非幻想異端的日常
2008年 10月 1日 (水)
 日本映画「魍魎の匣」を見た。言わずと知れた京極夏彦の最高傑作の映画化である。監督は原田眞人。
★★★☆ とにかく京極夏彦の小説は分厚い。あれだけの超絶的な伏線の多い長い物語をどうやって二時間そこそこの映画にまとめるかが京極夏彦の映画化の焦点となるわけだが、いやはや、これはよくまとめたな! 原田眞人さんがどこかの文章で、伏線のいくつかはバッサリ切り捨て、残った伏線を「パルプ・フィクション」のように束ねて順番に並べたらこの長い物語もまとめることは可能だ、みたいなことを言っていたが、なるほど、それは見事に成功している。しかし、残念ながらまだまとめ方が足りない。この方法ならもうちょっとスッキリまとめられる。方法論は合ってるのだから、もう少し伏線を削ってくれたら、前半の慌ただしい駆け足の部分もすっきりしてもっと解りやすくなったんじゃなかろうか。
 問題は人間の演出である。いや、もう完璧なまでにとてもうまいのだが、説明臭い過程を嫌うあまりか、ことごとく「人間」を演出することにこだわりすぎていて、ちゃんと説明しなければならないところがわかりにくくなってしまっているのだ。
 もちろん映画は映像で表現するもので、説明臭い描写は基本的にはやってはいけない。しかし、例えば推理ものの謎解きの部分などでちゃんと説明するべきところは、しっかり登場人物の口を借りて説明するべきだというのが俺の持論である。これは説明するためにリアリティを捨てろということではない。誰だって何か問題を解決に向けて話し合うために事情を伝えるときは、しっかり理解させる意志をもって話すであろう。
 例えば榎木津と関口と敦子と木場が初めて京極堂の座敷に集まって事件のあらましを話し合うシーンなど、人間の演出が不必要に介入するため、恐らく原作を未読の人にはストーリーを追うのが困難になるほどわけのわからないセリフのやり取りになってしまっている。説明が必要なシーン以外でも、余計な人間の演出はそこかしこ目障りに挿入され、特に京極堂が御箱様の教団に乗り込むシーンの「チャップリンもフラメンコも、起源は陰陽道」などというまったく意味のないバカバカしいセリフは聞いてて恥ずかしくなった。
 とにかくこの映画、せっかく京極夏彦の大長編をよくまとめてあるし、映像も完成度高いし、人間も大方おもしろく描けてるのに、ところどころにある余計な人間の演出がくだらないのだ。最後の京極堂が宙ぶらりんになって「やっぱりダメかぁ〜〜〜」と叫ぶシーンなど、やりたいことはわかるし、うまいと思うが、やっぱり余計なのだ。
 原田眞人さんの映画は高校のときにいくつか見たが、「ウインディー」にしても「おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!」にしても、うまいのにおもしろくない映画を撮る人、という印象があった。「うまいけどおもしろくない」というのは「うまいだけでおもしろくない」ということで、つまりはテクニックに頼りすぎているということだと思う。人間の演出もテクニックから自動的に挿入された映像のオカズのようなもので、そこだけ見るとおもしろいのだが、映画の中心にしっかり根をおろしておらず、白けるだけなのだ。
 まるでキレイに着飾ったドレスに、カレーうどんを食べた後のカレーのシミが点々とついてしまっているような映画であった。キレイなドレスなのに、なんでカレーうどんなんて食べるんだよ……カレーうどん自体はうまいんだけど……そんな映画なのだ。
 俺はこの映画はとても好きだ。だから余計、残念なのである。

2008年 10月 2日 (木)
 日本映画「舞妓Haaaan!!!」を見た。こないだテレビで見て感想を書くのをずっと忘れてた。阿部サダヲの初主演映画である。脚本は宮藤官九郎。
★★★ 宮藤官九郎の脚本を映像化した作品はこれまで何度も見てきたが、そのほとんどで思うのは、宮藤官九郎の独特のギャグセンスを含めたセンスを正確に映像化したものがあまりないと言うことだ。「木更図キャッツアイ」などは最初に文庫本で脚本を読んでいたのだが、脚本でこれはおもしろいシーンになるぞと思ったところがほぼまったくと言っていいほど笑えるシーンとして演出されていなかった。そんな中でひときわ光っていたのが阿部サダヲの演技である。阿部サダヲの演技力は脚本の笑いはおろか、笑えないシーンさえも笑えるシーンに昇華させたりする。そんな彼が出ずっぱりで主演した映画だから、まぁそれなりに笑える映画になるのは当然のことだったと言える。
 正直、俺はこの映画、あまり期待していなかった。京都の祇園というのも興味ないテーマだし、タイトルもなんとなくヤボったい。評判も一部であまりよくなかったし、阿部サダヲが前面に出た映画というのもなんとなく暑苦しい感じがしてみる前から疲れる思いがした。
 そんな心持ちで見てみたら、期待してなかったのが良かったのか、思ったよりはおもしろかった。阿部サダヲの演技も相変わらずキレがよく、思ったより疲れなかった。これなら二十年前の武田鉄矢の演技のほうがよほど疲れる。いつにも増して宮藤官九郎節が炸裂された脚本を軸に、縦横無尽に阿部サダヲが暴走していた。しかしこの映画の阿部サダヲ、好きにやりまくっているようにみえて、どこか期待に応えようと無理している観がある。初の主演映画で力が入りすぎているということなのかもしれない。とにかく阿部サダヲはおもしろいが、同時に空回りしてもいるのだ。それがすれすれのところで疲れさせず、笑える範囲に留まっているのは、宮藤官九郎のテンポの良い脚本と阿部サダヲの演技力の賜物であろう。
 退屈しのぎに見るには絶好の楽しい日本映画だった。

2008年 10月 3日 (金)
 仕事で新橋と銀座をかけめぐった後、虎ノ門でミーティングと食事会。
 虎ノ門に用事があるときに、効率よく新橋と銀座の仕事を入れるのだ。

★★★ 映画「最前線物語」を見た。サミュエル・フラー監督。リー・マービン主演。戦争映画である。
 最前線で闘いにあけくれる部隊の人間模様を描いたもので、一環したストーリーは無く、断片的なエピソードがただ続く。ひとつひとつのエピソードは良く考えられており、構成もキレイに並んでてまとまっているが、大きな感動や感銘は受けない。
 なんとなく絵に描いたような佳作、って感じだった。

2008年 10月 4日 (土)
★★★☆ ギャオで「エル・コンドル」という映画を見た。ジョン・ギラーミン監督。リー・ヴァン・クリーフ主演。注目すべきは脚本がラリー・コーエンなのだ。
 こんな映画があったなんて今まで知らず、大好きな西部劇だし、リー・ヴァン・クリーフも出ていたので見てみたのだが、これが思わぬ掘り出し物。
 地下に膨大な金塊が眠っているという要塞エル・コンドルをリー・ヴァン・クリーフ演ずる悪党がアパッチ族を仲間に引き連れ攻略する話しで、リー・ヴァン・クリーフが珍しくケチな悪党を演じている。
 最初のほうのシーンで「エル・コンドルは手強いぞ。そう簡単におとせるもんか」みたいなセリフがあった。昔の映画ってこの手の前フリで大げさに期待させといて、実際はそう手強くなかったり、つっこみどころがあったりするものだが、この映画のエル・コンドルは本当に手強く、たったふたりで近付いてきた手ぶらの主人公ふたりを大砲の集中砲火で迎え撃つ鉄壁ぶり。その後、適当にアクションをとりまぜながら、エル・コンドルを守るシャベス将軍との騙し騙されの知能戦が繰り広げられ、最後まで飽きさせなかった。
 またエル・コンドルに住む紅一点、将軍の情婦であるヒロインの美女の存在が眩しい。美女と黄金、このふたつこそは西部に生きる荒くれ男の最大の野望といっても過言ではない。わかりやすくて、適当にひねってあって、このあたりはさすがラリー・コーエンの脚本てところだろうか。

2008年 10月 5日 (日)
 友人がエジプトに行ってお土産に葉巻を買ってきてくれた。いつも一本百円の安い葉巻ばかり吸ってるが、たまにこういうそこそこ良い葉巻を吸うと、実にうまいもんだな。

2008年 10月 6日 (月)
 昼過ぎに静香(妹1)が経理の仕事をしにやってきた。
 俺はそのあいだ、動画の編集をやっていた。

2008年 10月 7日 (火)
 ギャオで「学校の階段」という映画を見た。「怪談」ではなく「階段」である。
 なんか出演者はグラビア・アイドルの小阪由佳以外はみんな知らない俳優さんだし、監督も知らないし、映像も演技も何もかも安っぽく、たぶんこれはVシネなんじゃなかろうか。
 タイトルのくだらなさに思わず見てしまったが、内容も酷くくだらなかった。舞台は高校。「階段部」なる部活が存在する。その活動は、制服を着たまま学校の中を走るだけ、というものである。
★★☆ 「廊下を走るな」と学生時代よく言われた経験は誰もがもつであろう。当然、教師側は黙っていない。唯一、理解のある校長のお陰で正式な部活動として認可されてはいるが、教頭をはじめとする教師たちや、生徒会は階段部を目の敵にしている。そして生徒会は階段部の活動を阻止せんと、そのルートに様々なトラップを仕掛け、待ち受けているのである。階段部にも生徒会にもコンピューター担当がいて、走る部員たちのルートや仕掛けられたトラップをコンピューターで管理していたりする。階段部は生徒会の妨害にも負けず、今日も校舎を走る続ける。
 階段部のリーダーは言う。「走りたいから走るのだ」と。ようするにこれは、「走る」というひたむきな行為に体制への反骨精神をのせ、学校を走りまくる若者たちを描いた物語なのだ。
 「走る」をテーマにした映画は多い。石井聰亙の「シャッフル」、トム・ティクヴァの「ラン・ローラ・ラン」、橋本忍の「幻の湖」、モー娘。の「ピンチランナー」、その他、数えていたら切りがない。しかしこの映画のように、学校という「走る」行為がタブーとされるシチュエーションで、「走る」行為そのものに若者の体制への反骨精神を象徴させた映画があったであろうか。
 というわけで、Vシネの癖にこれはなかなか骨のある設定だな、なんて思いながら見始めたのだが、最後まで見たらそんなご大層な精神性をかかえた映画じゃなかった。とにかくほとんどストーリーが無く、時間かせぎにやたらミュージカルシーンが多い。ストーリーが進まないんじゃなくて、進ませるストーリー自体がないので、仕方なく登場人物が歌い出すという感じだ。しかしそれでももたなくて、結局75分で映画は終わる。なるほど、バカ映画はバカ映画に踏みとどまるのもバカ映画のあるべき姿であろう。
 振り返りみれば、小阪由佳のぎこちない演技がなんとなく味があって、そればかりが印象に残った映画であった。

2008年 10月 8日 (水)
★★★☆ ギャオでイタリア映画「青い体験」を見た。サリヴァトーレ・サンペリ監督。ラウラ・アントネッリ主演。
 初めて見たが、なんて素敵な映画なんだ。こういう映画は昔たくさんあったが、この歳になってこの手の映画で胸をときめかせるとは思わなかった。いや、この歳だからこそなのかもしれない。

2008年 10月 9日 (木)
 タケシさんと新宿ルミネのレストランで打ち合わせ&ランチ。
 完成したと思ったらまた作り始める果てしなき人生の螺旋である。

2008年 10月 10日 (金)
 三十五年ぶりにお会いする方と仕事の打ち合わせ。
 三十五年前に三十五年後の今日を誰が想像しえたであろうか。
 なんてことをしみじみとではなく、ちらっと思った。

2008年 10月 11日 (土)
 宇井郎さんが撮影に使う機材を借りにやってきた。
 ひさびさの師匠との対面は、時間がずっと止まっていたような感覚と、時間が逆戻りした感覚であった。前者は良い意味で、後者はプラマイゼロである。

2008年 10月 12日 (日)
 バイト先で新人が入った。新人の教育でほとんど一日が潰れ、メールをチェックする暇もなかった。こういう日は忙しいのにどこか物事がだらけて先に進んでいない、それが退廃的な快楽にも似た微妙な感覚を伴う一日となり、充実感とは程遠い充実感を味わうのが常である。

2008年 10月 13日 (月)
 長いことかかった動画の編集がやっとおわった。ラストスパートはいつも早い。数分の動画を作るのにもとの動画素材が三時間もあったので、荒編集が一番時間がかかった。次はちょっと撮影のときに編集がもう少し楽になるよう工夫しよう。

 夜、西新宿のルノアールで仕事のミーティング。一千万単位の仕事を数百万でやってくれとのクライアントの要望に、こうして三人集まってプロジェクトチームを結成し、試行錯誤をやったわけである。どう煮詰めても土台が無理な注文だし、それでも数百万単位の金が動くプロジェクトなので、ちょっと危ない橋だが、とりあえず何をどんなところからでもねじ込む練習も兼ねて、前に進めてみようと思っている。

2008年 10月 14日 (火)
★★★ ガイ・リッチー監督の映画「スナッチ」を見た。デビュー作「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」に続く2作目で同じような群像劇である。
 前作はめちゃくちゃおもしろかった。俺、この監督好きだ!と思った。そしてこの2作目、確かに前作に負けず劣らぬクオリティと、スピード感のある展開とパンクなキャラセンスは健在だが、なんとなく、今回はちょっと見るのが辛かった。前作とまったく同じなのだ。同じ映画を違ったパターンでもう一度作ったみたいな映画なのだ。二度目で早くもこんなに飽きてしまう作風というのも珍しい。
 とにかく同じすぎるのと、無数に登場人物が入り乱れて前半は誰が誰やらわからず、登場人物もじゅうぶんに把握してないうちにストーリーはびゅんびゅん先に進むものだから、頭が混乱してしまった。だから途中で見るのをやめて、また最初から見た。この欠点は前作にもあったが、まだ最初だったので、斬新な作風のほうばかりに目がいっていて、気にならなかった。
 三作目からちゃんと作風を変えたようだが、酷評されているところをみると、早くも低迷期に入ったと思われる。四作目も三作目ほどではないが、酷評されているらしい。でも確実に才能はある監督だから、そのうち復活するだろう。プロフィールをみたらこの監督、俺と同い年じゃないか。まだまだこれからだな。
 それにしても途中、話しが軽くすっ飛ばされてるようなところがあった。フランキーが殺される寸前の過程がそうなのだが、DVDに未公開映像が入っていたので見てみたら、そこに必要なシーンが入っていた。フランキーはこの話しの発端になる重要な人物だから、殺される前の過程はちゃんと残すべきだと思うのだが、なんであそこカットしたんだろう。

2008年 10月 15日 (水)
★★★★ 映画「その名にちなんで」を見た。インドの演技派女優タブ主演。ミーラー・ナイール監督。原作はジュンパ・ラヒリ。
 タブ主演だからインド映画かと思ったら、作風が洋画っぽかった。監督のミーラー・ナイールを調べてみたら、「カーマ・スートラ」とか「モンスーン・ウエディング」とか、俺はこの監督の映画を何度か見ている。海外で活躍する、インド人の監督さんなのだった。
 物語はインドからニューヨークに住むインド人に嫁いだ女性(タブ)がアメリカの文化に順応してゆく過程と、その息子の成長する様を通して、アイデンティティの衝突や家族愛を描いたもので、タイトルの通り、息子の名前がこの映画の核心のひとつになっている。
ジュンパ・ラヒリ 原作はイギリスで活躍するインド人の女流作家ジュンパ・ラヒリ(右画像)で、俺は前に彼女の「停電の夜に」という短編集を読んだことがあるが、主に西洋で生活するインド人のドラマを描いたものが多く、この映画もその例に漏れず、いかにもジュンパ・ラヒリの物語という感じだった。ちなみにジュンパ・ラヒリは作家にしておくのももったいない女優顔負けの美女だが、この映画にエキストラで出演しており、初めて彼女の生きて動いている姿を見たが、改めてその美しさにため息がもれた。
 映画はなんのインパクトも狙わず、ニューヨークで生きるインド人家族の三十年を淡々と描いている。そのフツーさ加減がじわじわとした感動をさそう名作であった。この極めて地味な映画が名作となったのは、ミーラー・ナイールの演出力もさることながら、主演のタブの演技力に負うところが大きいと思う。
 タブはもともと歌や踊りがメインの華やかなインド映画にあって、とりわけ地味なドラマ性の高い映画に出演することが多いという、インド映画界きっての演技派女優である。彼女は演じる役が地味であるほど光るという特異な才能をもった女優だから、この役を演ずることができるこの宇宙で唯一の女優だったと思う。
 俺にとってもタブはインド映画界で愛する三大女優さんに数えられるほどのファンだから(後のふたりはカリシュマ・カプールとマドゥーリ・ディクシット)、タブがそれまでの出演していた純インド映画と同じ路線で世界の映画界に進出してくれたのがとても嬉しかった。アイシュなんかがハリウッドに進出したときみたいに、大作なのに普通のインド映画にでていたときよりパッとしないなんてことにならなくて本当によかった。
 この映画のDVDの特典映像で、監督のミーラー・ナイールが「その名にちなんで」を題材に映画制作法を解説するビデオが入っていて、なかなか勉強になる。それにしても日本ではこういうことがどうして普通に考えられないのだろうと思うようなことが普通に話されていて、考えさせられるものがあった。というのは、日本で商業映画について語るとき、どうしても商業性と芸術性の呆れるほどのバカ単純な二元論から脱却できず、映画のクオリティと商業性が分裂したままでしか商業映画を語れない人が多すぎることに俺は前から不満があったのだ。あくまでも映画のクオリティを第一に見据えた上で、プロデューサーとのコミュニケーションや商業性との折り合いについて語り、それらすべてを踏まえた上で「これはわたしの映画だ」と当たり前のように言える姿勢は普通に見習いたいと思った。

2008年 10月 16日 (木)
★★★ ギャオでクリント・イーストウッド監督・主演の映画「ハートブレイク・リッジ」を見た。1986年制作。クリント・イーストウッドが鬼軍曹を演じ、不良たちをしごいてその根性をたたきのめして立派な人間に成長させる映画である。
 その単純なストーリーも八十年代ぽくていいが、過程も展開も結末も何から何まで八十年代って感じがしてよい。離婚した妻とよりを戻す過程なんて、今の映画にしたらいらない要素に思えるが、このいらなさ加減が八十年代って感じがする。しかし最近の硫黄島二部作でも見られた迫力のある戦闘シーンのスタイルはこの頃からすでに確立していたのだな。
 クリント・イーストウッドが訓練のときのかけごえで、ぜんぜん大声を出さないところが渋くてイイ! 「右向け右! 前へ進め!」とか「フルメタルジャケット」の軍曹なんかを見ても普通は声をはりあげるものだが、この映画のクリント・イーストウッドときたら、静かな低い声でそれを言うのだ。なんだか不自然だったが、クリント・イーストウッドだから許せる。
 ひさびさにシンプルな感動を味わえたな。

2008年 10月 17日 (金)
 午前中はピアノの先生の先生のところでなんちゃって打ち合わせ。
 午後は外出予定が2件も狂って事務所でなんちゃって居眠り。
 夕方は渋谷のフルーツパーラーでなんちゃって打ち合わせ。
 夜は事務所でなんちゃって仕事。

2008年 10月 18日 (土)
 前歯が折れたのと、奥歯の側面に詰めていた詰めものがカポッとはずれたので、ひさしぶりに歯医者に行った。数ヶ月前に通っていたときと同じ女性の歯科医さんだった。美人なのだが、こんなに早く再会したくはなかった。今度はしっかり詰めていただきたい。

2008年 10月 19日 (日)
★★★ ギャオで「逃亡者」という映画を見た。
 ハリソン・フォード主演。
 助演のトミー・リー・ジョーンンズがやたらよい。
 アメリカ映画である。
 おもしろかった。

2008年 10月 20日 (月)
 ABさんの主催する「異業種コミュニケーション東京」の飲み会に初参加。これまでは土曜に開催されていたので参加できなかったが、今日は初めて日曜に開催されたので参加できたのだ。
 この会は大縁会から派生したような会だが、大縁会より参加者はじゃっかん少なめではあるものの、女性の割合は大縁会より多いと言われている。実際に参加してみたら、その通りだった。
 朝から何も食わずに行ったので、飲みながら食いまくった。少しストレス解消になった。

2008年 10月 21日 (火)
 バイトが休みだったので、一日中事務所で仕事をしていた。つぶらは体調を崩して休みだった。
 ここ数ヶ月、俺が一日中事務所にいる日は必ずつぶらが体調不良で休んでいるのだが、これはいったいどういう偶然なのだろう。不思議だ。

2008年 10月 22日 (水)
 DVD「サタデー・ナイト・ライブ ベスト・オブ マイク・マイヤーズ」を見た。これはアメリカで35年近く続いているコメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」の九十年代前半にレギュラーだったマイク・マイヤーズの出演したコントのベスト集である。
★★☆ マイク・マイヤーズはずっと前からファンだった。彼を初めて見たのは「サタデー・ナイト・ライブ」での「ハンサム男」のコントで、確かキャサリン・ターナーがホストの日だったと思う。その演技のインパクトに衝撃を受け、その後ぞくぞくと産み出された「中年マン」「ウエインズ・ワールド」等の名コントの数々ですっかりファンになった。
 彼が本格的に映画に進出したのはその「サタデー・ナイト・ライブ」のコントである「ウエインズ・ワールド」の映画化で、これはシリーズ化してパート2まで作られたが、今でも彼の映画はこのふたつが最高傑作だと思っている。その後でお馴染みの「オースティン・パワーズ」で日本でもブレイクしたが、こちらはギャグがベタすぎて、これまでのオリジナリティあふれる笑いには程遠く、彼をずっと前から見ていたファンとしてはちょっと首を傾げる出来だった。ちなみに「オースティン・パワーズ」もパート3からはおもしろくなった。
 さてこのベスト版だが、どれも20年前にリアルタイムで見たものばかりで懐かしかった。しかし! コントの選抜は、ちょっと不満足だなあ。マドンナやエアロスミスがゲスト出演した名コントは当然ながら入っていて、そのあたりはよかったが、俺がマイク・マイヤーズのファンになったきっかけである「ハンサム男」のコントはぜひ入れてほしかったな。そのかわりに「ハンサム俳優」のコントが入っていたが、これは前もって「ハンサム男」を見ていたからその天丼(お笑い用語)でおもしろいのであって、いきなりこれだけ入れるのはどうかと思う。同じことが他のいくつかのコントにも言える。何より、全体的におもしろいコントよりつまらないコントの方が多かったのが残念だ。
 一番おもしろかったのは最初のふたつのコントで、エアロスミスがゲスト出演した「ウエインズ・ワールド」と、マイクがホストで出演したときのミュージカル仕立てのスピーチ。このふたつはめちゃめちゃ笑った。

2008年 10月 23日 (木)
 大好きなネットアイドルであるマギボン(マギボンについては4月11日の日記参照)が来日していて、今日、六本木ヒルズで開催されている東京国際映画祭に出演していて見にいきたかったのだが、忙しくてやっぱり行けなかった。いや、東京国際映画祭どころじゃない、朝から夜の8時まで食事をする暇もなくて、腹が減ってケンタッキーフライドチキンを買ってふらふらで家に帰って食った。それまで朝から唯一食べたものといえば、新橋駅で花畑牧場の生キャラメルが売っていたので、思わず買ってクライアントの事務所でむさぼり食っただけだった。しかしうまかったな、生キャラメル。

★★ そういえば、ずっと前にテレビで宮崎吾朗監督の「ゲド戦記」を見たのだが、感想を書くのをずっと忘れていた。ついでに内容もだいぶ忘れた。とにかく人が言うほど酷い映画じゃないと思った。第一、制作者自身がおもしろい映画を作るつもりがないのだから、おもしろくないと文句を言っても始まらないと思った。冒頭で偉大な父を殺した17歳の少年が、自分を探して旅に出るというストーリーからいっても、17歳とか、偉大な父とか、自分探しとか、意味合いだけで映画をつくっているようにしか見えない。押井守が「次は本当の父殺しの映画を作るべきだ」と言ったそうだが、本当にそういうことだ。
 この映画はもうテルーが歌を唄うシーンだけがあればそれでいいと思った。

2008年 10月 24日 (金)
キング・ブッカー TSUTAYAでWWEの「サマースラム2007」を借りて見た。
 ブッカーTがいつのまにかキング・ブッカーと改名して王様キャラでブレイクしていてびっくりした。なかなかキャラが立っててアホカッコいい。“アホカッコいい”って良い言葉だな。流行らせるか?

2008年 10月 25日 (土)
★★☆ インド映画「MOHABBAT」を見た。主演はマドゥーリ・ディクシット。あと男はアクシェイ・カンナ、サンジェイ・カプール。ひさしぶりに見たインド映画だが、良くも悪くも相変わらずのインド映画であった。
 しかしまぁ、同じような映画をワンポイント変えただけで、いくつもいくつも飽きもせずよく作るよなぁ、と呆れて見ていたが、最後はなんだかんだ感動してしまった。この点、インド映画はやっぱりパワーがあるのだ。

2008年 10月 26日 (日)
 歯医者に行った。何度通って薬をつけてもらったり補強してもらったりしても、なかなか歯のしみるのが治らないので、「いったい何が原因なんでしょうか」と先生に聞いたら「歯ぎしりが原因でしょう」とのこと。俺の歯はかなり削れてすり減っているらしい。
 歯ぎしりなんて今まで誰にも指摘されたことがなかったので半信半疑だったが、日常生活で意識してみたら、なんと、俺は本当に歯ぎしりばかりしていた。
 そうか、歯ぎしりというと、寝ている間するものだと思っていたが、昼間の生活で気がつかないうちに歯ぎしりするってのもあるんだなと、初めて気がついた。もう、ちょっと意識してみたら俺は四六時中、無意識に歯をギリギリとやっている。こんな歯ぎしりばっかりやってたのに、今まで自分で気がつかなかったのが不思議だ。
 そういえば、たまに酷い頭痛がしていたのを思い出す。俺はもともと頭痛持ちではなかったので、おかしいなあと思っていたら、歯ぎしりが原因だったのだ。
 しかし頭痛がするほど歯をギリギリ食いしばっていて、頭痛だけ気がついていて、歯ぎしりの方は気がついてなかったなんて、人間の身体と精神っておもしろいものだ。

2008年 10月 27日 (月)
 霊感占い師のあたる♪ちゃんとお会いした。
 彼女の地元の駅で待ち合わせ、喫茶店で雑談をし、カラオケに行き、最後にマクドナルドで雑談をした。
 俺の背中に女の人の生霊がついていたらしく、誰の生霊かと聞いたら「多分知ってる人でしょうけどあまり関わりはなかった人のようです」とのこと。そんな、特に交流もなかった人の生霊が交通事故みたいにへばりつくなんてことがあるとは知らなかった。スピリチュアルの世界って奥が深い。
 カラオケの途中で背中をバシッと思い切り叩いてもらって、生霊は払ってもらった。よかった、よかった。誰かは知らないが、無闇矢鱈にあまり強い念をまき散らすのはやめましょう。

 大縁会の四十回記念の飲み会に出席。
 さすが四十回記念だけあって多人数で盛り上がっていた。俺はビールや日本酒を飲み、ピザやホッケを食いながら、おもに隣に座っていた初めてお会いする女優さんとお話しをしていた。
 大縁会の後、何人か残った人たちでアントニオ猪木の居酒屋に行った。アントニオ猪木の居酒屋なんてものが新宿にあるとは知らなかった。さすがアントニオ猪木の居酒屋だけあって、内装は凝っていたが、ビジネスマンとしてのアントニオ猪木のあざとさばかりが際立った演出が目について、あまり好きになれなかった。
 やはりプロレスラーが飲み屋を出すなら、キラー・カンさんのお店のような、体育会系のあたたかみを感じるような場所がよい。

2008年 10月 28日 (火)
★★★★★ 松尾スズキがプロデュースしている雑誌「hon-nin」を読んでいて、第一回hon-nin大賞で佳作を受賞した相沢一穂さんの「無題」という自伝小説に感動した。おもしろくて、ひさしぶりにこのくらいの長さの小説を止まらずに一気に読んだ。
 淡々と自分の人生を時系列に語っているだけなのだが、それだけに作者の不器用で自分に正直で本質的に真面目な人間性が行間からにじみ出ていて逆によかった。
 なんでもかんでもある視点から起承転結をこしらえてそれらしいメッセージをのせてまとめたら良い作品になるってものでもない。語る者の人間性がそれだけで作品の視点になることだってあるし、そこに受け手側のナチュラルな視点が重なって、メッセージと化すことだってあるのだ。いや、むしろ自伝小説なんて普通はそうあるべきなのだと思った。いや、もっと言うと、良い文章の本質って本当はそこにあるんだと思う。

2008年 10月 29日 (水)
 クライアントに言いがかりをつけられ、ちょっと感情的になってしまい、今後のおつきあいをやめることになった。原因は言った言わないの話しで、後になってから何てつまらんことで月三万の収入を失ってしまったのかと反省した。我慢するのもからだに良くないが、すぐに感情的になるのもいけない。

2008年 10月 30日 (木)
 風邪をひいた身体に鞭打って、外出。
 お昼頃、渋谷で集金して、ムルギーでカレーを食った。
 次の池袋まで時間が空いたので、ひさしぶりに映画館でひとりで映画を見た。

 見た映画は宮崎駿の新作「崖の上のポニョ」である。
 ほのぼのしていて良かった。人魚姫を原案に使ったこじんまりとしたシンプルな物語で、終わり方とか最初と最後の音楽の使われ方とか、なんとなく30分のテレビアニメ第一話って感じだった。
 ようするにテレビアニメ「崖の上のポニョ」第一話「ポニョ登場」って感じで、来週が楽しみだなと一瞬思ったが、このお話しに「来週」は、無い。来週から続く物語はわれわれ観客、つまり現実に生きる人間がつくってゆかねばならない。
★★★★ メッセージは単純で、自然からやってきたポニョと、人間代表の宗介の幼い恋を描きつつ「人間は自然と仲良くしていかないと地球は滅んじゃいますよ」と言っている映画だ。ポニョのお父さんである魔法使いのフジモトは最初、人間を滅ぼそうと思ってそのための魔法のエネルギーを蓄えていた。ところがポニョがそのエネルギーをすべてぶちまけて半魚人になってしまう。ぶちまかれたエネルギーは地球を滅ぼす原動力となり、そのぶちまかれたエネルギーの中心であるポニョが宗介と永遠の恋を誓い、完全な人間になることによって、エネルギーは収束し、地球に平和が訪れる、というストーリーでだいたい合ってるよね?
 俺は人間は自然を破壊するだけの反自然的な生き物だという考え方が嫌いで、人間も本来は自然の一部だから、自然と共存してゆくことを諦めず模索してゆくべきだと思っている。だからこの映画の基本的な考え方はしっくりきた。
 しかしこの映画のラストはそう能天気な終わり方ではない。だって幼い宗介が大人になって、死ぬまでポニョとの愛をつらぬけなければ、その時点で地球は滅んでしまうのだ。考えてみたら怖いラストである。もう手遅れの一歩手前か既にギリギリ遅すぎる段階に入ってしまっている現実の人間と自然との共存関係を鑑みると、自然への愛を一瞬でも失ってしまったら、地球は滅びるというこの映画のラストはかなり厳しい命題をわれわれ観客につきつけていると言えないだろうか。タイトルの「崖の上」には崖っぷちに立たされた人間と自然との共存関係が象徴されているのかもしれない。なんてね。
 斯様に「来週もお楽しみに♪」じゃすまされない「崖の上のポニョ」第二話以降なのである。

 「崖の上のポニョ」を見終わって、池袋で集金をすませ、いったん家に帰った。
 仕事は山ほどあったが、風邪でからだが言うことを聞かないので、ベッドで少し仮眠をとった。
 夜七時頃起きて、また外出。
 上野で最近会社が倒産して独立した山田さんと居酒屋で今後の仕事について打ち合わせをした。

2008年 10月 31日 (金)
 ぐっすり寝たら風邪はだいぶよくなってきた。

 こないだ録画したビデオで日本映画「フラガール」を見た。蒼井優主演。
★★ 話題になった映画だが、俺はダメだった。この手の映画はとにかくここ数年、後を絶たずに作られ続けている。元を辿ればイギリス映画「フル・モンティ」が流行って、それをパクった「フル・モンティ」の水泳バージョン「ウォーターボイズ」がヒットして、そこから皆が力を合わせて何かを達成するタイプの青春映画が量産されるようになったのだ。「シムソンズ」はカーリング、「スウィングガールズ」はジャズバンド、「バックダンサーズ」はバックダンサー。他にも数えきれないほどある。まぁ、ひとつ何かがヒットしたらそれをパクった映画が量産されるのはイタリア映画や香港映画やインド映画の専売特許だし、それを二十年以上前から「バカだな〜」と笑って楽しんでいた経緯があるので、そこは俺はとやかく言うつもりはない。だいたいパクリ量産なら日本映画はまだ生ぬるいほうだ。
 すべてのシーンやセリフがストーリーを説明するための記号でしかないのは日本映画の九割がかかえる問題で、これはこの日記でも飽きるほど書いてきたので今更くどくど言わない。特に俺は映画は「人間の行間を描く」ことがもっとも重要だと思っていて、ここは俺のどうしても譲れないこだわりの部分だから、一般の観客と明らかに視点が大きく異なるのだと思うし、もうこのことを普遍的な映画の問題点だと目くじらたてて主張するのも疲れた。きっとこの映画には俺の目に映らない素敵な要素がいっぱいあるんだろう。それが俺の目にはすべて記号にしか見えないだけのことなのだ。
 この映画を見ながら首の骨をポキポキ鳴らしつつ、そんなことをつらつら考えていて、ふと「はて、それならどうして俺はインド映画が好きなんだろう?」と素朴な疑問がわいてきた。インド映画こそまさに記号の集合体、いわゆる陳腐でベタな表現ばかりの代物ではないか。どうして俺には日本映画の九割がクズにしか見えなくて、インド映画はたまらなく好きで仕方が無いのだろうか。
 途中からそんな疑問をかかえて見ていたのだが、この映画のクライマックス直前の部分、駅のホームで、東京へ帰ろうとするフラダンスの先生を生徒達がフラダンスを踊って引き止めるシーンを見て、漠然とだがいきなり答えが見つかった。そうか、ベタな表現も何かの境界線を越えれば、それは感動的なシーンになるのだ。図らずも俺は、このシーンを見て少しだけ感動してしまった。その境界線が何なのかはわからないが、このシーンを見て、ああ、インド映画ってベタなストーリー展開の中にもこういう力技みたいな創意工夫に満ちているよなあ、としみじみ思った。それはその後に続く、クライマックスのダンスシーンの見事さにもしっかり現れている。
 この「フラガール」がダメなのは実は他に大きな理由がある。この映画、いちいち大事なプロセスがすっぽ抜けているのだ。なぜやる気の無かったフラダンスの先生が熱心になったのか、なぜフラダンスを歓迎していなかった村人たちが拍手喝采を送るようになったのか、なぜ不器用な少女たちがここまでフラダンスを上達させたのか、その他もろもろ、細かいところをあげたらもっといっぱいあるのだが、もっと丁寧に描いてしかるべき過程がぜんぜん描かれていないのだ。大事なプロセスをすっ飛ばして、記号のような表現ばかりをつなげてるだけだから、ストーリーが陳腐でどうしようもない映画になってしまっているのだ。
 駅のホームのシーンからラストまでは、なかなかよかった。


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