非幻想異端的日常
2005年 5月 1日 (日)
 たまった本を整理した。もう読まない本といつか読み返す本を分別した。読まない本は古本屋に売るというてもあるのだが、俺は本の扱いが汚いし特にめずらしい本もないのでどうせ二束三文にしかならないだろうと思い、すべて捨てることにした。それとも誰か欲しい方はおられるだろうか。しかしくだらない本しかないな。だからいらんわけなのだが。

2005年 5月 2日 (月)
 第九回幻想異端文学大賞の募集を開始した。今回のテーマは「ねじ式」である。言わずと知れた、つげ義春の傑作漫画だ。この漫画ほど様々なところでパロディやオマージュが作られている作品も珍しいので、それらすべての裏をかき、斬新な作品をものにしようと思ったら、なかなか一筋縄ではいかない今回の大賞となりそうな予感である。

2005年 5月 3日 (火)
 会社は営業中だが、仕事をしているのは俺だけ。
 なぜか仕事はいつもよりはかどった。

 中国で反日感情が強まる中、テレビのニュースを見て気になるのはただひたすら、週刊モーニング連載中の島耕作の今後の展開のみである。絡めなければリアリティが薄くなるし、絡めたら絡めたでリアルタイムだから難しかろう。

2005年 5月 4日 (水)
 朝になっても腹が減って眠れず、エクセシールカフェでココアを飲みながらサンドイッチを食った。食ってる途中で眠くなり、食後すぐに眠ってしまっては胃に悪いのでこれはやばいなと思いつつ、最後まで食べた。その後事務所でしばらく眠気を我慢しながらインド映画を見て、十時頃やっと寝た。昼過ぎ起きて出掛け、ユニクロでズボンを買い、ベトナム料理でフォーをすすり、帰って幻想異端文学堂を更新した。

2005年 5月 5日 (木)
KHUDDAR カリシュマ・カプール主演のちょっと古いインド映画「KHUDDAR」を見た。コメディ俳優のゴヴィンダが珍しく真面目なヒーロー役を演じた快作である。相変わらずツッコミどころ満載だが、微妙すぎて言葉にできない。
 カリシュマ・カプールの見せ場はふたつ。最初はステージで「ベイビーベイビー」という曲を踊るシーン。この曲、最初は「セクシーセクシー」という曲名だったが、歌詞が過激すぎるということで、「ベイビーベイビー」になったらしい。まだセクシー路線で売っていた頃のカリシュマ・カプールの最も有名なナンバーのひとつである。
 もうひとつが後半の、カリシュマ・カプールが子守唄を歌いながら、そうと知らずに毒入りミルクを赤ん坊に飲ませて殺してしまうというショッキングなシーン。インド映画はたまにこういう、ベタなまでに悲惨な展開をする。映像が美しく、カリシュマ・カプールの華麗な舞いとのコントラストがとても衝撃的である。何度もくりかえし見てしまった。
 後半は暴力的なシーンが連続し、暴力に立ち向かう暴力という図式にインド人の深層心理に潜む過激なモラルをかいま見たような気がした。

2005年 5月 6日 (金)
 ゴールデンウィーク最終日。休み中はいっさい遠出をせず、新宿を一歩も出ることなく、だらだらと事務所で本を読んだりDVDを見たりもの書きをしたりと、理想的にすごした。
 まったくもって、この現代でわざわざ電車に乗ったり車に乗ったりして遠くへ行く必要があるであろうか。人生など一生、半径数百メートル以内ですごしたってかまわないではないか。書物やインターネット等のメディアがあれば、わずか百年前に世界一周旅行をするのと同等か、それ以上の情報が得られ、あらゆるものを見聞きし、体験できる。
 たまには旅をするのもよいが、俺は人生の旅人なので、いつも旅の途中なのである。


 先日、ネット上のあるコミュニティサイトで人を怒らせた。なんでそんなことで怒るのだろうと不思議に思っていたら、その人のプロフを読んではっと気がついた。B型だ。
 昔からよく、俺はB型の人を怒らす。とにかくふざけて筆や口が踊ったりして、アホなことをのたくしまくっていると、気がついたらなぜか怒っている人がいる。そういう場合、まず100%必ずと言ってよいほどその人はB型なのだ。まじで鬼門である。そういえば昔、怒ってこのサイトを去って行った人もB型だったな。
 しかるに、俺の周囲にはB型の人間は必要不可欠なのだ。なぜなら俺が暴走していると、必ず防波堤の役割を果たし、反省を促してくれるのがB型という存在なのである。うちのかみさんはA型だが若干B型が入っているので、うるさくない程度にB型人間の補佐的役割を担っており、実生活ではここ数年、問題がない。
 なんだかんだんで世界はうまく機能している。

 ちなみに血液型による性格判断など幻想だという人がいるが、明らかに血液型による傾向の違いというのはある。初めて出会う人に血液型で先入観や偏見を持つのは無意味だが、人を理解するツールとして血液型を参考にするのは、非常に有意義だと思う。

2005年 5月 7日 (土)
 休日明け。休みぼけも大してなく、ちゃくちゃくと仕事をした。次の日がすぐにまた週末なのが喜ばしい。
 友達の占い師の先生のところに遊びに行く予定だったが、都合が悪くて中止になり、仕方がないのでずっと仕事をしていた。

2005年 5月 8日 (日)
 パークタワーで工芸品のフリーマーケットみたいなのがやっていた。暇だったのでぶらぶら散歩した。買うことはないが、こういうのをとりとめなく眺めながら歩くのは意外と好きかもしれない。

2005年 5月 9日 (月)
つげ義春とぼく つげ義春の著書「つげ義春とぼく」を読んだ。漫画ではなく、エッセイやら自伝やら夢日記やら紀行文やらである。
 すごいのは夢日記の部分。とにかくトンデモない。こんなトンデモない夢ばかり見ていたら、「ねじ式」のような作品のひとつやふたつ、描けるというものだ。夢というのは得てしてこういうものなのだろうが、夢をあまり見ない俺としては至極うらやましい。
 
 ちなみに夢を見ないというのは、綿密に言うと夢を覚えていない、という意味であって、覚えていなくても夢は何かしら見ているものらしい。これは夢日記をこまめにつけることにより記憶にとどめてゆくことが可能になる。習慣になると、夢を見終わった瞬間に自然と目が覚めるようになるらしい。やってみたいとかねがね思うのだが、なかなか状況が許さず実現しない。如何ともし難い。
 こんなことを書くと、毎日夢を見る誰かさんに自慢されそうだな。

2005年 5月 10日 (火)
 池袋のインド料理「グレートインディア」でエビ・カレーを食った。店内の客が食事を終えて帰るとき、店の人が必ず「マイニチキテクダサーイ。インドリョウリ、マイニチタベテ、ゲンキネー!」としつこく叫んでいた。しかし俺が帰るときには何も言わなかった。やはりしょっちゅう来てるから言う必要ないと思ったのだろうか。

2005年 5月 11日 (水)
 大道寺さんがやってきた。先日この日記で本を捨てると書いたら(5月1日の日記参照)、「欲しい」とメールが来たのである。
 「空手バカ一代」他、数冊を貰っていった。なんでも俺の精神的行脚の痕跡に興味があるとのことなのだ。
 しかしこれらはここわずか五年ばかしに手当たり次第に食い散らかした食べカスのようなものなので、そういう意図ならはっきり申し上げて、あまり意味はない。
 俺の精神的行脚の追跡なら、まず友成純一の絶版になっている初期作品から始めなければなるまい。

2005年 5月 12日 (木)
 大塚のインド料理「サバ」でチキン・カレーを食った。ここは店内のテレビでインドの映画やテレビのビデオをずっと流しているので、食事をしながらインドの歌や踊りが楽しめてよい。最近は俺が来るとテレビのボリュームを上げてくれるようになった。

2005年 5月 13日 (金)
 どうも最近、なにごとに対しても気力がわかず、何をやっていても楽しくないと感じるのは、ひょっとして五月病というやつなのだろうか。そういえば毎年この季節はこういう精神状態になる。
 なんと、俺にも五月病があったのか。

2005年 5月 14日 (土)
 歯医者に行った。虫歯の治療は今度こそすべて終わり、今日は超音波で軽く歯のクリーニングをした。歯茎と歯の間をぐりぐりとわけのわからない道具でこすられ、めちゃくちゃ痛かった。気がついたら涙がうっすらにじんでいた。歯の治療で泣くなよおい。

2005年 5月 15日 (日)
 最近お腹の調子が悪くて、しょっちゅうお腹が痛い。季節の変わり目のせいか、緑茶の飲みすぎか、ご飯の食いすぎか、頭の使いすぎか、お腹を冷やしたからか、ドーナツの食いすぎか、フローズンマンゴーの飲みすぎか、煙草の吸いすぎか、インド映画の見すぎか、それらあたりが原因であろう。

2005年 5月 16日 (月)
 悠里が京王デパートのレストランの無料券を持っていたので、珍しくフランス料理を食べに行った。フランス料理は好きだが、あまり食べる機会がない。
 メニューを見て、とりあえず一番上のコースを頼んだ。メインディッシュはふたつから選べるので、悠里と俺でそれぞれ別のものをたのんだ。
 まず前菜が来たが、得体の知れない食い物で、これはスプーンで食うのかフォークで食うのかよく解らず、とりあえずスプーンで食った。味もうまいのかまずいのかよく解らなかった。
 スープはなぜか小さなコーヒーカップに入っていて、いまいち風情がなかった。味もカレー味で、フランス料理にカレー風味はいかがなものかと疑問に思う。
 メインディッシュは悠里のが当たりで、俺のは外れだった。肉が固いので噛んだ後、さりげなくちり紙にペッと吐き出しては食べた。
 途中で隣のテーブルに二人組がやってきて、俺たちと同じようにメニューの一番上のコースを頼み、同じようにメインはそれぞれ別のものを頼み、やはり同じように前菜はスプーンで食うのかフォークで食うのか迷っていた。フランス料理における日本人の行動パターンは法則があるかに思える。
 何はともあれ、良い食事だった。

2005年 5月 17日 (火)
マドゥーリ インド映画「Khal Nayak」を見た。マドゥーリ・ディクシット、サンジェイ・ダット、ジャッキー・シュロフ主演の犯罪映画である。キャストがなかなかシブい。
 ジャッキー・シュロフ演ずるラム刑事が、せっかく逮捕したサンジェイ・ダット演ずる犯罪者バルを脱獄させてしまう。それをマドゥーリ演ずる婚約者ガンガが、フィアンセの名誉を取り戻すために、ダンサーに扮してバルに接触し、とっつかまえようとするという映画だ。もちろんインド映画なので3時間近くもあり、実際はもっと複雑に物語は二転三転する。
 稚拙なところは多々あるが、全体的に実に面白くできており、音楽も歌も踊りもよく、見せ場も多く、なかなかの傑作だった。見事なミュージカルシーンがいくつかあり、マドゥーリの繊細な美貌と華麗な踊りが楽しめる。メイン・キャストの演技はすべて素晴らしい。
 これぞ良質なインド映画の模範である。

 巣鴨で時間があいたのでそば屋に入った。本当はインド料理が食いたかったのだが、巣鴨にインド料理屋はなく、また最近胃の調子が悪かったので、消化に良いものをと、そばにしたのだ。ニシンそばを食った。
 俺の中で、大通りに面している日本食はまずいという法則があるのだが、ここは例外的にうまかった。
 湯飲みにそば湯が出てきて、最初は驚いたがこれがなかなか。そば湯と言ったら普通は麺つゆの残りを薄めて飲むものだが、お茶代わりにそのまま飲むのもおつなものである。

 ビデオ屋で中古ビデオが三本千円で売っていたのでマイク・マイヤーの「ウェインズ・ワールド2」とスティーブ・マーチンの「四つ数えろ」とゴールディ・ホーンの「ワイルド・キャッツ」を買った。最後のやつはジョン・クリーズの「Fish Called Wanda(日本タイトルは気に食わないので使用しない)」とどちらにするか迷ったが、内容をほとんど忘れているこちらにした。往年愛したアメリカのコメディ三連発だ。ちなみにゴールディ・ホーンは俺と誕生日が同じである。

2005年 5月 18日 (水)
 食い物屋さんのホームページ制作の打ち合わせで編集長と築地へ行った。久しぶりの築地である。食い物屋さんだけに、参考資料に商品を味見させてくれるかと思ったが、打ち合わせだけで見事に期待は裏切られた。
 仕方がないのでせっかく築地に来たのだからと、寿司を食った。普段通っている回転寿司と比べて味に大した差はなかったが、ウニの量が多かったのと、穴子がやたらうまかったのはさすがである。
 以前よく寿司の広告を作っていたとき、穴子の紹介文に「ふっくらとした穴子」などという表現を使ったものだが、自分でそんな言葉を使っておきながら、実際ふっくらとした穴子というのはこういうのを指すのだと今日、初めて知った次第である。

2005年 5月 19日 (木)
 歯医者の最終日。先週ですべての虫歯の治療が終わり、今日はその総まとめとして、歯のクリーニングをした。
 しかしずいぶん長く通ったものだ。よほど俺の口中には大小無数の虫歯が点在していたとみえる。何度も「今日ですべての虫歯の治療が終わりました」と言われ、その後でまた虫歯がみつかり、再び治療に入る、というのを三四回くりかえしてきた。
 最後に担当してくれたのは例の脳天におっぱいが当たる女性の歯科医さん(4月2日の日記参照)。終わりよければすべてよしと申します。
 歯のクリーニングがはじまり、ゴーッと音がして、口の中にすっぱい液がとびちり、舌に痛いしぶきが当たって痛い。
 暫くして女性の歯医者さんが「あっ」と手を止め、がさごそとドリルをとりだし、「小さな虫歯がまた見つかったのでさっと削って樹脂をつめちゃいますね」と言った。最後の最後にして、やはり虫歯はみつかるのだった。
 本当にさっと虫歯の治療は終わり、残りのクリーニングを終わらせ、もう戻ることのない歯医者を後にした。出るとき、受付のお姉さんとすれ違ったので、お別れのあいさつをした。
 さて、次はいよいよ…。

2005年 5月 20日 (金)
ウェインズ・ワールド2 先日レンタル落ちで買った「ウェインズ・ワールド2」のビデオを見た。ずっと前に見たのでずいぶん内容を忘れていたが、かなり笑える。これはパート1以上だ。腹を抱えてのたうちまわり笑いまくった。マイク・マイヤー天才。ひと晩で2回も見てしまった。

2005年 5月 21日 (土)
 こないだ二束三文で買った(5月17日の日記参照)ゴールディ・ホーンの「ワイルド・キャッツ」のビデオを見た。なんだか、あまり面白くないので10分でやめた。
 驚くべきことに昔好きだったゴールディ・ホーンが、まったく魅力的に思えない。単なるオバサンにしか見えない。「ワイルド・キャッツ」なんてゴールディ・ホーンの魅力一本に頼って作られたような映画だから、彼女に魅力を感じない人が見ても楽しめるものではない。
 ゴールディ・ホーンはコメディエンヌとしてはシェリー・ロングほどではないものの、それなりに好きな女優だったはずなのに、この印象の変化はどういうことか。
ロロ いや、理由ははっきりしている。
 カリシュマ・カプールのせいなのだ。俺はカリシュマ・カプールをあまりにも愛するがゆえに、ついに往年の個性派女優の金字塔であったゴールディ・ホーンの魅力さえ、かすむほどになってしまっていたのである。
 個性派女優という点で言えば、カリシュマ・カプールの深淵な個性に敵う女優はいない。しかもそれはゴールディ・ホーンのような「オバサンになってもいつまでも可愛いぶちゃむくれ顔」なんてレベルのものと違う。彼女の映画を繰り返し何万回見ても、言葉で説明することなど不可能な、もはや神秘の領域にさえ達している神々しいほどの魅力なのである。
 今までの人生でカリシュマ・カプール以上に好きになった女優などいないし、これからの人生例え100年生き長らえたとしても、こんな素敵な女優に出会える可能性などほぼゼロに等しい。
 とにかく俺はつまらないビデオをやめ、口直しにカリシュマ・カプール主演の「HERO NO.1」のDVDを見始めた。
 (この後の記述は自主規制)

2005年 5月 22日 (日)
杉本彩 立場的な動機で、「花と蛇2」のオールナイト上映を見に行った。絶対面白くないと解っていて映画を見に行くというのもむなしいものがある。
 しかしパート1よりはだいぶマシだった。ストーリーはそれなりにあったし、俳優もこちらの方がうまいやつが揃っている。杉本彩だけがひとりで学芸会のような演技をしていて浮きまくっていたが、これは笑える要素としてある意味マイナスではない。
 エロス描写もちょっとだけパワーアップしていて、これで「エマニュエル夫人」とまではいかなくても、せめて「窓からローマが見える」くらい映像美に気を配ってくれたら、それなりに見れる作品になったんじゃないかと思う。

2005年 5月 23日 (月)
 「下妻物語」を再読し、そろそろ嶽本野ばらの違う本も読んでみたくなって久しぶりに本屋に行った。なにげに店頭に平積みにされていた吾妻ひでおの「失踪日記」という漫画を手にとり、最初の3ページだけ立ち読みしたらあまりにも面白いので嶽本野ばらも忘れ、購入した。
失踪日記 これはかのロリコンシュールレアリズムギャグ漫画の巨匠・吾妻ひでおが原稿をほったらかして失踪→ホームレス→土方生活→アル中→精神病院入院、といった経緯を漫画にした、すべて実話の自伝である。
 かなり笑えないことを面白おかしく描いてあり、面白いことといったらなかった。さすが漫画家だけあって、ホームレス生活もクリエイティブな感じである。ゴミ場にペットボトルに入れて捨ててあったサラダ油を、毎晩寝酒代わりにキャップ一杯キューッと飲み、五臓六腑に染み渡るなんて呟くところは愚を通り越して創造性に近いものさえ感じた。そしてホームレス生活中に不審人物として警察に連行され、漫画家の吾妻ひでおだと解ると、先生ほどのかたが何故こんなに、と彼の名を知る警官に驚かれるシーンなど、テレビドラマなどではよく見る光景だが、現実にまじでこんな場面が展開されたという事実に、感動さえ覚え涙が出る想いだった。
 まだこの続きがあるそうなので、早く読みたい。

2005年 5月 24日 (火)
 もう第九回幻想異端文学大賞の作品がひとつ届いた。
 こんなに早く、嬉しい限りである。

 うちは締切ギリギリか締切過ぎてから原稿を送ってくる人が多いので、原稿を遅く出すのが礼儀みたいに思われている風潮があるが、そんなことはない。単に書くのが(または「書き始めるのが」)遅い人が集まっているだけのことであって、俺としては早く戴けるに越したことはないのだ。

2005年 5月 25日 (水)
 茶殿がやってきた。彼女は絵が上手なので今度制作する雑誌の表紙を描いて欲しいとお願いしたら快く承諾してくれ、打ち合わせに来ていただいたのである。これで創刊号のビジュアル面はばっちりだ。
 茶殿は借りてきた犬のようにキョロキョロと事務所を終始見回していた。うちの事務所に初めて来た者が突然挙動不審状態に陥り、あちこちを珍しげにキョロキョロ見回すという現象は初めてではないが、茶殿の場合はレベル8.5くらいには達していた。好奇心旺盛な人は大好きなので問題はないが、以前やはり初めてこの事務所に来た人で、無言であちこちの引き出しから戸棚からくまなく空けまくって中を見まくっていた人物がいたが、今にして考えればそこまでいくと如何なものかと思う。しかしそんな人でも何故か微笑ましくこの目に映る俺という人間はいったいどんな性格なのか。
 初めて茶殿とまともに話したら、意外な事実が幾つか判明した。
 1)「葬儀の日」は全て計算づくで書かれた作品だった。
 2)彼女の独特の文体は狙っているのではなく、普通に書いたらああなってしまうらしい。
 3)血液型はO型である。
 帰りはつぶらも引っ張り出して、お礼にインド料理をご馳走させてもらった。若い乙女にインド料理をご馳走するというのもなかなか滅多にないことで、楽しかった。

2005年 5月 26日 (木)
 鶯谷のクライアントのところで仲の良い代理店TのSさんとかち合った。代々木のクライアントのところで仲の良い代理店CのHさんとかち合った。クライアントのところで仲の良い代理店の人とかち合うなんて、滅多にないことが一日に二回もあった。
 きっと良いことがあるに違いない。

2005年 5月 27日 (金)
 野暮用で本郷に行った。今年初めての冷やし中華を食った。冷やし中華というのはその量、味からして比較的割高な食い物である。

 ちなみに俺はスイカとそうめんが大好きなのだが、毎年夏が終わる頃にもっとスイカとそうめんを食っとけばよかったと必ず後悔するので、今年は今頃から気合い入れてスイカとそうめんを食いまくってゆこうと思う。

2005年 5月 28日 (土)
 仕事で西船橋に行った。インド料理を食った。夜はゴールディー・ホーンの例の映画のビデオの続きを見た。また途中で挫折した。今回の場合は睡魔である。

2005年 5月 29日 (日)
 本日はこの日記はじまっていらい最大の、人生を左右するような大きな出来ごとがあったが、あえてここには書かない。そのうち書くかも。

2005年 5月 30日 (月)
 新宿をぐるっと散歩した。
 風の向くまま、気の向くままである。俺の人生みたいだ。
 西新宿で12年前に2ヶ月ほどバイトしていた音楽ビデオ屋エアーズの前を通りかかり、中に入った。見覚えのある部長さんがいた。俺の顔をじろじろ見ていたが、まさか覚えてるのだろうか。
 東新宿で犬を見て、南新宿を通って帰った。

2005年 5月 31日 (火)
 ある人からゲルマニウム磁気ブレスレットを貰った。千円の安物なので効果があるのかは疑わしいが、ありがたく使わせていただくことにした。早速腕にはめて普通に生活した。
 これがとんだ不運を招くことになろうとはこのときの俺には知る由もない(6月2日の日記に続く)。


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