CUBE

by 片瀬鷹


 思考により私の腕力が一瞬弱まり、相棒が私の手を引き離すのに成功仕掛けた。
 私は慌て、もう一度その手に力を一杯に入れた。相棒に渡すわけにはいかない。
 力を入れる均衡力、それが最悪だった。最悪の展開は最悪の結果を招き寄せる。
 瞬きするほどの時間で力の入れ違いが起こり、保たれていた均衡が破らられた。
 私達の手に握られていたCUBEが私達の手からハムスターの様に逃げ出した。
 ビデオのスローモーションのように、CUBEは私達の手から床へ落ちていく。
 本当に静かに、そして瞬く間に、その六面体のCUBEは床面上で砕け散った。
 今、私達はCUBEを奪い合った。奪い合うことでCUBEは私達から逃げた。
 今まさにCUBEが床へと落ちようとしている。落下を止めなければならない。
 手を伸ばす。だが自分の手が思うような速度でCUBEへと伸びてはくれない。
 水晶は静かに落ちて行く。そして音無く床面に着地し、一瞬にして砕け散った。
 その途端、失明するほどの光線が、砕けた水晶の中身から周囲へと発射される。
 その時になって、私は半年前、水晶を売りに来たあの男の言葉を思い出してた。
 あの話は本当だったのか。あの水晶を売りつけてきた男の話は真実だったのか。
 すべては光から始まり、すべては闇に終わる。あの男はそんな事を言っていた。
 今、私達は光に包まれている。目も開けられないほどの光の海。安らぎは無い。
 光の次に来るのは闇だと分かっているのだが、闇から逃れる方法など知らない。
 闇は人間を襲う。男はそんなことを言っていた。その意味が理解できなかった。
 水晶は砕けた。中に封じ込められていたと言われる闇。光を放った直後の沈黙。
 瞬間、私達の周囲に闇が出現する。闇が相棒と私に襲い掛かる。逃れられない。
 一瞬にして視界は闇に包まれる。闇の中、私を睨む多くの瞳。多くの暗黒。闇。
 それには憎悪がある。憎悪が私を縛り付ける。指先一つ動かせなくなる。怖い。
 すぐ傍で悲鳴。その悲鳴は最後まで発せられること無く、闇に浸透していった。
 悲鳴が飲み込まれた。闇は人を喰らう。奴は自分の言葉通りに闇に喰われたか。
 私は闇から逃れようと足掻く。だが闇の中から私を嘲笑う意思が頭の中に響く。
 動けはしまい動けはしまい動けはしまい動けはしまい動けはしまい動けはしま。
 めきり。と、何かの砕ける音。何の音か、骨の音だ。骨が砕け散っていく音だ。
 相棒の骨の音。私が愛した男の悲鳴。骨の粉砕されている。音に胃が痙攣する。
 闇が人間を喰らっている。人間をプレス機で押し潰したらあのような音だろう。
 そんなことを考えた直後に、闇が私の左手をなんの前触れも無く引き千切った。
 ぶちり。突然の激痛に悲鳴をあげる。だがその悲鳴も途中で途絶えるのだろう。
 鼻の辺りと後頭部の辺りに何かが当たる感覚を受けた。何だこれは。闇の牙だ。
 牙が一気に私の頭部に食い込む。意識が消滅する直前になって、私は後悔した。
 あの男が言っていた。死ぬことよりも恐ろしい事態が死の直前に待っていると。
 最早手遅れだ。今、私は闇に襲われている。もう逃げることなど不可能である。
 闇の牙が喰い込んできた。私達を喰らい尽くした跡は、闇は再びCUBEへ――

 起承転結なんか無視してみるのもいいんじゃないのかな。たとえばこんな風に。
 これは幕間の口上なんかじゃない。なんでこんなところで作者が出てくるのか。
 当然これもこの物語の一部だからさ。だから作者の俺が言葉を綴っているんだ。
 言わせてもらうよ、この物語の構成上のトリックを。気付いているかな、君は。
 君だよ、君、これを今読んでいる君。君もこの物語の一部なんだから。いいね。
 CUBEとは正六面体のこと。故に、この物語の構成は「六」の数字に関する。
 たとえば、一つの段落は句読点を含めて六の六倍数で三十六文字に統一してる。
 次に一つの章は六倍数の段落から成り立っている。サイコロなのさ、この章は。
 物語は六人の登場人物が出てくる。私と相棒と男と作者と君と……もう一人だ。
 おっと言い忘れていた。三点リーダーは三つの点で一文字と考えて欲しいんだ。
 さっきも言っていたんだけれど、この物語は順番を無視した章作りにしている。
 でも、この章は順番が正しくても二番目に位置するんだ。六の二倍の十二段――

 おまえはまた、人を殺めた。約束を破り私の法を犯した。裏切り者は立ち去れ。
 違うんだ、俺が出向いたときには既に、あの婆さんは死んでいた。俺じゃない。
 虚言を弄するその口の、おまえの言葉は信じられない。目撃者までいるんだぞ。
 俺じゃないんだ、信じてくれ。俺は誰かに欺かれているだけだ、騙されたんだ。
 それが嘘だと分かっている。首に掛かっているそのCUBE、それを返すんだ。
 駄目だこれは。これだけは取らないでくれ。俺があんたから貰った唯一の品だ。
 だから返せと言っているんだ。おまえを私の傍に置くことが出来ないんだから。
 嫌だ嫌だ、俺は何も取られたくない。俺の希望を奪わないでくれ、やめてくれ。
 おまえには盗みの技術と精神を叩き込んでやった。だが俺を裏切った。駄目だ。
 形ある物はこの水晶だけだ。あんたから貰ったものは水晶だけだ。許してくれ。
 許せるわけが無いだろう。CUBEを私に返すんだ。それだけで許してやろう。
 これを取られたら俺には何も残らない。闇だけだ。闇は人を喰らう。光をくれ。
 闇が人を喰らうというなら、おまえだけが食われればいい。私は救済しないぞ。
 俺を捨てないでくれ。俺を闇に食らわせようなんてしないでくれ。助けてくれ。
 救えるわけが無いだろう。もはや私とおまえの関係は終わったのだ。無関係だ。
 後生だ、救ってくれ。捨てないでくれ。俺から何も取らないでくれ。お願いだ。
 駄目だ駄目だ。おまえに与えるものなど何も無い。水晶を私に素直に返すんだ。
 俺からこれを奪わないでくれ。これだけが、俺の光の源なんだ、すべてなんだ。
 本当なら殺してやりたいところだが、それを返せば許してやるんだ、返すんだ。
 これを奪われたら死んだも同然。他に何を奪われようとも、これが俺の生命だ。
 何を偉そうなことを。渡したくないのなら、力ずくで奪うだけだ。寄越すんだ。
 触らないでくれ、近寄らないでくれ。これ以上は俺をこれで苦しめないでくれ。
 苦しいのは俺のほうだ、そんなことも分からないのか。裏切られた者の辛みを。
 裏切ったわけじゃない、仕方なかったんだ、ああするしか方法が無かったんだ。
 そらみろ、やはりおまえが殺したんだ。しかも死体から金銭などを奪う非道を。
 俺が悪いんじゃない。あんたに捨てられるのが怖かっただけだ、仕方なかった。
 なんだその言い草は。全部の責任を私に押し付けるのか、自分でやっておいて。
 俺のことを考えてくれ、あんたしかいないんだ、捨てられたくはなかったんだ。
 五月蝿い、水晶を、CUBEを寄越すんだ、それですべてが清算される。さあ。
 や、やだ。あんたの所為だ、あんたの所為なのに、俺は何も悪くない、何故――

 男がそいつを売りに来たのは、残暑の残る汗ばむ陽気の陰気なる午後のことだ。
 私の経営するこの質屋が、経営危機に陥っていることは十二分に承知している。
 質屋の癖に無金なのは情けない。だから男の売り物を購入する気など無かった。
 男はその六面体水晶について語り始めた。水晶には呪いが掛かっているのだと。
 遥か昔、古代エジプトで一人の呪術師が、この水晶に自分の生命を封じ込めた。
 水晶に願望を唱えれば願い事が適うが、呪術師に魅せられた者は逆に水晶に――

 水晶に願った私は、空き巣に入って捕まることも見付かることも全く無かった。
 私は水晶の力を信じ、常にその水晶を首から下げてた。私は水晶に魅せられた。
 常に一人で強盗に入っていたが、相棒が自分も空き巣に入りたいと言ってきた。
 相棒は手際が悪い。たとえ水晶の力が本物だとしても、その力に能力は必要だ。
 それでもやはり愛する相棒のために、私は考えた末、CUBEを相棒に渡した。
 この水晶に願いを込めろ。そうすれば、きっとおまえも捕まることが無い筈だ。
 何回か空き巣を相棒と共に行動してから、相棒一人で行かせてみることにした。
 その日、私は住処で相棒の帰宅を待っていた。帰ってきた相棒は血塗れだった。
 どうした、怪我でもしたのか。私の焦った問いかけに相棒は冷静に答えてきた。
 怪我はしてない。この血は返り血だ。爺さんに見付かったから殺してきたんだ。
 ひどく冷めた口調で殺人を報告する相棒に、恐怖を覚えずにはいられなかった。
 人を殺すな。見付かっても、逃げればいいだけだ。水晶が守ってくれるはずだ。
 私は動揺を抑え、相棒に忠告した。相棒は頷き、分かった、とだけ答えてきた。
 数日後、再び一人で空き巣へと向かわせた相棒の帰宅姿は、また血塗れだった。
 殺したのか。私は叫んで相棒に問い掛けた。相棒は機械的に、違う、と答えた。
 見付かったが逃げられなかった。だから目と耳と口を潰してきた。殺してない。
 潰してきた。その言葉が私の脳内に響き渡る。拷問的な行為をやってきたのか。
 声を聞かれ、姿を見られた。殺せないのなら、証言できないようにするだけだ。
 人に危害を加えるな、絶対の掟だ。これからは掟を破るんじゃない。約束しろ。
 約束する。相棒はそれだけ言った。私は恐怖を振り払うため、相棒に接吻した。
 相棒は、私を満足させてくれる。離したくは無い。だが抑制がきかないようだ。
 その晩、私は久し振りに相棒を抱いた。たとえ男であろうとも、女以上である。
 私はその肉体に魅せられている。その美の裏側には、残虐なる暗黒が存在する。
 相棒の次の目標が強盗に殺されたと耳に入ってきたのは、それから三日後の――

 呪術師は、闇を手に入れる魔術をこの水晶に施した。この水晶に呪術をかけた。
 六面体であるためこの水晶はCUBEと呼ばれている。しかし昔は球体だった。
 永遠の生命、それを手に入れる方法は、肉体から精神を分離させればいいだけ。
 呪術師はこの水晶に自分の精神を封じ込めたのだ。そして水晶は人手に渡った。
 水晶を手にした者は己の願望を次々と適えていく。しかしそれは能力があって。
 その能力が無いものが水晶を持てば、水晶はその人物を、悉く喰らってしまう。
 まず、古代エジプトで一人の人間が水晶に喰われた。水晶に面が一つ生まれた。
 この水晶が六面なのは、この水晶に過去六人の人間が喰われたためによるもの。
 口伝に寄れば、水晶が人を喰らうのは、光から始まり闇に終わるときだと言う。
 呪術師は未だにこの水晶の中に生きている。私にはこれを扱うことなどできん。
 だから此処に売りに来た。鑑定士に持ち込んでも、こんな話は信じないだろう。
 此処なら、こんな話を信じてくれないにしろ、多少色をつけてくれると思って。
 どうだ、買ってくれんか。持てばどんな願いだろうと適う水晶なんだがどうだ。
 最後にこの水晶を手にした人物は、第二次世界大戦で世界と戦った、あの男だ。
 最後には、自分の能力以上の力を欲したために、水晶に喰われることになった。
 その前はとある国の王女だ。民衆の前で殺され、それから水晶が女を喰らった。
 詳しいのは当然だ。私はこの水晶に宿る者なのだから。だから私は使えんのだ。
 その途端、私の目の前から水晶を売りに来た男は消滅した。男の消えた場所――

 闇に包まれていた部屋は元に戻り、あとには面の二つ増えた八面体の水晶が転がっていたが、そこにいたはずの二人の人間は跡形も無く消滅していたことが――



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