足音はまっすぐこちらへ向かってくる。順のすぐ下、木の根元のあたりまで来ると、その足音はぴたりと止まった。 聞き慣れた足音。目を閉じたままでも分かる。夕歩だ。 「順、またそんなとこで寝てる」 呆れたような声が下から聞こえた。目を閉じたままの順の口元に笑みが浮かぶ。 きっと夕歩は、こちらを見上げながら唇を尖らせているに違いない。 「んーーー」 順は一度大きく伸びをすると枝の上に起き上がった。目をこすりながら木の根元のあたりを見下ろすと、想像した通りの顔で夕歩がむーっとこちらを見上げている。 「落ちて怪我しても知らないよ」 「そしたら夕歩に看病してもらうからいいもーん」 「もー」 「夕歩もやってみなよ、気持ちいいからさ」 順は枝から両脚を投げ出してぶらぶらさせた。 小さいとはいえここは山の中、周りはうっそうとした木々が林立しているが、何故かここだけ開けた草地になっている。眺めもいいし、ある程度の広さもあるので特訓に使えるのも都合がいい。 「それに父さんが、『自然の気の流れにも心を向けなさい』って。だからこうやって、木の上でゴロゴロするんだー」 「順、それちょっと違うし……」 夕歩が呆れたようにため息をついた。その隣に目測であたりをつける。 「よっと」 夕歩にぶつからないように気をつけながら、枝からひょいっと飛び降りた。普通の子供では下手をすると足首を痛めてしまうくらいの高さがあったが、これくらい順にとってはなんでもない。 衝撃を和らげるように膝を曲げて着地すると、足元の下生えの中で小さな花が白いつぼみをつけていた。 「もうすぐここも、花がいっぱい咲くね」 「うん」 夕歩はしゃがんで、指でそっとつぼみを撫でている。と、その小さな手の甲に、ぽつりと水滴がひとつ落ちた。 「あ、雨だ」 立ち上がって空を仰ぐ。一時間ほど前にここに来た時はそれほど曇ってはいなかったのに、今は木の枝の隙間からのぞく空に灰色の雲がかかっている。 「見て見て夕歩、あっちの雲すごいよっ」 「なんかこっちの方に来そうだね」 遠くの空に見える大きな雨雲は、確かに風に乗ってこちらの方に動いている。 「帰ろ、濡れたら風邪引いちゃうよ」 夕歩がそう言う間にも雨は激しくなり始めた。見る見るうちに空が暗くなっていく。春も終わりに近付いた今の季節、雨はそれほど冷たくもなかったが、勢いを増していく雨に二人は弾かれたように走り出した。 ここから二人の家までは、ほとんど獣道のような山道を抜けていかなければならない。 やぶの中をかき分けるようにして進んでいくと、背の高い草の葉にたまった大きな滴が時おり身体に落ちてきた。足元は早くもぬかるみ始め、二人が走るのに合わせてぐちゃぐちゃと湿った音を立てている。大粒の雨はざあざあと降り注ぎ、容赦なく二人の服を叩いていった。 「うっわー、雨すごーい!」 「順、足元気をつけないと滑っちゃうよ」 「そんなヘマはしませーんっ」 雨はついにどしゃ降りになってしまった。服も既にびしょ濡れだが、雨の中で泥を跳ねて夕歩と一緒に走りながら順はどこかわくわくしていた。 |
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