今おっしゃった言葉――ベーレント家の総意と考えてよろしいのですね?」
「っ……」
 クラウディオの顔からさーっと血の気が引く。さすがに生まれた時からこの世界で生きているのだ、ベルハルトの言葉の意味を悟ったのだろう。
 クラウディオの言葉は、確かにこちらに喧嘩を売っているとしか思えない代物だった。しかも夜会という、かなりに公的な席で。
 つまりそれはベーレント家の方からこちらに害意を持った、ということ。こちらがベーレント家との商売から手を引いたとしても文句の出ようがない。証人は充分、どころか周囲にいる女性たちがこぞって触れまわってくれるだろう。
「いえ、これは、その」
「そちらがそういうおつもりでしたら、こちらも相応の対処をさせていただきますので。お父上にはよろしくお伝えください。挨拶なしで辞去するのは無礼かとも思いますが、この場合はそちらにもその方がよろしいでしょうから。――行きましょう、兄さん」
「お? おう」
 笑顔で言って促す自分のあとについて、堂々とその場を立ち去る――前に、ジークハルトはクラウディオに声をかけた。
「おい、クラウディオ」
「なっ……なんです」
「一応言っとくけどな。今度俺の弟や親父のことをどうこう言う時は、俺に喧嘩売られる覚悟で言えよ、お漏らしクラウ」
 ごくあっさりとした口調。当然のことを言うような語調。
 けれど、その視線は。獰猛な獣のような、鍛え上げられた刃のような、鋼のように冷徹でありながら炎のように熱い、幾度も死線というものをくぐり抜けてきたということをはっきりと示す、苛烈≠形にしたような戦士のものだった。
 クラウディオが硬直し、同席している女性たちも表情を固まらせる。ベルハルトも、一瞬だが体が震えた。
 以前誘拐犯から助けられた時よりも、さらに層倍して激しく鋭い鍛え抜かれた戦士だけが発せられる一瞥。どれだけ権勢を誇ろうと、自分はこの相手にはかなわない、と物理的に納得させられる威力を持つ視線。
 それを一瞬見せたのち、ジークハルトは「じゃ、行くか」とあっさりと言い、ベルハルトの手を引いて歩き出す。ベルハルトはすぐ前を歩く兄の顔を、呆然と見つめた。
 胸が、ひどく熱かった。下手な吟遊詩人の奏でる行進曲のように、奇妙な律動を奏でている。早鐘を打つ、というのはこういうことをいうのだろうと思わせるほどに。
 どきどきしていた。兄が恐ろしく強い戦士だと問答無用で認識させられたためか、男として憧れざるをえない毅さを眼前に見せつけられたためか。
 それとも、兄が今も変わらず自分の憧れだと、確認することができたためか。
 一瞬よぎったそんな思考に、ベルハルトはカッと顔を赤くしてかぶりを振り、それから今の自分の状況を見て取ってさらに脳天を熱くした。
「……兄さん」
「ん? なんだベル」
「子供じゃないんだから、手を引いてもらわなくたって歩けるよ! 僕をいくつだと思ってるんだ」
「お? そうか、悪い悪い」
 平然とした顔でそんなことを言ってみせ、ジークハルトは手を離した。まったくもう、とベルハルトは苦虫を噛み潰したような顔でその手を睨む。
 本当に、いつも余計なことしかしやしないんだから。兄さんは本当はなんだってできるのに、子供みたいな悪戯ばっかりして。
 ……父さんみたいに、鍛えられた男の掌をしているのに。前に触れられた時よりも、さらにがっしりと強い掌になっていた。以前触れられた時もそうだったけれど。あの掌で触れられた時、自分は本当に気を失いそうになるほど気持ちよく
「……………っっっっっ!!!」
 唐突に蘇ってきた大昔の記憶に、今度こそベルハルトの脳味噌はボンッ! とばかりに沸騰した。
「ん? どした、ベル」
「なんでもないよっ! なにかあるわけないだろっ、ほら早くうちの馬車のところへ行くよ!」
 そうだなんでもないったらなんでもない。思い出す必要なんて微塵もないことなのだ。あれは、本当に、今思い出したら死にそうになるようなとんでもない思い出なんだから。

「なぁベル。オナニーって知ってるか?」
 本を読んでいる時に唐突に言われた兄の言葉に、ベルハルトは一瞬きょとんとして、それからうさんくさそうに眉根を寄せた。
 この時ベルハルト十歳、ジークハルト十二歳。すでに自我も芽生え、兄のやることなすことがどれだけ一般常識に比してとんでもないことかは十二分に理解できている。
「少なくともろくでもないことだっていうのはわかるよ」
「つまり知らないんだな」
「っ……べ、別に知らないわけじゃないよ! ただ少なくとも、兄さんがそういう風に口にすることはいつもいつもろくなことじゃないじゃないかって」
「そうか?」
「そうだよっ」
「じゃーどーいうことなのか教えてくれよ。俺も詳しく知らないから、誰かに聞きたかったんだよな」
 むぐっ、と言葉に詰まる。本当に、ジークハルトはいつもこんな風にああ言えばこう言ってくるので、まともに口喧嘩で勝てたことが一度もない。
「ぼ……くだって、詳しく知ってるわけじゃないよ。ただ、あんまりよくないことじゃないらしいっていうのは聞いたことがあるから」
「よく知りもしないことをこれはいい、これは悪いって聞いた話だけで片付けちまっていいのかよ?」
「……う」
「心配しなくても、俺がやってみたらそんなに悪くなかったぞ。ちゃんと優しく教えてやるからさ、やってみようぜ」
「やっぱりちゃんと知ってるんじゃないか―!」
「やってはみたけど詳しくは知らないからな。ま、いいからやってみようぜ、な?」
 いつものようなごく軽い、少し悪戯っぽい、これまでに何度も自分をひどい目にあわせてきたジークハルトの表情から発された言葉に、ベルハルトはうぐぐ、と顔をしかめたが、最後には「別に、いいけど……」とうなずいてしまった。
 自分が流されているという自覚も、それが褒められたことではないという認識もあったが、素直に言うことを聞かなければ兄さんはいつまでもうるさいし、おまけにけっこうしつこいし、ちょっと言うことを聞くだけで解放されるなら安いものだ――と自分にそう言い訳はしていたが、心のどこかではジークハルトの持ってくる事件に流されるのが面白い、という良識ある人間としてはあまりよろしくない想いも確かにあったと思う。
 ジークハルトの持ってくるすっとんきょうな事件は、ベルハルトの想像する世界をはるかに超えて大きく、広い。それを見せつけられるたび、ベルハルトとしてはいつも、そんなことをしている暇があれば勉強をしなよ、と怒り叱り軽蔑していたけれども、心の底では確かに、憧れと冒険心を刺激されていた。その頃は、言葉にできるほど自覚してはいなかったけれども。
 ベルハルトの返答を聞くと、ジークハルトはにやっと笑って「よし」とうなずき、ずかずかとベルハルトの部屋の中に入って扉を閉めた。続いて窓も閉め、カーテンも閉め、外からも中からも声も視線も通らない状態にしてから、くるりとベルハルトの方を向いて、にやっと笑う。
「っ……、なに」
 ベルハルトはわずかに身をよじって訊ねた。なんだかよろしくない感じの笑みだ。ジークハルトは絶対、なにか悪だくみをしている。
「なんだよ、んな緊張するなって」
 明るく言ってベッドに座り、ぽんぽんと隣を示したジークハルトに、渋々ながらもうなずいて示された場所に座る。きれいに洗濯された白いシーツが、素肌を露出した太腿に心地よかった。
 そして、座るやジークハルトはぐいっとベルハルトの肩を抱き寄せた。ぐいっと抱きしめられ、驚くと同時にこれからなにをされるのかとドキドキしたが、ジークハルトはそんなベルハルトの感情などまるで斟酌せず、ぴったりと体を密着させた状態で、しゅるりとベルハルトの帯を解いた。
「……………!!!??」
「おっと、騒ぐなって。下脱がないとオナニーってできないんだからさ」
 え? え? なに、なんで今僕はこんなことしてるんだ? と混乱と困惑で思いきり頭をぐるぐるさせるベルハルトを気にもせず、ジークハルトはズボンごと下穿きをずりおろした。そしてぽんと体を押し、ベルハルトをベッドの上に横たえさせる。
「え、な……な」
「心配すんなって、痛くないようなやり方すっからさ。お、ちっとだけでかくなってる。ベルハルト、お前ってけっこう度胸据わってんだな。いざって時にちっこくなっちまう奴とかけっこういるらしいぜ」
「な……に、なっ!」
 なにを言っているんだ、と訊ねる余裕もなかった。ジークハルトはベルハルトの体の上にのしかかり、ベルハルトの性器を弄り始めたのだ。
「……! ………!! っ、なっ、ぅっ………!!!」
「どんな感じだ、ベル? や、俺も他人に教えるのこれが初めてだからさ」
「ひっ……や、めて、よっ、兄さんの、ばかっ……!!」
「んなこと言ったって、ここまでやっといて途中でやめたら馬鹿みたいじゃないか。……なーベル、どんな感じ? 気持ちよくねーか?」
「っひ!」
 ジークハルトがベルハルトの性器の先端をきゅっとつまむ。とたん、ぞくぞくぅっと背筋に悪寒とも快感ともつかないなにかが走った。お? とばかりに面白そうな顔になり、ジークハルトはくにくにとベルハルトの陰茎をいじり、その先端をぐりぐりと掌に押しつけた。
「や……めっ、兄さん、痛い……ってば!」
「え、痛いだけか? なんかさ、こう、尻の奥がぎゅぅってなるみたいな感じとかしないのか?」
「わ、かんないよっ、そんなのっ……!」
 ジークハルトのがさがさした指の感触が、自分の一番柔らかくて敏感なところを乱暴に這い回る。硬い指がそんなところに触れた感触は、がさがさしてひりひりしてずきずきして、要は痛いとしか言いようがなかった。
 自分と違って、父からの最初の手ほどきのあともずっと剣の稽古を続けていたジークハルトの指は、いくつもまめを潰したせいで硬くてがさがさしていた。だから、急所をいじられたら本当にもう、痛いとしか言いようがない、はずなのに。
「ん、ぅ、う……!」
 熱い。触れられたところがひどく熱かった。ジークハルトのがさがさした指で弄られたところが、がさがさしてひりひりしてずきずきして、痛いのに、熱かった。
「にい、さん、やめてよ、痛い、んだからっ」
「え? けどベルのちんちんでかくなってるぜ?」
「しら、ないよ、そんなのっ……!」
 自分の性器がなぜ大きくなっているかなんて知らない。ただ股間が痛くて、燃えるように熱い。ジークハルトの指がくにくにと自分の性器を弄り、揉みしだくのが痛くてしょうがないのに、そのたびに腰の奥がなぜかきゅぅっとして、体中が痺れるような切ない感覚に襲われる。
 必死にその悶えるような感覚に耐え、身をよじる姿を、ジークハルトは首を傾げながら冷静に観察した。
「なんか、やりにくいっていうか……やり方違うのか? 寝転がってるからかな。……よし」
 え、と思う間もなく、ジークハルトはベルハルトの後ろに回りこんで上体を持ち上げた。自分の体にもたれかけさせ、ベルハルトを抱きかかえるような格好で露出した下半身に手を伸ばす。
「こっちの方がやりやすいな。自分のやるのとおんなじ感じで」
「え……じ、ぶん……?」
「ああ、オナニーって本当は自分一人でやるんだってさ。だから兄として、ベルが知らないんだったら教えてやろうと思ってさ」
「そんなの、頼んでっ……」
「固いこと言うなよ。こうすんの、気持ちいいだろ?」
「っひゃん!」
 きゅっ、と先端を握られて、ベルハルトは大きく身を震わせた。気持ちいい? そんなの知らない。ただ、本当にひたすらに、熱くて、痛くて、ぞくぞくして。
「あ……ぁ、あ、あ」
「お、いい感じ……ほら、ここんとここう引っかいたりしたら、どうだ?」
「っひ! ぁ、あ、ぁっ」
 体中がきゅうっと引き絞られる.熱い、熱い、性器を乱暴に弄られる痛みを忘れるほどに。体の奥底から、爆発しそうななにかがじれったくなるほどじっくりと昇ってきた。
「あ……ぁ、ぁ、だめ、にいさ、やめ、て」
「なんでだよ? ほら、先っぽ濡れてきただろ。これ気持ちいい印なんだってさ」
「ぁ、ぁ……ひ、そこ、や、だめ」
「ったく、しょうがないな、意地張っちゃって。なら、これで……どうだっ!」
「ひぃっ!」
 ジークハルトの輪を形作った親指と人差し指が、きゅっとベルハルトの陰茎を包んだ。左手で睾丸をくりくりと弄り下へと押し下げながら、きゅ、きゅ、と輪を上下させる。性器の皮を剥き、下へと引っ張りながら、先端部分だけを上へと持ち上げようとする。
「や、にいさ、や、やめ、ほんとに」
「なんだよ、全然嫌な顔してないぞ? 涎垂らしちゃって、すげぇ嬉しそう」
「嬉しく、な、あっひ! そこ、ほんとに、だめ……!」
「心配するなよ。いいから、お兄ちゃんに任せとけって」
 そう言って、ジークハルトは軽く、ベルハルトのこめかみにキスを落とす――その動作に、ベルハルトの体温は一気に跳ね上がった。
「や……にいさ、だめ、あ、あ」
 しゅっ、しゃっ、ちゃっ、しゅっ。
「ほら、気持ちいいって言ってみろって。ちんちんこういう風にしこしこするの、気持ちいいだろ?」
 しゃっ、ちゃっ、くりくり、きゅっ。
「気持ち、よくな、あっ! ぁっつ、ぁっ、だめ、なんか、なんかだめ、なんか……!」
 しゃっしゃっちゃっちゃっくっくっくいっ。
「なんか出そうなんだろ? そういうの、イくっていうんだってさ。出るときはイくって言うんだぞ。ほら、ベル……」
 しゅっしゅっくっくりぐりっちゃっきゅっしゃっしゃっ――
「あ、だめ、だめ、はなして、ほんとに、だめだってばぁっ……!」
「ったくもう、意地張るなってば。俺がついてるんだから、大丈夫だよ」
 ちゅっ。――そう音を立てて気軽に首筋に落とされたキスが臨界点突破の一押しになった。
「あ、あーっ!! 出る、出る、イくっ………!!!」
 びゅばっ! びゅっ、びゅっ、びゅくっ!!!
「……おー、すげーいっぱい出たなぁ。なぁ、いいかベル。これがオナニーっていうんだぜ。もともと自分でやるもんみたいだから、したくなった時はこれからは自分でちゃんとするんだぞ」
 そんなジークハルトの言葉を、半ばベルハルトは聞いていなかった。脳味噌が吹っ飛びそうになるほどの、腰が溶けそうになるほどの快感に、呆然となりながらぐったりとジークハルトの腕に身を任せていたからだ。

「………っ!」
 ばっとベッドの上で飛び起き、ベルハルトは大きく、荒く息をついた。びっしょりと体中にかいた汗を、枕元に準備してあるタオルで拭く。
 別に初めて見る夢というわけではなかった。この五年間で何度も夢に見た、現実にあった事実だ。
 ふ、と小さく息を吐いてベッドから下り、立ち上がってベッド脇の水差しから水を一杯乾す。だいぶに温くなった水は、それでもベルハルトの喉を心地よく潤した。
 ああいった、性的なからかいはあの一度だけだった。どうやらジークハルトとしては、本心から親切心でベルハルトが知らなかったら教えてやろう、とあんな行為に及んだらしい。ふざけるな、と怒りもしたが、なにを怒っているのか分からない、といういつものきょとんとした顔で見つめられ、怒る気がげそっと落ちてしまった。
 なんでこんな夢を見たんだろう――と考えるが、ベルハルトとしてはもうほとんど正しく推測できてしまっている。昔何度も触れられた、自分と二歳しか変わらないのに大きくてがさがさした手。あれが触れると、ベルハルトはいつも子供のように、安心したような、気持ちいいような心地にたゆたう気分になってしまう。
 わかっている。自分はもう兄に甘えていればことが済む子供ではない(兄に甘えたところで問題が解決した覚えはほとんどない気もするが)。もはや兄には兄の人生があり――それがデーニッツ家の令息のような、デーニッツ商会の主のような真っ当な商売を送ることで得られるものではないということもよくわかってしまっているのだ。
 なのに、どうして自分はまだ、未練を抱いてしまうのだろう。兄が商会の主となって、商会全体を引っ張ってくれることを。あの明るい笑顔で自分たちの苦難をあっさりと打破してくれることを。くだらないしがらみを一刀両断に断ち切って、自分たちを救い上げてくれることを。
 そんなわがまま、ジークハルトにとっては迷惑にしかならないことだろうに――
 窓の外を見る。外はまだ夜が明けきらない頃合いで、薄い朝霧が地表近くを覆っていた。白く薄い煙のような霧は、世界全体を白く染め、世界がすべて霧の中に沈んでしまっているような気にも――とつらつらと考えていたことは、ふと見た離れの天井の光景で吹っ飛んだ。
 そこにはジークハルトが平然とした顔で、マントを羽織り、離れの屋根の上に乗ってぼうっとしていたからだ。
「兄さんっ!!」
 急いで足音を殺して走り、離れの下まで近づいて、他の人を起こさないように、けれどジークハルトには確かに聞こえるように、というくらいの音量で放った叫び声に、ジークハルトはにっと笑った。
「おう、ベル。お前も混ざるか?」
「混ざるって……なにやってるんだよっ!」
「夜明けを見ようと思ってさ」
「……夜明け?」
「おう。ラスベートで景色のいいとこってあんまないけどな、夜明けだけは別なんだぜ。なんもかもがぼやっとした白に包まれてたのが、橙の光に斬り裂かれて、世界があっという間にすごい早さで変わってく……ちょっとした眺めなんだ。俺、こっちの家にいた頃から何度も見てたんだぜ」
「……それは、いいけど」
「ベルも混ざるか?」
「混ざらないよ! 僕の言いたいのは、落ちた時のことを考えてくれってこと! 怪我したらいったいどうするつもり」
「リトルウィング装備してるからな、このくらいの高さじゃろくに怪我もしないって」
 むぐ、と言葉に詰まったベルハルトに、ジークハルトはあくまであっけらかんと言う。
「いいから、来いって。せっかく起きたのに、見落とすのは惜しい眺めだぜ」
「…………」
 ベルハルトは仏頂面でため息をついた。曲がりなりにも家長である自分が、なんでそんな子供のようなことをしなくてはならないのか。
 即座に踵を返し、「朝食までには下りてきてよ」とでも冷たく言う――のが正しい対処法だったろうし、実際そうしかけた。だが、その直前にベルハルトの足は止まった。
 視線を感じたからだ。昔から変わらない兄の視線。こんなこともできないのかと挑発しているようでもあり、一緒にやろうぜと誘っているようでもあり、俺と一緒にやりたくないのかと寂しがっているようでもあり――本当はたぶんそのどれでもない、落ち着いた視線。
 ジークハルトは遊びに誘う時、いつもこんな風に自分を見た。最終的な判断はどこまでもこちらにゆだねながらも、ジークハルトの言うことを聞かないのが悪いような、ジークハルトのわがままを聞いてやりたくなるような、そんな視線。
 ベルハルトはむ、と唇を尖らせて(からなにを子供のようなと慌てて元に戻して)から離れの中に入った。当然鍵は開いている。この離れはジークハルトと何度も遊んだ場所だ、中がどうなっているかはよく知っていた。
 ほどなく屋根の上の、屋上というほどではないが立って歩ける場所に出てベルハルトはため息交じりに言う。
「兄さん。もういい年なんだから、子供みたいなことはやめてください」
「十七っていい年ってほどの年か? ちょっとくらい弾けてみても全然問題ないと思うけどな」
「少なくとも、一家を背負っても誰からも文句が出ない年ではあるでしょう。……早くこっちに上がってきてください。見ていていつ落ちるかとはらはらします」
「そこまでトロいつもりないけどな、俺。よ……っと」
 ひょい、とジークハルトはベルハルトの立っているところに戻ってきた。だがまたすぐに座りこみ、ぽんぽん、と自身の隣を叩いてみせる。
「座れよ、ベル」
「…………」
 ためらったが、結局素直に腰を下ろす。ここまでやってきて抵抗しても意味がない。
 二人、黙って並んで座り、東の空を見上げる。まだ空は暗かったが、すぐ隣のジークハルトの顔はよく見えた。
 普段のだらしない顔とは少し違う、空を見つめる真摯な表情。その顔にも、服の裾からのぞく体にも、冒険者として苛烈な経験を積んだことが見て取れる。
 この家で一緒に暮らしていた頃は自分にとっては昨日の頃のように思えるのに、ジークハルトの体にはすでに冒険者としての年輪が刻まれている。彼はもう、一流の冒険者なのだ。英雄と呼ばれるほど。こうして家に帰ってくることも、並んで同じものを見ることも、兄弟として話をすることも、もうないのかもしれない。
 それは、別に、おかしなことでも、間違ったことでもない。そう思うのは嘘ではないのに、どうして。
 と、唐突にジークハルトがベルハルトの方を向いた。びくっとするベルハルトににやっと笑いかけ、くいくいと手招きをしてきた。
「は……? なにが言いたいんだよ、兄さん」
「いいから、こっち来いって」
「こっちって……わ!」
 ぐい、と腕を引っ張られてジークハルトの腕の中に倒れ込む。突然のことに心臓がばくばくと鳴っていた。
 ジークハルトはベルハルトを抱え込むようにして、マントをうまく使い腕の中に包み込む。子供のような扱いに思わず頬が熱くなった。
「兄さん! 急に、なにを」
「別にいいだろ? お前、まだ十五なんだし。お兄ちゃんに抱っこくらいされても」
「っ、子供扱いしないでよ!」
「じゃあ頼む。お兄ちゃんに抱っこさせろ」
「な……」
「たまに帰ってきたんだ、そんくらいさせてくれてもいいだろ。兄弟のだんらんだんらん」
「………っ」
 ベルハルトは顔がかぁっと赤くなるのを感じたが、それでも素直にジークハルトの腕の中に収まった。なにを考えてるんだ、兄さんの馬鹿、十五にもなって兄に抱っこされる弟なんて普通いないよ、と心の中では罵倒の言葉をまくしたてているが、久々の兄の腕の感触と、体温自体は決して嫌ではなかった。
 しばしの沈黙。それから先に口を開いたのは、ジークハルトだった。
「なぁ、ベル」
「……なに?」
「お前、俺になんか言いたいことがあるなら今のうちに言っとけよ」
「は? なにそれ……まるで」
 死に別れる時みたいな、という言葉が頭に浮かびはっとして振り向こうとするが、ジークハルトはそれを押さえて首を振った。
「いや、病気だとか話の流れ的に死にそうとかいうわけじゃねーんだけどさ。冒険者なんてやってりゃいつ死ぬかわかんないしな、そうでなくても言いたいことは言いたい時に言っといた方が健康上にもいいし。お前、こっち帰ってからいかにもなんか言いたそうな顔してこっち見てるからさ」
「…………」
 ベルハルトはうつむいた。冒険者という職業の明日の知れなさを改めて認識し落ち込んだせいでもあり、しれっと『いつ死ぬかわからない』などと言うジークハルトに腹を立てたせいでもあり、なにより、自分の言いたいことを本当に言っていいものかどうか、結論が出せなかったせいでもあった。
 自分のこんな気持ちなんて、どう考えたって結局は、ただのわがままでしかないのに。
 だがジークハルトは、うつむいて沈黙するベルハルトを、ただ黙って見守りはしなかった。
「ベール」
「っ!? ちょっ、兄さんっ!?」
 唐突に服の下に手を突っ込んできたジークハルトに、ベルハルトは仰天して暴れた。だが体を使うことに関しては、ジークハルトとベルハルトでは勝負になるわけがない。
「ほーれほれほれ、どーしたベル、言ってみろって。言わないともっとすげぇのいっちゃうぞ?」
「っ……兄さんっ! なに、考えて……ちょっ、やめてってばっ、やめてって! 本当、やめて……っ!」
 ジークハルトとしてはただくすぐっているような気持ちだったのかもしれない。ただ、無意識なのかどうかは知らないが、まだ夢の残滓を体に残したベルハルトにとっては半ば愛撫のように感じられた。
 ジークハルトの手が、がさがさした指先が、微妙なところを擦るたびにぞくっと背筋の奥がわななく。体から力が抜ける。嫌だ、駄目だ、恥ずかしい、と必死に暴れようとするが、ジークハルトの掌は巧みにその反抗を抑えつけて、ついには固くなっていたベルハルト自身に触れてしまった。
「……ベル、お前……」
 驚いたようなジークハルトの声。ベルハルトはもう、消え入りたいような気持ちでうつむいた。兄の夢を見て体を熱くし、兄に触れられて昂ってしまうなんて、兄にしてみればもう大笑いするような話に違いない。
 ……が、案に相違して、兄は笑いも、それ以上驚きを表現することもなく、ひょいとベルハルトの体を抱き抱え直した。
「な……兄、さん?」
「心配すんなって。ひどいことするわけじゃない。お前なんだか溜まってるみたいだし、お兄ちゃんが抜いてやるよ」
「……はぁ!?」
 仰天したが、兄はすでにがっちりとベルハルトの体をきっちり抱え込んでいた。もはやちょっとやそっと暴れてもどうにもならないほどにまで体を固定してから、ジークハルトの掌が、寝間着の裾からベルハルトの股間へと潜り込んでくる。
「ちょ、兄さ……んっ……」
「ほらほら、抵抗すんなって。固くなるのはここだけでいいんだからな。兄弟の交流交流」
「そうい、う、問題、じゃ……あっ……ぁ」
 兄の、手。がさがさして、固くて、力強い手。それが、初めて自分に絶頂をもたらした時と同じように、股間の性器を撫でさすり、擦ってくる。
 いや、同じようにではない、あの時よりもはるかに巧みになっていた。竿を握って軽く上下し、裏筋を撫で、睾丸を握り揉み、蟻の門渡りを引っ掻き、先走りの汁をだらだらと垂れ流し始めた尿道口にわずかに指先を挿入して、くりくりと亀頭を弄る。
 股間だけではない、体への愛撫も同時に行われた。太腿を、脇腹を掌が滑り、尻を揉みしだき、胸の先端を爪で掻いて捻り、押しつぶす。胸を指先が伝うその感覚だけで、ベルハルトは背筋にぞぞぞぞぞっと熱い悪寒を走らせた。
「兄さ……や、め、てよっ、だめ……そこ、だめ、だからっ……ぁ、あ、ひっ!」
「固いこと言うなって。頑張ってる弟にお兄ちゃんからの特別ご奉仕だと思えばいいだろ?」
「そん、な……あ、ぁ、ぁひっ、だめ、やぁっ……」
 駄目だ。抵抗できない。ジークハルトは力が強いし、自分の体中から力を抜けさせるほど愛撫が巧みだ。なにより、自分は、兄の掌を、兄の力強い手を、ずっとずっと、求めて――
「ぁっあ! ぅ、ぁ、兄さ、兄さん……」
 たまらなくなって声を漏らす――と、耳の中に、囁くようにして、半ば舌を差し込むようにされながら、小さく言われた。
「ベル……」
 どこか睦言じみた、優しい声。ぞくぞくぞくぅっ、と背筋が震え――た瞬間に気づいた。
 自分の腰の辺りに、なにかひどく、熱いものが触れている。
「……兄、さん」
「ん? どした、ベル?」
 ごくり、と唾を呑んでから、端的な言葉だけを口にする。
「兄さんも……大きく、なってる?」
「あー……」
 少し困ったような声を出されてから、あっけらかんと肯定された。
「まぁな。そりゃ、可愛い弟が思いきり可愛いとこ見せてるんだから、ちょっとくらいは興奮するだろ」
 その言葉を聞いたとたん、ベルハルトの体温がごうっとばかりに一気に上がった。
「……僕にもさせて」
「は?」
「僕にも、兄さんの、させて!」
「っと、おい!」
 無理やり体を捻って、ジークハルトの股間に触れる。そこは確かに熱く、固く自己を主張していた。思わずごくり、と唾を飲み込む。
 怖い。それに緊張しているし心臓は全力で早鐘を打っている。
 でも、それでも、自分が兄に、なにか影響≠与えられるというのは、脳味噌が沸騰しそうになるほどの興奮材料だったのだ。
 震える指で必死に帯を解こうとするベルハルトに、ジークハルトは「あー……」と困ったように言ってからばっと掌を突き出してベルハルトを制した。
「わかった。やらせてやるっつーか、一緒にやろう」
「え、一緒に……って」
「だからな、こう……」
 ジークハルトは思いきりよくズボンを下穿きごとずり下ろした。自分のものより一回り大きなものが、ぴんっとばかりに揺れて天を指す。
 これが兄さんの、と思わずごくりと唾を飲み込んでしまったベルハルトを、ジークハルトは素早く引き寄せて同様にズボンと下穿きをずり下ろした。そして大きく開いた足の間に真正面から向かい合わせて座らせ、腰と腰を――というより性器と性器を密着させる。
「…………!」
「ほら、お前も、こう……」
 そっとベルハルトの掌を導き、重なった性器を握らせる。そしてその上からジークハルトの掌が、ベルハルトの掌と、二人の性器を一度に握った。
「ほら、動かしてみ?」
「………っ、うん」
 自分の声が掠れているのがわかった。震える手でゆっくりと掌を上下に動かすと、それを包んでいるジークハルトの掌がその動きを巧みに、優しく修正してくれる。
「っ……、っ、ぅ、ん、はぁ……」
「ん……そう、うまいぞ、ベル。そんな感じ。こうして、両方のを、絡めて、しごいて……」
 重なっている。ジークハルトの性器と、自分の性器が。触れて、絡められて、互いの体液で互いを濡らして。
「あ……ぁ、ぁ、ぁっあっあっ」
「ん……イイ、ぞ、ベル。そんな感じで……優しく握って、動かして……っ」
 体に力が入らない。ぐったりとジークハルトに身をもたせかけながらも、手だけは激しく性器を扱いていた。ジークハルトは腰を抱き寄せ、足を絡め合わせながら、こめかみに、耳元に、額にキスを落としながら、自分の勢いを巧みにいなし、導いてくれる。
「あー……あーっ、あっあっあっ、だめ、もう、ああっ、あーっ!」
「く、う……出るっ」
 ベルハルトが達してからしばらくしてジークハルトも達したのだ、と気づいたのは、自分たちの体の向き合っている面が精液でぐしょぐしょに汚されて、ほとんど腰が抜けたような状態でジークハルトにもたれかかってしばらくしてからだった。

「ほら、ベル、とっとと出せよ。水に漬けときゃとりあえずごまかせるだろ」
 水場で軽く体を流して、兄の服を借りた状態で、ベルハルトは無言で精液まみれの寝間着と下着をジークハルトに差し出した。はっきり言ってすごく恥ずかしいことをしたような気がするのに、ジークハルトはいつも通りに、まるで変わった様子もなく平然とこちらに接してくる。
 それが少しばかり面白くないような気持ちもあったが、それ以上にほっとする気持ちも大きかった。ジークハルトは、そもそもがそういう人間なのだから。
 それよりも、意外だったのは。
「……興奮されるとは、思ってなかった」
「は?」
 きょとんとした顔をするジークハルトに、ベルハルトは(ものすごく恥ずかしい気持ちになりながら)仏頂面でそっぽを向きつつ説明する。
「だから、まさか兄さんが僕に興奮するようなことがあるとは思ってなかった」
「ああ……正直、ちょっとまずいかとも思ったんだけどな。血の繋がった兄弟だし。まぁ、一緒にしごくくらいだったら許容範囲内かって」
「そういうことじゃなくて……なんていうか。兄さんにとって、僕はすごく取るに足りない相手なんじゃないかって思ってたから」
 正直な気持ちを告げたベルハルトに、ジークハルトは心底驚いた、という顔をした。
「なんで?」
「なんで……って」
 自分はいつも、ジークハルトのあとをついていくしかできなかった。人の先頭で輝くジークハルトを、ただ後ろから見つめることしかできなかった。
 そんな奴を、ジークハルトが相手にするようなことはないんじゃないかと心のどこかで思っていたのだ。誰よりも大切で、憧れる、ただ一人の兄だからこそ。
 うつむくベルハルトに、ジークハルトは苦笑してぴしりと額を弾いた。
「痛いよ……」
「ベル、お前よけいなこと考えすぎだぞ」
「そんなこと、言われたって……」
「疑問があるなら聞けばいいし、不安だったらそれをぶつければいい。一人だったらそう簡単にはいかないけどな、少なくとも今は俺はここにいるだろ?」
「でも……また、すぐどこかに行っちゃうんでしょう」
 ついぽろりと口から漏れた情けない言葉に、ジークハルトは苦笑した。
「まぁな。たまには里帰りもいいけど、ずっとここで暮らすのとか俺の性に合わないし」
「…………」
「だから、会いたくなったら呼べよ」
「……え?」
 ぽかん、としてしまったベルハルトに、ジークハルトは笑う。
「会いたくなったら呼べばいいし、寂しくなったら追いかけてくればいい。まぁ、俺は当分あっちこっち移動してるから、居場所突き止めるのに手間はかかるだろうけどな……お前なら、そのくらい楽勝だろ?」
「…………」
「それに。可愛い弟のたっての願いを無視するほど、俺は人非人じゃないしな」
「な……」
「ほれ。こっち来い」
 ばっ、と腕を広げてみせる。う、と口ごもり、ためらい、周囲の様子を確認してしまったが、最終的にはおずおずと近づいて、ぽすん、とジークハルトの腕の中に収まった。
 ほんの子供の頃から、何度も味わってきた、兄の広い腕の中。こき下ろし怒鳴り叱りつけながらも、世界の誰より憧れた相手の胸。
 それを感じながら、ああ、と思った。やっぱり兄さんは、ずるい。しれっとした顔で、なにもわかってないという顔をして、あっさりと自分の悩みを解決してしまうんだから。
 悔しいような嬉しいような気分でぐりぐりと額を擦りつけると、ジークハルトは笑いも怒りもせずに、ぽんぽんと軽く背中を叩いてくれた。優しくもなく、心の底から気遣っているという雰囲気もまるで見せず、雑駁この上ない、自分が心の底から求めたやり方で。

「じゃ、行ってくる」
 デーニッツ商会の船が予定より遅れていることの調査から、自分たちの方の仕事に関係あることが出てきたから、という程度の説明で、ジークハルトは仲間たちと共に完全武装し、そうとだけ言って見送りのベルハルトたちに背を向けた。
 いつも通りのあっさりとした態度。こちらを相手にもしていないのじゃないかと思えるような言動。
 それはいつものことだし、ジークハルトの中では自分たちの比重はひどく軽いものなのかもしれないとも思う。それでも。
「行ってらっしゃい。戻ってくる時は連絡してよね」
 自分もそうあっさり言ってやる。負担になりたくないしうるさく言ってもどうせ聞き入れないだろうし、なにより、自分はそういうやり方がいいのだと――いつ帰ってくるかもしれない、いい加減な長男を待ちたいのだと、わかってしまったからだ。
 いつまでもふらふらして腰の据わらない、けれど誰よりカッコいい兄をここで待っていたい。そして帰ってきた時に、いつも通りの雑駁な、まるで気を遣っていないやり方で、自分をかまってほしいのだ。
 誰より憧れる兄に、そうしてこちらの方を向いておらえたら。自分は、それだけで。
 などという想いを込めてさらりと言ってやると、ジークハルトはふと足を止めた。それからこっちの方に向き直り――
「!」
 思わず心臓がどっきーん、とする。軽くウィンクして指先でサインを送った、それだけなのに。
 ジークハルトがこちらの気持ちを理解して、そのサインを送ってくれたとわかったから――
 ベルハルトは、小さく苦笑した。アイシャにはいつも叱られているけれど、ついつい兄に甘くなってしまう自分の性格は、なかなかどうにも直りそうにない。

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