非幻想異端的日常
2006年 6月 1日 (木)
 夕食は先日駅の売店でみつけた好物の豚足をおかずにめしを食った。プリプリとコラーゲンたっぷりでうまいが、豚足はご飯のおかずにはならないということに気がついた。考えてみたら豚足は今まで酒のつまみでしか食ったことなかったな。結局、豚の足を四本むさぼり食ってなおご飯はほとんど減らず、仕方が無いのでレトルトのカレーを温めて食った。

2006年 6月 2日 (金)
 最近いそがしくて生活のリズムが乱れまくり、いそがしいので元に戻す余裕がない。
 外を歩いていたら、D社のT代表とばったり遭遇。なんか周辺で気がめぐってるね。

2006年 6月 3日 (土)
 先日、彼女と横浜の「人体の不思議展」に行ってきた。
 これは“プラストミック”という技術で作られた人体標本の展示会で、これまでのホルマリン漬けのものと違い、匂いもグロさもなく、弾力性に富み、じかに手で触れられ、保存性に優れた画期的な新技術によって、数年前まで生きて動いていた本物の人間の死体がプラスチックとゴムの中間のような状態で展示されている。こういう胡散臭いものが大好きだと明言してはばからない彼女がとにかく見たいと言うので連れてきた。
プラストミック死体放題 人体標本は全身のものから手・足・頭部・臓器などの部分まで、種類は骨格・筋肉・神経・内臓・血管・骨・胎児など、人体の様々な要素を標本化したものが展示されている。確かにプラスチックみたいになっているので見た目のグロさはないが、やはり本物の人間の死体だと思うと想像力豊かな俺としてはちょっと気持ち悪い。人間が輪切りになっていたり、お腹に穴が空いて内臓がこぼれ落ちそうになっていたり、全身の皮膚がめくれあがって筋肉が露見していたり、彼らの「ひでぶ」とか「あべし」とかの断末魔の悲痛な叫びが聞こえてきそうだった。
 彼女は目の色を変え、標本をひとつひとつじっくりと興味深く眺めながら、「わたしも死んだらこんな風になりたい」などと言っている。俺はそんな彼女が頼もしく思えたりもするが、「こういう標本を見てるとなんか肉が食べたくなってこない?」と真面目に聞いてきたときは大きく否定せざるを得なかった。普通は逆である。あと頭部の標本に向ってチュッとキスをするリアクションをした時はひっくり返りそうになり、思わずやめろと叫んだ。結局、一番胡散臭いのはこいつかもしれない。
 とりあえず全体の感想としては、新しい技術の紹介とか人間の身体の構造を理解するというアカデミックな主旨よりは、どうも興行としての見せ物的な印象が強いと思った。人体標本と言ってもところどころ着色してあり、わかりやすくするためだろうが、着色した部分とそうでない部分に関する明確な解説もないし、例えば心臓の標本も静脈と動脈で赤と青に色分けされているが、どちらが動脈でどちらが静脈とか書いてないし(まあわかるが)、売店で売られている絵葉書やグッズもセンスよすぎだし、標本にいろいろなポーズをとらせてあったり、ひたすら人間の死体をひっかきまわして遊び半分にオモチャにしているような錯覚を覚える(まさに死体放題)。コンセプトは「健康の大切さと生命の尊厳を再確認」とのことだが、生命の尊厳は確かに反面教師として再確認は可能であろう。とにかくこの展示会の意義は俺にはまったくわからなかった。でもまあ、こういった趣向が行なわれる事実そのものが大変興味深いものがあるので、来た甲斐はあった。何より彼女が喜んでくれたのが一番だ。
 最後に千円で脳年齢と骨密度の検査が受けられるというので折角だからやってもらった。結果は脳年齢は31歳となかなかで、骨密度はいまいちだった。ちなみに彼女の結果はおおよそ逆である。

 人体の不思議展の後、横浜中華街を散策。彼女がおすすめする旨い中華料理屋を探したが見つからず、適当なところに入り、トンポーローとレタス炒飯、ネギそば、小龍包を食った。豚ポーローは香辛料が効きすぎ苦みがあり、ネギそばはまあ普通、小龍包は冷ましすぎて皮が破れ小龍包であることから逸脱し、唯一レタス炒飯だけが平均点以上のうまさだった。彼女はレタス炒飯は塩味が足りず、ネギそばが一番旨いと言う意見だった。
 横浜でこれはうまい、と思う中華料理に今だに出会ったことがない。てゆうか、日本でうまい中華料理ってのもほとんど食ったことがない。いつか食ってみたいと思ふ。

2006年 6月 4日 (日)
ポセイドン 無料券で映画「ポセイドン」を見にいってきた。ご存知、三つのしもべの海から登場するやつではなく、言わずと知れた名作「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイクである。かの「タイタニック」は「ポセイドン・アドベンチャー」を現在の技術で鮮やかに復活させた大作として記憶に新しいが、この「ポセイドン」はその「タイタニック」をリメイクにかこつけて再現した二番煎じということで、まさに寄せては返す波のように、ハリウッドのやることはまったく性懲りもない。
 とにかく本当にヒドい映画は、中盤まで気がつかない場合もあるが、だいたいは最初の5分でわかる。この映画も、最初の5分、いや1分でもう「ひぇえええ」と叫びたくなるほど、ヒドさが熱風のように暑苦しいまでに画面から放出されていた。まったくやっつけ仕事もいいとこだ。
 何を隠そう、俺は小学生の頃パニック映画が大好きで、人々が波や砂に呑まれたり、巨大蟻や巨大蜘蛛に襲われたり、ワニやサメに食われたり、ロープウェーや火事のビルの中に取り残されたり、そんな極限的なシチュエーションで人間が慌てふためく姿を眺めては、喜々としてスクリーンを見つめたものだった。「ポセイドン・アドベンチャー」も大好きな映画だった。この「ポセイドン」もパニック映画のはしくれだけに、船が転覆して人々が右往左往、いや上を下への大騒ぎする人間模様は少なからずワクワクさせられた。しかし、それだけだ。ストーリーはほとんど転覆してさかさまになった船の中、メインキャラ数名が幾多の障害を乗り越え脱出するまでを描いただけで、ひとつの迷路を脱出すると、また次の迷路と、同じようなシーンが延々と続き、演出の力の無さと相まって、すぐに飽きる。
 あとこの映画は編集がどうも気持ち悪い。所々プロセスが省略されているような感じで、例えば「天井に穴を空けて脱出する」というシーンがあると仮定すると、穴を空けるまでは時間をかけて緊迫感たっぷりに描くのに、穴が空いた後は、もう向こう側に出ているカットになり、穴によじ上って傷ついた身体を通して、みたいなプロセスがいきなりすっ飛ばされる。じっくり描く部分と省略する部分のバランスが悪いとでも言おうか。98分という尺から想像するに、ラッシュを見たら映画の出来が非常に悪かったので、出来るだけマシなものにしようと、多少動きが不自然になっても構わないからダルい部分をカットしまくり、せめてテンポよく見れるようにしたのではなかろうか。とくに演出の面で拙い映画が、なぜかテンポだけはスピーディという現象がハリウッドではたまに目につくが、そういうことなのかもしれない。
 いかん。こんな駄作になんて長文だ。ここらでやめとこう。

2006年 6月 5日 (月)
 昨日に続いて無料券で映画「トランスポーター2」を見にいった。いったい何枚無料券持ってるんだと思われるかもしれないが、昨日と今日の2枚だけである。無料券が東急系の映画館でしか使えなかったので、見てもいい映画はこれしかなかった。あとひとつ「GOAL!」という映画があったが、玉遊び全般の嫌いな俺としては、サッカーの映画など強迫されても見たくない。
トランスポーター2 で、「トランスポーター2」である。パート1も見てないし、内容も知らないし、興味もわかないし、どうせタダだと思っていても、なんとなく見るのが面倒臭いなぁ、と、そんな精神状態で見始めたら、冒頭のシーンがとても面白くて、うひゃひゃと最後まで楽しんで見てしまった。主人公が渋くて、アクションも良質。期待していなかっただけに、拾いものだった。
 最後のほう、それまでの面白さが嘘みたいに破綻するが、まあ野暮なことは言うまい。この程度の映画は、血肉湧き踊らせてくれて、日曜洋画劇場でやったら「行列のできる法律相談所」を中断してちょっとチャンネル回してもう一回見てもいいなと思えるシーンがふたつかみっつもあったら、もう十分なわけである。

2006年 6月 6日 (火)
 まだ売れてない役者の友人ぶらっきぃさんが一人芝居に挑戦したので、興味深く見にいった。開催地は渋谷TAKE-OFFというライブハウス。「ヒトリシバイ・ナイト」と称し、全部で11人の役者や芸人が出演する。一人芝居はアメリカでアンナ・マニューソンのライブを見にいったことが一度だけあるが、日本でじかに鑑賞するのは初めて。最前列で見た。
 初めてなのと、知ってる人が出ているのとで、大変興味深く楽しみにしていた。俺は昔から「知り合いや友人の作品」といったものに非常な興味を示す傾向があることに最近気がついた。ずっと当たり前だと思っていたが、周囲を観察してみるとわりと特殊らしい。
 やはり一人芝居というだけあって、イッセー尾形とか友近とか、あのあたりの芸風が中心だが、たまに落語みたいなのがあったり、ひとりで複数の登場人物を演じたり、本を朗読しているだけだったり、いろいろあった。全体的にあまりヘタな人はおらず、だいたいうまい人か、やたらうまい人のどちらかだった。ただ半分くらいの人はシナリオがダメで、笑えないしあまり面白くなかった。
 肝心のぶらっきぃさんの出し物はというと、自分で書いたというシナリオが非常によく出来ていて、ちゃんと起承転結もあったし、伏線もきっちりはってあって、面白い方だった。しかし見ていてここはもうちょっとこうしたらもっと面白くなったのにと思う部分がいくつかあり、見ていてややもどかしく思ったのも事実だ。ライブ終了後、それらの点を正直に指摘したら、やりすぎてリアリティを損ないたくなかったとの返答。なるほど、余計なお世話であったかもしれない。
 とりあえず彼が出演する限り、また見にいきたいと思う。

 渋谷に来たついでにムルギーでカレーを食った。カレーを食べ終わる頃、店内のラジカセでゲンスブールが流れ出したので、思わずチャイを頼む。ムルギーでゲンスブールとは、ある種の「空間」なのだった。

2006年 6月 7日 (水)
 よもやまごとで新宿東口を徘徊したついでに、インド料理ダージリンで昼食。メロウな味わいで、おいしいが、好みのインド料理の味からは少し外れる。たまに食うにはよいが、毎日食ったら飽きるだろう。ナンとライスがおかわり自由なのは嬉しいが、カレーが一種類追加おかわり可というのも嬉しい。さらに嬉しいことに店内にはインド映画のDVDが流れていたが、あいにく知らない映画ばかりだった。

 たくさん歩いた。ちょっと曇っていたが、いい天気だった。赤れんがの建物に続くクローバー畑の道を歩きながら、俺は初めて自転車に乗る少女のように、乗れるようになってしまえば何でもないことを、バランスをとりながら、恐る恐る前に進んでいるのであった。

2006年 6月 8日 (木)
 日記を書くの忘れてた。ついでに書く内容も忘れた。

2006年 6月 9日 (金)
 昼、用事があってI社のSさんがいらしたので、スパイスヘブンでインド料理をご馳走させてもらった。彼はラーメンも好きだが、カレーマニアでもあり、俺のことをたまに「カレーの師匠」などと恐れ多い名称で人に紹介してくれたりする。
 Sさんは最近忙しいらしく、ほとんどめしも食わず、短時間睡眠で毎日仕事にあけくれてるそうで、久々のまともな食事に、大盛りを二杯も平らげていた。腹がふくれると元気になってきて、いつもの彼の情熱あふれる仕事の話しがはじまった。彼が仕事の話しを聞くと、工夫と試行錯誤と好奇心に満ちあふれ、俺にとってもいい刺激になる。
 たまにはめしを食いながら話しをしたい人物のひとりだ。

ジャスミンライス 通販で買ったジャスミンライスが届いた。別名タイ産香り米とも言う。先日南インド料理の食事会で初めてこれを食べ、家でカレーやインド料理を食うときはこれだと確信したのだ。
 米粒が細長いインディカ米の一種だが、他のインディカ米に比べてやや粘り気があり、その名の通りほんのりココナツのような天然の香りがついているので、エスニック料理もこれを使えば日本人にも食べやすく、それでいてエキゾチックな味わいが楽しめる。考えてみれば折角インド料理を作っても、家には玄米しかなく、いまひとつインド料理を外で食べるほど気分が充実しなかった。
 早速、夕食はお気に入りのインド料理パトワールでチキン・マサラをテイクアウトしてきて、ジャスミンライスを炊いて食べた。パトワールのカレーもまた絶品なので、ジャスミンライスのうまさと合わせて実に美味であった。
 ちなみにインドにもバスマティーライスという香り米があるので、次はそちらを試してみたい。

2006年 6月 10日 (土)
 暑くなってきてケンちゃんが食欲がなく、毎日コンビ二の蕎麦ばかり食っているので、たまにはうまい蕎麦も食えと、十割蕎麦を買ってきて茹でて差し上げた。コジロウさんと一緒にうまそうに食い、蕎麦湯もごくごく飲んでいた。俺は相変わらずカレーばかり食っている。
 そんな事務所の食事情。

 頭に大きなカサブタが出来ていた。そのままにしておけばすぐ治りそうなのだが、ついカサブタをはがしてしまい、なかなか傷が治らない。カサブタをはがして血のにじむ傷跡は、せめて掻きむしらないように気をつけよう。

2006年 6月 11日 (日)
 金が無くて最近は無料券でしか映画館に足を運んでいなかったが、「嫌われ松子の一生」だけは無理して金を払っても見にいかねばならぬ必然性を感じ、なけなしの千数百円をにぎりしめ、歌舞伎町へとくりだした。
 映画館に着くと、いきなり「只今、お立ち見です」のアナウンス。立ち見で2時間以上の映画を見るのはきつい。次回の上映は3時間後。暫く悩んで、次の回まで松子とにした。歌舞伎町を散歩しつつ、ひさびさに神座の煮玉子ラーメンを食い、西口ガード下で前売り券を買い、カフェでコーヒーを飲んで、1時間前くらいに映画館入りした。映画がはじまる頃にはえらく混んでいた。まさに大ヒット上映中である。

嫌われ松子の一生 そんなわけで、「嫌われ松子の一生」を見た。「下妻物語」で日本映画界に電撃を喰らわした中島監督の注目の新作である。今も昔もろくなものがなかなかない日本映画も、たまにこういう才能が現れてガツンとやってくれる。これこそまさに、映画である。
 後半はもう泣きっぱなしだった。シーンごとに涙が頬をつたう。俺はこういう映画に弱い。「フォレスト・ガンプ」以来だ。「嫌われ松子」と「フォレスト・ガンプ」のどこが似ていると訝しむ方もおられるかもしれないが、俺をこんな気持ちにさせてくれるという点で、この映画は「フォレスト・ガンプ」以来の「フォレスト・ガンプ」みたいな映画なのである。
 前評判ではひとりの女性の悲惨な人生をカラフルなミュージカルタッチで描いた映画ということだったが、カラフルなミュージカルタッチはともかく、明るいという表現はいかがなものかと思う。かつてカラフルな毒々しいロンドンのパンクシーンを舞台に破滅的な愛を描いた「シド・アンド・ナンシー」という文字通りパンク映画があったが、「明るい」なんて表現を聞くと「シド・アンド・ナンシー」みたいな映画かと思ってしまうではないか。しかし「嫌われ松子」には「シド・アンド・ナンシー」のような突き抜けてゆく破滅へのエネルギーなど微塵も感じない。これはもっと繊細な、人生とは、生きることとは、人間とは何かを考えさせられる、ひとりの不器用な女性の生き様を描いたドラマである。この繊細な表現の数々を明るいのひとことでくくってしまうべきではない。明るい表現もあれば、暗いというか、シリアスな表現もある。すべては見る者の心を揺さぶる必然性があるのだ。てゆうか、俺が感情移入しすぎてるだけかもしれない。松子の人生に感動できない者には、悲惨な女性の一生をギャグにした映画として目に映るだろう。茶殿がこの映画を見て「他の人の感想が気になる」と宣っていたが、確かにこの映画は感情移入する角度やその度合いによって、感想は千差万別となりそうだ。
 キャストは豪華。「下妻物語」なんてえらい実績を作ると、こういう状況がめぐってくるわけだな。映像があまりにも凝りすぎて演技や演出のよしあしがわからず、全部よく見えた。まあ知り合いの映像のプロが言っていたが映像演出なんてのはとどのつまり「編集とカットのごまかし」であるそうなので、これはありなんだろう。

2006年 6月 12日 (月)
 先月のミクシィの南インド料理コミュニティのイベントの薬用植物園見学で知り合ったカレーマニアのヨシさんと、東中野の南インド料理カレーリーフを探索した。ここの目玉はマドラスミールズ(画像参照)というセットで、二人以上からで前日前に要予約でしかも当日キャンセル不可という過酷な条件だが、うまいという噂であった。もちろんそれを予約しておいた。
マドラスミールズ 東中野駅前でヨシさんと待ち合わせをし、カレーリーフに入店。セットはお約束のラッサムス−プ、カレーが三種類、おかず二種(ナスとキャベツのスパイスで炒めたもの)、チャトニはココナツとミックスピクルス、ダヒ(自家製ヨーグルト)、ライス、パパド、以上である。思ったよりおっとりした味で、うまかったが、もう少し刺激があれば尚グッドだった。主食がライスだけで、プーリーとかチャパティとかナンみたいなパン系がないのもやや物足りない。これまで食った南インド料理としては平凡なほうだった。
 食後、チャイを飲みながらヨシさんと仕事の話しなどで盛り上がった。

2006年 6月 13日 (火)
 ミクシィの自主映画のコミュニティで知り合ったアマチュア映画監督の湾テレさんが今月制作する映画の脚本のことで相談があるというので、半年ぶりに近所のデニーズでお会いした。最初はコーラを飲みながら雑談し、数時間経過して、やっと本題の脚本の話しになった。湾テレさんには以前俺の書いた小説を読んでもらったことがあり、流れるような文章を評価していただき、脚本の文章をチェックしほしいとのお願いだった。俺が人様の文章をチェックするなんておこがましいが、割とこういうお願いは好きだし、湾テレさんとはかねがね語り合いたいと思っていたので、お受けした次第である。
 しかし難しいのは、脚本もひとつの作品である以上、部分を直せば、全体に変化が生じ、部分を変えることにより、全体も直さねばならなくなる。所詮、部分だけを修正するというのは不可能な話しなのだ。しかし俺に求められているのは部分に対する意見であり、全体はあくまでも湾テレさんの頭に確固とした主旨があるので、そこまで俺が口出しするわけにはいかない(実際してしまったが)。とりあえず脚本はお預かりし、求められている範囲で、俺の修正案を後日メールなりで送らせて頂こうかと思う。
 会話は映画のことから芸術論全般、果ては哲学にまで及び、結局デニーズには6時間ほどいた。既に外はうっすら明るかった。

2006年 6月 14日 (水)
 地獄が完成した。ううむ、微妙。
 早速コジロウさんに読ませてみたが、感想も、やはり微妙だった。

2006年 6月 15日 (木)
 ミクシィの自主映画コミュニティの皆さんと最近接触が増えた。今日は由井さんと西新宿でミーティング。ルノアールでお茶しながら数時間、映画や芸術について語り合った。彼女は声優と舞台俳優と映像作家を目指す才能あふれる22歳で、最近方向性がどうも声優よりになってきているが、常人の視点と一線を画するクリエイターとしての感性は一目置くところのものがあるので、なんとかもう少し創作方面に深く関わってほしいというのが目下の望みである。とりあえず自主映画のご意見番と、絵もうまいので、幻想異端文学連盟の雑誌制作のビジュアル面に協力していただくことで話しは一応まとまった。と思う。ちなみに俺と同じように彼女の将来性に注目していた宇井郎さんから次の日、めずらしくメールが来た。彼は現在足を悪くして入院中だが、復活の暁には自主映画制作の重鎮として活躍してくださることと期待している。とりあえずぼちぼち動き出した感じである。

 夜、天野がやってきて、新しい仕事の打ち合せ。こちらもなかなかおもしろそうな企画なので、なんとか実現させたい。

2006年 6月 16日 (金)
 夜、携帯三国志のプチ飲み会があったので、金もないのに顔出した。プチという割には十人くらい集まった。海鳥さんもいた。久々にビールを飲み、うまいものを食った。ボールいっぱいの冷やし中華が印象的な居酒屋だった。メンバーでひとり藤さんという人が、副業らしいが俺と似た様な仕事をしているので、うまく利用できないかと思い接触してみたら、それなりによい流れに持ち込めた。金がないので一次会で退散した。

2006年 6月 17日 (土)
 本を読んでいて感じるのは、石川淳のひらがなの使い方は気持ち悪いが、高島俊男のひらがなの使い方は好きだ、ということである。

ラニ インド映画「KUCH KUCH HOTA HAI」は大好きな映画で、何度見たかわからないほど繰り返し見た。この映画でラニ・ムケルジーが超ミニスカートで舞い踊る姿を見るたび、俺はこれを見るために男として生まれてきたのだと錯覚をおこす。インド映画は規制が厳しく女性の裸体などを映すことができないので、女優はそのファッションと内より匂いたつ天性の色気によってエロスを醸し出さねばならない。そのせいか、トップクラスのインド女優がきらびやかな衣服を身にまとったまま、その繊細な踊りと表情でエロスを表現する様は、もはや一流の芸の域に達している。マドゥーリ・ディクシットなど、この点においては天才であろう。想像を絶する素敵なものとはこういうもののことをいうのだ。

2006年 6月 18日 (日)
 金が無くてコーラも買えない状態で、天野から電話があり、飲みのお誘い。金が無いから貸してもらえるならとダメモトで申し出ると、微妙に悩んで、彼はやってきた。安上がりなので酒とつまみを買い出しに行き、事務所で飲むことにした。少し前から純米大吟醸が飲みたかったので、ヤマヤで適当なものを買い、ビールを買い、チーズやらえいひれやら刺身やら天ぷらやらピスアシオやらイカやらつくねやら焼き鳥やらレバーやらうなぎの肝やら大根サラダやら豆腐やらソーセージやら買い込んで、事務所に戻り、酒を飲みながら、むさぼり食った。天野はよく食ったが、飲みっぷりは口ほどにも無く、すぐ眠くなり、朝まで飲み明かす予定が終電間際で帰っていった。彼があまり飲まないので俺は純米大吟醸を飲み過ぎ、かなり酔っていて、喉が渇いて仕方が無かったが、金が無いのでコーラも買えず、財布の中の十円玉と五円玉と一円玉をかきあつめたら何とか110円はあったので、ファミリーマートでオロナミンCを買ったが、オロナミンCごときで渇きは癒されず、眠れず、朝まで悶絶していた。しかし純米大吟醸は最初のひとくちは至極うまかったが、酔ってくると酒の味がわからなくなり、もったいない。

2006年 6月 19日 (月)
 昼寝と推敲。

2006年 6月 20日 (火)
 ピンクの赤飯彼女が実家から送ってもらった赤飯をおすそわけしてもらった。
 彼女の実家の赤飯というのが実に変わっていて、もち米100%、小豆の代わりに甘納豆がわんさか入っていてとても甘く、食紅で色がついており、全体的に鮮やかなピンク色。彼女の実家である北海道ではこれが本来の赤飯なのだが、道産子以外が食べると不思議な味だと思うそうだ。しかしアイスクリームご飯さえものともしない俺にとって、赤飯に甘納豆が入っていて甘い味がするなど、なんのことはない。それは絶対に俺の好きな味だと確信し、今度は俺のぶんも送ってもらってくれと頼んでおいた。それが今日、届いたのだ。食ってみたが、これが予想以上においしくて、もともと赤飯好きな俺としては、本来の赤飯以上に気に入った。
 ごま塩を振りかけて食うのだが、甘納豆とごま塩の絶妙なハーモニーがたまらない。基本的にジャム・ハム・サンドとか、甘い味としょっぱい味の組み合わせは好きなのである。うちの会社のケンちゃんやつぶらやコジロウさんにも食わせてみたが、非常に好評だった。これを俺は「ピンクの赤飯」と命名しよう。また食いたい。また送ってもらおう。
 ちなみにアイスクリームご飯やジャム・ハム・サンドと一緒に語ってはいても、B級グルメと一緒にしているわけではない。念のため。

2006年 6月 21日 (水)
 「呪の反対語は祝ですね」と今日事務所でなにげにつぶらがつぶやいた。俺ははっとした。俺はかねがね呪の定義は「形の無いものに言葉によって形を与えることにより、人を混乱させたり悩ませたりする行為」と解釈している。祝の解釈もその逆だとすれば、これはなかなか深いものがある。酒飲んで歌って踊ってさわいで、おめでとう、よかったねえ。無意味なバカ騒ぎと空っぽの言葉の羅列。確かに、祝とは言葉を超越し、その本来の形をうやむやにすることによって愛でる行為なのだ。
 古より「名付け」とは忌むべき行為であった。人は尊いものに対してその名で呼ぶことを避ける。例えば親は子に対して「ともひさ」とか「しずか」とか「かおり」とか名で呼ぶが、子は親を「よしひさ」とか「かずこ」とか名で呼んだりはしない。「おとうさん」とか「おかあさん」と肩書きで呼ぶ。学校でも教師は生徒を「あさの」と名で呼ぶが、生徒は教師を「先生」と呼ぶ。企業において上司は部下を「あさのくん」と名で呼ぶが、部下は上司を「部長」とか「課長」とか肩書きで呼ぶ。これはだいたい世界共通である。人類は名を呼ぶことによりその存在を明示する行為を不遜として、その文化の中で無意識に避けていたのである。言葉で何かを明確に明示する行為は不吉であり、うやむやに雲散させる行為は吉なわけだ。
 ちなみに言葉で実体の無いものにさえ形を与えまくる学問として哲学があげられるが、してみると、なるほどサルトルが嘔吐するのも無理はないと言えよう。

2006年 6月 22日 (木)
 税理士の先生がやってきてインド料理の話になり「この辺で一番うまいインド料理はどこですかね」と聞くのでパトワールかジンナーだと答えたら、話しの流れでケンちゃんも交えて三人でパトワールに食いに行くことになった。税理士の先生とケンちゃんはチキン・マサラ、俺はベジタブル・ミックスを頼んだ。税理士の先生、こりゃうまいとえらく喜んでパクパク食っていた。会計の時、近くに座っていた見知らぬおじさんが「ここは新宿で一番うまいよな!」といきなり話しかけてきたので「ええ、そのとおりですね」と返事した。でも俺はジンナーも同じくらいうまいと思う。

2006年 6月 23日 (金)
シャンティのカレー 仕事で駒込に行ったついでに駒込のインド料理シャンティをチェック。店に入り、そのおしゃれな雰囲気と日本人ばかりの店員に、インド料理らしくない空気を感じた。新宿ターリー屋がちょうどこんな風で、本格的インド料理と謳っているが、いかにも日本人がインド料理を真似したような、あるいはいかにもインド料理が日本に媚を売ったような、日本的インド料理なのである。味もインド料理と日本のカレーの中間みたいで、安っぽい。味のランクで言うと下の上あたりである。こんなしょぼいインド料理でも、インド料理である以上、それなりにおいしく食える。スパイス料理の妙と言えよう。

2006年 6月 24日 (土)
纏足 馮驥才という人の書いた「纏足」(原題:三寸金蓮)という中国の小説を読んだ。中国でまだ纏足の風習が辛うじて残っていた時代を舞台に、纏足により栄華を極めた一族の壮絶な栄枯盛衰を描いた物語である。ひさびさにおもしろい小説を読んだ。前半は纏足により一族で権力を握ることになった奥さんのサクセスストーリーを通して、纏足という文化とは要するにどんなものかということが興味深く描かれる。後半は纏足廃止運動が高まるなか、纏足一家の存亡をかけた纏足廃止団体との戦いが描かれる。纏足という習慣はとどのつまり男のエゴが生んだ悪習であり、中国の歴史の汚点だとされているが、数百年の精錬を経て磨き上げられた文化としての美的価値も確固としてあるわけで、そのあたりの美学が鮮明な描写で、美が理論を超越する瞬間というのはこういうことを言うのだと思わせられる見事な文章だった。これはかなり高度な脚フェチ小説といえるかもしれない。中島哲也にでも映画化してもらおうか。

 真夜中、彼女と海に行った。夜の水平線は巨大な鰐の口の中のようで、生暖かい海の吐息に誘われ近づいてゆくと、今にもよだれの波にからみとられ食われてしまいそうな妄想をかきたてる。そんな夜の海に地球の計り知れぬ生命力を感じた。

2006年 6月 25日 (日)
 印度カラオケに行ってきた。インド料理を食いながら、インドの映画音楽を歌いまくるイベント第三弾である。今日歌ったのは「Chammma Chamma」「Pardesi」「Dhak Dhak Karne Laga」「Koi Mil Gaya」。
 「Pardesi」は花乃さんとの二ヶ月越しのデュエット。「Dhak Dhak Karne Laga」は妙にインド人だかパキスタン人だかわからないが、彼らにウケがよかった。ヒンディー語の歌もだんだん慣れてきて、楽しくなってきたな。
 主催のKiKiさんが自分で出したCDをいただいた。「夢大陸+India」というタイトルで、帰って聴いてみた。異国情緒ちびれるそれなりにカッコいい曲である。
 新しいクルタほしいな。

2006年 6月 26日 (月)
 ぶらっきぃ!さんの出演している自主映画の上映会で、下北沢にくりだした。

 下北はひさびさなので、早めに行ってぶらぶらしていると、インド料理を発見。早速突入。
ににんがよん これが下北らしいというべきか、実に変わったインド料理店で、まず店名が「2x2=8」と書いて「ににんがよん」と読む。なんだそりゃ。わけがわからない。システムは980円で食べ放題のバイキング形式。普通はランチだけだが、ここは珍しく一日中バイキング形式らしい。品揃えはカレー三種類。チキンと野菜とマトン。そしてタンドリーチキン、かと思いきや、鳥の唐揚げ。インド料理じゃないじゃん。ライスは二種類。ひとつは普通に白いのだが、もうひとつはサフランライス、かと思いきや、何やら得体の知れないまぜご飯だった。これはなかなかいい。あとサラダ。デザートはタピオカとフルーツ・ヨーグルトと二種類もあって、タピオカがやたらドロドロして甘く、俺好み。カレーの味はまあ食べ放題としては悪く無い。安っぽいが、食わせる味だ。
 かなりツッコミどころ満載だし、わけわからないシュールなところも多いが、それもまた下北らしさと言えば愛着の要素でもあり、カレーはそれなりにうまく、デザートやまぜご飯など微妙にツボで、なんというか、俺は、この店が、いたく気に入った。ひさびさのヒットかもしれない。
 嬉しくて、思わず食い過ぎた。胃を落ち着かせようと、食後にチャイをゆっくり飲んでくつろいだが、パンパンのお腹はひっこまず、痛むお腹をかかえたまま、映画館へと移動した。

 映画館は下北沢トリウッド。前でぶらっきぃ!さんが立っていたので、チケットを貰い、立ち話をした。その間、次々とやってくる自主映画関係者の方々に紹介してくださった。
 映画は四本立てで、ぶらっきぃ!さんが出演しているのは四本目。相変わらずお腹は痛く、微妙に具合も悪く、また最初に上映された作品がこれまた微妙におバカ系の作品だったため、頭の中がバカになり、寝不足もあいまって、思わず居眠りしてしまった。目が覚めたら、四本目が既に始まっていた。というわけで、ここだけの話しだが、二本目と三本目を見逃した。ぶらっきぃ!さんの出演は辛うじて見れたのでまあよかった。
 映画鑑賞の後、スタッフの皆様の打ち上げに参加させていただいた。こういう機会は貴重なので、とても有り難い。自主映画を制作している監督さん、脚本家さん、俺と同じようにミクシィで映画のコミュニティを主催している方、美人女優さん、などなどエラい方々に囲まれて、へーほーと、ひたすら実り多き、勉強になるひとときをすごさせてもらった。
 お腹は相変わらず痛みっぱなしなので、ビールは飲んだが、食い物はまったく入らなかった。一度関係者の方に映画の感想を聞かれ、寝ていたので何も言えず、また寝ていたと正直に言うのもあれで、根がウソをつけない性格なので適当な感想をでっちあげることもままならず、マグマに焼かれるほど深く墓穴を掘ってしまった。
 今日はまったく、インド料理にしてやられた。
 とインド料理のせいにして、そそくさと終電前に帰った。

2006年 6月 27日 (火)
 藤沢で彼女と合流し、インド料理「マハラニ」に突入。彼女は大昔藤沢に少し住んでたことがあり、現在も遠距離なお互いの住居の中間地点なのでよく待ち合わせに利用する。最近藤沢にインド料理店を発見し、今日食ってみることにしたわけだ。
マハラニ 俺はゴーヤとチキンのカレー、彼女は野菜カレーのセットを注文。セットにはシシキャバブーとかサモサとかタンドリーチキンとかパコラとかヨーグルトとかいろいろついていた。あとサイドでエッグロールを頼んだ。このエッグロール、メニューには「エッグロール」と書いてあるが、これは近所のスパイスヘブンで一時期ハマっていたパニール・カティ・ロールと同じものだな(2004年10月21日の日記参照)。この店、味はまずまずだが、品数はやたら多い。パン類はナンだけでなく、プーリーとかもある(ちなみに彼女は小学校の頃、ナンよりチャパティの方を先に知ったという強者である)。ライスにバスマティ・ライスがあり、なぜかサフラン・ライスより高い。バスマティ・ライスは米の品種の名前で、サフラン・ライスは料理名だ。ではバスマティ・ライスで作ったサフラン・ライスはないのかという素朴な疑問が浮かぶが、まあどうでもいいや。店内が妙に居心地良く、心がなごんだ。
 それにしても俺はいったい何日連続でインド料理を食っているのだろう。前回インド料理以外のものを食ったのはいつだったろう。記憶にないのだ。

2006年 6月 28日 (水)
 スピリチュアリズムというのはいわゆる[wholism]すなわち「全体論」を基礎に置くものの捉え方なわけである。科学とは分析であり、概して非科学的と言われるスピリチュアリズムはつまりその反対。分析の問題点は要素要素の細に入り深に至りある範囲における正確な認識を追求する余り、その周辺の要素との関連性が希薄になる。バタフライ理論てのもあるように、物事は一概に部分の分析で把握しきれるものではなく、では全体論の見地から万物を把握するツールとして唯一機能的なのは人間の脳ということになり、ここでスピリチュアリズムに至る。だから占いは星の動きさえ人の人生を解明する材料になるし、それでいて科学的な検証が難しいわけである。ようするに書くことがないのだ今日は。

2006年 6月 29日 (木)
 仕事で渋谷。ムルギーも飽きてきたのであてすっぽに適当なカレー屋さんに入った。普通の欧風カレーだった。普通の欧風カレーとはすなわち、まずい、ということだ。ちなみに普通のインド・カレーは俺的にはなかなかうまい、まずいインド・カレーは俺的にはまあそれなりにうまい、という主観的判断である。

 仕事で六本木。Tさんと会うといつも人生論の話しになるが、今日も人生論の話しになった。般若心経の本をもらった。

2006年 6月 30日 (金)
 今日はひさしぶりに一日外出せず事務所でたまったデスクワークを片付ける日となりそうだと午前中に起きて勇んで仕事を始めたところにいきなりクライアントから電話があり原稿の打ち合せをしたいので今すぐ駅前のファーストキッチンに来てくれと電話があり初っぱなから出ばなを挫かれたがハンバーガーを奢ってもらってとりあえずはタダめし食えてよかった。久しぶりにカレー以外のものも食えたし。打ち合せの後、銀行やら何やらを回って仕事と同じくらいたまった支払いを済ませ、買い物をし、事務所に戻って仕事をした。意外とさくさく仕事が片付き、早めに夕食をとってさっさと眠った。


戻る
wwwnikki ver 0.641(20020410) (c)AuSYSTEM 2002