非幻想異端的日常
2006年 2月 1日 (水)
 インド料理が食いたくなりスパイスヘブンに行こうと思ったが、日曜に作ったカレーがまだ残っているのを思い出し、米を炊いて食った。まずかった。今まで一度も自分の納得いくカレーを作れた試しがない。もとはといえば、いつでも好きなときにインド料理が食えるからとインド料理作りを始めたというのに、俺の求める味は未だ完成せず、普通にインド料理が食える状況さえ邪魔する体たらくとなっている。いかんともしがたいとはこのことだ。

2006年 2月 2日 (木)
 大切な人にずっとしていた水晶のブレスレットをプレゼントしたら、その直後に白澤のストラップがぶっちぎれた。いい機会だと思ってストラップとブレスレットを天然石で新調しようと思い、妹にデザインと使用する石すべてオマカセで制作を頼んだら、本日それがあがってきた。両方とも期待通りなかなかの職人技である。
新ストラップ 使ってくれた石は黒瑪瑙、煙水晶、水晶の三種。早速効果を調べてみた。俺はパワーストーンのアクセサリーが壊れたりなくなったりすると、新しいものをその時々のインスピレーションや状況・環境による偶発性に任せて新調してきた。後で調べてみると、必ずその時期の俺に必要な効果をもった石が自然と選ばれており、その効果通り俺の人生は見えない力に導かれるように、変化・発展する。それは気のせいだという方がおられたら、その通りだと答えよう。すべては“気”なんだから。スピリチュアリズムというのは本来、そういうものである。
 んで、調べた効果は以下のごとくであった。

 黒瑪瑙……意志力・精神力をサポートし、集中力を高め、明晰な知性を与える。欲情を抑える(ここ重要)。肉体の内側にある本能を目覚めさせ、潜在的に持つ能力を向上させ、解放し、次なるステップへ。否定的なエネルギーから身を守り、精神を安定させる。恋を成就させ、愛を継続させる(おお)。マイナスのエネルギーをプラスのエネルギーに変換してくれる。気持ちの昂ぶりを鎮め、心身のバランスを保つ。

 煙水晶……潜在能力を高め、力強さや忍耐力を養う。魂と精神を安定させ、焦りや苛立ちをなくし、不安を解消する。手術後の回復(ここ重要かも)。性格改善。精神的な開運暗示。過去生の記憶にアクセスし、自分の過去に繋がる。才能を開花させ、夢を実現させる。

 水晶は破壊と再生をつかさどる万能のパワーストーンということで、効果は省略。

 なるほど、微妙にぴったりと言えないこともない。そういえば年末に占い師さんに2006年の運勢を鑑定してもらったが、その時の結果で言われたこととも絶妙に重なる。
 気は当たり前のように、正しく流れている。川の水が下流から上流に向って流れたりしないのと同じことなのだ。

2006年 2月 3日 (金)
 陰と陽はお互い持ちつ持たれつ。陰によって陽はもたらされ、陰によってもたらされた陽がまた陰をもたらす。それを永劫に繰り返してゆくのが万物の法則である。人生もこれに同じく、あれやこれやをいったりきたり繰り返すわけだ。
 この法則を深く理解し、応用することにより、人生をよりよい方向に導くことは可能である。それに必要な精神や生きる姿勢とはどんなものか、模索しはじめて何年にもなるが、その明確な答えは見つかっていない。
 少なくともその都度、現在という時がこの波動のどの点に位置するのか、最近では右脳ではっきり図形として認識できるようになり、それが状況の把握に役立っており、とりあえず冷静ではいられるようにはなってきたような気がする。しかしまだまだ、この因果からの解放にはほど遠い。
 そんなことを痛感しているのがこの数日の俺の精神状態なのである。

 まあそんなことはどうでもいい。

 六本木、代々木、新小岩と巡回。
 大変疲れ、また痛かった。痔も痛かったが、今日はそれだけではない。
 六本木のクライアントの事務所でいきなりテレビが倒れ、俺の足の甲を直撃、打撲をくらった。
 時間がたつにつれ次第に腫れ上がり、今では靴を履くのも辛いほど痛い。いかんともしがたい。
 しかしテレビなんて落ちてくるか普通。

2006年 2月 4日 (土)
空の境界 朝からいろいろありすぎて、ついでに最近いろいろありすぎて、精神ダメージがMAXに達している。このレベルまで上がったのは1年ぶりくらいだろうか。
 予兆はあった。それを敏感に察知して事前に回避し、ダメージを最小限に抑えることもあるいは可能であったろう。しかし俺に何が出来ただろうか。
 すべては前から後ろへ流れてゆく。これもまた試練てやつかもしれん。

 最近ひさしぶりに奈須きのこの「空の境界」(からのきょうかい)の続きを読みはじめた。じっくり読むとスゴい文章書くよな、この人。何者なのか知りたい。
 ヲタク文化にはたまにこういう得体の知れない才能が平気な顔して跋扈している。頭の上まで浸からないよう気をつけつつも、無下に侮れないものを感じていたりする。

2006年 2月 5日 (日)
 彼女と彼女の車で湘南をドライブ。彼女は一度車に乗ると止まらなくなる、いわゆる走り出したら止まらないタイプの人で、ふたりの自由を乗せ、海沿いの道路をひた走る車は、どこへと向い、いつまで走り続けるのか、それはふたりの胃袋だけが知っていた。ちなみに彼女とのドライブは去年のクリスマス以来(2004年12月25日の日記参照)。
空 一度車を降り、海辺を散歩した。空気は冷たかったが、空はまぶしいくらいに蒼かった。この蒼さを永遠に残しておきたくなり、携帯カメラで撮影(画像参照)。昨日から仕事でトラブルが続き、それは未だ完全には解決しておらず、気分は晴れやかとは言い難かったが、一瞬でもそれを忘れさせてくれたひとときだった。
 腹が減ったので、通りかかったレッドロブスターに入る。ランチ・メニューを見ながらiBookを広げ、注文をしながら昨日から続いているトラブル処理の続きをやった。トラブル処理と言っても、ほぼやるべきことは終わっていて、現在はその経過が間違いなく進行しているか、ただ見守り確認を繰り返すだけだった。電話も何件かした。やるべきことはやったのに、思い通りに事態は解決の方向に進まず、ある段階で立ち往生している。理由は心当たりはあるにはあるが、基本的には解らなかった。食後お腹が痛くなったのはトラブルのせいだろうか、それとも彼女と一緒だったからか、それもやっぱり解らない。
 「解らない」とは、必ずしも答えが出る前の曖昧な段階を示す言葉ではなく、「解らない」という一種の答えである場合もある。ようするに解らないものは解らないのだ。
 夕方、彼女はやることがあったので帰り、俺は新宿の幻想異端文学連盟オフ会へと向った。


 電車の中でもトラブル処理にiBookを広げ、あらゆる可能性をしらみつぶしに当たりながら、ほとんど無駄な努力を続けた。


 午後6時、歌舞伎町のバドワイザー・カーニバルに到着。ここはお姉さんの店員さんたちがバドワイザーのコスプレをして給仕してくれる、バドガール好きの俺のような人にとっては大変嬉しいだけの普通の居酒屋である。なんでこんなところをオフ会の会場に選んだかというと、半分冗談で候補にあげたら賛同者圧倒的多数で思わず決まってしまったのだ。
 6時10分くらいまで誰も来ず、全員きれいに遅刻とはさすが幻想異端文学連盟のオフ会と感心していると、じきにまずコジロウさんが来て、つぶらとダーリン殿が来て、きみよしさんが来て、長島さんが来て、天野が来て、少し遅れて編集長が来て、宴は無事始まった。彼女も出席したいと言っていたが、都合が悪くて結局来れなかった。
 食事のメインはハーブ豚チゲ鍋で、辛かったが美味しかった。思わず量食べてしまったので、明日の痔がやや心配。
 余興で、バドワイザー・カーニバル恒例の「ドキドキ玉子」というイベントを行った。「ドキドキ玉子」とは、バドガールが玉子をお客さんのおでこで割ってくれ、それがゆで卵ならアタリ、生玉子ならハズレ、というゲームである。アタリならバドガールのお姉さんに塩をふってもらいゆで卵を食べさせてもらえるが、ハズレだと顔面生玉子まみれになる。参加したのは長島さん、編集長、天野、コジロウさん、そして俺の5人。ハズレは一個だけ。
俺 5人のバドガールが並んでイチニノサンで一斉に我々のおでこで玉子を割ると、その瞬間、パキッという音とともに、ダラリと冷たく、ドロッとした液体が、俺の顔面を流れていった。
 ハズレである。こんなウレシハズカシいことで不運を消費できるなんて、俺は実に運がいい。
 参加者全員、バドガールのお姉さんにバンソウコウを貼ってもらう(画像参照)。

 一次会が終わり、カラオケへ。

 どういう話しの流れだったのかは知らないが、話しの流れで、皆できみよしさんにバドガールのコスチュームをプレゼントすることになった。
 毎度幻想異端文学大賞優勝者にはプレゼントを用意する習慣だが、今回はトラブルだの何だので買いそびれていたので、ちょうどいい。編集長と長島さんと俺で金を出し合って、ドンキホーテでバドガールのコスチュームを購入し、きみよしさんに渡す。その場でちょっと着てもらって椎名林檎の「歌舞伎町の女王」を熱唱してもらう。大変な盛り上がりだった。きみよしさん、ありがとう。
 あと、つぶらの中島みゆきがめちゃカッコよくて最高だった。シビれた。本日のオフ会はこの2人の個性派乙女の独壇場である。それに比べて主催者である俺は、腐った生玉子にまみれ、「Neko Mimi Mode」を歌って墓穴を掘っただけだった。いかんともしがたい。
 女性軍が帰り、残った編集長、長島さん、天野、コジロウさん、俺の5人で喫茶店でお茶を飲みながら次の第十回幻想異端文学大賞のテーマを話し合った。
 終電前には何とかまあ決定した。来週あたり発表の予定である。

 本日のオフ会、大変楽しゅうございました。

 結局、仕事のトラブルは深夜くらいに完全に解決。いや解決したというより、解決した状態に自然となった。

2006年 2月 6日 (月)
 目が覚めたら夕方五時だった。昨日のドライブやらオフ会やらで疲れていたのだろう。12時間も熟睡してしまった。
 起きて風呂に入り着替えてちょっとメールや仕事をしたら夜になった。
 夜10時頃ブランチを食った。食休みにぱにぽにやインド映画のDVDをちらちら眺め、深夜2時すぎ、iBookを立ち上げ最近の週末の定番作業である幻想異端文学連盟の雑誌編集を始めた。
 ザッピー浅野の一日はまだ始まったばかりだった(んで、時間が時間だけにすぐ終わる)。

2006年 2月 7日 (火)
 長年欠かさず買い続けてきた週刊モーニングの先々週号を買いそびれていたことに今日気がついた。先週号よく話しが通じたな。

2006年 2月 8日 (水)
 一日中歩き回って疲れた。

 新宿ルミネにヴィレッジヴァンガードという店がある。雑貨屋なのか本屋なのかはっきりしろって感じの店だが、雑貨も本も、ラインナップがいちいちツボで、なかなかいい店だ。

 池袋。

2006年 2月 9日 (木)
 一日中眠かった。眠くて、緑茶を飲んだ。
 それでも眠くて、ガムを噛んだ。
 それでも眠くて、やめたはずの煙草を一本だけ吸った。
 それでも眠くて、バタークッキーをぼりぼりかじった。
 それでも眠くて、豆もちをガリガリかじった。
 それでも眠くて、ビーフコンソメスープをすすった。
 それでも眠くて、のど黒飴をなめた。
 それでも眠くて、壁に頭を打ちつけた。
 それでも眠くて、のびをした。
 それでも眠くて、ちょっと眠った。
 目が覚めても、まだ眠かった。
 夜は眠れず、夜ふかしをした。

2006年 2月 10日 (金)
 占い師のあたる大先生とお電話。
 仕事の話しの後、雑談で幻想異端文学連盟の雑誌の話しになった。
 「先生もなにか文章書いて投稿してくださいよ」
 「いやー、何も書くことないんで」
 「先生の場合、日記とか、日常的なこと書いてくださればいいんですよ。それだけでじゅうぶん面白いですって」
 「でも割と平凡な毎日ですよ」
 「先生にとって平凡でも、普通の人にとっては平凡じゃありませんから」
 「あっ。そんなことより、トイレ掃除しなくちゃ」
 「トイレ掃除?」
 「ええ。昨日トイレ入ったら、神様が座ってたんですよ。きっと暫く掃除してなかったから出てきたんじゃないかなあと思って」
 「ほら、それそれ。そういうことを書けば、普通の人は面白いですって」
 「面白いですかあ?」
 「そりゃ、われわれはそんなもの、見えませんし。生まれつき当たり前のようにそういうものが見える先生にとっては平凡な日常でしょうけど」
 「そういうもんですかね」
 「そういうもんです」
 理解できないようで、けっきょく挿絵を描いてもらうことで話しはまとまった。
 ついでに、恋愛相談などをしてみた。
 「実は最近、新しく彼女が出来たんですよ」
 「ああ。やっぱり」
 「やっぱりって、わかるんですか?」
 「わかりますよ。言おうと思ってたんですよ。今度の彼女さんは、とってもいい方ですよって」
 「ほうほう。縁がありますか、われわれは」
 「ありますね。お互いがお互いを高め合い、人生をより良い方向へ導く関係になれると思います」
 「ほうほう。それはよかった」
 ここでふと、興味本位の疑問がわく。
 「彼女とは、前世でも何か因縁があったんでしょうかね?」
 こんな質問をしたのは、あるテレビ番組の影響だ。
 あまりテレビを見ない俺だが、テレビ朝日の「オーラの泉」だけは毎週欠かさず見ている。「オーラの泉」とは、霊験あらたかな美輪明宏と江原啓之のふたりが、毎回ゲストの前世や守護霊を見ながらスピリチュアルなトークをする、バラエティ番組である(ちなみに今週のゲストは三谷幸喜で大変面白かった)。
 人間はけっこう前世で縁のあった人と現世でも縁があったりするもので、ただならぬ運命を感じる彼女との間にも、何か前世で因縁があったのではないかとふと思ったのだ。
 「前世でも縁がありますよ、とっても」
 「ほうほう。どんな?」
 「前世でですね、彼女さんは、子供を失っているんですよ。死んだのか、生き別れか、くわしいことはちょっとわからないんですけど」
 「はあ」
 「それで、新しく子供を他から養子として貰ったんですね。それで、彼女さんはその子を失った子供のかわりにとても可愛がったんです」
 「へえ」
 「その貰われてきた子供が、浅野さんの前世なんですよ」
 「まじですか。すると、前世で彼女は僕の育てのお母さんですか」
 「そうです。それで、成長して大人になって、浅野さんは彼女さんのもとを巣立って行ったんですけど、育ててもらったご恩返しをまだ十分にしてなかったという負い目があったみたいなんです」
 「はいはい」
 「そこで、現世でそのご恩返しの続きをしたいみたいなんですね。彼女のために何かをしてあげたいという気持が強いでしょう」
 「まあ強いですね。でも僕の場合、好意をもった人にはいつもそんな感じですが」
 「彼女に母性のようなものを感じているはずですよ」
 「まあ年下なのにとても頼もしく思えるときはあります」
 「そうでしょう」
 「そしたら、われわれはこの後もずっと一緒ですか」
 「う〜ん、今のままでは可能性薄いですね」
 がびーん。
 「お、お別れはイヤなんですけど!」
 「あくまでも今のままでは、ですよ。でも別れるとしても、辛い別れじゃないと思います。お互い納得の上で別れられるような気がします」
 「彼女とは一生の縁だと思ってるんですが」
 「それはむしろ次の人ですね」
 「つ、次の人って…」
 「次の人は、もっとなんか、叱咤激励するタイプっていうか、笑いのツボが同じで、あっけらかんとしてて、同じ道を歩める方ですよ。まあ今から出逢ってもいない次の人の話しをするのもなんですけど。あははw」
 「なんでそこまでわかるんですか。ってゆうか笑いごとじゃないです! 僕は今の彼女とずっと死ぬまで一緒にいたいんですよ!」
 「でもまあ、運命は変えられますから」
 「変わってくれなきゃ困ります」
 「浅野さんは基本的に自分で運命を切り開いてゆくタイプの人ですので、努力次第で運命はぜんぜん変わりますよ」
 「そうですか。よかったあ」
 「がんばってください。あ。携帯の電源が切れちゃう」
 「ああああ。あの、えと、他に何か大事なことありますか?」
 「ないです」
 「言うべきことはそれで全部ですか?」
 「ぜんぶですね」
 「わかりました! それでは!」
 「はい、また。。。」
 そんなこんなで、大先生とのオーラの泉な長電話が終了した。

 その夜、俺は永遠の愛について考えた(らしくねー)。

2006年 2月 11日 (土)
 昼間、大道寺が来た。夜、天野が来た。昨日は墨森先生が来た。
 人が来ないときはずっと来ないのに、来るときはなぜか続く。

2006年 2月 12日 (日)
プロミス タダ券で映画「プロミス」を見に行く。真田広之主演のCGバリバリ、ジャンルは最近流行の中国武侠映画だ。予告編は嘘くさいくらいキレイな映像で、ちょっと期待していたが……。
 これがヒドい映画だった。こんなヒドい映画を見たのは久しぶりだ。ヒドい映画はよくあるが、これほどまでにヒドいものはまず滅多にない。十年に一度のヒドい映画オブ・ジ・イヤーである。
 制作者の本気度を疑いたくなるほどのチャチな映像。ほとんどポンキッキとかウゴウゴルーガとか、そこらへんの子供番組のレベルくらいまでイッてる。最初はあまりのヒドさに見ているのも恥ずかしく、なんの冗談かと思った。
 見ていくうちにだんだんヒドさに慣れてきて、落ち着いてそのヒドさを楽しむくらいの余裕が出てきた。なるほど、ヒドさも極めると平均的にヒドい映画よりは印象がちょっと上がるのだな。
 想像するに、撮影したフィルムを見てみたら、映像は安っぽいわアクションはすべってるわ演出はベタだわCGは決まってないわで、こりゃ困ったと制作スタッフは頭をかかえたことだろう。これをまともに編集したら誰も最後まで見るやつはいないだろうと思い、それならばいっそ意図的おまぬけコメディーにしてしまえということで、ストーリーが多少飛んでも退屈なシーンはがんがんカットし、映像のチープさに拍車をかけることになろうともつまらないカメラワークは早送りさせ、テンポの良さを重視し、さくっと見れるようにしたのではないか。
 そんな制作スタッフの英断により、冗談みたいにヒドい映像が、そのあまりのヒドさゆえ、あくまでも心の広い人か細かなこと気にしない人限定だが、それなりに楽しんで見れる程度にはなっている、総合芸術としての映画制作の苦労を垣間みた、映画鑑賞だった。

 ちなみにセシリア・チャンが出ていたが(画像)、彼女はあのガラガラ声がチャームポイントだったはずなのに、なんと声がハスキーな吹き替えだった。
 俺は何を隠そう、インド映画のタブとかラニ・ムケルジーとか、ガラガラ&オバサン声フェチなのだ。これではセシリア・チャンの魅力は半分もない。
 どこまでもやることがマヌケな映画である。


 夜メールがあり、三国志の携帯ゲームの仲間が新宿で飲み会中とのことで、いそいそと飛び入り参加した。金もないのに飲み屋2件、カラオケ1件つきあった。相変わらず普通の飲み会である。

2006年 2月 13日 (月)
 昼間、ミクシィの「ゼロから自主映画をつくる」コミュニティの重鎮スタッフであり俺の映像の師匠である宇井郎先生のお見舞いに、立川の病院に行ってきた。
 制作中の映画の打ち合わせをし、楽しい映画論などを交わしつつ、ノートパソコンで実相寺昭雄監督の古の名作テレビ「怪奇大作戦」「ウルトラマン」のビデオCDを見せていただいた。
 実相寺監督の映像は胸焼けするようなこってり味であまり好みではないが、その映像テクニックは非常に勉強になる。もちろん宇井郎師匠の解説あってこそのことで、本当に師匠とはお話をさせていただくたび、自分の中で新たな前進があるのだ。


 彼女が遊びに来た。中華料理とタイ料理をむさぼり食いながら、ビデオやDVDを見てすごす。久しぶりに日曜日らしいのんびりとした休日だった。

2006年 2月 14日 (火)
 生活のリズムが崩れまくりだ。理由はいくつか考えられる。もともと俺という人間自体が生物学的に夜行性であること。最近ちょっと忙しかったりナンだりで眠るべき時間に眠れず、またそれによる疲労がたまり、ヘンな時間に眠くなったり、一度眠ったら眠りすぎたり、逆にヘンな時間に目が覚めたり。そのぶん、仕事の効率は割と良好で、滞るものは滞っているが、片付くものは片付いている。そんな今現在も朝の5時すぎ。明るくなる前にベッドに入り、お気に入りのインド歌謡曲でも聴きながら眠りたいところだが、あと一時間以上はiBookの前を離れられそうにない。ロイズのチョコレートをむさぼりながら、出がらしの緑茶と気のヌケたレモンスカッシュを交互にすすりつつ、キーボードを叩く俺は、最近停滞しているサウンドノベル「ひぐらしのなく頃に」の続きがそろそろ気になってしょうがなかったり、それ以上にこの世でいったい何が正しくて何が正しくないのかその普遍的な基準を求めて出来る限り客観的になろうとする姿勢というのはそれ自体正しいのだろうかという昨日あたりからしきりと考え続けている命題が気になってしょうがなかったり、例えその答えが見つかったとしても、その答えに自分の感情を当てはめる作業はそれ以上に不可能に近いことは明白であることに宇宙の無情を感じつつも、こうして思いの丈を文章にたたきつけていると不思議と気持が落ち着いてくる自分をしみじみ感じたりしつつ、そろそろ仕事の続きに戻りたいと思う次第であったりする。ちなみに今日の夕食はちょうしたの鯖の大根おろし煮の缶詰と発芽玄米だった。

2006年 2月 15日 (水)
 採血と、痔の薬をもらいに新橋に行った。5千円近くもとられた。人生最大の経済的ピンチにあって、この出費は痛い。俺の人生はまあ、全体を通して平均的にいつも金が足りないのだが、いまほど金が足りない時は恐らくなかった。
 クリニックを出て、食ったことのないうまそうなカレー屋さんを見つけたが我慢して、駅前のそば屋できつねそばと豚生姜焼丼のセットを食った。なんだかんだ言ってうまかった。金が無くても、5百円も出せばとりあえずうまいものは食える。
 新橋から歩いて銀座まで行き、ホームページ制作の打ち合わせ。最近珍しく連続で制作の仕事をやっている。金が無い時はとりあえず腕をまくって働くことだ。
 なんか落ちがブコウスキーみたいだな。

2006年 2月 16日 (木)
 毎日がとても楽しいだけというのは、果たして幸福なことだろうか。否、そこに何らかの未来に繋がるものがなければ、真の幸福とは言えない。なぜなら真の幸福とは刹那的なものではありえず、人間の希望や目標を取り込んで常に変化し発展してゆくものだからだ。つまりはその「変化」こそが幸福の正体であって、「状態」なのではないのである。なぜこんなことを書くかというと、現在の俺は未来に繋がる要素と一番楽しい要素が完全に別に存在し、割と俺の人生でこういった状態は珍しく、バランスが悪いのだ。こんな時期は以前もあった。ちょうど今から五年前。詳しいことはそのうち文章にしたいと思う(それが三日後か三ヶ月後か三年後かは解らない)。今はただこの時空の歪みに身を任せ、ひとまず筆を置きたいと思う。

2006年 2月 17日 (金)
 風邪をひいた。っぽい。ので、コンビニでバナナを買ってきた。バナナは栄養のバランスがよいそうだ。シーンとした部屋で、誰かがバナナを食っていると、歯がコツコツ当たる音がする。ものを食う音で、ぜんぜんうまそうに響かない部類の筆頭にあがる。それはそうと、朝起きたら唇が腫れていた。化膿してるみたいにも見える。携帯で撮影して医学知識豊富な彼女に送ったら「これは恐らくヘルペスだ」と返事が来た。疲れてたり寝不足だったりすると出てくるそうだ。まさか。今まで一度も出たことなかったのに。夕食にカレーを食ったら唇にしみて、激痛が走った。ヘルペスだか何だか知らないが、唇が腫れてるときに刺激物は食わない方がよい。とりあえず明日にでも医者に行って来よう。

2006年 2月 18日 (土)
 昨日から唇が腫れ上がり、熱が出ていたが、病院に行ったらやはりヘルペスと診断された。ヘルペスは人の弱みに付け込んでくるようなたちの悪いウイルスなので、同時に風邪をひくのは典型的なパターンなのだそうだ。とりあえず薬を貰い、仕事はほどほどに、ずっとベッドで寝ていた。
 寝てばかりいると退屈なので、たまに起きて仕事などしていると、じきに頭がクラクラしてきて倒れそうになり、また寝るを繰り返した。
 どんなに体調が悪くても、食欲だけは落ちないので、とりあえず腹はすぐに減る。夜はコンビニの納豆巻きとネギトロ巻きを食った。ヘルペスで唇全体が痛感ムキ出し状態だったので、唇に海苔が少しでも貼り付くとはがす時もう痛くて心臓が止まるかと思った。食うことがこんなに辛くなるなんて、まったくタチ悪いぞ、ヘルペス。

2006年 2月 19日 (日)
 自主映画のオフ会。
 前日から高熱で寝込んでいたので、とてもではないが飲み会なんて出席できるような体調ではなかった。どうせ人もあまり集まってないので中止にしようかと思ったが、それもせっかく参戦表明してくださった皆様に悪いので、とみき監督に代理を頼んで、とりあえず決行することにした。
 夜になり熱も下がってきたので、途中から顔を出した。最初は居酒屋、次にルノアールでコーヒーを飲みながら映画についていろいろ実のある話しをして、終電前にお開き。
 人と話している間は具合が悪くなることなどなかったのに、帰ってからいきなり頭痛と発熱がぶり返す。不思議なものだ。

 現在進行中の作品はオムニバス的な構成で、エピソード毎に監督が変わる予定なのだが、その監督スタッフ4人のうち2人もが、昨日から今日にかけて辞退の申し出がきた。都合はいろいろあるとは言え、前途多難である。がんばろう。

2006年 2月 20日 (月)
 風邪もヘルペスも相変わらず驀進中で、一向に回復の兆しを見せない。
 唇がもう痛くて痛くて、例えば赤いきつねとか食ってると、油揚げに噛みついた時とか汁がポタリと唇に一滴垂れただけでもう涙がボロボロ出るくらい痛い。一度痛い思いをすると、その後の残りの食事時間はもう恐怖で、ひとくちひとくち慎重に食物を口の中に運ぶようになり、緊張のあまり自然と息も絶え絶えになり、食ってるものの味もクソもわからなくなる。あと歯を磨くときがまた痛い。本当にシャレにならない。
 痛いのは唇だけでなく、頭も痛ければ、喉も著しく痛い。ついでに何故かアゴも痛いし、唇の周囲も微妙に痛い。寝たきりでのびきった無精髭をこすったりすると、ざらざらと痛いのだ。ヘルペスは口のまわりにも浸食しているようだ。アゴはなんだかわからない。
 とにかくこんな痛い体調不良は初めてだ。“イタイ風邪”とでも命名するか。


 なぜか三谷幸喜脚本・監督「THE有頂天ホテル」を見た。
THE有頂天ホテル 三谷版グランドホテルで、ゴチャゴチャと、やたら登場人物が多く、即してエピソードもやたら多い。面白く笑えるシーンもあれば、すべってるシーンもあり、よく練られたうまいエピソードもあれば、おざなりなエピソードもある。まさに一本の映画が玉石混合状態。面白い映画だったが完璧な映画ではない。そして、このタイプの映画は完璧であってこそ賞賛の拍手に値する。だってこれだけエピソードを数ならべたら、三谷幸喜ほどの人物なら、面白いもののひとつやふたつ、あって当たり前だからだ。すべてのエピソードがビシッと決まってこそ、さすが三谷幸喜よくやったと言えるのではなかろうか。そういう点で、ちょっと惜しいかも。
 これで腹を抱えて大爆笑みたいなシーンがひとつかふたつでもあれば、また大分印象も違ったかもしれない。そう、大爆笑がないのだ、この喜劇。

2006年 2月 21日 (火)
 日々病の床に臥せっている俺であるが、こんなときだというのに彼女はお見舞いに来る気配がない。それも道理。彼女は現在インフルエンザで40度の高熱と戦っているのだ。しかも喘息持ちで解熱剤も鎮痛剤も副作用で呼吸困難になる為、投与できないからだときている。俺の方がだいぶましだとはいえ、ふたり同時に病とはわれわれは随分仲が良い。

巷説百物語 俺は昨日までと比べてだいぶからだも軽くなり、たまに起きては仕事をし、めしを食い、また寝るを繰り返していた。
 寝ている間は退屈なので、もっぱら本を読んでいた。現在やっと京極夏彦の「巷説百物語」を読んでいる。読む前はどんなものかと思ってたら、これは要するに京極版「必殺シリーズ」なわけだな。ただ武器がかんざしや三味線の代わりに妖怪になるわけだ。なるほど、いろいろ考えるな。面白いではないか。おぎんさんがいい艶を出してるね(萌え?)。

2006年 2月 22日 (水)
ぱにぽにだっしゅ! ぱにぽにだっしゅ!DVD第4巻発売。前もって昨日からケンちゃんに頼んで、出社時に買ってきてもらった。社長命令というやつである。業務は滞り無く遂行され、午後1時にはぱにぽにだっしゅ!DVD第4巻が手に入った。
 仕事の合間に会社の皆で第13話を鑑賞。桃月学園にマジンガーZみたいな番長が攻めてくる話で、最後は巨大ロボット対決にまで展開したりして、密かに俺がぱにぽにだっしゅ!全26話の中でもグレートマジンガーいや、最高傑作と考えているエピソードである。社内爆笑の渦の中、勢いにのって第14話も鑑賞。てゆうか、業務時間中になにをやっておるのだこの会社は。

2006年 2月 23日 (木)
 トビー・フーパーが来日しているらしい。トビー・フーパーといえば、かつてホラー映画ファンだった頃のアイドルである。今はホラー映画は嫌いだが、あの頃のノスタルジーを感じさせてくれるものは好きである。トビー・フーパーなんてその最たるものだ。ホラー映画への“愛”を教えてくれた監督など、後にも先にもフーパー以外にいない。
フーパーと工藤夕貴 で、肝心の作品は「マスターズ・オブ・ホラー」という13人の監督たちが競作した13本のホラー映画の短編集(オムニバスではない)で、フーパーの他にもそうそうたるメンバーが参加している。ジョン・カーペンター(おお!)、スチュアート・ゴードン(おおお!)、ダリオ・アルジェント(うおおおお!)、ジョー・ダンテ(ほええ)、ジョン・ランディス(うひゃあ)、ラリー・コーエン(おいおい)、ジョン・マクノートン(えー…ああ、はいはい)、ドン・コスカレッリ(渋い!)、三池崇史(何故?)、その他。ホラー業界はたまにこういう企画をやらかすから完全に縁を切れない。
 フーパーはゆうばり国際ファンタスティック映画祭でトークショーやるらしいが、残念ながら行けない。まあ映画は楽しみにしていましょう。
 画像は工藤夕貴との映画祭でのツーショット。

2006年 2月 24日 (金)
 タケシさんが久しぶりにやってきた。
 いつもは雑談だが、今日は珍しく仕事の打ち合わせだった。
 ココアを飲んだ。

 眠かったので、いつもより早く寝た。
 今日事務所で発掘した謎の音楽を聴きながら。

 ようするに書くことがない。
 オリンンピックで何かあったらしい。

2006年 2月 25日 (土)
 ボウボウにのびきった無精髭をキレイに剃り、ひさびさに外出。
 クリーニングしたてのスーツだというのに、忌々しくも雨が降っていた。

 銀座に行った。
 ジタンを買おうと思ってタバコ屋に立ち寄ると、タバコ屋の前で麗しきコンパニオンさんが新商品のタバコをキャンペーンで無料配布していた。
 俺はタバコ屋のオバサンに「ジタンありますか」と聞いたら「うちでは取り扱っておりません」と言われた。するとコンパニオンさんが横からいきなり「よろしければどうぞ」と言ってポケットからジタンを取り出し、一本譲ってくれた。仕事で配っている新商品のタバコそっちのけで自前のジタンを分けてくれたという、ちょっといい話である。
 しかしジタンを吸ってるコンパニオンさんてのも。

 銀座の後、池袋に行った。
 クライアントのお姉さんに遅いバレンタインのチョコレートを貰った。
 こちらはチョコっといい話。わーお。

2006年 2月 26日 (日)
 自主映画の脚本執筆。足りない言葉がある。要らない言葉がある。人材が足りない。時間も足りない。金も足りない。いろいろ足りない。だから要らないものが果てしなく増えてゆく。支配する法則と、自由になろうとする精神。その狭間で、今日も俺はキーボードを叩き続ける。楽しい。

 スーパーでタマネギ、骨つき鶏肉、トマトジュース、ココナツミルク、発芽玄米を買ってきた。骨つき鶏肉を煮込み、別の鍋でクローブとカルダモンとベイリーフと赤唐辛子とフェンネルとクミンのホールスパイスとタマネギを炒め、クミンとターメリック(微量)とカルダモンとガラムマサラとコリアンダーを自分で調合したスパイスとトマトジュースを入れ煮込み、鶏肉の鍋と混ぜ合わせさらに煮込み、最後にココナツミルクとガラムマサラと隠し味にめんつゆとはちみつを入れたら、インドカレーが完成した。発芽玄米を炊いて一緒に食った。ちょっとココナツミルクが多すぎたが、なかなかうまかった。納得のいくインドカレーが作れたのは1年ぶりくらいである。

 彼女が遊びに来た。歌舞伎町を散歩した。彼女とはいわゆる散歩からはじまった恋愛関係なので、いつも散歩をするのだ。散歩はいい。小さな旅に似ている。つまりは人生ということだ。

2006年 2月 27日 (月)
 第十回幻想異端文学大賞のテーマを発表した。今回のテーマは「地獄」だ。
 先日のオフ会でいつものごとく、最後の喫茶店で編集長と長島さんと天野さんと会議をして決まった。流れとしては、「蜘蛛の糸」→「ねじ式」と来て、つまり文学→漫画、ときたのだから次はまた文学で、で「蜘蛛の糸」は日本文学だったから、今度は海外文学で、ということで、ダンテの「地獄」になったわけだ。ひとり天野氏だけが最後の最後まで「地獄」ではなく「神曲」でと主張されていた。
 「地獄」というのはひとつの寓話であり、象徴であり、概念であり、伝説である。「聖書」や「変身」と並んで幅広いテーマであり、ひとりひとりの心の中や記憶の中に、十人十色の地獄が宿っている。楽しい作品が集まりそうだ。めくるめく地獄パラダイスの展開に向って、皆様、どうか清き一票を作品に乗せて、こちらのメールアドレスまで送ってください。

2006年 2月 28日 (火)
 最近どうも睡眠時間が長い。いつもより早く眠くなり、同じ時間かもしくは遅くに目が覚める。かなりやっかいな状況だ。睡眠時間が長いと、起きてあれこれする時間がおのずと短縮される。ただでさえ忙しいのに、これ以上くだらない睡眠時間で貴重な人生を削られてはたまらない。
 俺は睡眠てやつが嫌いだ。生命を維持するのに必要な行為であることは頭で理解していても、やはりなるべくなら眠らず、起きていろいろあれこれやっていたい。眠くなると、もう一日が終わりかと残念でしょうがない。
 よく惰眠を貪るのが好きだとか、趣味は寝ることだとか明言して憚らない方々が存在するが、まったく理解できない感情だ。

 そんな俺も、眠くなるまでのわずかなあいだ寝床で明かりを灯し、読書をするひとときは割と好きである。消灯後、混沌の眠りに落ち込むまで、コンポから流れる音楽に耳を傾けるひとときも、割と好きである。それらを含めて睡眠時間と呼ぶのなら、眠るのもまんざら悪くない。とも思う。
 しかしそう思えるようになったはつい最近のことだ。
 正確に言うと去年からだな。



 鍋の底に残ったカレーを平らげ、食休みにインド映画を観た。
 インドの恋愛映画はよい。恋愛映画にリアリティは求めていない。
 恋愛映画はあり得ないから面白のだ。あり得ても、あり得ないと思わなければならない。絵空事であってこそ、恋愛映画は恋愛映画として機能を果たすのである。
 極めて個人的な持論である。


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