非幻想異端的日常
2006年 10月 1日 (日)
 俺が参加したPVの上映会に行ってきた。下北沢のHeaven's Doorというカフェ・バーで、昼12時から夕方6時まで1時間に1回の上映である。参加作品は俺のを含めて10作品ほどあった。
DRIVE上映中 12時前に現地に到着し、とりあえず初回を鑑賞。それなりに力作ぞろいで、なかなか楽しめた。俺の作品はやたら音が悪くて、曲の一節毎に「ドーン」というパーカッションが入るのだが、これが「どわわわわん」というくぐもった締まりのない音に聴こえる。映像はカット割りとか、この「ドーン」に合わせてリズムを構成しているので、これではもともと拙い俺の作品がもっと拙くなってしまう。困って主催のヤスさんに相談したら、高音のレベルを調整してくれて、2回目以降はまともに聴けるようになった。
 安心して、めしを食いに行った。下北沢に来たらここでめしを食わないと気がすまない異色インド料理「2×2=8」(「ににんがよん」と読む)で食べ放題のインド料理をむさぼり、また上映会場に戻る。
 参加作品の中では歌手のプロモーションビデオみたいなのがあって、それが一番よかった。その歌手のかたも来ていて、映像の中の雰囲気とまるで違うのにびっくり。他には短いCGの作品があって、これも非常にクオリティが高いと思った。短くさくっと見れるのも好印象。遅れてコミュニティの重鎮であるV0-zさんが、本日に間に合わなかった未完成の作品を持ってきて、最後の2回だけ上映されたのだが、これがとても素晴らしい。アニメで、部分的に間に合わせで線画になってしまっていたのが残念だが、完成していたら本日一番の作品だったろう。
 恥ずかしいのでミクシィではあまり派手に宣伝しなかったため、知り合いでは俺が主催する自主映画コミュニティ・メンバーのピロさんと、俺の作品に主演した国重だけが見に来てくれた。
 客が記入したアンケートが10枚ほど集まったが、そのなかでひとり一番好きな作品に俺の作品をあげてる人がいて、非常に嬉しかった。他が強者ぞろいだったので、初挑戦の俺に一票でも入ったらまずは上出来だろう。
 上映会のあと近所の焼肉屋で軽く打ち上げをし、テレビでK-1がはじまる前に帰った。

 とりあえずストーリーのある映画を目指す俺としては、PV制作というのも畑違いだったが、畑違いなだけに、逆に勉強になったし、よい経験になった。創ってる最中はこの一度きりで十分だと思っていたが、そのうちだんだんおもしろくなってきて、こうして完成した今、自分で納得できる作品が出来るまでは創り続けてみたいという気にもなってきた。いわゆるストレッチ体操の原理である。普段曲がらない方向に関節を曲げると最初は痛いが、だんだん気持ち良くなってくる。そして人間の関節はひとつだけじゃない。PV制作だけでなく、これからもいろいろなジャンルに挑戦して、気持ち良い部分を増やしていけたらおもしろいかもしれない。

2006年 10月 2日 (月)
 タダ券で映画「レディ・イン・ザ・ウォーター」を見にいった。
 やたら恥ずかしい映画だ。クサくて破綻しまくりでツッコミどころ満載の演出が、見ていてヒドく恥ずかしい。もう恥ずかしくてハズカシクテずっとモジモジしながら見ていた。途中席を立って一番後ろの席に移動したほど、こそばゆかった。
 まあでも、ただダメなだけの映画よりはずっと楽しめたのかもしれない。

 「レディ・イン・ザ・ウォーター」を見終わって、帰ろうと思ったら、ふと今日は映画の日ですべての映画が千円で見れるという情報をキャッチした。これはもったいないと、歌舞伎町にとんぼ返りして、来週にでも見ようと思っていた「あの映画」を、今日、見た。

スケバン刑事/コードネーム=麻宮サキ 映画「スケバン刑事/コードネーム=麻宮サキ」を見た。20年前、毎週楽しみに見ていたアイドル美少女アクションの元祖とも言うべき金字塔の復活である。
 いやあ、実におもしろかった。ヒドい映画だったが、すごくおもしろかった。
 もう見ている最中、なつかしいやら、カッコいいやら、ダサいやら。映画を見てこんな気持ちになったのは本当に20年ぶり。青臭いワクワク感っていうのかしら。
 ただ監督が深作健太だけに、師匠がかの深作欣二だからか、演出が昔の深作欣二の面影を引きずっていて(もちろん深作欣二には程遠いよ)、ところどころ雰囲気がバトルロワイアルっぽかったり、昔の深作欣二とか石井輝男とか増村保造っぽいバタ臭いテンポの良さを感じさせ、青臭いワクワク感を終始持続できなかったのはまあ仕方の無いことと言える。
 制作スケジュールの問題なのか制作者に誰かバカがいるのか理由はわからないが、やたらめったらズサンな作りで、演出も編集も脚本もズタボロだった。普通に作ってたらストーリーはそれほど悪くはないと思うし、演出ももう少しじっくり粘ったらそれほど悪くはなかったと思う。だいたい、麻宮サキが序盤、武器のヨーヨーをうまく使えなくて、敵に当たらずに戻ってきたヨーヨーに自分の頭をぶつけて気絶したりしてるのに、後半、いつのまにかヨーヨーの扱いがうまくなっている。ヨーヨーが上達するプロセスがすっ飛んでるのだ。サキがスケバン刑事になる過程も駆け足だし、登場人物は説明が不十分で、ほとんどのキャラがロクに出てきてもいないのにいつのまにかもう我が物顔で映画の中心にすわっている。省略しすぎだよ。セリフもところどころおかしくて、予告編にも使われている、喧嘩のシーンでサキが啖呵切る「タイマン張りてえならひとりで来い!」というセリフがあるが、「タイマン」とはもう最初から一対一で喧嘩をするという意味だから、これでは意味が通らない。恐らく「喧嘩したいなら正々堂々とひとりで来い」と言いたいのだろう。それともニューヨーク帰りという設定だから、ワザとおかしな日本語を使ったのだろうか。
 そんな感じでこの映画、ズサンなところは数限りなく存在する。往年のスケバン刑事ファンやあややファンにもちょっと薦めるべきか躊躇するくらいな出来だが、俺はとても楽しんだ。
 あややも石川理華もよかったが、ゲスト出演の斉藤由貴がまたよかった。オリジナルの麻宮サキはあの後こんな人生を歩んでいたのだな、と妙に納得できるものがあったが、それは純粋にプロットだけでなく、斉藤由貴の演技力によるところも大きいと思う。
 とりあえず本作は四代目スケバン刑事誕生編といった感じだったが、さて、シリーズ化はするんだろうか。まあ今回はたまたまツボに入る感じになっただけだと思うし、特に次回作は期待しないが、やってくれるなら、見に行こうじゃないか。

2006年 10月 3日 (火)
 テレビを見てたら、秋田の大学で茶髪とピアスが禁止になり、茶髪とピアスを改めた生徒に1万円の褒賞金が与えられるというニュースをやっていた。禁止になった規則を守った生徒に対して、の褒賞金ではない。やっていて改めた生徒に対してなのだ。どう考えてもツッコミどころ満点の道理のわからない決定だ。今の時代に茶髪とピアスが悪いという考えもおかしければ、百歩譲って茶髪とピアスが悪いというなら、やっていて改めた生徒より最初からずっとやってなかった生徒のほうがずっと偉いに決まってる。アホだなあと思いながらテレビを見ていたら、実際に規則が出来てから黒髪に戻した女生徒、規則が出来る寸前に黒髪に戻していて1万円を貰いそこねた女生徒、いろいろ映っていて、ふと思った。どの女生徒を見ても、黒髪のほうが圧倒的に美しく見映えがよい。前に黒髪のほうが似合うと言ったら、日本人の黒髪信仰に対して批判を浴びせる茶髪=個性主張派の輩がいたが、信仰云々言う前に、実際ほとんどの日本人は茶髪よりも黒髪のほうが似合うし美しいのだ。美学が理屈を超越する瞬間というのはいつでも気持ちのよいもので、何人かの美しい女生徒の黒髪を見ていて、大学への批判はどこへやら、すっかり俺の思考は停止したというオチなわけである(停止どころか逆転さえしそうな勢いであった)。

2006年 10月 4日 (水)
 朝起きて、歯を磨きながら、京極の「邪魅の雫」を読む。俺はソファーに座ってくつろぎながら歯を10分〜20分(たまに30分とかも)くらい磨いているので、忙しい俺にとって歯磨きの最中はわりと貴重な読書時間である。
 歯を磨き終わっても、しばらくソファーでだらだら本を読んでいたりする。ひとりの読書時間などを悦悦とむさぼっていると、じきに人の顔が見たくなる。すると事務所に出勤する。事務所に来ると、いつも誰かがいる。生活にひとりの時間と、人といる時間のバランスを求める俺にとって、この創作活動をしながら会社経営というスタイルは合ってるのかもしれない。ちなみに休日の場合は散歩に行くのだ。

 打ち合せで競馬の都・府中に行ってきた。
 帰り、めしを食う処を探して散歩したら、こだわりのカレーを出しているバーみたいなところがあったので、入ってみた。俺のあまり好きではないドロ臭いタイプのカレーだったが、確かに味はうまかった。

 夕食は蕎麦を食った。300gほど茹でたら、食ってる途中でめんつゆが切れそうになり、仕方なく水で薄めて食った。あまり高い蕎麦じゃなかったのは不運だった。いい蕎麦ならめんつゆがなくてもうまいゆえ。
 食後、新房監督のアニメ「月詠」を見る。おもしろくはないのだが、テーマ曲につられてつい見てしまう。曲じたいもいいが、ビジュアル的に見事だ。

 普通の日記スタイルだと書くのが楽だ。

2006年 10月 5日 (木)
 夕方5時半からアニメ「ネギま!?」が始まった。新房監督らの新作なので、いちおう第一話くらいはチェックしておかないといかんと思い、録画して見てみた。ちなみにこの漫画のことは何も知らない。
 「ネギま!?」は第2シーズンだと聞いていたが、物語はどうも最初からスタートしているみたいだ。聞くところによると第1シーズンが酷く出来が悪かったらしいので、きっと無かったことにしてしまったのだろう。
 流石あの傑作アニメのスタッフだけあって、やたらクオリティが高かった。放送が仕事中の平日夕方5時半からなのが残念だ。俺はよほど見たい番組でも、滅多にビデオに録画して見るということをしない。でもとにかくおもしろかった。

 吾妻ひでおの「うつうつひでお日記」を買ったので京極の「邪魅の雫」を読みすすめつつ、読んでいる。読んでいたら無性に大根おろしが食いたくなり、早速スーパーに大根を買いに行った。
 大根てのもいろいろ種類があるんだと初めて知った。どれがうまいのかわからなかったので、辛いほうがうまかろうと、辛味大根を買ってみた。
 夕食のレトルトのカレーに辛味大根をおろしたものを入れてみたら、さっぱりしてなかなかうまい。検索してみたら大根おろしカレーというのはわりと食われているらしい。しかしカレー本体よりも大根のほうが辛い大根おろしカレーというのは如何なものだろう。
 余ったご飯に余った大根おろしを汁ごと全部かけたら鼻がツンとするくらい辛くて、とても食えないのでお茶漬けにして薄めて食った。

2006年 10月 6日 (金)
 昼間彼女が遊びにきたので、ハイチ料理を食いに行った。ここはめしはまあまあだが、珈琲がとてもうまいので、以前はよく通ったものだ。彼女はビーフストロガノフとトマトピラフ、俺は田舎風シチューとイカスミピラフを頼んだ。
 食事中、彼女が聞いてきた。
 「ねえ、ハイチってどこにあるの?」
 「アルプスだよ」
 と俺が答えると、彼女は「へえーっ」と感心していた。
 う〜ん……
 いや、これはこれでオチたか?

2006年 10月 7日 (土)
 自主映画の脚本ミーティング。
 嵐のような雨のなか、歌舞伎町の会議室まで駆けつけると、ぶらっきぃさんが先に来ていて、珈琲を飲んでいた。悪天候で山手線が遅れているらしく、他のメンバーは少し遅れてやってきた。参加者はぶらっきぃさん、姐御さん、すがさん、宇井郎さん。
 とりあえず宇井郎さんと俺が監督をやることになった。
 やっと決まるべきことが決まった。ここからが本腰である。

2006年 10月 8日 (日)
 休日。
 平日から持ち越した仕事がいくつかあった。
 朝、他にやり残していた仕事をいくつか思い出した。
 メールをチェックしたらさらに仕事が増えた。
 最終的に、休日だってのに何だこの仕事量は!?という状況である。

 仕事をさっさと片付けて、洗濯に行き、洗濯機が回っている間、近くのスーパーにカレーの材料を買いに行った。洗濯が終わって帰って洗濯物をたたんで、カレーを作った。
 今回はタマネギを最初にすりおろさず、普通に切って鍋の底で炒め、ヨレヨレに透明になってきたところで火を止めて、ミキサーにかけるという方式を試してみた。なんとなくいつもより味が深くなったような気がする。
 でも味が少し濃厚すぎるなあ。無水カレーは味の調整が難しい。

2006年 10月 9日 (月)
 ドイツの変態映画監督として有名なユルグ・ブットゲライトが来日し、渋谷で上映会とトークショーを開催するというので、行ってきた。
 上映された作品は代表作「ネクロマンティック」、初期短編が3本「マイ・ダディ〜我が父〜」「血のエクセシーズ」「ホット・ラヴ」、そしてメイキング・オブ・シュラム。
 ユルグ・ブットゲライトといえば、なんと言っても「ネクロマンティック」である。ビデオではもう何度も見たが、映画館で見るのはこれが初めて。死体とセックスする美女とその彼氏の物語である。この上なく気持ち悪く、美しい映画だ。
 短編は字幕がなく、わけがわからないので、退屈して寝てしまった。
 メイキング・オブ・シュラムでは「シュラム 血の快楽」の撮影風景をビデオ撮りしたものを延々と流しているだけのものだが、意外だったのは撮影現場が常に笑いにつつまれ、和気あいあいとした楽しい雰囲気だったことだ。映画のダークさからは想像もつかない能天気さである。ここまでふざけててよくあんなシリアスな映画がとれるものだと感心したというより、少し呆れた。
 映画の上映が終わり、ユルグ・ブットゲライトが現れ、トークショーが始まった。ホストがやたら会話がヘタなヲタクっぽい人で、トークショーはあまりおもしろくなかった。とりあえず興味深いこととしては、
 ○ブットゲライトはドイツ語で「ブッッゲライト」と発音する。
 ○ブットゲライトはドイツでゴジラの本を書いて出版している。
 ○ドイツでは日本の怪獣映画をすべて「フランケンシュタイン」と呼んでいる(これは最初にドイツで公開された日本の怪獣映画がフランケンシュタインものだったため、そういう習慣がついたそうだ)。
 ○「ネクロマンティック」は和気あいあいとした雰囲気の中で撮影され(さっき見たメイキング・オブ・シュラムとまったく同じような感じとのこと)、完成した映画を見て初めて自分たちはこんなシリアスな映画を作っていたのだと気がついたらしい。ちなみにブットゲライトの初期の短編作品は皆バカ映画だが、「ネクロマンティック」は初めての長編映画だったので、2年間の撮影期間の間についついシリアスになってしまった、とのことである。
 ○興行に関わるので「ネクロマンティック」は16mmで撮影したとウソをついていたが、実は8mmで撮影されたものだった(これが一番驚いた衝撃の事実であった)。
 ○現在、ブットゲライトはラジオドラマのシナリオ執筆と映画評論家として活躍しており、新作映画の予定は今のところないらしい。そのかわり、別の監督のために脚本を書いているとのこと。
 以上のような内容であった。
ブットゲライトと私 トークショーが終わり、失礼と知りながら、ブットゲライト監督に記念撮影(画像参照)をお願いしてしまった。どうだろう、この変態映画の監督とは思えない爽やかな人物像は。
 「あなたのファンです。また素晴らしい映画を撮ってください」と恥ずかしくなるほどありきたりなメッセージを残し、逃げるようにその場を後にした。
 しっかし、当然のごとく、「ネクロマンティック」を初めて見て衝撃を受けた時、まさかこの映画の監督と日本で15年後に記念撮影をするとは夢にも思っていなかった。
 だいたいこういう映画の監督ってのは、魔窟に棲んでいて俺のような一般人の目に触れるところに姿を現すことなどないという固定観念があったよな、昔は。

2006年 10月 10日 (火)
 テレビで総合格闘技HERO'Sを見た。昔ファンだった(今も好きだが)ドン・フライが生意気な韓国人相手に激勝。歳をとっても相変わらず熱い試合を魅せてくれるこの男。

 レンタルで「デビルマン」の実写映画を借りてきて見た。ひさしぶりにレンタル行ってデビルマンは無いだろうと誰もが思うこの選択。確かに噂通り、なかなか悲劇的なまでに悲惨な出来だった。
 遺作となった監督の那須さんの映画は学生の頃「ビーバップハイスクール」シリーズとか「新宿純愛物語」とかよく見ていた。人間の演出はヘタなのに、アクションシーンになると途端にジェームス・キャメロンばりの迫力をみせるという、その偏った才能がおもしろかった。
デビルマン 今回の「デビルマン」も、人間の演出がダメで、アクションシーンはおもしろいんじゃないかと予想して、まあアクションだけ楽しめればいいやと思って借りてきた。ところが人間の演出は昔と比べて少し上達していて(これでも十分ヘタではあるが)、その反面、アクション演出は光るものもあるものの、チャチなCGと映像でほとんどブチ壊れていた。でも最後のクライマックスはまあそれなりに迫力があった。
 俺はデビルマンの原作漫画は本屋でいきなり最終回を立ち読みしてしまい、「ほえー」とそのテレビアニメとのあまりの違いに呆気にとられた程度の思い入れなので、ほとんど印象に残っておらず、その点も駄作ミサイルの被弾をガードする要素になっていたものと思われる。とにかく思っていたよりは若干マシだった。

2006年 10月 11日 (水)
 午後起き。最近仕事が終わらなくて寝るのが遅くなり、起きるのが遅くなり、仕事が終わらずまた夜更かしする悪循環が続いている。早く起きたほうが効率はいいのはわかっているのだが、その日のうちに終わらせなければならない仕事があったりするし、夜更かしが続くと都合よく早く眠くなってくれないので、なかなかもとに戻せない。

 日曜日に作ったカレーがまずかったので、次の日に新しくカレーを別の鍋で作って合体させてみた。少しはマシになったがまだあまりうまくなかったので、また何か継ぎ足そうと、スーパーを徘徊しながら考え、目にとまったのが「ちゃんこ鍋のもと」。ボルシチをベースにカレーを作っている店だってあるくらいだから(バルチックカレーのことだ)、ちゃんこ鍋スープをベースにカレーを作ったっていいんじゃないかと思い、買って継ぎ足して煮込んでみると、やたら味が和風になり、カレーから遠ざかって何やらおぞましい食物に変化(「へんげ」と読む)している。次の日、今度は少し酸味を加味しようと、中華鍋でスパイスとタマネギを炒め、トマトピューレとカレー粉を絡めたものをさらに継ぎ足し、味をまろやかにするために生クリームを入れて煮込んでみた。プラスマイナスでなんとかカレーの味に戻ってくれた。しかしどうも連日いろいろなものを継ぎ足しすぎたためか、旨味が濃厚すぎて食いにくい。次の日、今度は単純に水を大幅に注ぎ足してみたら、ようやく食える味になった。
 なんだか途中で料理の域を超え、味で遊んでいる感覚だった。

2006年 10月 12日 (木)
オー・ブラザー コーエン兄弟の映画「オー・ブラザー」を見る。これもダメだ。つまらなかったわけじゃない。とてもおもしろかった。しかし、コーエン兄弟の映画は最初に「ファーゴ」と「ミラーズ・クロシング」というとてつもなく想像を絶する作品を見てしまったため、どうしてもあれと同じくらいの衝撃を期待してしまうのだ。

2006年 10月 13日 (金)
 サーバ移動。5年もポータル・サイトを運営しているといらないファイルがゴミカスのようにサーバに残留している。これを機会に細かくチェックして、無駄なファイルをすべて削除した。お陰でさくっと終わらせるつもりが一日がかりの作業となる。

バスマティ米 カレー用のインディカ米が切れたので、通販でインディカ米の一種バスマティ米を買った。俺は普通の食事用にあきたこまち(たまに、こしひかり)、カレー(エスニック料理)用にインディカ米と、米を2種類常備している。
 これまでのジャスミン米はタイ産だったが、今度のバスマティ米はパキスタン産で、日本のインド料理屋などでたまに使われているもの。ジャスミン米はインディカ米にしては炊きあがりにうるおいがあって、もちもちと食感は日本米に近いが、バスマティ米はバリバリのドライな典型的インディカ米である。ジャスミン米より値段が高いのは納得いかないが、とりあえずインド・カレーを食うにはもってこいだ。
 早速炊いてみた。カレーと一緒に手でぐちゃぐちゃかき混ぜて食ったら、俺の作ったマズいカレー(11日の日記参照)が気のせいかウマく感じた。もうインディカ米なしではカレーは食えない。

 占い師さんに「ザッピー浅野」という名前はダメだと言われた。「文才が無」く「売り込みがヘタ」で「ヲタクっぽ」く「女難の相」があるとのこと(かなり笑えた)。以前うちの会社名を決める時、同じ占い師さんに「イース」はダメだから「イース・コーポレーション」にしなさいと言われたのだが、あの時はどうも長ったるい名前がイヤだったので、自分の我を通して「イース」にしてしまったことがある。しかし今回ばかりは何だか指摘されてる内容がことごとく思い当たるので、従うことにした。ちなみに「じゃあくまん」は「遊び心たっぷり」で「ストレス解消」に「楽し」く創作活動をしながら「いろいろなタイプのアーチストに囲ま」れ「どんどん世界が広がってゆ」く名前だそうなので、とてもいいらしい。ちなみにプロのアーチストとしては本名がなかなかいいそうだ。
 そういうわけで「ザッピー浅野」という名前はそのうち廃止する予定である。

2006年 10月 14日 (土)
Chandni Barのタブ 新宿で打ち合せ。打ち合せ。打ち合せ。ああ、ウチアワセ。シアワセ。

 インド映画「Chandni Bar」を見た。お気に入りの演技派女優・タブ主演。
 妙にタブの身長の高さが目立つカメラワークだった。インド映画らしいと言えばインド映画らしいとも言える。
 特殊なインド映画で、ミュージカル・シーンが無く、内容もシリアスなドラマ。幸せってなんだろう、と思わず考えたくなる悲しい物語だった。まったくカーストってやつは。

2006年 10月 15日 (日)
 ぶらっきぃさんが初出演した自主映画がついに上映されるというので、見に行った。場所は八丁堀のリトルシアター。作品のタイトルは「因縁出航屋形船」。
 映像のきれいな映画だった。ぶらっきぃさんはオカマの役で、いちおう女装して女言葉をしゃべってはいるが、オカマ・バーとかで今まで接したことのある本物のオカマさんとは程遠い印象だった。
 最後のほうちょっと寝てしまったので、オチがよくつかめず、反省。

 せっかくこちらの方角に来たので、南インド料理ダルマサーガラで食事をして帰ろうと、東銀座で途中下車した。夕方五時半のディナータイム・オープンまでまだ1時間ほどあったので、すぐ近くのマンガ喫茶に入った。
 エアマスターを1巻から読んでいるうちにアニメも見たくなり、パソコンでYouTubeにアクセスし、漫画と並行してアニメも見ていた。この漫画はバトルシーンも巧妙でカッコいいが、なんと言っても崎山香織のキャラがおもしろい。

マサラ・ドーサ ダルマサーガラ。南インド料理にハマっていると言っておきながら、そういえば俺はまだドーサを食ったことがなかったと気がつき、マサラ・ドーサを注文(画像参照)。ドーサとは南インドの代表的な軽食で、スパイスで炒めた野菜をはさんだクレープのようなものだと思えばよい。思ったよりデカくて、食べごたえがあった。うまくすぎて死亡。

武死す 北野武脚本・監督・主演・編集の映画「TAKESHIS'」を見た。ドッペルゲンガーの理論を基盤としたバカバカしくてシュールな実験映画である。後半になるほどわけがわからなくなってきて、理解しようと努めるのも疲れてくるほど支離滅裂になってくる。同じようなシーンが無秩序に延々と続くのが体力消耗の最大の原因だ。インド映画がすぐ踊り出すのと同じように、この映画の武はすぐに銃で人を撃ち殺す(それは毎度のことか)。
 だいたい、映画監督としては決してうまいとは言えない、いやむしろかなりヘタな北野武が、映画作家としてここまで世界的な地位を確立したことが驚異的なことなのだ。そして、それを自覚していないほど北野武という人物はボンクラではないと思う。彼がこの映画の中で自らの映画世界を半端ヤケクソになってぶち壊したのは、そのあたりの自覚がもたらした、ある種のこそばゆい気持ちの産物によるところも多大にあるのではないかと思ったりする。いわゆる権威崩しってやつだな。
 海外の映画祭でグランプリかなんかを受賞した時に、北野武が恥ずかしそうに頭を掻いていた光景を思い出す。「座頭市」がヒットして儲かったから、やっとこれでストレス解消ができるとでも思ったのかもしれない。映画の内容は難解だが、こういうものを作ろうとしたその気持ちは決してわかりにくいものでもないと思う。

2006年 10月 16日 (月)
16ブロック 招待券があったので、歌舞伎町に映画「16ブロック」を見に行った。ブルース・ウイリス主演のアクション映画である。
 主人公がアル中で老獪していて裸足じゃない以外はだいたいダイ・ハードと同じような内容で、ダメな映画を「詰まらない映画」と「ヒドい映画」にカテゴリ分けするとすれば、これは典型的な「詰まらない映画」と言えるだろう。
 どんなヘボが作ったのかと思って最後のテロップを見たら、監督はリチャード・ドナーだと知って思わずのけぞった。超ベテランじゃないすか。

 夜テレビのチャンネルを回していたら、鉄板焼き少女のドラマがやっていて、思わずお好み焼きが食いたくなり、コンビニまで走ってお好み焼きを買ってきた。
 お好み焼きを食いながらまたチャンネルを回していると、今度は日曜洋画劇場でアメリカのテレビ映画「ポセイドン〜史上最悪の大転覆」というのが目に止まった。テレビ映画とは珍しいと思って少し眺めてたら、ルトガー・ハウアーとスティーブ・グッテンバーグ(ポリスアカデミーのマホーニーね)などという、ここ10年か20年くらいほとんど見てなかった俳優が出ていて驚いた。ふたりとも10年か20年くらい前は全盛期だったのに、テレビ俳優に格下げになっていたとは。

2006年 10月 17日 (火)
 珍しく午前中起きて、猛スピードで仕事を片付ける。
 実務はほとんど進まなかったが、全体的にはなんとなく片付いた。

 午後6時。自主映画の脚本ミーティング。今日は主演俳優候補もふたりばかし呼んだので、オーディションもついでにやってしまう。
 全員遅刻で、10分遅れでやってきた脚本家の姐御さんが一番乗りだった。この一週間五感を総動員して湧きあげたイメージやアイデアを語り尽くす。概ね、取り入れられそうな雲ゆき。
 メンバーは姐御さん(脚本家)、宇井郎さん(監督)、ぶらっきぃさん(俳優兼制作進行)、ともさん(音楽ディレクター)、小野寺さん(次期監督候補兼今回助監督)、すがさん(うるさいが頼りになるスーパーバイザー)、主演俳優候補ふたり、そして俺の9人。全員そろったところで自己紹介と、脚本のラストのオチについて議論。話してる間にいいアイデアが浮かび、それを提案したら、その方向で話しはまとまった。人と話しているとアタマの中がグルグルしていろいろな考えが浮かぶ。地球が俺の頭蓋骨で、全人類が俺の脳細胞といういけない妄想を捨てきれない。
 最後の1時間で駆け足で主演候補ふたりのオーディション。とある理由で、ある意味、気が乗らず、他の皆が熱心に質問しているのに、俺だけボーッと二人の顔をかわるがわる眺めていた。最後に少しセリフを言ってもらったが、ひとりはゾゾッとして、もうひとりがホホウとする一面もあった。
 時間がきてルノアールを追い出され、姐御さん、宇井郎さん、ぶらっきぃさん、小野寺さん、すがさん、そして俺の6人でカシを変えて小一時間だけお茶した。

キューブ・ゼロ 夜、カナダのホラー映画「キューブ・ゼロ」を見た。カルト・ホラーの名作「キューブ」のそれまでを描いた作品。「キューブ」の前を描いた作品ということは、「キューブ」につながるものがあるわけで、「キューブ」で最大のキー・キャラと言ったらアイツで、ならばこの映画にはアイツが出ているんだろうと、ではアイツは誰かと言ったら、コイツしかいないだろうと、幾何学的に考えながら見始めたら見事に冒頭の5分でラストを読んでしまった。これってスゴいこと? それとも簡単? あっ。この感想文にはネタバレになる可能性のある情報が含まれます。って今さら遅いな。

2006年 10月 18日 (水)
 どんなに遅く寝てもなぜかスキッと早く目が覚め難なく起きれる日がある。逆にいつもより早く寝たのになぜかいつまでもグズグズ起きれない朝がある。今朝がそんな朝だった。

 幻文の雑誌制作のイラストを描いてくれるというイラストレーターのかたからメールが来たので、神保町でお会いした。よくよく聞いてみたらイラスト業の合間に余暇でフリー素材を提供しているというだけの話しだった。雑誌制作には届かなかったが、安くイラストを受けてくれるイラストレーターさんが見つかったのは収穫だった。

 というわけで、幻想異端文学連盟ではイラストを描いてくれる人、写真を撮ってくれる人、CGを作ってくれる人、なんでもいいのでビジュアル・コンテンツを提供してくれる素人(プロでもいいけど)のかたを募集しております。切実に。

 神保町に来たついでにカレー探索。
 カーマという店を見つけてチキンカレーを食った。インド風カレーと書いてあるが、インド人がやっているわけではなく、日本人による日本人のための日本風インドもどきカレー。
 テーブルに置いてあるメニューには南インドと北インドのカレーの違いが簡単に書いてある。だからこのお店はどちらなのだということでもないらしく、カレー好きなら誰でも知っている単なる豆知識というだけのことらしい。こういう演出はカレーのマニア心をしらけさせる。
 んでカレーはルーがサラサラなのは南インドっぽいが、味は普通のエスニック風で、味に深みは無く、とにかく何もかもが普通の店である。マニアにはおすすめできない。
 神保町ならもっとうまいカレーがどこかにあるはずだ。

働きマン 先週の木曜日から週刊モーニング連載中の漫画「働きマン」のアニメがはじまり楽しみにしてたのだが、見事に見逃していた。後で気付いてショックを受けた。はたと気がついてYouTubeで検索してみたらあったので、小さな画面ながら、めでたく見ることが出来た。今週こそはちゃんと見るぞ。

2006年 10月 19日 (木)
 昼頃起きて、クライアントの怠慢により遅れていた支払いを済ませに慌てて銀行回り。帰りTSUTAYAに寄って日本映画を数本借りてくる。

 夕方、タウンページに広告を掲載してみようと思って、営業を呼んで打ち合せ。料金的には問題無いが、うちの会社の電話の名義が昔シェアしていた事務所の今は亡き社長さんのままになっていた為、掲載が危ぶまれる。
 数奇な運命に翻弄されている電話番号だ。

 夜、夕食は昨晩食った栗ご飯の残りの栗の無くなったご飯でお茶漬けを食い、それだけでは足りないのでサッポロ一番に大根おろしを入れて食った。

2006年 10月 20日 (金)
 デジタルビデオカメラが欲しい。てゆうか買わなければ。

 夜、歌舞伎町のクライアントNさんとこに集金とパソコンの手伝い。Nさん最近疲れているらしく、ダラダラした雰囲気が事務所にもパソコンの作業っぷりにも現れていた。それでいて儲からないどうしたものかと始終つぶやいている。こういう状態を長く続けて事業がうまくゆくわけもなく、クライアントの生命を守るべく激励の言葉を捧げた。俺が焦ってどうするのだ。

 夕食はスーパーのアジフライとコロッケと玉子ご飯。

 手塚眞監督の映画「星くず兄弟の伝説」を観た。懐かしい映画だが、初めてである。手塚眞が23歳の時の監督デビュー作。
星くず兄弟の伝説 最初は何が言いたいんだかわかず、観ているうちになるほどこれはファントム・オブ・パラダイスとかロッキー・ホラー・ショーとかトミーなどのようなロックミュージカルを日本でやろうとした初の試みなのだとわかった。やりたいことはわかるがヘタにおちゃらけた演出が安っぽくハズカシく、いま観ると80年代という時代と監督の若さが悪い形で前面に出てしまっている。
 数年前に見直した「だいじょうぶマイフレンド」もそうだが、この頃のこの手の映画を見ると、80年代という時代のもっていた独特のハズカシい空気、ベタッとした軽さというか、チャラチャラした明るさというか、そういうのを思い出して懐かしいやら、アホらしいやら、なんとも言えない不思議な気分にもなる。
 特典にメイキング映像があったが、手塚眞の演出が板についていて、千カット以上もあるというコンテの絵の表現力もすばらしく、この頃の若手監督ってバイタリティがあったのだなと思い知らされる。そういえば石井聰亙も大学生の頃にメジャーデビューしたし、海の向こうではスピルバーグが25歳で「激突!」を撮っていた時代なのだ。今はカメラが発達して誰でも簡単に自主映画が撮れるようになったが、それでいて何故かこの頃と比べて若手監督が注目を浴びることってなかなか無い。もっと頑張らないといけないね。

2006年 10月 21日 (土)
 歌舞伎町。パソコンの指導。取材の打ち合せ。

 夜、高円寺の中華料理屋で紹興酒を飲みながら、りくさんの自主映画の打ち合せと称する飲み会。俺が主催しているゼロ映と世界観がまるで違うのがおもしろい。終電で帰った。
 新宿に着いてはたと、金を払うのを忘れていたことに気がついた。やばい。次に会ったときに払わなければ。

 岩井俊二監督・脚本の「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を観た。
 映像がキレイだ。奥菜恵がキレイだ。子供の演技がうまい。まあ、悪くなかった。

2006年 10月 22日 (日)
 夢を見た。よく覚えてないが。ボロくて大きな家に住んでいる。裏口の扉が壊れている。何か大変なことが起きた。金が盗まれる心配ばかりをしている。最後に家が崩れ落ちる。そんな感じの夢だった。

 作家の血液型などというページを見つけた。眺めていると何となくおもしろい。
 http://www.catv296.ne.jp/~butakusa-no-niwa/sakkanok.htm
 血液型によって作家の傾向がわかれるのかというと、エドガー・アラン・ポーがAB型だとか、司馬遼太郎がA型だとか、京極夏彦がB型だとか、新井素子がO型だとか、一部ああ、なるほどと思えるようなものがちらほらあるだけで、全体的にはさっぱりわからない。ただO型に俺の好きな作家がただのひとりもいないという点は大変興味深い(しいて言えば淀川長治くらい?)。他の血液型にはまんべんなくいるというのに。
 大槻ケンヂや芥川龍之介や澁澤龍彦や団鬼六などが無いのが気になるところだ。

 夜、俺の主催する自主映画団体ゼロ映のオフ会。相変わらず集まりが悪い。2ヶ月に一度交流の場を設けようと思っていたのだが、この調子なら頻度を下げよう。次は新年会だな。
 やってきたのは宇井郎さん、由井さん、霊子くん、こないだのオーディションで主演に応募してきたサトルさん。来るかもしれないと言っていた人がひとりも来ず、来ると言っていた人が2人ばかし来なかった。
 2時間ほど粗末な食事で飲みながらまったり会話をし、カラオケで2時間歌い、おひらきとした。

 帰ってチャットしてコンビニの豚塩弁当食ってまいっちんぐマチコ先生見て寝た。

2006年 10月 23日 (月)
 生活のリズムを正そうと思って昨晩早く寝たが、今日も午後に目が覚めてしまった。しかもいつもより遅い時間。12時間以上も寝てしまった。特に疲れていた覚えはない。何故だ。憤る。

 そういえばこないだ京極夏彦の新作「邪魅の雫」を読み終わった。3週間くらいかかって読めた。
 いつもより京極堂の登場が遅くて短いと思ったら、当初出さない予定だったものを折角だからと出したものらしい。京極堂の出番が少ないだけに、妖怪や文化に関する蘊蓄もいつもより少なく、またミステリーの大筋も途中である程度読める為、これまでのこのシリーズとしては軽い印象を持った。
 天然ボケの大鷹というキャラが甚く気に入って、彼と女とのやり取りが矢鱈おもしろかった。それだけにこの結末は切ない。これほど切ない想いを抱いたのは「魍魎の匣」以来だ。

 んで「陰摩羅鬼の瑕」の再読を開始した。新作を読み終えると、必ず過去の作品が読みたくなる。今回は大鷹の出ているこの作品にした。

 またカレーが作りたくなり、スーパーに買い物に行った。コリアンダーが切れていたのだが、スーパーには売ってなかったので、仕方なくインドカレーを作るのに必要なスパイスがひとそろい入っているケララ・カレー・セットを買った。俺流に少しアレンジを加えて作ってみた。まあセットを使っただけに、無難なものが出来た。

 岩井俊二監督の「FRIED DRAGON FISH」を見た。浅野忠信、芳本美代子主演。
 映像美のインスピレーションを得たくて見たのだが、映像は比較的普通で、お話しがとてもおもしろかった。岩井俊二にもこういう作品があるのだな。

2006年 10月 24日 (火)
 前日寝すぎたので、今日は一睡もせずに朝早くから仕事。
 午後用事で実家の川越に行った。行き帰りの電車の中はもちろん寝た。
 川越では市民センターで某カードを取得し、実家に寄って写真を撮った。来年自主映画の撮影で実家のマンションを使用するかもしれないので、下見である。
 夜は早く寝た。

 京極夏彦の「陰摩羅鬼の瑕」を読み終えた。3回目だから早い。
 大鷹がほとんどストーリー的に役割を果たしておらず、後半とってつけたように登場している。ひょっとして京極は「邪魅の雫」で必要なキャラの存在をこの頃から見越して、次作への伏線として登場させたのだろうか。

 それにしても京極夏彦の物語はいつもながら悲しい。

2006年 10月 25日 (水)
 生活のリズムは相変わらずめちゃくちゃ。もういつ眠くなるのか、起きるのか、自分でも予測がつかない。暗黒の生活パターンである。

 夕食はカレーとドーナツ。カレーの料理に使った生クリームが余っていたので、ドーナツをちぎって茶碗に入れ、生クリームをかけてスプーンで食ってみた。マズくはなかった。

2006年 10月 26日 (木)
 10時間以上寝る日と一睡もしない日が交互に続いている。今日は一睡もしない日だった。
 午前中、銀行に金を卸しに行ったり支払いに行ったりTSUTAYAに寄ってDVDを返して借りて、ついでにパンクラスの船木の試合のベスト版の中古ビデオが300円で売っていたので買った(半分以上が見に行った試合だったので)。
 昼頃事務所に戻った。眠くて仕方が無かったが、腹が減っていたのでひとまずサッポロ一番に生玉子を入れて食った。食後はミカンどっさりゼリーを食った。
 サッポロ一番を食いながらYouTubeを眺めてたら、韓国のラーメンのコマーシャルを発見して、ツボに入った。
 http://www.youtube.com/watch?v=mXfakp2gajs

 食後、眠気は限界だったが、こういう時に限って思わぬトラブルに見舞われ、眠るわけにもいかず、何とか動かぬ頭で対処し、トラブルが片付くなり、即行で眠った。

2LDK 夜8時頃起きて、仕事。
 夕食は玉子ご飯が食べたくなり、スーパーに行って玉子と、釜揚げしらすが安かったので買ってきてふたつ同時にご飯にぶっかけ、食った。食後のデザートはラ・フランスを一個まるごと食った。食後、映画を見た。

 堤幸彦監督・脚本の映画「2LDK」を見た。小池栄子主演。
 こういう映画は好きだな。バカバカしいまでに暴力的な映画で、虚しいラストが心に残る。「逆噴射家族」に似たシーンがありすぎるのと、少しベタな展開とテンポの悪い演出が残念だが、後半のバトルはプロセス的にはダメでも結果の連なりとしては多少なりともインパクトがあり、おもしろかった。ホラー映画に例えるならヒッチコック的なのではなく、トビー・フーパー的というやつである(余計わかりにくいな)。
 ようするに女ふたりがボコボコの血みどろになって壮絶な殺し合いを繰り広げるというだけの、それだけじゃない映画である。

2006年 10月 27日 (金)
 珍しく午前中に目が覚める。いいぞ、ブッチ、この調子だ。

 ひさしぶりにスパイスヘブンでインド料理。以前と比べてここはずいぶんうまくなった。今日のメインはオーソドックスなバターチキン。

 風邪気味らしく、ちょっと午後の仕事が辛かった。

 寒くなってくると心細くなってくる。これから始まる冬を生きて越せるだろうか、自信がない。寒いのは苦手だ。今まで1年に1度、かならず冬がやってきて、大きくからだを壊すことなく、この歳まで生き長らえてこられたことが信じられない。寒い季節の到来とともに、闇に包まれてゆく我が人生を憶う今日この頃だった。
 早く来年の夏が来ないかなあ。

 夕食はそうめんが食いたい気分だったが、玉子が一個余っていることと、台所の戸棚にチキンラーメンがあることに気がつき、そう言えば今まで俺はチキンラーメンに生玉子を落としてお湯をかけて食ったことがなかったことに気がつき、折角チキンラーメンには中央に玉子を落とす窪みがついているのだから、一度くらいは試してみなければと、そうめんは中止にしてチキンラーメンを食った。食事の選択で食欲より好奇心が勝つことって割とよくないだろうか。しかしえらくチンケな好奇心だ。

2006年 10月 28日 (土)
 午前中に起きて仕事。日々忙しくなったり余裕ができたり(暇になることは絶対に無い)。仕事は次から次に片付けても、後から後から増え続ける。スケジュール帳に書かれた仕事がみるみるうちに減ってゆくかと思ったら、あちらこちらからメールが来たり電話が来たりして、またドドッと増える。そうしているうちに手帳は真っ黒になってゆく。大雪が降っている最中の雪かきのような日常である。

 昼食。バスマティ米を炊いて、先週末に作ったカレーの最後の残りを食った。

 歌舞伎町のルノアールで自主映画のオーディション。本日は前代未聞の事態で、スタッフが全員それぞれの理由で欠席になり、音楽担当のともさんと俺のふたりだけで行なった。
 参加してくださった出演候補の俳優さんは3人。主人公役候補が2人。主人公のお父さん候補が1人。
 まず最初に俺から映画について説明し、次にひとりひとり前に出てカメラの前で自己紹介をしてもらい、ともさんと俺とでいろいろ質問をし、最後に脚本の中からセリフをひとつ言ってもらった。
 お父さん役候補の俳優さんは完璧で、主人公役のふたりは検討の余地がありそうだった。
 オーディション後、ともさんと段階としては少し早いが音楽について意見を交わし合い、会議を終了した。

 帰り、来週の取材に使う小道具を歌舞伎町で買って帰る。

 夕食はそうめん。食後、今日のオーディションで撮影したビデオを見ていた。

2006年 10月 29日 (日)
トンマッコルへようこそ 招待券で韓国映画「トンマッコルへようこそ」を見てきた。
 血で血をすすぐ殺し合いを繰り広げていた国で、その敵同士が小さな村を守るために命を捨てる映画。または小さな村が、そののほほんオーラで図らずも身を守ってしまう映画とも言える。ひとりの少女の無垢な心が殺し合いに疲れた兵士を変える映画でもあり、生きることとは土をいじって働いて、殺すべきは食料となる動物で、生きる喜びとは恋をして自然の恵みを腹いっぱい食うことであるという単純な精神を再認識させてくれる映画でもある。斯様に様々な角度から観れて、それぞれの伏線に栄養が詰まったよい映画であった。
 戦争で人が死ぬのにラストが妙にサワヤカに感じた。映画の途中に「今まで戦争でたくさん人を殺してきた」というセリフがあったが、ここらへんのラストへの布石はしっかりしている。感じ方は人それぞれだと思うが、“今まで戦争で人をいっぱい殺してきた”兵士たちが“真の意味で人間が生きること”の概念に目覚めた時、何を成すべきか、それを考えたらこの映画が悲惨で後味の悪いラストだなどと、俺には思えない。

 夜、高円寺の辺鄙な会議室で、りくさんの自主映画(ちなみにこの日記でただ「自主映画」と書いてあるのは俺の主催する「ゼロ映」でのことで、他の自主映画団体での活動のみ誰それのとか何処そこのとか断ってある)のオーディションに参加。
 何だか演出補佐をやってくれと言われているのだが、果たして俺に勤まるものだろうか。とりあえずりくさんの横で観客気分で俳優の演技を眺める。
 オーディションはりくさんの意向で、俳優さんの主体性を全面的に尊重する形で行なわれた。いっぱしの演劇を見ているようで、おもしろい。ただ自由度が高いためか、ひとつのシーンの演技を順番にやらせると、最初の俳優さんが演じた通りに、その後に演じる俳優さんたちが追随するという有様で、最初の俳優さんがミスを犯せば、そのミスをその後の俳優さんが全員(例外が無いのがすごい)犯し続けるという状態であった。その場で脚本を渡されて、その場で読んで、練習も準備も出来ず、いきなりだから仕方のないことだろうが、演技って本当に難しい。
 終わって、皆で飲みに行き、酔っぱらい、帰った。

 やることはたくさんあったのだが、もう眠くて、事務所で爆睡した。

2006年 10月 30日 (月)
 コーエン兄弟の「赤ちゃん泥棒」を見た。この映画は見たことないはずなのだが、なぜか最初から最後まで断片的に見たことのあるシーンがたくさんあった。
 感想はやはり「オー・ブラザー」(10月12日の日記参照)や「バーバー」(5月26日の日記参照)を見た時とまったく同じで、とにかくコーエン兄弟じゃなかったら傑作と言ってもいいが、彼らにこの程度の作品ならいらない。

 夜、りくさんの自主映画のオーディション。二日目だけに全体的に馴れた感じで昨日みたいに中盤グダグダになったりはせず、落ち着いて楽しめた。俺好みの自然派の演技で気に入った俳優さんも何人かいたが、りく監督の言う通り衝撃的には程遠い。
 オーディション後、いつものように飲み会。二日連続で酒は飲まない主義な俺もつい飲んでしまった。終電で帰った。

 やることはたくさんあったのだが、眠くて、事務所で爆睡した。

2006年 10月 31日 (火)
デスノート/前編 そういえば時空の歪みに惑わされて忘れていたが、先日招待券があったので今更ながら「デスノート/前編」を見に行ってきた。デスノートの所持者とパソコン青年との壮絶な頭脳戦というからどんなものかと思ったが、あまり頭のいい頭脳戦ではないように思えた(キャラクターが、ではなく、作っている人が)。演技がテレビドラマだから余計そう見えるというのもある。しかしまあ、半分くらい寝ていたので偉そうなことは言えない。
 甘党のパソコン青年だけはよかった。あそこでポテチとくるとは、やられた。

 今日は外出づくめ。六本木で1件、新宿東口で2件、集金やら打ち合せやらをして回った。仕事は増える。収入も増える。忙しさも募る。


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